「トンカラリン」。
この不思議で幼さすら感じる響きの裏には、壮絶な冒険が待ち受けている。
ほふく前進でないと侵入できない、謎の洞窟トンカラリン。
変形頭蓋骨が出土したという、不気味な洞窟トンカラリン。
このミステリーは2021年現在、解き明かされていない。
だから僕の低めのIQを以てしても当然わけわからん。
しかし、僕はそのミステリーに触れることに価値を見出すタイプだ。
謎は謎のままでいい。
さぁ、ミステリーハンターの僕が行くぞ。
世界、ふしぎ発見!!
トンカラリンはどこにある?
僕は「道の駅 きくすい」に向かって西日の中、アクセルを踏む。
初秋の17時はそろそろ 1日のゴールを定めなければならない時間だ。
まだムワッと暑いが、そろそろ秋分なのだ。
…今日という日の残り時間に結構焦るぜ…。
「三池炭鉱」の廃鉱を巡るのに時間をかけすぎてしまったかな…。
本日最後にして最大の関心を抱いているのは、トンカラリンだ。
これを見ずして今日を終えることはできない。
道の駅 きくすいの隣にある「江田船山古墳」の敷地に、愛車のパジェロイオを停めた。
ウワサでは、この江田船山古墳も広義のトンカラリンだそうだ。
まぁトンカラリンが何かわからないので、広義だとか狭義だとか言われてもリアクションに困るが。
ふむ、僕の予想が当たった。
江田船山古墳の敷地内に、トンカラリンの所在を示す看板があった。
ちょっと端っこが切れてしまった写真で申し訳ないが、現在地が右上にある。
トンカラリン(謎の隧道遺構)は一番上に書いてある。
上の図で見る限り道順は単純だ。
しかし、結果としてトンカラリンは、そう易々と僕の前に姿を見せてはくれなかった。
「ちょっ、マジでトンカラリンはどこなんだよ!!?」
僕は迫る夕暮れにイラ立ちを覚えつつ、ここに2回も戻って地図と道順を再確認することとなるのだ。
※ 2021年現在はもっとわかりやすい地図なりがあるのかもしれないが、これはあくまで僕が訪問した日本4周目の実録として捉えていただきたい。
およそ20分後。既に時刻は17:30。
「絶対にここがトンカラリンへと繋がる駐車場だ」と僕が確信を持って車を停めた時刻である。
ここにいたるまで、かなり周辺をグルグルしてしまった。
徒歩では効率が悪いので、実は後半は車でグルグルしていた。
これは、当時の手記を基に描き起こしたMAPだ。
精度はイマイチかもしれないが、万一あなたがこのブログを見て行こうと思った際も、これがあればとりあえず到達できると思う。
川沿いの道から、すっごい奥に行くのだ。
道は狭いが、自分を信じて突っ込んでいってほしい。
僕は車からヘッドライトと軍手を取り出し、そして虫よけスプレーを念入りに吹きかける。
廃墟などを散策する際にこれらの装備は必須だからね、いつだって愛車に積んである。
2枚上に駐車場の写真を掲載したが、僕はもうこの時点でちょっとテンション下がっている。
日が落ちつつあるせいか陰気(←失礼)な雰囲気、そしてジメジメした不快な空気。
周囲をヤブ蚊が飛んでいる。
「あぁ、ヤダだー。ヤバイなー…。」
そう思った。
でも、だからこそ刺激される好奇心があるのも、また事実だ。
行くぜトンカラリン。
長刀横穴一号墳
駐車場の奥の雑草地帯を進んでいくと、右手に茂みに隠れた小川が見えてきた。
一応「ホタル公園」という名前があるそうだ。
茂みの上には無数の蚊柱ができていた。
あっちは完全に蚊の巣窟になっている。
近付くことなんて絶対にできない。
左手の岸壁には穴が開いていた。
防空壕のように見える。
擬音で表現するなら「デロデロ…」ってくらいに草木で覆われていて、怖いことこの上なし。
古い石碑の後ろにボロボロになった説明版があるので読んでみる。
内容を以下に記そう。
熊本県指定史跡
長刀横穴一号
清原台地と鶯原台地の間には北に開く谷があり、10基の横穴が残っている。
谷の東側の2基を長刀横穴群とよび、西側の8基を北原横穴群と呼んで区別するが、本来は一連のものであろう。
長刀横穴1号の内部は、幅2.1m、奥行2.4m、高さ1.4mあり、やや長方形をなす床面には、コの字形に3つの屍床を設けている。
天井は妻入りの屋根形に造られている。
羨門部は台形状をなし、その外側には二段の飾縁が設けられ、外側の飾縁画には、連続三角丈が先刻されている。
また、外側の飾縁掘り込み面を横から見ると、直径20cm程度の円丈の線刻が認められ、赤色顔料が部分的に残っている。
2号は崩壊が激しく、奥壁が残るのみであり。
なお、北原横穴群3号の内壁にも線刻がみられるが、羨門側が欠損しているため、図柄は不明である。
長刀って、「ちょうとう」ではなく「ちょうりき」って読むんだね。
もしかして、本来は「長力」だったのが長年を経て「長刀」になってしまったりしたのだろうか…?
そして屍床か…。
つまりは古墳、遺体を埋葬していたということだな。
この時間帯かつこのロケーション、 なおさら近寄りたくないわ。
足元、ヌッチャヌチャですぞ!!
由々しき事態!!気持ち悪いこと、山の如しですぞ!!
この写真は後でもう一度触れることになるが、今はズンズン進もう。
時間が惜しい。
なんか道が小奇麗になった。
左側は民家だし、右側は畑だ。
…は??
トンカラリンエリアを通過してしまった?
なんなんだ、ここは?
よくわからないけど、もう少しだけ進行方向へと進もう。
上の写真の最奥、行き止まりのようにも見えるけど、まだかろうじて畑の隙間から進行方向に進むことができる。
恐怖しか感じない字体と経年劣化を兼ね備えた看板を発見。
ヤダなー、怖いなー…。
ヤケクソでズンズン進んでいると…。
はい、ヤベーの見つけた。
見つけちゃった。
第一トンカラリン潜入
僕はついにトンカラリンと対峙した。
実はトンカラリンは3部構成だ。その1番手が登場した。
しかしそれは、バロック音楽の3楽章形式のように優雅なものではない。
言っちゃ悪いが、このロケーションは最悪の部類にカテゴライズされる。
民家等が建っていたりと整備されている土地の地下に入っていく感覚なのだ。
それが差すのは、墓とか汲み取りトイレの地下部分とか、そういうイメージだ。
ワクワク気軽に入れる気分ではない。
脇にはこれまた古ぼけた看板がある。
階段
この階段七段がある。
のぼりつめれば七十センチ四方のあまりの石の隧道となり人は這って通りぬけることができる横穴式石室との類似を指摘する説もあるがよく判らない。
小さな土師器片が発見されたが今のところ出土品はない。
うん、なんか微妙に歪んだ日本語だな。
そして、『横穴式石室との類似』を見い出すなや。
アレは墓だぞ。
これから入る僕の身にもなれ。なおさらテンション下がるわ。
さて、入口の高さは1mちょっとある。
腰をかがめれば入れる高さだ。
そのあとは、看板記載の通り階段7段がある。
前述の写真のコントラストを思いっきり調整してみよう。
ね、既に見えている。
トンカラリンに入る前から見えている。
しかしここのポイントは、床は階段により高くなるのに、天井の高さは変わらないという点だ。
どういう鬼畜仕様だ、これ。
あぁ、ヤダヤダ。
しかも内部からは果物が腐ったような臭いが溢れ出している。
マジで勘弁だけど、行くわ。1人突撃するわ。
はい、すぐにほふく前進!!
洞窟の高さは50cmもないであろう。
当然中は死ぬほど真っ暗。
そして、トンカラリンを愛する人には大変申し訳ないが、今からディスるぞ!!
おえぇぇぇ…!!
くっさ!!
床がグチャグチャ!!
蚊も多いし、変な虫も多い!!
これが、約60m続く!!
地獄かここは!!!
通気性もほぼゼロだ。とんでもない湿度と温度。
額に汗がベッタリと浮き出る。
不快極まりない…。
しばらく進んだところでフラッシュ撮影してみた。
…オェェェ…。撮るんじゃなかった…。
わかりやすいのは写真右下部分だ。グッチャグッチャだろう。
この中をほふく前進するんだぜ。
自衛隊の訓練みたいだ。
僕の今の装備は、上はTシャツ。下は防水性の高いナイロン生地だ。
しかし瞬く間にドロドロだし、なんなら染み込んできたし…。
そして臭い。
あとね、行き先になんか白いの落ちていますが?
なんだかわからないけど、あれを剥き出しの腕で乗り越えていくのだね…。
ねぇ、なにあれ。
それとね、さっきの看板には『出土品はない』と書かれていたが、事前に調べたいくつかのWebサイトでは変形頭蓋骨が出土したと書いてあるんだよね。
怖いじゃないかよ、もう…。
そして臭い。
記念に携帯電話のカメラでも撮影してみた。
余計怖くなった。ホラー映画だ、これ。
グチャ、グチャ…と、ゆっくりと奥に進む。
僕がもし暗所恐怖症・閉所恐怖症だったら、とっくに泡を吹いて気絶しているだろう。
相変わらず蚊が多い。
なんでこんな洞窟の奥にまでいるんだよ。
…ボウフラか。このグチャグチャの中で、ボウフラが育っているのか?うわー…。
そしてゲジゲジもたくさん!!
盛り上がっているなー、こんな洞窟内で!
そして臭い。
お見苦しい写真で恐縮だが、自撮りもしておいた。
四つん這いの状態で、僕の頭上はすぐに天井である。
普段そこまで汗をかかない僕であるが、顔は汗でテカり、そしてヒジの内側にも汗をかいていた。
どれだけ過酷だったか、この写真で記憶がよみがえってきた。
あの臭いと共に。
… ゴメン、無理だ。
さすがにほふく前進を60m続けることは僕にはできない。
スタミナ的にも生理的にも、いろいろ無理だ。
せめて出口の開口を確認してから潜入すればよかった。
ちゃんと開口しているのか、どのくらいの距離なのかを自分の目で確かめておけばもう少しガマンもできただろうが、ちょっとこれ限界だわ。
とはいえ、Uターンするような幅も無いので、後ろ向きのほふく前進で戻った。(ん?ほふく後進というべきか?)
キツー…。
第二・第三トンカラリン潜入
第一トンカラリンを出た僕は、地上を歩いて洞窟部分をトラバースした。
そして、第一トンカラリンの出口を地上から確認した。
やはり心臓が締め付けられるような狭さだった。
さて、次は第二トンカラリンだ。
ここで現地の看板から、トンカラリンの全体像をお見せしたい。
正直地図が雑すぎて、僕にはよくわからない。
ただ、どこからどこまでがトンカラリンなのかというと、「タンタン落とし」・「七段の石段のある所」・「地隙の割目にふたをした所」の3つがそれに当たるのだろう。
今回の僕の記事は、特に上記に合わせた3部構成ではないので、そこだけ留意いただきたい。
重要なのは、「トンカラリンは途中で途切れているものの、曲がりくねりながら1本に繋がっている」という点だ。
さらに奥にしばらく歩くと、切通しのように崖と崖の隙間に入っていくような感覚の歩道となった。
そしてついに、洞窟だ。
第二トンカラリン。
ここは幅は狭いものの、立ったまま潜入できる。この当たり前が、ありがたい。
入口を振り返って撮影。
ちょっとブレてしまって申し訳ないが、射し込む夕日が眩しいね。
この壁面はなんなのだろう。
ノミの跡など、掘削した痕跡が無い。
ただ、こぶし大のイボのようなものが無数にあってブキミだ。
この壁面は天然ものなのだろうな。そを上から人工的な岩盤でフタをした??
第二トンカラリンも、出口までは数10mだ。
中は真っ暗だったが、まもなく出口の光が見えてきて心強い。
こうして第二トンカラリンは無事に突破。
上の写真は、確実にこのタイミングで撮ったものだのだが、記憶が定かでない。大変に申し訳ない。
第二トンカラリンを抜けて振り返ったものか、第三トンカラリンの入口かのいずれかなのだが、たぶん前者だと思う。
いかんせん、Webを見ても攻略者が非常に少なく、照合ができなかった。
さらに切通しのような、幅1mもないような歩道が続く。
…そして歩くこと数10m…。
第三トンカラリン。
…こいつは!
こいつはすごいぞ!!
天井がメチャクチャ高いのだ。7mくらいはあるのではなかろうか。
そこに上からフタをしてあるのは、第二トンカラリンと同様だ。
天井は高いけど、幅が狭ッ!
今までと同様、体格がいい人は途中で詰まりかねない幅だ。
洞内は曲がりくねっているし、登り坂になっている。
あっという間に入口の光は見えなくなり、漆黒の闇となった。
ヒヒヒ、怖ェ。
途中で小さな祭壇のようなものがあった。
突然現れたのでドキッとした。
闇のトンネルは、グネグネとさらに続く。
ヘッドライト1つではかなり心細いな。
あと、友達が欲しい。1人なのはなおさらに心細い。
自分の足音と息遣いだけが洞窟内に反響する。
それが唸り声のようにも聞こえる。
ぅぅうおぉぉぉぉーーーんん…
って鳴っている。
なんだこの地獄の底のような反響音は。
数10m進んだだろうか。
突然行き止まりになった。
…と思ったら違った。
見ると狭い通路がまだ続いている。
第一トンカラリンと同じような、ほふく前進しないと入れない通路だ。
僕はここで引き返すこととした。
無理して入ったところで、第一トンカラリンと同じような事態になるのは確実だ。
無謀に突っ込むだけが僕の冒険ではないのだ。
ドロドロになった足を引きずり、僕は再び駐車場へと戻る。
トンカラリンとは何なのか?
トンカラリンって、なんだろう。
このネーミングの由来については、「洞窟の奥深くに石を投げ落としたときの音」と言われたりしている。
うむ、確かに反響音はすごかったな。
※ちなみに広島県にも同名のスポットがあるが、この熊本県のトンカラリンに似ているから名付けられただけであり、それ以上の関連性はない。
これは僕が現地で撮影した説明板である。
以下に書き起こそう。
菊水町、瀬川の鶯神社近くから始まるこの遺構は、全長四四五.六mでトンネル状の地隙や地下道のような石組み暗梁等が組み合わさった実に不思議な構造物である。
昭和五十年代に、作家故松本清張氏が現地を調査して、邪馬台国が記された「魏志倭人伝」(三世紀に書かれた中国の歴史書)の一部から、「シャーマニズムに関係した鬼道ではないか」と推論したことで、全国的にその名がしられた。
しかし、その後の「排水路節」により、ブームは沈静化に向かった。
再び、トンカラリン論争が蘇ったのは、県北部を襲った平成五年六月の集中豪雨以降である。
この時、県北の排水路が甚大な被害を受けたが、トンカラリンには一切の損害が無く、それは大した水が流れなかった事を意味していた。
そこで、農業土木の見地から、今一度、詳細な再調査が行われる事になった、結果として排水路説には、余りにも矛盾が多いことが判明したのである。
1)上部台地面積が狭いので、流れ出す雨水量は少なく、谷部に、大規模な排水路を造る必要がない。雨水を取り込みやすいオープンカットの素掘り溝で十分である。
2)今日、トンカラリンを築いた場合、工事費の積算額は、二億円近くになる。これに見合うだけの経済的効果を見い出せない。
3)排水路は、できるだけ直線的に造りが望ましい。しかし、トンカラリンは、実に数多くの湾曲箇所を伴って蛇行を繰り返している。
4)石組の構築物に、災害箇所(地隙)が取り込まれており、不自然である。排水路施設は、この様な造りをしない。
5)地隙に積まれた切り石や、石組み暗梁下部の変化点における角部の整形など、排水路に不自然な飾り箇所がある。面取りされた切り石は常に闇の中にあり、角部には削られて、丸みを帯びている。
この様に、トンカラリンは再び、我々に問題を投げかけるのです。
皆さんも、是非、この謎解きに挑戦してください。
…とまぁ、こんなところだ。
排水溝としては「お金かけた割には欠陥品」らしい。
こちらもドロドロになって排水溝を這いずったことにならずに救われた気持ちだ。
邪馬台国の説も出てきたが、そもそも邪馬台国の場所すら不確定な上、「松本清張さん」がピンポイントで「ここが邪馬台国の名残かも」と言ったところで、にわかにそれを受け入れがたい。
(もっとも、松本清張さんは小説家ではあるが歴史にも相当造詣が深かったが)
写真をさかのぼろう。
このあたりが「タンタン落とし」と呼ばれていたりもする。
右側に見えている階段と、歩道のヘリの湾曲に注目していただきたい。
実は上から見るとこういう造りになっていたのだ。
WiFiのマークみたいだ。
「●」の部分が、石の舞台である。
僕はそんなに気にせずに通過したが、実は石の舞台も階段も非常に古いものであり、いつに造られたかわかっていない。
これもトンカラリンの一部であり、「邪馬台国の卑弥呼がここで儀式をしたのでは?」とか言われたりもしている。
第二トンカラリンと第三トンカラリンを繋いでいた切通しのような歩道も、起源が不明だそうだ。
もう、何から何まで謎だらけなのだ。
松本清張さんは、前述の通り「シャーマニズムに関係した鬼道ではないか」とコメントした。
そのコメントの背景には、胎内くぐりの風習があるという。
洞窟は胎内を見立てている。
狭い胎内を潜り抜け日の目を浴びるという行為は、誕生を再現しており、つまりは再生の意味があるのだ。
なるほど、2020年の「ブラタモリ」の沖縄スペシャルでも、沖縄の城や遺跡の作りが同様の理由から、あえて暗所を作ったり日の光を浴びる構造にしてあると言っていたな。
神事をつかさどった聖域中の聖域、「斎場御嶽(せーふぁーうたき)」もこの構造だ。
さらに、変形頭蓋骨が出土したという点。
これは先天的なものではなく、後天的に手が加えられたものだったそうだ。
変形頭蓋骨で僕がまずイメージするのは、古代エジプトのファラオなど。
神に深く携わる特権者の象徴であった。
じゃあ、邪馬台国でもっとも神に近い存在(卑弥呼)が、神事の一環としてあの通気ダクトみたいなところをドロドロになりながら這いつくばっていたのか?
…正直イメージはできない。
かといって否定もできない。
他にも防空壕説だとか、貯蔵庫説などがある。
しかしあんなに細長くジメジメした空間に利便性は見いだせない。
説明板によると2億円の費用がかるというこの一大施設。
2億円はそこまで高くは無いだろうとは思うが、コスパ面では優れないよな。
だから遊具のような、実益性の無い用途に造られたとは考えにくいかもしれない。
超科学的にしろ科学的にしろ、人々の暮らしを守るものであったのではないかと、僕は考えるのだが…。
捜索を終えた僕は、道の駅きくすいにやってきた。
手を洗い、ボディタオルで汗を拭き、そして蚊に刺されまくったところに薬を塗る。
あぁ、もう汗だくだ。足元もドロドロだ。
最悪だ。早くお風呂に入りたい。
僕の考える卑弥呼は、絶対こんなことするようなヤンチャな女性ではない。
あなたも「あー、蚊に刺されたー!風呂入りてー!」なんて言っている卑弥呼、見たくはないだろう。
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結局、謎はもうしばらく謎のままのようだ。
考えてみてもさ、人々の暮らしが手に取れるようにわかっているのは、ほんの100年か200年前までだろう。
鎌倉幕府がいつできたとか、この肖像画は本当に「聖徳太子」なのかとか、その時代のTOPニュース的なことだって、現代の僕らからすれば難しい質問なのだ。
わずかな資料を解読したり、土をほじくりかえして推測するしかないのだ。
ましてや紀元前の暮らし、しかももしそれが村単位の小さな出来事や建造物とあっては、相当に至難の業だろう。
さっきは「卑弥呼はそんなことしない」なんて書いたけど、僕らの常識なんてたかだかこの100年ちょっとのものなのだ。
真相を問いかけようと石を投げ込んだとしても、きっと暗闇の底から「トンカラリン」と小さな音が聞こえてくるだけなのかもしれない。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
住所・スポット情報