降りしきる雨の中。
妹をおぶり、傘を首に挟んだ不安定な恰好でたたずんでいると、となりに何者かの気配がした。
足音も物音もした覚えは無いのに。
この雨音がかき消してしまったのだろうか。
いや、そんなことはどうでもいい。
確かにとなりに ナ ニ カ イ ル。
心臓が高鳴る。
しかしこの雨の中、妹を背負ったまま走ることは困難だ。
息を殺し、傘の柄をギュッと握りつつも、恐る恐る視線を左に動かした。
クマを彷彿とさせる巨大な動物が、すぐとなりに2本足で立っているようだ。
殺される…。
逃げられない。力でも勝てない。声を出してもここは山の中。
…いや?
なぜこの動物は、身体をこちらに向けずに立っているのだ?
まさか自分に気付いていない??
傘をさしているせいで、となりの巨大な動物の顔までは見えない。
動物の顔を確認すべく、傘を少し傾けてみることにした。
ゆっくり、ゆっくりと…。
となりのアイツに気付かれないように…。
緊張で半分真っ白になった頭に、雨音だけがやけにザーザーと小気味よく響いていた。
秘境駅を目指せ
大変にすまない。冒頭からジブリをこじらせてしまった。
ご存じの方も多いと思うが、「宮崎駿さん」というケンタッキー・フライドチキンの前で微笑んでいそうな風貌の紳士の人気作品、「となりのトトロ」。
それを間違った方向にノベライズした結果である。
ところで、雨音だけがやけにザーザーと小気味よく響いているなぁ。
ホントに迷惑だなぁ。
…さて、この物語は今から少し時をさかのぼり、僕が日本5周目をしてたころのお話である。
関東の梅雨入りから2日目。
なんか神奈川県では避難勧告が出るし、関東の6月としては観測史上最多の降水量をマークするような大雨となった。
ヤバい。梅雨っていうレベルではない。台風のようだ。
周囲の世界がすべてモイスチャーなのだ。
節子だったらきっと「ずっとビチビチやねん」って言っている。
さて、現在僕が置かれている状況をご説明しよう。
目的地に行くにあたり、真ん中の緑の山脈を越える方法を考えているのだ。
大きな懸念は、この中で最も安全な場所を最大の強度で設計されているはずの高速道路が、大雨のために木更津東ICで遮断されたことだ。
もし高速すら危険なのであれば、国道409号まで行ったところでこれも無駄なのではないだろうか?
いや、でも高速道路はあくまでハイスピードで走ることを念頭に置いているから、国道より早く封鎖されることも考えられる。
最も効率的なルートである県道32号の通行止めの理由が、「養老川」の氾濫の危険があるからなのであれば、他のルートも絶望的だろう。
…と考えても始まらない。
試してみるしかないのだ。
2ケタ県道が通行止めなのに、格下の3ケタ県道が通れるビジョンが無いが、とりあえず県道160号に行くのだ。
通行止!!
…ではなかった。
まさに豪雨の中、おじさんがこの看板を設置中であった。
「今ならまだ行けますかーー!?」、僕が聞く。
「おぉ、いいぞーー!気をつけてなーー!!」、おじさんが答える。
僕は愛車のHUMMER_H3のアクセルを踏んだ。
県道81号に出る直前には、僕に背を向けた看板があった。
通り過ぎてチラリとバックミラーを見ると、通行止めの看板であった。
もう戻れない。片道切符だ。
その後もなんやかんやあったのだが割愛する。
なんかのゲームのように通行止めがボンボン出てきて、それをテクニカルに回避しながら進んだ感じ。
こうして僕とその仲間たちは、目的地である「上総大久保駅」に辿り着くのだ。
最後は「えっ?この先に本当に駅があるの?」みたいな擦れ違い不可な小道で、木々の枝を擦りながら入って行った。
秘境度MAXだ。
トトロの駅舎
なんだか自転車置き場みたいな規模の簡素な建物があるけど、これが駅舎だ。
ここは小湊線の上総大久保駅。
「トトロの駅」とも呼ばれる無人駅。
時刻表を見てみると、電車は1時間に1本来るか来ないかって感じ。
1日の平均利用者数は8人程度だそうだ。
千葉っていうと結構首都圏のイメージがあるけど、房総半島の山間部に入ると途端に違う顔を覗かせる。
この房総半島のアドベンチャー的な側面、僕は好きなのだ。
では、駅舎をじっくりご紹介しよう。
「CINEMA CARAVAN」の看板が、ウエスタン調でかっこいい。
これはちょうどこの時期に千葉県各所で行われていたアートイベントの看板かな?
はい、ちょっとカメラを引くと「まっくろくろすけ」だ。
黒カビみたいに繁殖している。
梅雨のジメジメした雰囲気にマッチしていて、かわいいけども現実的に考えるとちょっと笑えなくなる。
駅舎内の時計。
平成時代のものだそうだが、もう経年劣化のレベルが余裕で昭和だ。
駅舎内に、トトロの有名なシーンを描いたと推測される壁画がある。
芸術が爆発している。
やたらと肩を怒らせ、なんか面白くないことがあったであろうと推測されるトトロ。
それを怖がるでもなく笑うでもなく、ドン引きで見つめる姉妹。
「メイ」の手には植物の種の詰め合わせの巾着がある。
トトロはこのままの顔で、これをメイに渡したのか。悪いヤツめ。
もう1バージョンある。
浮遊トトロだ。軽いのか。
お腹の中はヘリウムガスでも詰まっているのだろうか。
「さつき」の顔が、いろいろと心配になる。
異様に小さな瞳孔から、魂の鼓動を感じられない。
完全に虚無の世界に入っている。
なんだこの夢の量が控えめなトトロは。
これらの絵は、近所の小学生が描いたものだそうだ。
さっき時計の下に掲示してあった「白鳥小学校」の生徒なのだろうか?
感性の赴くままにフリーダムに作画していると感じた。
白鳥小学校は、のびのびと自主性のある生徒を育てているのだろう。最高だ。
※ どうやら2013年に他校との統廃合で、廃校となってしまったとのこと。
同行した仲間の1人に、あてずっぽうで「どうせオマエの初恋ってさつきだろ?」って聞いてみた。
「そ、そうだよ。なぜわかった?」と狼狽えつつ返事がかえってきた。
記念に瞳孔の開いたさつきと彼のツーショットを撮ってあげた。
僕は粋な計らいができる男なのだ。
秘境に電車がやってきた
さて、次はホームだ。
このように、駅舎とホームは完全に融合している。
相変わらず降りしきる雨の中、ホームに出てみた。
じっくり時間をかけてダメージを蓄積した駅名板だ。
次の駅は「養老渓谷」。次の僕らの目的地だ。
緑の田園地帯に続く線路。何というのどかな風景なのだろう。
都心からしばらく走れば、こんな風景が見れるのだ。癒される。
線路を眺めていると、「カターン、カタターン」と遠くから音が聞こえてきた。
電車がもうすぐやってくるぞ。
実は時刻表を見て、ちょうど電車がもうすぐ来るとわかっていたので、待機していたのだ。
1両編成の電車が登場した。
そして丸みのある昭和レトロなデザイン。かわいさを振りまきながらやってきた。
ホームに止まった。そりゃそうか、駅だから。
しかし誰も降りないし、誰も乗らない。駅なのに。
わずか1分ほどで、電車は再び動き出す。
車掌さんが僕らに手を振ってくれた。
それだけで心がポカポカした。
雨の中、大変かもしれないけど、がんばってください!
そして雨の中、また電車は消えていくのだ。
森のブランコ
この駅で見てみたいスポットがもう1つある。
それは線路を挟んだ反対側にあるという。
わずかな距離ではあるが、土砂降りなので車に乗ってそこに移動した。
未舗装の路地に愛車を停車させた。
草むらの奥に、さっきの上総大久保駅が見えている。
よりローカルな雰囲気を醸し出すその駅に、我々一同は胸キュンである。
ここで見たかったもの。それはブランコ。
イチョウの枝に吊り下げられた、ファンシーなブランコである。
天気のいい日にこのブランコを漕げば、 素敵な思い出を得られるであろう。
このイチョウは、夫婦イチョウと呼ばれている2本のイチョウのうちの1本。
樹齢は60年だそうだ。
ブランコを支えてくれて、ありがとう。
土砂降りであっても、バランス感覚があればブランコを漕げる。
かわりがわる漕いでみた。
ちょっとだけ童心に返れるような感覚がする。
さて、せっかくここまで来たので、上総大久保駅の遠景を最後にご紹介しよう。
左右に2体のトトロ、そして中央近くにまっくろくろすけがいるのがおわかりいただけると思う。
このように、小さな小さな駅なのだ。
周囲は全て緑。
実は晴れの日にも冬の日にも来たことはないのだが、緑と雨の似合う駅だと感じだ。
雨の日のドライブとなったことは残念だが、この出会いは素直に嬉しい。
少し離れて眺めると、まさに秘境駅としか言いようのないこの光景である。
この静かな森の中。
21世紀となった今だって、ちゃんとトトロがいるのだ。
ブランコを漕いで童心に返った我々であれば、この森の中で本物のトトロに会うことができるだろうか…?
そう思わせてくれるような、素敵な駅であった。
さて、僕らはこの後「養老渓谷」を目指す。
雨は相変わらず弱まるところを知らない。
出発した僕らは、田園地帯の中を走りだす。
ハンドルを握る手にも緊張感を感じる。
養老川はすんごい濁流となっていたり、その後も危機感溢れるドライブであったが、なんとかなった。
例の道はもう引き返せないので、海岸沿いをグルーっと迂回して戻ったりと大変だったが、今となってはそれも思い出である。
あなたもいつか、上総大久保駅を訪れてみてほしい。
日常では味わえない、心の癒しを得ることができるかもしれない。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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