小さい頃の僕は、島というのは海に陸地が浮かんでいるのだと思っていた。
あなたもたぶんそうであったろう。
それが幻想だと気付いたとき、子供は大人になる。
同時に、あの頃の純粋な夢をどこかに置いてきてしまったような、虚しい気持ちに襲われやしないか?
そんなあなたに朗報だ。
夢は現実に存在する。
プカプカと浮かぶ島は実在するのだ。
これはおとぎ話でもなければ、まやかしでもない。正真正銘、水に浮かぶ島の話。
上陸作戦
12月上旬。
1年でも最も日の入りが早いシーズンだ。
だからこそ、朝イチからの時間を有効活用したい。
車中泊していた三重県南部で目を覚ました僕は、日の出と同時にフルスロットルでいくつかの景勝地を巡り、アホみたいにテンション高い状態に整っていた。
よーし、この勢いで和歌山県に入ってやるぞ。
国道42号で「熊野川」の河口を渡り、三重県から和歌山県へと入った。
それにしても、熊野川はダイナミックだな。
この川も上流に行くと「瀞峡(どろきょう)」と呼ばれている、日本屈指の秘境ゾーンになったりするんだよね。
とある廃村を探検したときの目印にした「坂本ダム」も、この川の最上流部だ。
もっとさかのぼると「大台ヶ原」まで行く川だ。
…閑話休題。
さっきの県境の橋を渡ってそのまま1㎞程走った光景が、上の通りだ。
そりゃもうね、和歌山県の新宮市と言えばそれなりの規模の都市だ。
道も広いし建物も多いわけである。 当たり前の話だ。
…だが!
実はこの写真から直線距離でわずか300mのところに、自然あふれる「浮島の森」という秘境が存在する。
そこが、今回僕が目指しているスポットだ。
さぁさぁ、ついたぞ、浮島の森だ。
正面奥側でモジャついているのが、浮島の森だ。
周囲の道路は少々狭く、愛車のHUMMER_H3ではちょっとだけドキドキした。
従い、周辺で路駐して写真を撮っているような余裕もなく、またまた画像はGoogleマップのストリートビューからお借りした。
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現在の時刻は8:55である。
Web情報によると、ここ浮島の森のオープン時間は9:00だ。
ほんの少し早いが、どうにかしてくれそうな誤差でもあるように思われる。
駐車場の脇に、ホウキを持って掃除をしているおじいちゃんがいる。
スタッフさんだろうと推測したので、声をかけてみた。
予想通り、スタッフさんだった。
まずは受付小屋で入場料の100円を払う。
するとおじいちゃんは、この浮島の森の歴史を、写真パネルなどを使いながら説明してくれた。
- 昔は池が広かったし足踏みすればプカプカ島が揺れた。
- 島の内部の生態系は、学術的にもとても貴重。
- 数10年前に町が大きく発展して浮島の真横までアスファルトの住宅街になった。
- それによって環境が破壊され、浮島も水がほとんどなくなって一時消滅の危機になった。
…と、このようなことを説明してくれた。
地元の歴史を知る古老からの、マンツーマンのレッスンだ。
もうこの時点で100円分の価値は遥かに凌駕している。
なんというありがたい講義なのだろう。
僕も調子に乗っていろいろ質問をしたさ。
小さな受付小屋のベンチは、熱気を帯びていた。
これが、現地に掲げられている浮島の森のMAPだ。
僕のこれからの冒険の舞台だ。
1980年代の「初代ドラゴンクエスト」でも余裕で却下されそうなほどの、シンプルこの上ない大陸のシルエット。レベル1の勇者でもとりあえず攻略できそうだ。
そしてベタッとした濃淡の無いデザイン。容量が絶望的に少ないファミコンのロムにも優しいデザインよ。
いや、でも中央部に「蛇の穴」の存在が描かれている。
ここから地下ダンジョンに入り、最深部にいるボスの蛇を倒せばいいのだろうか?
ドラクエ脳でそう考えてみたが、受付のおじいちゃんに「こういう認識でいいですかね?」と尋ねても「朝一からアホが来た」と思われるだけだ。
ドラクエは心の中にそっとしまっておこう。
街中のジャングル行軍
さて、実は僕はここには、日本3周目と5周目の2回、訪れている。
日本3周目のときは、晩秋の閉館ギリギリのタイミングで飛び込んだ。
今回のストーリーは後者の日本5周目をベースとしているが、このあと掲載する写真には日本3周目のものもブレンドする旨、ご容赦いただきたい。
今一度、先ほどのフィールドMAPを見ていただきたい。
受付を出た直後は、まだ島には上陸せず、池の外周を歩くルートだ。
左手に見えますのは、浮島の森でございます。
右手に見えますのは…、塀1枚を隔てて民家の洗濯物だな。庶民的ロケーション。
これは写真撮ってはダメなヤツ。
僕の見ている景観を例えるのであれば、「お城のお堀」である。
島の周囲にグルリとお堀があるようなイメージだ。
おそらくは昔はもっと池が広かったのだろうが、ここは新宮駅も近い、新宮市の超一等地。
宅地開発されると共に、池も埋め立てれ、お堀のように島の周囲にかろうじて残るのみとなってしまったのであろう。
ここで僕が1つ感じたのは、「浮島」という名ではあるが、大地が浮かんでいるようには見えないという点だ。
ここからは木々と草しか見えないのだ。
つまり、ジャングルそのものが浮かんでいる。
土はどこへ行った??
あの島に大地は存在しているのか??
まぁそこいらはおいおい解き明かそう。ワクワクしてきた。
ついにルートは池の上の桟橋を渡り、島へと入る。
島内では、ちゃんと安全に歩けるように歩道が整備されている。
しかし歩道以外の場所はグッチャグチャだ。
節子だったら「もう、ずっとビチビチやねん」って間違いなく言っている。
彼女がそう言い出したらそれは死亡フラグである旨を、賢明なジブリ信者であるあなたであればお分かりいただいていることだろう。
つまり、歩道から反れたらヤバい。
なんだか太平洋戦争当時の「ガダルカナル島」のジャングルを彷彿とさせるようなテイストになってきた。行ったことないけど。
今は冬だからいいが、真夏の湿度とボウフラ発生率は想像しただけで恐ろしい。
まさにジャングルだ。
新宮市の中心部、住宅地のど真ん中で、100円でジャングル行軍を味わっている。
島内での自撮りだ。
注目してもらいたいのは、向かって左側の足元だ。
相変わらず踏みしめられるような大地は無く、飛び降りたら「グチャァァ…」みたいな感じで、早速ひざ上くらいまで沈んでいきそうな気配だ。
島と池が一体化している。
冒頭でじいちゃんが「足踏みすればプカプカ島が揺れた」と言っている。
遊歩道の無い時代のお話なのだろう。
どこで足踏みしたのかは定かではないが、恐ろしい次元の湿地帯だ。
木々や草が絡まって島になっているのだろうか?
朽ちたり腐った木々がそのまま土壌となり、かろうじて島のかたちを成しているのであろうか?
料理がヘタな人が作ったかき揚げのように、ふとした弾みでバラバラになってしまうかのような不安感を感じる。
お相撲さんがジャンプしたら崩壊しかねないぞ、この島。
そして島内は結構暗い。
写真ではわからないと思うが、肉眼で見ると不安なほどだ。
ジャングルだものね、光はあまり射し込まないのだ。
ジメジメムシムシしているのが、ジャングルのアイデンティティなのだ。
夕方に訪問した日本3周目では、じいちゃんに「もう森の中は真っ暗だから、気をつけて行けよー…」と、日本昔話であれば確実に妖怪に獲って食われる前振りのようなアドバイスを受けたしな。
ところで妖怪と言えば…。
出てきたぞ、蛇の穴。
なんか周囲の樹木とものものしい看板の組み合わせは、富士山の「青木ヶ原樹海」を思い出してしまう。
自殺防止の看板のようだ。
看板にはこう書かれている。
蛇の穴(じゃのがま)
この穴が、 心やさしく美しい少女で評判の孝行娘おいのが呑みこまれた大蛇が住んでいるといわれている底無しの穴です。
「おいのみたけりゃ藺の沢へござれ おいの藺の沢の蛇の穴へ」
マジか。
ヘビ、そんなオールマイティな美少女を飲みこんだのか。
返せよ、僕らのおいのを返せ。
結構憤りを感じ、蛇の穴へ飛び込んでやろうとも思ったのだが、辞めた。
遊歩道からちょっと離れていたし、汚れたくないし怖いから。
(ところで、底無しの穴に住む蛇って、どういうことだよ。)
島を抜け、再び僕は池の周囲を取り囲む道へと出た。
ちょっと最初の地図でおさらいをしようか?
キャラメルみたいな色の池を眺めながら、ゆっくりと受付へと歩き出す。
さて、この浮島の森とは、なんなんだろうか?
なぜ浮いているのだろうか?
浮かぶ島の秘密
まずはこの浮島の森を、俯瞰で見ていただきたい。
ちょうどいい写真が「新宮市観光協会」さんにあるので、リンクを貼らせていただく。
前述の通り、すごい住宅密集地にあり、そして池が極限まで削られた状態であることが、よくわかると思う。
そして正式名称は「新宮藺沢 - 浮島植物群落」だ。
島の大きさは、85m×60m。
この小規模な島の中に、130種類もの貴重な植物が生えているのだそうだ。
コイツは日本最大の浮島。
浮いているのにはヒミツがある。
浮島の島部分と、底の部分を形成しているのは、植物の死骸だ。
泥炭層っていうのだが、わかりやすくいうと腐葉土がもっとデロンデロンのペースト状になった状態だ。
これが水中で発酵して、変なガス(メタンガス)を発生させるようになる。
ガスは水よりも軽いので、上に行く。
その浮力で、池の上の森が丸ごと浮いているっていうワケだそうだ。
もっとも、これは1955年ごろまでの状態らしい。
おじいちゃんの言葉を思い出してほしい。
「昔は池が広かったし足踏みすればプカプカ島が揺れた」
…今は揺れないのだ。
池が狭くなったからではない。池の中の環境が変わったのだ。
どうやら腐葉土が溜まり過ぎてしまったようだ。
それに、水質の悪化だとか水位の低下も重なった。
今では一部がかろうじて動く程度になってしまったようだ。
ちなみに、保護団体が動き出しており、この貴重な森を守るためにいろいろやってくれているようだから、僕らはその活動を静かに応援したい。
1927年に天然記念物に指定された、浮島の森。
この貴重な生態系を、後世に受け継がなければならない。
引き続き島を眺めながら歩き、最初の受付小屋へと帰還した。
ニコニコしながらおじいちゃんが待っていてくれた。
「…いいんだよ、再び夢を見ても。浮島の森という名の、大きくて優しいゆりかごに揺られ、子供の頃の夢を見ようじゃないか。」
そう言っているかのような笑顔だった。
プカプカ浮かぶ島は確かにあった。
今でこそ、ちょっと動きが鈍っているものの、またいつか池を漂うのだ。
丁寧に案内をしてくれたことのお礼を言う。
そして僕はまた愛車に乗り込み、本州最南端の「潮岬」を目指すのだ。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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