週末大冒険

週末大冒険

ちょっと出かけてみないか。忘れかけていた、ワクワクを探しに。

No:071【新潟県】うわぁ、お寺の中に地獄と極楽が再現されてる!!でもちょっと小さい…。

あなたが「小さい秋」を見つけていた頃、僕は「小さい地獄」を見つけていた。 

 

きっと、そこに優劣なんてものはない。

視線の先が秋だったか地獄だったか、たったそれだけの違いなのである。

 

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…って言わせてほしい。

なんだか目の前は阿鼻叫喚の由々しき事態なので、僕も少々驚いているのだ。

 

 

普談寺を参拝する

 

今回僕が目指しているのは、「大悲観 普談寺(ふだんじ)」というところである。

越後三十三観音霊場の、第三十番の札所にあたるそうだ。

 

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普談寺1

道はなかなかにわかりづらい。

さらに結構な狭さ。

 

写真の右手のガードレールの向こう側は、車道と並行して川だ。

ここを確か、前方に見えている橋を渡って右手に入っていったと記憶している。

擦れ違いが困難な住宅密集地で、少々オドオドした。

 

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普談寺2

…だけども無事にお寺の駐車場に到着できた。

結果オーライだ。

 

静かな境内には他に参拝客もなく、お寺の人が落ち葉を掃除していた。

決して観光地化されているわけではないのだろう。

地元の人たちによって大事にされてきたお寺に、よそ者の僕が少しだけお邪魔させてもらう構図だ。

 

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普談寺3

まずはしっかりとお参りをしよう。

 

実は本題はこっちではなくって別にあるのだが、お寺に来た以上は最初にお参りをするのが流儀であろうと考えた。

早くコロナウイルスの流行が収まるようにと祈ろう。

 

さて、これは山門だろうか?

その奥に苔むした階段が続いているのが見える。

 

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普談寺4

山門の中の仁王像だ。

なるほどなるほど。絶妙なクオリティだ。

 

「素晴らしい造形ですね」とは言いにくい。

かといって「なんだこりゃ。ユニークすぎる。」と切り捨てることもできない。

小学5年生が一生懸命作ったような、「うん、がんばったね」と無難にコメントさせていただきたいクオリティである。

 

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普談寺5

あー…。

 

吽形に対して、阿形はさらに難しいよな。

開いた口に威厳と畏怖を持たせるのも、振り上げた動きのある腕を表現するのも難しい。

ただ単純に目を大きくすれば迫力を持たせられるのかといえば、そうではない。

 

なんか、長湯して真っ赤になったお風呂上がりのお父さんが、腰にタオルを巻いてリビングに登場したら、ちょっと時間を勘違いしていて楽しみにしていた野球中継がもう始まっていた上に、応援している球団が早々にピンチ…。

そんなシチュエーションである。

 

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普談寺6

山門の先、観音堂へと続く階段だ。

 

秋晴れの散歩道。なんて気持ちのいい天気なのだろう。

空気も澄んでいて、「今とても心身にとっていいことをしているぞ」という思いを噛みしめながら階段を1段1段と上る。

 

まぁこのあと記事タイトルにもある通り地獄を見て「ひゃー!」とか言うのだが、それはまだナイショだぞ。

 

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普談寺7

階段の上には、箱庭のように広場があった。

陽だまりが心地よい。綺麗に手入れされているね。

 

中央に鎮座しているのが観音堂だろうかね。

冒頭に書いた通り、ここは越後三十三観音霊場の1つなのだから。

 

ところでここの、扁額(へんがく)がすごかった。

 

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これね、お堂の屋根の下とかについている、木の看板のようなもの。

「〇〇寺」とか書いてあるケースが多いうのだろうが、これは読めなかった。

写真に撮り忘れて非常に悔しかったので、手描きで忠実に再現した。

 

完全に象形文字だこれ。

縄文時代の洞窟とかから出てきそう。

そんで内容は「晴れた日に西の草原でで鹿を4匹捕まえたよ」みたいな感じだったりしそう。

 

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普談寺8

観音堂の少し奥側の光景がこれだ。

晩秋の低い日差しが、紅葉を際立たせているようだった。

広場が輝いている。

 

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普談寺9

向かって左側、鳥居の奥は木々に囲まれた小さな丘になっていた。

石碑には「天徳稲荷」と刻まれていた。

 

そして、木々の奥には社が1つ置かれていた。

ここでもひとまずお参りしておこう。

 

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普談寺10

弘法大師」かな?

広場の一角に佇む彼に挨拶をし、そしてまた階段を下る。

 

 

地獄と極楽の狂演

イッツ・ア・スモールワールド

 

階段の下に本堂がある。

すごくピカピカに整備されている。

 

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本堂

しかし、今回は本堂には用事は無いのだ。

クルリと僕は後ろを振り向く。

 

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地獄極楽1

もしあなたが当ブログを見て普談寺に行こうと思うなら、この位置関係をしっかり覚えておいてほしい。

本堂の正面だ。

 

それを示す情報は一切ない。

建物の外から、その雰囲気を窺い知ることも困難だろう。

 

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地獄極楽2

角度を変えてもう1枚掲載しておく。

この古びたスーパースリムハウス

 

もしこれが農家の庭にあったら、「クワとか鎌とか、あるいは掃除用具でも入っているのかな?」と思ってしまうだろう。

 

…甘いな。

この中には、地獄と極楽が渦巻いているのよ。

 

 

上の写真の通り、小屋にはガラス戸がはめ込まれている。

ちょっとガラス越しに中を覗こうか?

 

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地獄極楽3

ギャー!

えらいこっちゃー!!

 

壮絶なイジメがおこなわれておる!

鬼がキッズを蹂躙しておる!

 

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地獄極楽4

鬼、きっと声高らかにゲラゲラ笑っているヤツだ。

 

そりゃあね、こんだけの身長があって金棒まであるもん。

小さくてぷにぷにで半裸のキッズ相手だったら思う存分に無双できるわ。

爽快爽快、マジ恐ろし。

 

 

…ちょっ、待ってね。

今は不意打ち食らっちゃったからね、僕。

しっかり深呼吸した後、ちゃんと端から順番にガラス戸を開けて、落ち着いて見て行こうね。

 

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地獄極楽5

ガラス戸の内側が、これだ。

世界観が3つに区切られている。

 

人間は入るスペースはない。

ちょうど、押し入れの扉をガラリと開けて眺めているような構図をイメージしてほしい。

 

そこにミニチュアの地獄や極楽が再現されているのだ。

イッツ・ア・スモールワールドなのだ。子供がギャン泣きする系の。

 

 

地獄の世界

 

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地獄極楽6

さぁさぁ、今まさにあの世への扉が開こうとしているぞ。

 

手前のヌーディストたちが一般ピーポーですな。

そして右奥のセレブリティなかっこをしている御仁たちが、この先の命運を握っている裁判官たちだね。

 

最奥の赤くいてデカいおっちゃんが、かの有名な「閻魔大王」だ。

 

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地獄極楽7

まずは三途の川で僕らを迎えてくれるのが、向かって左の「奪衣婆(だつえば)」だ。

三途の川にやってきた人々の服を剥ぎ取る婆さん。

あなたも小学生の頃、外で遊んで泥だらけになって帰宅したら、お母さんに「すぐ服を脱ぎなさい!洗濯するから!」と怒られたことがあるだろう。

アレの最終形態だ。せいぜい懐かしめ。

 

ホントはここから流れ作業的に懸衣翁(けんえおう)という爺さんがその服を木に掛けるんだけど、いないね。

服は干されているので、やることやったあと、休憩シフトに入ったんだと思う。

 

そして、服を掛けた木のしなり具合で、生前の罪の重さが判断されるのだ。

この時点で、重い冬服はピンチだ。夏を選んで旅立ちたい。

 

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地獄極楽8

これは人頭杖(にんずじょう)っていう男女の生首みたいな便利アイテムだ。

 

男性の首が悪事を見抜き、女性の首が善事を見抜く。

僕のとき女性の首、ちゃんと仕事をしてくれよ?寝るんじゃないぞ?

 

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地獄極楽9

浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)は、生前の悪事をうまいこと編集した動画を再生する大型ディスプレイだ。

 

懐かしい悪事の数々をダイジェストで見れるのか。

きっと他人の家の郵便受けにスモークサーモンをぬるりと入れたシーンとか、チホちゃんにちょっかい出し過ぎて死ぬほど嫌われたシーンとか、第三者目線で見れるんだろうな。

 

ちょっと恥ずかしいけど、ナレーションは任せてくれ。

悪事を可能な限りユーモラスに表現し、印象を良くしたい。

 

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地獄極楽10

そして、裁きのときだ。

 

僕はいつも面白いほどに紙一重で最悪の結果を回避するタイプだから、今回も地獄行きはギリッギリで避けられると信じたい。

 

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地獄極楽11

地獄行きはなかなかハードモードである。

上記の通り、鬼たちにフルボッコにされるのだから。

 

…なんで人間で餅つきするのさ。

万年正月か。

※とりあえず人間界の正月は短いから、このエピソードは人間界の正月に合わせてUPしようか。

 

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地獄極楽12

絶望に沈む人々。

某北の国のニュースに映る人々のように、演技じゃないかってくらいにわかりやすくヘコんでらっしゃる。

 

右端のおっさんの後ろに、鬼の手首が転がっているでしょ?

たぶん鬼滅の刃に登場するかのようなヒーローが、実は潜んでいるんだと思う。

右端のおっさんか、それとも左で土下座しているオマエか…。

 

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地獄極楽13

いずれにせよ、修羅場である。

 

閻魔大王とその傘下の面々も、責任重大である。

人間のその後を決める重大な局面なのだから、誤審はできない。

その気持ちもわかる。

 

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地獄極楽14

もう粘土人形を作るのもめんどくなってしまったのか、絵画で記してあるが、地獄に落ちた人間の末路は凄惨だ。

見ろ、人がゴミのようだ

 

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地獄極楽15

トップってのも、ツラい仕事だよな。

どちらの決断をしても、恨む人間はいる。

 

一都三県に緊急事態を出そうが出すまいが。

GoToトラベルをしようが辞めようが、再開しようが。

 

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地獄極楽16

そんな濃縮されたシナリオが、押し入れの一角にギュッと入っているのだ。

素晴らしいこと山の如し。

 

 

賽の河原

 

先ほど少し触れてしまったが、次に賽の川原ゾーンについて触れたい。

 

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地獄極楽17

全景だ。

説明書きだとかはないので、「保育園でも表現したのかな?」と一瞬思ってしまったが、一呼吸置いた後に賽の河原ではないかと判断した。

 

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地獄極楽18

圧倒的の戦闘力で、幼児たちを駆逐する赤鬼よ。

 

なんだそのエクスタシーの表情は。 

完全に業務の範疇を凌駕し、悦に浸ったヤバい顔をしている。

 

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地獄極楽19

青鬼もいるぞ。

 

彼らは、賽の河原で石を積む子供に対し、その作業を邪魔しているのだろう。

 親より先に死ぬ子供は、親不孝者だ。

こうやって、賽の河原でエンドレスな積み石作業を続けている。

 

tabi-labo.com

 

あとはね、鬼が「壊すのももったいない」と思うほどのアーティスティックな石積みを披露するしかないのだろうね。

 

ロックバランシングだ。

これは生前に勉強してもよいだろう。

 

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地獄極楽20

黒鬼のスキをついて一発逆襲をするのは、僕のかつての同級生の野本君に似た子供だ。

彼、全然悲観した顔をしていない。

むしろマインドは鬼滅隊だ。

 

でもね、僕の見立てによるとこの黒鬼だけは、根っからの悪ではない。

たぶん最終的には「いいか、俺たちの見張りは朝6時から深夜24時までカンペキだ。脱獄しようとだなんて考えるなよ。ちなみに、最近トイレから悪臭がするから、トイレの窓は換気のために開けてあるぜ。」とか、ヘタなアドバイスをするんだと思う。

 

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地獄極楽21

そんな有相無相を高みから見物しているのが、彼だ。

地蔵菩薩だ。

 

どうやら役柄的には、最終的に子供たちを救う存在らしい。

ホントか?このシチュエーション的に信じていいのか?

映画であれば、おそらくは真の黒幕である。

 

だが、これ以上を僕が語ると「おや、こんな時間に誰だろう?」 の文章を最後にブログ終焉となってしまうので辞めておく。

 

 

極楽浄土

 

最後だ。おそらく極楽浄土を模したゾーンだ。

 

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地獄極楽22

うん…、そっか。

ちょっとレトロテイストな極楽である。

 

もっとレッツ・パーリーみたいな感じで、ピザ食べたり夜遅くまでカラオケしたりできればいいのだが。

田舎のおばあちゃんが「ほら、煮っころがしよ。美味しいでしょう。最高でしょう。」と言ってくるかのような、価値観のズレを感じかねない。

 

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地獄極楽23

いかんせん、国土の大半が風呂だしな。

 

昭和テイストをバキバキに押し出した、青いタイルの湯舟。

「エモいー」って言ってTwitterに上げるところまでで、関心が薄れてしまうかもしれない。

そのあとどうやって過ごすよ、ここ。

 

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地獄極楽24

なんだかわからないけど、湯舟の外も液体だったわ。

何だこの構造。

 

国土の大半が風呂って言ったけど、国土全部風呂だったわ。

もうずっとビチビチやねん。

 

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地獄極楽25

うらめしそうな視線も感じた。

風呂地獄か、ここは。

体は綺麗になっても、心は綺麗にならないのか、ここは。

 

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地獄極楽26

創立者と幹部たちが、上から見下ろしている。

ってゆーか、幹部たちは温泉リゾートの余興として踊りとか見せてくれそうなカッコをしている。

これまた昭和っぽいサービス精神だ。

 

こういうケースって、大体ユーザの声はTOPまで届いていない。

顧客満足度はいかほどだろうか?

 

まぁ僕も、レトロ好きなので1泊2日くらいだったらいいかな…。

 

 

あの世を知り、そして己を見つめ直そう

 

ところで、この地獄極楽ジオラマセットはいったい何だったのだろう?

それについて、僕自身で調査をしていなくって大変恐縮なのだが、以下のWebサイトを参考にご紹介したい。

 

niigata-kankou.or.jp

 

「にいがた観光ナビ」様のWebサイトである。

 

それによれば、これは「地獄極楽像」という作品。

先代の住職の時代に作成されたものなんだとか。

それが今から何年前なのかはわからないが、劣化具合からも数10年はゆうに経過していると判断した。

 

そして、地元の幼稚園や小学校の授業の一環で見学させたりもしているのだそうだ。

 

いいことをすれば天国に行き、悪いことをすれば地獄に堕ちる。

誰もが子供のころから聞いたことがある話。

絵本などではなく、こういうかたちで住職から説明などされれば、子供心に響くものもあるだろう。

 

しかしながら、子供を脅すばかりではなく、どこか愛嬌のある造形。

そこに住職の人間性を感じた。

 

 

大人になると薄れゆく、こうした死後の世界観。

そりゃそうだ。みんな今を生きるのに精いっぱいだ。

だけども、今一度僕らは地獄極楽像を見て思い返すべきなんじゃないかな。

 

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正しいことを正しいと言え、そして頑張った人がちゃんと評価される世の中。

それを実現できているのかどうか。

うんこれ、2020年に「半沢直樹」が言ってた。

 

このヒリついた世界に、2021年も幸あれ。

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 大悲観 普談寺
  • 住所: 新潟県新潟市秋葉区朝日2503
  • 料金: なし
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No:070【北海道】到達不可能!?北海道最西端「尾花岬」に夢とロマンを追い求めよう!!

北海道本土の最西端。

 

 

北海道外に住んでいるのに、それをスラッと言える人。

僕と握手だ。

 

その岬の名は「尾花(おばな)岬」。

突端マニアでない限り、あるいは無類の釣り好きでもない限り、日常でこの岬の名を耳にすることはないであろう。

 

情報面・物理面、双方からいかなる人をも寄せ付けない、その孤高の岬を、今ここにご紹介したい。

 

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陸の孤島、尾花岬

 

北海道・本州・四国・九州。

日本の本土と言われるこの4つの大きな島、それぞれの東西南北端がある。

詳しくは、僕の書いた以下の【特集】をご参照いただきたい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

この中でも、僕が一番恋焦がれたのが今回ご紹介する尾花岬だ。

急峻な断崖と、日本の土木技術の正面衝突。

 

岬に続く未知の世界に足を踏み出そうと開拓状況を手に汗握って見守る僕と、徐々に明らかになる非情な県道貫通計画。

そのギリギリのせめぎあいを楽しんでいた。

 

そのあたりのストーリーを熱弁しすぎて、過去に10年間ほどの長きに渡り、Wikipediaさんの「尾花岬」の項目に僕の文章へのリンクが掲載されていたほどだ。

(2019年のYahooジオシティーズ閉鎖と共にその文章は消え、リンクも外れたが)

 

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さて、僕が尾花岬を目指したエピソードを記載する前に、尾花岬のロケーションについてご説明ささせていただきたい。

 

上の図だけではあまりにザックリしすぎなので、尾花岬周辺にズームしてみよう。

 

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これは、今から10年ほど前の2010年ごろの図だと思っていただきたい。

 

オレンジ色の線が国道である。 

尾花岬周辺を悪意に満ちた顔でスルーしている。

細い道が南北から伸びているものの、尾花岬の近くまでは通じていない。

 

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日本海の秘境へ1

なぜかというと、海沿いに道を通せないほど地形が険しいからだ。 

 

実際に走ってみればわかるが、海沿いはギリギリまで断崖が迫り出していて、鬼でも住んでいるんじゃないかってくらいに荒々しい。

 

北海道の日本海側にはいくつかこういう「秘境」・「陸の孤島」と呼ばれた地域があるが、ここ尾花岬は土木の歴史上最後まで残ったスポットではないかと考える。

 

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日本海の秘境へ2

さて、まずは日本3周目・4周目で尾花岬に接近する写真からお見せしたい。

上にご紹介の通り、道は貧弱だ。

この先は断崖に阻まれる袋小路。だからあんまり予算をかけていないのかもしれない。

 

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日本海の秘境へ3

海沿いを通る貧弱な道道740号線。

それは尾花岬の3㎞程手前にある、太田集落で終わりを告げる。

 

国道から太田集落までは13㎞ほどあるが、引き返すよりほかにないのである。

 

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日本海の秘境へ4

これは、尾花岬の1つ手前にある「帆越岬」をトラバースする「帆越山トンネル」である。1857mもある。

実は2004年にできたばかりで、そこそこ新しいトンネルだ。

 

このトンネルがない時代は、メチャクチャ海ギリギリの細い道を走るしかなかったらしい。

残念ながら僕はその旧道を走ったことは無い。

初めて訪れたときには、既に旧道は落石等で閉鎖されてしまっていたし。

 

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日本海の秘境へ5

2004年以前も、度々この旧道は崩壊した。

その度に太田集落は完全に孤立し、マジな陸の孤島となった。

 

2004年にも台風18号という超巨大台風が来て、旧道はボッコボコに破壊された。

しかし、その本当に直前に帆越山トンネルが開通したのだ。

 

このトンネルの開通が遅かったら、本当に太田集落の人々の暮らしはピンチだったという。

 

 

難工事の末の貫通

 

さて、帆越山トンネルや、尾花岬の1つ手前の帆越岬の話はいずれ個別エピソードとして書きたい。

では、改めて尾花岬にスポットを当てよう。

 

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太田トンネル1

いきなりクライマックスとなる写真をお見せしてしまったこととなるが。

 

 

これが尾花岬だ。 

 

 

帆越岬から撮影した写真である。

しかし、今見ていただきたいのは岬の先端ではない。

 

まずは前項にて熱弁した通り、「どれだけこの岬周辺に道路を作るのが困難か」というのを思い知っていただきたかったのだ。

 

仮に海ギリギリに道路を接ししたところで、頭上の岩壁はもろそうだ。

常に落石に命の危険を感じ、そして永久に終わらない補修工事に負われるだろう。

 

だが、もう少し写真をズームしよう。

 

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太田トンネル2

右側が長らく陸の孤島、太田集落だ。

断崖が少しなだらかになったわずかな土地に、こうして集落を作っている。

 

そして左側。

トンネルがある。

 

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太田トンネル3

これが「太田トンネル」だ。

巨大な断崖に阻まれて、道路が建設できなかった部分。

道道740号の不通区間

 

それがついに、貫通する!! 

 

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その長さは3360m!!

道道では最長のトンネル!!

 

工事の着工から実に55年!!

どれだけの難工事であったか、この年月がすべてを物語る!

工事関係者の方々、本当にありがとう!!

 

www.town.setana.lg.jp

 

最初にこのトンネルを通過した一般人は、吉村幸作さん85歳!

おめでとう!イェイイェーイ!!

 

 

…と、ひとしきり喜んではみたが、そこまでポジティブに考えていいものか。

僕、実はトンネル開通の3・4年前から国道交通省の工事計画などを調べ、ずっと不穏な気持ちでいたのだ。

 

いや、正確に言えば「不穏」どころか「諦め」に近い気持ちがあった。

 

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トンネル工事の計画を見る通り、上記図だったのだ。

(そして2013年、計画通りのイメージで開通している)

 

 

尾花岬、行けないじゃん。

 

 

突端マニア目線でコメントさせていただければ、トンネル開通にはあまり重きを置いていないのだ。

 

まぁそりゃあアプローチは楽になる。

Uターンせずに、南北にスルー出来るのだから。

 

しかし、僕の目的は「尾花岬」を踏むこと。

これができないのでは、本来の目的を達成できていない。

 

僕は祈った。

せめて以下のいずれかを叶えてほしいと。

突端マニアに夢とロマンを与えてほしいと。

 

  1.  尾花岬に一番近い太田トンネル北側開口部から、岬に続く遊歩道整備
  2.  太田トンネル北側開口部に「北海道最西端」の碑の設置
  3.  太田トンネル内、尾花岬との最短距離にその旨を表示

 

…結論から言うと、2020年現在どれも実現していないんだけどな。

まぁ「1」はそれだけのコストメリットもないから諦めていたけどな。

 

では、次項では太田トンネル開通後を交えた尾花岬接近レポートをお見せしよう。

 

 

なにをもって尾花岬到達とするか

 

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尾花岬を定義する1

日本5周目の僕は、再び尾花岬を目指す。

道道740号が貫通したとはいえ、道はやや狭くてローカルだ。

 

このくらいが良い。

「今まさに秘境に向かっているんだぜ」という感覚がするから。

 

 

南側ビュースポット

 

まずは南側のビュースポットだ。

これは前述の通り、帆越岬を推したい。

 

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尾花岬を定義する2

いい絵だなー!

海の向こうに尾花岬!

 

手前の岸壁と灯篭もすごい雰囲気が出ている。

ポストカードにしたくなるような絶好の構図である。

 

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尾花岬を定義する3

ちなみにこの灯篭、太田集落の「太田」の文字をかたどっている。

これにもストーリーがあるのだが、今回は尾花岬の話なのでスキップだ。

 

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尾花岬を定義する4

足元の海は、息を飲むほどに蒼い。

この海が、ずーっと尾花岬の方まで続いているのだ。

 

正直初めてこの海を見たとき、「トンネルが開通したら開発や廃棄ガスで海が汚れてしまうかもしれない。この景色を守るためだけであれば、トンネルはマイナスになってしまうかも。」と感じたりもした。

 

もちろん一旅行者のエゴなのだが、そう思ってしまうほどに美しかったのだ。

 

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尾花岬を定義する5

円を描くように、太田集落を経由して尾花岬へと続く湾。

荒々しい山が海の間近まで迫り出しているのが、ここでもおわかりであろう。

 

この写真を掲載すると、アドベンチャー好きのあなたがニヤニヤしながら「日本最難関の参拝である太田山神社のことには触れないのかい?」と言ってくる顔が思い浮かぶ。

 

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尾花岬を定義する6

「太田山神社」、別項目で取り上げるので、その日を楽しみに待っていてほしい。

 

地獄のようなこの急階段が、まだまだオードブルにもならないほどの驚愕の道のりであることを、いずれしっかりしたためたい。

 

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尾花岬を定義する7

閑話休題

 

南側からのビュースポットの2つ目が、この太田山神社付近からだと思う。

特に愛車と一緒に尾花岬を撮影したいなら、ここだ。

 

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尾花岬を定義する8

何をもって「岬に行った」と定義するのか…。

 

  1.  岬の本当に先端に立ちたいのか。
  2.  「ここが岬です」と書かれている立て札やモニュメントまで行けばいいのか。
  3.  愛車と岬を一緒に撮影できればいいのか。
  4.  景色は関係なく、少しでも地理的な岬の先端を目指したいのか。

 

…きっと全部正解だ。

そして、上記に対し統一的なスタンスを持っている人も少ないであろう。

 

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尾花岬を定義する9

とりあえず今は妥協しよう。

 

僕はそう言いたい。

前述の「3. 愛車と岬を一緒に撮影できればいい」が、ここだ。

絵的にはなかなかいい。

 

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尾花岬を定義する10

雲が立ち込める天気のときだって、その荒々しさが際立っていてGoodだ。

「尾花岬に来たよ」とこの写真を見せられるのであれば、及第点であろう。

 

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尾花岬を定義する11

太田山神社の階段前に停めた愛車と共に撮影しようとすると、こうなる。

 

僕はこの後、地獄の参拝へとチャレンジする。

この写真をシャッターを押したときの僕は、まだ余裕であったのだな。

(このあと存分に苦しむがよい)

 

 

北側ビュースポット

 

結論から言うと、ビュー観点からは圧倒的に南側が勝者だ。

まずは半世紀の歳月をかけて完成した太田トンネルをありがたく通過しよう。

 

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尾花岬を定義する12

あなたにはどうでもいい話だが、尾花岬のちょうど裏側あたりを通過するときに「尾花岬ーー!!」と叫んだ。

 

もしあなたが車の助手席に座っているなら、この瞬間のカーナビ画面を撮影してもいいかもしれない。

そうすれば、前項の「4. 景色は関係なく、少しでも地理的な岬の先端を目指したい」欲が少しだけ叶うかもしれない。

 

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尾花岬を定義する13

トンネルは長い。

さすが3360mだ。

カーナビで車が岬を通過してしまったのを見て、正直ガッカリする。

 

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尾花岬を定義する14

太田トンネル北側開口部までやってきた。

ご覧の通り、トンネルの脇に車2台ほど停められるスペースがなんとかある。

 

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尾花岬を定義する15

複雑な気持ちで太田トンネルを振り返る。

 

最突端16岬の中で、唯一人が立てないのがこの尾花岬だ。

九州最北端の「太刀浦埠頭」も立入禁止で立てないけどさ。許可された人間であれば立てる。 

 

drive-ns.hatenablog.com

 

ここ尾花岬だけは、大自然の前に未だ人間が踏破できる道筋がない。

それだけ、北海道西海岸のパワーがすごいのだ。

 

改めて、周辺図を以下に掲載しよう。

 

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尾花岬の先端は、南側開口部と比べても断然近いのだ。

「4. 景色は関係なく、少しでも地理的な岬の先端を目指したい」の無難な着地点はここだと考える。

 

防波堤があるものの、トンネル開口部の脇の斜面を使えば少々上ることができる。

 

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尾花岬を定義する16

こんな感じで、防波堤よりも上の目線に立てる。

 

僕は行っていないが、そのまま防波堤の向こう側に行けば、ゴツゴツの磯場が続く。

そのあとは数m規模の岩を乗り越えたり、ヘタすりゃ海に浸かったり、ザイールとかないと困難なエリアがあるが、尾花岬の先端まで行けないことは無い。

 

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尾花岬を定義する17

僕の位置から見える尾花岬方面の景色はこの通りだ。

岬は見えない。

その手前の出っ張りが少々見えるだけだ。

 

南側の眺めのほうがいいが、各所のWebサイトなどを見る限り、この場所の方が人気のように感じられる。

まぁ、前述の通り正解は無い。満足すればいいのだと思う。

 

僕は日本4周目の頃、本気でここを尾花岬の先端まで行こうと考えた。

しかし、時間がなく辞めた。

ここ数年で、すごい肉体能力がある人が先端まで行ったと、耳にしたこともある。

 

しかし、凡人はやめておいたほうがいいだろう。

 

マジに命の危険を伴う。

何かあってもだれも気付かない。

 

 

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尾花岬を定義する18

貫通した道道740号にて、北へとスイスイ走る。

便利になったものだ。

 

走りながら僕は考える。

…ちょっと1つWebサイトへのリンクを貼りたい。

 

setanavi.jp

 

※最西端までの到達には危険が伴うのでおやめください。

 

こう書いてある。

きっとチラホラとチャレンジする人がいるのだろう。

そして事故を起こしたり、見た人から苦情が入ったりするのだろう。

 

無謀なチャレンジは良くない。

では、彼らはなぜ無謀なチャレンジをするのか。

 

それは「岬の先端がゴールだと思っている」からだ。

 

それに対する有効な対策は、「やめろ」と言うことではない。

彼らにとってのゴールが、そこ以外にないのだ。

彼らからゴールを取り上げてはいけない。

 

対策は、「ここがゴールですよ」と、かわりの安全なゴールを提供することだ。

 

それがまさに、前述の「1. 「ここが岬です」と書かれている立て札やモニュメントまで行けばいい」にあたる。

 

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尾花岬を定義する19

ここさ、ちょっとだけ 整備して立て札を立てましょう。

「北海道最西端 尾花岬」って書きましょう。

ねぇ、せたな町さん。

 

これで解決する。

なぜなら、他の突端岬が物語っているのだ。

他の突端岬を見ればわかるのだ。

 

僕も数々の突端岬をご紹介しているが、碑が立っているのは必ずしも突端部分ではない。

なんだったら、ロマンを打ち消すようなので詳細は言わないが、結構大幅にズレている突端岬もある。それこそ「最突端はこの岬じゃないっしょ」ってレベルで。 

 

でも、それに対して「納得いかない」と強行突破をする人の話なんて、聞いたことない。

みんなニコニコ安全に記念撮影している。

 

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北側も道、狭いってさ。

 

 

僕ら旅人、突端マニアが追い求めているのは、真実の地理だけではない。

半分ロマン。半分夢。

これらをうまくブレンドさせて、人生を潤わせているのさ。

 

…大丈夫。

きっと尾花岬はもう一段階進化する。

僕もそうなるように力添えしたい。

作戦は、北風ではない、太陽だ。

 

そんな夢とロマンを抱くだけで、本当に尾花岬が愛おしいのだ。

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 尾花岬
  • 住所: 北海道久遠郡せたな町大成区
  • 料金: 無料
  • 駐車場: 路肩等にスペースあり
  • 時間: 特になし

 

No:069【神奈川県】倒壊事件から10年!!「鶴岡八幡宮」の大銀杏のその後を追いかけた!

今夜はクリスマスイブだ 。

 

クリスマスは楽しいよな。
チキンを食べたりサンタが来たり。
運が良ければプレゼントをもらえるかもしれないよな。

 

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いつかの横浜のクリスマス

しかしクリスマスは一瞬で過ぎ去り、瞬く間に正月の準備が始まる。

 

あなたは初詣にどこに行くのかもうお決まりだろうか。

もしあなたが首都圏にいるのであればちょっとだけ思い出してほしい。

 

初詣の名所鎌倉の「鶴岡八幡宮」のことを。

そして今あなたの横にあるクリスマスツリーを見て、思い出してほしい。

鶴岡八幡宮には10年前まで 巨大なシンボルツリーがあったことを。

 

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いつかの大阪のクリスマス

 

 

大銀杏、倒壊する!!


さて、今回は鶴岡八幡宮にかつて聳えていた大銀杏の話をしたい。

 

この大銀杏は今から10年前の2010年3月10日に倒壊してしまった。

 

aumo.jp

 

ちょっと残念ながら手元に倒壊前の鮮明な大銀杏の画像が無いので、他のWebサイトをご紹介させていただく。

倒壊前の迫力のある大銀杏の様子を、まずは感じ取ってほしい。

 

…今は2020年だ。

あれから10年の歳月が流れた。

 

倒壊した大銀杏はこの10年はどのように過ごしたのだろうか。

今回はその物語を追っていきたい。

 

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応援メッセージ

鶴岡八幡宮の大銀杏といえば 、僕が物心ついたときからそこにあるのが当たり前の存在であった。

正確に言えば物心がつく前から僕はこの大銀杏を見上げていた。それこそ0歳児のときから。

 

小学生の頃、家族と一緒の初詣。

拝殿に続く階段。

 

進まない大行列の中、ふとその階段から左を見る。

階段脇の大銀杏の枝の間をリスが駆け回っているのを見付け、「あ!リスがいる!」と家族と共にほっこりしたものだ。

 

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境内1

近くのお店で飲んで酔っ払い、夜中の鶴岡八幡宮に突撃したこともある。

酒に酔っていたせいで写真はブレブレになったが、おぼろげながら大銀杏のシルエットは確認できた。

 

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こんな写真しかなくってすまない

残念ながら僕は大銀杏の写真をまともに手元に残していない。

きっとそれは写真を撮る必要すらないほどに、当たり前の存在であったからだ。

 

そんな大銀杏が突然倒壊したというニュースが、2010年3月10日の朝に、日課としてWebニュースを見ていた僕の目に飛び込んできた。

 

毎日新聞社の、当時の記事の内容を少し引用させていただきたい。

 

神奈川県鎌倉市雪ノ下の鶴岡八幡宮吉田茂宮司)の本殿前にある県指定天然記念物「大(おお)銀杏(いちょう)」が、根元付近から折れて倒
れているのを警備員が見つけた。

 

9日夕から続いた強風が原因とみられる。けが人はなかった。

大銀杏は鎌倉幕府三代将軍、源実朝(さねとも)の暗殺事件の「隠れ銀杏」として知られる。

八幡宮関係者は「あり得ないことだ」とぼうぜんとしている。

 

八幡宮によると、大銀杏は幹回り6.8メートル、高さ約30メートルで樹齢は1000年とされる。午前4時15分ごろ、当直の警備員が3回ほど「ドンドン」という音を聞いた。

警備員は「積もった雪が落ちる音だと思った」という。

 

その後、落雷のような音がしたため、様子を見に行くと大銀杏が倒れ
ていた。

市消防本部によると、当時の最大瞬間風速は12メートルだった。

 

大銀杏をみた東京農業大の浜野周泰教授(造園樹木学)は、2月以降の雨で地盤が緩んでいたことに加え、9日夕からの強風が原因と指摘。雪まじりの風は、通常の数倍の力がかかるとされ、傾きを支えられずに折れたとみられる。

 

土壌が薄い石段脇の斜面に立っていたことも影響したらしい。

浜野教授は「根元の状態から回復は不可能」とのコメントを出した。
 

八幡宮では09年末から保全に向けた検討を始め、浜野教授が診断したが、生育に問題はなかった。

八幡宮側は「吉田宮司はコメントを出せる状況ではない」と話し、午前5時に駆け付けたという神職も「あり得ないことだ。驚いている」と動揺を隠さない。

 

大いにショックだ。

再生も不可能だなんて…。

 

引用の通り、鎌倉時代に源家による将軍の歴史を実質終わらせた事件にかかわる重要な銀杏の木。

僕も小学生のころから歴史の本など読んでいて、実際に見るだけではなく歴史的な価値もそれなりにわかっていたつもりだ。

 

いてもたってもいられない。

見に行きたい。

 

調整し、現地に僕が現れたのは、倒壊から4日後の朝であった。

 

 

倒壊4日後の銀杏を目撃する

 

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境内2

「よし、梅が綺麗だ」。

境内の池のほとりで梅の開花を眺めた僕は、1人そう呟いた。

 

心の中は、これから見るであろう光景を想像してザワザワしっぱなしだ。

その前に花を見て心を落ち着けたかったのだ。

 

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境内3

3月14日である。

春になり、新しい生命が生まれようとしている。

 

それに反し、大銀杏はその命を閉じたというのだ。

今日はこんなにもポカポカしているというのに、ほんの数日前の、冬の終わりのみぞれまじりの暴風雨がトドメを刺したというのだ。

 

なんという皮肉だろうか。

 

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境内4

境内の白砂利の上をザクザクと歩く。

歩調が速い。

 

奥には本殿が見えてきた。ついに見えてきてしまった。

まだよくはわからないが、心なしか向かって左側の余白が大きい。

本来であれば、あそこに大銀杏が聳えているはずなのだ。

 

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境内5

「ウッ」っと胸を締め付けられるような感覚に襲われた。

 

写真の左端、人ごみの向こうに緑色のシートが見えている。

あそこが本来の大銀杏の場所だ。

駅構内の人身事故発生時のブルーシートのように、銀杏が囲われている。

 

この救いのない気持ち、どうにかしてくれ。

 

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最後の大銀杏1

人ごみの中から見えた!!

大銀杏だ!!

 

しかしぶった切られて、切り株状態になっている!

なんで?

処分するためにカットしちゃったのか。

最後の姿をしっかり目に焼き付けたかったが、既に解体されてしまったのか…。

 

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最後の大銀杏2

僕の見いる前で、大銀杏はクレーンに吊るされていた。

このまま撤去されていしまうのだろうか…。

 

ちょっとだけ角度を変えてみた。

 

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最後の大銀杏3

幕があってよく見えないが、白衣の人たちが根元でワチャワチャしている。

「無理です、手の施しようがない」・「お亡くなりです」、とか話しているのだろうか?

 

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最後の大銀杏4

コントラストを調整し、もう1枚ご紹介しよう。

これで、幕の向こうの大銀杏がいかに巨大か、そして白衣の人たちがわんさかいる様子がおわかりいただけると思う。

 

今まさに、僕ら一般人の前から大銀杏が永遠に姿を消す瞬間なのだろう。

クレーンの準備は着々と進んでいた…。

 

…ところで。

 

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最後の大銀杏5

その傍らにも、残骸がある。

 

赤い柵に包囲された切り株。

そして、その背後に横たわる、おそらく銀杏の上半身。

上半身は倒れた衝撃なのか、グッチャグッチャで見るも無残だ。

 

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境内6

妙にスッキリしてしまった、本殿に続く階段の左部分。

切ない気持ちでこの写真を撮影し、僕は鶴岡八幡宮を後にした。

 

 

次世代に命を繋げ

 

このあとの大銀杏はどうなのだろうか…?

数日間掛けてWebニュースや新聞から情報を仕入れ、なんとなくわかってきた。

 

以下は、10年前の僕の覚書である。

 

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10年前の記録

 

まだ大銀杏は復活する可能性がある!!

 

 

その一縷の望みをかけて、切り株の1つを基の階段脇付近に「ドン」と鎮座させたそうだ。

あれはそのためのクレーンだったのだ。

 

…さらにだ!!

根元からバッキリ折れた大銀杏だが、地中に残っている根っこ付近はまだ生きている可能性がある。

従い、ここも保護しつつ今後の経過を見守るというのだ。

 

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1ヶ月後の訪問1

さぁ、気になるじゃないか。

1ヶ月後となる4月の下旬にある日、再び僕は鎌倉にやってきた。

 

生命が最も活性化する春だ。

この時期に大銀杏が果たして踏ん張れるかどうか。

それが、1000年続いた命の行く末を大きく左右する。

 

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1ヶ月後の訪問2

初夏のようなポカポカの日だった。

季節は大きく移ろっている。

 

散歩がてら鶴岡八幡宮に向かう途中、「源頼朝」の墓があったのでお参りしてみた。

賽銭箱には「源頼朝会」って書いてあった。

アイドルのファンクラブのようだ。

 

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1ヶ月後の訪問3

鶴岡八幡宮に到着した。

 

これは藤棚だから、藤の花だろうか…?白いけど。

今まさにこぼれ落ちそうなくらいに 成長している。

春なのだ。

元気の象徴、春なのだ。

 

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1ヶ月後の訪問4

桜のシーズンは終わっている。

八重桜が最後の花を咲かせていた。

 

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1ヶ月後の訪問5

バラのように優雅に咲き誇る八重桜。

桜ってバラ科だしね。八重桜を見ていると、それがすごく納得できる。

 

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境内6

1ヶ月ぶりの本殿が見えてきた。

1ヶ月前と比べて、あきらかに緑が多くなった本殿周辺。

 

まぁでもそれはいい。

重要なのは、大銀杏がどうなっているかだ…!

 

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大銀杏再生1

 

切り株。

 

 

無造作に切り株が置かれていた。

これが、先月クレーンで吊り下げられているのを見た部分だな。

 

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大銀杏再生2

ただドスンと置かれているだけではない。

しっかり地に足がついている。

 

わずかな希望をかけ、きっと樹木医さんがいろいろ考慮した上で、この部分をこのように植え付けたに違いない。

 

そして、あなたはこれを見て1ヶ月前と何も変わりのない、タダの切り株に見えてしまっているかもしれない。

なのでズームしてみよう。

 

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大銀杏再生3

新芽。若葉。

命は繋がった。大銀杏は生きている。

 

なんか泣きそうになったよね、これを見て。

 

ただね、驚くのはまだ早いのだ。

本殿への階段を半分ほど上り、そして大銀杏エリアを見下ろそう。

 

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大銀杏再生4

はい、左下に注目。

 

これが何か。

前述の、かつて大銀杏が立っていた部分だ。

見えているのは根元から折れた残骸部分。

 

しかしこちらも、根は生きていたのだ。

 

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大銀杏再生5

かわいい新芽が無数に出てくる。

 

スプラウトみたいにサラダに散らして食べたくなるようなかわいさだが、古い命を土台に、今まさに新しい生命が産声を上げている。

 

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境内7

なんと素晴らし春の1日なのだろうか。

大銀杏はもともと1本であったが、これで2本になるのだ。

 

お参りをし、ルンルン気分で帰るとしよう。

 

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境内8

 

真夏の夜の夢

 

7月下旬となった。

あの倒壊事件から4ヶ月だ。

 

僕は再び鶴岡八幡宮に向かう。

妹との所要のついでだったので、妹と一緒に夕暮れの鶴岡八幡宮を訪れた。

 

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境内9

本殿へと続く参道の脇には一定間隔で木の棒が立てられている。

なんだろうと思ったら、8/6~9で実施される「ぼんぼり祭り」のぼんぼりを取り付けるための棒なんだね。

 

ぼんぼりに灯りがついたら、さぞや幻想的だろう。

あるいは、RPGのダンジョンでボスが出てくる直前みたいなシチュエーションを味わえるだろう。

 

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境内10

実際はかなり薄暗いので、手元もブレる。

しかし、こんな時間でも人が多いのが鶴岡八幡宮の魅力よ。

 

では、あの大銀杏はどうなっているだろうか。

夏バテせずに元気でいるだろうか…??

 

 

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大銀杏再生6

メッチャ元気。

「え?倒れた?ボク、春先に倒れたりしましたっけ??」

…って声が聞こえそうなほどだ。

 

痛々しい切り口(傷跡?)部分も緑の葉でだいぶ隠され、「もともとこういうズングリした木です」って言われたら信じてしまいそうなほどだ。

 

そして隣にある根っこ部分はと言えば…。

 

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大銀杏再生7

 

アフロ大爆発
…みたいになっていた。

 

笑った。本体どこ行ったよ、って感じだ。

モンスター化している。

 

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境内11

元気で何より。

安心した僕らは、本殿へのお参りをした。

 

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境内12

大銀杏の脇には、応援メッセージが数多く書かれたボードが設置されていた。

読んでほっこりした。

 

みんな大銀杏が好きなのだ。

誰から見ても、大先輩なのだ。

この命を、次の時代に繋げたい。

 

 

冬の初めの木枯らしと共に

 

初冬の早朝。僕は1人で再び鶴岡八幡宮の鳥居をくぐった。

 

少し遅くなってしまった。

本来であれば紅葉で黄色くなった大銀杏を見たかった。

まだ間に合うだろうか?

 

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境内13

ちょうど朝日が当たり始めた太鼓橋。

昔はこれ、渡れたんだけどね。今は通行禁止だね。

 

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境内14

閑散としていて寒々しい境内。木枯らしが身に染みる。

 

さぁ、大銀杏はどうなった?

倒壊してから初めての冬、無事に乗り切れるだけの生命力を保持できているのだろうか?

 

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大銀杏再生8

…おっ。

まだ紅葉しきっておらず、若干緑の葉もある?

 

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大銀杏再生9

とはいえ夏場に比べると、既に相当に葉のボリュームは少ないが。

紅葉の進みが遅いってのは、生命力が強いということなのだろうか?

 

じゃあ、根っこ側の大銀杏も元気かな?

 

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大銀杏再生9

ダメです。

 

こっちはなぜか全部枯れている。

針山地獄みたいな鋭いエッジが無数に天空を示しているのみだった。

同じ株だったのに、こうもキャラクターに差が出るとは。

 

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大銀杏再生10

 

こうして大銀杏にとって激動の2010年が終わる。

3月10日に倒壊し、それでもなんとか冬までは持った。

 

次は来年春だろうか?

倒壊して1年目となる3月中旬、あるいは新芽の出てくる4月か。

どっちかでまた再訪しよう。

 

 

…しかし、その願いは叶わなかった。

 

大銀杏倒壊からほぼ1年後となる2011年3月11日。

東日本大震災発生。

 

 

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正直、大銀杏どころではなかった。

それよりも、僕がやるべきことがあるだろう。

 

僕は被災地に向かった。

その後は変な冒険に目覚めたり、生活事情が一変したりして、長らく鎌倉を訪問しないこととなる。

 

そして年月は少し流れる…。

 

 

2018年、春うららか

 

倒壊事件から8年が経過した。

久々に僕は鎌倉にやってきた。

 

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境内15

まだ4月だが、むしろ夏だ。

8年ぶりで少々道に迷い、僕が汗をかいてしまっているせいもあるが。

 

しかし鎌倉のすぐ横は湘南ビーチである。

もうこの陽気であれば、湘南に忖度して夏と表現してもいいかもしれない。

 

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大銀杏再生11

えっと、どうなっている?

緑すぎて何が何だかよくわからない。

あるとあらゆる生命が元気すぎるのだ。さすが春。

 

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大銀杏再生12

切り株の方は、わりとノッペリしている。

まだ4月下旬だからか、葉はあまり生えていない。

 

しかしよく見ればちゃんと新芽も出ている。

何より顔色もよさそうだしな。肌の色つやいいしな。

大丈夫ということにしよう。

 

階段を少し登り、振り返る。

 

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大銀杏再生13

 

根っこ側がスゲー…!!

 

3mくらいの若木が出来てきている。

この8年で彼に何があったよ。

 

そして、切り株側も死角がやたらもっさりしていたよ。

スカートを引きずっているかのように、大量の新芽。

新芽って、そこに生えていて正解なのか?

 

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境内16

数年見ないうちに、大きく成長した大銀杏。

 

かたや8年経っても相変わらずアホなことばかりやっているYAMAさん。

身長も伸びていないし。

このギャップよ、フハハハハ…!!

 

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境内17

「身長よ伸びろ!そしてついでにソフトマッチョになれ!」みたいに元気よくお参りし、鶴岡八幡宮を後にした。


 

そして、10年後の大銀杏

 

さぁ、今回のエピソードもいよいよクライマックスだ。

倒壊から10年後の2020年。

その秋に僕はまた鶴岡八幡宮にやってきた。

 

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境内18

世の中はコロナウイルスでパニックだ。

東京に次ぎ、ここ神奈川もかなりの流行だ。

なんて世の中だ。

 

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境内19

観光業が軒並み大ダメージを受けている2020年。

 

鶴岡八幡宮も人が少なく感じられたし、マスクをつける人々の表情も心なしか曇っているように感じる。

それは、この曇天のせいもあるのだろうか…。

 

では、早速本題だ。

 

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大銀杏再生14

ダブル大銀杏。

左の切り株は、右隣にダイナミックなアフロを育成しているようだ。

向かって右側の根っこ側は、シュッとしたイケメンになりつつある。

 

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大銀杏再生15

これが切り株側。

側面から新しい幹が出てきて、育つタイプなのだろうか?

 

僕がかつて「屋久島」を歩いたときなど、「二代杉」と呼ばれる杉があり、それは切り株のまさに切り口から2代目の杉が誕生していたんだよね。

こういうのを「切り株更新」というそうだけど。

杉は二代目が出てくる場所が違うのかな?

 

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大銀杏再生16

根っこ側は文句なしの若木だ。

 

ギザギザに折れた部分が見えていたかつての幹の残骸は、土で覆ってしまったのだろうか?

もはや地上に見えているのはこの若木だけだ。

 

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大銀杏再生17

それぞれ、強烈な個性を放つフォルム。

彼らはこの先、どのような成長をしてくのだろうか?

 

元の大きさに戻るまでに、100年、あるいは数100年かかるかもしれない。

もちろん、僕らはその成長を見届けることはできない。

 

しかし、1000年生きてきたこの大銀杏を、1000年先の子孫にバトンタッチできるよう対処はできる。

新しい歴史は、まだ芽吹いたばかりなのだ。

 

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境内20

そして、バトンを繋ぐにはこのコロナウイルスを乗り切らねばならないだろう。

 

世界が崩壊しないように。

1000年先の子孫のために。
 

僕らの物語は、まだまだ終わらない。

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 鶴岡八幡宮
  • 住所: 神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
  • 料金: 無料
  • 駐車場: なし。近隣の有料駐車場を使用のこと。
  • 時間: 特になし

 

No:068【栃木県】まさに生ける廃墟!!伝説の「老松温泉・喜楽旅館」の廃業から1年だ!

多くの廃墟ファン・秘湯ファンを魅了した温泉施設がかつてあった。

しかし、今からちょうど1年前、2019年12月の中旬に廃業してしまった。

 

当ブログ【週末大冒険】が始まったのは2020年の6月だから、リアルタイムで廃業の旨はお伝え出来なかったのだが、せめて1年後のタイミングで振り返りたいと、常々考えていた。

 

今こそ書こう。

「老松温泉・喜楽旅館」の伝説を。

 

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※ 営業中の温泉施設です

 

 

雪中行軍、そして出会い

 

僕が喜楽旅館に出会ったのは、日本5周目のときだった。

僕は日本1周ごとにテーマを設けているのだが、日本5周目は「昭和レトロ&ボロ」だったのだ。

 

※ 尚、日本4周目は「秘境・廃墟・廃村」だったので、現役営業中のこの旅館には食指が動かなかった。

 

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雪の出会い1

僕は、「那須湯本温泉」から小道に入った。

目指す喜楽旅館は老松温泉に属するのだが、老松温泉は喜楽旅館1軒しか存在しない。

そしてその立地は、那須湯本温泉のすぐ近くであり、余裕で歩けるような距離だ。

 

まぁ駐車場があるらしいし真冬でとんでもなく寒いので、行けるところまで車で行きますけどね。

 

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雪の出会い2

しかし、道は狭いし雪で覆われて来たしで、「ヤバいなー。無理して進んでスタックしたらどうしよう…。」と不安になり始める。

 

ちなみにこれは帰り道に撮影したものだが、いくらスタッドレスタイヤを履いているとはいえ、この先がどうなっているのかわからない、未知の雪道に入るのは精神衛生上よろしくない。

 

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雪の出会い3

あ、前方に空き地が見えてきた。よかった。

喜楽旅館まであとどのくらいなのかはわからないが、あそこから歩けば随分とラクなはずだ。

 

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雪の出会い3

ここが駐車場だった。他に車は無し。

どうやらここから喜楽旅館までは歩いて2・3分の模様。

 

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雪の出会い4

駐車場の片隅には、石碑が立っていた。

 

那須の珍湯 老松温泉 喜楽旅館

 

「珍湯」…。

お湯が珍しいと申すか。

まぁ100%の人が、お湯に入る前に建物を見て「珍しい」と感じるだろうがな。

 

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雪の出会い5

雪道を歩く。

空は晴れ渡っていて気持ちがいい。

 

雪の轍がついているが、これはおそらく喜楽旅館のオーナーさんの車のものだ。

一般車両がこの先に行ったところで、駐車スペースはない。

 

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ダメージ建築1

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ダメージ建築2

年季の入った木造の温泉旅館だ。

 

表札に「喜楽旅館」と書かれているようだが、字体がすんごいし、経年劣化で薄っすらしている。

左側にも何か文字が書かれているが、もはや読めないし。

 

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ダメージ建築3

僕は今、伝説の温泉の前にいる。

感動で震えている。この看板を拝み倒したいくらいだ。

 

ところであなたは、「冒頭に掲載したほどの廃墟っぽさは感じられないが、どういうことだ?」とお思いだろう。

 

その様子をお見せするには、駐車場方面とは反対側、この正面玄関の右手側から建物を見る必要がある。

 

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ダメージ建築4

…こんな感じだ。

 

バッキャバキャに破壊されている。

 

手前側、雪の中に残骸があるのがおわかりと思う。

これはかつてここまで建物があったことを示している。

 

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ダメージ建築5

老朽化・温泉の強酸性による腐食・雪の重み、などなど様々な要因で、この建物は手前側からジワジワと崩壊が進み、短くなってきている。

 

裏を返せば、他のWeb上の写真も詳しい人が見れば、大体いつ頃の喜楽旅館か推測することができる画期的な仕組みなのだ。

 

砂時計ならぬ、崩壊時計だ。

…イヤだね、そんな時計。

 

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ダメージ建築6

プライバシーがかなりオープンとなった部屋。

ちなみにこの部屋、床もオープンだから入っちゃダメです。地下までフォーリンダウンします。

 

もともとは客室だったが、朽ちちゃったからなすがままになっているようだ。

なんという自然体。

ある意味ナチュラリスト

 

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ダメージ建築7

家具も布団も備品も、そしてなんかFUJITSUの箱とかもある。

でも、全部まとめて「Let it be.(あるがままに)」だ。

 

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ダメージ建築8

僕は日本4周目において、数々の廃墟を探検した。

日本4周目終了と共にスッパリと卒業はしたのだが、興味を失ったわけではない。

自分にケジメをつけただけだ。

もう命に危険を及ぼすようなことはしないようにしよう、って決めたのだ。

 

「これは廃墟じゃない。だから見てOK。興味を持ってOK…。」

そう自分に言い聞かせる。

 

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ダメージ建築9

奈落が少し見えている。

四角いちゃぶ台の天板と思われる物体が、絶妙な配置で踏ん張って耐えている。

 

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ダメージ建築10

崩壊した部屋が右端に映っている。

 

写真中央の軒先(?)に小さな植木鉢があるだろう。

この配置をちょっと覚えて置いてほしい。

この植木鉢と軒先のすぐ後ろは、今まさにグッチャグチャに崩壊していると、覚えておいてほしい。

 

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ダメージ建築11

そして、次にこの写真だ。

軒先と小さい植木鉢は、手前側に見えている。

 

そのすぐ先に、スライド式のドア。

このドアがね、建物の入口。

 

つまり何が言いたいのかというと、崩壊は入口ギリギリまで進んでいるのだ。

これ以上崩壊したらヤバい。

建物に出入り出来なくなってしまう。

 

そんなスリリングな温泉。

それが喜楽旅館。

 

 

ジャングル行軍、そして再会

 

日本6周目、僕は再びここを訪れる。

冒頭で記載の通り、喜楽旅館は2019年の12月に幕を下ろすのだが、その数ヶ月前の訪問である。

 

喜楽旅館はいきなり廃業宣言をしたので、このときはまだ、これが最後の訪問になるだなんて考えていなかった。

(若干のカクゴはしていたが)

 

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ジャングル1

…廃墟。

僕は廃墟を見上げていた。

 

ここは、那須湯本温泉の静かな通りの一角。

廃墟となった旅館がチラホラと見受けられる。

 

那須湯本温泉の僕がいる付近の地図を、ここでご紹介したい。

 

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殺生石」は結構有名な景勝地だし、「鹿の湯」は相当有名な秘湯なので、参考として名前を載せた。

 

そして「雲海閣」はマニア垂涎もののボロ宿だ。

興味がある方は以下を参照してほしい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

まぁ何を隠そう、今回の僕はこれら全てを巡っている。

面倒なので徒歩で。

全て徒歩で充分に巡れる距離なのだ。

 

…ただ、地図を見ていただければおわかりの通り、喜楽旅館に行くにあたり、南側の車道からアプローチするのはさすまじい遠回りだ。

徒歩だとそこまで歩きたくない。今日は暑いし。

 

現在地から喜楽旅館まで、なんとか行けるルートは無いものか…。

 

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ジャングル2

…ま、あるんですけどね。

さっきの廃旅館の左脇に、こんな小道がある。

 

普通に車道を歩いていては気付かないし、気付いたところで入って行こうとは思わないような、かつては旅館専用の通用路だったかもしれない小道だ。

 

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ジャングル3

僕が確信をもってここを選んだのには、2つ理由がある。

 

  1.  前回訪問時、駐車場から宿まで歩いたさらにその先にも道が伸びていたから。
  2.  Webなどで訪問記録を読むと、「徒歩で廃墟を見ながら行った」という書き方が散見されていたから。

 

ほら、道の先に橋が見えてきたぞ。

これで川を渡れば、喜楽旅館は近いと思われる。

 

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ジャングル4

橋の先に、建物が見えてきた。

これは喜楽旅館ではない。

 

民家?現役??

とりあえず今回の僕には関係ないのでスルーし、さらに先に行く。

 

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ジャングル5

…ブッ!!

 

出たよ。ひどい雑草だ。

鹿の湯を出たばかりで汗が噴き出しているし、真夏の熱気で不快度はバツグンだ。

 

でも、掻きわけて進む。

進行方向にチラッと見えているのが、きっと喜楽旅館なのだから。
 

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ジャングル6

右手の眺め。

下に川が見えているのがおわかりだろうか。

それを挟んだ対岸に、さっきの廃旅館だ。

 

…さて、見えてきたぞ。

 

喜楽旅館、こんにちは。

 

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ダメージ建築12

安定の朽ちっぷりである。

雪が無いことで、さらにその破壊進行っぷりがよくわかる。

 

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ダメージ建築13

「うむうむ、今日も元気に崩れていますな」と、ちょっとほっこりする。

消火器は前回同様、ギリギリのところで落ちずにすがりついていた。

 

アクション映画のヒーローとヒロインみたいな絶妙のポジションだ。

「もう少し手を伸ばせ!俺が引き上げてやる!」みたいな感じで。

たぶん2回ほど失敗し、どうにか2人が手をつないだ瞬間、ヒロイン側の床が崩れ落ちて間一髪のシーンだと思う。

 

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ダメージ建築14

前回より一層崩れている。

天井の照明も布団の上に「ふこっ」って感じで顔面ダイブしている。

これ、気持ちいいヤツだ。

 

あと、FUJITSUの箱が消えている。

まさかオーナーさん、命がけで取りに行ったのか?

FUJITSUの箱の中、命をかけられるほど大事なものが入っていたのか…??

 

気にはなるが、まぁいい。

温泉に入ろう。

 

 

温泉への地下ダンジョン

 

まずは入浴受付についてご説明したい。

 

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受付1

上の写真で、喜楽旅館の構成がなんとなくわかると思う。

左が入浴施設。右がオーナーさんの住居(たぶん)。受付も右側だ。

 

奥が前項でご紹介した廃旅館であり、奥に続く道が僕が草を掻き分けてやってきた道だ。雪の訪問時は、カメラを構える僕の後ろ側からやってきた。

 

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受付2

反対側からの図をお見せしよう。

右が入浴施設。前述の軒下や植木鉢は右端に映っている。

左がオーナーさんエリアだ。

 

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受付3

サッシに「入浴・休憩 受付」と書かれている。

「すみませーん」と言いながらサッシをガラッと開けると、すぐ左にオーナーのおじさんいた。

 

冬のときはコタツ、夏のときは座卓。

そこでTV見てた。

一般家庭でくつろいでいるおじさんを突撃してしまった気分だ。

 

温泉に入りに来たことを告げ、入浴料の500円を払う。

おじさんは座ったまま腕と顔だけを動かし、外にいる僕からお金を受け取った。省エネな動作。

 

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受付4

ちなみに、「1回45分」と入浴時間の制限があるが、おじさんは「ゆっくりでいいからねー」と言ってくれた。

 

そして、「休憩・宿泊ができます」と書かれているが、宿泊はできない。

2012年とかそのくらいまでは宿泊業もやってきたそうだけどね、どうやらオーナーさんのお母さんが亡くなったり、オーナーさんもスタミナに懸念があったりで、入浴だけの施設なのだ。

残念だ。すごく泊まってみたかったが。生まれる時代が少し遅かった。

 

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受付5

おじさんにお礼を言い、サッシをまたガラリと閉める。

 

さて、ではいよいよ廃墟旅館の神髄を見ることになるぞ。

呼吸を整え、後ろの入浴施設を振り向く。

 

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受付6

内部潜入。

さっそく、靴を脱いでスリッパに履き替えるようだ。

 

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ダンジョン1

靴を履き、そして目の前の手すりから下を除く。

古(いにしえ)の迷宮が奈落に続いていた。

うん、浴場は下のようだね。

 

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ダンジョン2

螺旋階段を慎重に降りる。
木造だし写真のすぐ右側は前項でご紹介した大崩落ゾーンだからか、床は不安なくらいにギシギシいう。

 

生命をゆだねるハズの手すりは、異様に低い上にこれまた脆そうだ。

体重を預けたくない。

ついでに薄暗い。

ドキドキしちゃうぜ、最高だ。

 

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ダンジョン2

階段を降りた。

 

「竜巻でも通過したのか、この家は」

 

…みたいなロケーションだった。 

 

まぁでも大丈夫。

これが喜楽旅館の平常運転ですので。何も問題ない。

2回訪問すれば慣れる。

 

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ダンジョン3

天井のパーツは、何度数えても足りない。

1回目のときは、そりゃ少々驚いたさ。

 

天井って、こんな小学生が図工の時間に紙と糊で貼り付けるような感じで作っちゃっていいんだったっけ?…って。

 

僕も大雑把なO型なので大抵のことには動じないけど、これはO型の中でも最上級だ。王の中の王だ。

 

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ダンジョン4

あとね、2回目の訪問時はそれなりに補修されていたしね。

同じく階段の上の天井だ。

 

ちゃんとパーツが足りている。

うん、何も問題ない。きわめて正常な天井だ。

 

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ダンジョン5

ヤバいレベルで暗い。

たいまつが必要だと判断するよ、このダンジョン。

 

廊下に灯りはない。

無造作に置いてある洗面台に付属されているランプが、唯一の光源だ。

 

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ダンジョン6

正面奥が、浴場に続く通路。

右奥がトイレだ。

 

オブラートに包んでコメントしよう。

こういうレトロ系の施設では、女性に対して「確かに古いけど、掃除は行き届いていて綺麗なのだよ」っていうのが常套句だ。

 

しかしここはそれが通用しないぞ。強敵現る、だ。

 

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ダンジョン7

壁紙。

下から腐食の魔の手がやってきている。

「本当に壁に貼られた紙なのだなぁ、壁紙って」と思った。しみじみと。

 

 

そんな中での、極上の湯

 

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老松温泉の神髄1

地下の通路の途中に、浴場入口が見えてきた。

 

前項までの、入浴施設とオーナーさんの受付棟の立地を思い出してほしい。

狭い路地を挟み、その2つの建物が向かい合わせで建っていた。

 

たぶんだけどね、ここはその狭い路地の地下だ。

2つの建物のちょうど中間部分の地下だと思う。すっごい暗い。

 

そんな中でも、暖簾は綺麗だった。

「あ、さすが入浴施設。お風呂そのものは綺麗なのだろう。」

ちょっと期待して脱衣所を覗く。

 

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老松温泉の神髄2

 

なかなかにホラーな脱衣所であった。

 

 

温泉成分の腐食のためか、壁の鏡は周囲が真っ黒になっている。

じゃあ中央部分はちゃんと映るのかと言うと、これまたくすんでいて何1つ見えやしない。

 

まぁいいですけど。

きっと犬の糞を踏んだときみたいな顔をしているであろう、自分自身を見なくて済んだ。

 

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老松温泉の神髄3

脱衣所のロッカーは、鍵なんてない。

なんだったら扉も立て付けが悪くなっていて、半数ほどはしっかり閉まらない。

 

もういいや、風呂入る。

 

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老松温泉の神髄4

「あ、ステキかも」

 

ちょっとキュンとした。

 

浴場には窓があり、天然の光を久々に拝んだ気持ちになった。

平屋の地下に潜ってきたはずだが、実は裏側は川に面した崖だったのだ。

だから、地下なのだが川側には窓がある。

 

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老松温泉の神髄5

配管からは、ごぼごぼとお湯が出てくる。

かけ流しなのだな。

隣にはコップが置いてあり、飲泉もできるようだ。

 

浸かってみると、ややぬるめ。そして硫黄のやや癖のある匂いがする。

しかし柔らかいお湯。体の芯から温まる。

 

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老松温泉の神髄6

2回目のときには、常連と思われるおじいさんといろいろ話した。

 

「つい先日は、TVのクルーが来ていてね。俺の入浴風景を撮影していったよー。」みたいなことを話していた。

廃墟系温泉として有名なここは、度々TVやWebニュースなどで取り上げられるよな。

 

確かに特異な建物ではあるが、お湯は本物だ。

だからこそ、こんな状態でも人々に愛されているのだろう。

 

ふと天井を見ると、ベロベロに垂れ下がっていた。

これが落ちてきたら死ぬな、僕。全裸で死ぬな。

 

まぁいっか、気持ちいいし…。

そう思えるようなお湯であった。

 

 

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ダンジョン8

追加で少しだけ語ろう。

 

浴場のさらにその先は、漆黒の廊下が続いている。

ここからは、もうマジ真っ暗でほとんど何も見えない。

 

しかしスリッパを履いた足の裏で感じる床は、フニフニに柔らかい。

湿気を吸って朽ちて来ているのだ。

 

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ダンジョン9

数々の廃墟で見てきたが、朽ちた床は梁を残してグンニャリと陥没する。

歩く際にはこれに足を取られて床下に堕ちないようにしなければならない。

 

暗闇の中で、そんな陥没スポットを見つけた。

 

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ダンジョン10

この先は、かつての客室だったのだろうか?

もう放置されて荒れ果ててしまっているのかもしれない。

 

この老松温泉は硫黄などの酸性成分が非常に強く、あらゆるものを酸化させてしまうのだそうだ。

だから電化製品はすぐに壊れるし、建物も朽ちるのが早い。

しかもこのような半地下である上、常に温泉を通している以上、湿気の被害も甚大だ。

 

僕らには見えない、管理する側の多大な苦労もきっとあるのだろう。

 

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ここ数年、オーナーさんは「もう辞めたい」・「しんどい」と繰り返していた。

Web上では廃業のウワサが出回ることもあった。

 

それでもなんだかんだで営業を続けていた喜楽旅館のだが、2019年12月16日についに歴史に幕を下ろすことになったのだ。

 

Webニュースでそれを知った僕は、言い知れない切なさを感じた。

 

伝説が、終わったのだ。

 

 

しかし、お疲れ様、おじさん。

そしてありがとう。

1年遅れたけど、心からお礼を言いたい。

 

 

喜楽旅館のことは、きっと一生忘れない。

極上のエンターテインメントであり、極上のお湯であった。

僕の人生は、喜楽旅館を知ることで、また少し潤ったのだ。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 老松温泉_喜楽旅館
  • 住所: 栃木県那須郡那須町湯本181
  • 料金: 500円
  • 駐車場: あり
  • 時間: 年中無休 8:00~20:00

 

 

No:067【香川県】レトロな時計台はなぜ消滅した…?四国最北端の「竹居岬」を探ろう!!

四国本土の最北端。

 

 

そこは「竹居観音(たけいかんのん)岬」だ。

「竹居岬」と呼ばれることも多いが、本ブログではこのように呼びたい。

 

穏やかな瀬戸内海に面した、お寺の境内の浜辺に面した風光明媚な岬。

…少なくとも、2020年現在においてその岬を表現するなら、上記のようなフレーズが良いだろう。

 

しかし、僕は過去を振り返りたい。

過去、この岬の「四国最北端の碑」の上には、時計があったのだ。

 

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2020年現在はなくなってしまった、時計。

 

その経緯を知り、受け入れなければ、止まってしまった僕の時計は動き出せない。

前述の「過去を振り返りたい」は後ろ向きに聞こえるかもしれないが、そうではないのだ。

これは過去との決別の旅路だ。

 

 

庵治半島を徘徊する

 

北海道・本州・四国・九州。

日本の本土と言われるこの4つの大きな島、それぞれの東西南北端がある。

詳しくは、僕の書いた以下の【特集】をご参照いただきたい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

竹居観音岬は、この16岬の中で最も海に包囲された岬であろう。 

 

本州・四国・九州に囲まれた箱庭のような瀬戸内海に、チョコンと小さく突き出た岬。

豪傑・精鋭ぞろいの16岬の中では、「かわいい担当」だ。そんな気がする。

 

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そして実際岬からの景色やオブジェも、一般的にイメージされる岬とはちょっとテイストが違う。

 

「竹居観音岬って、他のどんな岬と似ている?」って言われても、答えられない。

全国各地の主要岬は全て踏んでいるにも関わらず。

 

だからこそ、竹居観音岬が愛おしい。

 

さぁ、ここからは過去5回ほど訪問したエピソードを配合してお届けしよう。

 

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アプローチ1

庵治半島

それは源平合戦の地で有名な「屋島」の半島の1つ東にある。

その先端へと向かう道を、僕は走っている。

 

半島の東側の付け根からアプローチし、そして気付けば半島の西海岸。

うん、全然気づかず先端をスルーしたらしい。

Uターンする。

 

そしたら半島の東海岸

明らかに岬の先端を既に通過している。

なんだここ。そういう系の怪談なのか??

 

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アプローチ2

そういえば、Webで調べたときに読んだことがある。

 

「すごくわかりづらかった」とか、「何10分も探した」とか、この岬に対する阿鼻叫喚の文言が並んでいた。恐ろしい岬!

※ 僕が初めて竹居観音岬を訪問した、日本2周目の時代の頃のこと。今はいくらでも地図情報が出てくる。

 

ここは無理せずに近くの人に尋ねてみよう。

 

近くに畑に焚き火をしているじいちゃんがいる。

この人、生まれてからずっとここに住んでいるに違いない。遠くに行っても高松市くらいまでな人生を歩んできたに違いない。

「ワシはここ庵治半島界隈のことなら何でも知ってそうな生き字引きじゃ」って顔して焚火を見ている。

 

YAMA:「あのー、僕は四国の最北端を目指して旅をしています。で、最北端の竹居岬に行きたいんですけど、どこですか?この近くだと思うのですが。」

 

じいちゃん:「ほぅ、四国の最北端がこんなところにあるのか?初めて聞いたわ。」

 

 

ダメこれ。

 

 

海岸ギリギリまで行き、海を見渡す。

最北端の竹居岬はここから見えているのだろうか。

近くに子供を遊ばせているおばさんがいる。今度はこの人に聞いてみよう。

すると、「ちょっとわかりづらいから気をつけてね!」って言い、丁寧に目印を教えて
くれた。

 

なるほど、何度も前を通過していたところなのか。

 

 

Googleマップストリートビューでは、ここだ。

右手前に大きく戻る方向の激坂。

これは気付かない。気付けない。

 

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アプローチ3

反対側から見ると、「四国北端 観音崎 竹居観音寺」と書いてある。

こっち方向であればわかりやすい。

ただ、記憶はあいまいだが、初回訪問の日本2周目のときは、この看板はなかったと記憶している。

 

件のおばさんは僕に対し、「たくさん幟が立っているところよ」と紹介したのだ。

当時はそのくらいしか目印がなかったに違いない。

 

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アプローチ4

「下ル」の文字がそそるね。

ポイントとしては、「竹居岬」・「竹居観音岬」とは書いていない点だ。

 

僕は初回訪問時は「竹居岬、竹居岬…。」と呟きながら探していた。

「竹居観音岬」として探していたら、幟だとか坂の入口に鎮座しているしている「竹居観音寺」の石碑を見て、「竹居観音寺=竹居観音岬」と連想できたかもしれない。

 

だからこの教訓を基に、冒頭の通り僕はここを竹居観音岬と呼ぶのだ。

 

 

激坂と最北端の碑

 

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アプローチ5

さて下ろうか、って感じなのだが、文字通り結構下るぞ。

「こんなに下っちゃっていいのでしょうか?」ってくらいの、奈落に続く激坂ですぞ。

 

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アプローチ6

ここで仮にブレーキが壊れたら、素晴らしい速度でこの坂をフォーリンダウンして、これまたうまい具合に隙間が空いているコンクリートブロックの狭間から瀬戸内海にダイブできる。

 

まぁその隙間の部分がまさに四国最北端の碑なのだが、後述するので今は待ってくれ。

こっちはエンジンブレーキを制御するのに必死なのだから。 

 

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アプローチ3

ちなみにだが、激坂を下らなくても坂の上に車1台がギリギリ停められるくらいの路肩がある。

日本2周目のステップワゴン、日本4周目のパジェロイオ、日本5周目のHUMMER_H3はここで待機してもらった。

「おい、バリバリ四駆のパジェロイオはなんで坂を下らなかった!」とクレームが来そうだが、僕はビビリかつ気分屋だからしょうがない。

 

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最北端の碑1

さぁここだ。

瀬戸内海に面した防波堤の切れ目。

 

そこを繋ぐように設置された朱色のレトロな時計。

その足元に四国最北端の碑がある。

激坂を降りてくれば、こうやって愛車と一緒に撮影もできるぞ。

 

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最北端の碑2

コンクリートブロックから覗く瀬戸内海の浜辺が美しい。

 

そして、1つ前の写真とは違い、時計の屋根がレトロブラウン(←今ネーミングした色の名前)に塗られている。

朱色がボロくなってきたので、きっと補修したのだ。

 

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最北端の碑3

うーん、でも僕は朱色の方が好きかな。

昭和テイストが溢れ出ている。

このくすんだオモチャのようなデザインの時計が胸にキュンキュン響く。

 

日本2周目を始めたころ、本土最突端16岬の存在を知り、Webを調べた。

そして竹居観音岬のこの時計を見たときの衝撃はすごかったね。

ひとめぼれした。

 

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最北端の碑4

「時計台のある岬」
まぁ探せばあるのかもしれないが、こんなにもインパクトがある場所を、僕は他には知らない。

 

この時計の屋根は、和風テイストだ。

竹居観音寺の敷地内にあるから、「寺」を意識したデザインなのだろうか?

変に洋風でないところが、また渋い。

 

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最北端の碑5

前回訪問時とは違う時間を指す時計の針が、年月の歩みも少し感じさせてくれた。

写真を見て、パッと訪問時の時間がわかるのもまた魅力であった。

 

ここには、数々の冒険の思い出がある。

 

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最北端の碑6

岬っぽくない岬。

武骨な防波堤の切れ目にある四国最北端。

 

少なくとも僕の中で、この岬の魅力を一気に押し上げていたのが、この時計だったのかもしれない。

 

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最北端の碑7

少し背後の激坂を戻り、時計の後ろに瀬戸内海を臨むのもまた好きだった。

 

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最北端の碑8

塗り替えられたとはいえ、相当年季の入った文字盤を見て、「この時計はいつまでここにあるのだろう?」と一抹の不安を感じたこともあった。

 

うん、正直深層心理は不安であった。

そして実際、近年この時計が撤去されてしまったのをWebで見たときには、少なからずショックであった。

 

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最北端の碑9

時計、オマエいったいどこに行っちゃったんだよ…?

戻ってくるの?

それとも、もう会えないの…??

 

それは、最後の項目で語りたい。

 

 

瀬戸内海を臨む浜辺

 

時計トークで熱くなり過ぎたので、竹居岬のロケーションについて、少々ご説明したい。

時計のある防波堤の裏は、 すぐ浜辺だ。

 

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浜辺1

時計のシルエットが浜辺に映るくらいに、すぐに浜辺になっている。

でも、浜辺すっごい狭い。すぐ海。瀬戸内海。

 

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浜辺2

その瀬戸内海がすごく綺麗なのだ。

穏やかで、心も安らぐ。

日本一、平和な気持ちにさせてくれる海かもしれない。

 

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浜辺3

小島が点々と浮かび、小舟が通過していく。

日本三景の松島かな?」とか思ってしまうような雰囲気だ。

 

僕はパッと見で島の名前とかはわからないが、「小豆島」も見えているらしいし、瀬戸内海を挟んだ先の本州も見えている。

 

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浜辺4

「最北端・最南端」、みたいに突端の地ってそれこそ文字通り「地の果て」っていうイメージがあるかもしれない。

しかしここは全然違う。

 

右も左も緩やかな海岸線。

そして対面には島もあるし本州もある。

 

地の果てではなく、むしろ世界の中心にいるんじゃないかなって気分だ。

ちなみに、大ヒット映画「世界の中心で、愛をさけぶ」のロケ地もここいら近辺に密集している。

僕は映画見たことないが、いいロケ地になったと思う。

 

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浜辺5

夕暮れ時、浜辺の端まで来てみた。

究極に静かで、もうここでそのまま寝てもいいんじゃないかと思うくらいだった。

 

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浜辺6

旅は心の洗濯だよね。

今の僕、洗濯されて汚れも落ちて、真っ白になりつつある。

たぶん柔軟剤も使っている。フワフワに柔らかい気持ちだから。

 

 

絶壁の竹居観音寺奥の院

 

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竹居観音寺1

時計から左側へと入ったところには、竹居観音寺の社殿等がある。

最北端の碑も境内だからね、ここに来たからにはお寺にも挨拶をせねば。

 

ここが本堂である。

すんごいガラス張りの本堂。

中から瀬戸内海一望の、オーシャンビュー本堂である。ステキ。

 

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竹居観音寺2

本堂から海沿いに少しだけ歩く。

この神社、まだ続きがあるのだ。この先が奥の院だ。

 

断崖の中にあるというのだから、見てみない手はない。

 

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竹居観音寺3

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竹居観音寺4

海ギリギリ。

いや、ギリギリどころか若干海上に、遊歩道ができている。

この断崖に沿ってさらに歩いてみる。

 

相変わらず海は穏やかだ。

なんだったら、ここから転げ落ちてもいい。

むしろ転げ落ちたい。

そんなレベルの静かな海だ。

 

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竹居観音寺5

まぁでもこの写真の通り、遊歩道はすごくガッチリしており安心感がある。

 

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竹居観音寺6

真新しい遊歩道だ。気の匂いが香ってくる。

 

たぶんだけど、2014年に綺麗になったのだと思う。

前年の2013年のときにも訪問したのだが、かなりの経年劣化が進んでいたからだ。

 

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竹居観音寺7

これが2013年版だ。

こっちのほうが「修験僧が修行している荒々しい地」って感じだ。

 

いや、でもそういう見方は失礼だよね。

お坊さんの足元、キチンと綺麗になってよかった。そう思おう。

 

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竹居観音寺8

最大のビュースポットがここであろう。

断崖の端の端にと立つ、奥の院の小さな鳥居。

 

こう言っちゃ失礼だけども、 さっきご紹介した竹居観音岬の四国最北端の碑のあったコンクリブロックよりも、よっぽど突端テイストを醸し出している。

あそこの端に立って、「四国最北端だー!」と言ったほうが絵になる。

 

でも、いいのだ。

あれはあれで最高。こっちはこっちで最高。

違った顔を楽しめる。

 

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竹居観音寺9

行き止まりだ。

正面は崖、左は洞窟、右は海。

ここが竹居観音寺の奥の院である。

 

中でお坊さんがお経を唱えている声が、ここまで聞こえてきたこともあった。

もちろん邪魔はできない。

 

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竹居観音寺10

奥の院が、これだ。お坊さんのいないときに訪問して撮影したものだ。

神聖な場所なので、これ以上踏み込んでの撮影は禁止されている。

 

どうやらここの由緒はね、昔「高松城」を作った人がここに観音像を奉納したことから、って感じなのだそうだ。

高松城から見るとここは鬼門の方向に当たるから、守り神が欲しかったのだろう。

なるほど、だから観音寺。

 

中に入り、そっと手を合わせた。

 

 

失われた時計

 

定期的に興味のある観光スポットのその後をWebで調べている僕は、もちろん知っていた。

その岬からシンボルの時計が失われてしまったことを。

 

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止まった時の中で1

日本6周目。

愛車の日産パオで激坂を下りながら、正面のコンプリブロックがやけにサッパリしてしまっている様子が目に入る。

 

「あぁ、やっぱりキミはいなくなってしまったんだね」

 

心のどこかで、少々落胆する。

 

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止まった時の中で2

少々雲は多いが、相変わらず海は綺麗だ。

しかし以前の姿を知っていると、少々寂しさがこみ上げる。

 

「これはこれでいいのだ。」

そう思いきることも需要だし、現にそう思う。

 

ただね、納得したいのだ。

僕自身が、時計のことをしっかり知っておきたいのだ。

 

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止まった時の中で3

そして、願わくば。

 

今後、ここを訪れる旅人・ライダー・観光客…。

かつて時計があったことも知らず、何も違和感を持たずに四国最北端到達を喜ぶだろう。

 

そんな人に、「かつてここに古くてかわいい時計があったんだよ」って、知ってもらえたら嬉しい。

そのためにも、僕は執筆する。

 

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止まった時の中で4

しかし、Web内のどこを調べても、時計がいつ撤去されたのか・なぜ撤去されたのか、情報を発見できなかった。

これでは供養も配信もできない。

 

11月末、本格的に調査してもらうことにした。

以下の内容は、「香川県観光協会」・「高松市観光交流課」・「竹居観音寺」の皆様に動いていただき、そして得られた貴重な情報だ。

 

調査期間中は、電話で進捗なども丁寧にご連絡いただき、大変に感謝している。

突端マニア冥利に尽きる。

 

①もともといつ、なんのために設置したもの?

1984年(昭和59年)度に、当時の庵治町高松市との合併前)によって設置された。
観光客の方へ庵治町の歴史・文化などなど庵治町のPRを行い、観光客誘致を図ることを目的としたもの。

香川県観光補助事業を活用して、設置したもの。

 

②いつ撤去してしまったの?
2016年(平成28年)度に撤去。

 

③撤去の理由はなに?
経年劣化によって故障し、正確な時刻を表示できなくなってしまった。

しかも、既に部品の生産が終了していて、修理不能な状態であった。

従い、止むを得ず取り外すことになった。

 

④今後代用品を設置するご予定は?
現時点では残念ながら予定はない。

 

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止まった時の中で5

…そっか。

もう代わりの時計も設置されないのか。

 

正直残念ではある。

でも、「止むを得ず」・「残念ながら」の単語の中に、時計への愛を感じた。

僕は竹居観音岬とは全然無関係な人間なのに、なんだか嬉しく感じた。

 

なーに。

まだ竹居観音岬には、四国最北端の石碑もある。

その足元には、四国の最北端と最南端を刻んだ地図プレートもある。

 

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止まった時の中で6

よく見ると文字がゆがんでホラーなことになっているけど、まぁいいのだ。

 

ホラー映画「リング」の呪いのビデオの1コマで、文字がこんな感じにゆがんで飛び散っていくシーンがあるけど、別にいいのだ。

 

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止まった時の中で7

最後のフレーズで盛大にズッコけて、何が言いたいのかわからない。

 

でも、 合併前の庵治町の文字があることや、香川県観光補助事業であることが窺える。

つまりは時計と同時期の、昭和後期の地図プレートなのかもしれない。

これはこれで貴重なのだ、きっと。 

 

過去に決別ができた。

止まっていた時間は、再び動き出す。

 

最後に、日本2周目で撮影した時計の写真を記念に載せておこう。

 

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お疲れ様、岬の時計

また来るよ。きっと日本7周目で。

 

ありがとう、竹居観音岬。

そして、ご協力いただいた各所の皆様、僕の稚拙な好奇心にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

 

※ ご担当様にはブログ掲載の旨の許可をいただき、当ブログも見ていただきました。わーい。

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 竹居観音岬
  • 住所: 香川県高松市庵治町5340-1
  • 料金: 無料
  • 駐車場: 数台分あり
  • 時間: 特になし

 

No:066【長野県】ジョン・レノンの愛した軽井沢の喫茶店「離山房」で、思いを馳せよう!

2020年12月8日。

 

これが何の日かというと、偉大なるミュージシャンである「ビートルズ」のジョン・レノンの命日からちょうど40年目の日だ。

40歳でファンによって暗殺されたジョン・レノン

存命であれば今年80歳だ。

 

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そんなジョン・レノンが通った喫茶店が軽井沢にある。

これを機に、それをご紹介したいと考えた。

 

「だったら12月8日に公開すればよかったじゃないか」と考えた、あなた。

うん、僕もそう思ったのだが、気付いたのが遅かった。

12月8日は、どこぞの秘境駅の記事をニコニコしながら書いていたので無理だった。

 

まぁこの記事を執筆し始めたのが12月8日であるという、雑な言い訳をどうか受け入れてほしい。

 

 

隠れ家的な喫茶店

 

梅雨の来る少し前の、よく晴れたある日。

僕は友人と共に軽井沢に来ていた。

 

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軽井沢1

新緑が素敵だ。

植物たちは、今の時期が一番勢いがあるのではなかろうか。

 

そんな時期に、我々人間がワクワクしないはずはない。

これは本能なのだ。

ワクワクしながらドライブしてしまうことも、きっとDNAに組み込まれているのだ。

 

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軽井沢2

この日は、絶対にハズしたくない軽井沢の森の中のすんごい雰囲気のいいピッツェリアで、ピザを食べたのだ。

 

東北の某所で泥だらけになって震災復興のボランティアをしながら、「あのー、来週行きたいんですけど」と電話予約をしておいたのだ。

ズタボロの服装から一転、軽井沢に行ってもなんとか恥ずかしくないレベルの服装にチェンジし、本日こうしてやってきた。

 

気候もピザも最高だった。

人生史に残る、いいお店であった。

 

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軽井沢3

そして、ちょっと観光を挟みつつ昼下がりにやってきたのが、ここである。

 

「離山房(りざんぼう)」。

 

木立に囲まれた、知っていなければそのまま通り過ぎてしまうような隠れ家のような立地の喫茶店だ。

Googleマップストリートビューも、いい時期にここを走ってくれているので、以下に現地の写真を掲載しよう。

 

 

ここで優雅にコーヒーを飲みたかったのだ。

そうすれば、最高に軽井沢をエンジョイしている気分になれそうだろう?

 

そんな自分に酔いそうだ。

うん、そんな夢見がちな日があってもいいじゃないか。

 

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離山房1

ウッディな感じの温かみのある喫茶店

こじんまりとしているが、各所に草花が飾られセンスの良さを感じさせる。

 

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離山房2

このポーチのデザインがたまらない。

いつか庭付き一戸建てを建てられるとしたら、ポーチのデザインはここを見習いたいなって感じた。

 

 

テラス席でくつろぐ

 

オーナーのおばちゃんに迎えられた僕らは、テラス席をチョイスした。

この木漏れ日の下でコーヒーを飲んでみたいのだ。

それこそが軽井沢だと、勝手に定義づけたのだ。

 

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離山房3

丸太製のハンドメイド感のあふれるテーブルとイスが置かれたテラス席に座った。

 

上の写真は、テラス席から見る店内。

店内のカウンターもまた素敵そうだが、テラス席は風が通り小鳥のさえずりが聞こえる。森林浴も同時にでき、一石二鳥だ。

 

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離山房4

これ、好きだ。なんと呼ぶものかわからないけど。

数枚写真を撮っていた。

 

さて、何をオーダーしようか。

メニューを見て、僕はコーヒーとガトーショコラをオーダーした。

 

友人の1人は、「名物のカレーが食べたい」とか言っていたけど、カレーはランチタイムのみで既に終了しているとのことだった。

オーナーのおばあちゃんは、「次にボリュームがあるのはホットケーキよ」と案内してきた。

友人はその言葉につられ、ホットケーキをオーダーしていた。

食べ物の価値をカロリーでしか判断できないタイプか。

 

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ティータイム1

コーヒーとガトーショコラだ。
コーヒーはしっかり苦みが効いている。ガトーショコラは濃厚で、コーヒーとの相性がバツグンだ。

 

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ティータイム2

美味しいケーキは他でも食べたことはあるが、森の中で鳥のさえずりを聞きながら食べることは、あんまりない。

こういうシチュエーションで食べると、普段の3倍美味しく感じる。

 

僕は今、とても貴族的な気分になった。

軽井沢の別荘から、ふらりとこの喫茶店を訪れたような気持ちになった。

 

「泥だらけになって冒険したり、廃墟や廃村を探索したり、車中泊したりしている人の気が知れないね。休暇はこうやって優雅にコーヒーをたしなむに限る。」とか発言した。

 

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ティータイム3

ちなみにこの数日後、また東北の沿岸部で震災復興ボランティアをし、とんでもない土木作業をする。

だがこのときの本人は夢見がちなので、そっとしておいてやってほしい。

 

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ティータイム4

 

お布団。

 

 

…じゃなかった、ホットケーキだ。

フッカフカであり、そして巨大である。しかも2枚

 

その1枚だけでも、手を広げたよりも大きい。

これはとんでもないボリュームだ。

昼にピザを食べたばかりだというのに、友人の胃袋の宇宙的な広さに畏怖の念を抱く。

本人は大喜びをしていた。

 

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ティータイム5

シットリとフワフワの、ちょうど中間くらいの絶妙な記事のホットケーキ。

 

これは上質な飯テロ画像になるぞ。

深夜にこの写真を見ながら感想を執筆しようものなら、禁断の夜食に手を出しかねない。そのくらいの求心力のあるホットケーキだ。

 

僕も少し食べさせてもらった。

弾力に歯も唇も埋もれた。

「おいしい」よりも先に「うれしい」と感じてしまうような、ホットケーキであった。

 

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ティータイム6

ただただゆっくりと、時間が過ぎていった。

とても幸せなティータイムであった。

 

オーナーのおばあちゃんとも少々話したが、とってもユーモアがあって楽しいおばあちゃんだった。

 

 

ジョン・レノンの記憶

 

伝説のロックバンドであビートルズ

そのリーダーであり、世界的なミュージシャンがジョン・レノンだ。

ジョン・レノンは、この喫茶店に通っていた。

 

お店の歴史と共に、ジョン・レノンを振り返ってみたい。

 

 

*-*-*-*-*-*-*-*-*-

 

この離山房がOPENしたのは、1977年5月だそうだ。

 

一方、これまでビートルズとして忙しい人生を送っていたジョン・レノン

オノ・ヨーコ」との間に息子の「ショーン」が生まれたのを機に、音楽業を少々休止し、主夫となった。

 

そして1977年から、夏の間は3ヶ月ほど家族で滞在し、軽井沢もその拠点としていた。

「万平ホテル」というところに泊まっていたそうだ。

そこから家族と自転車でフラフラ近所を走っていたらしい。

 

とあるとき、離山房創立者の友人からここの存在を知った、ジョン・レノン一家がこの店を訪ねてきた。

 

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ジョンの追憶1

ジョン・レノンはこの店を気に入り、常連客になったそうだ。

 

そして、次の年である1978年も、さらに翌年の1979年も、軽井沢長期滞在時にはここに来るようになったという。

 

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ジョンの追憶2

さすがに超有名人なので店内ではいろいろ不都合がありそうだったので、一家がもっぱら使っていたのは、お店の敷地内にある東屋であった。

 

その東屋は、現在もしっかり残っている。

ジョン・レノンは、この東屋でノンビリと過ごしていたのだ。

 

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ジョンの追憶3

ジョン・レノンは、ここで幼いショーンの身長を木に刻み付けたりした。

 

そのときのシーンは店内に写真で残っている。

そして、その木は今もあり、身長を測った痕跡が残っている。

 

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ジョンの追憶4

また、最後の訪問の年であった1979年に、若かりし頃のオーナーのおばあちゃんと一家とで、東屋の前で記念撮影した写真も、パネルになっている。

 

この店には、いたるところにジョン・レノンの思い出があるのだ。

最後の1979年には、ジョン・レノンはこの店にメガネとライターを忘れていった。

 

「また来年に来たときに、返そう」と思っていたが、それを本人に返すことはできなかった。

 

 

1980年に音楽活動を再開し、にわかに忙しくなったジョン・レノンだが、今から40年前の1980年12月8日、暗殺されるからだ。

 

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ジョンの追憶5

世界中がショックを受け、嘆き悲しんだことだろう。

僕はビートルズの活躍もジョン・レノンの死もリアルタイムでは知らない。

 

しかし、2009年にキング・オブ・ポップと称されたマイケル・ジャクソンが急死したときの世界の衝撃なら知っている。

ジョン・レノンのときも、世界はあのようになったに違いない。

 

なお、忘れ物のメガネやライターはその後遺族に返却され、レプリカが今も店内に展示してある。

 

 

ビートルズファンの聖地である、この喫茶店

2020年現在はさらにオーナーさんも代わり、既に例のおばあちゃんは引退されているが、伝説の息づく貴重なスポットだ。

 

さて、さっきご紹介したホットケーキに再びご注目いただきたい。

 

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ジョンの追憶6

わかるかな?

お皿の右上から、ジョン・レノンが覗いているのが。

 

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ジョンの追憶7

3方位にジョン・レノンの似顔絵が描かれた、特別製のお皿だ。

これを見てみるのも楽しいかもしれない。

 

 

さて、少し日も傾いてきた。

このまま寝れるほどにいい気候だが、そろそろ僕らは家路につく。

 

おばあちゃんに別れを告げ、貴重な体験に感謝をして、車に乗り込んだ。

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 離山房
  • 住所: 長野県北佐久郡軽井沢町長倉塩沢820-96
  • 料金: コーヒー700円、他
  • 駐車場: あり
  • 時間: 10:00~17:00(冬季休業・水曜定休)

 

No:065【宮城県】まさに仙台の秘境!!奥新川駅に行く途中で渓流を発見したので遊んだ!

杜の都、仙台。

東北一の都市である。

 

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しかし、この仙台市も西の外れまで来ると、都市とは言い難い大自然のアドベンチャーゾーンが現れる。

 

知的で洗練された都市としての表の顔と、ワイルドでアグレッシブな裏の顔

そんな相反する2つの魅力を併せ持つ町、仙台。

 

…なんだそれ。

恋愛マンガとかでこんなキャラいたら、女子どもを無双できるではないか。

仙台に対する嫉妬心から、書いててムカついてきた。

 

でも、一度決めたからには書こう。

今回は「奥新川(おくにっかわ)渓谷」のお話だ。

 

 

ダート走行

 

仙台市青葉区の「作並温泉」。

山形県との県境付近の山間部に位置する、宮城県内の著名な温泉の1つである。

 

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作並温泉1

宮城県山形県を結ぶ、この緩い峠の快走路を、ご老体の愛車である日産パオがゴキゲンにブリブリ走っている。

 

この子、これから自分がどんだけワイルドな道を走らされるのか気付いていない。

不憫な子、かわいそう。

 

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作並温泉2

国道48号の、ここ。

作並駅作並温泉の、ちょうど中間付近の何にも無さそうなところで、突如として冒険が始まるので注意だ。

 

 

念のため、ストリートビューも貼っておいた。

軽トラの後ろ姿が、この先の不安を象徴しているようでいい仕事してくれている。

 

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作並温泉3

赤い看板に示されている、「奥新川(おくにっかわ)駅」

これが今回の目的地だ。

 

しかし、その上からそば屋の「スグソコ 車で1分」の矢印に、若干覆い隠されている。

そば屋に押し負けている駅。

この力関係が正しいことを、この後僕は思い知る。

 

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これが、作並温泉と奥新川を取り巻く世界観だ。

今回の記事では、この中の「奥新川渓谷」に絞ってご紹介したい。

 

奥新川駅については、続編で執筆するからご期待いただきたい。

 

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渓流への道1

気持ちのいい森林浴だ。

初夏、最高。

コロナ禍で息の詰まるような思いをして来た2020年夏、この束の間の逃避行で、僕の心は再び息を吹き返そうとしている。

 

車の擦れ違いもギリギリ可能そうだ。

 

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渓流への道2

1分後。

アスファルトがお亡くなりになりました。

短い命だったなー…。

 

さっきの国道に「車で1分」と書かれていたそば屋を過ぎたら、アスファルト消えた。

アスファルトはそば屋のためのもの。

駅に行く人?そんなの砂利道を通ればいいじゃないか。

そういうヒエラルキーだ。

 

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渓流への道3

道はボコボコだ。

しかもそれなりの急勾配で登っていく。

非力な愛車のパオが唸る。がんばれ。

 

 

調子に乗って、もう1枚Googleマップストリートビューから画像をいただく。

擦れ違い不可。雨が削った溝が、えげつない深さ。

 

このときは梅雨の末期。

道路は泥グチャだし、路面も相当削られているし。

パオの馬力で果たして攻略できるかどうか、本気で心配になる。

 

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渓流への道4

路面がしっかりしていて、かつフラット、そして路肩スペースもちゃんとある場所を発見した。

さながら砂漠のオアシスか。ちょっと車を停めよう。

 

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渓流への道5

景色がいい。一面の緑。

僕は今、山に抱かれている。

 

でも、ここは宮城県の県庁所在地、仙台市なのだ。

仙台市内のとある駅に向かっているだけの物語なのだ。

 

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渓流への道6

山の中には、赤い鉄橋が見えた。

仙山線の鉄橋。

 

角度的に、廃駅「八ツ森駅」のあたりではなかろうか?

あとで八ツ森駅も探索してみよう。

 

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渓流への道7

写真を撮っていたら、後ろから車がやってきた。

よし、あの車をペースメーカーに利用させていただこう。

 

「アニキー!」みたいなテンションで着いていくんだけど、全然無理だった。

あっちは四駆。こっちはボッコボコで非力のパオ。

 1分で視界から消え失せた。

 

小さい頃、一生懸命ついてくる弟を、クラスメイトの亮二と共に自転車で彼方まで突き放したりしていたんだけど、そのときの弟の気持ちが今わかった。ゴメン弟。

 

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渓流への道8

昨日まではずーっと雨だった。

なんんだったら、今日もホントは雨予報であった。

晴れているのは、アレよ。僕の晴れ男パワーに他ならないのよ。

 

そんなだから、路面に水流が現れた。怖い。

 

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渓流への道9

写真ではよくわからないだろうが、すっごい流れているからね、これ。

もう名前を付けてあげたいくらいの川だ。

何級河川だろう?

 

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渓流への道10

国道から15分ほど走ったところで、トンネルが現れた。

「北沢隧道」という名前らしい。

 

これが出てきたということは、もう渓流は目の前だ。

 

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渓流への道11

ピカピカのトンネル。路面もアスファルトだ。

ここは文明に感謝するゾーンだ。さぁ文明を讃えろ、と。

 

 

渓流と吊り橋

 

着いた。

パオからはプシュ~って蒸気が上がりそうな状態になっていた。

 

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奥新川の渓流1

駐車場は無い。路肩に駐車する文化のようだ。

全部で7台くらいは停められるだろうか?

2台後ろが、さっき僕を突き放していった四駆である。釣り人だった。 

 

写真のすぐ右手が「新川川(にっかわがわ)」の川原だ。

後で知ることになるのだが、ここから奥新川駅方面に数10m走って橋を渡った先に、広い駐車場があった。

そこは20台くらいは停められそうだったし、公衆トイレもあった。

 

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奥新川の渓流2

これが駐車場とトイレだ。

青い車の左奥から、川原に下りることもできる。

 

しかし苔むしていて道も岩もメッチャ滑るし、木々の中で蚊も尋常じゃない数が発生している。

 

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奥新川の渓流3

結論、駐車場側から川に下りるのはキケンである。

木々の間から川を撮影しつつ、慎重に下にいってみよう。

 

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奥新川の渓流4

なかなか激しい流れ。梅雨だからだろうな。

でも、水はすごく澄んでいて冷たそうだ。

 

前述の通り、ここは山形と宮城の県境付近。

「関山峠」 というのが県境の峠だ。

この川の源流もそのあたりだろう。

 

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奥新川の渓流5

源流にほど近い、穢れのない水が流れていると感じた。

ステキだ。

僕は穢れしか知らないオトナになってしまったけど、この川を見ていると心が落ち着くわ。

 

そして、向こうには簡素な吊り橋も見えた。

 

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奥新川の渓流6

吊り橋、いいな。

橋が好きな僕はあそこに行ってみたい。

 

川のこっち側からアプローチは大変そうなので、車道の橋を渡り、向こうの橋のたもとまで直接行ってみよう。

 

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合流点橋1

うわー…。

アスレチック感がハンパないですぜ。

 

「合流点橋」という名前らしい。右の立て札にそう書いてある。

 わかりやすさとボキャブラリーの無さを兼ね備えたようなネーミングだ。

 

なんでそんなネーミングなのだろうか。

 地図を見てみると、新川川と南沢という小さな渓流がここで合流している。

なるほど、よくわかった。

 

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合流点橋2

しかし残念なお知らせだ。

この橋、渡るべからず。

 

倒木や土砂崩落もさることながら、橋自体も老朽化でデンジャラスなのだそうだ。

少々残念。

この貼り紙はかなり新しく今年のものであるような気がするし、Webサイトを見ても大体皆さん、こんな阻害行為に合わずに橋を渡ってらっしゃる。

 

僕、ちょっとだけタイミングが遅かったようだ。

 

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合流点橋3

橋板だけで見ると、そこそこ綺麗なように見えるのだがね。

たぶん支柱がくたびれて来ているのだろう。

 

先ほどの橋の全容の写真をご覧の通り、ただでさえ「定員5名」と書かれていた橋だ。

支えられる人数が徐々に減り、今は0名になってしまったというわけだ。

 

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合流点橋4

せっかくなので、川原から橋を見上げてみようと思う。

そっちの方がきっと、絵になるはずだ。

 

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合流点橋5

…ん?

橋の真ん中に、かまぼこ板みたいなものが引っかかっていますぜ。

よく見てみよう。

 

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合流点橋6

「合流点」

 

メッチャ書いてある。

そっか、まさにあそこで2つの川が合体しているのだな。
 

下から出ないとあのプレートの存在には気づけなかったが、上から合流ポイントを見下ろしてみたかった。

 

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合流点橋7

あぁ、この構図ステキ。

秘境の夏休みって感じ。

 

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合流点橋8

実際、周囲には誰もいない。

さっき釣り人が1人いたけど、ザブザブ川を歩いてどっかいっちゃったし。

 

そういやあの人、熊鈴をつけていたな。

人間はいないけど熊はいるのかな。怖いこと山のごとし。
 

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奥新川の渓流7

さらに奥側を覗き込む。

なんか川がもうもうと水蒸気を発生させている。

 

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奥新川の渓流8

ちょっと引きで見ると、こんな感じだ。

淡い緑色の渓流。大自然の代名詞のような色合いだ。

 

まさに仙台市の秘境である。

県庁所在地でありながらも秘境要素までカバーしている、仙台市の懐の深さよ。

 

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奥新川の渓流9

橋の下の川原に座り込み、僕はしばしこの渓流を眺めていた。

時を忘れるかのような流れであった。

 

…で、本当に忘れていたことがあったことに気付く。

 

僕は奥新川駅を目指していたんだった。

「国道から駅に行く」という、文字にすれば極めて日常なことをしたいだけなのに、なんだかアドベンチャーな感じになっていたのだった。

 

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奥新川駅へ!

立て札がある。

奥新川駅までは、ここから1㎞。

歩いて18分という。

 

いや、車で行くけどね。熊出るみたいだし。

 

…というわけで、続編の奥新川駅編は、またの機会にご紹介しよう!!

 

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もしあなたが続きを気にしてくれるなら、以下のリンクをご覧いただきたい。

決して損はさせないレポートだと思う。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 奥新川渓谷
  • 住所: 宮城県仙台市青葉区新川
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No:064【大分県】九州最東端の要塞跡地、「鶴御崎」!展望ブリッジから紺碧の海を臨む!

九州本土の最東端。

 

 

その地は「鶴御崎(つるみさき)」という岬である。

 

佐伯市の外れの外れ。

長いクネクネ道をひたすら走り、ようやく攻略できる岬だ。

 

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しかし、それだけの価値のある岬だ。

四国と九州に挟まれる「豊後水道」に突き出した地にて、最高のロケーションを味わってほしい。

 

僕も何度か訪問しているが、その中で日本4周目~6周目の3回の訪問分をブレンドして、その魅力をお届けしようと思う。

 

 

ゆとりを持った計画を

 

北海道・本州・四国・九州。

日本の本土と言われるこの4つの大きな島、それぞれの東西南北端がある。

詳しくは、僕の書いた以下の【特集】をご参照いただきたい。

 

drive-ns.hatenablog.com


この16岬の中で、四天王と呼んでもいいんじゃないかという岬が4つある。

「トドヶ崎」・「蒲生田岬」・「佐田岬」・鶴御崎だ。

 

うん、鶴御崎も四天王にエントリーしている。

判断基準が何かというと、この岬1つを目指すだけで(場合によっては)半日くらいを要するということ。

厳密に言えばそれぞれの岬の近所には他の景勝地もあるのだが、まぁそこは少し誇張して表現してみた。

 

※僕個人の見解なので、異論ある人もいるでしょうけど、そこはご理解いただきたい。

 

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しかしながら、16岬コンプリートのためにはここに行かねばならぬ。

今回の記事が、大いなる栄光を手にするための、ほんの少しのご参考になればと思う。

 

 

まずは、鶴御崎の位置をおおまかにご説明しよう。

 

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なかなかにワイルドな行程の果てに鎮座している。

 

佐伯市中心部からクネクネ道をアクセスし、その後どこに行くにしても、また佐伯市中心地近くの国道まで引き返すのがベターだ。

 

つまり岬へのアプローチを旅の行程に組み込むだけで、甚大な時間を消費する。

「スケジュールに余裕を」が、ここに行くにあたっての僕らの合言葉だ。

 

ちなみに僕はいっつもカッツカツで汗だくの到着であり、合言葉ガン無視である。すまない。

 

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アプローチ1

からしばらくは、国道388号の快走路が続く。

ここいらはノンストレスのドライブを楽しめる。

 

前述の図でいう「鶴見豊漁祭」のあたりから、ちょっと胸がザワついてくるかもしれない。

 

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アプローチ2

あ、ちなみに僕は前述の図内の各スポットは訪問済みだが、それはまたいずれかの機会でご紹介したい。

 

四天王の他の岬と比べると、立ち寄りできるスポットがやや多いように感じられる。

時間に余裕さえあれば、ちょこちょこ各所での観光や休憩を挟みながらのアプローチが実現するかもしれない。

 

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アプローチ3

海沿いの道がクネクネクネクネと続く。

道幅は極端に狭いというわけではないが、中央線もないしこのスラロームなので、スピードは出せない。

 

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アプローチ4

景観だけは、すっごいい。

のどかな漁港風景が、遮るものなく左手にすぐに広がっているのだ。

 

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アプローチ5

前方には、これから走る道がずーっと見えている。

終盤までひたすらに海沿いだ。

 

ちなみに、「夕日に間に合うかどうかギリギリだ」みたいな時間帯に、鶴御崎を目指すことはオススメしない。

クネクネして全然進まない距離に、じれったさMAXになることを保証できるからだ。

 

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アプローチ6

岬の駐車場まであと20分は掛かるというにこんな光景が見えてしまったら、絶望しか感じないだろう?

まぁそれ、僕のことなんですけどね。

 

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アプローチ7

たぶんだけど、少しずつ道は綺麗にメンテナンスされてきている。
やや狭いものの、路面状態はとてもいい。これはありがたい話だ。

 

最後の4㎞程は、一気に内陸部となる。

急坂を上り、グネッた道を攻略する。

 

 

 一箇所だけわかりづらい場所がある。

それを上にGoogleマップストリートビューから掲載する。

 

これは右が正解だ。左に行くと明後日の方向に迷い込むので注意だ。

もちろん、注意力散漫かつカーナビ未使用での訪問が多い僕は、道を間違えた経験ありだ。

あのときは困ったが、母親譲りのの天真爛漫さで持ち直した。

 

 

かつてのミュージアムパーク

 

そろそろ鶴御崎の先端だ。

岬一帯は、かつて「鶴御崎ミュージアムパーク」と呼ばれた有料の敷地だったためか、現在も綺麗に整備が行き届いている。

 

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ミュージアムパークの名残1

ここがかつての料金所だ。

ゲートが残るだけで、無料でスルーできる。

 

右側には「平成18年4月より入園無料」と書かれた看板がある。

平成18年は2006年だ。

ずいぶん昔の情報を掲げ続けている。

 

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ミュージアムパークの名残2

僕がこのゲートを最後に確認したのは、2016年のことであった。

 

その後、正確なタイミングは不明だが、このゲートは撤去された。

ただし、ゲートを支えていたコンクリートの擁壁は撤去が困難だったのか、残っている。

あるいは、木製のゲートなので老朽化による崩壊の懸念があったのかもしれない。

 

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ミュージアムパークの名残3

昨シーズンである2019年の秋、僕はここを再訪した。

そのときのゲート跡地が、上記だ。

きれいさっぱり。

 

しかし、右手に喫茶店の廃墟がまだ残されていた。

サンヨーコーヒー」の電光看板がまだ残っているのがもの悲しい。

 

ちなみにだが、僕は有料時代の末期である2005年秋にここを訪れている。

当時、ここのゲートで300円払ったと、手記に残っている。

 

2005年以前は、有料だっただけにもっと設備が充実していたりしたのだろうか?

ちょっと気になり、Web検索したのだが、情報は得られなかった。

古いツーリングマップルも見てみたが、特筆すべき情報もなかった。

 

また、2005年時の僕は岬の先端にしか興味がなかったので、それ以外のものは目に入っていなかったし。

 

とりあえず、無料開放に感謝。

 

 

展望ブリッジからの絶景

 

岬の先端の敷地内には、「展望ブリッジ」という設備がある。

 

突端マニアにとってここはメインとはならないが、一般観光客にとってはここがメインになると思う。

絶対見ておくべき絶景だからだ。岬の先端からの景色の比ではない。

 

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展望ブリッジ1

岬の先端で道路が行き止まりとなる1km手前に、この看板が出てくる。

これを絶対に見逃してはならない。 

 

1㎞も距離があるし、道路は狭くてクネクネなので、ちょっと歩きたくはない距離だ。

しかし展望ブリッジへの遊歩道脇に、専用の駐車場がある。

「行き止まりまで突っ走るな、1㎞手前で車を停めろ」をあらかじめ頭に入れておいてほしい。

 

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展望ブリッジ2

日本5周目で訪れたときは、「もうダメだ、絶対太陽沈んだわ」と諦めていたところ、ここで再度太陽が顔を出した。

これからダッシュで展望ブリッジまで駆け登れば、ギリギリ日没に間に合うかもしれないなって考えた。

 

説明書きを見ると、展望ブリッジまではここから上りの山道。

「10代で4~5分・20代で4~6分・30代で6~7分」だそうだ。

よーし、じゃあ僕は走って3分で行くわ!

丁寧な忠告を無視し、年齢の垣根を超越するわ。

 

真冬だけど、このあとのハードな運動を鑑みて上着は素早く脱ぎ捨てた。

このときの僕、きっとすごくかっこよかったと思う。

誰も見ていなかったのが残念だ。

 

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展望ブリッジ3

僕は既に薄暗くなってきている木立の遊歩道に突入した。

 

「うおぉぉぉーー!!」って階段を駆け上った。

中学時代の雨の日の部活と、通勤電車に乗り遅れそうなときくらいしか発揮しなかった、埃を被っていたガッツが久々に稼働した。

 

ガンガン走って、普段運動不足なのにムリするから「ゲホォッ!!」ってなったりした。

 

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展望ブリッジ4

だけども負けない。
ここで立ち止まったら、夕日が沈んでしまう。

 

せっかくここまで頑張って、狭い道なのにデカいHUMMER_H3で頑張って運転して来たのに、ここでの1分の甘えが、取り返しのならない事態を招く可能性もあるのだ。

休んでいる場合じゃない。

 

 

展望ブリッジが見えてきた。

最後の心臓破りの登りだ。

歩道橋みたいな展望台を、力を振り絞って駆け上る。

 

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展望ブリッジ5

3分30秒で丘の上の展望台に到着した。

 

これ、10代は4分で到着って書いてあったけど、ムリじゃね?

どっかで走らないと絶対間に合わなくね??

もう喘息のじいさんみたいにゼーゼーいってるけど、僕。

 

… で、夕日は …??

 

 

DEAD  or  ALIVE ??

 

 

 

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展望ブリッジ6

 

夕日に間に合ったーーー!!!

 

 

もう山の稜線ギリッギリよー!!

どうだ見たか、僕の筋肉!そして不屈の精神!!

 

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展望ブリッジ7

真冬の夕日は、他の季節とはまた違った魅力がある。

短い昼の終焉に、もの悲しさを感じる。

 

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展望ブリッジ8

展望ブリッジに到着してから日が沈むまでは、わずか2分であった。

無理矢理年齢をさかのぼって、出せない力を出したがゆえに見れた絶景だった。

 

そんで、日が沈んだところで少し冷静になり、思った。

「ん?なんで僕は最東端で西に沈む夕日を見れているんだ??」って。

 

冒頭に周辺図を載せた通り、奇抜なかたちの半島なので場所によっては西への見通しが効くのね。

そして、ここ高台であることも有利に働いたのだろう。

一番東で西の海への日没を見る、というファンタスティックな経験ができた。

 

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展望ブリッジ9

岬の先端である東側を見ると、淡い空と海の中に、灯台が浮かんでいた。

なんという素晴らしい眺め…。

汗が急激に冷えて身震いをしたが、この身震いは決して寒さだけが理由ではなかった。

 

ここを快晴の日に眺めたら、いったいどれだけの感動となるのだろうか…!!

 

 

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展望ブリッジ10

やってきた。

日本6周目の僕がやってきた。

 

「今日は暑いよー、クラクラするよー。」と、シチュエーションが変わったところで文句がとどまるところを知らないのは、以前と一緒だ。

 

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展望ブリッジ11

 


あおーーーーーーーーい!!



灯台のお手本」みたいな風景だ。

180度、水平線が見える。そして緑豊かな丘が連なる。

 

縁起でもないけど、死ぬ前にベッドの上で回顧したい風景の中にノミネートさせてやろう、って思った。

 

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展望ブリッジ12

ただただ、海の香りむせかえるような緑の匂いを肺一杯に吸い込む。

 

夏休みだ。

今の僕は、古来から伝わる夏休みの理想像を実現していると自負する。

周囲には誰もいないが、誇らしい気持ちだ。

 

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展望ブリッジ13

さぁ、次はあの灯台まで行こう。

 

よく見ると、灯台の白い建物が、若干灰色の古びた建物と融合している。

その理由も次項で話そう。
 

 

白亜の灯台と戦争遺構

 

再び車に乗り込んだ僕は、灯台を目指してアクセルを踏む。

軽く丘を1つ越えた先が、灯台である。

 

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鶴御崎灯台1

谷を挟んで対岸に灯台

目線の高さは、今一緒だ。なんかすごい高揚感。

 

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鶴御崎灯台2

駐車スペースこそないものの、ここからの眺めは穴場の1つだと思う。

頑張って駐車して撮影している人を、時々見かける。

 

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鶴御崎灯台3

僕もチャレンジしてみたことがある。

日本4周目を担当してくれた、パジェロイオだ。

 

白い愛車と白い灯台

どちらもほれぼれする。

 

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鶴御崎灯台4

車道の突き当りの駐車場までやってきた。

 

実はさらに車道は灯台までは続いているのだが、一般車両はここまでだ。

公衆トイレもある広い駐車場が実質の終点なので、覚えておこう。

灯台までは緩い登り坂を徒歩5分ほどだ。

 

ちなみに日本2周目のときは例外だった。

「ここから歩くの嫌だなー。もっとラクな人生を送りたいなー。」と思っていたら、トイレ掃除を終えたスタッフさんがそれを察してくれたみたいで、「ちょうどこのあと灯台まで行くから、この軽トラの助手席にに乗っていきなよ」って提案してくれた。

 

もちろんホイホイついていった。

「九州一周車中泊ドライブしていて、九州東西南北端巡りの最後がここなのだー」とか、スタッフさんに話したりした。

 

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鶴御崎灯台5

灯台前だ。

園芸職人さんが丹精込めてカットしたかのように、植栽が美しい。

ここからのアングルは、非常に絵になると思う。

 

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鶴御崎灯台6

どちらも2019年の昨シーズンの写真だが、もう1枚掲載しよう。

 

灯台の右側の灰色の建物。

これは鶴見崎砲台の遺構だという。

(岬は鶴崎だが、砲台は鶴崎と表記するようだね)

 

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鶴御崎灯台7

冒頭で記載の通り、鶴御崎は豊後水道に鋭く突き出す岬だ。

そして反対側の四国からは佐田岬が突き出している。

 

だからここに砲台を設置すれば、瀬戸内海への敵軍艦の侵入を防ぎやすいというわけだ。

 

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鶴御崎灯台8

ちなみに、2010年代の前半に灯台直下の植栽が少し変更されている。

以下に2011年秋の写真をご紹介しよう。

 

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鶴御崎灯台9

モジャッぷりがすごい。

着目点は2つある。

灯台の右下と、左奥の植栽だ。これが後年大幅にカットされているのだ。

 

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鶴御崎灯台10

あなたは、「園芸マニアでもあるまいし、そんなことどうでもいいよ」と感じてしまっただろう。

 

僕も園芸マニアではない。

しかし、周囲を見て回った後、これが次世代の鶴御崎の方針を示す大きな根拠になるのではないかと感じたのだ。

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鶴御崎灯台11

これはまだ植栽がジャングル化していたころに、灯台の左奥に入り込んで撮影した写真である。

 

右手に重厚感ハンパない壁面が見える。

これが、かつての要塞である「鶴御崎海軍望楼」の一部だ。

 

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鶴御崎灯台12

ちょうど植栽が変更されたくらいのタイミングで、ここにも変化があった。

 

白い綺麗なコンクリの展望台が上から被さるように設置されていて、しかもその柱は何本も戦争遺跡を貫通するような感じで建てられていた。

展望台には、カップルで一緒に鳴らす鐘みたいな、なんだかファンシーなもんがくっついていた。

僕はいつもロンリーなので、そういう鐘には1ミリも興味がなかったが。

 

とりあえずね、今までは鬱蒼としていて木々に隠れていた要塞跡。

綺麗さっぱりさせて、見せる部分はもう見せる。

そして、そのデザインを多少は流用し、新たな観光資源としての展望台設置。

 

過去を隠すわけでも忘れるわけでもなく、次の一歩に進んでいる。

いろんな意見があるだろうが、僕はそれでいいんじゃないかと考える。

 

 

九州最東端の碑

 

ついに、突端マニアの真の目的地だ。

ここは、先ほどご紹介した灯台の左奥、要塞を見ながら進んだ小道の突き当りの広場にある。

 

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最東端の碑1

広場の中央にブッ刺さる標柱。

その上にはミラー加工された鳥が舞う。

 

ここまで来る観光客は若干少ないが、僕にとってはこの碑が何よりも大事だ。

 

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最東端の碑2

素晴らしくいい天気。最東端の碑も、この青空に映える。

背後の海も美しい。

 

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最東端の碑3

下部にはここの経度・緯度の記載がある。

側面には、ここの住所も刻んである。

 

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最東端の碑4

「The east end of Kyushu」

英語圏の人も、これを見て喜べ。

 

…僕がこれだけ喜んで、この碑を撮影するのにはワケがある。

実は2000年代前半までは、この碑はボロッボロだったのだ。

 

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最東端の碑5

これが、日本4周目で撮影したもの。

 

デザインこそ同じだが、年季の入りようが別次元だ。

古民家に置いてあったら、薪と間違えて囲炉裏にくべてしまいそうなほどの木材っぷりだ。

 

印字もずいぶん薄い。近づかないと読めない。

 

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最東端の碑6

ちょっと離れて撮影すると、これだ。

ただの黒い棒と化す。何が何だかわからない。

 

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最東端の碑7

例えば、九州最東端を踏んだことでテンション爆上げの僕が、碑の背後で飛び跳ねたとしよう。

でも、こうなる。

「なんでこの人、柱の後ろで飛んでるの?」くらいになる。

 

柱の文字が読めずに、僕は撮影に苦慮していたのだ。

 

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最東端の碑8

だから、日没後のトワイライトタイムでもしっかり柱の文字が読めるようにリニューアルされているのを目の当たりにしたときは、とても嬉しかった。

 

しかも、以前のものと同じデザインということで、愛を感じたし。

 

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最東端の碑9

2020年12月現在は、まだWikipediaの鶴御崎のぺージにて写真が掲載されているが、先代の碑は本当に限界まで頑張ってくれたのだ。

 

ja.wikipedia.org


足元グラッグラになり、3方位から荒縄で繋がれてなんとか立っていた状態。

終電間際の酔っ払いのおじさんレベルに、周囲に介抱されてまで、役目を全うしてくれた。

すごいありがとう、って思った。

 

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最東端の景色1

この碑のある広場からの眺めだ。

木々が多く、広がりはあまりない。

 

展望ブリッジのレベルが高すぎるのでここの評価はかなり霞んでしまう。

しかし、木々の間から覗けば紺碧の海が覗いている。

 

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最東端の景色2

木々に抱かれるように見える海もステキじゃないか、って思う。

 

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最東端の景色3

佐伯市の中心地から遠く遠く離れた、緑多き岬なのだ。

戦争の記憶がなくなることは無いけれど、緑豊かな憩いの場として、今後も発展してほしいと心から思う。

 

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最東端の景色4

少し西側を振り返る。

太陽の下で、海はキラキラと輝く。

 

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最東端の景色5

夕暮れの中で、同じアングルで西を眺める。

海と空の中で、仄かに赤く染まる。

 

時間を割いてきたかいがあった。

なんと素晴らしい岬なのだろう。

 

 

そして僕は再び車を走らせる。

太陽の進む方角へと。

 

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以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 鶴御崎
  • 住所: 大分県佐伯市鶴見大字梶寄浦字鶴御崎
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No:063【埼玉県】超絶品の天然カキ氷!!夏は行列3時間の「阿左美冷蔵」を訪問してみた!

今回は、カキ氷の話をしたい。

 

「冬の始まるこの時期にカキ氷とは、YAMAのヤツは血迷ったか」と思われるかもしれない。

確かにそうかもしれないし、あながちそうでもないかもしれない。

 

いずれにしても、敢えてこの時期に執筆した理由は、この記事の中でしっかりご説明できればと思う。

 

 

阿左美冷蔵」。

 

少なくとも僕はこの氷屋さんを知ったことで、カキ氷の概念が大きく変わった。

生涯忘れられない、カキ氷なのである。

 

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絶品カキ氷の特徴とは?

 

超老舗の氷専門店が経営する、「長瀞(ながとろ)」にあるカキ氷屋さん。

冷凍庫などを使わずに自然の中で凍らせた天然氷を使ったカキ氷を出してくれるのが、最大の特徴だ。

 

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カキ氷1

まずは、このボリュームよ。

「日本むかし話」の山森ごはん級の聳え立つ氷山。

模擬店などで買えるカキ氷の、軽く3~4倍のボリュームがあるのではないかと思われる。 

 

しかし、氷はとても柔らかいのだ。

この写真ではすでにシロップがかかっているのでしっとりしてしまっているが、氷自体は天使の羽のようにフワフワなのだ。

 

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カキ氷2

この写真であれば、少しは伝わるだろうか…?

 

仮に手でギュッと押したら、「フニ~」っと微かな弾力と共に圧縮されるような、そうまさに低反発まくらのような、そんな印象を持った。

 

この羽のような氷を口に入れるとどうなるかというと、繊細でやさしい食感が一瞬だけ楽しめた後、すぐに溶ける。

 

模擬店のカキ氷だと、最初からビショビショに濡れているかとような感じで、食感は「ジャリジャリ、ボリボリ」みたいな感じである。

正直、全然違う食べ物だ。

 

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カキ氷3

なぜこんなにも食感が違うのかというと、きっと氷を削る機械による影響なのだろう。

 

上の写真は、お店の庭に半ばオブジェとして設置されている、古い氷削り器だ。

ギロチンさながらの鋭い刃物が回転することで、大きな氷の塊をスライスしていくのだ。

だから氷はペラペラの平面になる。

 

何度か店員さんが氷を削っているのを見たことがあるが、器の上にフワフワと落ち葉が舞い積もるように造られていて、芸術だと思った。

 

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一般的なカキ氷

かたや模擬店のカキ氷は砕いて小さくするパターンが多い。

小さな小さな氷のブロックの集合体、これが模擬店のカキ氷だ。

 

いや、別に模擬店のカキ氷をディスっているわけではないぞ。

あれはあれで、風流だし一気に体温下げてくれて嬉しい。

独特のボリボリした食感も好きだ。

なんだったら、夏は必ず数本はガリガリ君を食べるし。

 

カップラーメンと本格ラーメンの違いみたいなものかもしれない。

どっちもうまいのは事実なのだ。

 

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カキ氷4

これは、10年以上前のメニューを撮影したものである。

 

結論から言うと、2020年現在は軒並み1000円以上であり、ゴージャスにいくなら1500円ほどは用意する必要がある。

ランチであればたらふく食べれるくらいの金額である。

 

しかし、撮影当時は600円ほどが標準であった。

そのさらに前、僕がこの店を初訪問したころは500円だったのだがね…。

 

撮影したのは、春であった。

「さくらあずき」・「せん茶あずき」・「里のぶどう」・「こだわり白桃」などの、季節を感じさせるメニューが並ぶ。

ここはシロップも、こだわりの天然ものなのだ。

 

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カキ氷5

「せん茶あずき」・「こだわり白桃」・「黒みつきな粉」・「昔のキャラメル」である。

色映えがイマイチな茶色コンビが手前で申し訳ない。

 

この理由は、僕がフルーツが苦手なためである。

「じゃあカキ氷なんて食う資格なし!」とか言われそうなほどの特性ではあるが、そんなこと言われると泣くのでやめてほしい。

 

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カキ氷6

ちなみに初回から3回訪問した際のオーダーは、それぞれ「黒みつきな粉」・「モカキャラメル」・「昔のキャラメル」。

僕はいつだって、茶色いカキ氷を食べている。

 

ちなみにどれも、最高にうまい。

 

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カキ氷7

「はちみつレモン」であれば、少しだけ食べれた。

僕が黄色いカキ氷を持っているという、貴重なショットだ。

 

尚、ここのカキ氷の特徴は「キーンと頭が痛くならない」ことだという。

正直、僕は生まれてこの方、冷たいものを食べて頭痛がしたことがないので、ここはうまく説明できない。

 

しかし、天然氷は体にも優しいので、頭痛がしないと言われたことがある。

…うん、確かになんか「冷たすぎない」っていう気がするかも。

 

 

ロケーションを紹介しよう

 

このお店のすごいところは、カキ氷だけではない。

店舗自体も、また味わい深い昭和レトロな建物なのだ。

 

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店舗1

縁側があり、広い庭のある木造家屋。

その庭にこうやってパラソル付きのテーブルがあり、そこでカキ氷を食べられる。

 

真夏であっても、このパラソルの下でカキ氷を食べれば、一気に清涼感の訪れを実感できるであろう。

 

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店舗2

春であれば、こんな感じ。

少々肌寒さは感じるもの、温かいお茶を飲みながら外でカキ氷食べてもいい雰囲気。

 

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店舗3

これは2月の真冬の時期に撮影したもの。

 

冬だって阿左美冷蔵は営業している。通年営業だ。

冬特有の低い日差しに包まれる店舗もまた、美しい。

 

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店舗4

真冬に庭でカキ氷を食べる、豪傑たち。

 

「カキ氷を極めし者」っていうのは、きっとこういう人たちを指すのだろう。

カキ氷道の到達点が、ここにあった。 

 

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店舗4

敷地への入口となる小道も、「ようそこアイスワールドへ」みたいな感じで、氷塊が並べられている。

ちょっとした「氷のダンジョン」みたいな雰囲気を醸しだしている。

 

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店舗5

このときはさすがに、屋内の席に逃げ込んだよ。

中は温かかったし、卓上のランプの炎のゆらめきも、暖かく感じた。

 

純和風の喫茶店って感じだった。

このあと登場するのはキンキンに冷えたカキ氷だけども。 

 

 

僕と阿左美冷蔵との出会い

 

僕が阿左美冷蔵を知ったのは、とあるTV番組であった。

あれは確か、2000年か2001年ごろ。かなりの昔話だ。

 

どっちの料理ショーという、2つの魅力的な料理を戦わせる番組があった。

かつ丼VS天丼」みたいに。

 

出演者は食べたい方に投票し、多数決で自分の投票した料理が勝っていれば実食でき、もし負けていれば食べられない、という構成であった。

どの料理も、一流の人がメッチャ魅力をアピールしながら作っていた。

 

そんな中で、カキ氷が登場したのだ。

カキ氷のライバルは忘れた。たぶんバランス的に、何かのスイーツだったろうが。

 

 

ここで、カキ氷の専門店として紹介されたのが、阿左美冷蔵であった。

創業1890年(明治23年)だそうだ。

 

きれいな沢の水をプールのようなところに引き込んで、冬の間ゆっくりゆっくり、少しずつ凍らせていた。巨大なスケートリンクのようだった。

ときどきホウキみたいなもので綺麗にしていた。

 

こうして充分な厚みに凍ったら、四角く切り出して保存しておくのだ。

 

 

*-*-*-*-*-*-*-

 

まだ世間知らずだった時代の僕は、それを見て「スゲーな。いつか食べに行きたい。」と感動し、店名をずっと覚えていた。

 

初めて僕が店舗を訪れたのは、その数年後であった。

12月上旬の秩父夜祭を見るついでに、立ち寄ったのだった。

 

あまりのうまさに感動した。

カキ氷の概念が変わった。

 

次の年の暑い暑い初秋にも来た。

春にも、真冬にも来た。

 

秩父に行くたびに思い出した。

ふらりと立ち寄り、カキ氷を食べた。

 

 

驚異の大行列

 

そんな時代が、ゆるやかに崩壊したのかもしれない。

 

いつしか、店舗は常軌を逸するレベルの大行列店となったのだ。

 

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行列1

駐車場出会った場所は、ディズニーランドのごとき長蛇の列が右に左にと、続いている。

夏場にカキ氷を食べて涼もうにも、まずはこの炎天下の行列で倒れかねない。

 

2000年代は、夏場でも1時間待ちと聞いていた。

しかし、2010年代も半ばになると、3時間待ちに達するようになったそうだ。

 

付近の道路まで渋滞する。

ヤベー感じだ。

カキ氷を食べようと店舗前まで行ったが、行列を見て諦めて素通りすることもあった。

 

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行列2

もう、何が何だか…だ。

 

カキ氷の値段も急上昇をみせてきた。

前述の通り、初回訪問時は500円だったカキ氷も、今は1300円とかになっている。

 

温暖化のせいもあるかもしれないし、人気になり過ぎたお店にくるお客さんを絞っているのかもしれない。

いずれにしろ、お店に行くのはオヤツ感覚ではなくなってしまった。

 

 

「ギャラリー喫茶 やました」

 

しかし、阿左美冷蔵の氷を食べられる、裏技がある。

 

何度か書いた通り、阿左美冷蔵は氷屋さんだ。

氷屋さんということは、氷を売っているのだ。

 

つまり、阿左美冷蔵の天然氷を使ったカキ氷を出すお店は、他にもあるということ。

 

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やました1

僕が訪れたのは、阿左美冷蔵と同じく長瀞地区にある「ギャラリー喫茶 やました」だ。

 

誇らしげに、阿左美冷蔵ののぼりがはためいている。

阿左美冷蔵以外で、阿左美冷蔵の氷を食べるのは、これが初めてだ。

 

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やました2

うん、雰囲気もバッチリ。

青空に赤い傘。そして新緑。

爽やかな季節に、爽やかなカキ氷を求めてやってきたのだ。

 

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やました3

赤い傘の下は、テラス席であった。

ここにしようかこっと迷ったが、ちょうど屋内にも席が空いているというので、中に入ることにした。

 

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やました4

窓際の2人掛けの席から見た、店内の様子。

 

待たずにあっさりと入れてラッキーであった。

このあと「宝登山」に登山した人がゾロゾロやってきて、結構混雑したので。

 

しかし、先ほどチラッと覗いた阿左美冷蔵で食べようとしていたら、あと1・2時間は普通に並んでいることだろう。

 

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やました5

「黒みつきなこ」のカキ氷を頼んだ。

出てきたのは、こんもり真っ白な氷だけであった。

味付けはセルフのスタイルだ。

 

見よ、このフワフワ感を。

やはりいい氷かき器を使っているのだろう。

せっかく阿左美冷蔵の氷を使うのであれば、そりゃ削り方にも気を遣うだろう。

 

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やました6

黒みつをそーっとかけるんだ。

氷をなるべく崩さぬように。

 

そしてきなこを掛ける。

練乳もついているが、僕はそれは掛けない主義だ。

 

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やました7

文句なしにうまい。

清涼感が体内を駆け巡る。

濃厚な黒みつも、しっかりとした満足感を感じさせる。

 

うまいうまいと食べ進める。

すごいてんこ盛りだから、こぼさないように気を遣う。

土木工事のように、慎重に掘削を進めるのだ。

 

…それでもこぼすけどな。

O型だからしょうがない。

 

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やました8


あ、ちなみにだけど、この店の焼きプリンも絶品であった。

濃厚なプリンにちょっと芳ばしいカラメルソース。

このハーモニーは、あなたも機会があればぜひ味わってみてほしい。

 

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やました9

スプーンの上のカラメルソースとか、写真で見ただけで身もだえするわ。

絶対間違いないヤツ。

 

ブラックコーヒーとの相性は驚異的である。

 

 

冬こそ、決戦の時期

 

話は冒頭に戻ろう。

なぜ僕がこの時期にカキ氷の話をしたのか。

 

それは、夏に阿左美冷蔵を訪問するのは、極めて難易度が高いからである。

狙い目は、冬だ。

 

まず並ばずに、店内に入れるだろう。

店内はストーブで暖かく、そして温かいお茶も提供される。

カキ氷を食べても苦にならないシチュエーションが出来ているのだ。

 

 

普通、人々はカキ氷に「涼を求める」。

そのための手段が、カキ氷である。

 

しかし、阿左美冷蔵においては涼とかはおいといて、「カキ氷を求める」ためだけに訪問する価値がある。

それが重要なのだ。

 

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純粋に、カキ氷を味わってみてほしい。

その体験が、少しだけ人生を豊かにしてくれるだろうから。 

 

 …というわけで、12月、今がチャンスだ。

 

 ちょっと今はコロナウイルスの第3波で、僕が阿左美冷蔵に行くのは難しいが、僕も再訪を夢見ている。

 

 

 以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 阿左美冷蔵(金崎本店)
  • 住所: 埼玉県秩父郡皆野町金崎27-1
  • 料金: 1000円~1300円くらい
  • 駐車場: あり(混雑時は閉鎖。近くの有料駐車場を使用。)
  • 時間: 10:00~17:00(木曜定休)

 

No:062【富山県】日本最大の落差500m、幻の「ハンノキ滝」!!目撃できるのは春だけだ!

日本一大きい滝って、どこのなんという滝だろう?

 

水が一直線に上から下まで落ちる「直瀑」であれば、和歌山県那智の滝だ。

落差は133mある。

三名爆の1つである有名な「華厳の滝」が落差97mなので、その1.5倍近くある。

すごい。実際に見たことあるが、圧巻だった。

 

しかし、直瀑ではなく段差を経て流れ落ちる滝であれば、日本最大の落差の滝富山県称名滝だ。

何とその落差は350m

那智の滝を一気に倍以上も上回った。次元が違う。

 

しかし、実はまだ上がある。

「幻」と呼ばれるがゆえ、公式には認定されていない「ハンノキ滝」だ。

 

なんとその落差、500m。

 

突き抜けたスケールだ。

 

今回は、この幻の巨大滝を追い求めたときの話をしたい。

 

 

聳える「悪城の壁」

 

僕は立山町の山間部を、走っている。 

立山町って言うとすぐにはピンとこない人もいるかもしれないが、「立山連峰」とか「立山黒部アルペンルート」の立山だよって言えば、わかる方も増えるだろうか?

 

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悪城の壁1

すっっっごい山肌だ。

 

霧も出ているし「仙人が住んでそうだ」って一瞬思ったけど、アレは違う。

仙人も転がり落ちるわ。

仙人だってあんな立地に住みたくはないよな。

 

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悪城の壁2

あれが、「悪城(あくしろ)の壁」である。

 

とんでもなく悪そうな名前だ。悪の幹部がきっといる。

壁のどっかに穴を開けて、悪の組織の根城にしている。

 

そして、その幹部はきっとあの崖から善良な仙人を転がり落として「グハハハハ…」とか笑っている。

そんな中二が好きそうな名前の壁だ。

 

「悪城の壁展望台」というのが道沿いにあったので、入ってみた。

 

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悪城の壁3

雪がすぐ近くに積もっている。

ちなみに今、6月。上旬だけど、暦上は

なのに雪なのだよ。

 

標高と山深さが下界を突き抜けているということだ。

ここは天上界に近い。

…悪も住んでいるようだが。

 

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悪城の壁4

高さ500m、幅2㎞という、常軌を逸したスケールの一枚岩。

そのネーミングも、「恐ろしくて人を寄せ付けないレベル」という意味から取られたのだと、Wikipediaさんも仰っている。

 

この悪城の壁については、機会があれば独立した項目で取り上げたい。

 

今回なぜハンノキ滝の執筆においてこの壁を冒頭でご説明したのか。

それは、ハンノキ滝は僕の見上げる、あの大地の上から流れ落ちているからだ。

 

まずは、このスケールの大渓谷の奥地にいざなわれているというシチュエーションを、ご理解いただきたい。

 

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悪城の壁5

さぁさぁ、あまりの山の迫力と自分の小ささに、鳥肌が立ってきましたよっと。

ホントにここは日本なのだろうか。

 

 

巨大滝への遊歩道

 

駐車場に愛車のパジェロイオを駐車した。

ここからは徒歩である。

 

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滝への道1

目指すは称名滝

…うん、ここであなたが訝しげな顔をしたのが分かった。

 

「ハンノキ滝を目指す話じゃなかったの?どっから称名滝が出てきたの?」と。

 

実は、ハンノキ滝は称名滝のすぐ隣にある。

しかし、ハンノキ滝への…世間の風当たりっていうのかな、それがちょっと厳しいもんでして、こういった看板には一切登場させてもらえないのよ。

まぁそこはおいおい話そう。

 

称名滝は、冒頭でも書いたけど、公式で日本最大落差(350m)の滝である。

 

ってか、称名滝まで1.3㎞で30分か。遠いな。

 

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滝への道2

綺麗に整備されたアスファルトの遊歩道で、歩いている人も大勢いる。

ファミリーやカップル、高齢者の人も多い。なかなか賑わっているんだね。

そんな中、ぼっちですみません。

 

右手には、巨大な岩のカーテンだ。

ここも悪城の壁だろうか?悪の一味なのだろうか?どの辺まで悪いのだろうか?

 

ま、悪城の壁は幅2㎞だもんな。さすがにあそこから2㎞以上は来ているので、これは悪城の壁ではないのだろうな。

悪の要素は浄化されているのだろうな。

 

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滝への道3

岩壁を流れる無数の水流。

霧の遥か上空にある、天上界からの滝だ。

 

今は6月。ちょうど天上界(立山連峰)の雪解けのシーズンである。

この時期のみ、こうやっていくつもの滝が姿を現すのだ。

 

遊歩道をテクテク歩き、正面遠方の巨大な岩肌を目指す。

前方180度全てが切り立った壁なんだよね。

圧倒されるね、この景観。

あの何筋か流れている滝のどれかが、称名滝あるいはハンノキ滝なのだろうか…??

 

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滝への道4

遊歩道の向こうに、ひときわ存在感を放つ滝が見えてきた。

 

遊歩道に小さく映っている人が見えるだろうか?

まだまだ滝はその彼方にある。

にもかかわらず、この巨大さ。縮尺が狂う。 

 

 

あれが、日本最大落差の称名滝…!!

 

 

いや、違う!!

 

 

今までガイドブック等で目にしていた称名滝とは、形状も違うしスケールも違う。

確かに称名滝の落差は350mあり日本一だが、あの滝の落差は目算でもっとあるでしょ。

 

…ということは、あれが幻のハンノキ滝!

 

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滝への道5

ゴールまであと300mほどだろうか?

まだ称名滝は見えない。

 

遠くに東屋が見えている。

その後ろの巨大な山肌を、ハンノキ滝が左右まっぷたつに分断している。

 

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滝への道6

ズームしてみた。

最下部にはミニチュアのようなサイズの、東屋と水門と橋。

今から僕は、あそこに向かうのだ。

 

あそこから滝を見るには、ほぼ真上を見なければならないんじゃないかな…?

 

そのくらいの高度だ。

ヤベーってことだ。

 

 

ハンノキ滝は、なぜ幻なのか?

 

さて、ここでハンノキ滝の正体をご説明しよう。

 

ハンノキ滝は、通年で出現している滝ではない。

雪解け水の多い、春から初夏くらいまでの期間のみ現れるそうだ。

 

だからこそ「幻」。

だからこそ、落差は500mもあるにも関わらず「日本一」の称号を得ることができずに、その座を落差350mの称名滝に譲ってしまっている。

 

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幻の共演1

ちなみに、ハンノキ滝も幻だが、もっとレアなヤツがある。

 

それが「ソーメン滝」だ。

 

写真の右側に映っている滝がそれである。

これは雪解けシーズンかつメッチャ雨が降った直後だけに現れる、幻の中の幻、都市伝説クラスの滝だ。

 

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幻の共演2

幻の巨大滝の共演。

圧倒的スケールで奏でる自然の神秘。

 

夏だから半袖で来たのにクソ寒いのだが、この時期に来れたことに感謝しか感じない。

 

 

称名滝&ハンノキ滝

 

先ほど、遠くに橋が見えている旨を書いた。

今、その橋のたもとまでやってきた。

 

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2つの巨大滝1

すぐ脇を雪渓が掠めている。すごく寒い。

あと、滝の飛沫が降り注いでいて必要以上にクールダウンしてくれている。

 

「称名川」という、称名滝・ハンノキ滝の滝つぼから流れてきたこの川を、橋で渡る。

これで今までとは大きく視界が変化する。

 

ここで初めて称名滝が目の前に現れる!

 

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2つの巨大滝2

左が称名滝、右がハンノキ滝である。

滝つぼは雪のバリケードで見えない。

 

でもすごい迫力。

ドドドドドドドドドド…!!!

って、すっごい音がしている。

 

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2つの巨大滝3

雪の厚さは、いったい何mあるのだろうか…?

その重厚な雪に穴を開け、川が流れ出てきている。

 

さぁ、もう少し右側に歩みを進めよう。

 

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2つの巨大滝4

右のハンノキ滝、ほぼ全体が見えている。

これが落差500mだ。

圧巻だ。流れ落ちる水の気持ちを想像すると、絶望しか出てこない。

 

そして左が称名滝

山肌から徐々に全容を現し始めた。

通年流れ落ちている滝というだけあって、ハンノキ滝よりずっと水量がある。

 

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2つの巨大滝5

雪のトンネルの正面までやってきた。

大きさ的に小型船舶くらいは通れる規模のトンネルだ。

なにもかも、スケールがケタ違いなのだ。

 

遊歩道はここから上り階段になる。

もう少し登り、さらに滝に接近したところで終点だ。

 

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2つの巨大滝6

称名滝がずいぶん姿を見せてきた。

ハンノキ滝とで「V」の字を描いている。

まさにヴィクトリーだ。

 

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2つの巨大滝7

さらに進むと、ハンノキ滝はやや岩肌に隠れてきたが、かわりに称名滝が全容を現す。

ではここからはちょっと称名滝にフォーカスを当ててご紹介したい。

 

称名滝は落差350m。

ハンノキ滝より150m短い。

 

ハンノキ滝は、飛びぬけた実力はあるけども肝心なところで故障したためにスタメンに選ばれなかった、みたいなスポーツマンガの設定でありそうなキャラだ。

だから称名滝が1番。

 

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2つの巨大滝8

ここから眺望する称名滝は、立山連峰を源流とする称名川の流れが溶結凝灰岩の大地を侵食してできた落差日本一の大瀑布です。

 

4段に折れながら流れ落ちる水は通常毎秒0.5トン~2トン、融雪機や豪雨時などの水量の多い時には毎秒100トンにも達します。

また、その時には、隣に落差500mのハンノキ滝が現れます。

 

滝壺は直径60m、水深6mで、滝壺近くでの爆音は迫力があります。

 

称名滝は、昭和48年に「国指定名勝天然記念物」、平成2年「日本の滝100選」に選定されました。

 

…なるほど。

通常毎秒0.5トン~2トンのところ、融雪機に100トンってとんでもないボリュームアップだな。

そして、今僕は100トンの迫力を目の当たりにしている。

 

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2つの巨大滝9

遊歩道の突き当りで、2つの巨大滝を見上げる。

 

わー、すごいなー。

でも飛沫でメガネがビショビショで、よく見えなくなってきたぞー。

 

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2つの巨大滝10

4段に分かれて流れ落ちる、巨大な称名滝

 

冒頭で記載の通り、和歌山県の超巨大滝である「那智の滝」の倍以上あるのだ。

天から降り注いでいる。

 

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2つの巨大滝11

他の観光客に記念撮影を頼まれたので、曇ったメガネで快くOKし、そしてUターンして駐車場へと戻る。

 

しばらく歩いたところで、最後に振り返った。

再び姿を見せたハンノキ滝。

称名滝よりさらなる高み、雲の中から流れ落ちるその滝。

 

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2つの巨大滝12

僕は再び、この滝を見ることがあるのだろうか?

願わくば、またいずれ…!!

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

 

No:061【北海道】北海道最南端の「白神岬」!!津軽半島を眺める穴場の臨海スポットだ!

北海道の最南端。

 

「白神岬」だ。

まだ日本1周目をしていた頃の僕にとっては興味の範疇にもならず、本土四島の東西南北端を巡ろうと考えた際に、ようやくその存在を知った岬であった。

 

…確かに知名度は低いかもしれない。

ついでに地味かもしれない。

 

いや。だからこそ、知る楽しみがあるかもしれない!

 

 

入口を見逃すな!

 

北海道・本州・四国・九州。

日本の本土と言われるこの4つの大きな島、それぞれの東西南北端がある。

詳しくは、僕の書いた以下の【特集】をご参照いただきたい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

最北の島、北海道。

その中での最南端。

 

なんとなく、北海道って本州の完全に北側に位置しているようなイメージがある。

しかし、実態は違う。

 

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上の地図でも確認できるが、北海道最南端の白神岬は、本州最北端の「大間崎」よりも南なのだ。具体的には13㎞も南。

そして津軽半島最北端の「竜飛崎」までの距離は19㎞。

 

つまり白神岬は、極めて本州に近い北海道。

 

さぁ、どんなところだろうか?

それを確かめるため、僕は車を走らせている。 

 

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アプローチ1

片側は海。そしてもう片側は切り立った崖である。

このエリアは、海沿いギリギリまで山が迫り出しているようだ。

 

従い、海際ギリギリを走る道はあっても、内陸部に入る道はほとんど存在しない。

そして、海沿いの道であっても、ご覧の通り展望はあまり開けず、片方から常に山のプレッシャーを感じるドライブとなるのだ。

 

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アプローチ2

それはすなわち、シーサイドであってもトンネルが多いということ。

 

函館方面の東側から白神岬にアプローチする際、ラスト4㎞弱で実に7本ほどのトンネルが登場する。

ぶっちゃけ、空の見える道よりもトンネルの方が長いのではないかと思われるほどの区間だ。

 

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アプローチ3

覆道もある。

厳密にはトンネルとは言わないのかもしれないが、これもトンネルにカウントする。

 

上の写真をご覧の通り、山が陸地の全てを飲みこんでいる。

道路を通す場所なんてない。

 

だからギリギリのところに覆道を作っている。

日本の土木技術の叡智を目の当たりにできた気分である。

 

白神岬が出現するのは、こんなタイミングだ。

 

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白神岬があるのは、こんな立地である。

 

あ、左端の「白神岬展望広場」は北海道最南端ではないので、そこだけ注意してほしい。

展望広場の方は駐車場が広いしトイレもあるしで、一般観光客だったら正解だ。

しかし、突端マニアとしては不正解なのだ。

 

白神岬は、覆道の裏側という、とんでもないところにある。

 

 

左側に見えているのが、白神岬だ。

東側から来るのであれば、国道228号から覆道に吸い込まれると思いきや…、左手の空き地に滑り込む必要がある。

 

まぁ東側から来るのであれば、手前から空き地が見えているのでハンドルを切りやすい。

ちょっと難易度高めなのは、西からくる場合のルートだ。

 

 

右手に見えているのが、白神岬の空き地だ。

覆道を出た瞬間、右側に入り込む必要がある。

 

ちなみに事前に案内標識などは一切ない。

空き地そのものの入口にやや小さめの白神岬の看板があるだけだ。

 

ちょうど覆道を出て、外界の明るさで目がくらんで見にくいだろうし、目に入ったところで車はみんなハイスピードで走っているので、ブレーキを踏んでハンドルを右に切るのは危ないかもしれない。

 

そんな初見殺しな立地にあるのが、北海道最南端なのである。

 

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北海道最南端の碑

 

近くにトイレ付きの白神岬展望広場があるためか、若干扱いが低そうに思えるこの岬。

確かに設備は全然充実していないが、旅人や突端マニアとして喜ばしい要素はそろっているので、ご紹介したい。

 

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最南端の碑1

まずは、空き地から国道を振り返ろう。

背後には迫りくる山肌と、国道を疾走する車、そして覆道が写っている。

 

手前側が全部空き地。

駐車場だろうけど、駐車線も何もなく、ノッペリしたアスファルトと広がっているのみだ。フリーダムな駐車が実現可能である。

 

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最南端の碑2


次に、空き地から東側を見てみよう。

ノッペリゾーンが続いている。

 

ところでち中央に看板が見えるだろうか?

画質が悪くて恐縮だが、拡大してみよう。

 

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最南端の碑3

これが、前述の白神岬を表す唯一の看板である。

事前に標識は無い。

 

今はカーナビであらかじめ設定しておくこともできるが、そうでない時代においてはなかなか唐突の出現かつ控えめな看板で、見つけづらい旨をご想像いただけるとありがたい。

 

さて、本題だ。

 

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最南端の碑4

空き地の海側一番奥に、「」のかたちをした石碑がある。

北海道最南端の石碑だ。

 

これがあるのと無いとで、岬の価値が大きく変わる。

こんな何もない立地に、石碑を設置してくれてありがとうって、心から感謝を述べたい気持ち。

 

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最南端の碑5

フリーダムな敷地なので、こうやって愛車との撮影も容易だ。

後ろはすぐ海なので、景観的にも絵になる。

 

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最南端の碑6

ついでだ。

当ブログで今のところ登場頻度の少ない、日本3周目の後半戦を担当したbBも掲載してやろうか。

 

次に、碑の内容に着目したい。

 

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最南端の碑7

『海底下の 列車のひびき 聞こえ来て 白神岬は さざ波の列』という句が刻まれている。

これが何を指すのか。

それは、青函トンネルだ。
 

 

岬からは少々外れはするが、すぐ近くを青函トンネルが走っている。

この岬の地下、そして津軽海峡の海底を列車が通り、反対側の津軽半島まで行くのだ。

 

ちなみに、北海道側・本州側それぞれに青函トンネルの入口があり、見学することができる。

これはまた、機会があったらご紹介したい。

 

とりあえず、そういう立地であることを石碑に刻んであるのだ。

 

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最南端の碑8

H」の両側の柱には、 横に隠し包丁みたいな切れ込みがたくさん入っている。

このデザイン、謎だ。

 

ちなみに僕が小学生のころ、消しゴムを定規でゴシゴシ削ってこんな感じに傷だらけの消しゴムを作ったりした。

もちろん母親に怒られる。

摩擦で熱くなった定規は、友達の素肌に押し当てて悲鳴を聞いたものだ。

いや、申し訳ない、余談であった。

 

H」の左側には、もう1つ小さめの石碑がある。

 

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最南端の碑9

少し見づらいが、「北海道最南端」と書かれている。

 

感無量だ。

今僕は、広い広い北海道の一番南にいる。

 

すごく本州に近いのだ。

仮に電車で来た場合は、北海道の中で最初の接点となる地なのだ。

 

 

最南端からの景観と灯台

 

さて、そんな立地の白神岬であるが、ここから本州は見えるだろうか?

冒頭でも書いたが、津軽半島最北端の竜飛崎までの距離は19㎞。なのだ。

 

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海と灯台1

うむ、ボンヤリと対岸に陸地が見えている。

あれが青森県津軽半島だ。

 

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海と灯台2

 

あまりにボンヤリしてしまっていて面白みがないので、手前の岩礁も入れてみた。

岩礁の近くにいる小舟は、岩海苔でも採取しているのだろうか?

 

遠くの方の景観は、天国からおじいちゃんが手招きしてそうな感じになっている。

 

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海と灯台3

なんだったら、大型船が空に浮いてしまっている。

おじいちゃんのサイコキネシスで浮き上がってしまったのだろうか?

 

北海道と本州の間って、そういう磁場が働いているのだろう。

 

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海と灯台4

快晴の日の写真もあるので、もってきた。

しかし本州がどこにあるのかわからない…。

 

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海と灯台5

かろうじて見えなくもないが、この天気に反して相当に見づらかった。

 

僕は白神岬から竜飛崎がクッキリ見えた経験が1度もない。

逆に竜飛崎から白神岬方面は、いつもバッチリよく見えている。

曇ってきても結構北海道が見える。

 

立地の関係なのか、それとも運なのかよくわからないが、僕はそんな人生を歩んでいるのだ。

 

 

次に灯台をご紹介したい。

 

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海と灯台6

先ほど手描きの地図でも岬と灯台との位置関係を記したが、覆道を挟んだ先に灯台がある。

その距離は200mほどであるが、覆道内を徒歩で歩くのはあまりオススメできない。

 

かといって、灯台に駐車場があるかと言えば、上記の通り貧弱だ。

車道の反対側に一瞬停車して、灯台の写真を撮るのが一番スマートかもしれない…。

 

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海と灯台7

しかもこの灯台、敷地内は厳重に管理されていて立入禁止。

わざわざ頑張って訪問や撮影しても、コストパフォーマンスが低い可能性がある。

 

だから僕も、これ以上に接近したことは無い。

 

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海と灯台8

しかし見上げれば、紅白のかわいいデザインの灯台

頭頂部が尖っているのも、またオシャレ。

 

通りすがりに余裕があれば、是非見てみてほしいと思う。

 

 

少々ローカルかもしれないが、 白神岬は北海道と本州を繋げる重要な地。

海峡の向こうに霞む本州を見ながら、再び僕は走り出す。

 

北の大地は、ここから始まる。全てがここより北にある。

それを攻略していく行程に、胸の高まりが収まらない。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 白神岬
  • 住所: 北海道松前郡松前町白神 
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

 

No:060【神奈川県】海上に残るトロッコレールの残骸!!波に飲まれて消滅するは間近だ!

海の上に敷かれた線路。

そこを列車が走る…。

なんという幻想的な風景であろう。

 

しかし、なかなか現実には実現は難しいようだ。

フィクションであれば、「千と千尋の神隠し」・「ONE PIECE」・「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」などが思いついたが、やっぱりアレはフィクションだからこそできる演出なのだろう。

 

…と思っていた。

 

近しいものが現実に存在していたらしい。

だけども、それは間もなくなくなりそうだ。

 

ならば、すぐに見に行かねばならない!

それがノンフィクションであるうちに!!

 

 

曇天の久留和漁港

 

秋も半ばに入るというのに、南関東特有の残暑がまだ存在感をアピールしてくる。

曇天であっても、それはネットリと絡みついてくる。

 

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久留和漁港1

ここは、三浦半島の海沿いを走る国道。

そこを反れ、擦れ違い困難な狭路を下っていく。

道の行き止まりが、漁港である。

 

その漁港の名は、「久留和(くるわ)漁港」。

2020年は、コロナウイルス感染の抑制のため、漁港内の駐車場に一般人が駐車することはできない。

ロープが張られていたのだ。

 

仕方がない。

ちょっと離れたところに愛車のパオを駐車し、テクテク歩いて戻ってきた。

 

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久留和漁港2

あるとあらゆるモチベーションを吸い取ってしまうかのような、灰色の空だ。

漁港には数隻の小船が係留され、波の動きに合わせて静かに上下していた。

 

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久留和漁港3

遠くには湘南のシンボルと言っても過言ではない、「江の島」の灯台が見えた。

おそらく10㎞も離れていないのだろうが、あっちとこっちで随分と世界観が違うようにも感じた。

 

さらに江の島の背後には、きっと晴れれば雄大な「富士山」が見えるのであろう。

しかし、今回の企画のコンセプト的に、富士山は似合わないと感じた。

うん、見えなくって結構。

 

…もちろん、強がりである。

 

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久留和漁港4

漁港を奥へと歩いていく。

年季の入った小屋が見えた。

 

ペンキがほとんど剥げ落ちているが、「権兵衛丸」の上に微かに「船宿」の文字が見えた。

権兵衛丸(ごんべえまる)。見事なまでのシワシワネーム。

カッコイイな、と1人呟く。

 

さて、右奥に防波堤がチラリと見えていることにお気付きだろうか?

ここを華麗に乗り越える。

 

するとですね…。

 

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廃レール1

 

廃レール登場!! 

 

 

アドレナリンが「ブシュッ!!」と涌き出たのを感じた。

 

※ もしあなたが現地を訪れる場合、ここから先は自己責任でお願いします。

当ブログは一切の責任を取りません。

 

 

廃トロッコレールとの対面

 

防波堤の向こうはテトラポット

さらにその向こうに、鉄道のレールの残骸のようなものが続いていた…。

 

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廃レール2

 

 

…海に向かって。

 

 

いや、正確には海に向かっているわけではないか。

海の上を通り、海上のコンクリートの人口島に向かっている。

 

 

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廃レール3

Web上で調べたところ、あの人工島はかつては生け簀だったそうだ。

 

魚だかエビだかアワビだか。

それをあらかじめ捕獲してあの中で管理しておき、必要に応じて出荷できるようにしていたみたいだ。

 

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廃レール4

人工島には、レールの最後の残存部分が、かろうじて掴まっている。

その先にもなんらかの残骸があるが、もう原型を留めておらず、同時の面影は想像できない。

 

そして人工島は、今は野鳥の楽園だ。

 

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廃レール5

現在残っているのは、4区画分だ。

海上に取り残された3区画に、前述のコンクリート島に接続された最後の1区画。

 

しかし、壮絶なまでに朽ちているレール。

おすもうさんが張り手をしただけで倒壊しそう。

 

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廃レール6

少し角度を変えて撮影してみた。

かわいそうなくらいにヒョロヒョロなレールだ。

 

使用当時はどんな状態だったのだろうか?

まさか電車が上を通れるような強度ではあるまい。レール幅も狭いし。

 

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廃レール7

どうやら人力トロッコによって、生け簀の中の魚介類を運搬していたようだ。

では、トロッコを動かす人はどこを歩いていた??

…たぶん、レールの下に木の板でもあったのだろう。

 

それは波風の浸食が激しかったのか、それともレールが引退したときに意図的に撤去したのか…。

どのみち、現在は全く存在していない。

 

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廃レール8

サビっぷりも尋常ではない。

そりゃそうだ。

 

ここは潮風の影響をダイレクトに受けるし、波の高い日にはレール自体が波に飲み込まれる。

圧倒的スピードで朽ちていっているのだろう。

 

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廃レール9

では、トロッコがいつできて、いつ廃止されたのか…。

 

ここは僕の敬愛する 「山さ行がねば」の「ヨッキれん氏」のレポートに頼らざるを得ないだろう…。

 

yamaiga.com

 

コンクリートの人工島までザバザバ海を渡ったり、漁港の人に聞き込みまでしたヨッキさんのレポートによれば、この生け簀が使用されていたのは1978年から1988年ごろまでの、わずか10年ほどだったそうだ。

 

30年間でここまでボロボロになったのか…。

Web等でこの場所を検索すると、年を追うごとに崩壊が顕著にわかる。

 

特にここ5年ほどの劣化っぷりはハンパない。

2014年時点ではちゃんとレールはこっちからあっちまで繋がっていたのに、2020年現在ではボロッボロよ。

 

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廃レール10

どうだ、この消滅直前の最期の雄姿は。

大いなる自然に削り取られてできた、芸術作品であろう。

 

見るのであれば、本当に急がねばならないだろう。

来年の今は、もう支柱しか残っていないかもしれないぞ。

 

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廃レール11

 

テトラポットの上で

 

テトラポットを、波打ち際ギリギリまで下りてみよう。

油断すると海に落ちるし、波がかかって愛用の本革のバッグが濡れてしまうが、気をつければ大丈夫、たぶん。

 

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廃レール12

テトラポットの上には、もう残骸としか呼べないようなレールが落ちていた。

かつてはキチンと防波堤の上まで繋がっていたのだろう。

 

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廃レール13

まだボルトがしっかりと残っているのが、やけに生々しく感じた。

 

頑丈だったはずのレールは酸化して赤茶けており、表面が剥がれつつある。

さながら枯れ木のようだな、と思った。

 

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廃レール14

その老木のような鉄柱にそっと触れてみた。

僕がこのレールにとどめを刺すわけにはいかないし、僕もケガをするわけにはいかないから、あくまでそっとだ。

 

ガサガサになったその鉄柱から、在りし日の記憶を少しでも感じられたかな。

お疲れ様、トロッコレール。

 

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廃レール15

足元を見ると、無残に転がって波に洗われているパーツもある。

かわいそう。

 

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廃レール16

これは、完全に支柱しか残っていない状態。

支柱はしっかりしているので、こうやって最後まで残っている。

…とはいえ、全力で蹴れば折れてしまいそうな気配もするが。 

 

鉄って、最期はこんなふうになっちゃうんだな…。

 

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廃レール17

いよいよ、レールが目線よりも上になった。

立ち並ぶ支柱。でも数が足りない。一部は大きく傾いている。

波の力の強さを思い知る。

 

もう足元まで波が来ているので、カメラを低い位置に構える必要があるが、レールの裏側を撮影できそうだ。

 

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廃レール18

 

 

天空を走るレール。 

 

 

今まで鉄道の線路を見上げたことはあるが、こんなにもスッカスカで空が良く見えた体験は初めてだ。

まさに空を列車が走る様を、想像できるのではなかろうか。

 

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廃レール19

ノンフィクションが限りなくフィクションに近づいた図である。

 

願わくば、ここからレールを走るトロッコを見上げたかった。

それは適わぬ夢である。

 

僕の想像の中で、ここにトロッコを走らせようではないか。


 

ドンヨリと曇った三浦半島の小さな漁港。

しかし、僕はそこに束の間の夢を見た。

30年前の夢を。

 

もう間もなく消え失せる線路。

最後に振り返り、そして僕は再び防波堤を飛び越えて漁港に戻る。

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 久留和漁港の廃トロッコレール
  • 住所: 神奈川県横須賀市秋谷
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり(ただし2020年現在はコロナウイルス感染抑制のため、開放されていない)
  • 時間: 特になし

 

No:059【青森県】超レアな宿泊施設「客舎」とは?自炊&外湯のスタイルを体験してみた!

最初に断っておく。

これは、僕が宿に1人泊まり、ゴロゴロして酒飲んで、ご飯作って食べて、そして温泉に入るだけの物語である。

それ以上でも、以下でもない。

 

しかし、それが最高だったのだ。

「客舎(かくしゃ)」と呼ばれる宿泊施設に泊まったこともそうだし、全てが凍てつくような真冬だったのも、味わい深さの調味料となってくれた。

さらに、1人旅であったことで侘しさもプラスされた。

 

総じてかなりレアな体験ができたので、ぜひ「客舎で過ごすとはどういうことか」を知っていただきたく、執筆をする。

 

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宿泊したのは、写真右手の建物だ

 

【世界】雪深く、レトロな温泉街

 

訪れたのは、黒石市の「温湯(ぬるゆ)温泉」。

雑な表現をするなら、青森市のちょっと南くらいである。

 

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温湯温泉街1

2月上旬。1年で一番寒いであろう時期を選んだ。

季節と温泉の相性がバツグンであると、自己解釈したためだ。

 

とりあえず、スタッドレスタイヤなのに道路滑る。

地元の方は平気な顔で運転しているが、僕は恐怖でハンドルを握る手もガッチガチだ。

 

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温湯温泉街2

ダメージの蓄積された温泉街のゲート。

旅情がかき立てられ、胸が躍る。

 

さて、時系列的にはここで宿にチェックインをしてから、改めて温泉街を散歩することとなる。

しかしこの記事では、温泉街のご紹介を先にまとめて実施しよう。

 

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温湯温泉街3

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温湯温泉街4

「土岐客舎」。昭和テイスト溢れる建物だ。

とりあえず、屋根の雪の厚みがえげつない。

 

冒頭の通り、客舎とは宿泊施設の形態の名前だが、この土岐客舎は宿泊業を取りやめているというウワサも聞いている。

 

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温湯温泉街5

土岐客舎からちょっと進んだところには、「土岐商店」。

正面に見えているのが、その商店だ。お酒やちょっとしたオツマミを売っている。

 

ちなみに、右側に映り込んでしまったのが、僕が今晩宿泊する「後藤客舎」だ。

 

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温湯温泉街6

右側は、「白秦商店」。

屋根の部分に「精米・製材」と書いてある。

少なくともこのときは、お店はクローズしていた。

 

この商店の左上部分が「たまんねー!」って思ったので、近づいてズームしよう。

 

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温湯温泉街7

モナリザとか飾りたくなるような重厚な額縁みたいなものが張り付いている。

本来は店名だとかを入れるものだろう。

 

その横の「ハウスカレー」がかわいすぎて身もだえする。

願わくば、カレーの写真を隣の額縁に入れてあげたい。

 

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温湯温泉街8

その商店の左隣に映っている建物に近づき、見上げてみた。

 

屋根の上の雪。

白くて丸みがある一見ゆる系のシルエットだが、落下の際の殺傷能力は高かろう。

姿かたちだけで相手を判断できない、という教訓となりかねない。

 

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温湯温泉街9

「盛萬客舎」。ステンレスをオシャレに着こなす建物だ。

 

2階右側に「盛萬」と書かれた石板が張り付いている。ここだけギリシャっぽくてかっこいい。

さっきのハウスカレー商店も、こんな感じで店名が入るのが本来だったのだろうか。

 

実は、ここは2018年くらいに営業を辞めてしまったらしい。

こうしてひっそり、かつての文化は消えてゆく。

 

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温湯温泉街10

「飯塚旅館」。外観だけなら、この温泉街の中で一番僕好みだ。

この温泉街のあらゆる歴史を知っていそうな、重厚な木造の建物。

 

ここは昔は「飯塚客舎」という名前だったそうだ。

業態を少し変え、今は旅館になっている。

 

さて、客舎の定義をまだご説明してないのがちょっと苦しくなってきたが、もう少しだけご辛抱いただきたい。

 

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温湯温泉街11

「鶴の名湯」。温湯温泉の共同浴場だ。 

ここなしで温湯温泉は語れない。

2001年にリニューアルされているので、周囲の建物に比べるとピカピカだ。

 

写真の一番左に、軒だけ映っていて見切れている建物がある。

少し構図を左に向けてみよう。

 

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温湯温泉12

後藤客舎。僕の宿泊する客舎だ。

目の前がすぐ鶴の名湯。

 

さて、客舎に戻ろう。寒かった。

僕も宮城県程度の寒さには慣れていたが、ここは別格だった。

そして散歩中もツルツルとずっと滑っていた。なんだこのアイスワールド。

 

以上、なんだかワチャワチャした温泉街紹介となってしまったが、次項でいろいろと、この温泉街のカラクリをご説明したい。

 

 

【文化】客舎のある、魅惑的な暮らし

 

客舎とは、青森県にかつて多く見られた宿泊施設である。

特徴は以下の通りだという。

 

  • 内湯がない 
  • でも温泉が近くにある
  • 食事が出ない
  • でも自炊施設がある

 

例外はあるのかもしれないが、こんなところだ。

 

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後藤客舎1

僕の宿泊する後藤客舎は、上記の条件を全て満たす、昔ながらの客舎の最後の生き残りだと聞いている。

だからこそ、ここに宿泊したかったのだ。

 

しかし、なんでこんな宿泊形態なのだろう。

それは、「湯治客が長期間安価で過ごせる温泉街造り」を突き詰めた結果である。

 

宿に内湯が無ければ、それだけ維持管理費が浮く。つまり宿泊料金を抑えられる。

お風呂は、共同浴場に行けばよい。

 

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僕の部屋から共同浴場まで、ダッシュで5秒だ

宿にて食事を出さないのも、同じく宿側のもろもろの経費を抑えるためだ。

 

その代わり、宿泊者は宿の自炊スペースで自炊をすればよい。旅館の豪勢な食事よりもずっと安く済む。

 

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自炊場には基本的な調理器具も食器類もある

 

さてさて、これを踏まえて、前項でご紹介した温泉街の立地を今一度復習したい。

戦略的に練りつくされた街並みが浮かび上がってくると思う。

 

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温湯温泉街MAP

鶴の名湯を取り囲むように宿泊施設。

まぁ今でこそ旅館・民宿・ホテルなどがあるが、かつては客舎が多くを占めていたそうだ。

 

そして、客舎で長期間湯治をする人用に、商店がある。

ここで酒や食材、日用品を売る。

 

さらには床屋・薬屋・歯医者・整骨院…。

生活に必要な施設は周囲に全て揃っていたという。

そして、湯治客は客舎内で交流して一緒に料理して晩酌したり、共に山菜とかを取りに山に分け入ったり…。

 

温泉と湯治客を中心とした、1つのコロニーが形成されていたようだ。

 

しかし、21世紀にもなるとそんな文化はほぼ消滅している。

自炊湯治をする人もあまり見かけなくなったし。

客舎は閉業したり、業務形態を旅館に変えたりしているそうだ。食事だけ希望者に提供したりしているところもある。

 

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後藤客舎2

今一度言おう。

この後藤客舎のみが、旧来の宿泊のみのスタイルを貫いている。

 

そんな後藤客舎がなくなってしまったら…。

オーナーさんが引退したり、方針が変わってしまったら…。

そう考えると、いてもたってもいられない。

 

今のうちに生粋の客舎を体験しておかねばならないのだ。

きっと今回の旅は、我が人生においての貴重な財産となるだろう。

 

 

【建物】文化遺産レベルの客舎を見よ

 

前項の最後でちょっとかっこいいセリフを吐いたが、基本ゴロゴロしたいだけだ。

その怠惰なライフスタイルを後押ししてくれる後藤客舎の詳細を、ご紹介したい。

 

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後藤客舎3

後藤客舎は古い建物だ。

80代くらいであろうオーナーのおばあちゃんに、「築何年くらいなんですか?」って聞いてみたが、答えは「わからない」だった。

 

Webでも調べてみたが、一律「わからない」しか出てなかった。

しかし、どうやら江戸末期から明治初期くらいの建造物らしい。

明治元年だとすると、1868年か?

150年以上も前の建物!?文化遺産レベルだ。

 

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後藤客舎4

入口を入って、すぐに左を向いた構図。

土間が続いており、土足のままズカズカと入っていけるスタイル。

 

あと、建物は外も中もメッチャ古いが、掃除が行き届いて綺麗だ。

写真右端の飾りつけなどにも、オシャレさを感じる。

 

僕の部屋は、上の写真で見えている一番奥だ。

 

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後藤客舎5

部屋の前から入口方面を振り返る。

右手のガラスの向こうは外である。外には鶴の名湯が見えている。

 

とりあえずこの厳冬期において、今の僕と外とを隔てているのは古いガラス1枚。

建物には断熱材なんて入っていないだろう。

つまり建物内部は外とほぼ同じ温度だ。死ぬほど寒い。

 

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後藤客舎6

食材などいろいろ持ってきているので、車と部屋とを3往復ほどした。

部屋の前に荷物がギッチリ積まれた。

 

これから始まる1泊2日のパラダイスに、ワクワクが止まらない。

 

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駐車場への小道

ちなみに、宿と駐車場は少しだけ離れていて、それを繋ぐのがこの路地だ。

緩い斜面で、雪たっぷり。日陰でやや固まっている。

 

もちろん滑ってやった。

滑ってしまったのではない。滑るに好条件だったので、ここはあえて「滑ってやった」と表現しておきたい。

 

次に、客舎内の間取りをご紹介する。

 

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後藤客舎7

これが壁に貼ってあったのが、プリンタの「濃い」ゲージが振り切れてしまっているような気がする。

この地図からは漆黒の闇しか感じない。

 

なので見やすいように僕が別途書き起こそう。

 

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こんな具合だ。

部屋を出るときには靴を履き、そして外と同じレベルで寒いので上着を着こみ、そしてなるべく短時間で要件を済ませるスタイルで過ごした。

 

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後藤客舎8

上記が、客舎内の奥方面へと続く土間通路だ。

僕の部屋からトイレに行く際にも、この道を使うこととなる。

 

しかし客舎内のトイレは遠いのと、上記の通り通路が暗くって怖いので、僕は鶴の名湯のトイレを使っていた。

そっちのほうが近いし近代的だと判断したからだ。

 

探検していると、1組別のお客さんが来たので「こんにちは」と挨拶をした。

今晩はどうやら宿泊客は2組らしい。

 

 

【生活】客舎でゴロゴロ過ごそう

①ウェルカムドリンク

 

これが、僕に割り当てられた部屋である。

 

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後藤客舎9

広い。10畳あるようだ。

そして、おばあちゃんがあらかじめストーブガンガンつけていてくれていた。

ありがたい。ここでは上着を脱いで過ごせる。

 

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後藤客舎10

翌朝の写真だが、反対方向からの構図だ。

TV・冷蔵庫・ストーブ・電気ポットもあるぞ。 

1人暮らしにはことかかない装備だ。

 

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後藤客舎11

座卓の上にはリンゴが2つ用意されていた。

さすがリンゴ王国青森である。

 

※ 残念ながら僕はリンゴを食べられないのだが、自宅にお土産に持って帰ったところ「非常においしい」と言われた。それは良かった。

 

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後藤客舎12

あと、鶴の名湯の入浴券が1枚置いてあった。

内湯が無いので、宿泊料金にデフォルトで1回分の入浴券がついているのだ。

 

250円で鶴の名湯に入れるのか、安い。

せっかくだから夕方と明日の朝、2回入ろう。

 

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後藤客舎13

とりあえず、まずはお酒だ。

自分で用意をしたウェルカムドリンクだ。

 

温湯温泉には残念ながら大きなスーパーなどは無さそうなので、さきほど黒石市街の業務用スーパーに立ち寄り、食材をいろいろ仕入れておいた。

プレミアムモルツイワシの缶詰で、まずは一杯やろう。

 

10畳もあるのでポジショニングは自由だ。

適当な位置にデレッと座り、読書しながら酒を飲んだ。

ときどきガラス窓から外の雪景色を見たりした。

 

最高だった。

他には何もいらなかった。

 

 

②黄昏時の温泉へ

 

日と外を見ると、ツララごしに濃紺の空が見えた。

そろそろ夜が来る。

※ あえて時計を見ずに過ごしていたが、このとき17:30頃だったらしい。

 

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ブルーアワーに動き出す

この時間帯の空が好きだ。

なので、温泉に行くことにした。

もっとも、温泉まではゆっくり歩いても10秒だが。

 

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鶴の名湯1

共同浴場、鶴の名湯前。

左端ギリギリくらいに、後藤客舎の僕の部屋が写っている。近かった。

 

鶴の名湯の由来は「400年くらい前、鶴が湧き出ているお湯に浸かって傷を癒していた」という伝承から。

正直、全国の温泉で結構ある由来だが、鶴はケガをしやすく温泉で傷の療養をする習性があるのだと思えば、なるほど納得である。

 

入口には鶴のレリーフ。かっこいい。

 

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鶴の名湯2

そしてこけし灯篭。

津軽こけしというジャンルがあるらしく、中でもここ黒石市は力を入れて入るっぽい。

こけし灯篭もその工芸品の1種類なんだとか。

 

灯篭の間接照明が、薄暗い雪景色をボンヤリと照らす。

旅の風情を表すメーターが、一気に振り切れた瞬間である。

 

*-*-*-*-*-*-*

 

共同浴場の中は、すごくピカピカだった。

しかしその分、風情は少々控えめだったと記憶している。

 

露天風呂は無く、内湯のみ。

シャンプーや石鹸などの標準装備もなく、あらかじめそれを見越して持ち込んでおいて正解であった。

 

湯舟は2つあり、42度と44度の設定とのこと。

44度はかなりの攻撃力の高さだな…!

試しに入ってみたが、痺れるような熱さであった。

無理。42度でも、そこまで長時間は入れぬ。

 

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湯上り、涼む

風呂上りは、しばらくこの凍り付いた屋外で涼んだ。

ちょっとおかしい人と思われるかもしれないが、そのくらい温まったのだ。

 

温湯(ぬるゆ)温泉は、その発音から「ぬるい温泉なのかな?」と思われがちだが、実際は逆らしい。

「めっちゃ熱くて温まる」から、温湯というらしいのだ。

それを僕は今、身をもって証明しているところだ。

 

 

③夕食を作り、そして早く寝る

 

夕食を作ろう。キッチンへ行こう。

前述の通り部屋の外は北極みたいな気候なので、あらゆる服をモコモコに着込んだ。

 

結果、普段より2周りくらいデカいシルエットとなった。

誰、オマエって感じになった。

 

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キッチン1

まずは水が出ない。蛇口が凍っていてひねることができない。

こんな蛇口をひねることができるのは、プロレスラーだけだ。

 

でも、なんでも筋肉で解決するのは良くない。

オーナーだって80歳くらいのおばあちゃんだ。力まかせの生活をしているとは考えにくい。

 

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キッチン2

『水導と温泉は もと線をねじってください』

 

ヒントが書かれていた。

元栓をねじるのか…。

 

どこに元栓があるのか探すところから始まり、この時点で既に凍死しそうなんだけど、キッチンの流しとは反対の隅にハンドルを発見。

よくわかんないけどねじった。

 

※ ところで貼り紙記載の「温泉」とは何だったのだろう。謎だ。

 

元栓を開いたのだが、流しの蛇口は凍り付いたまま動かない。

そりゃそうだ。凍った蛇口が解けるハズもない。これは春までこのままだろう。

 

途方に暮れること数分。

 

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キッチン3

「何か」が水道管をゴウンゴウン言いながら駆け上がってくる振動を感じた。

水だッ!

 

そして、水道管を目で追うと、流しの蛇口ではなく、キッチン中央の平台みたいな場所に設置されている蛇口に繋がっているぞ。

なるほどナゾは解けた!

 

平台の蛇口をひねる。

 

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キッチン4

水道管の支柱が一瞬ブルブルッと震えたあと、

ブボボボーーッ!!!
って雑に水が出てきた。

 

服に飛び散ってとても冷たいのだが。

まぁでもファーストミッションクリアだ。


やかんでお湯を沸かそうと、コンロの上に置いてあったやかんを手に取る。

鈍器のような重さと強度であった。

誰かがタップリと残した水が、コッチコチに凍っていたのだ。恐ろしい。

 

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キッチン5

鍋でお湯を沸かし、そして調理開始。

温かい。コンロの火に当たりながら調理をする。

 

実は、本当は鍋料理を作りたかった。

しかしチェックイン前に訪れた業務用スーパーの品ぞろえが偏っていたのか、白菜や味噌などがなかった。

 

とりあえず、ラーメン買った。

青森産イリコだしのラーメンにする。チャーシューの代わりはベーコンだ。

 

完成したら、鍋を自分の部屋に持ち帰る。

部屋のストーブの温かさが身に染みた。

では、レッツ・パーリータイムだ!!

 

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夢のひととき1

あつあつラーメンが、体の中を駆け巡る。

冷たいビールがそれを程よくクールダウンさせる。

 

1人、鄙びた和室でハフハフとラーメンを食う。

シュールかもしれないが、確実に僕は今、客舎をエンジョイしている。

 

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夢のひととき2

もうこれでやることはほぼ無い。

食後にゴロゴロして、読書して、少しTVを見て。

 

ちょっとしてから食器を洗いにキッチンに行くと、同泊の女性と出会った。

「自分は毎年この時期にここに来ているが、同泊の人に出会ったのは初めてだ」と言われた。

この過酷な環境下で宿泊に来る人は、よほど珍しいらしい。

 

僕は「むしろその寒さに青森本来の暮らしがあると思って来た。なんなら今日は快晴だったが、吹雪いてくれてもよかったくらいだ。」と答えた。正直、ちょっと強がった。

 

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夢のひととき3

コーヒーを沸かしてティータイムにした。

 

つくづく自由だ。

 

何者にも縛られていない。

オーナーのおばあちゃんもチェックインのとき以来、存在を感じさせない。

どうやら何かない限り、別棟の母屋にいるらしい。

たまーに、共同浴場に行く人が外を歩く足音が聞こえる以外は、とても静かなのだ。

 

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夢のひととき4

ちょこっと襖を開けて、ガラス戸越しに外を見てみた。

まだ僕がいるのは土間なのだが、酔いが全て吹き飛ぶような冷気が部屋に入っていた。

 

共同浴場にはまだ灯りがついている。

22時まで営業しているらしい。今はまだ21時台だ。

 

そんな時間だが、寝よう。

やることないという理由もあるが、早く寝るということ自体にワクワクを感じている自分がいる。

 

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夢のひととき5

田舎のじいちゃんばあちゃんの家を思い出すような、天井の照明。

全てが最高だ。

 

ニッコリ微笑み、僕は夢の世界に旅立つ。

 

 

④朝風呂に行き、そして朝ごはん

 

5時台に起きたようだ。周囲はまだ真っ暗だ。

震えながらストーブのスイッチを入れ、部屋が温まるまで布団の中でしばらく待機。

 

6時過ぎ、どうにか布団から這い出ることができた。

じゃ、風呂行こう。

 

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朝風呂1

朝のブルーアワー。

キンキンに寒くって、道路もコチコチだが、空気が神聖である。

この時間を狙っていたのだ。

 

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朝風呂2

後藤客舎を振り返る。

右奥に見えているのは盛萬客舎だ。

静かな朝に、佇んでいる。

 

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朝風呂3

鶴の名湯。もうオープンしている。

実はここ、朝の4時オープンなのだ。やたら早い。

 

湯治客のニーズを最大限くみ取った結果なのだろう。ありがたい。

熱いお湯に浸かると、体が溶けていくような心地よさ。

 

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朝風呂4

そして風呂上り。

僕、完全に整った。今日も元気にいこう。

 

ところで、日本海側の気候であるここ津軽地方で、冬の日に2日連続快晴とは珍しいな。日頃の行いに感謝。

 

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ティータイム1

朝に熱い日本茶をすする。どうよ、この詫び錆。

 

視線の先にあるのは、僕の抜け殻だ。

寒くなったら再びあそこにINする所存。

 

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ティータイム2

自分がコーヒー派であったことを思い出し、続けてコーヒータイム。

客舎は自由だ。

 

ひとしきりノンビリしたら、朝食の準備だ。

 

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朝ごはん1

相変わらずキッチンは寒い。フル装備で挑む。

残った食材は、モヤシとベーコンとエノキ。

全部炒める。塩コショウで炒める。

 

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朝ごはん2

本当はもっと凝ったものを作りたかったのだが、それはまたの機会にご紹介したい。

 

もっとも、おいしいものや手の込んだものを作りたいわけではない。

共同キッチンで何かを作り、そしてそれを食べる。

その工程を体験したいのだ。

 

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朝ごはん3

それが何料理なのか形容しがたいものであってもだ。

…うまいよ?何か??

 

食後は読書をした。

ただただ、布団の上に転がって本を読んだ。

平和な時間がゆっくり流れていた。

 

 

【出発】そんな客舎に行ってほしい

 

そろそろチェックアウトの10時である。

荷物をまとめ、母屋のおばあちゃんに挨拶をする。

 

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母屋は雪の中

宿泊料金は3000円であった。

3000円でこんな素敵な体験ができるとは、人生儲けもんである。

ありがたい限り。

 

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寒さでエンジンがなかなかかからない、愛車

 

…客舎。

温泉地の生んだ独特の宿泊形態の施設。

 

古き良き湯治宿の暮らしをかろうじて現代に残す、「体験できる文化遺産

そう感じた。

 

いつまでも残っていてほしい。

たった1泊2日だが、この極寒の地での思い出は忘れない。

 

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以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 後藤客舎
  • 住所: 青森県黒石市温湯字鶴泉23
  • 料金: 素泊まり3000円
  • 駐車場: あり
  • 時間: 要相談