2020年12月8日。
これが何の日かというと、偉大なるミュージシャンである「ビートルズ」のジョン・レノンの命日からちょうど40年目の日だ。
40歳でファンによって暗殺されたジョン・レノン。
存命であれば今年80歳だ。
これを機に、それをご紹介したいと考えた。
「だったら12月8日に公開すればよかったじゃないか」と考えた、あなた。
うん、僕もそう思ったのだが、気付いたのが遅かった。
12月8日は、どこぞの秘境駅の記事をニコニコしながら書いていたので無理だった。
まぁこの記事を執筆し始めたのが12月8日であるという、雑な言い訳をどうか受け入れてほしい。
隠れ家的な喫茶店
梅雨の来る少し前の、よく晴れたある日。
僕は友人と共に軽井沢に来ていた。
新緑が素敵だ。
植物たちは、今の時期が一番勢いがあるのではなかろうか。
そんな時期に、我々人間がワクワクしないはずはない。
これは本能なのだ。
ワクワクしながらドライブしてしまうことも、きっとDNAに組み込まれているのだ。
この日は、絶対にハズしたくない軽井沢の森の中のすんごい雰囲気のいいピッツェリアで、ピザを食べたのだ。
東北の某所で泥だらけになって震災復興のボランティアをしながら、「あのー、来週行きたいんですけど」と電話予約をしておいたのだ。
ズタボロの服装から一転、軽井沢に行ってもなんとか恥ずかしくないレベルの服装にチェンジし、本日こうしてやってきた。
気候もピザも最高だった。
人生史に残る、いいお店であった。
そして、ちょっと観光を挟みつつ昼下がりにやってきたのが、ここである。
「離山房(りざんぼう)」。
木立に囲まれた、知っていなければそのまま通り過ぎてしまうような隠れ家のような立地の喫茶店だ。
Googleマップのストリートビューも、いい時期にここを走ってくれているので、以下に現地の写真を掲載しよう。
ここで優雅にコーヒーを飲みたかったのだ。
そうすれば、最高に軽井沢をエンジョイしている気分になれそうだろう?
そんな自分に酔いそうだ。
うん、そんな夢見がちな日があってもいいじゃないか。
ウッディな感じの温かみのある喫茶店。
こじんまりとしているが、各所に草花が飾られセンスの良さを感じさせる。
このポーチのデザインがたまらない。
いつか庭付き一戸建てを建てられるとしたら、ポーチのデザインはここを見習いたいなって感じた。
テラス席でくつろぐ
オーナーのおばちゃんに迎えられた僕らは、テラス席をチョイスした。
この木漏れ日の下でコーヒーを飲んでみたいのだ。
それこそが軽井沢だと、勝手に定義づけたのだ。
丸太製のハンドメイド感のあふれるテーブルとイスが置かれたテラス席に座った。
上の写真は、テラス席から見る店内。
店内のカウンターもまた素敵そうだが、テラス席は風が通り小鳥のさえずりが聞こえる。森林浴も同時にでき、一石二鳥だ。
これ、好きだ。なんと呼ぶものかわからないけど。
数枚写真を撮っていた。
さて、何をオーダーしようか。
メニューを見て、僕はコーヒーとガトーショコラをオーダーした。
友人の1人は、「名物のカレーが食べたい」とか言っていたけど、カレーはランチタイムのみで既に終了しているとのことだった。
オーナーのおばあちゃんは、「次にボリュームがあるのはホットケーキよ」と案内してきた。
友人はその言葉につられ、ホットケーキをオーダーしていた。
食べ物の価値をカロリーでしか判断できないタイプか。
コーヒーとガトーショコラだ。
コーヒーはしっかり苦みが効いている。ガトーショコラは濃厚で、コーヒーとの相性がバツグンだ。
美味しいケーキは他でも食べたことはあるが、森の中で鳥のさえずりを聞きながら食べることは、あんまりない。
こういうシチュエーションで食べると、普段の3倍美味しく感じる。
僕は今、とても貴族的な気分になった。
軽井沢の別荘から、ふらりとこの喫茶店を訪れたような気持ちになった。
「泥だらけになって冒険したり、廃墟や廃村を探索したり、車中泊したりしている人の気が知れないね。休暇はこうやって優雅にコーヒーをたしなむに限る。」とか発言した。
ちなみにこの数日後、また東北の沿岸部で震災復興ボランティアをし、とんでもない土木作業をする。
だがこのときの本人は夢見がちなので、そっとしておいてやってほしい。
お布団。
…じゃなかった、ホットケーキだ。
フッカフカであり、そして巨大である。しかも2枚。
その1枚だけでも、手を広げたよりも大きい。
これはとんでもないボリュームだ。
昼にピザを食べたばかりだというのに、友人の胃袋の宇宙的な広さに畏怖の念を抱く。
本人は大喜びをしていた。
シットリとフワフワの、ちょうど中間くらいの絶妙な記事のホットケーキ。
これは上質な飯テロ画像になるぞ。
深夜にこの写真を見ながら感想を執筆しようものなら、禁断の夜食に手を出しかねない。そのくらいの求心力のあるホットケーキだ。
僕も少し食べさせてもらった。
弾力に歯も唇も埋もれた。
「おいしい」よりも先に「うれしい」と感じてしまうような、ホットケーキであった。
ただただゆっくりと、時間が過ぎていった。
とても幸せなティータイムであった。
オーナーのおばあちゃんとも少々話したが、とってもユーモアがあって楽しいおばあちゃんだった。
ジョン・レノンの記憶
伝説のロックバンドであるビートルズ。
そのリーダーであり、世界的なミュージシャンがジョン・レノンだ。
お店の歴史と共に、ジョン・レノンを振り返ってみたい。
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この離山房がOPENしたのは、1977年5月だそうだ。
一方、これまでビートルズとして忙しい人生を送っていたジョン・レノン。
「オノ・ヨーコ」との間に息子の「ショーン」が生まれたのを機に、音楽業を少々休止し、主夫となった。
そして1977年から、夏の間は3ヶ月ほど家族で滞在し、軽井沢もその拠点としていた。
「万平ホテル」というところに泊まっていたそうだ。
そこから家族と自転車でフラフラ近所を走っていたらしい。
とあるとき、離山房創立者の友人からここの存在を知った、ジョン・レノン一家がこの店を訪ねてきた。
ジョン・レノンはこの店を気に入り、常連客になったそうだ。
そして、次の年である1978年も、さらに翌年の1979年も、軽井沢長期滞在時にはここに来るようになったという。
さすがに超有名人なので店内ではいろいろ不都合がありそうだったので、一家がもっぱら使っていたのは、お店の敷地内にある東屋であった。
その東屋は、現在もしっかり残っている。
ジョン・レノンは、この東屋でノンビリと過ごしていたのだ。
ジョン・レノンは、ここで幼いショーンの身長を木に刻み付けたりした。
そのときのシーンは店内に写真で残っている。
そして、その木は今もあり、身長を測った痕跡が残っている。
また、最後の訪問の年であった1979年に、若かりし頃のオーナーのおばあちゃんと一家とで、東屋の前で記念撮影した写真も、パネルになっている。
この店には、いたるところにジョン・レノンの思い出があるのだ。
最後の1979年には、ジョン・レノンはこの店にメガネとライターを忘れていった。
「また来年に来たときに、返そう」と思っていたが、それを本人に返すことはできなかった。
1980年に音楽活動を再開し、にわかに忙しくなったジョン・レノンだが、今から40年前の1980年12月8日、暗殺されるからだ。
世界中がショックを受け、嘆き悲しんだことだろう。
僕はビートルズの活躍もジョン・レノンの死もリアルタイムでは知らない。
しかし、2009年にキング・オブ・ポップと称された「マイケル・ジャクソン」が急死したときの世界の衝撃なら知っている。
ジョン・レノンのときも、世界はあのようになったに違いない。
なお、忘れ物のメガネやライターはその後遺族に返却され、レプリカが今も店内に展示してある。
2020年現在はさらにオーナーさんも代わり、既に例のおばあちゃんは引退されているが、伝説の息づく貴重なスポットだ。
さて、さっきご紹介したホットケーキに再びご注目いただきたい。
わかるかな?
お皿の右上から、ジョン・レノンが覗いているのが。
3方位にジョン・レノンの似顔絵が描かれた、特別製のお皿だ。
これを見てみるのも楽しいかもしれない。
さて、少し日も傾いてきた。
このまま寝れるほどにいい気候だが、そろそろ僕らは家路につく。
おばあちゃんに別れを告げ、貴重な体験に感謝をして、車に乗り込んだ。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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