最初に断っておく。
これは、僕が宿に1人泊まり、ゴロゴロして酒飲んで、ご飯作って食べて、そして温泉に入るだけの物語である。
それ以上でも、以下でもない。
しかし、それが最高だったのだ。
「客舎(かくしゃ)」と呼ばれる宿泊施設に泊まったこともそうだし、全てが凍てつくような真冬だったのも、味わい深さの調味料となってくれた。
さらに、1人旅であったことで侘しさもプラスされた。
総じてかなりレアな体験ができたので、ぜひ「客舎で過ごすとはどういうことか」を知っていただきたく、執筆をする。
【世界】雪深く、レトロな温泉街
訪れたのは、黒石市の「温湯(ぬるゆ)温泉」。
雑な表現をするなら、青森市のちょっと南くらいである。
2月上旬。1年で一番寒いであろう時期を選んだ。
季節と温泉の相性がバツグンであると、自己解釈したためだ。
とりあえず、スタッドレスタイヤなのに道路滑る。
地元の方は平気な顔で運転しているが、僕は恐怖でハンドルを握る手もガッチガチだ。
ダメージの蓄積された温泉街のゲート。
旅情がかき立てられ、胸が躍る。
さて、時系列的にはここで宿にチェックインをしてから、改めて温泉街を散歩することとなる。
しかしこの記事では、温泉街のご紹介を先にまとめて実施しよう。
「土岐客舎」。昭和テイスト溢れる建物だ。
とりあえず、屋根の雪の厚みがえげつない。
冒頭の通り、客舎とは宿泊施設の形態の名前だが、この土岐客舎は宿泊業を取りやめているというウワサも聞いている。
土岐客舎からちょっと進んだところには、「土岐商店」。
正面に見えているのが、その商店だ。お酒やちょっとしたオツマミを売っている。
ちなみに、右側に映り込んでしまったのが、僕が今晩宿泊する「後藤客舎」だ。
右側は、「白秦商店」。
屋根の部分に「精米・製材」と書いてある。
少なくともこのときは、お店はクローズしていた。
この商店の左上部分が「たまんねー!」って思ったので、近づいてズームしよう。
モナリザとか飾りたくなるような重厚な額縁みたいなものが張り付いている。
本来は店名だとかを入れるものだろう。
その横の「ハウスカレー」がかわいすぎて身もだえする。
願わくば、カレーの写真を隣の額縁に入れてあげたい。
その商店の左隣に映っている建物に近づき、見上げてみた。
屋根の上の雪。
白くて丸みがある一見ゆる系のシルエットだが、落下の際の殺傷能力は高かろう。
姿かたちだけで相手を判断できない、という教訓となりかねない。
「盛萬客舎」。ステンレスをオシャレに着こなす建物だ。
2階右側に「盛萬」と書かれた石板が張り付いている。ここだけギリシャっぽくてかっこいい。
さっきのハウスカレー商店も、こんな感じで店名が入るのが本来だったのだろうか。
実は、ここは2018年くらいに営業を辞めてしまったらしい。
こうしてひっそり、かつての文化は消えてゆく。
「飯塚旅館」。外観だけなら、この温泉街の中で一番僕好みだ。
この温泉街のあらゆる歴史を知っていそうな、重厚な木造の建物。
ここは昔は「飯塚客舎」という名前だったそうだ。
業態を少し変え、今は旅館になっている。
さて、客舎の定義をまだご説明してないのがちょっと苦しくなってきたが、もう少しだけご辛抱いただきたい。
「鶴の名湯」。温湯温泉の共同浴場だ。
ここなしで温湯温泉は語れない。
2001年にリニューアルされているので、周囲の建物に比べるとピカピカだ。
写真の一番左に、軒だけ映っていて見切れている建物がある。
少し構図を左に向けてみよう。
後藤客舎。僕の宿泊する客舎だ。
目の前がすぐ鶴の名湯。
さて、客舎に戻ろう。寒かった。
僕も宮城県程度の寒さには慣れていたが、ここは別格だった。
そして散歩中もツルツルとずっと滑っていた。なんだこのアイスワールド。
以上、なんだかワチャワチャした温泉街紹介となってしまったが、次項でいろいろと、この温泉街のカラクリをご説明したい。
【文化】客舎のある、魅惑的な暮らし
客舎とは、青森県にかつて多く見られた宿泊施設である。
特徴は以下の通りだという。
- 内湯がない
- でも温泉が近くにある
- 食事が出ない
- でも自炊施設がある
例外はあるのかもしれないが、こんなところだ。
僕の宿泊する後藤客舎は、上記の条件を全て満たす、昔ながらの客舎の最後の生き残りだと聞いている。
だからこそ、ここに宿泊したかったのだ。
しかし、なんでこんな宿泊形態なのだろう。
それは、「湯治客が長期間安価で過ごせる温泉街造り」を突き詰めた結果である。
宿に内湯が無ければ、それだけ維持管理費が浮く。つまり宿泊料金を抑えられる。
お風呂は、共同浴場に行けばよい。
宿にて食事を出さないのも、同じく宿側のもろもろの経費を抑えるためだ。
その代わり、宿泊者は宿の自炊スペースで自炊をすればよい。旅館の豪勢な食事よりもずっと安く済む。
さてさて、これを踏まえて、前項でご紹介した温泉街の立地を今一度復習したい。
戦略的に練りつくされた街並みが浮かび上がってくると思う。
鶴の名湯を取り囲むように宿泊施設。
まぁ今でこそ旅館・民宿・ホテルなどがあるが、かつては客舎が多くを占めていたそうだ。
そして、客舎で長期間湯治をする人用に、商店がある。
ここで酒や食材、日用品を売る。
さらには床屋・薬屋・歯医者・整骨院…。
生活に必要な施設は周囲に全て揃っていたという。
そして、湯治客は客舎内で交流して一緒に料理して晩酌したり、共に山菜とかを取りに山に分け入ったり…。
温泉と湯治客を中心とした、1つのコロニーが形成されていたようだ。
しかし、21世紀にもなるとそんな文化はほぼ消滅している。
自炊湯治をする人もあまり見かけなくなったし。
客舎は閉業したり、業務形態を旅館に変えたりしているそうだ。食事だけ希望者に提供したりしているところもある。
今一度言おう。
この後藤客舎のみが、旧来の宿泊のみのスタイルを貫いている。
そんな後藤客舎がなくなってしまったら…。
オーナーさんが引退したり、方針が変わってしまったら…。
そう考えると、いてもたってもいられない。
今のうちに生粋の客舎を体験しておかねばならないのだ。
きっと今回の旅は、我が人生においての貴重な財産となるだろう。
【建物】文化遺産レベルの客舎を見よ
前項の最後でちょっとかっこいいセリフを吐いたが、基本ゴロゴロしたいだけだ。
その怠惰なライフスタイルを後押ししてくれる後藤客舎の詳細を、ご紹介したい。
後藤客舎は古い建物だ。
80代くらいであろうオーナーのおばあちゃんに、「築何年くらいなんですか?」って聞いてみたが、答えは「わからない」だった。
Webでも調べてみたが、一律「わからない」しか出てなかった。
しかし、どうやら江戸末期から明治初期くらいの建造物らしい。
明治元年だとすると、1868年か?
150年以上も前の建物!?文化遺産レベルだ。
入口を入って、すぐに左を向いた構図。
土間が続いており、土足のままズカズカと入っていけるスタイル。
あと、建物は外も中もメッチャ古いが、掃除が行き届いて綺麗だ。
写真右端の飾りつけなどにも、オシャレさを感じる。
僕の部屋は、上の写真で見えている一番奥だ。
部屋の前から入口方面を振り返る。
右手のガラスの向こうは外である。外には鶴の名湯が見えている。
とりあえずこの厳冬期において、今の僕と外とを隔てているのは古いガラス1枚。
建物には断熱材なんて入っていないだろう。
つまり建物内部は外とほぼ同じ温度だ。死ぬほど寒い。
食材などいろいろ持ってきているので、車と部屋とを3往復ほどした。
部屋の前に荷物がギッチリ積まれた。
これから始まる1泊2日のパラダイスに、ワクワクが止まらない。
ちなみに、宿と駐車場は少しだけ離れていて、それを繋ぐのがこの路地だ。
緩い斜面で、雪たっぷり。日陰でやや固まっている。
もちろん滑ってやった。
滑ってしまったのではない。滑るに好条件だったので、ここはあえて「滑ってやった」と表現しておきたい。
次に、客舎内の間取りをご紹介する。
これが壁に貼ってあったのが、プリンタの「濃い」ゲージが振り切れてしまっているような気がする。
この地図からは漆黒の闇しか感じない。
なので見やすいように僕が別途書き起こそう。
こんな具合だ。
部屋を出るときには靴を履き、そして外と同じレベルで寒いので上着を着こみ、そしてなるべく短時間で要件を済ませるスタイルで過ごした。
上記が、客舎内の奥方面へと続く土間通路だ。
僕の部屋からトイレに行く際にも、この道を使うこととなる。
しかし客舎内のトイレは遠いのと、上記の通り通路が暗くって怖いので、僕は鶴の名湯のトイレを使っていた。
そっちのほうが近いし近代的だと判断したからだ。
探検していると、1組別のお客さんが来たので「こんにちは」と挨拶をした。
今晩はどうやら宿泊客は2組らしい。
【生活】客舎でゴロゴロ過ごそう
①ウェルカムドリンク
これが、僕に割り当てられた部屋である。
広い。10畳あるようだ。
そして、おばあちゃんがあらかじめストーブガンガンつけていてくれていた。
ありがたい。ここでは上着を脱いで過ごせる。
翌朝の写真だが、反対方向からの構図だ。
TV・冷蔵庫・ストーブ・電気ポットもあるぞ。
1人暮らしにはことかかない装備だ。
座卓の上にはリンゴが2つ用意されていた。
さすがリンゴ王国青森である。
※ 残念ながら僕はリンゴを食べられないのだが、自宅にお土産に持って帰ったところ「非常においしい」と言われた。それは良かった。
あと、鶴の名湯の入浴券が1枚置いてあった。
内湯が無いので、宿泊料金にデフォルトで1回分の入浴券がついているのだ。
250円で鶴の名湯に入れるのか、安い。
せっかくだから夕方と明日の朝、2回入ろう。
とりあえず、まずはお酒だ。
自分で用意をしたウェルカムドリンクだ。
温湯温泉には残念ながら大きなスーパーなどは無さそうなので、さきほど黒石市街の業務用スーパーに立ち寄り、食材をいろいろ仕入れておいた。
10畳もあるのでポジショニングは自由だ。
適当な位置にデレッと座り、読書しながら酒を飲んだ。
ときどきガラス窓から外の雪景色を見たりした。
最高だった。
他には何もいらなかった。
②黄昏時の温泉へ
日と外を見ると、ツララごしに濃紺の空が見えた。
そろそろ夜が来る。
※ あえて時計を見ずに過ごしていたが、このとき17:30頃だったらしい。
この時間帯の空が好きだ。
なので、温泉に行くことにした。
もっとも、温泉まではゆっくり歩いても10秒だが。
共同浴場、鶴の名湯前。
左端ギリギリくらいに、後藤客舎の僕の部屋が写っている。近かった。
鶴の名湯の由来は「400年くらい前、鶴が湧き出ているお湯に浸かって傷を癒していた」という伝承から。
正直、全国の温泉で結構ある由来だが、鶴はケガをしやすく温泉で傷の療養をする習性があるのだと思えば、なるほど納得である。
入口には鶴のレリーフ。かっこいい。
そしてこけし灯篭。
津軽こけしというジャンルがあるらしく、中でもここ黒石市は力を入れて入るっぽい。
こけし灯篭もその工芸品の1種類なんだとか。
灯篭の間接照明が、薄暗い雪景色をボンヤリと照らす。
旅の風情を表すメーターが、一気に振り切れた瞬間である。
*-*-*-*-*-*-*
共同浴場の中は、すごくピカピカだった。
しかしその分、風情は少々控えめだったと記憶している。
露天風呂は無く、内湯のみ。
シャンプーや石鹸などの標準装備もなく、あらかじめそれを見越して持ち込んでおいて正解であった。
湯舟は2つあり、42度と44度の設定とのこと。
44度はかなりの攻撃力の高さだな…!
試しに入ってみたが、痺れるような熱さであった。
無理。42度でも、そこまで長時間は入れぬ。
風呂上りは、しばらくこの凍り付いた屋外で涼んだ。
ちょっとおかしい人と思われるかもしれないが、そのくらい温まったのだ。
温湯(ぬるゆ)温泉は、その発音から「ぬるい温泉なのかな?」と思われがちだが、実際は逆らしい。
「めっちゃ熱くて温まる」から、温湯というらしいのだ。
それを僕は今、身をもって証明しているところだ。
③夕食を作り、そして早く寝る
夕食を作ろう。キッチンへ行こう。
前述の通り部屋の外は北極みたいな気候なので、あらゆる服をモコモコに着込んだ。
結果、普段より2周りくらいデカいシルエットとなった。
誰、オマエって感じになった。
まずは水が出ない。蛇口が凍っていてひねることができない。
こんな蛇口をひねることができるのは、プロレスラーだけだ。
でも、なんでも筋肉で解決するのは良くない。
オーナーだって80歳くらいのおばあちゃんだ。力まかせの生活をしているとは考えにくい。
『水導と温泉は もと線をねじってください』
ヒントが書かれていた。
元栓をねじるのか…。
どこに元栓があるのか探すところから始まり、この時点で既に凍死しそうなんだけど、キッチンの流しとは反対の隅にハンドルを発見。
よくわかんないけどねじった。
※ ところで貼り紙記載の「温泉」とは何だったのだろう。謎だ。
元栓を開いたのだが、流しの蛇口は凍り付いたまま動かない。
そりゃそうだ。凍った蛇口が解けるハズもない。これは春までこのままだろう。
途方に暮れること数分。
「何か」が水道管をゴウンゴウン言いながら駆け上がってくる振動を感じた。
水だッ!
そして、水道管を目で追うと、流しの蛇口ではなく、キッチン中央の平台みたいな場所に設置されている蛇口に繋がっているぞ。
なるほどナゾは解けた!
平台の蛇口をひねる。
水道管の支柱が一瞬ブルブルッと震えたあと、
ブボボボーーッ!!!
って雑に水が出てきた。
服に飛び散ってとても冷たいのだが。
まぁでもファーストミッションクリアだ。
やかんでお湯を沸かそうと、コンロの上に置いてあったやかんを手に取る。
鈍器のような重さと強度であった。
誰かがタップリと残した水が、コッチコチに凍っていたのだ。恐ろしい。
鍋でお湯を沸かし、そして調理開始。
温かい。コンロの火に当たりながら調理をする。
実は、本当は鍋料理を作りたかった。
しかしチェックイン前に訪れた業務用スーパーの品ぞろえが偏っていたのか、白菜や味噌などがなかった。
とりあえず、ラーメン買った。
青森産イリコだしのラーメンにする。チャーシューの代わりはベーコンだ。
完成したら、鍋を自分の部屋に持ち帰る。
部屋のストーブの温かさが身に染みた。
では、レッツ・パーリータイムだ!!
あつあつラーメンが、体の中を駆け巡る。
冷たいビールがそれを程よくクールダウンさせる。
1人、鄙びた和室でハフハフとラーメンを食う。
シュールかもしれないが、確実に僕は今、客舎をエンジョイしている。
もうこれでやることはほぼ無い。
食後にゴロゴロして、読書して、少しTVを見て。
ちょっとしてから食器を洗いにキッチンに行くと、同泊の女性と出会った。
「自分は毎年この時期にここに来ているが、同泊の人に出会ったのは初めてだ」と言われた。
この過酷な環境下で宿泊に来る人は、よほど珍しいらしい。
僕は「むしろその寒さに青森本来の暮らしがあると思って来た。なんなら今日は快晴だったが、吹雪いてくれてもよかったくらいだ。」と答えた。正直、ちょっと強がった。
コーヒーを沸かしてティータイムにした。
つくづく自由だ。
何者にも縛られていない。
オーナーのおばあちゃんもチェックインのとき以来、存在を感じさせない。
どうやら何かない限り、別棟の母屋にいるらしい。
たまーに、共同浴場に行く人が外を歩く足音が聞こえる以外は、とても静かなのだ。
ちょこっと襖を開けて、ガラス戸越しに外を見てみた。
まだ僕がいるのは土間なのだが、酔いが全て吹き飛ぶような冷気が部屋に入っていた。
共同浴場にはまだ灯りがついている。
22時まで営業しているらしい。今はまだ21時台だ。
そんな時間だが、寝よう。
やることないという理由もあるが、早く寝るということ自体にワクワクを感じている自分がいる。
田舎のじいちゃんばあちゃんの家を思い出すような、天井の照明。
全てが最高だ。
ニッコリ微笑み、僕は夢の世界に旅立つ。
④朝風呂に行き、そして朝ごはん
5時台に起きたようだ。周囲はまだ真っ暗だ。
震えながらストーブのスイッチを入れ、部屋が温まるまで布団の中でしばらく待機。
6時過ぎ、どうにか布団から這い出ることができた。
じゃ、風呂行こう。
朝のブルーアワー。
キンキンに寒くって、道路もコチコチだが、空気が神聖である。
この時間を狙っていたのだ。
後藤客舎を振り返る。
右奥に見えているのは盛萬客舎だ。
静かな朝に、佇んでいる。
鶴の名湯。もうオープンしている。
実はここ、朝の4時オープンなのだ。やたら早い。
湯治客のニーズを最大限くみ取った結果なのだろう。ありがたい。
熱いお湯に浸かると、体が溶けていくような心地よさ。
そして風呂上り。
僕、完全に整った。今日も元気にいこう。
ところで、日本海側の気候であるここ津軽地方で、冬の日に2日連続快晴とは珍しいな。日頃の行いに感謝。
朝に熱い日本茶をすする。どうよ、この詫び錆。
視線の先にあるのは、僕の抜け殻だ。
寒くなったら再びあそこにINする所存。
自分がコーヒー派であったことを思い出し、続けてコーヒータイム。
客舎は自由だ。
ひとしきりノンビリしたら、朝食の準備だ。
相変わらずキッチンは寒い。フル装備で挑む。
残った食材は、モヤシとベーコンとエノキ。
全部炒める。塩コショウで炒める。
本当はもっと凝ったものを作りたかったのだが、それはまたの機会にご紹介したい。
もっとも、おいしいものや手の込んだものを作りたいわけではない。
共同キッチンで何かを作り、そしてそれを食べる。
その工程を体験したいのだ。
それが何料理なのか形容しがたいものであってもだ。
…うまいよ?何か??
食後は読書をした。
ただただ、布団の上に転がって本を読んだ。
平和な時間がゆっくり流れていた。
【出発】そんな客舎に行ってほしい
そろそろチェックアウトの10時である。
荷物をまとめ、母屋のおばあちゃんに挨拶をする。
宿泊料金は3000円であった。
3000円でこんな素敵な体験ができるとは、人生儲けもんである。
ありがたい限り。
…客舎。
温泉地の生んだ独特の宿泊形態の施設。
古き良き湯治宿の暮らしをかろうじて現代に残す、「体験できる文化遺産」。
そう感じた。
いつまでも残っていてほしい。
たった1泊2日だが、この極寒の地での思い出は忘れない。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
住所・スポット情報