あなたが「小さい秋」を見つけていた頃、僕は「小さい地獄」を見つけていた。
きっと、そこに優劣なんてものはない。
視線の先が秋だったか地獄だったか、たったそれだけの違いなのである。
…って言わせてほしい。
なんだか目の前は阿鼻叫喚の由々しき事態なので、僕も少々驚いているのだ。
普談寺を参拝する
今回僕が目指しているのは、「大悲観 普談寺(ふだんじ)」というところである。
道はなかなかにわかりづらい。
さらに結構な狭さ。
写真の右手のガードレールの向こう側は、車道と並行して川だ。
ここを確か、前方に見えている橋を渡って右手に入っていったと記憶している。
擦れ違いが困難な住宅密集地で、少々オドオドした。
…だけども無事にお寺の駐車場に到着できた。
結果オーライだ。
静かな境内には他に参拝客もなく、お寺の人が落ち葉を掃除していた。
決して観光地化されているわけではないのだろう。
地元の人たちによって大事にされてきたお寺に、よそ者の僕が少しだけお邪魔させてもらう構図だ。
まずはしっかりとお参りをしよう。
実は本題はこっちではなくって別にあるのだが、お寺に来た以上は最初にお参りをするのが流儀であろうと考えた。
早くコロナウイルスの流行が収まるようにと祈ろう。
さて、これは山門だろうか?
その奥に苔むした階段が続いているのが見える。
山門の中の仁王像だ。
なるほどなるほど。絶妙なクオリティだ。
「素晴らしい造形ですね」とは言いにくい。
かといって「なんだこりゃ。ユニークすぎる。」と切り捨てることもできない。
小学5年生が一生懸命作ったような、「うん、がんばったね」と無難にコメントさせていただきたいクオリティである。
あー…。
吽形に対して、阿形はさらに難しいよな。
開いた口に威厳と畏怖を持たせるのも、振り上げた動きのある腕を表現するのも難しい。
ただ単純に目を大きくすれば迫力を持たせられるのかといえば、そうではない。
なんか、長湯して真っ赤になったお風呂上がりのお父さんが、腰にタオルを巻いてリビングに登場したら、ちょっと時間を勘違いしていて楽しみにしていた野球中継がもう始まっていた上に、応援している球団が早々にピンチ…。
そんなシチュエーションである。
山門の先、観音堂へと続く階段だ。
秋晴れの散歩道。なんて気持ちのいい天気なのだろう。
空気も澄んでいて、「今とても心身にとっていいことをしているぞ」という思いを噛みしめながら階段を1段1段と上る。
まぁこのあと記事タイトルにもある通り地獄を見て「ひゃー!」とか言うのだが、それはまだナイショだぞ。
階段の上には、箱庭のように広場があった。
陽だまりが心地よい。綺麗に手入れされているね。
中央に鎮座しているのが観音堂だろうかね。
冒頭に書いた通り、ここは越後三十三観音霊場の1つなのだから。
ところでここの、扁額(へんがく)がすごかった。
これね、お堂の屋根の下とかについている、木の看板のようなもの。
「〇〇寺」とか書いてあるケースが多いうのだろうが、これは読めなかった。
写真に撮り忘れて非常に悔しかったので、手描きで忠実に再現した。
完全に象形文字だこれ。
縄文時代の洞窟とかから出てきそう。
そんで内容は「晴れた日に西の草原でで鹿を4匹捕まえたよ」みたいな感じだったりしそう。
観音堂の少し奥側の光景がこれだ。
晩秋の低い日差しが、紅葉を際立たせているようだった。
広場が輝いている。
向かって左側、鳥居の奥は木々に囲まれた小さな丘になっていた。
石碑には「天徳稲荷」と刻まれていた。
そして、木々の奥には社が1つ置かれていた。
ここでもひとまずお参りしておこう。
「弘法大師」かな?
広場の一角に佇む彼に挨拶をし、そしてまた階段を下る。
地獄と極楽の狂演
イッツ・ア・スモールワールド
階段の下に本堂がある。
すごくピカピカに整備されている。
しかし、今回は本堂には用事は無いのだ。
クルリと僕は後ろを振り向く。
もしあなたが当ブログを見て普談寺に行こうと思うなら、この位置関係をしっかり覚えておいてほしい。
本堂の正面だ。
それを示す情報は一切ない。
建物の外から、その雰囲気を窺い知ることも困難だろう。
角度を変えてもう1枚掲載しておく。
この古びたスーパースリムハウス。
もしこれが農家の庭にあったら、「クワとか鎌とか、あるいは掃除用具でも入っているのかな?」と思ってしまうだろう。
…甘いな。
この中には、地獄と極楽が渦巻いているのよ。
上の写真の通り、小屋にはガラス戸がはめ込まれている。
ちょっとガラス越しに中を覗こうか?
ギャー!
えらいこっちゃー!!
壮絶なイジメがおこなわれておる!
鬼がキッズを蹂躙しておる!
鬼、きっと声高らかにゲラゲラ笑っているヤツだ。
そりゃあね、こんだけの身長があって金棒まであるもん。
小さくてぷにぷにで半裸のキッズ相手だったら思う存分に無双できるわ。
爽快爽快、マジ恐ろし。
…ちょっ、待ってね。
今は不意打ち食らっちゃったからね、僕。
しっかり深呼吸した後、ちゃんと端から順番にガラス戸を開けて、落ち着いて見て行こうね。
ガラス戸の内側が、これだ。
世界観が3つに区切られている。
人間は入るスペースはない。
ちょうど、押し入れの扉をガラリと開けて眺めているような構図をイメージしてほしい。
そこにミニチュアの地獄や極楽が再現されているのだ。
「イッツ・ア・スモールワールド」なのだ。子供がギャン泣きする系の。
地獄の世界
さぁさぁ、今まさにあの世への扉が開こうとしているぞ。
手前のヌーディストたちが一般ピーポーですな。
そして右奥のセレブリティなかっこをしている御仁たちが、この先の命運を握っている裁判官たちだね。
最奥の赤くいてデカいおっちゃんが、かの有名な「閻魔大王」だ。
まずは三途の川で僕らを迎えてくれるのが、向かって左の「奪衣婆(だつえば)」だ。
三途の川にやってきた人々の服を剥ぎ取る婆さん。
あなたも小学生の頃、外で遊んで泥だらけになって帰宅したら、お母さんに「すぐ服を脱ぎなさい!洗濯するから!」と怒られたことがあるだろう。
アレの最終形態だ。せいぜい懐かしめ。
ホントはここから流れ作業的に懸衣翁(けんえおう)という爺さんがその服を木に掛けるんだけど、いないね。
服は干されているので、やることやったあと、休憩シフトに入ったんだと思う。
そして、服を掛けた木のしなり具合で、生前の罪の重さが判断されるのだ。
この時点で、重い冬服はピンチだ。夏を選んで旅立ちたい。
これは人頭杖(にんずじょう)っていう男女の生首みたいな便利アイテムだ。
男性の首が悪事を見抜き、女性の首が善事を見抜く。
僕のとき女性の首、ちゃんと仕事をしてくれよ?寝るんじゃないぞ?
浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)は、生前の悪事をうまいこと編集した動画を再生する大型ディスプレイだ。
懐かしい悪事の数々をダイジェストで見れるのか。
きっと他人の家の郵便受けにスモークサーモンをぬるりと入れたシーンとか、チホちゃんにちょっかい出し過ぎて死ぬほど嫌われたシーンとか、第三者目線で見れるんだろうな。
ちょっと恥ずかしいけど、ナレーションは任せてくれ。
悪事を可能な限りユーモラスに表現し、印象を良くしたい。
そして、裁きのときだ。
僕はいつも面白いほどに紙一重で最悪の結果を回避するタイプだから、今回も地獄行きはギリッギリで避けられると信じたい。
地獄行きはなかなかハードモードである。
上記の通り、鬼たちにフルボッコにされるのだから。
…なんで人間で餅つきするのさ。
万年正月か。
※とりあえず人間界の正月は短いから、このエピソードは人間界の正月に合わせてUPしようか。
絶望に沈む人々。
某北の国のニュースに映る人々のように、演技じゃないかってくらいにわかりやすくヘコんでらっしゃる。
右端のおっさんの後ろに、鬼の手首が転がっているでしょ?
たぶん「鬼滅の刃」に登場するかのようなヒーローが、実は潜んでいるんだと思う。
右端のおっさんか、それとも左で土下座しているオマエか…。
いずれにせよ、修羅場である。
閻魔大王とその傘下の面々も、責任重大である。
人間のその後を決める重大な局面なのだから、誤審はできない。
その気持ちもわかる。
もう粘土人形を作るのもめんどくなってしまったのか、絵画で記してあるが、地獄に落ちた人間の末路は凄惨だ。
トップってのも、ツラい仕事だよな。
どちらの決断をしても、恨む人間はいる。
一都三県に緊急事態を出そうが出すまいが。
GoToトラベルをしようが辞めようが、再開しようが。
そんな濃縮されたシナリオが、押し入れの一角にギュッと入っているのだ。
素晴らしいこと山の如し。
賽の河原
先ほど少し触れてしまったが、次に賽の川原ゾーンについて触れたい。
全景だ。
説明書きだとかはないので、「保育園でも表現したのかな?」と一瞬思ってしまったが、一呼吸置いた後に賽の河原ではないかと判断した。
圧倒的の戦闘力で、幼児たちを駆逐する赤鬼よ。
なんだそのエクスタシーの表情は。
完全に業務の範疇を凌駕し、悦に浸ったヤバい顔をしている。
青鬼もいるぞ。
彼らは、賽の河原で石を積む子供に対し、その作業を邪魔しているのだろう。
親より先に死ぬ子供は、親不孝者だ。
こうやって、賽の河原でエンドレスな積み石作業を続けている。
あとはね、鬼が「壊すのももったいない」と思うほどのアーティスティックな石積みを披露するしかないのだろうね。
ロックバランシングだ。
これは生前に勉強してもよいだろう。
黒鬼のスキをついて一発逆襲をするのは、僕のかつての同級生の野本君に似た子供だ。
彼、全然悲観した顔をしていない。
むしろマインドは鬼滅隊だ。
でもね、僕の見立てによるとこの黒鬼だけは、根っからの悪ではない。
たぶん最終的には「いいか、俺たちの見張りは朝6時から深夜24時までカンペキだ。脱獄しようとだなんて考えるなよ。ちなみに、最近トイレから悪臭がするから、トイレの窓は換気のために開けてあるぜ。」とか、ヘタなアドバイスをするんだと思う。
そんな有相無相を高みから見物しているのが、彼だ。
地蔵菩薩だ。
どうやら役柄的には、最終的に子供たちを救う存在らしい。
ホントか?このシチュエーション的に信じていいのか?
映画であれば、おそらくは真の黒幕である。
だが、これ以上を僕が語ると「おや、こんな時間に誰だろう?」 の文章を最後にブログ終焉となってしまうので辞めておく。
極楽浄土
最後だ。おそらく極楽浄土を模したゾーンだ。
うん…、そっか。
ちょっとレトロテイストな極楽である。
もっとレッツ・パーリーみたいな感じで、ピザ食べたり夜遅くまでカラオケしたりできればいいのだが。
田舎のおばあちゃんが「ほら、煮っころがしよ。美味しいでしょう。最高でしょう。」と言ってくるかのような、価値観のズレを感じかねない。
いかんせん、国土の大半が風呂だしな。
昭和テイストをバキバキに押し出した、青いタイルの湯舟。
「エモいー」って言ってTwitterに上げるところまでで、関心が薄れてしまうかもしれない。
そのあとどうやって過ごすよ、ここ。
なんだかわからないけど、湯舟の外も液体だったわ。
何だこの構造。
国土の大半が風呂って言ったけど、国土全部風呂だったわ。
もうずっとビチビチやねん。
うらめしそうな視線も感じた。
風呂地獄か、ここは。
体は綺麗になっても、心は綺麗にならないのか、ここは。
創立者と幹部たちが、上から見下ろしている。
ってゆーか、幹部たちは温泉リゾートの余興として踊りとか見せてくれそうなカッコをしている。
これまた昭和っぽいサービス精神だ。
こういうケースって、大体ユーザの声はTOPまで届いていない。
顧客満足度はいかほどだろうか?
まぁ僕も、レトロ好きなので1泊2日くらいだったらいいかな…。
あの世を知り、そして己を見つめ直そう
ところで、この地獄極楽ジオラマセットはいったい何だったのだろう?
それについて、僕自身で調査をしていなくって大変恐縮なのだが、以下のWebサイトを参考にご紹介したい。
「にいがた観光ナビ」様のWebサイトである。
それによれば、これは「地獄極楽像」という作品。
先代の住職の時代に作成されたものなんだとか。
それが今から何年前なのかはわからないが、劣化具合からも数10年はゆうに経過していると判断した。
そして、地元の幼稚園や小学校の授業の一環で見学させたりもしているのだそうだ。
いいことをすれば天国に行き、悪いことをすれば地獄に堕ちる。
誰もが子供のころから聞いたことがある話。
絵本などではなく、こういうかたちで住職から説明などされれば、子供心に響くものもあるだろう。
しかしながら、子供を脅すばかりではなく、どこか愛嬌のある造形。
そこに住職の人間性を感じた。
大人になると薄れゆく、こうした死後の世界観。
そりゃそうだ。みんな今を生きるのに精いっぱいだ。
だけども、今一度僕らは地獄極楽像を見て思い返すべきなんじゃないかな。
正しいことを正しいと言え、そして頑張った人がちゃんと評価される世の中。
それを実現できているのかどうか。
うんこれ、2020年に「半沢直樹」が言ってた。
このヒリついた世界に、2021年も幸あれ。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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