愛知県の北部に「布袋大仏」という大仏がいる。
有名な観光地ではないので、ピンと来ない方が大半だろう。
しかしこの布袋大仏を「サングラス大仏」と表記すると、その知名度は100倍くらいに跳ね上がる。
(100倍になっても知っているのは大仏マニアやB級スポットマニアだけだと思うけど。)
今回は、2回訪問してようやく満足の行くサングラス姿を撮れたお話をしよう。
あと、ちまたではサングラス姿が有名になり過ぎ、逆に素顔を知らない人までいるのではないだろうか。
ならば本来の"布袋大仏"としての姿も同時にお見せしよう。
闇夜にサングラスはいらない
高速道路一宮ICを降りた。
時刻はすでに18:40であった。もう夕焼けの時間も後半だ。
いろいろあって予定よりかなり遅れてしまった。
ここからサングラス大仏までは9㎞弱。
暗くなるまでに到着できるだろうか。
そんな焦る思いでハンドルを握るが、愛知県の都市部の交通事情は甘くない。
たかが9km、されど9km。
車も多いし信号も多い。みるみる空は暗くなるのだ。
19:05、サングラス大仏に到着。
どこに車を停めればいいのかわからず、さらに数分をロスしてしまっていた。
もう空はほぼ真っ暗だ。
しかしさらに課題がある。
サングラス大仏、どこから撮影すればよいのだろう?
誠に失礼な話だが、僕は大仏に参拝したいわかでもなく、素顔の大仏を撮影したいわけでもない。
冒頭の写真の通り、大仏にサングラスをかけたいのだ。
その撮影ポイントはどこだ。
サングラスは踏切警報灯ってことは知っている。
つまり線路を渡らなければならない。
大仏のすぐ近くには踏切がある。
そこを渡った。
上の写真で赤囲みしたのが大仏である。
とりあえず、僕と大仏の間に踏切を設置できた。
えっと、ところでサングラスはどれだ?
道路の反対側に渡ってみた。
踏切警報灯、上の写真の赤囲みだろうな。立地的に他に候補は無いと考えた。
これが大仏のサングラスだ。
次に、踏切警報灯と大仏の顔がうまく重なるポイントは…!
早く、早く探すんだ!でないとマジに真っ暗になる!
調査不足であった。このくらい、事前に調べればきっとWebのどこかに情報があっただろうに…!
付近をウロウロする。
道路のどこかだと思ったが、違う。
脇の墓場だ。
そこからズームだ。
上の写真の中央、小さな赤囲みの中に大仏の頭だけ写っている。
そして写真の下半分の真っ黒なのは墓場の暗がりであり、上半分と下半分の境目には墓石のシルエットが見えている。
そんな立地。
もうすでに足元もロクに見えない墓場に入り、大仏にカメラを向ける。
…暗い!
大仏の輪郭がおぼろげすぎる。
闇に溶け込みすぎている。
実は大仏がライトアップされている可能性も1%くらいあるかなって思っていたが、全然そんなこともなかったしな。
コントラストを最大まであげてみた。
それでも満足いくような写真にはならなかった。
カンカン音が鳴り、遮断機が下がった。
踏切警報灯が赤く光り出す。
「踏切警報灯が赤く光れば、サングラスももっと映えるだろうか?」
そう思って僕は再び撮影する。
うん、全然無理。逆効果。
そうだよね、ライトを基準に撮影すれば大仏は闇に溶けるし、大仏を基準に撮影すればライトは明るすぎて目がくらむよね。
ダメダメすぎて笑えてくる。
これはこれで楽しいチャレンジだったが、再訪が必要だと痛感した。
青天のリベンジ劇
2023年、僕は再び一宮にやってきた。
最高にいい天気だ。まさにサングラス日和ってヤツだ。
言うまでもないが、僕が一宮にやってきた目的は1つ。
大仏にサングラスをかけるためだ。
太陽の下で。太陽のあってのサングラスだ。当たり前だ。
ほらごらん、サングラスもなんだか誇らしげに晴天に浮かんでいるではないか。
ま、これを見て"サングラス"と表現できる人間なんて、僕とあなたくらいしかないだろうけどね。(同士よ!)
再び墓場にやってきた。
キンキンに冷える朝。
お墓参りに来たおばあちゃんへの挨拶をすませ、カメラをセットする。
ズーム撮影するし、今回は後悔したくないので三脚も用意してきた。
これからサングラス大仏に行こうと思っている方は、上の三脚の位置を参考にしてほしい。
列車が通り過ぎるのを待ち、大仏にズームさせてシャッターを押す…!
サングラス大仏。
シュールすぎるお姿。
ファインダーを覗いた僕にも思わず笑みが浮かぶわ。
なお、電車が来ないときのサングラス大仏は、上の写真のように顔面の前に遮断器の棒が縦に入ってしまう。
なるべくその尊いお顔の前に(サングラス以外の)障害物を置きたくないのが、僕ら信者の心境であろう。
そんなときは電車が来るのを待つのだ。
踏切がカンカン鳴り出した。
これで遮断機の棒が下がり、お顔をしっかり拝見できるぞ。
サングラスが交互に赤く光る。
ファンタスティック。
何か大事なものをこじらせてしまった、ユニークすぎるサングラスの大仏様。
もうあとはあなたの思いのままだ。
サングラスの右側を光らせるのも、左側を光らせるのも、どちらも黒くするのも、両方赤くなるタイミングを狙ってみるのも自由だ。
カンカンカン…と鳴り響く軽快なリズムに乗って、シャッターを押しまくれよ。
今、大仏界に新しいファッションウェーブが押し寄せてきている。
そんな実感を得られた。
感無量だ。ありがとう、ファッションリーダー。
そもそも布袋大仏とは?
前章まで、ネタとしての"サングラス大仏"について執筆した。
でも、そもそもこの大仏はどんな大仏で、その素顔はどんな感じなのか。
僕らはそれも知っておかねばなるまい。
サングラスの奥に秘めたその素顔(真実)、スクープしてやる。
いきなり暗い写真で恐縮だが、最初に訪れた際に間近で撮影したらちゃんと顔が映ったし、空が幻想的だったので1枚掲載しておく。
多くの大仏や仏像にあるような「全てを包み込んでくれそうな穏やかなお顔」とはちょっと違う気がする。
なんかほうれい線とか濃いめだし。頭に対して体がちょっと華奢だし。
だけども「普通に近所にいるおっちゃん」みたいな親しみやすさは感じる。
最初はとっつきにくいかもしれないが、仲良くなればいざってときに頼りになるタイプかもしれない。
大仏の敷地は、たぶんだけど上の写真で写っているところが全て。
まぁまぁコンパクトな敷地であり、寺院的な建造物は無い。
…というのもこの布袋大仏、実は個人所有の大仏なのである。
1949年、この地で鍼灸師をやっていた「前田秀信さん」。
夢のお告げで「大仏作るぞ。そんでみんなを病気から救うぞ。」と決意し、5年をかけてこれを製作した。
そして1954年に完成。
その高さは18m。なんと「奈良の大仏」よりも2mも大きいのだそうだ。
時代はまだ終戦から間もなく、人々の生活も苦しかった。
そんな時代に私財を投げ打って大仏を作った前田さん。
全て手作業で、土地を整備したりコンクリートをこねたりするところから始めたのだそうだ。
大仏の脇には、当時の写真が何枚か掲示してあった。
1954年の開眼法要の写真もある。
当たり前だが、真面目な気持ちで造られ、そして当時のみんなが完成を祝った大仏。
ネタ的な観点から訪問した自分自身に少々後ろめたいものを感じる。
だけどもさ、「存在を知る」→「真実を知る」→「広める」のプロセス、大事だよね。
僕はちゃんとそれをなぞっているよね。
…って自分を納得させることにしよう。
あと、大仏から道路を挟んだ向かいに仏塔のようなデザインのコンクリートの建造物がある。
これは大仏関連のものなのだろうか?
Webでも調べたが明確な情報が見つからなかった。
ところで、この大仏の後ろ側はWeb上の情報もさらに少ない。
だけども唯一無二の特徴がある。
上の写真をご覧いただきたい。
木がジャマをして見えにくいが、大仏と結合して建物があるのだ。
向かって左の木札、かなり文字が薄くなって見えづらいが、「大佛治療院」と書かれている。
大仏を作った前田さんのお子さんが引き継いだ治療院だ。
あくまで2023年現在のWikipedia情報だが、この建物は住居一体、治療院も現役であるという。
確かに入口に「営業中」の札は下がっている。
でも本当か?今はまだ朝の8時前だぞ?
だが、僕はそれを確かめる勇気は無い。
頑張って確かめるほどの理由もない。
サングラス大仏。
それがユニークだとみんなが笑える世の中になったのであれば、大仏製作者の前田さんも本望なのかもしれない。
少なくとも僕にとっては、生涯忘れられない大仏となった。
ありがとうサングラス大仏。
煌めく朝日の中、僕は愛車に乗り込んでドライブを再開した。
以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。
住所・スポット情報
- 名称: 布袋大仏
- 住所: 愛知県江南市木賀町大門132
- 料金: 無料
- 駐車場: あり
- 時間: 特になし