大仏界にもイケメン至上主義の波が来ている…!
どうするよ諸君!!
これは由々しき問題ぞ!
「ただしイケメンに限る!」が仏法の世界にも適用されてしまったら、僕らの居場所は此岸にも彼岸にも無いのではなかろうか!!
…いや、失礼。少々取り乱してしまった。
お茶を飲ませてくれ。
… …うん、そうなんだ、「高岡大仏」の話なんだ。
そうそう、なんだかんだで僕もきっとあの大仏が好きなんだ。
今まで4回も訪問しているしな。
始まりは今と同じ1月、すごく寒い日の夜明けだった…。
真冬の夜明けのグリーン大仏
あれは日本3周目の真冬のことだった。
年明け間もない1月だ。
本当は長野県の木曽路巡りをしたかったのだが、狙っていた宿が満室だったのと、「やっぱとことん冬らしいドライブをしたいよな」ということで、いきなり能登半島一周をすることにした。
これは深夜に見かけたすごい幻想的な風景だ。
枯れ木にサラサラの雪がまとわり付いて枝が真っ白になっている。
寒いか寒くないかで言われれば、「よくわかりません」だ。
この光景に興奮した僕は、上着も着ないでパウダースノーと戯れたよね。
間もなく能登半島に差し掛かる。
そして間もなく夜が明ける。
1日を充実したものにするためにも、夜明けと同時にどこか一箇所観光したい。
そこで選んだのが高岡市内にある高岡大仏なのであった。
高岡駅のちょっと北にあり、公共交通機関を使うのであれば駅から徒歩10分ほどでも行けるそうだ。
高岡駅には日本1周目で立ち寄った思い出もあり、懐かしい。
そんなことを考えながら大仏を示す標識に従って走っていると、「こんな路地裏にあるのかよ?」みたいな細い道に入った。
そして唐突に上の写真の光景が出てきた。
大仏の脇からの小道をノロノロ走ってきて振り返ったらコレだった。
路地にいきなりライトアップされたデカい大仏。
ビックリしたし、ちょっとホラーな気分になった。
まだ明けきらない夜明け。
大仏の前にいる仁王像と、鳳凰的な鳥の像のシルエットがブキミカッコいい。
境内に入ってみた。
大仏がグリーンにライトアップされている。独特だな。
あんまり広くない境内にはところどころ雪が残り、本堂からはお経の声が聞こえてきていて、荘厳な雰囲気。
確か夜はライトアップしていると聞いていた。
早朝でもライトアップしているのかは賭けであったが、結果としてこのようにちゃんと照らされている状態の大仏を見ることができて良かった。
ただし接近して見上げた大仏の顔は、なんだか怖いと思った。
緑のせいだ。緑のオーラを纏われては、こっちもビビってしまう。そうに違いない。
…と、ありがたみも無い失礼な出逢いであったと振り返るが、こんな感じの初回訪問だったのだ。
僕もまだまだ若かった。
どんな琴線に触れたのか未だに謎であるが、日本4周目・5周目・6周目とキッチリこの高岡大仏を訪問している。
冷静に自己分析するのであれば、この狭路の住宅地に大仏が現れるというシチュエーションが、なんらかのカタルシスを感じさせているのかもしれない。
大仏の中に入ってみよう
どうやら高岡大仏ができたのは1745年のことだったらしい。
木造だったそうだ。
そして火事で燃えた。2回燃えた。
2回目は1900年(明治33年)だったそうだ。
「やっぱ木は燃えるよね。今度は燃えないように金属にしよう。」となり、なんやかんや33年かけてできたのが今の姿である。
さて、上の写真ではやや小さく映っていて見づらいが、大仏は建物の上に座っている。
それを回廊と呼んでいるそうだ。
朝から夕方まで無料で開放されているので、僕も2回ほど中に入ったことがある。
中の回廊には13枚の仏画が飾られている。
実はこの仏画のキャンバスは近所に生えていた杉の大木から造られたもの。
昔からシンボルツリーとされていた高さ40mもある杉の木で、1900年の大火の被害にも合わずに生き残った杉。
だけども昭和の初頭に「道を拡張するからこの杉を切るわ」と伐採されてしまった。
なんてこった。
その杉が生まれ変わったのがこの姿だ。
伐採当時に高岡在住だった芸術家たちが絵を描いたそうだよ。
この回廊の一番の見どころ、それは大仏の頭部!
これは2代目の大仏のものだ。1900年の火事で、頭部は消失を免れていたのだ。
よくわからなかったが、一部焦げているらしい。
「もう二度と火事を起こさないように」という教訓として、ここに安置されている。
比較物が無いのでわかりづらいが、頭部はかなり小さい。
当時の大仏の大きさは座った状態で4.8mだったと言われているそうだ。
今の大仏は7.3mなので、それと比べると随分小ぶりだったのだね。
こちらは現在の大仏の頭部が完成したときの記念写真だ。
こう見ると顔、バカデカい。
奈良の大仏の半分くらいのサイズなのだが、それでも巨大だなって感じる。
日本三大仏のジレンマ
高岡大仏は、日本三大仏の1つと言われている。
もう2つは何なのかと言うと、もうなんとなく想像ついているかと思うが「奈良の大仏」と「鎌倉の大仏」だ。
なるほど、その2つと肩を並べるなんて、スゲーな高岡大仏!
…と手放しで喜べるのかと言えば、そうではないかもしれない…。
奈良の大仏は、台座3m、仏像そのものは15mだ。
「東大寺」の世界一巨大な木造建築である大仏殿の中に納まっていて、圧巻の光景だった。
ここスゲー好き。文句なしのナンバー1と言えそうな気がする。
鎌倉の大仏は、台座2m、仏像そのものは11.3mだ。
「高徳院」の開放的な空間で日光浴をしている。
古都鎌倉観光と言えばここは外せない、くらいの定番のスポットだと思う。
高岡大仏は、台座8.4m、仏像そのものは7.4mだ。
奈良の大仏のおよそハーフサイズである。
ただ、高さが半分ってことは質量は相当に小さくなるよね。
それにこれ地味に大事なことだが、大仏の後ろのナゾのサークル"円光背"も含めて7.4mだ。
これがなければ7.0mくらいかもしれない。
それを言うと「奈良の大仏にも光背があるぞ!」って言われそうだが、奈良の大仏の高さは基本的にこの光背を含まずに表記されている。
まぁ結論、高岡の大仏は小柄である。
さらに言うと、これ悲しい事実なんだけど「日本三大〇〇」的なヤツって、トップと最下位の差が絶望的に離れているというものがある。
日本三大砂丘で例えてみよう。
1つ目は誰もが思い浮かべる「鳥取砂丘」。
圧倒的すぎて「日本三大砂丘の1つである鳥取砂丘」なんて表現はしない。
他の砂丘を持つスポットが、「日本三大っていうカテゴリを作り、ウチもそこに含めることにしようぜ!」的な感じになる。
日本三大砂丘って2つ目以降は諸説あり、「中田島砂丘」・「吹上浜」・「九十九里浜」などがワチャワチャ争っている。
いや、これらもいいスポットなのだが、日本三大砂丘というカテゴリとしてはワチャついている感が否めないのだ。
江戸時代から、日本三大仏という言葉はあった。
しかしそれにエントリーされていたのは奈良の大仏・鎌倉の大仏以外では「京の大仏」だ。
奈良の大仏を凌ぐ巨大さで、大仏と言えばこれを指していたらしい。
しかし1793年に焼失してしまったのだ。(その後小規模バージョンが造られたが、それは含めずに記述する)
空席の日本三大仏のラスト1枠に対し、いくつかの大仏が名乗りを上げた。
高岡大仏の他には「兵庫大仏」・「岐阜大仏」というのがあった。
でも悲しいかな、奈良や鎌倉の大仏と比べると知名度が非常に低い。
奈良も鎌倉も、「〇〇時代」という時代名になっている町の名前を冠する大仏だもんね。そりゃ強いや。
写真の右端を見ての通り、「日本三大佛」と書かれている。
兵庫大仏や岐阜大仏に比べればグイグイとアピールしているしその成果もあるように感じるが、奈良や鎌倉の大仏は「自分、日本三大仏っすから」とは言わないだろう。
正直、格の違いが出てしまっているな、とは感じる。
ただな、なんかディスり気味のことを書いてしまったけどな、高岡大仏が一番のファクターはちゃんとある。
…それが何か、だって?
顔です。
イケメン大仏に惚れろ
高岡大仏は日本一のイケメン大仏とちまたでウワサになっている。
いや、渋谷の町とか歩いていてもそんな話が漏れ聞こえてくることはないけど、Web上では確かにそうなっているし、僕自身大仏巡りで耳にしたことがある。
しかもこのイケメン説、昨日今日に言われ始めたことではない。
彼女の歌で「鎌倉や 御仏なれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立ちかな」というのがある。
「高岡大仏は鎌倉大仏よりも男前だぜ」って言ったのだ。
はい鎌倉大仏、名指しで劣っているとディスられて涙目。これキッツいヤツだ。
僕はこれがイケメンかどうかはよくわからないが、口ひげやアゴひげがあり、なんだがワイルドでちょい悪な感じもしなくもない。
オフの日はサングラスかけて帽子かぶって、海辺でウイスキーとか飲んでいそうだと感じた。
ただ優しいだけの顔立ちではなく、スタイリッシュさもあるし野性味もある。
はいこれ女性惚れますね。チクショウですね。
なんだったら、その前に立ちはだかる仁王像もいい感じの細マッチョである。
仁王像といえばもっとゴリマッチョな要素を多く含むが、ここのは細く引き締まっているのである。
たぶん100mを10秒台で走るぞ、こいつら。
1位の奈良の大仏、2位の鎌倉の大仏には及ばないかもしれない。
しかし3位候補の中では有力であり、ちょっと顔も良くって女性人気がある。
この令和の世の中をうまく楽しく生きるには、高岡大仏タイプが一番いいのではないだろうか?
あぁ…、僕は今気づいた。
なんで4回も高岡大仏を訪問しているのか。
憧れていたのかもしれない。こういう存在になれますように、と。
…というのは若干こじつけな気もしなくもないが、たぶん僕は日本7周目でもここを訪れるのだろう。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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