その温泉地に、僕は旅で3回足を運んだことがある。
そう書くと「きっとお気に入りの温泉地なのだね!」とか言われるかも知れない。
すまない、実はそこの温泉に入ったことはないんだ。
それどころか、まともに観光したこともお金を落としたこともない。
なんでそんなにも空虚な旅をしたのか。
それは強烈な目的地が1つだけあったからだ。
「本洲中央の地」と刻まれた石碑。
これを拝むために僕は松本市の「浅間温泉」の薬師堂を目指した。
ここが本州の中心?
どんなところだ?なぜ中心なのだ?
興味が僕を、駆り立てる。
本州の中心、すわなち日本の中心
本州中心の根拠をWebで探すが皆無
北海道・本州・四国・九州。
日本列島を形成するメインであるこの四島において、本州はその中心である。
その本州の中心ってことは、広義の日本の中心である。
日本の中心。
すごいパワーワードだ。なんか惹かれる。
日本の端っこも惹かれるけど、同じくらいに日本の中心にも興味をそそられる。
そんな飽くなき探求心で日本の中心を巡っているのが、この僕だ。
実は日本の中心って、いっぱいあるのだ。ぶっちゃけ30箇所くらいある。
詳細については上記リンク先の【特集】をご覧いただきたい。
日本の中心の定義って曖昧で、定義次第で無数に乱立しているのが実状なのだ。
そしてこの無数の日本の中心を全部巡ってみたいと、僕は夢見ている。アホでしょ。
次に僕は考える。
「なんで長野県松本市の浅間温泉が本州の中心なのかな?」って。
とりあえずGoogleマップの浅間温泉にピンを立ててみた。
なるほど本州の中心と言われれば、そう見えなくもない。
…っていう自己満足を求めているのではない。
本州の中心示すスポットがある以上、誰かがここが本州の中心だと判断したのだ。
その人の根拠を知りたい。
「なんとなく」ならそれでもいい。
見解を知りたいのだ、僕は。
だから2022年の今年、Webで調べてみた。
僕が調べた限りでは、1つも根拠となる情報は出てこなかった。
ただ、僕が本州の中心を検索したのは2022年だけではない。
たぶん遡れば2006年くらいから調べまくっていた。
16年も前だ。なんて執念!コワッ!キモッ!
その頃は、Webの中にほんの少しだけ手掛かりがあったらしい。
わずかな手掛かりを見つけた僕だったが、その後数年かけても追加情報を入手できず、Web上にこんなコメントを残した。
『本州の中心が長野県、そして長野県の中心が松本市であるから、という推測も存在する。誰か正確な定義を知っている人がいたら教えてください。』
そうなのだ。
2022年現在もWebの検索エンジンで「松本市_本州の中心」で検索すると、パラパラと『本州のほぼ中心に位置する松本市では…』みたいなフレーズが出てくる。
長野県、位置的に確かに中心なのかもしれない。
あと、冒頭に戻るけど石碑の正式名称は本洲中央の地だ。
中央と言うのは物理的な中心ではなく、「機能の中心」も指す。
…であれば、県内トップクラスの大都市である松本市が長野県の中央であるのも納得だ。
だが僕はそれだけに満足はしない。
- じゃあ松本市の浅間温泉の、石碑のあるその位置が本州の中心である根拠は?
- 今までの理屈も僕の推論だよね?公式な情報はいずこ?
もうWebで調べても、これ以上の情報が出てこない…。
自治体に問い合わせてみよう
2022年、長年くすぶっていた疑念を払拭させるため、僕は「松本観光コンベンション協会」さんに、ブログ掲載の意図を示した上で質問をぶつけた。
そして回答いただいた。マジにありがとうございます。
◆質問①
前提としまして、以前どこかのWebにて「本州の地理的の中心の県が長野県であり、かつその地理的中心が松本市であるとの表記を見たことがあります。後者については、塩尻市も「長野県の中心である」と名乗っているスポットがあり、実際に緯度だけで判断すれば松本市は長野県のやや北に位置すると思います。
地理的中心というより県下有数の都市であることが判断基準のようにも思えますが、どうだったのでしょうか。
『塩尻市も「長野県の中心である」と名乗っているスポット』って気になるでしょ。
これはまだ正式執筆前だけども、塩尻市には「日本土真ん中」っていう日本の中心の1つがあるのだ。
「"長野県の中心である"ってアピールする町が2つあって大丈夫なの??塩尻市は地理的な中心で、松本市は政治の中心だよね?」…っていう意図も込めての質問だったのだ。
これに対する回答をいただいた。
松本市は長野県の「中信」地域にあり、その中信地域の中でも一番人口が多く、中信地区を代表する市である…とのことだ。
長野県は、上のように4つのエリアに分けられている。
位置的にも文字的にも、中信が真ん中っぽいイメージ。
その中の最強都市が松本市だ…っていう、松本観光コンベンション協会さんのコメントだ。
ただし!!
『「本州の中心」というようなことはあまり聞きませんし、それに関したPRについても行ってはいません。』
マジか。
松本市が本州の中心である根拠を確認した後、「じゃあさらに浅間温泉の薬師堂に絞り込んだ理由は何なの?」って質問にスマート繋げたかったのに、頓挫したわ。
終わった。
…と思いきや、僕はすでにその質問を投げていた。
◆質問②
松本市の中でも浅間温泉薬師堂が「本洲中央の地」に選ばれた理由をご教示いただけ
ますでしょうか。浅間温泉は松本市の中でも北部であり、地理的には中心ではないスポットです。
理由があるならご教示いただきたいです。
「だーかーらー!そもそも松本市が本州中央じゃないって言ってるだろ!」って一喝されるかと思いきや、これの返信は興味深かった。
『浅間温泉観光協会にこの件について聞いたところ、60年位前に、まだ浅間温泉が本
郷村(今は合併して松本市になっています)にあった時代に、観光呼び込み策として
建てられたとのことです。』
なるほど。
ヒントはこっちの返信の方が豊富であった。
碑を建てたのは本郷村だった時代だ。1974年に松本市に合併したそうだ。
…ってことは、「松本市が長野県の中心だから…」っていうのはたぶん製作者の意図とは反する。その当時ここは松本市じゃなかったのだから。
きっとふんわり「このあたりって長野の中心じゃね?北にズレている気もするけど、まぁそういうことにしちゃおうよ」って感じになったのではないだろうか?
なにせ60年の前の話なので、これ以上僕が調査するのは難しいだろう。
ひとまず本州の中心の定義についての結論は、「浅間温泉がノリで設定した」としておこう。
いいじゃない。昭和時代はこういう勢いが大事だったのだよ、きっと。
温泉街を彷徨い歩く
あーだーこーだと退屈な検討をしてしまっていてすまない。
いよいよ現地を目指したい。
しかしまだこれは前段となるストーリーだ。
まだ本洲中央の地は登場しないので、「そんなチャプターは読む価値が無い!」という方は次の章までワープしてほしい。
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…日本3周目前半。
愛車の日産サファリに乗った僕が、松本市にやって来た。
浅間温泉。
これは後年撮影した写真であるが、この看板のフォントがレトロでエモい。
ずっとこのままのデザインを大事にしてほしい。
やや小さな温泉街だと感じたが、そこに様々な温泉施設が密集している。活気がある。
僕は本洲中央の地を探しにやって来たのだが、それがどこいらへんにあるのかよく知らない。
Webで検索してもほぼ情報が無いのだ。
わかっているのは『浅間温泉内の薬師堂にある』ということだけ。
とりあえず温泉街の南の外れに愛車を駐車した。
ここからは歩こう。
― 結論から言うと、上のGoogleマップの薬師堂は絶対に目指すなよ!
違うからな!!ここじゃないからな!! ―
現地に持参したガイドブックを見ると、温泉街の北の半分山みたいなトコに「神宮寺」の薬師堂というのがある。
その薬師堂こそ、上のGoogleマップの薬師堂だ。
うわー、温泉地の逆側に車を停めちまったよ。
だけども車はデッカいから、また乗り込んで温泉地をチマチマ走りたくないよ。
とりあえず、歩こう。
山に方面入る道がわからなくて、散歩していたばあちゃんに道を聞いたりもする。
朝で寒いのに、体が火照ってきた。
よくわかんなくて墓場の中をグルグルしたりもした。
そして到着。
うむ、違和感がある。
なんかイメージと違う。
試しに付近に本州中央の地の碑があるか探してみる。
いや、無いです。そんな気がしていた。
うろ覚えだけど、ネット上で見たときはもうちょっと栄えていそうな背景だったんだよね。
でも確かにここ、薬師堂なんだけどなぁ…。
僕の愛用のガイドブックには薬師堂はここ一箇所しかないので、他に候補を見繕うこともできない。
ガッカリしながらトボトボと温泉街の栄えているところまで戻り、そこをウロウロ歩いて探す。
無い。そう簡単に見つかるわけないか。
この温泉地から1本の石碑を見つけるなんて、どれだけの難易度よ。
さらに車に乗ってウロウロし、変な袋小路に入って泣きながら切り返しをしたりもして…。
あー、もうダメ。帰る。
いつの日かのリベンジを夢見て。
ようやく到達したからこそ尊い
僕が本洲中央の碑にちゃんと訪れたのは、日本3周目後半と日本6周目終盤の2回である。
直近の日本6周目をメインに、そのときの写真をお見せしよう。
2022年、久々に浅間温泉の入口ゲートをくぐった。
もちろん今回も目的は本洲中央の地である。
懐かしすぎて記憶が錯乱している。
どこだっけ?どこだっけ??
カーナビで薬師堂を登録したのだが、まるで初めてのような気分で温泉街を走る。
そうこうしているうちに薬師堂を通過してしまったようだ。
カーナビが「目的地に到着しました」と胸を張って報告してきたが、僕は薬師堂に気付かずにスルーした。
マジであった?
付近の駐車場に愛車を停め、歩いて戻る。
そして見つけた。
あぁ、わかりづらいことこの上ないね。
そんなロケーションだったわ、確かに。
左右の建物の隙間に挟まれるように建つ薬師堂。
前の道を車で走っていたら、気付く可能性はかなり薄い。
その敷地内に、さらにひっそりと本洲中央の地の石碑がある。
石碑の脇の植物も伸びていて、文面が見えづらくなってきている。
日本3周目で見たときにはもうちょっとスッキリしていた記憶があるんだけどな。
そう思って探し出した写真がこれだ。
碑の下半分文覆い隠す草が少なく、かわりに上半分を覆い隠す茂みがある。
なんてこった。
上半分とした半分を両方同時にしっかり見たことが無いのか、僕は。
何枚か写真を撮った。
道を歩く観光客は僕の方を見て「は?そこに何かあるの?」みたいなけげんな視線を向けてくるが、あるんです。
誰しもの興味を惹くわけではないけど、僕にとっては大事なものがあるんです。
だからせめて、もうちょっと碑が見えやすくしてほしい…。
塀の陰、こんなモジャモジャなところでかわいそうだよ…。
では、薬師堂にも目を向けてみよう。
僕がさんざん追い求めた薬師堂。
右側の道祖神がなんだかかわいいぞ。
薬師堂の前には由緒が書かれている。
ただし本洲中央の碑の由緒については当然書かれていない。
そんなことは日本3周目後半の初訪問のときにチェック済みだ。
書かれていないから、観光協会にまで問い合わせしたのだ。
この薬師堂の正式名称は「下浅間薬師堂」。
いつの日か僕が間違えて山の方で発見したのは「神宮寺薬師堂」だから、注意してほしい。
もともとは戦国時代の1561年、「武田信玄」がこの地を支配していた頃に、ここに「五月念仏寺」というのが建立された。
その跡地にあるのがこの薬師堂だ。湯治のためにここに来る人の万病平癒祈願のためのものらしい。
どうやら1742年に建立されたそうだ。
隣の宿屋の敷地に飲み込まれるようにして建っているけど、歴史は古いぞ。薬師堂の方がきっとセンパイだぞ。
そして道路を挟んで反対側には、「浅間温泉わいわい広場」というのがあった。
これは日本3周目のころにはなかったな。新しそうだ。
誰もワイワイしていないが、子供たちがワイワイしていたら平和そうだな。
夕闇に包まれる頃、僕は浅間温泉を出発する。
温泉に入ってみたい気持ちもあったが、真っ暗になる前に行きたいスポットがもう1つあるのだ。
…多くの人が訪れる温泉街の中。
誰もが見落としそうな道の脇、ひっそり佇む本洲中央の地の碑。
それは温泉街の人たちが、「もっとこの温泉が賑わうように」と願いを込めて、60年前に作った碑だ。
その碑を追い求めた僕。
次にこの地に来ることがあれば、この碑を建てた人の願いを汲んで、温泉に入りたいものだな。
それが真の、物語の終焉ではないだろうか。
ではいったんグッバイ、本州の中心の地。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
住所・スポット情報
- 名称: 本洲中央の碑
- 住所: 長野県松本市浅間温泉2-4-8
- 料金: 無料
- 駐車場: なし。付近のコインパーキングを使用のこと
- 時間:特になし