5年間で、4回訪問した洞窟がある。
その魅力は2つある。
1つは後述するが、考古学史に残る大発見があったからだ。
もう1つの魅力は…、うん、コンビニエンスなことなんだよな。
知ってます?
近頃は洞窟にもコンビニエンスが求められているそうですぜ。
思いついたときにジャージとサンダルでササッと行って、すぐ帰ってこれるタイプの洞窟。
洞窟の名は、「大境洞窟住居跡」。
今回はその2つの魅力に迫りたい。
心の隙間に洞窟を
その洞窟は、仮に富山県の海岸線を東から西にドライブするのであれば、最後の最後に出てくる。
県境(Kenzakai)まで10㎞。
律儀に青看板に県境までの距離を示してくれるケースは、相当レアだ。
この看板を見た僕の胸に去来するのは、楽しかった富山県での数々の思い出…。
ありがとう、さようなら、富山。
そんな走馬灯を呼び起こしてくれる看板。
その看板から北に進むこと4㎞。
いよいよ石川県が間近に迫り、僕が「ホタルの光」を口ずさみ始めるタイミングで、その洞窟への標識は現れる。
この感覚ね。
例えると、腹いっぱいで満足したのに、ついついデザートを頼んでしまうかのような。
スーパーで、ついつい目についたレジ横の商品を、必要でもないのにカゴに入れてしまうかのような。
もうすぐ富山県が終わることで心にポッカリ空いた穴を、直前に出てきた洞窟という穴で塞ぐかのような…。いや、穴は穴で塞げないか。
でも、「最後にもう一箇所観光しようか」。
そんな思いで、ハンドルを右に切る。
国道を反れてものの1分で、目指す洞窟だ。
結論から言うと、観光も最短1分で実施できる。なんというお手軽さ。
過去、こんな感じで鹿児島にて、「国道から数分で手軽に観光して戻ってこれるだろう」と思ったら大変な目にあったこともあるんだけど、ここは大丈夫。
ここからは、過去4回訪問した記録を織り交ぜてご紹介しよう。
桜の季節の朝の6時台…。
小さな漁港の隣にある、静かな神社の境内に僕が現れた。
写真の左端を見てほしい。漁業に使うロープがとぐろを巻いている。
この神社は「白山神社」。境内に洞窟がある。
まずは神社の拝殿の後ろが、すんごい岩山になっている点を覚えておいてほしい。
ちなみに、僕はここには4回訪問しているが、全て朝の6時台か7時台だ。
「朝起きて、とりあえず洞窟」みたいな気軽さ。
そして、桜の季節に訪問することが多い。
北陸地方の長い冬が終わり、雪が解け、春がやってきた。
そんなシーズンに、僕も北陸を目指すのだ。
関係ないけど、まずは桜を見る。
そして「美しい…」とか呟く。
これが、入洞する前の禊(みそぎ)みたいな役割。心、清らかになった。
そして、拝殿に近づくと…。
さぁさぁ、見えてきたぞ、洞窟が。
国内で初めて調査された洞窟遺跡
拝殿の奥に、それはポッカリと黒い口を開けている。
背後の岩山をゴリッとえぐったような、洞窟。
これが、大境洞窟住居跡。
なんとなんと、国内で初めて調査された洞窟遺跡なのだ。
すごいんだぞ、ここ。
ちなみに、上記の写真の、拝殿の横を通過するタイミングで「ブビーッ!!」って警報ブザーが鳴るから、心臓弱い人は覚悟しておくがよいぞ。
このブザー、たぶん2012年か2013年くらいに設置された。
いつも鳴るのか、こういう早朝だけ鳴るのかは知らないけど。
防犯のためなのか、それとも神主さんがブーブークッション的な感じのイタズラで設置し、ビビる僕を拝殿の陰から見て「グフフ…」って笑う用なのかも知らないけど。
初回は僕もアメリカのギャグアニメみたいに飛び上がって驚いたけど、もう動じない。
「ブビ?なんのことですかな?」と新着冷静だ。
落盤防止のため、ネットでゴッチゴチに保護された洞窟。
その内部に社が1つ。
大境洞窟住居の名の通り、 ここは古代人が暮らしたワンルーム・ハウスだ。
今は廃墟だが。
各Webサイトによれば、ここの規模は 幅18m・高さ8m、奥行き35mらしい。
うーん…、そんなに広いかな?
正直、高さと奥行きはその半分くらいに感じるんだけど、まぁいいや。
おじゃまします。
そして振り返る。
こんな空間。正確にはもう少し奥があるけど、だいたいこんな感じ。
サクッと見るなら1分もかからない、お手軽スポットだ。
ただね、せっかくここに来たのだから、もう一歩エンジョイしていきたい。
それは、洞窟内に設置してあるパネルを読み、そして太古に思いを馳せるという行為。
洞窟内の社の左右に、かつてオバマ大統領が好んで使っていた、スピーチプロンプターみたいなかたちのパネルが林立しているのがおわかりだろうか?
ここに、この洞窟の成り立ちが書かれている。
歴史のミルフィーユ
もともと、この洞窟のある岩山は、海際にあったのだ。
波がダッパンダッパン打ち付けて、岩がえぐれて洞窟となった。
そのうち海面が下がって、洞窟が陸地に現れた。
ここに目を付けたのが、縄文時代の中期を生きる、僕らの大センパイだ。
洞窟が夢のマイホームに!
なんか、みんながせっせと働いている中で、ちゃっかり1人グースカ寝ているけどさ、そんな仲良しファミリーがここで暮らしていたのだ。
写真の左上のほうを見ていただきたい。
海が洞窟のすぐ近くにあるのが、おわかりいただけるだろう。
今も洞窟のすぐ近くに小さな漁港があるのだが、昔はきっとこんなにも近かったのだ。
サウナ上がりみたいなヒゲのダンディが、今マグロを持って帰ってきたぞ。
「え?富山の海岸付近にマグロなんているの?」って、あなたは思うかもしれない。
…わりといるらしい。
ま、絵の中のヒゲのダンディが持っているような、貧弱な銛で仕留められるかどうかは知らないけど。
そして、時は流れて縄文時代の晩期から弥生時代にかけてのこと。
一気に絵柄がシンプルになって戸惑うが、まぁこんな感じに土器愛好家のオフ会が開催されているよ。それぞれがマイ土器を所持して、土器トークよ。
さらに時代はジャンプする。
それぞれの時代で、それぞれの時代の人が、この洞窟を活用した。
なぜそんなことがわかるのか。
それは、この洞窟の床の土を掘れば掘るほど、昔の思い出グッズが出てきたからだ。
どうだ、このミルフィーユっぷりは。
昔の地層の中に、各時代の人の過ごした痕跡がしっかりと閉じ込められているのだ。
- 第1層: 中世・近世の土師器・陶磁器・鉄刀など
- 第2層: 奈良・平安時代の須恵器・土師器など
- 第3層: 古墳時代中期から後期の土器・動物遺体など
- 第4層: 弥生時代中期末から古墳時代初期の土器・人骨・動物遺体など
- 第5層: 縄文時代晩期後葉から弥生時代後期の土器・石器・骨角器・人骨・動物遺体など
- 第6層: 縄文時代中期中葉から後期前葉の土器・石器・動物遺体など
(引用元:「きときとひみどっとこむ」)
洞窟は、その長年の月日の中で、何度も落盤を繰り返した。
そのたびに時代時代のアイテムも一緒に岩盤の下に埋もれた。
それが発掘されたのが、1918年だ。
この発見は、日本の考古学史上にも残る快挙と言われている。
なぜかって?
それはね…、このミルフィーユのおかげで、
誰でも知っている当たり前のこと。
その根拠がここにあるんだぜ。鳥肌立つっしょ。
この地層にて、どっちが上でどっちが下か、わかったのだよ。
僕はこの事実を知ったとき、頭をハンマーで殴られたかのような衝撃を受けた。
僕らがいつも当たり前だと思っていた事実。全部全部、誰かが必死に証明したり発見したり考察したりして、生み出してきたものなのだ。
その一端を、こうして目の当たりにできる感激よ。
洞窟の一番奥にて、柵からさらに奥を眺める。
荒々しい岩盤が、手に取るようにわかる。
昔はこの奥も、居住エリアだったのだろうか?
そんで、天井付近に「ツク」って彫ったの誰だ!?イタズラか!?
どういう意味だ??
-*-*-*-*-*
たった1分あれば一周して見学を終えられる小さな洞窟。
国道からも1分で到達できる、誠にコンビニエンスな洞窟。
しかし、この小さな洞窟には、数千年にも及ぶ僕らの祖先の営みが凝縮されているのだ。
この目に見えぬ壮大さと歴史の重み。
あなたも実際ここを訪問し、感じてほしい。
あと1つ、僕自身の反省点…。
4回も訪問しているんだから、違うパネルの写真も撮ろうな。
10枚ほど展示されているパネルの中の、縄文時代中期の写真ばっか撮影していて、その他は縄文晩期の1枚のみ。
もっとバリエーションあれば、この記事も華やいだのに。
まぁいいや。
続きのパネルは、あなた自身で見てほしい。
さぁ富山県よ、これでサヨナラだ。
「ブビーー!!!」
短い洞窟探訪を終えた僕に、警報装置が別れの声をかけてくれた。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
住所・スポット情報