2016年4月、熊本地震発生。
所詮は一観光客の分際なので大したことは言えないが、多くの方が被災したことにまずは心を痛めた。
そして、数々の観光地が被災したことにショックを受けた。
2020年現在も大きな傷を抱えている熊本、及び近隣の県の復興を心から願っている。
今回はそんな思いから、熊本地震で崩壊してしまった「ラピュタの道」という絶景をご紹介したい。
あれは、日本5周目の前半戦最終走という、区切りのひとコマだった。
確か僕は、愛知県から宮城県に車で向かうにあたり、あえて遠回りをして鹿児島県を経由つつ向かっていたのだ。
そんな、頭の悪いルート上でのお話。
カルデラと外輪山
僕は早朝から阿蘇を走っていた。
今は、カルデラから外輪山へと上ってきたところだ。
とんでもない快晴。360度、どこを見ても絶景だ。
このね、木々がほとんどない外輪山の緑の丘が大好きなのだよ。
この時点で既にどことなくジブリっぽい。
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さて、この後の話にも関わるので、ここで外輪山について少しご説明しておこう。
カルデラにもいくつか種類があるのだが、阿蘇は「陥没カルデラ」という種類。
まずはこの陥没カルデラの定義をご理解いただきたい。
地下のマグマ溜まり。
いくつか要因はあるが、それが地表に吹き出すのが「噴火」である。
噴火であらかたマグマを噴出してしまったので、地下のマグマプールみたいな場所に広大な空間ができてしまった。
空間があるということは、地盤が弱いということ。
ほら、上の山を支えきれずに、ヒビが入ってきているぞ…!
はい、落ちたーー!!
これ、絵だからコミカルに描けるけど、阿蘇カルデラは南北25㎞・東西18㎞あるからな。
東京都心から横浜の中心までを直径にした円が、まるごと崩落すると考えると戦慄が走る。
世界滅亡的な気分になる。
…かと思いきや、阿蘇の人々は強い。
「崩落した巨大な窪地に街と畑を作ろ」・「電車を走らせよ」と、なんか盛り下がった大地でワイワイ盛り上がっている。
世界的にみても、カルデラをこんなにもポジティブに活用するのは、非常に珍しいケースだと、Wikipediaさんも仰っている。
阿蘇のスーパー大噴火(Aso-4)が9万年前である。
その後、崩落したヘリは長年の風雨でヘリが丸くなったり、中央の火山は崩落したクセにまだまだ元気で、複数個所で噴火を繰り返したり。
そんなこんなで、現在は上記のイメージ絵みたいな構造となった。
…っていうのを踏まえて、上記リンクの空撮写真を見れば、「ほぅほぅ」ってなるんじゃないかと思う。
あるいは、以下の鳥観図で何となく把握してほしい。
これで、この後にお見せしていく現地での写真では捉えきれない、左右や奥行きをイメージできるかな?
そして実際にドライブする際も、事前にこれを知っておくかどうかで、外輪山にいくつかある展望スポットから景色を見た際の感じ方が異なるのだ。
では、うんちくが長くなってしまったが、本題に入ろう。
現場に繋ぎます。
「今回の舞台」のYAMAさーん!
天空を走る道
外輪山上で、「かぶと岩展望所」の3㎞ 南…。
目印は道路脇のお地蔵さん…。
口コミの情報を手掛かりに、僕は「ミルクロード」を走る。
そして、見つけた。
全力で注意しないと見過ごすような、小さなお地蔵さん。
しかし、これが貴重な目印の1つだ。
ここがラピュタへの道の入口なのだが、この道は非常に狭い。
僕の愛車のHUUMER_H3では擦れ違いは不可能だし、絶景が見える場所に駐車場もないし、路肩駐車もできない。
なので、愛車はここに置いていく。
他の車も数台、この付近に駐車している。
しかし、ラピュタの道は観光地でもなんでもない。
だから駐車場もない。
停め方は、最大限に工夫する必要がある。
さて、行くか。たぶん絶景ポイントまでは、徒歩で5分ほどだ。
うっほー!!
すでにヤベェ!!景色が良すぎ!!
外輪山のヘリから、カルデラの中央にギザギザに聳える「阿蘇五岳」がよく見える。
朝だから、カルデラには雲海も溜まっている。
これ、絶好のラピュタ日和??
阿蘇五岳は涅槃像にも例えられる。
ほら、なんとなくわかるでしょ?たぶん世界最大の涅槃像だ。
涅槃像の概念を超越するくらいに、ばっちりグースカ寝てらっしゃるけど。
これを意識して阿蘇ドライブをすると、ちょっと楽しいよ。
そして、見下ろす道路の狭さを目の当たりにし、改めて愛車で乗り入れなくってよかったと思った。
この時点で、全容を推測する。
人は、右側の「車道派」と左側の「丘派」に勢力二分化されている。
僕は丘派かな?
高いところ好きだし、車道もフレームに入れて撮影できそうだから。
…となると、最初から丘の中の歩道(?)を進むこととなる。
短いハイキングのスタートだ。
歩きながら、目線を少し右に移動させる。
外輪山からカルデラに降りる急峻な道が、向こうにも見える。
あれは、ラピュタの道の延長上の道。
ラピュタの道は、外輪山からカルデラへと九十九折に降りていく。
細い道がクネクネと、下界に向かっている。
「ラピュタ」っていうか、「カリオストロ」の冒頭のカーチェイスシーンみたいだ。
監督も一緒だしな。
カルデラという巨大な洗面器に、しっかりと雲が溜まっている。
だからこそ、僕は朝の早い時間にここに来た。
下界のカルデラ内から、この雲の層を突破して、ここ天上界にやってきたのだ。
とんでもないヘアピンカーブ部分に、複数の人と駐車車両。
多くの人(お1人例外で雑草を撮影)が見ている先が、きっとハイライトの天空に突き出す道なのだろう。
丘の終点が見えてきた。
てゆーか、何気ないこの丘の写真1枚を切り取っただけでも、絵になる。恐ろしいほどに、絵になり過ぎる。
天国に続きそうな、この丘の上の道。
ラピュタの道の、1つ左の丘。
雲海という名の海に突き出す、緑の岬。
さらに少し歩を進める。
右手側に、いよいよラピュタの道のハイライトが姿を現す。
ファンタジーの世界みたいな絶景が、そこにあった。
ちょっと現実離れしているような、景色だった。
この光景を最初にラピュタと形容した人、グッジョブ。
まさにそういう世界観を感じるよ。
もし僕が誰かと一緒だったら、大声で歓声を上げ、この興奮を分かち合えるだろう。
それができないのが、1人旅の残念なところ。
ま、メリットもたくさんあるのだけどね。
天空の岬。
まさに、空を走るかのような道が見えている。
欲を言えば、もう少しだけ雲海が欲しかったかな…。
現時刻は、8:30。ちょっと遅かった。
今日は6:00台の前半は、すんごい雲海がカルデラを包んでいたのだ。
そのときに僕がどこにいたかというと、阿蘇五岳のほうにいたのだ。
「阿蘇パノラマライン」とか「阿蘇草千里」から、打ち震えるような早朝の絶景を堪能していたのだが、その話はまた機会があったら。
そういえば、日本最北の島である「礼文島」の「澄海(スカイ)岬」のちょっと南の丘が、こんな感じだったような。
あと、同じく礼文島の「ハイジの谷」が、こんな風景だったなぁ。
上記どちらも、徒歩でしか行きつけない絶景スポット。
こんなところに道を作った技術に感心すると同時に、左側の地滑りの痕跡に一抹の不安を感じる。
ギリッギリに道路を作っているのな…。
ふと足元を見ると、丘から直下の車道に降りれる踏み跡がある。
よし、車道側の展望スポットにも行ってみよう。
車道からも、もちろん絶景。
三脚を立てた人とかもいっぱいいる。
TVクルーも来ていて、地元の人に取材をしていた。
傍らには有名な、「ラピュタの道」って手書きで書かれた岩もあった。
この岩も写真に撮りたかったんだけど、すぐ横で取材をしているので、写真はナシね。
では、 次は外輪山で一番有名な展望スポット、「大観峰」に久々に行こうか!
大好きな阿蘇での最高の1日は、まだまだ始まったばかりだ!!
日が高くなり、阿蘇に吹く風から初夏の匂いを感じた。
その道の栄枯盛衰
『日が高くなり、阿蘇に吹く風から初夏の匂いを感じた。』
しかしラピュタの道は、次の年の同じ季節を迎えることなく崩壊している。
ラピュタの道って、いったいなんなのだろうか?
改めて振り返ってみたい。
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上図のように、外輪山とカルデラ内部を繋いでる。
こんな地形だから、外輪山とカルデラを繋ぐ道は、大体激しい上りだ。
そんな中でも、一般市道であるラピュタの道は、上位に当たる険しさだと感じる。
(全部じゃないけど、僕が実際走ったり展望したルートの中では)
阿蘇エリアって、牧場が多いのだ。
「赤牛」の肉は地元の名産だし、酪農もやっているし、馬も羊もいる。
そんな牧場で消費される牧草を運ぶために使われていたのが、この道だ。
つまりは地元の人のための農道。
そんな道が一躍話題になったのは、たぶんだけども2011年ごろから。
サイクリング専門誌の「CYCLE SPORTS」の、2011年6月号別冊付録に「ラピュタの道」として掲載されたのが、皮切りかな?
SNSの隆盛と重なり、口コミは一気に拡散・拡大。
ツーリングマップルでも取り上げたりし、2013年ごろからは目に見えてライダーなどの観光客が多くなる。
僕は今回、丘の上からのあくまで人間としての視点で紹介したが、ドローンの空撮では、さらなるダイナミックな魅力が伝わると思う。
是非、それをご覧いただきたい。
そんな爆発的人気の道だったが、わずか10数日で運命が大きく暗転する。
2016年4月14日から29日にかけて発生した、熊本地震。
震度7 2回
震度6強 2回
震度6弱 4回
震度5強 5回
震度5弱 14回
合計 27回
(引用元:Wikipedia)
立て続けに生じた大地の咆哮が、あのラピュタの道に与えた影響は、想像に難くない。
これにより、31箇所で山腹崩壊や路面亀裂が発生した。
見るも無残だ。
この道の復旧工事に必要な金額は、100億円を上回る。
国の激甚災害の適用を受けても、まだ数10億円を阿蘇市が負担しないとダメな規模なのだそうだ。
阿蘇市は考えた。
一過性の復旧工事費用もさることながら、この道は2012年・2014年の豪雨でも土砂崩れを起こし、長期の通行止めとなっていた。
復旧させたところで、今後のこの道の維持には莫大な費用が掛かる。
結論:
ラピュタの道、復旧断念!!
カルデラ側から2㎞区間については復旧工事をしたものの、僕らが「ラピュタの道」と呼んでいた部分については、これにて廃道となる。
ラピュタさながら、滅びてしまった。
あの日、僕が愛車を停めたお地蔵さん周辺のストリートビューをここに貼ろう。
マシュマロを敷き詰めてバリケードにしているのが、ラピュタの道への入口である。
実は僕、昨シーズンである2019年にここのすぐ近くまで行ったのだ。
外輪山を観光しながら、この5㎞ほど手前まで来たのだが、「崩壊してしまったのであれば、もういい。僕の夢の中だけに生きてくれ。」と、訪問しなかった。
今回執筆するにあたり、少しそれを悔やんでいる。
でも、同時に崩壊した絵を現実として受け止めるだけの精神力があるかどうかも、自信がない。
観光地としての生命は、わずか5年弱。
Googleマップには、2020年9月現在でピンすら立っていない。
あくまで通称であり、口コミ中心の世界に存在していた幻の道。
10年後・20年後、その存在は都市伝説のように語られるのみとなるのだろうか?
「でも、誰も信じなかった。父さんは詐欺師扱いされて死んじゃった…。
けど、ぼくの父さんはうそつきじゃないよ。」
(引用元:「天空の城 ラピュタ)
映画内では、ラピュタの存在を誰も信じてくれなかったと語られていた。
しかし、僕は見た。
雲に浮かぶ、ラピュタを確かに見た。
あの光景は、あの感動は、きっと一生忘れない。
だから、この記事が後世に届くことを祈りつつ、執筆した。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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