「野猿(やえん)」。
それは動力を持たず、人間の力のみで動くロープウェイ。
ハーレーダビッドソンに対する、ママチャリのこと。
そんなアナログマシーンが、四国内陸部のとんでもない山奥にある。
まさに仙人とか住んでいそうな山奥に。むしろ仙人も遭難してそうな山奥に。
何を隠そう、そこは日本三大秘境の「祖谷(いや)」エリア。
これは、そんな野猿を自分自身で運転するために、遥か四国を1人で目指した男の物語である。
幽寂なる剣山エリア
つるぎ町を南北に走る国道438号はマジでヤバい。「剣山」を目指してこの道を上っているのだが、果てしない上にクネクネだし、道は狭いし雨が降ってきた。
国道とはいえ、このレベルのクネクネだもんな…。
上の地図をご覧の通り、拡大しても縮小しても、見えるのはクネクネ道ばかり。
四国の山間部の国道は、基本的にこんな感じで時速20~30㎞くらいしか出せず、すれ違いもできないほど狭いようなところが多い印象。
…だから好きなのだが、四国山間部。
ときどき「集落だ!」ってなってもこんな感じだったり。
そういうところをひたすら僕は旅している。
ところで、そんなアドベンチャーゾーンで先ほど僕の愛車が動かなくなったよ。
まだ納車から数日目なのに。
そう、ここで。こんな何もない山道の途中で。
写真の左側には「高越大権現」という渓流の絶壁に造られた社があってさ。それを見るために車をわずかな時間駐車したのだ。
もちろん、地球に優しい男なのでエンジンは止める。
そして再び車にエンジンをかけようとしたら、数分前までブヒンブヒン唸りながらも山を登っていた愛車が、うんともすんとも。
マジやってくれたぜ、ここの神。どうしてくれるんだよ。
助けを呼ぼうにも、周囲は集落も車も人もいないぜって感じ。
とりあえずかろうじて電波はあったので携帯電話からJAFに連絡し、住所登録地から遥か離れた四国のとんでもないところで車がイヤイヤ期で全く言うことを聞いてくれなくって困っている旨を興奮気味に告げた。
現在地を把握してもらうの、大変だった。
JAFのレスキュー車がここまで来るのは、すごい時間かかるみたいだ。絶望だ。
とりあえず川のせせらぎを見ると、少しだけ心が落ち着く。
納車からまだ1週間も経っていない車だが、実は製造されたのは平成元年。
年齢だけ言えばレトロカーに属するレベルだ。
いきなり数日で1300㎞くらいは走ったからなぁ。老体がビックリして壊れたか?
20年間自宅に引きこもっていたおじさんを、いきなりウルトラマラソンにエントリーさせてしまったような仕打ちだよね。すまないね、新しいオーナーが暴君で。
心の中で謝罪したら、エンジンかかった。
あ、よかった。
JAFにキャンセルの電話をしてお詫びをし、僕は再び剣山を上る。
うわー、仙人いるよ、ここ。仙人、あの山の中できっと霞を食っているよ。
もしくは、タヌキと一緒に自然薯をすっているよ。
剣山にぶつかったところで国道438号はゴールを迎え、これで晴れて良好な道になるかと思いきや、ここからは国道439号だ。
いや、酷道439(ヨサク)と言ったほうが知名度が高いだろう。
とにかく狭い道をクネクネと、永久に感じられるほど進む。
そんな先に、野猿がある。
人力ロープウェイ、野猿に乗る
僕は景勝地「奥祖谷二重かずら橋」に到着した。実は野猿は、この奥祖谷二重かずら橋を渡るための有料エリア内にあるのだ。
あ、ちなみに「祖谷のかずら橋」ではないぞ。有名なのはそっちのほうだが、僕が今いるのは、もっと深部にあるほうのかずら橋だ。
時系列的には、ここで先に二重かずら橋を渡ったのだが、ひとまずその話はまたいずれかの機会に話そう。今回はさっそく、本題である野猿の話だ。
これが人力ロープウェイ、野猿。
間違っても犬小屋とか言っちゃダメだ。確かに令和の人間であれば、ここに豆柴の1匹や2匹を住まわせたくなるかもしれないが、デザインのベースは"輿"とか"籠"なんだろうな、これ。
そして名前の由来は、蔓を伝って谷を渡るサルから来ていると聞く。
一足先にここに到着したレディ3人組が、キャッキャしながら野猿に乗っている。
1人ずつ対岸を目指している。
しかしこの人力ロープウェイ、自身の腕力だけで動かさないといけない。
どうしても張られたロープって真ん中がたわむから、前半はゆるい下りなんだけど、後半は登り。そこを自分でロープを手繰って這い上がるのだ。
レディはちょっとそれがシンドいらしく、ゴール側に先に到着したメンバーにロープを引っ張ってもらったりして、なんとかゴール。
レディたちが谷を往復して、こちら側に戻ってきたのを見届けた。
さて、次は僕の番だ。
実は僕、かつて日本3周目を走っていた頃もここに立ち寄っている。
しかし、そのときはこれには乗らなかった。撮影しただけで終えた。
なぜなら、ちょっと混雑していてね。そんで、1人旅だとそこに並ぶのも少々気が引けてね…。要するに心が弱かった。
しかし、今回は乗ると心に決めてここに来た。
幸い天気もよろしくなく、前述のレディと僕しか観光客もいない。もう僕を阻むものはいない。
「すみません、お待たせしましたー!」と明るいレディたち。
入れ替わりで僕は野猿に乗り込む。
前述の通り、ロープは真ん中が少しだけだがたわんでいる。
動力もブレーキもない野猿は、手を離すとルートの真ん中、まさに谷のド真ん中で止まってしまうのだ。
それを見越したレディたちが、僕が乗り込む際にロープを後ろから抑えてくれた。
「乗れました??じゃあ手を放しますよ!せーのっ!!」」
って声に見送られ、野猿は発進した。
これが野猿のコックピットからの眺めだ。
大人2人でギリッギリのサイズだな。2人の場合、ソーシャルディスタンスは確保できぬ。
中央下に映っているループを手繰り寄せて対岸との距離を縮めていく。
楽しいなー、これ。 緑の渓谷を、むき出しの野猿がスイスイ進む。
しかしやはり僕も、真ん中から先の緩い上りでてこずった。
ちょっとずつ着実にロープを引っ張って上る。仮に手を放してしまうと、またズルズルと中間地点まで引き戻されてしまうからな。
普段運動なんて一切していないけど、こう見えても僕は、野球強豪校の帰宅部だったこともあるし、夢の中であればシュワルツェネッガーさんにアームレスリングで勝ったことすらある。その経験をここで生かす!
こうして無事30mほどの空中散歩を終え、対岸にたどり着いた。
楽しかったー。
野猿プチ情報
改めて、野猿の全景を振り返ろう。
日本3周目で撮影した写真がいい感じだったので、掘り起こす。
その構造
Webサイトをいろいろ見てみたが、その構造について詳細を解説しているページは存在しなかった。どうなっているんだ、これ?
- 青いロープ:太い2本のワイヤー。野猿に取り付けられたループを介して両岸を繋いでいる。つまり、野猿を宙に吊るしているのはこのロープ。
- 黄色いロープ:やや太い紐。野猿の中央を通過しているだけで、全く固定されていない。これを引っ張ることで、野猿が前に進む。つまり、腕力を機動力変換するためのロープ。
- 赤いロープ:やや太い紐。野猿の床に固定されている唯一のロープ。つまり、野猿が谷の真ん中で止まってしまったりした際、岸から引っ張ることのできる唯一の手段。遠隔操作用のロープ。
さらに、黄色いロープと赤いロープは、対岸で滑車を通して折り返されていて、すごく大きな輪になっている。
…僕はこう分析した。間違っていたならすいません。
野猿Q&A
Q:ここ以外にどこにあるの?
A:奈良県の十津川村に2つあると聞いている。これで合計3つ。
Q:何のためのものなの?
A:昔は谷の反対側に行く手段がこれしかなかったりした。観光用ではなく、生活のための乗り物だったそうだ。
Q:腕力がない人でも乗れる?
A:大人だったら、よっぽど出歩くのすら懸念あるような虚弱体質の人でなければ大丈夫と判断。小さい子供だけだと心配。
Q:落ちたりしない?
A:360度に低い柵があるので、座っている限りは転げ落ちることはないだろう。ハメを外して大暴れしない限り。
僕は再び、酷道ヨサクを走りだす。
次なる目的地を目指して。
途中で愛車を買った販売店に電話をした。
「バッテリーのボルトの締めをあえて緩くしておいたので、振動で接触不良になってしまったのかも」とか言われたので、ボンネットを開けて適当に締めておいた。
でも、あんまり強く締めると割れて使い物にならなくなるらしい。
ちなみに、この日はあと2回ほど車が動かなくなり、ボンネット開けて悪戦苦闘した。20分近くかかった。
さらに次の日も同様で、スリリングな旅路だったよ。
21世紀は、なんでも機械化されている。すごく便利で、すごく強力だ。
しかし僕らは知っている。
ひとたび東日本大震災のような大災害が発生すると、人の暮らしはその機能を失うことを。
さらに僕は知っている。
ひとたび車のエンジンがかからなくなっただけで、自分がどれだけうろたえるかを。
ハイテクがいいとか、アナログがいいとか、そういうのではなくって。
忘れないほうがいい文明・文化・技術もあるのではないかと、そう思った。
じんわりと腕に残る疲労が、心地よかった。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
住所・スポット情報
- 名称: 野猿(やえん)
- 住所: 徳島県三好市東祖谷菅生620
- 料金: 550円(奥祖谷二重かずら橋の施設内立ち入りのため)
- 駐車場: あり
- 時間: 8:00~17:00。ただし季節によってやや変動。営業日は4/1~11/30。