週末大冒険

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ちょっと出かけてみないか。忘れかけていた、ワクワクを探しに。

No:017【鳥取県】おーい!国道の脇に石の棺桶が落ちていたぞー!!その正体はなんだ?

国道で緩い峠を越えようとしたときに、それを視界の隅に捉えた。

 

棺桶。

 

一瞬のことに我が目を疑ったが、確かに国道脇にそれは置いてあった。

どうしてこんな場違いなところに?

世の中のTPOに真っ正面から宣戦布告をしているかのような事態だが、いったいどうした?

 

とにもかくにも、このままではいけない。不明点は確認し納得させねば。

僕はすぐにブレーキを踏み、その少し先にあった国道脇の駐車スペースに車を滑り込ませた。

 

 

 

棺桶を観察してみよう

 

場所は鳥取県の海に近い国道178号。海沿いに山陰地方を東から西に走る場合、この道を通るケースが多いと思われる。

僕も日本4・5・6周目でこの道を通り、3回ともこの棺桶を目撃している。

今回は、日本6周目の写真を中心に、その計3回の記録を統合させて紹介しよう。

 

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石棺1

この道路が国道178号。

現在は朝の6:30。朝日がようやく当たり始めたあの草むらに、確かに棺桶はあったのだ。

車を降りてそこへと向かう。

 

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石棺2

ここだ。右端に僕の愛車が小さく映っていることで、駐車スペースとの位置関係がおわかりいただけるだろうか?

 

問題の棺桶は、大掛かりなひさしに保護されている。

そして、輪のように配置された巨石の中に鎮座していた。

その巨石たち、まるで棺桶の主の死を悲しみ、お別れを惜しんでいるかのような配置だなって思った。

 

あぁ、そんな光景を見せつけられては、僕まで涙腺が…

…緩まないけどね。

 

まずは棺桶をしっかり観察するのが先決だ。

 

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石棺3

これだ。

正確には石の棺桶、つまり石棺ですな。

高さは1.4m、長さは2.5m。死者が眠るには充分な空間を確保した、重厚感あふれるベッドスペースだと感じた。

 

それにしてもかっこいいな、この石棺。

僕は昔インディ・ジョーンズに憧れて考古学者になりたかったくらいだから、こういうのすごく好き。

 

もうね、これを見た瞬間、僕のシナプス鳥取砂丘→砂漠→エジプト→ピラミッド→ミイラ→棺桶→ファラオの呪い」くらいに、前のめりに考えていたもの。

棺桶のフタを撫でながら、脳内はハムナプトラになってた。

 

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石棺4

石棺のフタは、グッと押してみたがビクともしなかった。

まかり間違って開いちゃって、中から邪悪な出てきた精霊に顔面を溶解させられても困るけども。

…あ、それは聖櫃(アーク)か。

 

 

正体を引っ張ってもアレなので、この石棺の正体を解説しよう。

 

ここのスポットの正式名称は、「小畑古墳公園」。西暦600年ごろの、古墳時代後期の遺跡なのだ。今から1400年以上も昔だ。

そして「小畑古墳群」から出土した、この家形石棺ってのが目玉だ。

 

 

上の地図を見てほしい。

現在地のすぐ南を、国道9号のバイパスが走っている旨を確認できる。

 

2001年ごろ、この9号バイパスを通すための工事が行われていた。その工事の過程で発掘されたんだそうだ。

盗掘されて石棺もパーツがバラバラだったんだけど、なんとか復元させ、無くなっていたパーツは代用品で作成して現在に至るってわけだ。

 

ちなみに発掘時に中に人間が入っていたという記録は見つからなかった。

主はゾンビとなって徘徊しているのか、それとも盗賊団に盗まれてしまったのか。

 

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石棺5

この青い梱包用PPバンド。センスが光るね。(←主に悪い意味で)

発掘メンバーのやりとりが想像できそうだ。

 

メンバーA:「よっしゃー!土の下から石棺が出てきたぞー!これは歴史的大発見だ!」

一同:「おぉぉー!Aさんアメージング!!さすが我らのリーダー!」

メンバーA:「あぁ!だが長年の土の重みなのか盗掘団の仕業なのか、パーツがバラバラだ!」

一同:「オーマイガッ!」

メンバーA:「オマエら!急いでパーツを組み立てろー!そんで新入りのB!!オマエは岩美のジュンテンドーで梱包バンド買ってこい!」

メンバーB:「イエッサー!!」

 

…ま、そんなワケはないと思うが。

しかしこのPPバンドのせいで、せっかくの歴史的アイテムが急に安っぽく見えてしまうのも事実。

 

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石棺6

こうやって真横から見ると、側面の石板が後からはめ込まれたものであることがよくわかるね。

 

フタについている特徴的な4つの突起。

これは「縄かけ突起」と呼ばれているとのことだ。文字通り、移動の際に縄をかけて引っ張ったりしたのだろうな。

 

 

小畑古墳群とその周辺

 

小畑古墳群 1号墳

 

先ほど、僕は「小畑古墳群」という言葉を使った。

その名の通り、遺跡はこの石棺1つだけではない。

石棺は小畑3号墳に属している。そして調べてみると古墳群は1号~7号まではあるようなのだ。

 

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小畑古墳群1

1号~7号までのいくつかは、ここから離れた場所に移設されたり、そもそも保存が難しかったりと、いろんな事情を抱えているらしい。

 

そんな中、1号はすぐ歩いて行けるところにあるとのこと。

立て札に導かれるまま、山道みたいなところに入る。

 

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小畑古墳群2

これが1号墳だそうだ。

横穴式の石室になっている。規模は奥行きで11.2m、高さは高いところで3.5mもあるそうだ。これは、県内でも最大クラスなんだとか。

 

立て札によると、かつてはこの中に33体の観音像が祀られていて、「穴観音」とも呼ばれていたそうだ。

しかし1990年に「この石室、ちょっと強度ヤバくない?崩れる可能性、あるんじゃない?」ってなり、観音像は現在別の場所で公開されている。

 

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小畑古墳群3

そんなこんなで、昔は観光客も中に入れたそうだが、今は立ち入り禁止。

木の柵ごしに中を覗いたところで、観音もいないし真っ暗だし、吹き込んだ枯れ葉が堆積しているだけだ。

 

 

源頼朝の愛馬 誕生の地

 

ここにはもう一箇所の見どころ(?)がある。

僕が車を停めた駐車スペースの脇の木立の中に、それはある。

 

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生月誕生の地1

源頼朝の愛馬_生月誕生の地」の碑がある。

今から900年以上前の1100年代に鎌倉幕府を作った「源頼朝」。

その愛馬がここで生まれたのだそうだ。

 

この白い柱の右側にほんのちょっと顔をのぞかせている岩が、歴史ある生月誕生の本当の記念碑。

雑草にうずもれてほとんど見えなかったので、写真から外しちまったわ。

 

 

愛馬の名前は「イケヅキ」。生月と書かれることもあるし、池月と書かれることもある。すごい屈強な馬なので、頼朝にかわいがられたらしい。

 

その後、「佐々木高綱」に与えられ、「木曽義仲」との決闘であった宇治川の戦いでも活躍したんだとか。

なるほど、あの宇治川の戦いの先陣争いで活躍した有名な馬か!

あぁ、確かにあの戦いは、水流を突っ切るパワーと川底のブービートラップを回避する瞬発性が必要。屈強な馬だからこそ、先陣を取れたのだろう。

 

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生月誕生の地2

となりには、よくわからない碑が2つ。

片方は明治十二年であり、もう片方は天保十五年と刻んであるように見えた。

天保十五年はすごいな!

石棺や頼朝には負けるが、西暦1844年だから180年前か!

 

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いつもは気にも留めずに通過してしまうような緩い峠。

ふと足を停めれば、草木の陰に数々の歴史の片鱗が残っていた。

 

…いや、違う。

そもそも現代人が国道9号バイパスを作ろうとして、この遺跡の存在に気付いたのだ。

言い換えよう。

 

 

いつもは気にも留めずに通過してしまうような緩い峠。

しかし、歴史の片鱗は、通過していく我々を草木の陰から覗いているのかもしれない。 

 

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小畑古墳群4

 

古墳群の丘から見下ろす田園に、太陽が登り始めた。

 

180年前も900年前も1400年前も、太陽だけはきっと同じように昇っているのだろう。

新たな1日が始まり、こうして日本の歴史は1日ずつ追加される。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。


 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 小畑古墳公園
  • 住所: 鳥取県岩美郡岩美町大谷
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし