週末大冒険

週末大冒険

ちょっと出かけてみないか。忘れかけていた、ワクワクを探しに。

No:042【岡山県】昭和テイストな激渋銭湯を発見!瀬戸大橋の下はノスタルジックな世界!

日々ヤンチャなドライブに明け暮れる僕であるが、正直お風呂に入るときくらいはホッとしたい。

何も考えず、ただただ日中の疲れを癒したい。

 

ちなみに僕にとって上記を満たすような入浴施設は、スーパー銭湯とかそんな感じ。

そんな僕が、ガチで昔ながらの銭湯を訪問してしまった話をしよう。

 

銭湯は、僕にとってはカルチャーショックの連続であった…!

 

 

お風呂難民を回避せよ

 

「瀬戸大橋」の岡山側の袂(たもと)を見下ろす絶景スポット、「鷲羽山」。

とある春の日の夕暮れ時、僕はそこから夕焼けを眺めていた。

 

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瀬戸大橋の下へ1

絶景すぎるよ。

瀬戸内海、なんて穏やかで綺麗なんだ。

心が洗われ、身も心も浄化された気分になる。

 

…いや、その気分は間違いだ。

百歩譲って心は多少綺麗になったとしよう。

トトロとかも見えちゃうくらいになったとしよう。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

しかし身体(からだ)はどうか。

1日泥だらけになって遊んだ僕の身体は、不浄の極みに違いない。

ここでシャワーを浴びてスッキリ爽やかになるのが、紳士の嗜み(たしなみ)ではなかろうか。

 

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瀬戸大橋の下へ2

この日最後と思われる太陽が、雲の隙間から顔を出した。

 

僕はバッグからツーリングマップルを取り出すと、夕日で赤く染まるページをめくる。

これからお風呂に入ろう。

清潔なジェントルマンになろう。

さて、どこの入浴施設に入ったら、そんな理想的なナイス・ガイになれるだろうか?

 

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瀬戸大橋の下へ3

「ヘルス共和国Z」!!

※ 当時の僕の手記を見ると、マジにここを候補に挙げている。

ジェントルマンを目指していたハズの僕だが、かなりの変化球なチョイスだ。

 

大衆演劇も見れる温泉施設』ってなんだ?

謎が謎を呼ぶ。

 

目的地は、広島県福山市

ここから結構西まで走る必要があるが、ヘルス共和国に入国できるのであれば、頑張れそうだ。

 

…と思ったところで、僕の第六感がささやく。

「用心なさい。今一度、情報を調べなさい。」と。

 

念のため、携帯電話を取り出して調べてみた。

「ヘルス共和国Z」、2009年5月で閉鎖していた。遥か昔だ。

電話番号を調べ、ダメオシで電話もしてみた。番号、使われていなかった。

 うん、持っていたツーリングマップルが古すぎた。

 

今一度ツーリングマップルを調べる。

 

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瀬戸大橋の下へ4

あるじゃないか。

ここから瀬戸大橋を挟んだすぐ反対側に、『昔ながらの銭湯』が。

 

少なくともこの当時の僕としては、この表記は魅力的には感じない。


銭湯はなんだか近寄りがたいイメージだし、ドライヤーなどのツールの品揃えが悪そうだし。

清潔感も、スーパー銭湯の方が上回りそうだし。


しかし、僕は今回の旅のような車中泊であっても、しっかり毎日お風呂には入りたい紳士(マジで)。


手近なところにあるのであれば、覗いてみようか。

これも経験!

銭湯のイメージか良い方向に換わるかもしれない、ラッキーチャンスと捉えよう!


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瀬戸大橋の下へ5

あのあたりだな、大体。

 

鷲羽山の山頂から目星をつけた僕は、ダッシュで愛車のもとへと戻る。

そしてすぐにエンジンをかけ、下界へと降りて行った。 

 

 

橋の下の小さな漁港

 

さて、鷲羽山のふもとにやってきた。そして車を停めた。

ここは下津井の町の、「田ノ浦」という集落。

 

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田ノ浦1

夕日で赤く染まる湾に、漁船がミッチリと停泊している。

その上を巨大な瀬戸大橋が通過している。

このギャップがすごい。

 

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田ノ浦2

 

エモーショナルの極み…!!

 

 

昭和のまま、時が止まったような景観の路地が続いている。

このあたりの人はほとんど漁業従事者だという。

昔からストイックに変わらない生活をしているのかもしれない。

 

そしてその集落の頭上には、ゴチゴチでメカメカしいデザインの瀬戸大橋。

このギャップがたまらない。

 

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田ノ浦3

僕は、想像してしまう。

この集落の上に瀬戸大橋が建設されてしまった日のことを。

 

静かに漁業を営んでいた人たちの日常をブチ壊してしまったりはしなかったのかと。

港の真ん中に橋脚を立てて大丈夫だったのだろうかと。

巨大な政府の力に、庶民は無力だ。

 

「アンダージュノン」という漁村を覆うように超巨大な砲台を設置し、漁村を常に日陰にしてしまった巨悪カンパニーの逸話が脳裏をかすめた。

元ネタ、わからなくって結構。

 

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田ノ浦4

およそ20分後、薄暗くなった瀬戸大橋を再び撮影した絵。

かっこいい。

僕は巨大橋が大好きだ。

 

しかし、今までは橋ばかりを見ていて、その足元を見ていなかったな、と実感。

アレね、「東京タワー」の足の1本は墓地にある、とかそういう系ね。

 

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田ノ浦5

木造の集落越しに見上げる、ライトアップされた巨大な橋は、なんだか不気味にさえ見えた。

 

では、こんな集落内の銭湯を、いよいよご紹介しよう。

名前は「大黒湯」だ。

すごいぞ。

 

 

激渋銭湯「大黒湯」

 

銭湯だ。ちょっと入るのを躊躇してしまいそうなほどに、ガチの銭湯だ。

 

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大黒湯1

ここ大黒湯は、週に3日も休みがあるし、営業時間は17:30~19:30までのレアな銭湯だそうだ。

 

集落の人をターゲットに、こういうピンポイントな営業スタイルにしているのだろう。

17:30~19:30という早い時間帯の営業なのも、普通のサラリーマンなんかを相手にしているわけではなく、朝も夜も早い漁師さんが主な利用者だからなのだろう。

…とか、勝手に想像を巡らせる。

 

ってゆーか、暖簾がなければ普通の一軒家のような銭湯なのだな。

全く中が想像できず、僕なんかがフラッと入っていいものかどうか少し不安だ。

 

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大黒湯2

前提として、僕は銭湯なんてほとんど来たことがない。

 

唯一これに近い体験をしたのは、岩手県宮古市を旅したときのこと。

東日本大震災スーパー銭湯などが軒並み被災し、少し内陸部にある唯一の入浴施設が古めかしい銭湯だったときだ。

そのとき以来だと思う。

 

なので、まずは入口が2つあり、この時点で男湯と女湯に分かれていることにビックリした。早々とビックリした。

 

では、男湯に入ろう。

 

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大黒湯3

はい、いきなりタッチが変わって驚いたかもしれないが。

写真がないので絵を描いた。

絵を描くツールも無いので、マウスのフリーハンドでヨチヨチ描いた。

大変だった。

 

仄暗い茶色な空間が広がっていた。

長年の人々の生活の営みを吸収してこそ、かもし出せるような、深い深い茶色の空間だった。

 

まずは番台のおばあちゃんに料金を払った。

番台の向こう側半分が、女湯なのだろう。

靴を脱いで、板の間に上がる。

 

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大黒湯4

 

すげーロッカーきたーー!!! 

 

 

こんな字、初めて見た。

普通の漢数字ではなく、大字(だいじ)と呼ばれる「壱・弐・参…」くらいなら、僕も見たことはあった。

 

しかしこれ、大字のさらに旧字だよね? 

なんだこの「壺(つぼ)」みたいな「1」は。

 

…背負っている歴史の厚みが違う!!

(使っているインクの量も違う)

 

恐れ多くて、こんな骨董品みたいなロッカーに僕のパンツなんか収納できねー…。

 

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大黒湯5

いや、入れたけどな。

せめてもの敬意を払い、大字ではない「十四」のロッカーに入れた。

 

そして、いよいよ浴場だ。

 

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大黒湯6


おぉぉ、必要最低限のツールしかない、なんとコンパクトな造りよ。

 

壁に「富士山」とかは描かれていない。

白いタイルだが年季が入り、ちょっとグレーがかっていたり、ボロボロに剥がれかけてきたり。

歩んできた年月を感じさせる。

 

シャワーもない、シャンプーやボディソープもない。

シャンプー・ボディソープは常備しておいてよかった。

 

洗い場は4・5個のみ。

でも、地元の人たちは湯舟近くに座り込んで、洗面器で湯舟から汲んだお湯をザブザブ掛けるのがお好きのようだ。

 

とりあえず僕は、洗い場に座り、頭と体を洗うぞ。

 

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大黒湯7

なんだこのカラン?

お湯専用水専用とがあるのな。 

スーパー銭湯でこんなのはお目にかかったことがないぞ。

 

頭を洗ったり体を洗ったりするのに必要なのはお湯である。

お湯専用カランのボタンを強く奥側に倒す。

 

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大黒湯8

いや、ごめんなさい。少し大げさに描き過ぎました。

 

しかし、水量調整レバーとかないんだよね。

魔晄キャノン的な勢いでお湯が発射された。すごい衝撃だった。

 

しかもお湯、触れられないほどの熱湯。

ヤケドした。

なるほど、だから水専用カランで薄めるのだな。 

 

だが、この配分がすごく難しい。

 

お湯に水を足す。まだ熱すぎる。

⇒ さらに水を足す。ぬるすぎる。

⇒ お湯を足す。熱すぎる。

⇒ 水を足す…。

 

ネバーエンディング・ストーリーである。

 

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大黒湯8

もどかしいカラン。

たぶんだけど、「タカラ 湯屋カラン S型ハンドル」ってヤツだと思う。

愛らしいデザイン。でも使いづらい。

 

洗面器たった1杯の適温のお湯を作るのに、どれだけ苦労したことか。

なるほど、だから地元の人たちは湯舟から汲んだお湯をザブザブ使用しているのだな。

 

でも、僕は諦めなかった。

お湯1:水4くらいか?濃いめのカルピスくらいの分量で適温を見極め、なんとかかんとか頭と体を洗った。結構疲れた。

 

次は湯舟に入る。

 

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大黒湯8

ごめんなさい。また少し大げさに描いてしまいました。

でも、メッチャ熱かった。

 

さっき『だから地元の人たちは湯舟から汲んだお湯をザブザブ使用しているのだな』とか書いたけど、違うわそれ。

 

カランも灼熱・湯船も灼熱。

どちらを選んでもイバラの道よ。

 

ガマンして2・3分浸かった。

しゃぶしゃぶと同じくらいはボイルされたと自負している。

隣の入れ墨のおじさんは、なぜに涼しい顔をして湯舟に使っているのか謎だ。

たぶん、歩んできた人生の重みが違う。

 

湯上りの脱衣場、冷房が効いているわけでもないし、風通しがいいわけでもない。

さっさと外に出て、夜風に当たったほうがクールダウンできそうだな。

あと、ドライヤー無いのは少々不便。

 

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大黒湯9

外に出て振り返ると、既に暖簾が取り外れていた。

 

まだ時間は19:10を少し回ったところなのだが、19:30閉館だもんな。

実際は17:30~19:00くらいまでしか入館できないのだろう。

 

そんなタイミングで、僕は運よく銭湯体験をできたのだ。

 

 

大黒湯を振り返る

 

この大黒湯の情報や写真は、Webではなかなか出てこない。

しかし山陽新聞の2019年9月6日の記事で、取り上げられた情報がWebにあった。

 

www.sanyonews.jp

 

これは貴重な情報だ。

少しだけ、ここからの情報をかいつまんでご紹介させていただく。

 

大黒湯は、この下津井の町にに残る唯一の銭湯。

昔は複数軒あったのだが、風呂付きの家が 増えたことで需要が少なくなり、30年ほど前に相次いで廃業。

ここ数年は、大黒湯1軒のみとなってしまった。

 

現在のおかみさんのおじいさんが戦前に開業したそうで、70年前に改修していると記載されていたので、少なくとも創業からは80年以上は経っていると判断した。

 

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あの旧字を使用したレトロなロッカー。

あれは、まさにその創業当時から使われていたものなのだそうだ。

 

本当に貴重なものだ。

それが今も実際に気軽に使用できるのだから、貴重な体験をさせていただいた。

 

現在の1日の平均利用者は 30人ほど。

やればやるほど赤字になるのだが、自宅にお風呂がない人など、ここを必要としている常連さんがいる。

 

だから、2020年現在は89歳になっているであろうおかみさんは、今日も瀬戸大橋の下のこの銭湯に暖簾をかけるのだ。

 

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田ノ浦6

未知の体験が目白押しで、あんまりゆっくりとかリフレッシュとかはできなかったけど、とてもワクワクした。

もしかしたら、数10年後には体験できないような出来事だったのかもしれない。

それを、旅を通じて体験できたことに心から感謝する。

 

そして、清潔な紳士になるという目的は果たせた。 

このあとどこかで車中泊をするので、生き様は紳士とは程遠いかもしれないが。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 大黒湯
  • 住所: 岡山県倉敷市下津井田之浦1-6-21
  • 料金: 420円
  • 駐車場: 目の前の田ノ浦漁港に駐車可能と思われる
  • 時間: 水・金・日曜休み。17:30~19:30営業。

 

 

No:041【栃木県】「夢だけど、夢じゃなかった!」トトロはいた!!田園の中の神社に!!

えぇ、信じていますとも。

いい歳していますが、心の中にトトロがいますとも。

 

僕がそう言い切れる根拠となったエピソードを、日本5周目のドライブの中からピックアップしてご紹介したい。

僕は、あの日、確かにトトロを見た。栃木県の田園の中で。

 

 

 

トトロ神社、発見!

 

1年で最も寒い時期。

作物もなく土ばかりのオフシーズンの田畑の上を、木枯らしが吹きすさぶ。

 

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神社1

メルヘンとは程遠い、この大平原で、僕は1つの神社を探していた。

その神社の名は、「星宮神社」。

そこにトトロがいるという。

 

ちなみに、この周囲数㎞に星宮神社は10個ある。

僕、さっき間違えた星宮神社に行っちゃった。

 

別の星宮神社にて、トトロを探してキョロキョロする僕。

付近の家で庭仕事をしていたおじいちゃんは不思議そうにこっちを見ていた。

僕も不思議な思いだった。…トトロ、いないのか。

いや、そんなハズない。トトロはいるもん、ホントだもん!

 

…という経緯を経て、再度神社の場所を確認し、僕は荒野を走っているのだ。

さて、僕の勘が正しいのであれば、そろそろ…。

 

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神社2

 

いた。

 

 

てっきり心の清い子供にしか見えないのかと思っていた。

心の汚いサラリーマンにも見えるんだ、トトロ。

ありがたいトトロ。

 

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神社3

神社の横の駐車場に、愛車のHUUMER_H3を駐車する。

 

背後には平原。その後ろには雪を被った山々。

なんだか北海道みたいな気分になる。

 

早速トトロに抱き着きたい。

しかし、まだ早い。

ちょっとはやる気持ちを抑制して、神社の入口、鳥居からご紹介したい。

 

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神社4

なんかシャワシャワした、ナイロンみたいな素材の鳥居。

横には『日本一の行灯祈願鳥居』という立て看板がある。

 

これ、実は石の鳥居がナイロンの服を着ているわけではないのよ。

中はスッカスカ。

鉄骨のフレームで、鳥居のかたちを保っているに過ぎない。

 

そんで、特定の日の夜になると、この鳥居が光るの。

立て看板にある通り、この鳥居自体が行灯(あんどん)となって光をともし、ボンヤリと輝くのだ。

もちろん今は昼間なのでムリ。

 

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神社5

『ようちえんの先生になれるように。』

 

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神社6

『おりこうさんになりますように。』

 

鳥居にはびっしりと願いごとが書かれていた。

祈願鳥居というわれる所以がこれか。

鳥居にダイレクトに願いを書くとは、なかなか斬新なイベントだと感じた。

 

『七国山病院にいるお母さんが、早く良くなりますように』…とか、書きたいな。

例の姉妹の代筆で。

 

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神社7

鳥居には、白ヘビがくくりつけられている。

 

星宮神社の公式Webサイトによると、ヘビってのは脱皮を繰り返すから、古来から不死だとか復活と再生をイメージする生き物なんだって。

それは、長寿や蓄財にリンクする。

 

そんな意図から、神社で祀っているのだそうだ。

 

hoshinomiya-jinjya.com

 

では、いよいよトトロに対峙しよう。

 

となりのトトロと胎内めぐり

 

トトロ、鳥居の隣にズドンと立っている。

身長、推定4m。

かなりデカい。実物よりデカい。実物ってなんだよって話だけど。

 

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トトロ1

サイズ的には、大仏かな?

ロケーション的にも大仏かな?

 

種明かしをすると…、これは神社で使われた「かかし」の1つ。

この神社では毎年夏から秋にかけての時期に「古山のかかし祭り」というお祭りをしている。

2020年は残念ながらコロナの影響で中止となってしまったけど。

 

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トトロ2

以前、そのお祭りのかかしとして造られたのが、このトトロ。

そんで好評だったみたいで、ここに残っているのだ。

 

Webなどを検索した限りでは、以前のトトロの顔はもっとブサイク。

これはリニューアル後のものなのかもしれないね。

 

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トトロ3

ちなみに、以前にはこのトトロの横には「さつきとメイ」のパネルもあった。

なんかデザイン怖いしボロボロだったみたいだけど、たぶん老朽化で撤去されてしまったようだ。

 

尚、2020年現在は新バージョンとなって2人が再登場しているようだ。

やはりデザインは少しビミョーな感じだけども。

 

あと、昔はネコバスのペイントをされた車も傍らにいたようだが、それも今はいなくなっている。

さつきとメイを乗せて、七国山病院にでも行っちまったのだと思っておこう。

 

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トトロ4

トトロのおなかには穴が開いているぞ。

ここから中に入れるのか??

 

ほんの少し身をかがめれば、ラクに入れるサイズの入口。

では、おじゃまします。

 

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トトロ5

 

胎内には神社があった!!

 

やけにパンクなデザインの鳥居だなって思ったら、これペットボトル製だ。

 

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トトロ6

その神社の名は、「トトロ神社」。

星宮神社の中にいる、トトロの中にある、神社の名前はトトロ神社。

 

石ころとかドングリとか、落ち葉がお供えしてあった。

ペットボトルのデザインはトトロ感が控えめだけど、お供え物はトトロっぽい。 

 

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トトロ7

入口と反対側は、緑のトンネル。

 

え?なになに??ここってトトロのどこの部分??

背中?背中の突起??

 

とりあえず、中腰になってモリモリ進む。

あ、これトトロを探しているときの森の中のシーンみたいだ。

 

…トンネルを抜けると、そこは境内だった。

 

 

境内も、また不思議

 

トトロの胎内巡りの行きついた先は、星宮神社の境内であった。 

 

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境内1

拝殿は、まぁ普通。

鳥居やトトロに比べれば、安心して見ていられる造形。

…とか失礼なことを思ってしまった。ちゃんとした神社なんだからね、ここ。

 

しかし、注連縄にちょっとご注目いただきたい。

 

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境内2

注連縄もヘビのかたちだ。

その理由は前述の通り。

 

昔はこの付近の多くの神社が、このようなヘビの注連縄だったそうだ。

しかし、近年はこれを作れる技術者が減ったこともあって、もうこういう注連縄を設置している神社もほとんどなくなってしまったらしい。

 

貴重な文化なのに、残念な限りですな。

 

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境内3

うおっ、拝殿に登る階段の下に変なヤツがいる!!

 

いきなり、「オリエンタルランド」から出てきたようなアニメっぽいキャラクターの登場だ。

狛犬の前座的な位置に笑顔で立っている。

 

これは中国の貘(バク)だそうだ。

あの、悪い夢を食べる想像上の動物ね。

よく見ると足元の賽銭箱にも「夢福神」って書いてある。

 

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境内4

背中には大きく「夢」。

なんだこのデザイン。

バクってこんなだったっけ?僕、変な夢を見ているような気分だ。

 

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境内5

これは「ミリオンズ」のキャラクターだな。

境内の片隅にいたが、なぜだろう?

かかし祭りの残留品なのだろうか?

 

なんだか、文化祭テイストがさらに強くなってきた。

 

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境内6

柔らかそうな天守閣を発見。

 

これはもう、どう見てもかかしの概念を超越していそうだが、なんなのだ??

基盤を支える石垣だけ、ガチな造りだ。

 

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境内7

あ、「くまもん」だ。

 

しかし体に何かポスターが貼ってあるぞ。

石橋病院移転新築工事 作業所一同』って書かれてある。

写真には工事作業者と思われるおじさんたちが集まって、ワーイみたいな感じになっている。

 

この人たちが、かかし祭りにくまもんを提供したのかな?

ねぇくまもん、覚えている??

 

 

*-*-*-*-*-*

 

となりのトトロ」のキャッピコピーを、ご存じだろうか?

 

「このへんないきものは、まだ日本にいるのです。たぶん。」

 

…いろいろいたし、いろいろ変だったなー。

トトロだけじゃなかったなー。

 

朝からカオスな世界の片鱗に足を踏み入れ、僕は大満足だ。

さぁ、次のワクワクを探しに行こうか。

 

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以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 下野星宮神社
  • 住所: 栃木県下野市下古山1530
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

 

No:040【京都府】関西最後の秘境「芦生の森」!!単独立入禁止の山中で廃線跡を辿る!!

ここに再度警告致します。

ご自分の命を大切になさって下さい! 

 

警告  

一人での入林禁止!

芦生研究林では、毎年死亡事故を含む遭難が発生しています。 

 

さて、困ったね。

あたかも「青木ヶ原樹海」ような、デンジャラスな文言の並ぶ「芦生の森」の公式Webサイトの画面を見て、僕は思案した。

 

僕は「午後の紅茶」を午前中に飲むのをためらうくらい、法を順守する男だ。

…というのは大げさすぎだが、1人での訪問がダメと言われているのに、無理矢理1人で突撃するのは得策ではないことくらいはわかる。

 

関西地区に居住していて、山岳アドベンチャーに同行してくれそうな仲間…。

ふと思いついて、僕は携帯電話を取り出した。

連絡先は、3年前に有人日本最南端の島「波照間島」で出会った旅人、「ひまこさん」だ。

 

姉さん、僕のムチャに付き合ってくれ。

 

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…というわけで、関西最後の秘境とも言われる、「芦生(あしう)の森」に行ったときの話をしよう。

 

 

 

芦生の森に行くために

 

最初に、少し「芦生の森とは何か」を語らせていただく。 

 

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なぜなら、万が一にもこのレポートを最後まで読まずに、僕のブログの影響で芦生の森へ突撃してしまう人がいたら、大きなご迷惑をおかけしてしまうかもしれない。

 

芦生の森に行くためには、まずは芦生の森を知ることから始まる。

実際、僕もそうした。

 

もしあなたが特に芦生の森に行くつもりがないのであれば、それはそれで安心。

しかし、本編に入る前に本章を読んでいただくことで、より盛り上がるのではないかと思う。

 

…とまぁ、大層な導入でもったいをつけたが、芦生の森っていったい何なのか。

 

 

99年の約束

 

まずはその正式名称だ。

京都大学フィールド科学教育研究センター森林ステーション芦生研究林」

長い。僕も素ではこの正式名称を言えない。

 

この森は、実は「京都大学」が管理しているのだ。

スポット名からそのことだけでも感じ取ってくれればOK。

 

時は1921年(大正10年)。

京都大学は研究の目的で、京都府滋賀県福井県に囲まれた深い深い山間部の森、約4200haの地上権契約を結んだ。

 

 

それが上記である。

 

まわり一面、グリーングリーン

西日本屈指の広大な原生林。

高速道路で行こうとしても、どこからも遠いという困った立地。

 

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地上権契約の期間は99年

なんか小学生みたいな期間設定だ。

 

現に僕も、ゲーム機を親から買ってもらえなかった幼少時代、クライメイトの「有澤くん」からゲーム攻略本だけ借りて、「へぇ、ドラゴンクエストってこんなゲームなのかー」って、やりもしないのに攻略法だけ詳しくなった。

そのゲーム攻略本、有澤くんから「99年貸してやる」って言われていた。

もちろん今も大事に所持している。

 

有澤くんが芦生の森を意識して99年と言ってきたのか、もはや知るすべはない。

しかし、そこには確かに約束があった。

 

 

手つかずの巨大原生林

 

芦生の森は、巨大な原生林。

 

太平洋と日本海の中心くらいにあるので、そのどちらの特徴をも兼ね備えているという稀有な存在。

また、標高600mちょっとの場所に位置する暖温帯林と冷温帯林の中間くらいの気候なので、これらの両方の特性を持っている。

 

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こんなレアな条件を満たし、ここまで巨大な原生林は日本に他に例がない。

 

さらに、4200haの敷地の多くは、ほぼ手つかずの原生林である。

一部は大学の研究だとか財源のためだとかで、一部伐採して運び出したり、加工したりもされたが、その範囲はわずか6%とも言われている。

 

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つまり、広大で貴重な原生林が、ほぼ手つかずの昔のまま残っているのだ。

これは、京都大学が管理したからこそだと思われる。

一般の観光地ではないので、他者による訪問・伐採・環境の変化が起きにくかったのだろう。

 

もちろん動植物などの生態系も、環境まるごと長年保存し、研究されている。

まさに研究者たちのサンクチュアリ!!

芦生の森は、1つの世界だ。

これで関西最後の秘境と呼ばれていることにも納得!

 

ja.wikipedia.org

 

昭和時代前半に活躍した、植物学者の「中野 猛之進さん」はこう語っている。

植物を学ぶ者は、一度は京大の芦生演習林を見るべし」と。

すごいぞ、芦生の森の評価!

 

※ちなみに、「芦生演習林」っていうのは、芦生の森の昔の呼び名ね。

 

 

森に足を踏み入れるには

 

さて、これで芦生の森の概要はご理解いただけただろう。

芦生の森は、京都大学のものであり、研究者のための森だ。

だから一般の人の認知度はかなり低い。

 

荒らされることなく、生態系を守る必要があったからだ。

一般人がワイワイ入って踏み荒らしたり、「森のくまさん」歌いながらハイキングしたり、オニギリをパクついてゴミを捨てられたらどれだけ迷惑か、想像できよう。

 

しかし、一般人もこの森に入れなくはない。

 

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…しかるべき条件を満たし、そしてしかるべき申請をすれば。

 

京都大学目線で考えれば、一般人が自分の敷地にノコノコ入って遭難したり自殺したりしては、それこそ大迷惑である。

だから、もろもろの条件をつけ、申請をさせ、警告もしているのだ。

 

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芦生の森の公式Webサイトは2017年ごろにリニューアルされ、スタイリッシュなデザインのものとなった。

 

しかし、それまではTOPページに上記の文字がドンと構えるものだった。 

上記はその旧Webサイトを、かつての僕が念のため保存しておいたものである。

 

怖いだろ?

ちなみに、もっとガチなのをご消耗であれば、以下のエピソードもどうぞ。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

 

では、具体的に芦生の森に入るための条件って、なんなのだろうか??

これについてはあえてここには記載しないこととする。

本当に興味があるなら、あなた自身で問い合わせ、そして調査してほしいと思う。

 

なぜなら、僕が訪問時のルールが現状と同一とは限らず、そして現状のルールがあなたが訪問する際のルールと同一とも限らないからだ。

 

研究の都合、環境保全のため、コロナの影響、何でどのように変わるかわからない。

そしてさらに、次項でご説明する内容も絡んでくるかもしれない…。

 

 

歴史の狭間の執筆

 

前述の通り、京都大学1921年に99年の地上権契約を結んだと記載した。

1921年から99年…。

 

2020年、今年じゃないか!

 

そう、芦生の森にとって、今年は歴史的な年なのだ。

さぁ、契約満了で新たな運命を辿るのか、それとも京都大学が契約を更新するのか…。

 

僕は内心ドキドキしていたさ。

実はすでに結果は出ている。

今年の4月くらいに発表された。

 

fserc.kyoto-u.ac.jp

 

『京大・芦生研究林 30年間借地再契約_南丹・地元財産区と期限切れ迫り』

 

京都大学が契約更新した!

今度は30年!

 

地元の新聞と、京都大学のサイトにこじんまりと出ただけ。

かなりマニアックな話題だったようだな。

 

しかし、もし京都大学がこの土地を手放したらどうなるか、とか一部ではウワサがされれていたところ、もうしばらくはこの森は、手つかずの秘境でいられるようだ。

 

そんな99年目の最後の年である2020年、僕は是非ともこの森のことを執筆したかった。

 

*-*-*-*-*-

 

さぁ、前置きが長くなった。

 

時は少々さかのぼる。

梅雨入り前の一番緑豊かな時期に森を歩こうと思っていたら、数日前からずっと土砂降り。

そんな最悪のコンディションの中、僕は芦生の森を目指しハンドルを握る…!

 

 

ロッコ道への突入

 

土砂降りの中、僕は愛車を山の奥へ奥へと走らせる。

滋賀県大津市でひまこさんと合流後、芦生の森の登山口へと向かっているのだ。

 

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秘境へ1

早朝はワイパー最速でも視界が効かないほどのザーザー振りの雨だった。

今はそこまでではないが、普通の雨。

 

こんなコンディションで、マジ大丈夫なのか??

 

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秘境へ2

はい、到着。

装備を整えた後、「芦生研究林事務所」で入林手続きをした。

 

…ってサラっと書いたが、実態は結構大変だった。

事前確認済みなのに、なぜか施設がOPENしていなくってさ。

念のため電話をしてみたがつながらなくってさ。

 

ひまこさんがさらに上位組織の電話番号を調べてくれ、なんだか事情をわかっていない職員の人に交渉を重ね。

なんだかんだで了承を取り付け、2人で手作りした入林届に、上位組織から聞いた必要事項を聞いて投函。

 

これでいいんだよな?

正規なフローは踏めなかったが、一応許可はもらってやることはやったぞ?

では森に足を踏み込むぞ?

 

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秘境へ3

登山道の入口は、森林軌道の起点でもある。

まぁつまりトロッコね。以下トロッコと書く。

 

森の研究のためのあれこれの理由からトロッコが積極的に使用されたのは、1927年から伐採作業が終了した1960年代まで。

1980年代には、ほとんど使用されなくなったようだ。

 

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秘境へ4

では今も残る、この機械式のトロッコはなんなのか。

…っていうと、今でもすごーく稀に巡視のために運行することがあるそうなのだ。

 

しかしその区間は一部であり、後述する「灰野集落跡」まで。

その先は、軌道は大きく崩れるからな。

 

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秘境へ5

このトロッコ道は、2008年に近代化産業遺産に登録されている。

『山間地の産業振興と生活を支えた森林軌道の歩みを物語る』のだそうだ。

 

さぁ、ここでいよいよ今回の僕の目的を明かそう。

 

  1.  トロッコ道を歩いて当時に思いを馳せる
  2.  トロッコ道の深部、線路の芸術的な大崩壊スポットを見る
  3.  緑豊かな森の風景を写真に収める

 

この3点だ。

「1」と「3」は、「屋久島」でその面白さに目覚めた。

「2」は、当時少しずつ目覚めつつある廃墟趣味へのプロローグだ。

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秘境へ6

幸いにして雨は小降りになり、ゴアテックスのレインウェアを着ていればそんなに気にならない。

カサはなくても歩けそうだな。

 

では、森へと突入だ…!!

 

ロッコ軌道にいざなわれ

 

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ロッコ道1

薄暗い森の中、線路に沿ってテクテク歩く。

屋久島の「縄文杉」を目指して延々と歩いたときの風景に似ている。

 

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ロッコ道2

おっ、街灯がついている。

異世界に吸い込まれそうな、神秘的な風景だ。

 

なぜこんなところに街灯があるのか。

それは、この先に1軒だけ民家があるからだろう。

 

古来から森の中にはいくつか集落があり、京都大学の土地となってからも存在していた。そして、あらかた廃村となった現在、最後の1軒が現存している。

…と聞いたことがある。

 

予想は当たったようだ。

間もなく森の中に1軒の民家が出てきて、電線はそこに引き込まれた。

その先にはもう電線はない。

 

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ロッコ道3

由良川」が右手に見えてきた。

由良川は、京都の北海岸に注ぐ川。その源流に近い部分が、こうして目の前にある。

 

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ロッコ道4

この写真、左手の傾斜の先が川。

 

川に合流していく支流も多い。線路の下が橋になっているのがおわかりだろうか? 

同じ写真を、ちょっと左側から橋にフォーカスして見てみよう。

 

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ロッコ道5

こうなる。

ロッコは小さな小さな橋を渡る。

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ロッコ道6

歩き出して40分。

灰野集落跡にやってきた。

1960年まで、ここには集落があった。

 

今、その面影はほとんど残っていない。

その1つは、当時家が建っていたであろう石垣。

 

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ロッコ道7

もう1つの面影は、「灰野神社」が今も存在していること。

小さな祠と鳥居が残る。

 

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ロッコ道8

鳥居も祠も綺麗だ。

今も誰かがしっかり手入れをしているのだろう。

 

森の神は、住民がいなくなった後も、60年間この森を守り続けている。

そしてきっとこの先も、守ってくれるのだろう。

 

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ロッコ道9

説明版があったので、掲載しよう。

 

灰野集落は、江戸時代初期の1638年に山番っていう名目のもと、人を住まわせたのが始まるだったそうだ。

最盛期には8軒の家があったそうだ。

うん、最盛期でも小規模だね…。さすが山奥。

 

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ロッコ道10

線路の脇には、次世代を担う予定の線路の枕木が積まれている。

ほとんど運行しないトロッコだけど、枕木が劣化したらここの在庫から取り換えているのだろう。

 

前述した通り、トロッコの運行終着点はこのあたりらしい。

ここから先はもうトロッコは走らないので、線路は荒れてくるぞ。

 

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ロッコ道11

ね、結構不安な品質になってきたでしょ。

 

…それとは逆に、森はより一層、深みを増す。

 

 

スグリーンの世界

 

雨、ほぼ止んだ。

 

最初は多少降っていたけど、ほぼ頭上の木々が覆ってくれていたので「適度度なクー
ルダウンになって逆に嬉しいね」とか話していた。

初夏なので、晴天であれば相当暑かったろう。

特に遠景を楽しむわけではないので、安全に歩けるのであれば天気は関係ない。

 

いや、むしろ雨や雨上がりのほうが、森は生き生きする。

 

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スグリーン1

昔は、苔ってあんまり好きではなかった。

ジメジメして日陰に育ち、汚いイメージがあった。

 

しかし、屋久島でそのイメージが一変した。

苔は森を包む緑のスポンジ。水を吸い込み、みずみずしく輝き、全ての動植物の生活を地表で支えている。

少なくとも、森の苔はすごい。そう力説したい。

 

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スグリーン2

少しブレている写真が多くて、大変に申し訳ない。

ぶっちゃけ太陽光が少ないせいで、写真がちょっとブレやすい。

 

苔って、晴天で乾燥しているときは茶色ですごい見栄えが悪かったりもする。

写真を撮るとさらに白っぽく、色あせた森に映る。

 

しかし雨に濡れると苔は一気に緑になる。

を本気で見るなら雨。つまりを本気で見るなら雨。そう感じた。

 

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スグリーン3

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スグリーン4

見よ、至ところから水が滴っている。

こうやって森はうるおい、成長する。

同時にしっかり水を吸収することで、川の急な増水だとかも防いでいるのだ。

苔すごい!苔すごい!

 

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スグリーン5

苔は拡大写真にするとさらにかわいい。

さながら、ミクロな木のようだ。

 

ジオラマやテラリウムで、森や木を苔で再現する手法がある。

苔は小さな小さな森なのだ。

 

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スグリーン6

こんな感じでところどころで足を止め、接写写真を撮っている。

僕らの歩みは遅いが、とんでもなくワクワクしている。

 

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スグリーン7

まぁね、でもあまりに雨が多いと、苔も水を吸収しきれないけどね。

ほら、そのせいで土砂崩れだ。

ここ数日の尋常じゃない土砂降りの影響か??

 

ロッコ線路が見えているせいで、事故感がハンパない。

実際の鉄道でこうなったらニュース速報が止まらないだろう。

 

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スグリーン8

唐突に歩道が鉄板になった。
なぜだろう?身を乗り出して足元の由良川を覗いてみる。

 

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スグリーン9

かつての木製歩道がバッキャバキャになって転がっていた。

なんだったら、かつての歩道そのものが崩落していた。

 

これも自然の摂理。

芦生の森は、その気候から京都の街中に比べ1.6倍も降水量が多いのだ。

 

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スグリーン10

苦手な人と食事中の人に配慮し、一部のみ小さな画像でご紹介する。

 

これは、獣の骨だ。

滑落死だろうか?白骨が散乱し、それを取り巻くように毛皮の残骸。

 

これも自然の摂理。

 

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スグリーン11

森は霧に包まれた。

雨が止み、気温が高くなって地中の水が蒸発してきているのかな?

 

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スグリーン12

雨が森をはぐくむ。由良川を作る。

しかしその雨が、土砂崩れなどで牙を剥くこともある。動物がそれに巻き込まれることもあるだろう。

 

そういう自然界の営みが、手の届くところで繰り広げられている。

 

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スグリーン13

複雑な成長をした木。

プレッツェルに似ている。「プレッツェルの木」と名付けた。

 

この日撮影した写真の中でも、お気に入りレベル上位だ。

森の緑の鮮やかさが、非常にうまく記録に残せた。

 

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スグリーン14

苔と戯れていると、背後からゾロゾロと10数人の中高齢者のハイカーが登場。


森に入って初めて他の人と出会った。

結論から言うと、唯一の他者との邂逅であった。

そのくらいに、人が少ない森。


僕らはゆっくりと歩きたいので、グループの人には先に行ってもらった。

 

そして上の写真からも感じ取れるかもしれないが、歩道はさらに崩壊が進む

さぁ、ゾクゾクしてきたぜ。

 

 

崩壊したトロッコ橋梁

 

歩き始めて1時間30分。

ふと左手の由良川を見ると、橋が落ちていた。

 

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崩壊ゾーン1

このときは、「ふーん、橋が落ちていますね」くらいにしか思わなかった。

これは、「赤崎谷仮橋」という名の橋だ。

あとで少し出てくるから、覚えておいてほしい。

 

この橋は、僕らの進む道ではない。

僕らはトロッコの軌道跡を進むのだ。

引き続き線路に沿って歩く。

 

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崩壊ゾーン2

うおっ!!

 

ロッコ線路がなくなっている!

谷間の向こうに線路の続きが見えているが、谷間を渡るためのレールは消失している。

 

まさかこれ…。

来たか、僕が見たかった大崩落ポイント…!!

 

遊歩道はこのちょっと手前から、谷間の底に向かって続いている。

遊歩道に沿って谷間の底に行けば、レールの先がどのようになっているのか見える。

 

僕ははやる気持ちを抑えながら谷間へと降りた。

そして、線路の途切れた部分を谷の底から見上げた。

 

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崩壊ゾーン3

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崩壊ゾーン4

 

 

ロッコ橋梁、崩壊!!

 

 

シビれた。

この崩壊美に。

 

僕は、この1枚の写真に魅入られ、芦生の森に行こうと決意したのだ。

つまりはこの写真を撮ることが、芦生の森に来た目的なのだ。

 

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崩壊ゾーン5

そしてレールは、ギリギリ力尽きそうになりつつも、なんとか谷の反対側に手を乗せている。

「ファイト、いっぱーつ!」って感じに踏ん張っている。

 

人工物が自然に飲み込まれ、朽ちていく。

この状態は、今だけのもの。来年は来年の良さがあるのかもしれないが、同じ状態は2度とない。

それが、崩壊美なのだと僕は考える。

 

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崩壊ゾーン6

間に合ってよかった。

僕がここに来るきっかけとなった1枚の写真と、ほぼ同じ状態で見ることができた。

一期一会に感謝する。

 

 

ところで、目線をさらにレールの進行方向へとズラしていくと…。

 

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崩壊ゾーン7

 

あ、向こうにも橋が転がっている。

 

 

慌てて駆け寄った。

「大丈夫かー!」って。いや、全然大丈夫じゃなさそうなんだけど。

 

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崩壊ゾーン8

こっちはまだ、橋を形成する木の板が残っている。

落橋してからそんなに年月が経過していないのだろうか…?

 

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崩壊ゾーン9

橋を支えていた木の柱は、朽ちて完全に倒壊している。

これでは、いくらレールや橋板が丈夫でも、こうなってしまうよな。

レールは急角度に地球に激突していた。

 

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崩壊ゾーン10

ギリギリまで線路に近づいてみた。

向こうからトロッコが走ってくる絵を想像すると、ド迫力だ。

 

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崩壊ゾーン11

線路はさらに続く。

バッキバキに折れながらも、谷を這い上がっていく。

下にいるひまこさんと比べると、4mほどの落差だろうか?

 

ところで、川を渡るトロッコレールが朽ちて落ちているにもかかわらず、僕らはこうして両側から写真を撮れている。

 

いったいどうやって川を渡ったのかというと…。

 

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崩壊ゾーン12

 

丸太橋。

 

 

その下を、土砂降り直後の由良川がゴーゴーと流れている。

これが現在の正規ルートであった。

 

さて、ここで直近で登場した橋とルートを、ヘタクソな絵でご説明したい。

 

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唐突に名前を出して恐縮だが、落橋したトロッコ軌道は、それぞれご紹介した順に「赤崎西橋梁」・「赤崎東橋梁」というそうだ。

 

しかし、Webサイトで調べてもなかなかこの2本の橋の情報は出てこなかった。

落橋した写真も、ほとんど見つからなかった。

(少なくとも訪問前後において)

 

「なぜだろう?」って考え出したのが、上の図だ。

赤崎谷仮橋が現役であれば、歩行者は赤崎西橋梁・赤崎東橋梁の目の前まで行く必要がなかったのだ。

仮橋が落ちたからこそ、丸太橋ルートができ、赤崎西橋梁・赤崎東橋梁を見れるようになった。

 

推測だけど、仮橋が落ちたのは僕らが訪問する2・3年前と判断した。

複数の条件が重なっての、奇跡的な邂逅なのであった。

 

 

遊歩道の終焉

 

崩壊ゾーンでは、50分ほども費やして周囲の見学をしていた。

 

その間に、先ほど僕らを追い抜いて行った中高年ハイカーさんたちが戻ってきていた。

「この先は通行止めだったよ」とか言っていた。


あと、おじさんの1人がヒルに噛まれたらしく、手から血をダラダラと流していた。
ヒルに詳しいひまこさんが対処のアドバイスをしていた。
僕は、手持ちのポケットティッシュをおじさんに丸ごとあげちゃった。

 

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終点へ1

さぁ、どうやら僕らの探索も終盤らしい。

イカーさんたち曰く、あと1㎞もしないうちにこのコースは通行止め。

そこまでは歩いておこう。

 

崩壊ゾーンから谷間をよじ登って、またトロッコ軌道の続きを歩き出す。

 

ちょっと歩いていると、首筋にほんのちょっとだけどチクッとした感覚が走った。

何気なくその部分を手で触ってみると、プリッとしたものが指に当たった。

 

 

来たーーー!!来やがった!!
ヒルだ!!
そしてそこは僕の頸動脈ゥゥーーー!!

 

 

ja.wikipedia.org

 

すぐに引き剥がす。

まぁホントは出血が酷くなるから無理に剥がしちゃダメなんだけど、そんな理性的に行動できるほどオトナじゃないのよ、僕は。

 

「チクショウ!チクショウ!ひまこさん、首から血が出ていませんか?」と尋ねるんだけど、どうやら大丈夫みたい。

助かった。僕が敏感肌で良かった。

 

あと、さっきヒルに噛まれて血だらけだったおじさんを見ていなかったら、わずかなチクッとした痛みとヒルとをリンクできずに対応が遅れたかもしれない。

たぶん僕の足音か体温かで察知して樹上から落ちてきたんだろう。

恐ろしい。そして腹立たしい。

 

数分も歩かないうち、今後は腕に違和感。

 

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ヒル、いるーー!!

腕の上でウネウネしているーー!!

 


デコピンで地平線の彼方に吹っ飛ばす。

今度も噛まれる前だったみたい。危ない危ない。

 

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終点へ1

歩き始めてから2時間半後。

「小蓬(こよもぎ)作業場跡」に到着。

 

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終点へ3

伐採作業の作業小屋がかつてあった場所。

しかし現在は小屋は解体されて残骸が山積みにされているだけ。

数年前に落雷かなんかで壊れちゃったと聞いている。

 

他には、よくわからないけどコンクリートの遺構が残っていた。

 

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終点へ4

『この先間もなく通行止』的なことが書いてある。

だが、まだ進めそうだ。

行けるところまで行こう。

ロッコ軌道も、まだ先を示している。

 

さらに歩くと…!!

 

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終点へ5

またまたトロッコ橋梁が大崩壊!!

これはまたハデにやられちゃいましたねー。

 

全容を把握するため、谷を滑り降りて下から見上げることにした。

 

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終点へ6

これは谷に下りる途中、少し違う角度から撮影したもの。

かろうじて残る支柱に、見事なバランスで乗っかっているだけのレール。

大道芸のようだ。

 

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終点へ7

空中を結ぶ、限界ギリギリの橋の残骸。

橋と言っていいものかどうか迷うくらいの、最後の姿。

お相撲さんが支柱に張り手をかましただけで、この橋の歴史は終わるのだ。

 

そのスカスカの橋越しに見上げた空が、さっきよりも随分と明るくなっていてきてることに気付く。

このあと、晴れ間が見えるな、きっと。

 

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終点へ8

谷の反対側を、レールが駆け上る。

そこを上がったところが終着点であった。

 

引き返そう。

目的は果たした。

 

 

血塗られたメモリー

 

降水確率100%からの見事な大逆転を決め、意気揚々と引き返す。

 

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帰路1

崩壊ゾーンまで戻ってきた。

日が当たると、またイメージ変わるな。

 

ここでランチにしよう。

2つの廃橋の見える、最高のデルタ地帯でパンを食べた。

 

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右を見ても廃橋。左を見ても廃橋。

 

あぁ、僕は目覚めそうだ。廃墟趣味に目覚めそうだ。

滅びゆく美。なんて甘美な世界。

 

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帰路2

この森に入って歩き始めてから既に3時間半。

では、入口を目指して戻ろうか。

 

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帰路3

行きに見てきた光景が 走馬灯のように再来する。

しかし、日があたると清々しさがUPしている。

 

雨と晴れ。その二面性を1回で見れて嬉しいぜ。

 

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帰路4

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帰路5

…あ!

線路の向こうから、灰野神社の鳥居がニョッキリと見えてきた。

 

灰野集落の片隅には、巨大なトチの木の倒木があることに、帰路に初めて気づいた。

芦生の森訪問者の中では、ちょっとだけ有名な木なのだそうだ。

 

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帰路6

完全に苔に覆われていて、森の主って感じだった。

倒れて消えゆく命も、ここではまた神聖だ。

 

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帰路7

集落から見上げる山々は上の方が霧で覆われ、なかなか神秘的だった。

森の天気はめまぐるしく変わる。

人知を超えた、圧倒的パワーだ。

 

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帰路8

もう周辺の雰囲気は深い森というより、日当たりのいい木立の中。

草に飲み込まれそうになっている日向のトロッコ軌道が、夏の到来を予感させる。

 

森の中の一軒家の脇も通り過ぎ、ゴール間際。

全ての危機も過ぎ去り、僕らはヘラヘラと談笑しながら最後の約300mを歩いていた。

 

 

甘かった。

 

 

ひまこさんが「靴の中に違和感がある」と言って、靴を脱ぎ始めた。

僕はこの時点で、「その違和感はヤベーだろ」って思った。

パンドラの箱を開けてくれるな」って思った。

 

靴の中から覗いたのは、血みどろの靴下と、クネクネクネクネと踊り続けるヒルが2匹

すぐに靴下を脱いでもらった。

するとさらにヒル、追加1匹。

 

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う、うおぁわぁぁぁーー!!

バイオレーーーンス!!! 

 

グレートジャーニーからの、いきなり火曜サスペンス劇場

 

血を拭こうにも、ポケットティッシュは数時間前に、ヒルに噛まれたおじさんにあげちゃったし。

靴下からヒルを剥がそうにも、鋭い牙で靴下に噛みついていて、引っ張ってもグニグニ伸びるだけで剥がれないし。

ムリに剥がそうとするときっとこれ、血液をゲボッと吐いてさらに周囲が大惨事になるよ。

 

どうしょもないけどあと200mほど!

このまま進む!

 

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帰路9

ゴールが見えてきた!

5時間前に駐車した、愛車のパジェロイオが見えてきた!

 

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帰路10

ひまこさんは素足に靴を履いてゴール!

 

僕は片手にひまこさんの血だらけの靴下を持ってゴール!!

 

終盤に我らのパーティーに加わったヒル2匹も、靴下にかじりついて一緒にゴール!!


なんだかわけわんねーけど、もういいや。

 

 

*-*-*-*-*-*ー

 

「ひまこさん、医務室…!」  

「あれー、事務所まだ開いていない!」

 

「水道で洗濯…」

「車内に救急箱…!!」

 

 

まだしばらく現場はバタバタしそうだけど、これが関西最後の秘境を歩いた僕らの物語。

 

ありのままの原生林に、等身大でぶつかった物語。

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 芦生の森
  • 住所: 京都府南丹市美山町芦生
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: いろいろ制限あるので、各自調べてほしい。

 

No:039【愛媛県】夕日良ければ全て良し!!四国最西部の落陽に果てしない旅情を感じた!

旅行中の人間ってのは、感受性の塊である。

これが僕の持論だ。

 

ストレス社会の荒波にさられた日本人の心は、さながらコチコチの石ころみたいだ。

それが旅に出ることで、柔らかいスポンジのように森羅万象全てを受容できる状態となる。

 

飯を食っては「うまい!」、景色を見ては「綺麗だ!」と叫ぶ。

夜はゆっくり温泉に浸かったり、酒を飲んだり、至福のひとときだ。

アバンチュールな出会いもありがち。…僕にはないけど。

 

まぁとにかく、普段に比べて喜怒哀楽のポジティブなタイプの感情が、3倍くらい敏感になるってこと。

類似事例は、「ゲレンデでは異性の魅力が増して見える」だとか、「山頂で食べるカップ麺はやたらうまい」とか、そんな感じ。

 

そんなピュアなハートで、母なる太陽のエネルギーを受け止めたら、もうどんなことになってしまうのか、想像もつかない。

 

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…というわけで、今回は夕日と1日の終わりにまつわる話を書こうと思うのだ。

 

 

 

四国最西部にて

 

時刻は16:30。

年が明けたばかりということもあり、日の入りがとても早い。

 

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夕日スタンバイ1

日没まであと3・40分だろうか…。

すごく長く見積もっても1時間。

 

伊予灘」を右手に見ながらドライブする僕は、西の海を見て思案する。

あの、水平線に細長く突き出しているのが、四国最西端の「佐田岬」だ。

あそこで日没を眺められたら、最高だ。

 

しかし、あと30分であそこまで行けるか…?

答えはNOだ。

僕は努力という言葉を知らない。諦めが早い。

 

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佐田岬は、日本一細長い半島である佐田岬半島の先端だ。

メッチャ尖っている。

 

子供に四国を与えるとしたら、 ケガをしないように佐田岬半島をポキッと折ってから与えたほうがいい。

逆にあなたが新米の殺し屋であり、ボスから与えられた武器が四国しかないのであれば、佐田岬半島をターゲットの首の後ろにブッ刺すがよい。

そのくらい尖っている。

 

ここから岬の先端付近の駐車場までは、車でおよそ1時間。

そこから遊歩道1.8㎞を歩いて30分。

日没にはとても間に合わないだろう。

 

このときは日本4周目。4周目ともなれば、「佐田岬に夕方ギリギリにアプローチして、遊歩道の途中で暗くなって怖くて半泣き」くらいのことは当然経験済み。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

だから今日はもういいや。佐田岬は明日に行く。

 

そう考えた僕は、佐田岬半島の南側の付け根当たりで、夕日がきれいに見えるポイントを探すこととした。

 

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夕日スタンバイ2

このあたりはどうだ?

微調整を繰り返しながら、本日最後の太陽を眺めるポイントを定めた。

 

 

県道249号沿い。

八幡浜のフェリー乗り場から西に約1㎞地点だ。

小長早(こながはや)のバス停が近くにある。

 

ここにはゆとりのある駐車スペースがあり、そして上の写真では見づらいが、海に向かって防波堤が突き出ている。

長早防波堤という名前らしい。

 

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夕日スタンバイ3

防波堤の上には釣り人たち。

釣り人と夕日って、個人的にはすごい絵になると思うんだ。

なぜだろ?

その佇むさまと、釣り竿のシルエットが夕日にマッチするからなのだろうか?

 

ところで、まだ日没までは20分はあると判断した。

 

僕はツーリングマップルを開き、この後のプランを練りながらしばらく待機する。

いかんせん行き当たりばったりなので、このあとどこで風呂に入り、どこで寝るかとか、1ミリも考えていないんだよね。

 

 

そして日は沈む

 

時刻は17:10。

いよいよ来るぞ、今日という日の終焉のときが。

 

僕はツーリングマップルを閉じ、のそりと車から這い出た。

 

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落陽1

日中であれば、もしかしたら何気ない県道の一風景なのかもしれない。

 

しかし、見よ。

冒頭で記載の通り、あなたも旅人目線で感受性を3倍にして見てほしい

県道の一風景が、一大スペクタクルに変貌するから。
 

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落陽2

1月の海風で、手が震える。

しかし、この震えは寒さから来ているものだけではないと気付く。

 

四国の西海岸は、国内でもとりわけ夕日が美しいと評判のエリアだ。

空気が澄んでいる冬は、なおさらである。

その美しい夕日が、穏やかな瀬戸内海に沈もうとしている。

 

おそらく、あの島は「鳥島」と「黒島」だろうな。

そこに夕日が接近する。

 

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落陽3

あ、ヤベーよ、これ。

僕のようなカメラのド素人でも、ポスターみたいな写真をジャンジャン量産できる。

 

気の利いたポエムとか書いて、八幡浜市の観光ポスターにしてやりたいくらいだ。

 

「忘れられない夕日を見れる街、八幡浜市

 

…とか、この写真に書いて観光ポスターにしてみたくなる。

 

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落陽4

そして、いよいよだ。

17:20、島の稜線に日が重なる。

 

 

なぜ、夕日はこんなにも我々の胸を熱くするのか。

 

光の時間から闇の時間へ。

その移り変わりの、最後のきらめきを見れるからだろうか。

つまり夕日は終焉である。

 

夕日がイメージするものは、郷愁であったりもの悲しさであったり、切なさであったり。

数々の詩や歌でも夕焼けや夕日はそんなポジションだ。

「夕日に似合う曲調は?」と聞かれて、ドッカンドッカン賑やかな選曲をする人は少ないだろう。

 

今日という、2度とない日のエンディングが、静かに訪れるのだから。

 

(日没をドッカンドッカン見送るなんて、世界広しと言えども僕は「礼文島」の「桃岩荘」くらいしか知らん。)

 

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落陽5

朝日と夕日のみが、人間がまともに太陽を直視できる時間。

赤く焼けた太陽は、焚火に目を奪われるのと同じように、人の心を引き付けるのかもしれない。

 

そして、朝日にはなく夕日のみが持つのは、前述の要素に伴う「1日の終わりを振り返ることができる時間」という点。

僕らは、火を見て心を落ち着け、そして1日を振り返り感謝するのだ。

 

例えわずかな時間でも、そうやって気持ちの整理をし、体を休める準備をし、明日への活力とするのだ。

…僕はそう考える。

 

 

視界の右手から一隻の小さい漁船が動き出した。

 

20分近く、この近辺の船に動きがなかったのに、いきなりだ。

これ、いい絵が撮れるかもよ!

 

さぁ来い、早く来い!!

でないと日が完全に沈んでしまう!

 

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落陽6

チャンスはわずか数秒だ。

その数秒の間に、2枚の写真を撮った。

 

太陽はまだギリギリで顔を覗かせており、まぁまぁ納得のいく構図で写真が撮れたと思う。

 

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落陽7

そして日が落ちた。

 

しばらく僕は残照を眺めていた。

これを旅情と言わずして、何が旅情か。

 

シナリオのない1人旅。

ふと訪れた小さな町での、感動的な夕日。

ガイドブックになんて載らない、小さな防波堤の近くで見送った太陽。

 

こういうのが、旅の醍醐味。

 

 

1日の終わり

 

おまけ。

蛇足かもしれないが、今回の記事のテーマは「1日の終わり」なので、そのあとのことも少し書く。

 

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風呂1

10㎞ほど内陸に入り、「夜昼トンネル」という、なんか今回のテーマをそのまま反映したようなネーミングの長いトンネルを抜ける。

 

山間部に出てきたのが、「レストラン嵯峨野」。

気に入ったら夕食にしようかと外から少し雰囲気を窺うが、なんか違う感があり、今回はパス。

 

実は目的は、このレストランの裏。

 

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風呂2

「ゆう湯さがの」という温泉施設がある。レストランと同じ会社が経営している。

 

僕、日本2周目・3周目でもここで風呂に入っている。

4周目の今回は、3回目の訪問になる。

いいお湯だった。旅情効果で感受性3倍だからかな。

 

ちなみに2020年現在は倒産し、ストリートビューでは廃墟となったレストランが確認できる。

なんか悲しいぜ。

 

  

風呂上り、再び八幡浜の街中へ。

どっかで夕食にしたいのに、いい感じのグレードの食事処がない。

商店街も暗い。

 

しょうがないからコンビニ弁当買って食べた。

でもコンビニ弁当もうまい。感受性3倍だから。

 

 

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道の駅1

「道の駅 伊方きらら館」にやってきた。

尖って危険でおなじみ、佐田岬半島をやや先端方面に走ったところにある道の駅だ。

今夜はここで寝る所存。

 

とてつもなく真っ暗なのな。何も見えない。

今日という日を、強制終了させにかかっているようだ。
車も他にはキャンピングカー1台しかいない。あと、風が強くてとても寒い。

 

上の写真を撮るのも苦労した。

風でブレるし、寒さでブレるし、暗すぎてブレるし。

おかげで、画像補正してもこのザマさ、ハハ。

 

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道の駅2

愛車のパジェロイオ車中泊スタイルにする。

 

じゃ、飲むか。

さっきコンビニで買った、2本の発泡酒とおつまみを取り出す。

うん、ビールじゃなく発泡酒でいいの。感受性3倍でうまさUPするから。

 

まだ19:00台だぜ。

真夏であれば、まだほのかに明るい時間だぜ。

だけども僕はもう、1日を終わらせようとしている。

 

 

なんという自由。

車中泊は自由。

 

 

空を見上げると、真っ暗な夜空に星が瞬いていた。

この周辺は人家もないから星が綺麗だ。

星を見ながら飲む酒はうまい。

 

 旅情からなのか、それとも昨夜から相当な距離を走ってきた疲労からなのか…。

 

酔いが回るのが早い。

普段の3倍酔う。

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 長早防波堤
  • 住所: 愛媛県八幡浜市向灘
  • 料金: 無料
  • 駐車場: 10数台駐車可能なスペースあり
  • 時間: 特になし

 

No:038【福岡県】高菜、食べちゃったんですか!?ネットを震撼させた伝説のラーメン屋!

店の意図にそぐわない言動をしたら、即退場となるラーメン屋が存在する。

 

その店の名は、「博多 元気一杯!!」。

 

大将とおかみさんのみが元気いっぱい(←大変恐縮だが、やや皮肉を込めて)のお店である。

客側は…、さしずめ「羊たちの沈黙」かな。

 

さて、僕はラーメン屋「元気一杯」を目指して車を走らせる。

ハンドルを握る手には、ジットリと汗がにじんできた。

 

1ミリのブレも許されないであろう、この先の展開へのプレッシャーで押し潰されそうだ。

 

 

伝説の「高菜コピペ」

 

まずは2008年ごろに「2チャンネル」を皮切りにWeb世界で大いにバズり、今もなお「高菜コピペ」として語り継がれる伝説を、以下にご紹介しよう。

 

店の中は何も無く、テーブルの上は博多ラーメンご用達の「高菜の唐辛子漬け」だけが置いてあった。適度に脂がまぶしてあり、そのオイリーな光沢が胃をくすぐった。ので、高菜を2つばかし口に入れた。

とても美味しかった。その辛さを含め、胃に刺激を与えることを含め、最高の前菜になったと感じた。直後にラーメンが届いた。

 

ちょっと背脂の凄まじさにびっくりしたが、とてもいい感じの濁り方をしたスープが目の前で湯気を立てている。

コクもありそうだし相当、骨も髄液も煮込んでいるらしい濁り方をしていたが、思ったほど店の中は臭みがない。

 

期待できるぜ、とワクワクすると、奥さんがその独特の怯えたような心を許していない視線で「まず背脂をまぶさないで(追加の背脂一杯は、丼の一ヶ所に固められて鎮座していたのだった)スープをすすってください。それから―――」

 

ここで奥さんの心許さじ視線が瞳孔を開ききった状態になり、顔の神経は引きつったまま顔面を僕の顔面に18センチほど前方に接近させ、こう言った―――。


「高菜、食べてしまったんですか!!!!????」


多分、僕の口の周りに微妙に唐辛子の味噌がついていたのだろう。

はい、食べました。美味しかったです。と答えた。

すると、「うちの店は初めてですか?(答える間もなく)何故高菜を食べたんですか? スープを飲む前に何故高菜を食べたのですか? ルールがあるじゃないですか。まずスープをというルールがあるじゃないですか!」と18センチのまま一気にかましながら、持ってきたラーメンを手放さずにこう言った。

 

「これをお出しすることは出来ません。マナーに反する人はお帰りください」

 

唖然とした。

「だってここに高菜が置いてあるから、食べちゃいけないなんて書いてないから食べました。じゃあ、今から水を飲みまくりますよ。で、口の中を洗いますよ。それでも駄目なんですか?」と訊ねたら、また同じことを言われた。

 

長男を見たら、長男は「あちゃー」という顔で奥でもじもじしている。そっか、わかった。次は旦那さんだ。3秒ほど無表情で見詰めたら、反応があった。

 

「お客さんは酒を呑みますか? 利き酒って知ってますか? 利き酒をする前に高菜を食べますか? そういうことです。そんな神経の人に食べてもらっては困るのです」

 

ここでまた奥さんがかまし始める。

「うちは看板も出さずに必死にやっているのですよ。スープを認めてくれないなら、やっていけないんですよ。唐辛子が口の中に入っていたらまともにスープを味わってもらえないじゃないですか? そんな人にスープを呑んで味を判断されたら、もう終わりなんですよ、はぁーはぁーはぁっ」

 

上記は全文ではなく一部の抜粋ではあるが、全国のご当地ラーメンを巡るような方であれば、一度は目にしたことがあるであろう物語。

僕も「桃太郎」とかと同じくらいの回数、この物語を読んでいる。

 

これは、当時音楽評論家の「鹿野淳さん」が実際に遭遇し、自身のブログに書いた内容だ。

これが一世を風靡した。ベストセラーだ。いや、違うけど。

 

もちろん2020年現在も、Webで「高菜食べちゃったんですか」・「高菜コピペ」などで検索すれば、上記ソースや歴戦の挑戦者たちの阿鼻叫喚がモリモリ出てくる。

鹿野淳さんが体験したのは恐怖の一端であり、深淵は途方もなく深いと気付かされる。

 

 

退場ルール一覧

 

鹿野淳さんは上記の後も相当に口論したそうだが、結局はラーメンを食べられずに退場扱いとなった。

現在も「思い出すとムカつく」みたいに語っているそうだ。

 

そう、この店ではラーメンより先に高菜を食べると退場だ。

しかし、実はルールはこれだけではない。

 

僕は最初に福岡市で出会った人にこの店の存在を教えてもらったのだが、その後に訪問に至るまでの間、いろいろと情報を集めておいた。

以下に、そのルールをご紹介する。

 

尚、注意点ではあるが、もしかしたら齟齬があるかもしれないし、誇張されているかもしれない。

あくまで「僕が入手した情報」であり、「僕が退場処分されないために意識したこと」という観点で記すので、そのつもりで目を通してほしい。 

 

  1.  ラーメンより先に高菜を食べたら退場。
  2.  スープより先に麺を食べたら退場。
  3.  最初にスープを飲む際、かき混ぜてしまったら退場。
  4.  店の前に駐車すると退場。
  5.  初めての来店者は退場。
  6.  スーツケースや地図を持っていると退場。
  7.  店内をキョロキョロ見渡すと退場。
  8.  どのようなメニューがあるか質問すると退場。
  9.  大盛りなど、存在しないメニューをオーダーすると退場。
  10.  子供連れは退場。
  11.  店内で電話をすると退場。
  12.  着信音が鳴っても退場。
  13.  写真撮影すると退場。 
  14.  関西人は出禁。

 

ルールを逸脱すると、オーナーさんあるいはおかみさんに相当厳しく叱咤され、出禁にされるそうだ。

 

わー、怖い怖い。

子供時代にヤンチャ過ぎて親に怒られ、勉強できずに先生に怒られ、大人になって仕事できずに上司に怒られる僕。

大人時代のプライベートまで怒られたら、これは逆パーフェクトですよ。

 

「どうする?高菜食べちゃう?写真撮っちゃう??」

脳内の悪魔側のキャラが、僕にささやく。

 

 

店と客の目的の乖離

 

僕が今まで見てきたWebサイトでは、店側の要求が法的に認められるかどうかとか、そういう観点のものがチラホラあった。

 

僕は法律には疎いので、行動学と心理学の観点を取り込み、ちょっとだけ分析してみたい。

もちろん、行動学も心理学も素人だが。

 

店の要求

 

もちろん、店側も趣味で来店者をいたぶっているわけではない。

店の目指すゴールはシンプルである。

 

究極のスープを究極の状態で味わってほしい。

これだけだ。

 

スープ作りに並々ならぬ情熱を燃やし、満足がいかない場合は開店しない店。

「スープに命を懸けている」と宣言している。

 

だからこそ、スープを味わう前に他のものを食べてほしくないし、最初の一口くらいはかき混ぜずに食べてほしいのだ。

客の全員が味に集中する環境を演出するため、私語や子供連れや写真撮影も禁止されているというわけだ。

 

…とは言え、店内にそういうルールが明記されているわけではなく、入店時に明確な説明があるわけでもない。(一部は口頭説明あり)

 

たぶんだけど、店側は上記の説明の代行手段として、「そもそもルールを知っている人だけ来て」というルールを課している。

だから、旅行者のような一見さんはノーサンキュー。

キョロキョロしたりメニューを聞いてくるような人も初回来訪者だからノーサンキュー。

 

こうなったのではないかな。

 

※「関西人は出禁」だけ、店側の好みの問題と聞いている。

 

 

客の要求

 

客側がお店に要求する事項もシンプルだろう。

「ラーメンを食べたい。それが美味しいのであれば申し分ない。」これだけであると推測する。

 

もしかしたら「ただただラーメン店を制覇したい」・「食べ物であれば何でもいい」・「時間つぶしのため」、みたいな人もいるかもしれないが、ラーメン屋がうまいラーメンを出すことにクレームをつける客は原則存在しないと思われる。

 

つまり、店側が「究極のスープを作る」ことに対しては、特に文句はないのだ。

 

店と客のギャップが生まれるのは、店の目指す目標の後者に当たる、「究極の状態で味わってほしい」の部分だ。

 

客が訪問するのは、あくまでラーメン屋である。

これがもしフランス料理の店であれば、「近所だからジャージで行こう」とか「丼メシを追加オーダーして、メインディッシュ乗っけて掻き込もう」とは思いにくい。

 

大前提として、フランス料理にはフランス料理のTPO、ラーメン屋にはラーメン屋のTPOというものが、多くの客の中に存在する。

 

オシャレしてフランス料理の店にデートに行ったら、ねじり鉢巻きで黒Tシャツの大将が「っらっしゃいやせーー!!」とか言ってきたら、どんなに料理がうまくっても気分台無しである。

 

ふらりと入ったラーメン屋で、いきなりウエイターがイスを引いてくれたり、オーナーシェフが食材のうんちくを語りだしたり、片隅でピアノの生演奏されても、逆に居心地悪い。

 

つまり客は、店内にて自身の人生で培ってきたイメージを投影する。

店側がそのイメージ通りであれば問題ない。これが、「潜在意識下での客の要望」と僕は考える。

しかしイメージ通りでない場合、双方の丁寧な歩み寄りが必要なのではないかなって、ビビりな僕は考える。

 

 

衝突の発生

 

店側は、まずは来店者を常連のみに絞るため、暖簾や看板を出さず、TV取材にもほぼ応じない構えを見せた。(取材はしばらく後に受けるようになるが)

 

もしかしたら、「一見さんお断り」みたいな掲示をしてもトラブルになるだろうから、知名度自体をゼロにしようと、上記のように暖簾・看板無しを選択したのだろうか?

しかし、インターネット時代において、上記はむしろ特異な店として一部マニアからの注目を集めてしまったようだ。

 

そうやって来訪した客は、店側にとっては「望まざる客」なのかもしれない。

しかし、店が「一見さんお断り」を明確に謳っておらず、客が完全にアウトローな人間ではない限り、来店した以上は客は客である。

ラーメンを求めて訪れた客である。

 

本来はホストである店側が、それを充分に認識の上で対応するのがセオリーであろうと、僕個人は考える。

 

 

もっとも、今のご時世は写真撮影や店内での携帯電話の通話がケースによっては喜ばれないことは、認識している人も多い。

 

しかし、テーブルに普通に置いてある無料の高菜は、なかなかのブービートラップだ。

それをおかみさんは「マナーに反する人はお帰りください」と仰った。

客側からすれば、「そんなマナーは知らん」だ。

※メニューが来る前に、コショウや醤油を単品で食っちゃっている人がいたらちょっと怪しいが、高菜のように単体で食べれるものは微妙な位置づけだろう。

 

繰り返すような表現で恐縮だが、店はこのくらいのことは予測したほうがよかったろう、って僕は考える。

店側にとって、高菜を最初に食べる客は青天の霹靂ではない。

そういう客と店側の激突は、日常茶飯事なのだ。

これに対する対策を立てないのは、炎上商法を狙っているのではない限り、好ましくないんじゃないかな。

 

さらに、店側のルールを逸脱した客に対し、店側は猛然と叱咤する。

客はただでさえ、自身の知らない店側のルールを指摘されて不愉快な状態なのだ。

それをリカバリ・フォローするのではなく一方的にまくしたてるように怒る。

 

店側は「そういう客は都度追い出す。2度と来なくて結構。」で一件落着であるが、追い出された客側の心情は未解決だ。

無理矢理退店させられた客の怒りは、どこに向かうのであろうか?

 

現代であれば、Webである可能性が高い。

これにより、店はWeb上で盛大に叩かれ、好機の目にさらされ、そしてマニアの武勇伝として語られることとなる。

…僕のようにね。

 

 

3度目の正直、新たなる時代

 

僕は過去2回、この店でラーメンを食べようと考えたが、結果として食べられていない。

 

おっと、別に退場を食らったわけではないぜ。

営業時間に店まで行けなかったからだ。

 

1度目:2014年の春(空振り)

 

冒頭で触れたが、福岡市で出会った人にこの店のを存在を教えてもらった際だ。

「18時になると閉店しているケースが多いから、今から行っても間に合わないかもなー」とその人は言っていた。

 

僕は面白そうな店で行ってみたいとは思ったものの、「閉店している可能性があるのならば、辞めておこう」と早々に諦めた。

 

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屋台

かわりに中洲の屋台に行って酒飲んでモツ煮食べた。

これはこれで最高だった。

 

 

2度目:2015年の春(空振り)

 

ドンヨリ曇り、そして渋滞の続く福岡県内。この日はロクな観光もできていない。

僕は相当にやさぐれていた。

 

福岡県内のドライブは苦手だ。都市部のドライブも苦手だ。

早く雲仙とかの絶景の中をドライブしたい。

 

そんな僕の一縷の望みが、元気一杯のラーメンだった。

その店に行ければ、今日最大に盛り上がるイベントになるぞ、と。

 

渋滞を乗り越え、なんとかお店付近のコインパーキングを発見し、狭い駐車スペースに3回切り返しをしてデカい愛車のHUMMER_H3を停める。

店までは300mくらいだろう。歩く。

 

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元気一杯1

半開きのシャッター。

本来であれば、僕が内部に入るべき店舗の入口。

 

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元気一杯2

認めたくない現実。

だって、この店でラーメンを食べるため、16:00過ぎまで渋滞と空腹に耐えていたんだぜ。

 

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元気一杯3

終了した。

僕の小さな冒険が。

そりゃ、涙で画像もブレますって。

 

中からはカチャカチャと、食器を洗う音が聞こえてくる。

くっそ。あと数10分早ければ間に合ったのだろうか…?

 

 

しょうがないので車を走らせ、筑前前原駅の近くの「長浜ラーメン みっちゃん」でとんこつラーメンを食べることにした。

 

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みっちゃん1

 

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みっちゃん2

時刻は18:20。既に周囲は暗かった。

僕1人の店内。清潔な店内。

 

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みっちゃん3

オーソドックスなラーメンをオーダー。
あっさりめのスープだが、同時にコクをしっかり感じる。

 

心の深い部分が温まり、氷解していくのを感じる。

食べ物のチカラは偉大だ。

みっちゃんは僕に安らぎを与えてくれた。

 

 

3度目:2019年の秋(実食)

 

僕はそのニュースを見たときに、自分の目を疑った。

なんと、元気一杯が写真撮影OKとなったそうなのだ。

 

大将自らにこやかにシャッターを押してくたり、なんだったら大将もポーズを決めて写真に写ってくれたり、ブログやSNSに投稿してもOKだったり。

なんだこのコペルニクス的転回は。

 

大将、どこかに頭を打ちなすったか。あるいはロボトミ…(以下略)。

 

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元気一杯4

行かねば。

そう思った僕は、長い旅路の末、元気一杯へとやってきた。実に4年ぶり。

 

あいにくの雨である。

この5日間と半日、九州全土はアホみたいな快晴だったのだが、ここに来て急に雨だ。

波乱の予感?台風来るって??

 

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元気一杯5

敵は本能寺にあり

 

そんな名言が脳裏をよぎる。

すごい緊張感。

単騎がけだし。敵城の扉は固く封鎖されていて、中は全く見えないし。大将怖いし。

 

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元気一杯6

ここは暖簾も看板もない。

しかし、入口に水色のバケツが下がっていたら、それが営業中のサイン。

 

さぁ、入るべし。

ゴクリと唾を飲みこみ、入口のドアを横に引いた。

 

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元気一杯7

カウンターを含めて10席ちょいの、こじんまりとして綺麗な店内。

「いらっしゃいませー」という明るい声。

 

ここが…!

 

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元気一杯8

幾多のラーメン好きの血が流れた、戦いの地だ。

 

先人の魂に、心の中でそっと手を合わせる。

「僕もすぐにあなたがたを追いかけてしまったらすみません。でも、生き残れるようにやれることはやってみます。」

 

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元気一杯9

門外不出!

当店の進化系クリーミースープの味はここでしか食べられない

『日本唯一無二』

の味です!

 

博多元気一杯!!

店主 土井 一夫

 

 歴戦のグルメハンターどもを血祭りにあげてきた大将が、「クリーミースープ」だなんて可愛い言葉を使っているギャップにちょっとホッコリしそうになるが、ここで気を抜くわけにはいかない。

 

上の引用文も、手打ちしていたら「店主」が「天守」と変換された。

僕のパソコンも、がぜん戦国モードである。

 

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元気一杯10

 

あ、高菜、不作で消えたってさ。

 

 

高菜を先に食べることができなくなっている。

高菜で有名になった店から、高菜が消えた。

 

壁には高菜不作を取り上げた新聞が掲示されている。

「元気一杯で高菜を提供できなくなった」みたいなことが書かれている。

 

高菜不作で元気一杯を引き合いに出す新聞記者、そしてその新聞記事を壁に貼る大将。

もうね、大将も確信犯だね。

嫌いじゃない。

 

 

とりあえず、僕はラーメンをオーダー済みだ。

スマホをいじったら怒られるかもしれないので、こうして貼り紙などを見て過ごした。

ポケットの中でスマホが鳴ったような気がしたが、今は確認できない。

 

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元気一杯11

ラーメン、来た。

おかみさんが持ってきた。

 

100%発せられるという、「スープから先に飲んでくださいね」のコメントがない。

いいのか?麺から食べてもいいのか?

そんなにもこの店、変わっちまったのか??

 

とりあえず、壁に「写真撮影OK」ってわざわざ書いてあるので、素早く写真撮影をした。

 

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元気一杯12

ここまで来て追い出されたくないので、スープから飲んだ。

 

3口くらい飲んで、なんかソムリエさながら「うん、素晴らしい」みたいな表情を作ってみたつもりだ。

おかみさん、見ているか。僕の、このダンディな顔を。

 

スープは臭みが全くなく、しかし濃厚でトロリとしている。

まさにクリーミー。むしろポタージュ。

細かい油が浮いていて、力強さを感じる。

 

うん、うまい。確かにメチャうまい。

個人的にはもっと「獣!」って感じの力強さや臭みがあってもいいかと思うが、この店は上品な強さを追及していると感じた。

ちなみに麺とかチャーシューは普通だった。

 

「スープ命で、高菜や麺を食べると文句言うくらいだったら、いっそのことスープ屋をやれ!」みたいなコメントを見ることがあるが、まぁ確かにスープにステータスを全振りしているなって感じた。

 

しかし、看板に偽りなし。(看板ないけど)

ごちそうさまでした!

 

 

そして僕は妄想する

 

正直言うと、緊張感とかも相まって、居心地のいい空間ではなかった。

大将もおかみさんも愛想は良かったが、胸の奥にナイフを秘めているだろうと勘ぐっていたし。退場全盛期は並々ならぬ恐怖空間だったのであろう。

 

そんなこんなで、100%スープを味わいきれたかというと、そうではなかった。

そこが少しだけ心残りだった。

 

 

じゃあ、もし僕が「究極のスープを究極の状態で味わってほしい。」と考えたら、何をするだろうか?

小学生レベルのアイディアで、ちょっと妄想してみたい。

 

◆店内はやや暗め。こうすることで、人は自然に無口になり、ラーメンに集中しやすくなるかも。

 
◆座席は1席ごとに前と左右をパーテーションで区切る。できるだけパーテーションは高いほうがいい。

これでグループ客の私語も防げ、よりラーメン集中。 しかし客にとって不快ではなく、むしろちょっとワクワクを与えられそう。

 

◆メニューには『ラーメンの撮影をしたい人は、一段階固めを注文するのがオススメ!』とか書いておく。「普通」で食べたいなら「固め」。「固め」で食べたいなら「バリ固」。

スマホで誰もが写真を撮る文化に真っ向から挑まず、写真撮っていても麺が伸びない工夫をしてみる。

 

◆メニューに「よりおいしく食べるコツ!」みたいのを書いておく。

なんだったら、「禁断のデブの味!」くらい煽ってもいいかもしれない。背徳感もスパイスだ。

これで待ち時間も客が退屈しなくなる。

たぶん、客は禁止されると不快感を感じるが、上記のようなポジティブな注文にはワクワクする。

例えば名古屋のひつまぶしとかも、「1杯目はこう、2杯目はこう、3杯目は…」という食べ方があるが、理に適った順番だしおいしく食べられるのであれば、客は喜んで実践する。むしろ細かい命令に「従いたい」とさえ思う。

だから、こんなテイストで「スープから先に。かきまぜないように。」の旨を書いておく。
 

 

…とか、いろいろ妄想してみたら楽しかった。

 

まぁでも大将はすごい。 

とんがった過去を受け入れ、それをバネに真逆の方針を打ち出すことで、さらに話題性を得ている。

 

このインターネット時代の荒波を、突き進んでいる。

 

*-*-*-*-*-

 

…そういえば。

店内にいるときにスマホがメールを受信してたっけ?

 

取り出してみる。

 

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鹿児島から大阪まで乗る予定のフェリー。

荒波を乗り越えられないってよ。

 

絶望した。

どうなる僕の旅路!!!

 

 

ja.wikipedia.org

 

2019年の巨大台風の御三家にも数えられそうなヤツが接近してきている。

このあと、本当に大変だったのだが、その話はまたいずれ。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 「博多 元気一杯!!」
  • 住所: 福岡県福岡市博多区下呉服町4-31
  • 料金: ラーメン800円、他
  • 駐車場: なし。付近のコインパーキング使用のこと。
  • 時間: 不定休。月~金 11:00~22:00 土日 11:00~20:00。

 

 

No:037【千葉県】岩山に無数の洞窟!その暗い洞内には、風化した太古の仏像がずらり…!

洞窟は、神秘的だ。

仏像もまた、神秘的だ。

しからばこの2つのハイブリッドは、めくるめくミステリアス・ワールドだ。

 

かつては荒れ果て、誰からも忘れられていた、岩山の洞窟。

地元の人が整備をし、葬り去られていた歴史の深淵から近年少しだけ浮上してきた、「岩谷観音堂やぐら群」という名のスポット。

 

しかしまだまだ、知る人ぞ知る超マイナー洞窟。

少なくとも僕が訪問した日本5周目時点においては、詳細な場所を明記しないのがマナーみたいな空気すらあった。

 

え?なにそれ気になる。

なんでそんなミステリアスな扱いなの?

とりあえず、場所を推測して行ってみよう。

 

そんな日本5周目のエピソードを、ここに記す。

 

 

夕暮れの洞窟へ

 

年の瀬の、ほぼ日没時刻と同時にそこに到達した。

川沿いの県道に面した岩山。その足元に空き地がある。それが駐車場だ。

 

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観音堂へ1

岩谷観音堂やぐら群を示す看板だとか標識だとかは皆無。

道路や駐車場からやぐら群も見えない。

 

唯一、道路から見える位置にこの史跡の説明版がある。

しかし、車を走行中にパッと解読することは不可能。

 

従い、ここに来ることを目的とし、しっかりと探し当てた人でないとここまで到達できていないだろう。

 

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観音堂へ2

岩山を回り込むように歩く。

すると、岩山と民家の隙間に狭い階段がある。

 

「私有地か?」と思ってしまうようなロケーションだが、この階段が正解だ。

明確な案内板もないが、隙間を縫うように歩いていこう。

 

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観音堂へ3

坂道の途中で、なんか老舗定食屋のショーケースを石工職人が作ったかのような、四角い展示スペースが現れた。

展示物はといえば、仏像・仏像・墓石・仏像・ただの石(?)・墓石・墓石・無縫塔・ただの石(?)…。

 

うん、無知だから全然わかんねー。

きっとかなり失礼な査定をしてしまっている。

なんだこのショーケース?ここからメニュー決めておいて、この先でオーダーするのかな?

 

進行方向を見ると、赤い観音堂がチラリと見えている。

あそこを目指してみよう。

 

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観音堂へ4

スポット名は「岩谷観音堂」。

その観音堂部分がこれなのだな。 

 

…で、残念なことだけど、僕はこの観音堂にはあまり興味がない。

僕の視線を捉えて離さないのは、この観音堂の背後だ。

 

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やぐら1

 

 

カッパドキア」 みたいなことになっている。

 

 

洞窟マンションか、ここは。

こんな洞窟が14個も、この岩山に彫られている。

 

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やぐら2

ほら、あそこの2階の住人なんて、バルコニーにテーブルとイスまで設置している。

洞窟ライフをエンジョイしてらっしゃる。

 

次に、観音堂を挟んだ反対側を見てみよう。

 

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やぐら3

穴、開けたい放題だ。

アメリカのアニメの出てくるチーズだって、ここまで穴ボッコボコではないぜ?

 

まずはこの洞窟外観をよく見てほしい。

 

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やぐら4

上の写真では少々わかりづらいかもしれないが、仏像が設置、あるいは岩肌に彫られているのがおわかりいただけるだろうか?

 

これらが、この観音堂やぐら群の神髄だ。

まずは、わかりやすい青枠のほうを拡大してみよう。

 

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やぐら5

どうだい?

マンションの住民が高層階から東京湾を眺めているだろう。

かなり風化が進んではいるが、大事に設置されている。

 

次は、もう1つの赤枠のほうをご覧に入れよう。

 

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やぐら6

はい。このお方だ。

…わかりづらいかな?

 

洞窟の外に彫ってある仏像たちは、吹きっさらしの風雨で摩耗が激しい。

かなり見えづらくなってきてしまっている。

 

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やぐら7

僕が見えたまんまをなぞってみた。

頭は比較的わかりやすいが、腕などはほとんどわからない。

 

この像の右側のスペースにも、かつてどなたかがいたような気もするが、僕にはもう判断できないわ。

 

では、本題だ。

実際にこの洞窟の中に入ってみよう…!

 

 

洞内の仏像群

 

岩山に開いた洞窟の1つに潜入してみた。

 

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仏像群1

うわー、仏像がいっぱいだー!

 

一番手前のものが、仁王像と言われている。

表情は見えないものの、両腕の動きがわかるし、服のシワも残っている。

結論から言うと、これはトップクラスに保存状態が良いものだ。

 

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仏像群2

一番右は千手観音だね、きっと。

そして、その他観音像がズラリと左に続く。圧巻だ。

どれも相当に摩耗しているものの、この荘厳さは今なお感じ取れる。

 

ところで、上記の写真などはライトで照らしながら撮影している。

少なくとも、僕が訪れた2016年の年末には洞内に照明は設置されていない。

 

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仏像群3

照明がないと、このくらいは暗くなる。

 

もっとも、現在は日没後だが…。

それでも、照明の無い洞内ってのは、暗いものよ。

 

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仏像群4

黄昏時(たそがれどき)の洞内。

 

まさに黄昏の語源である、「誰そ彼(たそかれ)」。つまり夕闇で相手の顔がよく見えずに、「あなたは誰ですか?」ってなるような感じ。

そのくらいに仏像の顔が見えず、誰が誰だがわからない。

 

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仏像群5

ただ、顔は無いものの、彼らは僕らになにかを穏やかに語りかけてくる。

それが肌で感じ取れる。

冬の空気が静寂の中で、ひたすら神聖に感じられる。

 

 

洞窟は"コの字型"であり、ズンズン進むと違う穴から外界に出る仕組み。

 

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仏像群6

外に出る直前、右手に口を開けている洞窟発見。

じゃあ次はそっちだ。洞窟から洞窟への、ハシゴだ。

 

ちなみに上の写真は、その別の入口であるが、ここの外壁にもなんとなく人型の痕跡が見えるような気がする。

なんだかシュミラクラ現象に支配されてしまったかのような気持ちになる。

 

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仏像群7

入口から上を見上げる。

今度のヤツは、とんでもない上りだ。

 

そして、階段が途中で恐ろしいほどに幅が狭くなっている。その横は落とし穴。

今は手すりがあるからいいが、手すりができたのは近年。

それまでは、なかなかにデンジャラス・ゾーンであったと推測する。

 

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仏像群8

今回の探索を一緒にしたメンバー、FUGA君らの頭上が足元に見えていることで、この階段の角度をご想像いただけるだろうか?

 

北海道の最西端にある「太田山神社」のエクストリームな階段を彷彿とさせるかのような、殺人的な傾斜だ。

 そして、彼らの背後に目を向けてほしい。

 

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仏像群9

たぶん、阿修羅像だ。

どこにカメラを向けようとも、必ず仏像がファインダーに入るぞ。

 

このあと、冒頭で少し紹介した洞窟マンションのバルコニーに行ってみた。

そこは観光客用の休憩スペースだった。

 

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仏像群10

この岩谷観音やぐら群は、地元の人が整備したと聞いている。

 

それを踏まえると、ここにあるのはボランティアの人の家庭で使われていた、ガチのダイニングセットだろう。

ダイニングセット目線でも、この扱いはビックリだよな。

まさか第2の人生(?)を、こんな洞窟で送ることになろうとは。

 

テーブルの上にポツンと置いてあるランタンも、 整備してくれた誰かのものだろう。

この心遣いにほっこりする。

 

 

しかし…!!

 

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仏像群11

言った通り、「どこにカメラを向けようとも、必ず仏像がファインダーに入る」。

 

うっすらとしか見えないが、壁面に仏像がずらりと並んでいるのが、第六感で感じ取れる。

ここの席に座った人、たぶん「なんか背後から視線を感じるぞー」とか、「座っているときに異様に肩が重かった」とか言い出しそう。

 

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仏像群12

どこを歩こうとも、おぼろげに浮かび上がる人型。

懐中電灯で闇を照らせば、そこに人型。

 

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仏像群13

あ、これも千手観音だね、きっと。

 

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仏像群14

うおぉぉ、この方には顔がある!!

 

グルグル徘徊して僕が唯一発見した、顔のある仏像だ。

洞窟の奥のほうが、風雨を凌げて保存状態が良いものが多い気がする。

ありがたやー。

 

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仏像群15

そしてこの洞窟。

 

五輪塔がたくさん彫られている。

彫られているっていうか、むしろ描かれている??

究極に手抜きをした彫刻だ。…って言ったら、バチが当たるかな?

 

ところで、球体に当たる部分に穴が開いているのはなぜだろう?

まるで灯篭のようにも見える。

 

 

ビッシリと仏像で埋め尽くされた洞窟。

表情のない仏像たちは、僕らに何を語りかけて来ているのだろうか?

 

そもそも、岩谷観音堂やぐら群って、なんなのだろうか…?

 

 

洞窟と仏像の成り立ちを考える

 

冒頭でチラッと、『道路から見える位置にこの史跡の説明版がある』と書いたのを覚えていただいているだろうか?

その説明版をご紹介したい。

 

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奈良時代の高僧行基による一夜の作と言い伝えられている岩谷堂は、岩山に幾つもの石洞が彫られ、その洞壁に数多くの仏像が浮き彫りにされています。


古くは、横穴式の古墳と思われますが鎌倉時代の「やぐら」形式の岩洞もあります。
明治時代の石碑には、数馬村大悲山岩谷堂清厳寺と記され、本尊は十一面観音菩薩のお寺です。


線刻や浮き彫りの五重塔、大黒様に不動様、庚申塔弘法大師縄文時代の石棒と首だけのお地蔵様など、永い間、村人の祈りや集いの場所として在り続けた村の博物館です。

 

 

やぐらと古墳 

 

そもそもスポット名にも入っている「やぐら」ってなんなのか。

お城とかにある櫓(やぐら)ではないのよ、これが。

 

いろいろ情報量が多いが、まずは中段のみに着目しよう。

この洞窟マンションは、「横穴式の古墳」・「鎌倉時代のやぐら形式の岩洞」

主にこの2種類で構成されているとのことだ。

 

ja.wikipedia.org

 

やぐらについては、上記をご参照いただきたい。

文章の熱量にちょっと圧倒されるが、簡単に表現するのであれば、鎌倉時代に鎌倉周辺で造られた、横穴式の墓(あるいは類似の目的を持つもの)。

 

「横穴式の古墳」と大差はないのだな。

ところで、「古墳」っていつの時代のものなのだろうか?

『古くは、横穴式の古墳と思われますが』って書いてあるということは、少なくとも鎌倉時代よりは前のものなのだろう。

 

念のため、古墳の概念を再確認してみた。

 

現在の日本史では、一般的に「3世紀半ばから7世紀頃にかけて日本で築造された、墳丘をもつ墓/高塚の墳墓を「古墳」と呼び、他方、弥生時代の墳丘墓は「墳丘墓、奈良時代の墳丘墓は「墳墓」、中世の墳墓は「中世墳墓」、近世の墳墓は「近世墳墓」と呼んで、それぞれに区別する。

(引用元:Wikipedia

 

…だそうだ。

岩山のボコボコの穴たちは、西暦600年ごろかそれ以前に掘られたものである可能性があるのか。

 

 

仏像はいつの時代のものか

 

説明版の文中には、『奈良時代の高僧行基による一夜の作と言い伝えられている』との記載がある。

 

まずは、仮に「行基さん」が一夜で作ったとしよう。

洞内には100体余りの仏像がった。

夜を仮に12時間とすると、1体当たり7.2分で仕上げた計算。

どんなブラックな企業にオーダーされ、どんだけやっつけ仕事でこなしたのか。

 

さらに、行基さんが亡くなったのは、西暦749年。

鎌倉時代の数100年前。

 

つまり、鎌倉時代のやぐらの壁に、行基さんが仏像を彫ることは不可能。

そもそも、さすがに1300年近くも風雨にさらされた仏像は、あんなふうには残らないだろう。

 

鎌倉時代のやぐらも、この岩谷観音堂やぐら群もそうだけど、やわらかい砂岩を使っているという特徴がある。

 

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もうね、ツルツルのサラサラなのだ。

まるでチョークのように、壁面を撫でれば手に粉がつくし、仮に仏像を雑巾でゴシゴシこすれば、数10分で仏像は消滅してしまうだろう。

 

とはいえ、じゃあこれがいつの時代のものかといえば、前述の行基さんの伝説以上に手掛かりとなるようなものは、今のところないらしい。

 

おそらくはもっと新しい時代のものだとは思うが、いずれにせよ、こんなに脆い条件の仏像が現代まで(大した管理もされずに)残っていることが、奇跡のような気がするのだ。

 

 

日の目を見た洞窟

 

2011年12月、地元の人たちの力で、このやぐら群の整備が行われた。

それまでは荒れ放題、訪問する人なんてほとんどいなかったこのスポットが、100万円を投じて綺麗になった。

 

ヤブに覆われていた洞窟入口が姿を現したり、階段に鉄の手すりが設置されたりしたらしい。

 

これで、一部の人のWebサイトやブログを通じ、ほんのちょっと世間に認知されるようになった。

僕がこのスポットを知ったのも、そんな時期であった。

 

すぐには現地には行けず、それに他にやりたいこと・行きたいところもいっぱいあったので、実際に訪れたのは2016年の年末であったが。

 

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少なくとも、僕らが訪問した時点では、自治体のオフィシャルなWebサイト等にも取り上げられていないし、文化財の申請もされていないスポット。

つまり史跡認定はされておらず、地元の人の力だけで守っていっているようなスポット。

 

  • そのような管理だからこそ、長い間ヤブに覆われてしまった。しかし、それが功を奏して人がほとんど立ち入らず、仏像の致命的な劣化を防げた。
  • 正式に管理されていないので、今後もどんどん風化する可能性がある。管理されていないから、気軽に手を触れることもできてしまう。ましてや整備をし、有名になることで、いたずらなども増えるかもしれない。

 

果たして、この洞窟の運命はどうなるのだろうか?

今でこそ、それなりのWebサイトで取り上げられるようにはなったが、冒頭に描いた「詳細な場所を明記しないのがマナー」の理由、これでわかっていただけたと思う。

 

最後に、説明版の最後の文を、以下にもう一度取り上げたい。

 

線刻や浮き彫りの五重塔、大黒様に不動様、庚申塔弘法大師縄文時代の石棒と首だけのお地蔵様など、永い間、村人の祈りや集いの場所として在り続けた村の博物館です。 

 

鎌倉時代古墳時代に加え、縄文時代の痕跡すらあるそうなのだ。

すごいな。

 

縄文時代にお地蔵様を造り、古墳時代に洞窟を掘り、鎌倉時代にさらに掘り、そこを利用してどこかの誰かが仏像を彫り…。

調べてみると、第2次世界大戦の際には防空壕にも使用されたという。

 

 

村の博物館。

その表現が、まさにしっくり来た。

村の歴史だからこそ、地元の人々で守っていきたいと。

 

我々は、それらの村の思い出を壊さぬよう、そっとおじゃまするにとどめたい。

 

 

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最後に、僕らは洞窟マンションの上層階から遠景を見る。

冬の長い夜が、もうそこまで迫ってきているのを感じた。

 

そろそろ行こうか。

岩谷観音堂やぐら群に、別れを告げる。

こうして冒険に明け暮れる1年が終わる。

 

新しい年も、またワクワクできるといいな。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 岩谷観音堂やぐら群
  • 住所: 千葉県仏紙数馬268-3
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

 

 

 

No:036【熊本県】阿蘇の空を走る「ラピュタの道」!!熊本地震で崩れたその絶景を偲ぶ!

2016年4月、熊本地震発生。

震度7のその地震は、我々から様々なものを奪っていった。

 

所詮は一観光客の分際なので大したことは言えないが、多くの方が被災したことにまずは心を痛めた。

そして、数々の観光地が被災したことにショックを受けた。

2020年現在も大きな傷を抱えている熊本、及び近隣の県の復興を心から願っている。

 

今回はそんな思いから、熊本地震で崩壊してしまった「ラピュタの道」という絶景をご紹介したい。 

 

あれは、日本5周目の前半戦最終走という、区切りのひとコマだった。

 

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確か僕は、愛知県から宮城県に車で向かうにあたり、あえて遠回りをして鹿児島県を経由つつ向かっていたのだ。

そんな、頭の悪いルート上でのお話。

 

 

カルデラと外輪山

 

僕は早朝から阿蘇を走っていた。

今は、カルデラから外輪山へと上ってきたところだ。

 

とんでもない快晴。360度、どこを見ても絶景だ。

 

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外輪山1

このね、木々がほとんどない外輪山の緑の丘が大好きなのだよ。

この時点で既にどことなくジブリっぽい。

 

-*-*-*-*-*

 

さて、この後の話にも関わるので、ここで外輪山について少しご説明しておこう。

 

阿蘇は国内第2位のサイズのカルデラである。

(第1位は屈斜路湖カルデラ

 

カルデラにもいくつか種類があるのだが、阿蘇は「陥没カルデラ」という種類。

まずはこの陥没カルデラの定義をご理解いただきたい。

 

 

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地下のマグマ溜まり。

いくつか要因はあるが、それが地表に吹き出すのが「噴火」である。

 

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噴火であらかたマグマを噴出してしまったので、地下のマグマプールみたいな場所に広大な空間ができてしまった。

 

空間があるということは、地盤が弱いということ。

ほら、上の山を支えきれずに、ヒビが入ってきているぞ…!

 

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はい、落ちたーー!!

 

 

これ、絵だからコミカルに描けるけど、阿蘇カルデラは南北25㎞・東西18㎞あるからな。

東京都心から横浜の中心までを直径にした円が、まるごと崩落すると考えると戦慄が走る。

世界滅亡的な気分になる。

 

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…かと思いきや、阿蘇の人々は強い。

 

「崩落した巨大な窪地に街と畑を作ろ」・「電車を走らせよ」と、なんか盛り下がった大地でワイワイ盛り上がっている。

世界的にみても、カルデラをこんなにもポジティブに活用するのは、非常に珍しいケースだと、Wikipediaさんも仰っている。

 

阿蘇のスーパー大噴火(Aso-4)が9万年前である。

その後、崩落したヘリは長年の風雨でヘリが丸くなったり、中央の火山は崩落したクセにまだまだ元気で、複数個所で噴火を繰り返したり。

 

そんなこんなで、現在は上記のイメージ絵みたいな構造となった。

 

ja.wikipedia.org

 

…っていうのを踏まえて、上記リンクの空撮写真を見れば、「ほぅほぅ」ってなるんじゃないかと思う。

 

あるいは、以下の鳥観図で何となく把握してほしい。

 

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(書籍「旅地図 日本」より抜粋)

これで、この後にお見せしていく現地での写真では捉えきれない、左右や奥行きをイメージできるかな?

 

そして実際にドライブする際も、事前にこれを知っておくかどうかで、外輪山にいくつかある展望スポットから景色を見た際の感じ方が異なるのだ。

ホント阿蘇カルデラってすごい。

 

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では、うんちくが長くなってしまったが、本題に入ろう。

 

現場に繋ぎます。

「今回の舞台」のYAMAさーん!

 

 

天空を走る道 

 

外輪山上で、「かぶと岩展望所」の3㎞ 南…。

目印は道路脇のお地蔵さん…。

 

口コミの情報を手掛かりに、僕は「ミルクロード」を走る。

そして、見つけた。

 

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ラピュタ1

全力で注意しないと見過ごすような、小さなお地蔵さん。

しかし、これが貴重な目印の1つだ。

 

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ラピュタ2

ここがラピュタへの道の入口なのだが、この道は非常に狭い。

 

僕の愛車のHUUMER_H3では擦れ違いは不可能だし、絶景が見える場所に駐車場もないし、路肩駐車もできない。 

なので、愛車はここに置いていく。

 

他の車も数台、この付近に駐車している。

しかし、ラピュタの道は観光地でもなんでもない。

だから駐車場もない。

停め方は、最大限に工夫する必要がある。

 

さて、行くか。たぶん絶景ポイントまでは、徒歩で5分ほどだ。

 

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ラピュタ3

 

うっほー!!

すでにヤベェ!!景色が良すぎ!!
 

外輪山のヘリから、カルデラの中央にギザギザに聳える「阿蘇五岳」がよく見える。

朝だから、カルデラには雲海も溜まっている。

これ、絶好のラピュタ日和??

 

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ラピュタ4

阿蘇五岳は涅槃像にも例えられる。

 

ほら、なんとなくわかるでしょ?たぶん世界最大の涅槃像だ。

涅槃像の概念を超越するくらいに、ばっちりグースカ寝てらっしゃるけど。

これを意識して阿蘇ドライブをすると、ちょっと楽しいよ。

 

そして、見下ろす道路の狭さを目の当たりにし、改めて愛車で乗り入れなくってよかったと思った。

 

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ラピュタ5

この時点で、全容を推測する。

人は、右側の「車道派」と左側の「丘派」に勢力二分化されている。

 

僕は丘派かな?

高いところ好きだし、車道もフレームに入れて撮影できそうだから。

 

…となると、最初から丘の中の歩道(?)を進むこととなる。

短いハイキングのスタートだ。

 

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ラピュタ6

歩きながら、目線を少し右に移動させる。

 

外輪山からカルデラに降りる急峻な道が、向こうにも見える。

あれは、ラピュタの道の延長上の道。

ラピュタの道は、外輪山からカルデラへと九十九折に降りていく。

 

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ラピュタ7

細い道がクネクネと、下界に向かっている。

ラピュタ」っていうか、「カリオストロ」の冒頭のカーチェイスシーンみたいだ。

 

ラピュタの隣は、カリオストロなのかもしれない。

監督も一緒だしな。

 

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ラピュタ8

カルデラという巨大な洗面器に、しっかりと雲が溜まっている。

ラピュタの道をラピュタっぽく見るための条件の1つがこれだ。

 

だからこそ、僕は朝の早い時間にここに来た。

下界のカルデラ内から、この雲の層を突破して、ここ天上界にやってきたのだ。

 

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ラピュタ9

とんでもないヘアピンカーブ部分に、複数の人と駐車車両。

多くの人(お1人例外で雑草を撮影)が見ている先が、きっとハイライトの天空に突き出す道なのだろう。

 

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ラピュタ10

丘の終点が見えてきた。

 

てゆーか、何気ないこの丘の写真1枚を切り取っただけでも、絵になる。恐ろしいほどに、絵になり過ぎる。

天国に続きそうな、この丘の上の道。

 

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ラピュタ11

ラピュタの道の、1つ左の丘。

雲海という名の海に突き出す、緑の岬。

 

さらに少し歩を進める。

右手側に、いよいよラピュタの道のハイライトが姿を現す。

 

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ラピュタ12

 

ファンタジーの世界みたいな絶景が、そこにあった。

ちょっと現実離れしているような、景色だった。

 

 

この光景を最初にラピュタと形容した人、グッジョブ。 

まさにそういう世界観を感じるよ。

 

もし僕が誰かと一緒だったら、大声で歓声を上げ、この興奮を分かち合えるだろう。

それができないのが、1人旅の残念なところ。

ま、メリットもたくさんあるのだけどね。

 

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ラピュタ13

天空の岬

まさに、空を走るかのような道が見えている。

 

欲を言えば、もう少しだけ雲海が欲しかったかな…。

現時刻は、8:30。ちょっと遅かった。

今日は6:00台の前半は、すんごい雲海がカルデラを包んでいたのだ。

 

そのときに僕がどこにいたかというと、阿蘇五岳のほうにいたのだ。

阿蘇パノラマライン」とか「阿蘇草千里」から、打ち震えるような早朝の絶景を堪能していたのだが、その話はまた機会があったら。

 

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ラピュタ14

そういえば、日本最北の島である「礼文島」の「澄海(スカイ)岬」のちょっと南の丘が、こんな感じだったような。

あと、同じく礼文島の「ハイジの谷」が、こんな風景だったなぁ。

 

上記どちらも、徒歩でしか行きつけない絶景スポット。

 

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ラピュタ15

こんなところに道を作った技術に感心すると同時に、左側の地滑りの痕跡に一抹の不安を感じる。

ギリッギリに道路を作っているのな…。

 

ふと足元を見ると、丘から直下の車道に降りれる踏み跡がある。

よし、車道側の展望スポットにも行ってみよう。

 

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ラピュタ16

車道からも、もちろん絶景。

三脚を立てた人とかもいっぱいいる。

TVクルーも来ていて、地元の人に取材をしていた。

 

傍らには有名な、「ラピュタの道」って手書きで書かれた岩もあった。

この岩も写真に撮りたかったんだけど、すぐ横で取材をしているので、写真はナシね。 


では、 次は外輪山で一番有名な展望スポット、「大観峰」に久々に行こうか!

 

大好きな阿蘇での最高の1日は、まだまだ始まったばかりだ!!

 

日が高くなり、阿蘇に吹く風から初夏の匂いを感じた。

 

 

その道の栄枯盛衰

 

『日が高くなり、阿蘇に吹く風から初夏の匂いを感じた。』

しかしラピュタの道は、次の年の同じ季節を迎えることなく崩壊している

 

ラピュタの道って、いったいなんなのだろうか?

改めて振り返ってみたい。

 

-*-*-*-*-*

 

ラピュタの道の正式名称は、「阿蘇市道狩尾幹線」。

阿蘇市内の市道である。1986年に認定されたようだ。

 

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上図のように、外輪山とカルデラ内部を繋いでる。

 

こんな地形だから、外輪山とカルデラを繋ぐ道は、大体激しい上りだ。

そんな中でも、一般市道であるラピュタの道は、上位に当たる険しさだと感じる。

(全部じゃないけど、僕が実際走ったり展望したルートの中では)

 

阿蘇エリアって、牧場が多いのだ。

「赤牛」の肉は地元の名産だし、酪農もやっているし、馬も羊もいる。

 

そんな牧場で消費される牧草を運ぶために使われていたのが、この道だ。

つまりは地元の人のための農道。

 

 

そんな道が一躍話題になったのは、たぶんだけども2011年ごろから。

サイクリング専門誌の「CYCLE SPORTS」の、2011年6月号別冊付録に「ラピュタの道」として掲載されたのが、皮切りかな?

 

SNSの隆盛と重なり、口コミは一気に拡散・拡大。

ツーリングマップルでも取り上げたりし、2013年ごろからは目に見えてライダーなどの観光客が多くなる。

 

www.youtube.com

 

僕は今回、丘の上からのあくまで人間としての視点で紹介したが、ドローンの空撮では、さらなるダイナミックな魅力が伝わると思う。

是非、それをご覧いただきたい。

 

そんな爆発的人気の道だったが、わずか10数日で運命が大きく暗転する。

 

2016年4月14日から29日にかけて発生した、熊本地震

 

震度7   2回

震度6強  2回

震度6弱  4回

震度5強  5回

震度5弱  14回

合計     27回

(引用元:Wikipedia

 

立て続けに生じた大地の咆哮が、あのラピュタの道に与えた影響は、想像に難くない。

これにより、31箇所で山腹崩壊や路面亀裂が発生した

見るも無残だ。

 

www.youtube.com

 

この道の復旧工事に必要な金額は、100億円を上回る。

国の激甚災害の適用を受けても、まだ数10億円を阿蘇市が負担しないとダメな規模なのだそうだ。

 

阿蘇市は考えた。

一過性の復旧工事費用もさることながら、この道は2012年・2014年の豪雨でも土砂崩れを起こし、長期の通行止めとなっていた。

復旧させたところで、今後のこの道の維持には莫大な費用が掛かる。

 

 

結論:

ラピュタの道、復旧断念!!

 

 

カルデラ側から2㎞区間については復旧工事をしたものの、僕らが「ラピュタの道」と呼んでいた部分については、これにて廃道となる。

ラピュタさながら、滅びてしまった。

 

 

あの日、僕が愛車を停めたお地蔵さん周辺のストリートビューをここに貼ろう。

マシュマロを敷き詰めてバリケードにしているのが、ラピュタの道への入口である。

 

実は僕、昨シーズンである2019年にここのすぐ近くまで行ったのだ。

外輪山を観光しながら、この5㎞ほど手前まで来たのだが、「崩壊してしまったのであれば、もういい。僕の夢の中だけに生きてくれ。」と、訪問しなかった。

 

今回執筆するにあたり、少しそれを悔やんでいる。

でも、同時に崩壊した絵を現実として受け止めるだけの精神力があるかどうかも、自信がない。

 

 

観光地としての生命は、わずか5年弱。

Googleマップには、2020年9月現在でピンすら立っていない。

あくまで通称であり、口コミ中心の世界に存在していた幻の道。

 

10年後・20年後、その存在は都市伝説のように語られるのみとなるのだろうか?

 

「でも、誰も信じなかった。父さんは詐欺師扱いされて死んじゃった…。

けど、ぼくの父さんはうそつきじゃないよ。」

(引用元:「天空の城 ラピュタ

 

映画内では、ラピュタの存在を誰も信じてくれなかったと語られていた。

 

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しかし、僕は見た。

雲に浮かぶ、ラピュタを確かに見た。

 

あの光景は、あの感動は、きっと一生忘れない

 

だから、この記事が後世に届くことを祈りつつ、執筆した。

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: ラピュタの道
  • 住所: 熊本県阿蘇市狩尾
  • 料金: 無料
  • 駐車場: なし。うまく路肩に停めるしかない。
  • 時間: 特になし

 

No:035【富山県】古代人の暮らした洞窟発見!!土を掘れば、地下は歴史のミルフィーユ!

5年間で、4回訪問した洞窟がある。

 

その魅力は2つある。

1つは後述するが、考古学史に残る大発見があったからだ。

もう1つの魅力は…、うん、コンビニエンスなことなんだよな。

 

知ってます?

近頃は洞窟にもコンビニエンスが求められているそうですぜ。

思いついたときにジャージとサンダルでササッと行って、すぐ帰ってこれるタイプの洞窟。

 

洞窟の名は、「大境洞窟住居跡」。

今回はその2つの魅力に迫りたい。

 

 

心の隙間に洞窟を

 

その洞窟は、仮に富山県の海岸線を東から西にドライブするのであれば、最後の最後に出てくる。

 

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Kenzakai

県境(Kenzakai)まで10㎞。

律儀に青看板に県境までの距離を示してくれるケースは、相当レアだ。

 

この看板を見た僕の胸に去来するのは、楽しかった富山県での数々の思い出…。

ありがとう、さようなら、富山。

そんな走馬灯を呼び起こしてくれる看板。

 

 

その看板から北に進むこと4㎞。

いよいよ石川県が間近に迫り、僕が「ホタルの光」を口ずさみ始めるタイミングで、その洞窟への標識は現れる。

 

 

この感覚ね。

例えると、腹いっぱいで満足したのに、ついついデザートを頼んでしまうかのような。

スーパーで、ついつい目についたレジ横の商品を、必要でもないのにカゴに入れてしまうかのような。

 

もうすぐ富山県が終わることで心にポッカリ空いた穴を、直前に出てきた洞窟という穴で塞ぐかのような…。いや、穴は穴で塞げないか。

 

でも、「最後にもう一箇所観光しようか」。 

そんな思いで、ハンドルを右に切る。

 

国道を反れてものの1分で、目指す洞窟だ。

結論から言うと、観光も最短1分で実施できる。なんというお手軽さ。

 

過去、こんな感じで鹿児島にて、「国道から数分で手軽に観光して戻ってこれるだろう」と思ったら大変な目にあったこともあるんだけど、ここは大丈夫。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

ここからは、過去4回訪問した記録を織り交ぜてご紹介しよう。

 

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白山神社1

桜の季節の朝の6時台…。

小さな漁港の隣にある、静かな神社の境内に僕が現れた。

写真の左端を見てほしい。漁業に使うロープがとぐろを巻いている。

 

この神社は「白山神社」。境内に洞窟がある。

まずは神社の拝殿の後ろが、すんごい岩山になっている点を覚えておいてほしい。

 

ちなみに、僕はここには4回訪問しているが、全て朝の6時台か7時台だ。

「朝起きて、とりあえず洞窟」みたいな気軽さ。

 

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白山神社2

そして、桜の季節に訪問することが多い。

 

北陸地方の長い冬が終わり、雪が解け、春がやってきた。

そんなシーズンに、僕も北陸を目指すのだ。

 

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白山神社3

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白山神社4

関係ないけど、まずは桜を見る。

そして「美しい…」とか呟く。

これが、入洞する前の禊(みそぎ)みたいな役割。心、清らかになった。

 

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白山神社5

そして、拝殿に近づくと…。

 

さぁさぁ、見えてきたぞ、洞窟が。

 

 

国内で初めて調査された洞窟遺跡

 

拝殿の奥に、それはポッカリと黒い口を開けている。

背後の岩山をゴリッとえぐったような、洞窟。

 

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洞窟住居1

これが、大境洞窟住居跡。

なんとなんと、国内で初めて調査された洞窟遺跡なのだ。 

すごいんだぞ、ここ。

 

ちなみに、上記の写真の、拝殿の横を通過するタイミングで「ブビーッ!!」って警報ブザーが鳴るから、心臓弱い人は覚悟しておくがよいぞ。

 

このブザー、たぶん2012年か2013年くらいに設置された。

いつも鳴るのか、こういう早朝だけ鳴るのかは知らないけど。

防犯のためなのか、それとも神主さんがブーブークッション的な感じのイタズラで設置し、ビビる僕を拝殿の陰から見て「グフフ…」って笑う用なのかも知らないけど。

 

初回は僕もアメリカのギャグアニメみたいに飛び上がって驚いたけど、もう動じない。

「ブビ?なんのことですかな?」と新着冷静だ。

 

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洞窟住居2

落盤防止のため、ネットでゴッチゴチに保護された洞窟。
その内部に社が1つ。

 

大境洞窟住居の名の通り、 ここは古代人が暮らしたワンルーム・ハウスだ。

今は廃墟だが。

 

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洞窟住居3

各Webサイトによれば、ここの規模は 幅18m・高さ8m、奥行き35mらしい。

うーん…、そんなに広いかな?

 

正直、高さと奥行きはその半分くらいに感じるんだけど、まぁいいや。

おじゃまします。

 

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洞窟住居4

そして振り返る。

こんな空間。正確にはもう少し奥があるけど、だいたいこんな感じ。

サクッと見るなら1分もかからない、お手軽スポットだ。

 

ただね、せっかくここに来たのだから、もう一歩エンジョイしていきたい。

それは、洞窟内に設置してあるパネルを読み、そして太古に思いを馳せるという行為。

 

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洞窟住居5

洞窟内の社の左右に、かつてオバマ大統領が好んで使っていた、スピーチプロンプターみたいなかたちのパネルが林立しているのがおわかりだろうか?

 

ここに、この洞窟の成り立ちが書かれている。

 

 

歴史のミルフィー

 

もともと、この洞窟のある岩山は、海際にあったのだ。

波がダッパンダッパン打ち付けて、岩がえぐれて洞窟となった。

 

そのうち海面が下がって、洞窟が陸地に現れた。

ここに目を付けたのが、縄文時代の中期を生きる、僕らの大センパイだ。

 

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洞窟住居6

洞窟が夢のマイホームに!

 

なんか、みんながせっせと働いている中で、ちゃっかり1人グースカ寝ているけどさ、そんな仲良しファミリーがここで暮らしていたのだ。

写真の左上のほうを見ていただきたい。

 

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洞窟住居7

海が洞窟のすぐ近くにあるのが、おわかりいただけるだろう。

今も洞窟のすぐ近くに小さな漁港があるのだが、昔はきっとこんなにも近かったのだ。

 

サウナ上がりみたいなヒゲのダンディが、今マグロを持って帰ってきたぞ。

「え?富山の海岸付近にマグロなんているの?」って、あなたは思うかもしれない。

 

www.uotono.com

 

…わりといるらしい。

ま、絵の中のヒゲのダンディが持っているような、貧弱な銛で仕留められるかどうかは知らないけど。

 

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洞窟住居8

そして、時は流れて縄文時代の晩期から弥生時代にかけてのこと。

 

一気に絵柄がシンプルになって戸惑うが、まぁこんな感じに土器愛好家のオフ会が開催されているよ。それぞれがマイ土器を所持して、土器トークよ。

 

さらに時代はジャンプする。

古墳時代奈良時代→中世・近世…。

それぞれの時代で、それぞれの時代の人が、この洞窟を活用した。

 

なぜそんなことがわかるのか。

 

それは、この洞窟の床の土を掘れば掘るほど、昔の思い出グッズが出てきたからだ。


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洞窟住居9

どうだ、このミルフィーっぷりは。

昔の地層の中に、各時代の人の過ごした痕跡がしっかりと閉じ込められているのだ。

 

  • 第1層: 中世・近世の土師器・陶磁器・鉄刀など
  • 第2層: 奈良・平安時代の須恵器・土師器など
  • 第3層: 古墳時代中期から後期の土器・動物遺体など
  • 第4層: 弥生時代中期末から古墳時代初期の土器・人骨・動物遺体など
  • 第5層: 縄文時代晩期後葉から弥生時代後期の土器・石器・骨角器・人骨・動物遺体など
  • 第6層: 縄文時代中期中葉から後期前葉の土器・石器・動物遺体など

 (引用元:「きときとひみどっとこむ」)

 

 洞窟は、その長年の月日の中で、何度も落盤を繰り返した。

そのたびに時代時代のアイテムも一緒に岩盤の下に埋もれた。

 

それが発掘されたのが、1918年だ。

この発見は、日本の考古学史上にも残る快挙と言われている。

 

なぜかって?

それはね…、このミルフィーユのおかげで、

 

縄文時代弥生時代より古いって実証されたから!!

 

誰でも知っている当たり前のこと。

その根拠がここにあるんだぜ。鳥肌立つっしょ。

この地層にて、どっちが上でどっちが下か、わかったのだよ。

 

僕はこの事実を知ったとき、頭をハンマーで殴られたかのような衝撃を受けた。

僕らがいつも当たり前だと思っていた事実。全部全部、誰かが必死に証明したり発見したり考察したりして、生み出してきたものなのだ。

 

その一端を、こうして目の当たりにできる感激よ。

 

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洞窟住居10

洞窟の一番奥にて、柵からさらに奥を眺める。

 

荒々しい岩盤が、手に取るようにわかる。

昔はこの奥も、居住エリアだったのだろうか?

 

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洞窟住居11

そんで、天井付近に「ツク」って彫ったの誰だ!?イタズラか!?

どういう意味だ??

 

-*-*-*-*-* 

 

たった1分あれば一周して見学を終えられる小さな洞窟。

国道からも1分で到達できる、誠にコンビニエンスな洞窟。

 

しかし、この小さな洞窟には、数千年にも及ぶ僕らの祖先の営みが凝縮されているのだ。

この目に見えぬ壮大さと歴史の重み。

あなたも実際ここを訪問し、感じてほしい。

 

あと1つ、僕自身の反省点…。

 

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洞窟住居12

4回も訪問しているんだから、違うパネルの写真も撮ろうな。

 

10枚ほど展示されているパネルの中の、縄文時代中期の写真ばっか撮影していて、その他は縄文晩期の1枚のみ。

もっとバリエーションあれば、この記事も華やいだのに。

 

まぁいいや。

続きのパネルは、あなた自身で見てほしい。

 

 

さぁ富山県よ、これでサヨナラだ。

 

「ブビーー!!!」

 

短い洞窟探訪を終えた僕に、警報装置が別れの声をかけてくれた。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 大境洞窟住所跡
  • 住所: 富山県氷見市大境駒首
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

 

No:034【山口県】「大星山」山頂の展望台から瀬戸内海を臨む!!しかし狭路に覚悟せよ!

本州本土から橋で繋がる、「周防大島」を一周ドライブしよう。

そう思って島に向かっているときのことだった。

 

ふと見たツーリングマップルには、魅惑的な文字が躍ってきた。

 

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「360°のパノラマが広がる。ルートは複雑」

 

その注釈は、標高438mの「大星山」の山頂を示していた。

 

よし行こう、大星山!

どうせ気ままな一人旅。気になるならば、突撃しない理由がない!

 

 

瀬戸内海を見下ろす山

 

「着いたーー!!」

 

…というわけで、営業マンのアプローチ手法と同様に、いきなりゴールのビジョンからお見せしたい。

少し難易度が高めである、ゴールへのプロセスについてはこの後だ。 

 

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大星山1

 

うおぉぉぉっほぉーーい!!

 

 

これが、運転席からの眺めだ!

天空を走るかのような、このスペシャルな展望!

 

山深い狭路から、いきなりこの標高438mの山頂駐車場に出て、眼前が開けた。

駐車場には柵すらなく、僕の愛車と438m下の瀬戸内海とを隔てるものが何もない。眼前、開けすぎ。

 

これ、マジにもう少しアクセルを踏むと奈落にフォーリンダウンだから、最大限に気を付けなければならない。

 

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大星山2

テンションMAXの僕は、すぐさまコンクリートの展望台に駆け上がった。

すっごいな、この景色は。

瀬戸内海の大パノラマ。写真に見切れている左右を含めると、もう水平線が丸く見えるレベルだよ。

 

ちなみに僕が立つ展望台、側面に滑り台がついていて、下る際にはスイーッとスピーディに駐車場に帰還できる便利設計だ。

 

写真を撮らなかったことが悔やまれる。

晩秋の朝の寒さに怖気づいて、滑らなかったことも悔やまれる。

 

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大星山3

目の前に見えている、特徴的な形の島が、「馬島」だ。

水平線にチョコンと三角形に盛り上がっているのが、九州大分県の「姫島」だ。

 

設置されている案内板を基に、上の写真に島の名前を書き込んでみた。

 

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大星山4

姫島のさらにその先には、快晴の日であれば、大分県国東半島の陸地も見えるらしい。

うーん、今日は見えていないかな?

水平線がかなりガスっている。

 

一縷の望みをかけて、画像のコントラストを調整してみた。

 

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大星山5

おぉ、大分県の国東半島が見えた!!

 

霞の中に、海の彼方に、確かに九州の大地が横たわっている!!

 

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大星山6

遥かなる九州よ!

また九州を縦横無尽にドライブしたいものだぜ!

 

さて、次は右後ろを振り返り、北西方向を眺めてみようか。

 

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大星山7

左端に見切れているのが、前述の馬島だ。

 

そして、写真中央に突き出してみる岬が、「梶取岬」。

先ほど、 僕はあの岬の先端を通る国道188号を走り、光市方面からここ柳井市へとやってきたのだ。

 

 

平生風力発電所

 

大星山のもう1つの特徴、それは風力発電プロペラだ。

山頂付近に7つの巨大プロペラが回り、瀬戸内海の優雅な風景に色を添えている。

 

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風力発電1

そのうちの1基は、展望台のすぐ横にあるのだ。

試しにちょっと近づいてみようか?

 

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風力発電2

こんな感じだ。

遠目から見るとスリムだが、近くで見ると「なんじゃこりゃ」ってレベルに太い。

核シェルターのような重厚なポールに、頑丈な金属の扉。

 

ここから真上を見上げれば、眩暈がするような高さに、大きなプロペラが回っている。

その最高到達点、なんと100m。

回転によって描く円の直径は70m。

 

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風力発電3

青空にプロペラ!!

この眺めが好きだ!

 

僕は全国、風力発電プロペラを見ると問答無用にテンションが上がる系の人間。

ラピュタ」のオープニングで、数々のプロペラが回っているレトロ調の画像を見るだけでワクワクする。

 

ただ、最近は「実は円形のものが回っているだけでワクワクする」という、デフォルメされた趣味嗜好に自身で気付いてしまっている。

 

そっか。

だから僕は車が好きで、ドライブが好きなのか。

だから日本を何周も車で走っているのか。

 

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風力発電4

せっかくの晩秋なので、紅葉と共に撮影してみた。

これも絵になる。

 

この風力発電プロペラ、1基あたりの定格出力は1500kwであり、年間では380万kwに及ぶそうだよ。

一般家庭1200世帯分くらいの電力が、このプロペラが昼夜回転することで供給できるのだよ、すっげ。

ありがとう、風力発電プロペラ。

 

ちなみに、この季節の朝方に、風力発電プロペラが立っているほどの風の強い山頂にいる僕。

実際はガタガタ震えながらの観光であったことを、再度述べる。

 

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大星山8

 

…というわけで、大星山の山頂からのレポートった次第だが…。 

ここに至るまでのルートを、次項で少しご紹介したい。

 

海面スレスレから、この438mの山頂まで登ってくるのだから、それなりにハードなヒルクライムなのだよ。

 

山頂展望台への狭路

 

道は、まぁまぁ凶悪だ。

控えめにご説明しても、擦れ違いは不可能だ。 

 

 

もう、本当に全線1車線。

おまけに、わりと多くの区間で側溝があるので、例えば対向車が来て無理に端に避けようとすると、脱輪する。

 

そういうファンタスティックなドライブを楽しめることを、保証しよう。

 

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アプローチ1

こんな道を、カーナビもない車で登っていく僕の心細さたるや、想像するにあまりある。

 

「どこまでこんな道が続くの?」・「山頂はまだなの?」と、プルプル震えながらハンドルを握った。

終盤にようやくプロペラ群が木立の上から顔を見せたときは、本当にうれしかった。

 

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アプローチ2

さて、山頂で僕は考えた。

別のルートで下山しよう。その理由は2つある。

 

  1.  上りのルートは狭かった。別ルートはもっと広いに違いない。
  2.  北側から上ったが、南側に下りたい。南側に位置する「長島」という島方面に、このあと行きたいから。

 

前述の通り、僕の車にカーナビは無い。

正確に言えばついているけど、西日本の地図情報は登載されていない。

 

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アプローチ3

そうなると唯一の情報源は、冒頭にも掲載したツーリングマップルであるが、ご覧の通り周辺はワチャワチャしており、あまり参考にならない。

目印も皆無。

 

…カンで行く!

 

下山を始めた僕は、立て札に集落名が記載されていることをチラリと確認し、そちらにハンドルを切った。

集落があるということは、下界に降りれるということ。

最悪でも、下界との道路があるということ。

 

 

 

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アプローチ4


自分のカンの悪さを呪う。

 

 

いや、最序盤はよかったんだけどさ。

また分岐が出てきてさ。

そこに立て札もなくってさ。

 

分岐がさ、「ちょっと下る道」と「もっと下る道」だったから、下界に早く降りれそうな後者を選んだの。

これがその始末。

 

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アプローチ5

上りよりも遥かに悪路。

 

一面落ち葉だらけだし、写真ではよく見えないかもしれないが、アルファルトは劣化してバキバキのボコボコだ。

これ、このまま突き進んだら廃道になってしまうのではなかろうか?

 

さすがに1人でこの道を走るのは怖いので、車を停めてちょっと考える。

 

延々バックして、来た道を戻るか?

いや、それはそれで怖い。このクネクネ狭路をバックしながら上るなんてイヤだ。

…進むしかない!!

 

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アプローチ6

ワハハー、ボコボコだぜー。

 

ちなみに、写真を撮っているのは比較的安全な場所で車を停車させたときのみ。

本当にヒヤヒヤしているときは、写真どころではないからね。

だから実際の道は、もっとクレイジー

これ、外部からの観光客が気軽に来て大丈夫なところなの??

 

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アプローチ7

狭ッ!!

 

 

しかし、訪問当時の僕の手記を読み返すと、この写真を撮った理由は狭さからではない。

「やっと綺麗な路面の車道が出てきた、わーい」という内容であった。

 

こんな道で喜ぶだなんて、今までどれだけ過酷な人生を歩んできたのかと、涙が出るだろう。

 

 

こうして、無事になんとかかんとか、海沿いの県道23号に出ることができた。

「一般観光客は絶対にこんな狭路から出てこないだろう」みたいな道から、ヘロヘロになりながらコンニチハした。

 

ふぅ、疲れた。

疲れたっていうか、むしろ老いた。

 

 

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アプローチ8

そう思った矢先に、こんな交通安全のマネキンが登場した。

 

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アプローチ9

老いてるーー!!

 

交通安全を追い求め、老いた姿。

 

まさに今の僕ではないか。

親近感!


朝一からちょっと疲労困憊だけども、でも僕はすぐに回復するさ!

このあと、瀬戸内海の綺麗な海を見ながらの、シーサイドドライブなのだから!

 

 

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大星山9

およそ1時間後。

周防大島をドライブしていると、海を隔てた向こうに小さく大星山が見えた。

 

さぁ、旅はまだまだ続く!!

安全運転で楽しもう!!

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 大星山展望台
  • 住所: 山口県柳井市伊保庄福井
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

 

 

 

No:033【兵庫県】崩れゆく巨大観音!かつて世界最大だった仏像は、破滅への道を辿る…!

世界平和大観音像」。

そのビッグ過ぎるウィルとは裏腹に、その観音像は地元にめっさ迷惑をかけている

 

「崩れそうで危険だ!」・「景観を損ねる!」と、飛び交うシュプレヒコールの嵐。

ついに2020年4月1日、財務省近畿財務局がこの像の取り壊しを発表した。

 

…なんで、こんなことになっちまったのかな?

とりあえず現地レポートと共に考察していきたい。

 

 

聳える巨大廃墟観音

 

今回の目的、世界平和大観音像は、「淡路島」にある。

島の東海岸の海沿いを南下していると…。

 

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平和観音1

はい、巨大建造物恐怖症の人がゲロ吐きそうな登場シーンだ。

朝一で僕も眠かったのだが、睡魔も消し飛んだ。

 

 

巨人だ。

巨人が島を歩いておる。

 

 

あの観音は、かつては観光施設だったものの、閉鎖後長らく廃墟となっている。

世にも珍しい、観音像の廃墟だ。

 

敷地全体が閉鎖されているので、駐車場もない。

とりあえず、観音像と一緒に記念撮影をできる位置を見つけ、愛車のパオを駐車させた。

 

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平和観音2

大きさ、この写真じゃわかんないよなー…。

あのお方、台座含めて身長100mもあるんだぜ。

 

  • 日本最大の「牛久大仏」は、台座20m・像高100mの、全高120m
  • 第2位は、市街地の人々を圧倒する「仙台観音」、同じく台座込みで全高100m
  • 第3位は、「北海道大観音」で全高88m

 

この世界平和大観音は、上記に続く第4位だ。

世界平和大観音の建立当時(1983年)は、1~3位の像は存在していなかった。

そして、国外にもそんなスケールの像は存在してなかった。

 

平和観音が正真正銘の世界最大の像だったのだ。

 

ちなみに僕は、これで国内の第1位~4位をすべて拝観したことになる。

(これでビッグな男になれるかな?)

 

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平和観音3

…よーく見てみると、なんだかいろいろと違和感がある。

 全体の造りとしては、チープ。

 

小学生に「何も見ずに仏像を描いてみなさい」と言って描かせた結果を、3Dにしてデカデカと公開しちゃった感じ。

当の小学生としては、相当に恥ずかしい公開処刑

 

…っていう妄想をしてしまうレベルの、絵心の低さだ。

 

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平和観音4

まずは頭にシャンプーハット

いきなりパワフルなアイテムが降臨している。

 

「じゃあ頭に何が乗っているのが正解なのか」と言われても、パッとは回答できないが、これは抱いてもいい違和感だと思う。

シャンプーハットなのか河童なのか、はたまたヘッドバンドなのかわからないが、神々しさはあまり感じない。

逆に言えば、気さくに話しかけられそうなタイプの観音だ。

 

そして首元。

これはかつての展望台であったらしい。

 

「じゃあ今は?」と言われれば、まぁムチ打ち用のギプスでしょう。

別名「ムチ打ち観音」と呼ばれているそうだし。

気さくに「おたく、首、やっちゃったんすか?」と話しかけられそうなタイプの観音だ。

 

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平和観音5

さぁ、胴体もいろいろ賑やか なんだぜー。

 

首元には、かわいい襟がついているぞ。

まさかの洋服?ポロシャツ?

 

そんで胸部には縦と斜めに溝が彫られているけど、これは如来や菩薩の服装である袈裟をイメージしたものなのだろうか?

すごく、なんとなくデザインした感が強い。

 

僕はむしろこれを見て、軍服の飾緒(しょくちょ)が思い浮かんだね。

首元のデザインも加味すると、こっちのほうが近い。

 

ja.wikipedia.org

 

あと、右手の手首からヒジにかけてのラインが変過ぎる。

肉をゴッソリ持っていかれている。

 

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平和観音6

あー、もうどっかのヤブにでも引っかけたのか、服に穴が開いているし、前のファスナーも全部閉じていないし。

ワンパクな小学生男子か。

 

ちなみに穴は、廃墟と化して劣化し、剥がれ落ちたものだ。

相当な標高から落下しているから、本当にかなり危険な状態。

2020年現在は、さらにここの斜め上の部分も剥離している。

 

…とまぁ、なかなかにスパイシーなデザインの観音だ。
なぜなら、ちゃんとした宗教法人施設ではなく、お金持ちの人が 観光施設として作ってしまったからだ。

 

それにしても、もうちょっとなんとかなったんじゃないかと思うのだが…。

 

 

そうそう、この観音像、真っ白じゃないか。

僕が見たまんまのイメージで、これに着色したら、いったいどうなるのだろう?

 

試してみた。

 

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平和観音7

ま、こんな感じでしょうね。

軍服だ。(そしてファスナーは開いている)

 

もしかしたら制作者の意図とは違うかもしれないけど、恐竜にしろ・古代の仏像にしろ、色の失われた世界に現代人が想像で着色しているのは一緒。

 

僕が考古学者であり、発掘した石仏がこれなのであれば、僕は想像を巡らせた上、きっとこういう着色をする。 

もし違っていたら、そのときは「ゴメン」と謝る。

 

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平和観音8

しかし、どうだろうか。

少なくとも、あなたへの洗脳は成功したのではなかろうか?

 

もうあなたは上の写真の真っ白なキャンバスに、軍服しかイメージできなくなったのではなかろうか?

 

うん、実は僕もだ。 困った。

 

 

敷地の全景と遠景

 

少し引いて、敷地全体を見ていこう。 

 

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平和観音9

写真に写っている部分、全てが廃墟である。

 

まずは左手前の赤い門。

石柱には「豊清山平和観音寺」と書かれている。

前述のように、宗教法人ではなかったんだけどね…。

 

ここはかつては券売所だったようだ。

今は半分雑草に埋もれている。

 

そして写真の右側にある五重の塔…ではなく、十重の塔か。

これも廃墟であり、相当に朽ちてきている。

 

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平和観音10

塔の高さは40m。

観音の半分にも満たないが、それでも圧巻である。

 

ただ、ウワサによると各階が床で仕切られているわけではなく、吹き抜け構造のハリボテだったらしい。

 

そして、廃墟化してからはボロボロと崩れ、落下物の危険もあるため、ご覧のようにスッポリとネットで覆われている。

 

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平和観音11

最上階の屋根とか、鉄骨剥き出しだしね。

怖い怖い。

 

他にも、敷地内にはSLや「自由の女神」のレプリカ、五百羅漢像などなど、ごった煮のように展示されていたらしい。

うーん…、観光地のこじらせ方のお手本のようだ。

 

 

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平和観音12

少し離れたところから。

ここは、「御井の清水」という名水の湧き出る丘の上。

給水するためにやってきた。

 

観音像の後ろ姿が見えている。

よく見ると、ムチ打ち用ギプスの背面に当たる部分に、いくつか穴が開いている。

展望台の背面スペースだったのだろう。

 

観音像は丘の上に立っている。

あの高さからガレキが剥がれて落ちてきたら、下の集落の人は、たまったもんじゃないよな…。

 

そんなことを考えながら水を汲んだ。

 

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平和観音13

…湧き水、普通の蛇口から出てくるスタイルで、あんまりありがたみを感じなかったけど。

でも、あの廃墟観音よりかは、遥かにありがたい存在。

(フォローしとくけど、おいしかったよ、水)

 

 

平和観音破滅までの経緯

 

この観音像は、1983年に完成したらしい。

不動産業で財を成した「奥内豊吉氏」が、故郷に貢献する意味合いで建てたのだそうだ。

 

当時は、各階が以下のようにコンセプトを持って営業していたらしい。

 

  • 地階: 奥内さんの収集したクラシックカーを展示。
  • 1階: 四国八十八箇所の砂を住むことで、八十八箇所巡りと同じ功徳を得られるコーナー。
  • 2階: 世界の名画の複製。しかし、コンビニでコピーしたようなレベルのものも多かったらしい。
  • 3階: 奥内さんの趣味の時計や骨董品などが展示されていたが、スッカスカで埃をかぶっていたそうだ。
  • 4階: 展望レストランや温泉、土産物売り場。レストランは早々に採算取れずにクローズしたそうだ。
  • 5階: 奥内さんが収集した鎧兜などが展示されていたが、スッカスカの空間。
  • 10階: ムチ打ち展望台。強風の日はグラグラ揺れる。

 

最初から、観光ガイドや観光ツアー業界からは距離を置かれており、一部マニアのみが訪問するようなスポットだったらしい。

あぁ。僕もこの時代に訪問したかった。

 

*-*-*-*-*-

 

1988年、観音像建立の5年後に奥内さんが亡くなる。

そして、その奥さんが運営を引き継ぐ。

 

2006年、なんとか運営をしてきた奥さんも亡くなる。

これと共に閉館、廃墟となる

 

競売にもかけられたが、既にこの時点でボロボロで、もらい手がつかなかったらしい。

莫大な費用が掛かるため、安易に解体すらできない。

地元では「迷惑観音」と呼ばれる。

 

2014年・2018年、台風などで外壁が剥がれて落下する。いよいよ危険な状態。

 

2020年2月、侵入した人が展望台から飛び降り自殺。

 

2020年3月31日、 相続人がいないので、民法の規定で全部国の所有物となる。

 

2020年4月1日、国の所有物となったことで、解体撤去できるようになった。早速財務省近畿財務局が解体の趣旨を発表。

 

2020年度内、山門と十重の塔を解体予定。

 

2021年度から2年以内で、平和観音を解体予定。

 

*-*-*-*-*-

 

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平和観音というネーミングに反し、周囲に混乱を与えた観音の歴史が、もうすぐ終焉を迎える。

 

愛されなかった観音の末路は、悲しい。

世の中には、手作りのチープな像でも、みんなに愛されるものがたくさんあるのに。

その違いはいったいなんだったのだろう?

 

地元に歓迎されなかったこと?

膨大なメンテナンスコストがかかるのに、そのコストを回収できるような運営でなかったこと?

 

 

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水を汲み終わった後、御井の清水の丘の上から最後に観音像を振り返り、そして愛車のパオに乗り込む。

 

たぶんだけど、もう僕があの観音像を見る機会はないだろう。

 

平和観音、フォーエバー。

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 世界平和大観音像
  • 住所: 兵庫県淡路市釜口2006
  • 料金: なし(閉鎖されているため)
  • 駐車場: なし(閉鎖されているため)
  • 時間: 特になし(閉鎖されているため)

 

No:032【福島県】断崖にお堂と洞窟の融合した立体ダンジョン!それが「左下り観音堂」!

「懸造り(かけづくり)のお堂が好きだ」 と言って、どのくらいの方にご理解いただけるかは不明だが。

 

「懸造りってなに?」という方は、京都の「清水の舞台」を想像してほしい。

あれがきっと、日本一有名な懸造りだ。

 

それでもピンと来ないあなた。

もう、検索エンジンで「張り出しウッドデッキ」で検索しちゃえ。

令和スタイルの懸造りがモリモリご覧いただけるであろう。

 

今回は、日本5周目当時の僕が福島県で暇つぶしのために訪れた、懸造りのお堂の話しをしたい。

 

…おっと、暇つぶしとはいえ、あなどるなかれ。

3Dダンジョンレベルでいえば、おそらく全国の懸造りの中でも上位に食い込む逸材だと思うのだ…。

 

 

山間部を行く

 

梅雨明け直後の空が、痛いくらいに眩しい。

田んぼの稲は、深い緑に染まり、真夏の風でそよそよと靡(なび)く。

 

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山間部1

あなたは、もし福島県内で待ち合わせ予定の旅友が、いきなり「車のバッテリーが上がったから30分遅刻する」と言ってきたら、どうするか。

 

僕だったら、「じゃあその30分で、暇つぶしに小さな冒険しておくわ」って言う。

こういうときのため、情報のストックはいくつかあるのだ。

 

今向かっているのは、そんなスポットの1つである「左下り(さくだり)観音堂」。

懸造りのお堂である。

 

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山間部2

上の写真の道を探すには、ちょっとてこずった。

 

「どこのわき道に入れば左下り観音堂なのだろうか…?」とキョロキョロしていたのだが、付近には桃を売っている農産物直売所と、工場を示す看板しかなかったのだ。

 

しょうがないので、直売所の前でノンビリ座っているおばあさんに聞いてみた。

すると、工場のほうを指さしたのだ。

 

「工場に入りそうになったら左に反れて。そしたらもっと狭くなって道も悪くなるけど、構わず進んで…。」とか、怖いことを言ってた。

 

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山間部3

うん、おばあさんの言う通りだ。

道は狭いし、荒れてきたし。車体がめっちゃガタガタ言ってますけど?

下のほうに工場がチラリと見えた。

 

これ、対向車来たら100%擦れ違いできないねぇ。困ったねぇ。

 

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山間部4

ここが車道の突き当りだ。

駐車場になっているので、愛車のHUMMER_H3はここに置いていく。

 

ちなみに車体、既にドロドロだけども気にしないでくれ。いろいろワイルドなことばかりやっているのでね…。

 

激坂を相当登ってきたが、目指すお堂はさらにここから徒歩だそうだ。

 

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山間部5

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山間部6

木漏れ日かの日射しが眩しい。

最初はこんな爽やかな緑の中をルンルンで登っていた。

 

しかし、すぐに息も上がって来たし、全身ヒート状態になってきた。

さぁさぁ、日ごろの運動不足のツケが襲い掛かってきたぞ。

 

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山間部7

5・6分ほど登り坂を歩いただろうか?

 

いきなりズドンとお堂が姿を現す。

こんなハイキングコースみたいなところに、何の前触れもなく。

 

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左下り観音堂1

 

左下り観音堂(外観)

 

崖から張り出すように造られた、懸造りのお堂。

見事だ…。

 

木造剥き出しの建物って、他の建物にはない魅力がある。

おそらくそれは、剥き出しの木々の経年変化が、長年風雨に耐えてきた、その建物の苦節を物語っているから。

 

さらに、我々の目で見えるだけの素材で、見える範囲の技術で造られた建物だから。

そんなごまかしようのない説得力が、そこにあると感じた。

 

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左下り観音堂2


懸造りについて、改めてご説明しよう。

 

懸造りっていうのは、斜面を利用して建てられた建築方法。

斜めの地盤に対し、水平な床を作らないといけないので、必然的に床面の一部が空中に飛び出す。

そこを長い柱で支えるのだ。

 

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左下り観音堂3

なんでこんなアクロバティックな建て方をしているのかというと、観音菩薩が降臨すると言われている聖地、「補陀落(ふだらく)」をモチーフとしているから。

 

補陀落って結構険しい山だそうで。

そんでもともと日本は山岳信仰の文化もあるし。

 

だから、「こんな感じでお堂を建てたら補陀落っぽくね?」、「もっと崖ギリギリに建てたら、補陀落レベル100な!」、「スリリングなお堂を建ててバズらせよう」みたいな感じで、過激さを増していったらしい。

 

当時の人も、やっていることは高所でエクストリームなパフォーマンスをしているYouTuberである、"ルーファー"とかと同系統なのではないか、と言ったらいささか無礼だろうか??

 

懸造りにはいろんなバリエーションはあるが、鳥取県の「投入堂」なんかは、もう現代の科学で解明できない建築技術で限界にチャレンジしている。

 

ja.wikipedia.org

 

…とまぁ、懸造り界のレジェンドと比べたらまだ穏やかかもしれないが、左下り観音堂を改めて見てみよう。

 

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左下り観音堂4

木造三層懸造り。

お堂が立つ位置は、はるか上空だ。

 

そして、背面は岩肌と一体化して取り込まれている。 

 

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左下り観音堂5

あとでご説明するが、縁側の延長線上にあたる岩肌に、洞窟のような穴が開いているのがわかるだろうか?
このお堂は、それが特徴の1つである。

 

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左下り観音堂6

説明版を読んでみよう。

 

このお堂は、福島県の指定文化財であり、会津札所二十一番にあたる。

修験の際に籠るお堂として建てられたようだ。

 

1358年に大修理をしたという記録があるから、建てられたのはそれよりも前。

西暦830年に建てられたという説もある。古ーい。

 

 

入口は、上の写真側の反対側から山の斜面を登る。

3階建ての3階部分が玄関だ。

 

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左下り観音堂7

では、おじゃまします…。

 

 

左下り観音堂(内観)

 

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左下り観音堂8

まずは、リアルなポスターが出てきてビビるよね。

これ、ホンモノではないよ。ポスターの平面の写真だよ。

唐突なトリックアート的ポスターの登場で、先制パンチ食らった。

高さや構造でビビる覚悟はしていたが、こんなところで先制点を取られるとは、予期していなかった。

 

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左下り観音堂9

お堂内。

正面の扉は固く閉ざされている。

 

ここは「無頸(くびなし)観音」の伝説もあり、それが安置されていると聞いている。

あの扉の向こうが、その首の無い観音像なのか?

ややホラー。

 

さて、回廊に回ろう。

 

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左下り観音堂10

 

回廊がそのまま洞窟になってるー!!

 

 

これが、左下り観音堂の最大のアイデンティティを表す写真だ。

「廊下を歩いてたら、いつのまにか洞窟にいた」なんて体験、ここ以外ではちょっとできないぞ。

 

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左下り観音堂11

はい、完全にダンジョンだ。

モンスターとか、出現しそうな気配だ。

 

ちなみに、左下にはお地蔵さん(?)のような岩が無数にある。

 

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左下り観音堂12

お地蔵さんなのかそうでないのか、マジにわからないレベル。

そのあやふや感が、どうにも心を不安にさせる。なんだか怖い。

 

さて、このまま洞窟を歩いて進むとどうなるか、と申し上げますと…。

 

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左下り観音堂13

 

落ちます。

 

 

こういうね、落とし穴とか唐突にあるところも、ダンジョンだよね。ドラクエっぽいよね。

 

…とか言っている場合じゃないよ。

残念な結末にならぬよう、本当に気を付けよう。

 

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左下り観音堂14

上から見ると、こんな造りだ。

 

本当になぜ、回廊があそこだけ途切れてしまったのか。

グルグルと回遊したかったのに。 

 

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左下り観音堂15

空中を隔てて、縁側の続きは2m先。

ご丁寧にも、洞窟側の手すりは存在しない。

 

「どうぞ、盛大にジャンプする覚悟があるなら、続きを歩けますよ」

と誘っているかのようだ。

 

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左下り観音堂16

反対側から洞窟側を見ると、こうなる。

 

「おっ!YAMA!!オマエまさか飛んだのか!?」ってお思いかもしれないが、全然飛ばなかったよ。

グルリと回って反対側に来ただけ。

ルーファーじゃないし。チキン野郎だし。

 

ここいらの構造、以下に引用する動画がすごいわかりやすい。

かつ、以下にスリリングかわかるので、ちょっと再生してみて。

 

 

回廊からの眺めは、すこぶる良かった。

 

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左下り観音堂17

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左下り観音堂18

磐梯山」?

のどかな会津の田園風景が眼下に広がっている。

 

ノスタルジックな夏休みを彷彿とさせるような、なんともいえない満足感。

夏っていいなー。

 

 

左下り観音堂(下りルート)

 

そして、下りルートだ。

…あまり穏やかではないぞ。

 

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左下り観音堂19

お堂の真下に入った。

そこを縫うように階段が設置されている。

 

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左下り観音堂20

つまり、上の絵でいうところの、お堂を支える足部分にいる。

下りルートはそこなのだ。

 

こんなところを歩けるのって、珍しいな。

僕もいくつか懸造りを見てきたが、これは初体験。

 

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左下り観音堂21

足元、穴が開いているよ。

2階から1階、見えるよ。

 

これ、いいの?

これ、正解??

 

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左下り観音堂22

2階。

なんか、床板がガチャガチャしてない??

このズレっぷりを見ると、心がザワつく。

 

ゆっくりと踏みしめても、床板はガタガタギシギシいうし。

山間部で、管理人さんもいないスポット。

それなりに劣化してきているのか?安全性は大丈夫なのか??

 

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左下り観音堂23

2階から1階を見る。

 

建築開始したばかりの住宅みたいだ。柱しかない。

こんな柱で、長年頭上のお堂を支えている。恐ろしい。

しかし、この立体構造がそそる。3Dのダンジョンだ。

 

 

そんなこんなで、無事に地面に降り立った。
土の地面、安心するー!

 

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山間部8

ではまた、激坂を降りて下界に戻ろう!

 

30分の暇つぶしはこれでおしまい!

ここからが旅の本番だ!!

 



以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。 

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 左下り観音堂
  • 住所: 福島県大沼郡会津美里町大石字東左下り1173
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり(しかし激坂の先。さらに現地まで山道。)
  • 時間: 特になし

 

No:031【鹿児島県】壮絶なヤブを越え…!Web情報の無い、国内唯一の獣骨生産遺跡を探せ!

 

いやー、どうしたもんだろう、これは…。

 

薩摩半島のほぼ突端に近い場所の、 とあるジャングルの中。

僕はそこを彷徨っていた。

 

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360度、緑ばかりのその世界観に酔う。

 

あなたは、「なぜYAMAのヤツはそんなジャングルの中にいるのだろう?」と考えているに違いない。

うん、同じことを僕も考えている。そして困っている。

 

ほんの20分前までこんなつもりじゃなかったのに、僕は何をやっているんだろう。

こんなところで、サンダルで。

 

物語を20数分さかのぼろう。

 

 

骨粉水車にいざなわれ

 

薩摩半島の南端を、指宿市から枕崎市に向かって国道226号で走る。

すると以下のような光景に遭遇するはずだ。

 

 

左側の案内看板に着目してほしい。

『骨粉水車跡 ⇒ 0.7km』

 

車での0.7㎞とは、スイスイ走れば1分にも満たない距離である。

これといったプランもない、車中泊の1人旅であれば、フラリと立ち寄ってみてもいいかなって思う気持ちを、ご理解いただきたい。

 

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脳内イメージ

僕は、こんな光景を思い浮かべた。

のどかな田園に回る水車。旅先でこんな風景を見られたら、素敵だなーと。

※上記は、僕が茨城県の「霞ヶ浦」で撮影した、三連水車である。

 

しかし、この時点で大きな過ちをしていることに、僕はまだ気付いていない。

運転中の一瞬の判断だったので「骨粉水車」の"跡"の文字を見落としていたのだ。

"跡"ってことは、現存していないという可能性を、全く考えていなかったのだ…。

 

さぁ、物語は奈落へとまっしぐらだ。

 

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骨粉水車序盤戦1

さっきお見せした、Googleストリートビューからわずか700m足らずでこれだよ。

なんだかワイルドになっちまったよ。

 

しかし、前方に鳥居と変なオブジェが見えてきた。

目的地は近いと判断した。

…だが、こんなミステリアスで鬱蒼としたところに、水車なんてあるのか?

 

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骨粉水車序盤戦2

関係ないが、写真の左下に見切れている、カーナビの画面に気付いたあなたは鋭い。

鹿児島を走行しているはずなのに、ナビ画面は東京日本橋だ。

 

これ、ネタバラシしてしまうと西日本のデータが一切ないカーナビで旅をしている。

日本4周目は、そういう旅であった。

 

ま、日本2周目や3周目もカーナビなかったから、そのくらいはどうってことない。

旅の行程に間違いなんてないさ。僕が進む方向が正解だ。

 

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骨粉水車序盤戦3

鳥居近辺の空き地に車を停めた。

そしてオブジェを見てみると、その台座部分に骨粉水車の説明が記載されている。

これは結構重要な情報なので、以下にその内容を書き出そう。

 

 安永5、6年(1776.77)に仲覚兵衛が獣骨による骨粉肥料を発見以来、知覧町内にはここ中渡瀬・松ヶ浦・東塩屋・飯野などに骨粉を作る建しっ小屋が造られました。

関西・中国方面からイサバ船で運んできた獣骨・鯨骨を水車の動力を利用して砕きました。

 

江戸時代(弘化4年・1844)には薩摩藩直営の骨粉配給所である山建会所(豊民館)が西塩屋に造られ、菜種・水稲などの増産に大いに貢献しました。

また知覧における水車動力の利用は、製鉄・金銀の精錬・豊玉姫神社の水車からくり・精米用と江戸時代から幅広く、興味深いものがあります。

 

 中渡瀬の水車は、加治佐川の知覧町側川岸に造られ、上流の堰(せき)から水を引き、水車の後方に水路がめぐる下掛け式でした。

昭和10年頃まで骨粉用として使われ、その後砂糖黍(きび)にも使用されましたが、いつごろ造られたかははっきりしません。

一番川下の水車のすぐ下にももう一基堰があり、そこに船をつけていました。

 

この情報は、あとあと非常に重要にはなるが、今すぐは不要。

まずは骨粉水車を見に行こう!

 

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骨粉水車序盤戦4

画質が粗いが、オブジェの台座の側面をよーく見てほしい。

 中渡瀬骨粉水車跡』と書かれている。

 

ここまでは「骨粉水車跡」としか表記されていなかったが、正式名称は「中渡瀬骨粉水車跡」というのだな、了解!

 

…てゆーか、「」って何さ。

見たところ、ただ木々が生い茂っているようにしか見えないが…。

 

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骨粉水車序盤戦5

おぉ、よく見たら「トトロのトンネル」みたいのがある!

かろうじて歩道みたいなものがある!

 

行こう、中渡瀬骨粉水車!! 

 

 

ジャングル攻略

 

獣道みたいな踏み跡を順調に歩けていたのは、ほんのわずかな時間であった。

もうね、前方に不穏しか感じない。

 

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ジャングル戦1

縦横無尽に行く手を防ぐ竹、えげつなくない??

僕を阻む気、100%だ。

 

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ジャングル戦2

敵の本拠地のレーザートラップか。いや、バンブートラップか。

そして僕はスパイか。

 

とりあえず、映画「マトリックス」の弾丸を避けるシーンのような、懐かしい動きでこのセキュリティフロアを突破した。

 

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ジャングル戦3

竹が無数の流星のような軌道で降り注いできている。

それに、足元にもう土が見えない。草が生い茂っている。道はどこだ。

 

失敗したな。僕はサンダルでここに来てしまった。

冒頭の通り、国道からほんの700mのところに水車があると判断してきただけなのだ。

 

だが、浅はかだった。

なんたる誤算。

とはいえ、ここで諦めるわけにはいかない。

 

このあたりで、目的地は中渡瀬骨粉水車だから、水車は無いであろうことにも気付いた。

それでも、諦めるわけにはいかない。

 

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ジャングル戦4

ハァハァハァ…。

 

なんだこれ?

行けども行けども、襲い掛かってくる敵の軍勢…。

 

これさ、写真で見ているよりも実際は数倍ツラいのだよ。

 

木々を避けたところで、そこにはクモの巣が広がっている。

クモも人間の顔面なんて捕獲するつもりはなかっただろうけど、僕は盛大に頭突きをしてしまい、気分最悪よ。

 

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ジャングル戦5

それに、足の踏み場がない。

止むを得ず、木を踏みつけながら進むんだけど、思った以上に朽ちていて、バキッと折れるんだ。

そしてバランスを崩してコケること、2回。

 

腕をすりむいて痛い。

足も痛い。

サンダルで来るところではない。

 

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ジャングル戦6

あー、もう最悪だ。

緑の海原で溺れてている、僕。

 

草は朝露なのかなんなのかでビショビショだし、この熱気と運動量で僕も汗だくだし。

朝一からドロドロだわ。

 

 

てゆーか道、どっちだーー!!

 

 

「中渡瀬骨粉水車 →」と書かれた看板が出てきた。

一応、ここまでの道のりは正解らしい。

こんな正解、あってたまるか。

 

行く先をよくよく確認すると、この立て札のところで道はカーブしているのだな。

立て札を見逃さなくってよかった。

まだ水車は先のような気配だ。試練は終わらない。

 

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ジャングル戦7

…急にちょっとだけ開けた。不思議空間。

緑の陽だまりだ。

 

一面、膝よりも高い草で埋まっており、朝露グッチョリであり、写真以上に迷惑なタイプの陽だまり。

 

それで、どっちに行けと??

とりあえず、不思議空間の対角線上に向かってみるか。

 

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ジャングル戦8

 

僕の中で、何かがキレた。

 

ジャマだーーー!!!

 

監獄の鉄格子のような、その太い竹の隙間を、身をよじりながら抜ける。

両腕で力いっぱい空間を作り、牢を脱走する怪物のように突き進む。

 

既に倒れている茶色くなった竹は、押しのけたりもできるが、手刀で粉砕したりもした。

 

ウオォォーー!!

僕の中で、殺意の波動が目覚めようとしている。

 

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ジャングル戦9

待て。

さすがにちょっとオマエ、落ち着け。

 

目前に現れた尋常じゃない密林が、僕の理性を再び呼び戻した。

 

僕はたぶんだけど、ここまで白目を剥いて口から泡を飛ばし、破壊衝動のままに突き進んでいた。

しかしここで目に色が戻った。ダークサイドに堕ちずに済んだ。

 

呼吸を落ち着ける。

ズレていた眼鏡を、クイッと元に戻す。

 

 

…この密度の森は、さすがに突破ムリ。シャレにならない。

振り返って考えると、さっきの陽だまりの不思議空間から道は完全に消失しているのだ。

 

方向を間違っている可能性も否めない。

一度戻ろう。

陽だまりの不思議空間の直前に立て札があったのだから、あのあたりまではきっと道は合っていたのだ。

 

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ジャングル戦10

不思議空間まで戻ってきた。

ここで頭を冷やして考える。

 

『骨粉水車跡 ⇒ 0.7km』

 

国道にあったあの標識が懐かしい。

あそこからオブジェまでおよそ700mだったと考える。

にもかかわらず、僕はこの道なき道を400mは歩いていると考える。

 

…どういうこった。

少なくとも、そもそもあの標識の『0.7㎞』は間違いだ。

オブジェまでの距離を示しているのだろう。

 

では、本当の骨粉水車跡までの距離は…?

まぁでもここからさほどは遠くないと推測する。

 

道がないのであれば、道は自分で考えて作り出さなければならない。

 

 

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ジャングル戦11

オブジェの説明板。

あの写真を再び確認してみた。

 

中渡瀬の水車は、加治佐川の知覧町側川岸に造られ…

 

やっぱ、水車があるのは川や水路だよな。

じゃあ、水車を回せるような動力を確保できる、川があるのはどこなのか?

 

少なくとも、ここよりも標高が低い部分だろうな。

谷側を意識しつつ、周辺調査をしよう。

 

 

ガサゴソ…

ガサゴソ…

 

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ジャングル戦12

 

ん…??

 

 

加治佐川と遺構

 

下へ下へと探りを入れていたら、人工的なものが目に入った。

あれはなんだ??

 

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遺構1

もしかして、あれは水車小屋の跡だったり?

 

よくわからないが、建物があるということは、道があるということ。

僕から見て谷側にあるので、川に関係のあるなんらかの施設跡かもしれない。

とりあえず、あそこに行こう。

 

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遺構2

おぉ、茂みの中に階段を発見!

階段とお呼びして良いのか、わからないくらいに朽ちていらっしゃるが。

 

「あの建物まで行く道があるはず」という視点で探したからこそ、見つけられた階段。

そのくらい、茂みに埋没していたよ。

 

 

階段を慎重に下りていく…。

すると、川が見えた!!ついにチラリと見えた!!

 

しかし、ちょっとそっちは後回しだ。

まずはナゾの建物を確認するぞ。

 

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遺構3

あー…。

 

何もないよりかはマシだけど、これは水車小屋ではない。

まずは立地がおかしい。

川に近いとはいえ、やや離れた斜面に建っている。

 

次に、コンクリ素材だ。

さっきの案内板によると水車は昭和10年(1935年)くらいまで使用されたようだが、そうなると最低でも水車小屋は80年ほどは経過しているはず。

 

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遺構4

それでこれは、ありえないな…。

たぶん、これは30年ものくらいの廃墟だ。

 

昭和初期の水車小屋なんて、基本は木造のはずだよな?

当時のコンクリ造りなんて、国家レベルの要塞とかでしょ?

民間でコンクリートライフをエンジョイできるのは、栄華を極めた長崎の「軍艦島」とかくらいでは?

 

明後日に行く予定なのだが、軍艦島にある日本最古の鉄筋コンクリートマンションの「30号棟」が、大正5年の1916年製だ。

あのボロさと比べても、ここのコンクリは綺麗すぎる。

 

水車小屋ごときにコンクリなんて高セキュリティなものを使っていたら、中で作っているのは国家機密の軍事兵器とかになっちゃうよね?

 

 

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遺構5

カニに導かれ、川岸に降りた。

 

うわっ、すごい量のカニ。 

カニ天国。 

ウジャウジャと気持ち悪いくらいにいるわ。 

 

そして…。

 

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遺構6

 

川ーーー!!

 

メチャクチャ綺麗!!

まさに秘境っていう感じ!!

 

その川の左右の岸が、コンクリで固められている。

さらにそのちょっと先には、コンクリの擁壁がある。

 

うーむ。これは前述の通り、水車時代のものではないような気がするが…。

さらに周囲を探索してみる。

 

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遺構7

 

石垣発見!!!
 

 

これは、 確実に江戸時代のものだろう。

水車となんらかの関係がある遺構だと判断した。

 

しかし、何の知識も持たない僕が見つけられたのはここまでだ。

 

なによりね、もうドロドロのヘロヘロだし、「歩いて一瞬だろう」と思っていたから手ぶらで水すら持ってきていない。

喉が乾いた。生命維持のためにも帰る。

 

こうして、僕はまたズッコケたりクモの巣に絡まったりしながら愛車のもとへと戻った。

 

 

そして、どん詰まりに停めた愛車をヒーヒー死にそうになりながら4回切り返してターンさせ、中渡瀬集落を後にする。

さらば、謎多き骨粉水車跡よ!!

 

※ ここで酷使した愛用のサンダルは、この4時間後にちぎれて崩壊した。水車探索時ではなくて良かったと共に、サンダルのご冥福をお祈り申し上げる。

 

 

わずかな情報を追い求め

 

さて、中渡瀬骨粉水車跡には行ったものの、いまいちイメージは掴めなかった。

 

  • 骨粉水車とは、どのような水車なのだろうか?
  • あのコンクリートの建物はなんだったのだろうか?
  • なんであんな凶悪なアプローチルートなのだろうか?

 

せっかく苦労してアプローチしたのだ。

謎を解決させたい。…例え何年かかっても。

 

まずは、実際にあそこを訪れた観光客の情報を得ようとした。

 

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あー、なるほどなるほど。

 

これだけWebに情報が溢れかえり、誰もがTwitterで気軽に呟くこの令和時代において、「9件」ね。

幼稚園児でも数えられる数量に「約」をつけて、ふんわりとした表現にしてらっしゃる。

 

ちょっとだけ時間をさかのぼり、2年前現在くらいな情報にてご紹介をすると…。

 僕の調べた限り、一般人で現地訪問し、それをWebで公開したのは3名。

 

  1.  現地を訪問したが、途中のヤブでリタイア(Webサイト現存)
  2.  現地を訪問し、コンクリートの建物に到達(Yahooブログ使用であったため、2019年12月のサービス終了と共にWebサイト消滅)
  3.  同上(Yahooジオシティーズ使用であったため、2019年3月のサービス終了と共にWebサイト消滅)

 

なんという貧弱な品揃えなのだよ…。

ちなみに上記「3」は、こんな感じだったのだがね。

※知る人ぞ知る、「日本走覇」だ。

 

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とりあえず、どれも共通しているのは前述の僕の謎を解決できるような情報は掲載されていないということ。残念。

 

ところで、検索結果は「9件」であった。

残りはというと、学会で調査記録を発表したという事実が紹介されているだけだったり。

もしくは、「国立国会図書館」内にその調査記録が保管されているという情報だったり。

 

うーん、国会図書館から情報をもらうのも、いろいろ面倒だしなぁー…。

どうしようかな…。

 

 

まぁこのあとなんやかんやあるのだが、現地の発掘調査をし、考古学会での発表や国会図書館登録書籍に携わった、知覧町学芸員の方へ取材させていただくことができた。

 

イェイ!!

ガチで第一人者の専門家の方から情報いただけて、感謝です!! 

 

 

紐解かれる中渡瀬骨粉水車

 

…というわけで2020年8月初旬、僕の中で長年の謎であった事象が、ようやく紐解かれることになった。

 

ご担当いただいた学芸員の方、あえてお名前はここには記載しないが、Web上で調べてみたところ、様々なご活躍されている方。

そんなお忙しい中、素人の旅人にいろいろご丁寧にご教示いただき、恐悦至極。

 

コンクリ小屋の謎

 

僕が見つけた、あのコンクリートの廃墟。

まずはサクッとその正体をご説明する。

 

あれは、やはり極めて近代のもので、考古学の対象とはならないものだそうだ。

 

学芸員の方によると、「川から水路に引いたポンプ機械が設置されていた建物のようだ」とのことで、明確な用途は不明。

しかし少なくとも、学芸員の方の食指が動かなかった時点で、当時の中渡瀬骨粉水車と関係が深いものではなさそうだ。

 

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骨粉水車の成り立ち

 

「骨粉水車」という言葉を聞いたことがある人は稀だと思う。

調べてみると、鹿児島県の中でも南九州市、さらにその中でも知覧町を中心とした数箇所のみに存在していたようなのだ。

 

2016年の九州大学による研究文書内には、「国内唯一の獣骨生産遺跡」と表記してあった。

調査研究にあたっては、今回僕にご教示いただいた学芸員の方の所属団体が協力しているそうなので、この表記は事実なのであろう。

そのくらいレアってことね。

 

では、いつどうやって骨粉水車が生まれたのか、僕のつたない文章と知識でお伝えしたい。

 

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冒頭に戻り、国道226号走行中に僕が見かけた標識。

「⇐ 仲覚兵衛誕生の地」という表記が見える。

仲 覚兵衛(なか かくべえ)」。彼こそが、骨粉水車を語る上でのキーパーソンだ。

 

彼は、海運業を営む家に生まれ、自らも海運業に携わった。

日本各地、いろんなところを船で回っていたのだが、西暦1772年からしばらく大阪に滞在しているとき、すごいことを発見してしまうのだ。

 

「馬や牛の骨が捨ててある場所って、なんかやたらと草が伸びてね??」

 

ここから、彼による一大ビジネスがスタートする。

西日本全域から船で牛や馬の骨を集め、そんでわずかだけどもクジラの骨とかも集め、砕いて肥料にする。

 

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これが、彼の屋敷跡から出土した獣骨だ。

ほとんど馬や牛。人骨ではないぞ。仲覚兵衛さんは、そういう法的にバイオレンスな人じゃないから。

大島てる」とかにエントリーされたりしないから。

 

もともと九州って火山灰が多く堆積する「シラス台地」っていう、やせた土壌だった。

しかしこの仲覚兵衛さんの獣骨の肥料のおかげで、「となりのトトロ」のワンシーンみたいに作物がギュンギュン成長し、特に菜種(菜種油の原料ね)が特産物となるくらいに発展しだそうだ。

 

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そんでこれがオブジェの説明版にも登場していた、「イサバ船」。

 

当時、覚兵衛さんは牛馬の死骸ばっか運んでいたので、「あの人の船、マジくっせぇんですけど?一緒の場所に船とか停めてほしくないんですけど?」とか、思春期の娘を持つ父親のような扱いもされたそうだ。

 

そんなふうに後ろ指を指されつつも、他者が見向きもしないものをビジネス化して大成功を収めた覚兵衛さん。きわめて有能な実業家である。

 

さぁ、ここで登場するのが骨粉水車だ。

西日本から集めた獣骨。肥料にするには細かく粉砕する必要がある。

 

川に水車を設置すれば、水車の動力で粉砕できる。

しかも、西日本からの旅を終えた船がそのまま川に横付けできて、輸送もスムーズ。

そんなわけで、ここ知覧の数箇所に骨粉水車が造られた。

 

 

骨粉水車を想像する

 

僕はもどかしい。

現地を訪問し、そして今回もこれだけの情報をいただきながら、かんじんの骨粉水車がどのようなものなのか、イメージ画像がないのだ。

 

当時の文献にもないようだし、発掘チームや研究者による想像図も見た限りは、ほぼ皆無。

冒頭で記載の通り、僕は水車自体に興味があったのだ。 

 

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手掛かりは、おそらく上の写真の範囲から想像するのみ。

 

石垣の横にある溝。

これが水車の水輪が描く回転の軌跡だ。

 

つまり…

 

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この赤い溝の部分が…

 

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水輪と岸壁の接触面。

この軌跡から、水輪の直径を割り出すことができる。

 

そのサイズ、実に5.1mと推定されている。

なかなかにビッグ・スケールじゃないか。 

2階の屋根を越えるくらいの高さじゃなかろうか。

 

さらに、水車立地の周辺も見てみよう。

 

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あぁ、これを見てようやくオブジェの台座の説明版の意味がわかってきた。
 

上流の堰(せき)から水を引き、水車の後方に水路がめぐる下掛け式でした。

(中略 )

一番川下の水車のすぐ下にももう一基堰があり、そこに船をつけていました。

 

上の遺構の配置図を、自分自身わかりやすいように、少し手を加えてみた。

 

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作成にあたっての留意点は、以下の通りだ。

 

  1. 「水車③」の痕跡は発見されていないが、水路跡はあるため、水車もあったのではないかと推測。
  2. 「堰C」はいただいた資料には明確に堰である旨の記載はない。しかし、なんらか川を横断する遺構が描かれていたことと、オブジェ台座の説明版に『一番川下の水車のすぐ下にももう一基堰があり』と書かれていたことから、これは堰であると判断。
  3. いただいた資料には『4×4mの建物が二棟あった』と書かれているが、場所が明示されていないので割愛。

 

 よりイメージしやすいよう、デフォルメを加えつつ、立体的に描いてみよう。

 

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はい、僕の画力では、これが限界。

堰も1つ少なくしちゃったけど、これでイメージがついたら嬉しく思う。

 

こうやって、水路からの水流で、水車を回して骨粉を砕いていたんだなぁ。

 

 

アプローチルート崩壊

 

最後の謎に迫ろう。

なんで水車跡への道が、あんなに荒れ果てていたのか。

 

  • 1935年ごろ… 水車の歴史が幕を閉じる(産業の近代化など?)
  • その後、獣骨肥料や骨粉水車が、人々の記憶からも消える
  • 2004年… 今回担当してくれた学芸員の方や、文化財研究所の教授、奈良教育大学の人々にて、骨粉水車跡を発掘調査する
  • 2006年… 調査の成果を「第72回日本考古学協会」で発表する
  • 2009年… 日本財団の助成にて、「ミュージアム知覧」で「獣骨を運んだ仲覚兵衛と薩南の浦々」の企画展を開催する。

 

たぶんだけど、あのアプローチルートが正常に機能していたのは、2005年ごろから2010年ごろまでじゃないかな、と推測する。

 

国道に『骨粉水車跡 ⇒ 0.7km』の標識が設置されたときが黄金期だったんじゃないかな、と思う。

Googleマップの過去のストリートビューで設置タイミングを調べようとしたのだが、残念ながら一番古い映像が2012年だったので、これは調べられなかった。

 

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ここは中渡瀬集落の所有地&個人所有地なんだって。

 

以前は地元で定期的な整備もしていたんだけど、地元の人々が高齢化し、そして市も整備の手を止めてしまい、荒れてしまったのだそうだ。

 

学芸員の方は、最後に僕にこう語る。

 

「中渡瀬骨粉水車や、この近所にある「仲覚兵衛の住居跡」は、県内でも貴重な近世~近代にかけての産業遺跡。

せめて現地を見学できるように整備をしたい。

役場や地元に動いてもらうべく努力をしたいと考えている。」

 

 

中渡瀬骨粉水車…。

もし道が整備されていたら、もし現地に水車が復元されていたら。

僕はここまで興味を持ち、ここまで調査をしただろうか…?

 

答えは、否。

おそらくは写真を1・2枚撮り、すぐに立ち去っていただろう。

記録には残っても、記憶に残らないスポットであったろう。

 

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泥とクモの巣にまみれながら、苦労して現地にたどり着いた。

ほとんどない情報を自分から積極的に取りに奔走した。

 

そんな経験をさせてくれた中渡瀬骨粉水車は、僕にとっては忘れられないスポットとなった。

 

 

そしていつの日か、ちゃんと市が整備をしてくれるかもしれない。

水車を復元してくれる日が、来るのかもしれない。

そう考えるだけで、鹿児島に行く楽しみがまた増えるじゃないか。

 

ありがとう、中渡瀬骨粉水車。

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 中渡瀬骨粉水車
  • 住所: 鹿児島県南九州市知覧町南別府
  • 料金: 無料
  • 駐車場: 八幡神社付近に数台停められる
  • 時間: 特になし

 

No:030【大阪府】日本最高レベルの夜景!?ナイトハイキングで「ぼくらの広場」へGO!!

ちなみに今日はクリスマスだ。

僕は、「日本一の夜景を見に行く」と豪語している。

 

さぁ、画面越しに感じたぞ。

群衆のどよめきを。

鳴り響く指笛を。

 

「第30話にして、ミスター・ロンリーことYAMAさんが、ついに浮いた話を綴りだしたぞ!」と、鳴り止まない賛辞の拍手を。

 

…すまない。しかし、今回もまた1人なんだ。

1人でクリスマスに夜景を見に行く。

 

「なんか、精神的な修行の一環ですか?」って言われるかもしれないが、正直僕にもよくわからない。

しいていえば、「そこに夜景があるから」…か??

 

…というわけで、真夏ではあるけれど、(いろんな意味で)木枯らしの吹きすさぶ、日本4周目で迎えたクリスマスの夜の話をしたい。

 

 

 

信貴生駒スカイライン

 

今回向かう夜景スポットは、「ぼくらの広場」と呼ばれている。

奈良県大阪府との境界の生駒山系にあるが、ギリギリで大阪府に属するスポットだ。

 

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生駒スカイライン1

「ぼくらの広場」へのアプローチ方法は、大きく2種類ある。

 

1つは、「暗峠(くらがりとうげ)」という、国内最大傾斜を誇る国道で峠まで行く方法。そこからは徒歩。

しかしこの峠、バカみたいな傾斜の上に擦れ違いができない狭路の国道なので、普通車で行くのはかなりの自殺行為。

 

もう1つは、「信貴生駒スカイライン」で暗峠の近くまで行き、そこから徒歩。

まぁどっちみち、最後は徒歩なわけで。

 

でも、僕は金に物を言わせることにした。

朝には雪も舞っていたこの極寒の日、山間部にちゃんと安全にアプローチするならお金を払うのも止むを得まい。

 

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生駒スカイライン2

1300円取られた。

思ったよりも高かったな…。

 

そんなことを考えながら、荒れたアスファルトをグイグイと登っていく。

時刻は16:20。

そろそろ日没の時間だ。ちょうどいい。

 

奈良県側からアプローチすると、最初に出てくるのは「立石越」というスポットだ。

ここはギリッギリ大阪府

 

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生駒スカイライン3

ここで初めて大阪側の景観が開ける。

すんごい。ここは奈良県との県境なのに、大阪の中心部がハッキリと見える。

 

さらに目を凝らすと、水平線ギリギリに、兵庫県明石市の「明石海峡大橋」まで見える。

 

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生駒スカイライン4

あの橋、僕がすごく好きな橋。

好きすぎて、一時期3ヶ月に一度のペースで明石に遊びに行っていたくらい。

 

そして、橋の左手の丘は淡路島だね。

こんなところから淡路島が見えるのか、すっげ。

 

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生駒スカイライン5

ここの特徴は、駐車場の車の中からでも夜景が見えるということ。

冬の寒い時期でも外で凍える心配がない。

 

そして、僕のように男1人でクリスマスに夜景を見に来ていたとしても、カップルにヒソヒソと後ろ指をさされることもなく、心が凍える心配なく、隠密行動ができる。

 

メリットだらけだな。

 

 

このあとも「十三峠」で景色を見たり、「鐘の鳴る展望台」を見上げたりするのだが、それは省略する。

 

今回は大阪府としての記事を書きたいので、奈良県にちょっとでもかかる部分はすっ飛ばす所存。

 (奈良県のゲートでお金を払ったにもかかわらず、すみません。)

 

 

夕闇のハイキング

 

見つけた。

ここが、車を停めておくための重要スポット。

 

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ハイキング1

酷道暗峠の1㎞南。

左手に上記の看板が見えてきたら、そこに車を停めよう。

 

他の展望台の標識と比べると、看板はかなり見つけづらいので注意。

駐車場名は「なるかわ駐車場」というらしいが、現地にはその旨の記載すらなかった。

 

www.kintetsu.co.jp

 

詳細は上記リンクを見てもらえると、スカイライン全線の見どころ・駐車場が掲載されているので、便利だと思う。

 

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ハイキング2

 駐車台数は10台とのことだ。

しかし枠線も何もない、砂利の空き地。なかなかにワイルド。

 

愛車はここで留守番だ。

「ぼくらの広場」へは、ここから15~20分ほどの徒歩だという。

僕は徹底的な防寒と、ランタンの準備を行う。

 

時刻は16:55。

では、夕闇のハイキングの開始だ。

 

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ハイキング3

これが、遊歩道入口付近に掲示してあった周辺MAPだ。

 

一応現在地とぼくらの広場は掲載されているが、道がよくわからんぞ、ゲラゲラ。

まぁとりあえず、まっすぐ歩けばいいのかな?

 

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ハイキング4

写真では明るく見えるだろうが、肉眼で見ると既に、不安になるくらい仄暗い散歩道。

でも、まだランタンは無くても歩ける。

 

かろうじて明るい時間にアプローチしようとした理由は2つある。

  1.  真っ暗になる直前くらいの方が、夜景がきれいだから
  2.  いきなり真っ暗だと遭難するから

 

事前に行ったことがある人のWebサイトを見たりしたのだが、『昼間に下見をしておくべき 』・『経験者と一緒に』・『本格的なナイトハイキング』…、などの脅し文句がゴソゴソ出てきた。

 

そりゃ怖いわ。

帰りは絶対真っ暗だけど、行きくらいは見える状態で歩きたい。

 

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ハイキング5

お、わりとこまめに標識を設置してくれているぞ。

 

これ、もしかして結構楽勝なパターン?

人生イージーモード?

 

たぶんクリスマスを楽しむカップルは、こんな山道に綺麗なカッコで紛れ込んだりしないだろうから、もう僕の独壇場では??

 

フフン、フン、フフーン。

フン、フフフフーン、フンフーーン。

 

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ハイキング6

ヘタクソなムーンウォークをする余裕すらある。

 

こうやってムダな動きをして、体を温めておくのよ。

そうやって自分を正当化する。

 

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ハイキング7

…あ!

 

油断していたら割と本格的な上り坂が出てきた!

ちょっと焦る。

 

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ハイキング8

さらに、茂み地帯が現れた。なんだか精神的に不安になる光景だ。

 

写真だからある程度景色が見えているが、実際はもうかなり見づらい。

そして、ランタン不向きだわ。

ランタンの周囲360度はそれなりに明るいけど、光が届く距離が短くって、進行方向はあまり見えない。 

 

懐中電灯を持ってくればよかったと後悔。

しかし、もう僕は止まれない。後ろは振り返らない。前進あるのみ。

 

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ハイキング9

…やっぱ不安なので後ろを振り返った。

 

ちょっと開けたところに出たので、帰り道で迷わないようにね。

この光景を写真に撮って、万が一のときに見返せるようにしておく。

 

ここ、やや広めの広場みたい。

暗くって見えないけど、テーブルやイスが屋外に設置されている。炊事場みたいなものまであるように見える。

 

そして、そのあたりで遊歩道が交差点になっており、どっちに行けばいいのかわからない。

 

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ハイキング10

結論から言うと、対角線上に行くのが正解だった。

標識とかはないけど。

上の写真のところに辿り着けば、正解。 

 

さらに進むと、貯水池の上のコンクリートの橋を渡るシチュエーション。

手すりとか、ないけどな。

 

さっきまで見かけていたぼくらの広場への標識も、もう全然ない。

遊歩道の脇のポールに小さい地図が貼り付けてあるんだけど、全て劣化して見えやしない。

 

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ハイキング11

たった1つだけ、ポールに貼り付けてある地図がなんとか読めた。

それが上記である。

 

「え…?見え…ねぇ。でも、んー、見え…たかな??」

くらいの微妙な感じだったが。

絶妙に、もどかしいラインを的確についてくる地図であったな。

 

現在地もわからないが、なんか勇気をもらったのは事実。

さらに先へと歩こう!

 

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ハイキング12

なんだかまた、道がわからなくなった。

こっちでいいのか?

向こうのほうに鉄塔が見える。そこまで行ってみようか。

 

この決断が正しかった。

鉄塔のすぐ向こうが、ぼくらの広場であった。

 

ここまで、すれ違った人間ゼロ

ついに、最強レベルの夜景スポットに到達したぞ!!

 

 

ぼくらの広場と、すごい夜景

 

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ぼくらの広場1

芝生の広場が目の前に広がっている。

そしてその広場は、進行方向の大阪側に向かって大きく下向きに傾斜している。

 

さらにその先。

大阪の平野がどこまでも広がっていた。

 

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ぼくらの広場2

時刻は17:15。 

ほどよく暗くなってきて、大阪の町に灯りがつき始める。

 

わずかな夕闇の下で、大阪が輝きを放つ。

すっげー。

鳥の目線で夜景の町を見下ろしているかのようだ。

 

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ぼくらの広場3

"ぼくらの"広場なのに、僕しかいない。

ぼくだけの広場

 

すんごい開放感だが、絶望的なまでに寒い。

モコモコに着ぶくれしてやってきたのに。

 

とんでもない強風なので、体感温度はきっと余裕で氷点下。

歯がカチカチ鳴る。

カップルの愛も凍り付いてしまうであろう。僕には関係ないが。

 

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ぼくらの広場4

まだ若干空は明るく、夜景には早い時間。

しかし、ここで待機していたら凍える。

 

周囲を見ると、公衆トイレがあった。

あそこに逃げ込もう。

 

 

…15分後。

トイレに立て籠もっていた僕が、再び姿を現した。

 

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ぼくらの広場5

 

おおおぉぉぉぉーーーー!!!

 

 

僕がこの生涯で見てきた夜景の中で、1番かも。

まぁ夜景のすごい・すごくないなんて人それぞれな部分があるかと思うが、僕の中でここは今、1番になった

 

碁盤の目のような光のラインが縦列に走るこの光景、たまらんよ。

大阪平野、壮大すぎるよ。

 

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ぼくらの広場6

生駒山系で、光量・可視範囲ともに最高と言われているスポット。

「関西一」と言われることもあるし、「日本一」と言われることもある。

 僕も今まで日本三大夜景なども見てきたが、確かにここはすごい。

 

「すごいすごい」と言ったところで、独りよがりなだけで、あなたにはうまく伝わらないかもしれない。

そこで、何がすごいと感じたのかを、冷静に自己分析してみた。

 

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ぼくらの広場7

 

それは、遠近感である。

 

絵を描いたりデザインを学んでいる人であればお分かりかと思うが、パースだ。

地平線へと続く、絵に描いたようなシンプルなパース。

縦横に走る光のラインが、丁寧にそのパースを際立たせてくれる。

 

通常であれば人間の目って、闇夜では立体感がつかみにくくなる。

しかし、こうやって補助線(光のライン)があることで、それを体感できるのだ。

 

 

地平線まで続く、光のパース。

 

 

僕がここを表現するなら、こういう言い方をしよう。 

 

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ぼくらの広場7

僕以外に誰1人いない点もすごい。

 

知名度はかなり低く、特に東日本でここの存在を知っている人は少ないであろう。

だからこその、この独り占め感。

 

 

…ただし、ひたすら寒いけどな。

三脚を持ってきたのだが、強風で立たない。

なんとか立たせても、風でグラついて写真がブレる。

 

その無慈悲なブリザードを食らったカメラは、わずか数枚の写真を撮っただけで電池切れしてしまった。

あまりの寒さのためにバッテリーを一瞬で消費したのか?それなりに充電してあったのに。

 

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ぼくらの広場8

はい、手持ちだとブレるブレる

 

寒いを通り越し、痛いも通り越し、ただのカッチカチの状態だよ、僕の手。

凍傷一歩手前みたいな状態だった。

 

だが、それに見合った絶景を目の当たりにできた。

 

よーし、今夜は枕を高くして寝られるぜ!!

 

 

生駒のメリークリスマス

 

もちろん、夜景を見たあとは、また歩いて駐車場まで戻るワケだ。

 

これがゲームであれば、夜景を見た時点でエンドロールとか流れてそれで「めでたしめでたし」なのだが、現実はそうは甘くはない。 

なんだったら、行きより帰りの方が断然ハードモードだからな。真っ暗よ。

 

「怖いよー、怖いよー」と、白い息と共につぶやきながら、なんとか遭難せずに駐車場に無事帰還した。

 

 

愛車に乗り込んだら、さらに北を目指して走り出す。

すぐに『民家があるので騒音注意』みたいな看板が出てきた。

 

 この生駒さんの深い山中で、こんなことが書かれる場所は1つしかない。

 

 

 

伝説の暗峠!!

 

 

あの超勾配とすれ違い不可の国道の上を、今通り過ぎた!

暗闇の中、チラリと民家が見えた!

 

僕の真下は、奈落へと落ちていくような高架橋のトンネルだ。

 

またいずれかの機会で、狭路と激坂を攻略してこの峠を攻略するから待ってろよ!

 

jitensha-hoken.jp

 

 

しばらくの後、「パノラマ駐車場」という夜景スポットに到着した。

ここはギリギリ大阪府側。

 

車の中から夜景が見える。

自販機もある。

ここでホットコーヒーを購入し、冷えた体を温めることにした。

 

コーヒーを飲みながら、「夜景綺麗だったなー」とか、ボンヤリと振り返る。

そして、気付かなくっていいことを気付いてしまった。

 

今日はクリスマス。

街はカップルのためにイルミネーションであふれ、家族は暖かい家で団欒を楽しみ、レストランもホテルも大賑わい。

 

だからこその、今夜のこの夜景。

 

…それにひきかえ、僕は…!

この僕は…ッ!!

 

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パノラマ駐車場

パノラマ駐車場から見た夜景は、涙で滲んだ。

 

いや、単にまた手ブレしたのかもしれない。

だけども確かにそのとき、僕の頬を熱いものが伝ったと思うんだ。

 

みんな…、メリークリスマス。

"ぼくら"ではなく、僕以外のメリークリスマス。

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報