「世界平和大観音像」。
そのビッグ過ぎるウィルとは裏腹に、その観音像は地元にめっさ迷惑をかけている。
「崩れそうで危険だ!」・「景観を損ねる!」と、飛び交うシュプレヒコールの嵐。
ついに2020年4月1日、財務省近畿財務局がこの像の取り壊しを発表した。
…なんで、こんなことになっちまったのかな?
とりあえず現地レポートと共に考察していきたい。
聳える巨大廃墟観音
今回の目的、世界平和大観音像は、「淡路島」にある。
島の東海岸の海沿いを南下していると…。
はい、巨大建造物恐怖症の人がゲロ吐きそうな登場シーンだ。
朝一で僕も眠かったのだが、睡魔も消し飛んだ。
巨人だ。
巨人が島を歩いておる。
あの観音は、かつては観光施設だったものの、閉鎖後長らく廃墟となっている。
世にも珍しい、観音像の廃墟だ。
敷地全体が閉鎖されているので、駐車場もない。
とりあえず、観音像と一緒に記念撮影をできる位置を見つけ、愛車のパオを駐車させた。
大きさ、この写真じゃわかんないよなー…。
あのお方、台座含めて身長100mもあるんだぜ。
- 日本最大の「牛久大仏」は、台座20m・像高100mの、全高120m。
- 第2位は、市街地の人々を圧倒する「仙台観音」、同じく台座込みで全高100m。
- 第3位は、「北海道大観音」で全高88m。
この世界平和大観音は、上記に続く第4位だ。
世界平和大観音の建立当時(1983年)は、1~3位の像は存在していなかった。
そして、国外にもそんなスケールの像は存在してなかった。
平和観音が正真正銘の世界最大の像だったのだ。
ちなみに僕は、これで国内の第1位~4位をすべて拝観したことになる。
(これでビッグな男になれるかな?)
…よーく見てみると、なんだかいろいろと違和感がある。
全体の造りとしては、チープ。
小学生に「何も見ずに仏像を描いてみなさい」と言って描かせた結果を、3Dにしてデカデカと公開しちゃった感じ。
当の小学生としては、相当に恥ずかしい公開処刑。
…っていう妄想をしてしまうレベルの、絵心の低さだ。
まずは頭にシャンプーハット。
いきなりパワフルなアイテムが降臨している。
「じゃあ頭に何が乗っているのが正解なのか」と言われても、パッとは回答できないが、これは抱いてもいい違和感だと思う。
シャンプーハットなのか河童なのか、はたまたヘッドバンドなのかわからないが、神々しさはあまり感じない。
逆に言えば、気さくに話しかけられそうなタイプの観音だ。
そして首元。
これはかつての展望台であったらしい。
「じゃあ今は?」と言われれば、まぁムチ打ち用のギプスでしょう。
別名「ムチ打ち観音」と呼ばれているそうだし。
気さくに「おたく、首、やっちゃったんすか?」と話しかけられそうなタイプの観音だ。
さぁ、胴体もいろいろ賑やか なんだぜー。
首元には、かわいい襟がついているぞ。
まさかの洋服?ポロシャツ?
そんで胸部には縦と斜めに溝が彫られているけど、これは如来や菩薩の服装である袈裟をイメージしたものなのだろうか?
すごく、なんとなくデザインした感が強い。
僕はむしろこれを見て、軍服の飾緒(しょくちょ)が思い浮かんだね。
首元のデザインも加味すると、こっちのほうが近い。
あと、右手の手首からヒジにかけてのラインが変過ぎる。
肉をゴッソリ持っていかれている。
あー、もうどっかのヤブにでも引っかけたのか、服に穴が開いているし、前のファスナーも全部閉じていないし。
ワンパクな小学生男子か。
ちなみに穴は、廃墟と化して劣化し、剥がれ落ちたものだ。
相当な標高から落下しているから、本当にかなり危険な状態。
2020年現在は、さらにここの斜め上の部分も剥離している。
…とまぁ、なかなかにスパイシーなデザインの観音だ。
なぜなら、ちゃんとした宗教法人施設ではなく、お金持ちの人が 観光施設として作ってしまったからだ。
それにしても、もうちょっとなんとかなったんじゃないかと思うのだが…。
そうそう、この観音像、真っ白じゃないか。
僕が見たまんまのイメージで、これに着色したら、いったいどうなるのだろう?
試してみた。
ま、こんな感じでしょうね。
軍服だ。(そしてファスナーは開いている)
もしかしたら制作者の意図とは違うかもしれないけど、恐竜にしろ・古代の仏像にしろ、色の失われた世界に現代人が想像で着色しているのは一緒。
僕が考古学者であり、発掘した石仏がこれなのであれば、僕は想像を巡らせた上、きっとこういう着色をする。
もし違っていたら、そのときは「ゴメン」と謝る。
しかし、どうだろうか。
少なくとも、あなたへの洗脳は成功したのではなかろうか?
もうあなたは上の写真の真っ白なキャンバスに、軍服しかイメージできなくなったのではなかろうか?
うん、実は僕もだ。 困った。
敷地の全景と遠景
少し引いて、敷地全体を見ていこう。
写真に写っている部分、全てが廃墟である。
まずは左手前の赤い門。
石柱には「豊清山平和観音寺」と書かれている。
前述のように、宗教法人ではなかったんだけどね…。
ここはかつては券売所だったようだ。
今は半分雑草に埋もれている。
そして写真の右側にある五重の塔…ではなく、十重の塔か。
これも廃墟であり、相当に朽ちてきている。
塔の高さは40m。
観音の半分にも満たないが、それでも圧巻である。
ただ、ウワサによると各階が床で仕切られているわけではなく、吹き抜け構造のハリボテだったらしい。
そして、廃墟化してからはボロボロと崩れ、落下物の危険もあるため、ご覧のようにスッポリとネットで覆われている。
最上階の屋根とか、鉄骨剥き出しだしね。
怖い怖い。
他にも、敷地内にはSLや「自由の女神」のレプリカ、五百羅漢像などなど、ごった煮のように展示されていたらしい。
うーん…、観光地のこじらせ方のお手本のようだ。
少し離れたところから。
ここは、「御井の清水」という名水の湧き出る丘の上。
給水するためにやってきた。
観音像の後ろ姿が見えている。
よく見ると、ムチ打ち用ギプスの背面に当たる部分に、いくつか穴が開いている。
展望台の背面スペースだったのだろう。
観音像は丘の上に立っている。
あの高さからガレキが剥がれて落ちてきたら、下の集落の人は、たまったもんじゃないよな…。
そんなことを考えながら水を汲んだ。
…湧き水、普通の蛇口から出てくるスタイルで、あんまりありがたみを感じなかったけど。
でも、あの廃墟観音よりかは、遥かにありがたい存在。
(フォローしとくけど、おいしかったよ、水)
平和観音破滅までの経緯
この観音像は、1983年に完成したらしい。
不動産業で財を成した「奥内豊吉氏」が、故郷に貢献する意味合いで建てたのだそうだ。
当時は、各階が以下のようにコンセプトを持って営業していたらしい。
- 地階: 奥内さんの収集したクラシックカーを展示。
- 1階: 四国八十八箇所の砂を住むことで、八十八箇所巡りと同じ功徳を得られるコーナー。
- 2階: 世界の名画の複製。しかし、コンビニでコピーしたようなレベルのものも多かったらしい。
- 3階: 奥内さんの趣味の時計や骨董品などが展示されていたが、スッカスカで埃をかぶっていたそうだ。
- 4階: 展望レストランや温泉、土産物売り場。レストランは早々に採算取れずにクローズしたそうだ。
- 5階: 奥内さんが収集した鎧兜などが展示されていたが、スッカスカの空間。
- 10階: ムチ打ち展望台。強風の日はグラグラ揺れる。
最初から、観光ガイドや観光ツアー業界からは距離を置かれており、一部マニアのみが訪問するようなスポットだったらしい。
あぁ。僕もこの時代に訪問したかった。
*-*-*-*-*-
1988年、観音像建立の5年後に奥内さんが亡くなる。
そして、その奥さんが運営を引き継ぐ。
2006年、なんとか運営をしてきた奥さんも亡くなる。
これと共に閉館、廃墟となる。
競売にもかけられたが、既にこの時点でボロボロで、もらい手がつかなかったらしい。
莫大な費用が掛かるため、安易に解体すらできない。
地元では「迷惑観音」と呼ばれる。
2014年・2018年、台風などで外壁が剥がれて落下する。いよいよ危険な状態。
2020年2月、侵入した人が展望台から飛び降り自殺。
2020年3月31日、 相続人がいないので、民法の規定で全部国の所有物となる。
2020年4月1日、国の所有物となったことで、解体撤去できるようになった。早速財務省近畿財務局が解体の趣旨を発表。
2020年度内、山門と十重の塔を解体予定。
2021年度から2年以内で、平和観音を解体予定。
*-*-*-*-*-
平和観音というネーミングに反し、周囲に混乱を与えた観音の歴史が、もうすぐ終焉を迎える。
愛されなかった観音の末路は、悲しい。
世の中には、手作りのチープな像でも、みんなに愛されるものがたくさんあるのに。
その違いはいったいなんだったのだろう?
地元に歓迎されなかったこと?
膨大なメンテナンスコストがかかるのに、そのコストを回収できるような運営でなかったこと?
水を汲み終わった後、御井の清水の丘の上から最後に観音像を振り返り、そして愛車のパオに乗り込む。
たぶんだけど、もう僕があの観音像を見る機会はないだろう。
平和観音、フォーエバー。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
住所・スポット情報