週末大冒険

週末大冒険

ちょっと出かけてみないか。忘れかけていた、ワクワクを探しに。

No:029【沖縄県】四畳半のビーチと墓場の凱旋門!?日本最西端、与那国島は摩訶不思議!

Googleマップに、マイナーな観光スポットまでもが掲載されるようになったのは、ごく最近の話。少なくとも、僕にとっては。

 

それまでは、Webの奥底に眠る情報や口コミなどで、どうにかウワサの地の情報を仕入れ、そして現地で自分の足で探していた。 

不便なのかもしれないが、それはそれでとても楽しかった。

 

日本最西端の「与那国島」に、とんでもなく狭いビーチがあるという情報を仕入れたのも、そんなWebの深部であった。

 

 

 

日本最西端の島へ

 

「四畳半ビーチ」の場所は、アバウトにしかわからない。

まぁいっか。それだけ探す楽しみが増えるということ。

 

なんとなく推測をした上で、手持ちの地図にそれと思われる場所をマークし、僕は与那国島へと飛ぶ。

 

羽田空港」⇒「那覇空港」⇒「石垣空港」⇒「与那国空港」の、3便乗り継ぎだ。

国内なのだが、果てしなく遠い旅路。

 

f:id:yama31183:20200807225832j:plain

飛行機1

 

ブロッケン現象!!

 

 

沖縄本島那覇空港から石垣島の空港へ向かっているときは、ブロッケン現象が見えた!

光輪の中に、僕が乗っている飛行機の影が映っている!

 

このときの光輪、虹とは逆に一番外側が紫になるのが特徴なのだ。

さらに、よく見ると虹が二重になっているのがわかるだろうか?

 

外側の虹は、右上の方に見切れながら少ししか映っていないけど。

これもブロッケンの特徴だね。

いずれにしろ、すごい珍しい。幸先の良いスタートだ。

 

f:id:yama31183:20200807230626j:plain

飛行機2

石垣島や、そこからフェリーでアプローチできる竹富島で遊んだ後、いよいよ与那国島に向けてのアプローチ。

 

小さなプロペラ機で、西へ西へと飛ぶ。

与那国島、すっごい西。

石垣島ですら、日本列島のメチャ西なのだが、与那国島はさらに海を隔てている。

与那国島から見れば、石垣島に行くよりも台湾に行くほうが近いくらいなので。

 

f:id:yama31183:20200808215809p:plain

 

そんな遥かなる旅を経て、国境の島与那国島へとやってきた。

これから始まる、数日間の日本最西端を舞台とした、たった1人の冒険に心が躍る。

 

f:id:yama31183:20200808222633j:plain

飛行機3

さて、もちろんこの島を巡っての冒険エピソードは無数にある。

 

しかし今回は、タイトルでご紹介した部分に絞ろう。

「四畳半ビーチ」と、その脇にあるお墓に聳える凱旋門とピラミッドという、事前に入手した興味深いウワサにフォーカスし、執筆しようと思う。

 

 

1億円のお墓

 

さぁ、いよいよマイナービーチを目指すか。

既にクチャクチャになってきた手描きの地図で場所を再確認し、鍵のかからないオンボロレンタカーに乗り込んだ。

 

f:id:yama31183:20200809112607j:plain

墓地1

墓地。

 

墓場に着いた。

標識が無いのでよくわからないが、たぶんこのあたりだと思うんだよな、ビーチ…。

 

ちなみに周囲はだーれもいない。

あ、違った。死後の人ならたくさんいる。

 

ここは「浦野墓地群」。

これらは内地のものとはずいぶんビジュアルが異なるが、れっきとした墓だ。

 

f:id:yama31183:20200809113345j:plain

墓地2

戦隊ものの飛行機とかが、地下から登場する秘密基地のようだ。

これは沖縄独特の亀甲墓というもの。さながら遺跡である。

 

エントランスがあって、その先の広場ではお墓参りの際に親族一同でピクニック形式で宴会をしたりするスペースがある。

亡くなった人と一緒に楽しく宴会する風習、ポジティブですごくステキだ。

 

その奥にあるのが、遺体が収められている家形墓。

住んでいる場所が、自分の敷地の住居から、墓場の家に変わるだけの感覚?

死生観の違いが面白い。

 

 

墓の連なる丘でキョロキョロしていると、内陸方面に気になる建造物が見えた。

ちょっとビーチは置いといて、そちらに先に行くか。

 

f:id:yama31183:20200809114415j:plain

墓地3

 

凱旋門」だーー!!

 

 

いや、ホンモノを見たことのない僕であっても、本場の凱旋門とのギャップの大きさくらいは想像できるけども、それでもこのインパクトは見るものを圧倒する。

 

重厚感のある建物なんてほとんど存在しない与那国島の、さらに集落の外れの墓地の横にこれですもんよ。

2階建てを優に越える高さですもんよ。

場違い感がハンパない。

 

しかし、そのカオス感は奥を覗き込んだ際に極まる。

 

f:id:yama31183:20200809114923j:plain

墓地4

 

ピラミッド!!

 

 

凱旋門の向こう、「シャンゼリゼ通り」の先はまさかのピラミッドであった。

わけがわからない。

 

ここは、訪問当時にWebにわずかに存在している情報では、「凱旋門とピラミッド」と呼ばれるスポット。

まんまその通りなのだが、いろいろ検索してもその正体はわからなかった。

※2020年現在は、「1億円のお墓」としてWeb上にいろいろ情報あり。

 

この夜、宿泊している宿のオーナーの「まなみさん」に聞いてみた。

すると、アレは1億円をかけて建てられた、地元の人の墓なんだそうだ。

ファラオか。

 

f:id:yama31183:20200809115638j:plain

墓地5

沖縄の墓は大きい。

10畳くらいあるような墓もあったりする。

 

しかし、これはそういう次元ではない。屋敷だ。

シャンゼリゼ通りの左右に立っているズングリした木が、執事たちに見える。

「おかえりなさいませ」とか言って、深々と頭を下げてくれそうだ。

 

その敷地面積は1500坪

30坪や40坪の土地で、どうにかこうにかマイホーム大作戦を繰り広げている首都圏の人間からしたら、羨ましいことこの上ない敷地だ。

しかも墓に

 

さらには内部にはリビングもあり、死者が豪遊できるように設えてあるとの、オーナーさん談。

ファラオ、至れり尽くせり。

 

もっとも、地元の人であっても詳細はわからず、今は手入れもされずに荒れてきているらしいのだが…。

それが少し切ない。

 

あと、「凱旋門とピラミッド」、Webのどこを見ても異色の組み合わせだという旨の表記だった。

しかし、よくよく考えれば凱旋門の延長線上には「ルーブル美術館」のガラスのピラミッドがあるぞ。

 

ja.wikipedia.org

 

作成者が、ここまで考えて作っていたのであれば、すごい。

 

最西端の知られざるファラオは、遥かフランスの地に想いを馳せていたのか。

今となっては、誰もわからない物語。

 

 

四畳半ビーチ

 

ところでビーチはどこ?

情報によれば、この浦野墓地群に隣接するどこかにあるそうだが、右も左も広大な墓地。

 

そんな墓地の中を、海側に向かってズンズン歩いてみた。

しかし、墓地と海との間には、結構ワイルドな茂みがある。

これは侵入者を阻む、かなり凶悪なトラップ。

 

チクチクしてイタイイタイイタイイタイ…!!

サンダルでは不向きだったか…。雨露で足元グッショリ濡れたしさ。

 

なんだここ?

僕、1人墓地の中でパニクっている。

 

四畳半ビーチはどこだ。この数100mはある広大な墓地の、海岸線沿いのどこかにあるはずだ。

こうなったらシラミ潰しだ。西側から歩いて探す…!!

 

 

f:id:yama31183:20200809130838j:plain

四畳半ビーチ1

あ、見つけた。

 

ここだと思う。墓地の西端に近いところにあった。

東側から歩かなくって本当によかった。

 

「ホントにここがビーチ?」っていうのが第一印象。

両側を急に囲まれた、本当に小さな砂浜が目の前にあった。

 

f:id:yama31183:20200809133325j:plain

四畳半ビーチ2

 

そもそも与那国島って、隆起珊瑚礁の島。

他の八重山諸島の島っていうのは「白い砂浜と、どこまでも続く遠浅の海岸」ってイメージがあるけど、与那国島は違う。

 

珊瑚礁が隆起しているから、テーブル上のゴツゴツした磯に囲まれた島で、そこに黒潮の本流がダッパンダッパンぶつかる、荒々しい島。

なのでビーチは他の島に比べるとかなり少ないのだ。

 

f:id:yama31183:20200809133642j:plain

四畳半ビーチ3

こうやって沖に目を向ければ、結構な高波。

 

だから石垣島与那国島を結ぶフェリーは「ゲロ船」って言われているんだけどね。みんな吐くから。

僕もゲロ船に乗って吐いてみたかったんだけど、便が少なくうまく予定が合致しなかったので、往復共に空便になったわ。

 

しかし、入江となっているこのビーチの部分はすごく水が澄んでいる。 

 

f:id:yama31183:20200809134036j:plain

四畳半ビーチ4

日光を遮るものはなく、あまり長居はできない。

いかんせん、今は2月の真冬なのに、気温25℃は普通にありそうだからな。

 

なので、20分ほどの時間を、岩場の上でネコのようにゴロンゴロンくつろぐ。

 

f:id:yama31183:20200809134313j:plain

四畳半ビーチ5


…信じられるかい?

2月の空なんだぜ、これ…!

 

絵に描いたような、夏らしい雲。

いかに自分が、日常の世界と隔離された場所にいるのかを、しみじみ感じる空。

 

f:id:yama31183:20200809134430j:plain

四畳半ビーチ6

 

バカンス、最高ーー!!!

 

 

そして僕は、次は「六畳ビーチ」に向かうのだ。

その話は、またいずれ…。

 

 

…およそ3時間後…。

 

 

f:id:yama31183:20200809182848j:plain

四畳半ビーチ7

戻ってきた。

 

島を1周したりランチしたりして、そんで舞い戻った。

やることないし、なんか眠いので。

 

少し雲も出てきてしまっており、逆に言えば屋外でも快適に過ごせるということ。

なのでここで昼寝するわ。

 

結構風が強くって、波がバッタンダッパンしている様を磯でしばらく楽しんだあと、ゴロリと横になった。

 

f:id:yama31183:20200809183543j:plain

四畳半ビーチ8

潮騒が耳に心地よい。

 

1時間半くらい寝た。ガチで寝た。

ここは楽園か。楽園のプライベートビーチか。

 

時刻は既に夕方。

海の向こうに青空が広がっているのを確認し、僕は次の目的地を、あの空のもとへと設定する。

 

f:id:yama31183:20200809195523j:plain

四畳半ビーチ9

 

僕は、このドライブを堪能している段階では、ここが本当に四畳半ビーチなのか、イマイチ確信を持てなかった。

宿に帰ってオーナーのまなみさんに報告し、大体のイメージが合っていたことで、確信レベルが80%に達した。

 

その3日後、宿をチェックアウトする。

まなみさんが「4泊もしてくれて、ありがとう。これはお土産よ。」と言って、日本最西端で作られる塩である「蔵盛さんちの塩・お母さんの塩」っていうのをくれた。

 

f:id:yama31183:20200809200829j:plain

四畳半ビーチ10

パッケージが四畳半ビーチーー!! 

 

「四畳半ビーチ」と書かれている部分が左下に見切れてしまって残念ではあるが、こんなところで答え合わせができた。

Webにほとんど掲載されていない四畳半ビーチ、これにて確信レベルが100%に達した。

 

ちなみに蔵盛さんちの塩、島の近海で汲み上げた海水を自釜でギュンギュン濃縮しており、 味わい深い塩なのだそうだよ。

帰宅後に食べたら、確かにうまかった。

 

 

 

1500坪の広大な敷地を持つ一億円のお墓、そして四畳半の小さなビーチ…。

 

 

…普通、逆じゃね??

 

 

いや、そのパラドックスが、僕の人生を一層に濃く、味わい深いものとするであろう。

蔵盛さんちの塩のように。 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。 

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 四畳半ビーチ
  • 住所: 沖縄県八重山郡与那国町字与那国
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり。そこいら空き地だらけ。
  • 時間: 特になし。

 

No:028【長崎県】75年前の今日、原爆が落とされた。忘れてはいけない、人類の負の記憶。

日本人として、いやむしろ世界の平和を祈る人類として、避けて通れない悲しい記憶がある。

旅をしていれば必ず、いつかはそれらに触れることとなる。

 

僕はヘラヘラと楽観的に生きている人間なので、できれば暗い過去に顔を背けていたいけど。

このブログも、旅人の脳汁がギュンギュン出るような魅惑的なスポットばかりを書いていきたいけど。

しかし、日本を知るということはまた、戦争を知るということでもある。

 

1945年の8月9日、つまり75年前の今日、長崎市原子爆弾が投下された。

 

今回は、その記憶に少しだけ触れたいと思う。

 

 

長崎平和公園

 

僕は、「長崎平和公園」に足を運んだ。

これは日本0周目から数えて、ここに来るのは5・6回目だろうか?

 

なるべく、長崎の中心地を訪れた際には、ここに立ち寄りたいと思っているので、今回も短時間とはいえ、見学していこうと考えている。

 

f:id:yama31183:20200807131143j:plain

平和公園1

平和公園へと続く長い階段の横に、エスカレーターが設置されている。

どうやら2012年の8月に設置されたそうだ。

しばらく訪問にブランクがあったので、初めて知った。これは便利。

 

さて、ここからは過去の訪問記録も織り交ぜてご紹介しよう。

 

f:id:yama31183:20200807131924j:plain

平和公園2

「平和の泉」。

噴水越しに、「平和記念像」が見えている。

 

手前に映っている碑には、以下のような文面が刻まれている。

 

のどが乾いてたまりませんでした。

水にはあぶらのようなものが

一面に浮いていました

どうしても水が欲しくて

とうとうあぶらの浮いたまま飲みました

 ― ある日のある少女の手記から

 

壮絶だ。

 

原爆の熱波に晒され、水を求めながら亡くなった人の数は夥しい。

そんな原爆犠牲者の冥福を祈るため、1969年にこの泉が造られた。

 

f:id:yama31183:20200807141109j:plain

平和公園3

噴水に虹がかかる。

青天に噴水。そして虹。

この美しい光景に、改めて現代の平和のありがたさを噛みしめる。 

 

f:id:yama31183:20200807133135j:plain

平和公園4

登ってきた方向を振り返る。

 

日本三大夜景の1つである「稲佐山」が見えている。

あそこからの夜景もまた、僕は何度も見てきた。

 

日本2周目の訪問時は、「稲佐山スカイウェイ」っていうカップル専用のミニゴンドラみたいなヤツ(2008年廃止)の前で心が折れ、男1人の僕は山頂に行くのは断念したけどな。

ホント、あれはおめでたいBGMを垂れ流していて、独り者のMPをゼロにするのに効果的なマシーンであった。

 

f:id:yama31183:20200807134325j:plain

平和公園5

あぁ、カップルの聖地よ。

カップルと僕との位置関係をひしひしと感じる、この構図よ。

 

f:id:yama31183:20200807134537j:plain

平和公園6

泉の先には、いくつもの像が設置してある。

 

上記はその1つ、「乙女の像」というものだ。

世界平和に賛同した、中国から贈られてきた像。

 

f:id:yama31183:20200807135441j:plain

平和公園7

ゴールデンウィークの朝9:00頃に来たときには、すごく人が多かった。

朝7:00台や夜間の訪問時は、ほとんど人はいなかったのだが。

 

上の写真、右のほうにチラリと乙女の像が映っている。

 

f:id:yama31183:20200807135650j:plain

平和公園8

平和祈念像

 

有名すぎる像だ。夜間はご覧の通りにライトアップもされている。

1955年に造られた像で、高さは9.7m、重さは30tの青銅製だそうだ。

 

f:id:yama31183:20200807140132j:plain

平和公園9

一緒に映っている人々と、その大きさを対比してほしい。

見上げるほどに大きい。

 

そして、この独特のポーズにも意味がある。

 

f:id:yama31183:20200807140422j:plain

平和公園10
  •  右手 … 天を指し、原爆の脅威を表す
  •  左手 … 水平に伸ばし、平和を表す
  •  表情 … 軽くまぶたを閉じ、戦争犠牲者の冥福を祈る。

 

…あ、像の手の上に、平和の象徴のハトが…!

 

f:id:yama31183:20200807141739j:plain

平和公園11

いや、カラスだったわ、すみません。

 

しかし、カラスだって平和を愛しているはず。

そして、平和祈念像もそんなカラスに優しく微笑みかけている。

 

どうやら原爆75周年の今年に向け、塗り直しなどの修復作業が実施され、2019年の昨年に作業完了したそうだ。

 

僕は2019年に長崎県をドライブしたものの、巨大台風の影響で予定変更を余儀なくされ、その新バージョンを拝めていない。

また機会があれば、是非とも見てみたい。

 

f:id:yama31183:20200807142849j:plain

平和公園12

平和記念像の左右にある、「折鶴の塔」。

正解平和と慰霊の願いを込め、千羽鶴が届けられる。

それをこうして掲げてある。

 

f:id:yama31183:20200807143026j:plain

平和公園13

一礼をし、僕は公園を後にする。

 

 

爆心地公園

 

「爆心地公園」は、平和公園の入口のエスカレーターから、ほんの100mほどの距離にある。なので歩いて一緒に行くには容易い。

 

f:id:yama31183:20200807144156j:plain

爆心地公園1

ミステリーサークルのような、円形の模様が描かれた公園。

その中央に、黒御影石の石柱がズドンと立っている。

 

これが、原子爆弾落下中心地碑」だ。

 

f:id:yama31183:20200807144538j:plain

爆心地公園2

この無慈悲な碑銘を見ただけで、寒気がする。鳥肌が立つ。吐き気がする。

 

1945年8月9日、この碑の上空500m地点で、原子爆弾が弾けたのだ。

爆心地の表面温度は3千~4千度に達した。

一瞬で、数万という命が消えた。

この町内にいた人は、偶然防空壕にいた1人の少女を除いて即死したという。

 

被爆したり町も破壊されたりで、生き残った人も地獄の苦しみだったろう。

 

何年も、何十年も、令和の現代に至っても。

その苦しみは続く。

 

f:id:yama31183:20200807144925j:plain

爆心地公園3

碑の足元に立ち、空を見上げた。

何の変哲もない、平和な青空。

 

周囲には鳥がさえずり、そして親子連れの笑い声が聞こえている。

これが今、爆弾で掻き消えるとしたら…。

 

普通ののどかな朝なのに、そんなことを考えると、絶望で頭がクラクラした。

 

f:id:yama31183:20200807145404j:plain

爆心地公園4

石柱の隣にあるのは、「原爆殉難者名奉安」と書かれた黒い箱。

その中には、原爆で亡くなった方、後遺症で亡くなった方の氏名情報が奉安されているそうだ。

 

 

f:id:yama31183:20200807150733j:plain

爆心地公園5

公園の隅には、ガラス越しに被爆当時の地層を除ける建物がある。

ここには、爆風で飛び散ったと思われる無数の瓦や焼けた土、食器類が見えた。

 

f:id:yama31183:20200807150942j:plain

爆心地公園6

日常を襲った悲劇。

いつもの暮らしが、一瞬でガラクタまみれの焼け野原となってしまったのだろう。

残酷極まりない。

 

 

f:id:yama31183:20200807151314j:plain

浦上天主堂・遺壁1

「レンガの柱ですか…?」という状態になっている、この建物。

これは「浦上天主堂」という教会の遺構である。

 

当時、爆心地から500mの場所にあったこの教会は、爆風で全壊した。

当時は多数の信者がこの建物内にいたそうだが、全員が死亡したそうだ。

 

かろうじて残った建物の一部が、ここに移築され、今の僕の目の前にある。

 

www.huffingtonpost.jp

 

ところで、今のこの遺構は、原爆によってこのかたちに残されたわけではない。

大部分を解体・撤去され、建物の壁も切断された上で残った、意図的な残骸である。

 

原爆後も13年はそのままで残されており、「原爆ドーム」同様に原爆の恐ろしさを後世に残す声も大きかったのだが、ご覧の通りほぼ全撤去となってしまった。

 

f:id:yama31183:20200807153447j:plain

浦上天主堂・遺壁2

原爆の廃墟はへいわのためというより、無残な過去の思い出につながり過ぎる。憎悪をかきたてるだけのああいう建物は一日も早くとりこわした方がいい。

(引用元:「週刊新潮」1958年5月19日号)

 

そりゃそういう意見もあるだろう。

被爆した人、大切な人を失った人であれば、なおさらなのかもしれない。

東日本大震災の震災遺構も、同様の議論が数多く見られたし。

 

後世の僕としては、それが見れないことに対し少し残念な気持ちになるのだが、遺すのが正しいのかどうかは、たぶん正解のない問題なのだろう。

 

f:id:yama31183:20200807170108j:plain

浦上天主堂・遺壁3

 

 

浦上カトリック教会

 

よい機会なので、さらに歩いて「浦上カトリック教会」にやってきた。

Wikipediaには「カトリック浦上教会」と書かれていたのでどうしようかと迷ったが、「長崎市公式観光サイト」の表記に従い、この名称とした。

 

これは、前項でご紹介した「浦上天主堂」の現在の名称である。

 

f:id:yama31183:20200807170559j:plain

浦上カトリック教会1

到着したのは朝の8:00台。

すんごい逆光だ。「目が!目がーーッ!!」ってなる。
 

 初代の建物は、1914年に天主堂ができ、1925年に双塔ができた。

その壮大さから、「東洋一の天主堂」と言われていたのだそうだ。

 

しかし前述の通り、1945年の原爆で全壊してしまった。

新たに1959年に再建されたのが、これである。

外観は、被爆した初代のものと同じにしてあるとのことだ。

 

f:id:yama31183:20200807171308j:plain

浦上カトリック教会2

現在でも信徒数は8,000人ほどおり、日本で最大のカトリック教会だとWikipediaさんが言っている。

原爆の壊滅状態から見事に復興しているのだね、すごい。

 

では、礼拝堂に入ってみようか。

 

f:id:yama31183:20200807172006j:plain

浦上カトリック教会3

荘厳だ。

 

影響を受けやすいタイプの僕は、この空間に入っただけで 、なんだか神聖で清い気持ちになる。誰もいないから、なおさらそんな気分になる。

実際は煩悩の塊なのだが。

 

f:id:yama31183:20200807172716j:plain

浦上カトリック教会4

ステンドグラスには、キリストの生涯の物語が描かれている。

そのステンドグラスを通し、淡い光が教会内に射し込む。

 

原爆関連のスポットを見てザワザワしていた精神も、ここに来ることで落ち着きを取り戻すことができた気がしたよ。

 

f:id:yama31183:20200807173759j:plain

浦上カトリック教会5

 

 

路面電車を見ながら、さようなら!

 

現在の日本では、路面電車の走る町は18都市ほどしかないらしい。

僕も生まれ育った町で路面電車を見ることはなく、まともに目にするようになったのは旅人となってからである。

 

だから、路面電車を見ると、瞬間的にテンションが上がる!

 

f:id:yama31183:20200807183205j:plain

路面電車1

だって、道路を電車が走っているんだぜ! 

 

路面電車」なんだからその通りなんだけど、僕にとってはそれが非日常!

この不思議な世界、長崎に来たからには、堪能せずにはいられない!!

 

f:id:yama31183:20200807183356j:plain

路面電車2

正直、路面電車が近くを走っていると、運転メッチャ怖い。

 

一緒の道を走っていいのかダメなのか、交差点で彼らがどんな軌道で向かってきて、こちらはそれをどう躱すのか。

そして、路面電車専用の信号とかあったりして、軽くパニックになる。

 

一番いいのは、他の車の後をピタッと着いていくことだが、そうでないケースはビクビクしたりもする。

 

f:id:yama31183:20200807183724j:plain

路面電車3

しかし、自分が住んでいる街とは違う街。

そんな場所を歩くとき、「ここが違うんだな」、「この街の人にとっては、これが当たり前なんだな」って思うだけで、ワクワク感が急上昇するんだ。

 

そんな魅力的なエッセンスの最上級が、路面電車

 

f:id:yama31183:20200807183932j:plain

路面電車4

 

そうそう、爆心地公園からさらに200mほど南に歩くと、「長崎原爆資料館」があるんだ。

僕もそこは2回訪問したことがあるが、そのお話はまたいずれ、機会があったら。

 

f:id:yama31183:20200807184131j:plain

原爆資料館

散歩を終え、僕は平和公園裏手にある、ちょっと料金の安い駐車場へと戻ってきた。

 

平和町駐車場」。

料金を気にする人や、混雑しやすい時期や時間の利用においては、穴場的な駐車場だと思っている。

 

f:id:yama31183:20200807184511j:plain

駐車場

 

では、ドライブ再開といこうか!!

長崎の平和を祈ってる!!

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 長崎平和公園
  • 住所: 長崎県長崎市松山町9
  • 料金: 無料
  • 駐車場: 近くのコインパーキング使用のこと
  • 時間: 特になし。ライトアップは日没~22:00。

 

 

No:027【香川県】日本版「ナスカの地上絵」か…!?巨大な寛永通宝の砂絵を見下ろそう!

人はなぜ、この大地に絵を描くのだろうか?

それは、この地上がなによりも勝る、巨大なキャンバスだからだろう。

 

人は大地に、何を描くのだろうか?

それは、欲望のまま、好きなものを描けばよいのだろう。

 

…じゃあ、「金(かね)」。

 

 

f:id:yama31183:20200804194923j:plain

 

民は描いた。

この大地に巨大な寛永通宝を。

 

今回はそんなスポットのご紹介。

なんで上記の写真がこんなにもゴショゴショした画質になっちゃったかも含め、日本3周目から6周目にかけて、計3回訪問した思い出を語っていきたい。

 

 

デイタイム・バージョン

 

砂浜にデッカい古銭の絵が描かれている。

…もうホント、これだけ言えばこの記事は99%完結する。あとは蛇足だ。

 

 

上にGoogleマップ衛星写真を引用した。

 

見事な寛永通宝が描かれている。

ちょっと楕円形なのは測量がヘタ、なのではなくって、横の展望台から見たときに綺麗に見えるよう計算しているからだ。

 

3回現地を訪問した僕としては、こうやってGoogleマップから眺めるのが一番綺麗な気もするが、せっかくなので現地リポートの内容もお届けしたい。

 

f:id:yama31183:20200804204652j:plain

展望台アプローチ1

県道21号線にある、「大滝洞門」。

三豊市観音寺市の境界にある洞門だ。あと5㎞ほどで、お目当ての寛永通宝

 

f:id:yama31183:20200804205210j:plain

展望台アプローチ2

あぁ、もう洞門の上に銭(ぜに)をチラつかせて、こっちの理性を奪いに来ていやがる。

もうたまんねー。金!金ッ!!

 

f:id:yama31183:20200804205536j:plain

展望台アプローチ3

「銭形展望台」まであと900mの標識。

この銭形展望台というのが、寛永通宝が描かれた「銭形砂絵」を見下ろすことができる展望台の名称。

 

標識の中にも寛永通宝が描かれている。

お金ー。お金ー。

僕も我を忘れていざなわれそうになる。

 

f:id:yama31183:20200804221429j:plain

展望台アプローチ4

ここは「道の駅ことひき」と「琴弾公園」が合併した敷地内。

展望台に行くには、一方通行の狭路をグイグイと登っていく必要がある。

 

展望台近くまでは、車で行くこともできる。

僕も車で上まで行ったこともあんだけど、今回は歩いてみるわ。天気いいし。

 

f:id:yama31183:20200804221929j:plain

展望台アプローチ5

3分前の自分の決断を大いに悔やむ。

これ、ツラいです。

ふくらはぎがパンパンになる。

 

f:id:yama31183:20200804222115j:plain

展望台アプローチ6

4月下旬だというのに、あまりの道のりのハードさで汗が噴き出す。

 

ヘロヘロになったころに、車道に出た。

さらにその車道を数分歩き、ようやく目指す展望台が見えてきた。

 

f:id:yama31183:20200804222413j:plain

寛永通宝1

ここが展望台の1つ、「象ヶ鼻岩」だ。

結論から言うと、数あるこの丘の展望所の中で、ここが最高だ。

 

眺めだけでなく、この象ケ鼻岩自体もなかなかフォトジェニック。

では、岩に登って砂絵を見下ろしてみようか。

 

f:id:yama31183:20200804223211j:plain

寛永通宝2

…こうなったね。

眩しくって貨幣の模様がよく見えない。なんか松林に円形脱毛症ができているな、みたいな認識。

 

これが銭形砂絵だ。

本来であればクッキリと模様の凹凸がわかるのだが、日の当たる方角が悪かったのか、メンテナンスが不十分だったのか…。

 

f:id:yama31183:20200804223419j:plain

寛永通宝3

遥か彼方、瀬戸内海の波打ち際に数人の人がいるのが、おわかりだろうか。

これで、どれだけこの砂絵が巨大なのか想像できると思う。

 

しかし、あなたにとってはまだこれは、ただの巨大な円であろう。

巨大さは想像できても、貨幣の模様までは想像できないだろう。

 

f:id:yama31183:20200804193918j:plain

寛永通宝4

だから僕は、苦労して画像加工をした。

どうにかこうにか、これで貨幣の模様が浮かび上がったぞ。

 

 

f:id:yama31183:20200804223909j:plain

展望台アプローチ7

また歩いてふもとに戻ろうとしたとき、道に分岐があってさらに別の展望台に行けることに気付いた。

標識に沿って歩くと現れた展望台。これが「天狗山展望広場」の展望台だ。

 

f:id:yama31183:20200804224130j:plain

寛永通宝5

うん、寛永通宝ぜんっぜん見えねー。

金運のかけらも感じねー。

 

f:id:yama31183:20200804224243j:plain

寛永通宝6

観音寺市の市街地なら木々の間から見えた。

ほんのちょこっとだけ。

 

Web上でも取り上げられることが少なく、そのわずかな記録も酷評が多いという、不憫な展望台。

 

 

今回は、せっかくの砂絵の陰影がよくわからず、ちょっと消化不良だったかな…。

この砂絵を、バッチリ陰影をつけて見る方法。

それは、夜間のライトアップ時間帯に訪問することだ。

 

では、夜の様子を次項でご紹介しよう。

 

 

ナイト・バージョン

 

僕はここを夜間訪問したことが2回ある。

なぜか昼よりも多い。その2回分の写真をブレンドさせて掲載する。

 

f:id:yama31183:20200804225220j:plain

展望台アプローチ8

展望台に向け、細い道を車で淡々と登っていく。

 

周囲は真っ暗だ。どこが展望台なのかも標識が少なく、「まだかなー?そろそろのハズなんだけどなー。」と、結構不安になる。

 

そのうち、前方をゆっくりゆっくりと走る軽自動車。

それを追跡しながら引き続き走る。

 

軽自動車が停まった場所。おそらくそれが銭形展望台だ。

僕も愛車を続けて停車する。

 

中から出てきたのは、1人の若い女性。真っ暗な中、展望台に行くのかな?

当然僕も目的は展望台なので進行方向は一緒なのだが、ストーカーと間違えられそうで懸念を感じる。

5分待ってから動き出そう。

 

f:id:yama31183:20200804230413j:plain

展望台アプローチ9

歩行自体が危険なほどに真っ暗だけど、なんとか展望台を発見。

そちらに向かう。

なぜか先ほどの女性の姿は見えない。まぁいっか。

 

ここが「象ヶ鼻銭形展望台」。

 

デイタイム・バージョンでご紹介した象ヶ鼻岩からは数10mしか離れていないが、夜は本当に視界が効かないので、岩はわかりづらい上に危険だと思う。

わずかでも照明のある展望台を目指すのが無難。

 

f:id:yama31183:20200804230827j:plain

寛永通宝7

 

緑。

 

寛永通宝は、若葉の季節みたいなグリーンにライトアップされていた。

この幻想的な光景に、結構感動。

 

今でこそWeb検索すればモリモリとこの画像は出てくるが、僕が日本3周目を走っていた頃は、このナイトバージョンはほぼ情報がなかったのだ。

ただ「夜はライトアップされる」という情報は掴んでいたので、実際に見に来てみたい次第。

 

f:id:yama31183:20200804231311j:plain

寛永通宝8

この展望台からだと、貨幣の下の部分が若干木々に隠れてしまう。

その点で、象ヶ鼻岩からの眺めに軍配が上がる。

 

f:id:yama31183:20200804231502j:plain

寛永通宝9

夜景と共に撮影してみよう。

手ブレを防ぐため、カメラを展望台の手すりに乗せてシャッターを切る。

 

そのせいで砂絵はずいぶん隠れてしまったが、かろうじて残照を感じられる写真になったと思う。

実際肉眼で見るとこんな感じであった。

 

では、これにて山を下りよう。

 

 

銭形砂絵のアレコレ

どれだけのビッグマネーか

 

ビッグマネーの意味を履き違えてしまっていて申し訳ないが、ここではサイズ感を語るつもりだ。

 

この砂絵は、縦の長さが122m、横の長さが90m、周囲は345mの楕円形。

なぜ楕円形なのかは、冒頭でご説明の通り。

 

貨幣の図柄は、砂の凹凸で表現している。

最大で2mほどの凹凸があり、年に2階、地元の人たちで砂絵を綺麗に整えているから、こうやって僕らは景観を楽しむことができるのだ。

 

f:id:yama31183:20200805220533j:plain

寛永通宝10

しっかし、僕が訪問したときはメンテナンス直後だと思うのに、なんであんなにも凹凸がなかったんだろうなー。

 

今日も僕は画像をいじる。

もっと彫りが深くなれ、もっと深くなれ、「平井堅さん」のような彫りの深さになれ、と。

 

人はなぜ、砂に貨幣を描いたか

 

これは諸説あるようだが、だいたい共通しているのは「江戸時代に偉い人(領主とか)が視察に来ることになった。歓迎の気持ちを表すために、一晩で作った。」みたいなヤツ。

 

一番有名な説では、上記イベントは1633年(寛永10年)に行われたそうで、つまり今から400年前。

400年前の砂絵が、人々の手でメンテナンスされながら、現代にまで残っているのだ。すごい。

 

年号も「寛永」だから、当時のオーディエンスは「うぉぉ!!」って興奮するかもしれないけど、実は寛永通宝が鋳造されたのは1636年なので、1633年にはまだ存在しない。タイムパラドックスがここに生じた。

 

まぁ事前にデザインとか情報あればできるけどね。

渋沢栄一さん」の1万円札だって、2024年から発行されるが、デザイン案は既に公表されているので、偽札だって作れる。

一瞬でバレるだろうけど。

 

寛永通宝の当時の価値ってどのくらいなんだろう?って思った。

 

ja.wikipedia.org

 

調べてみると、種類は複数ある。

約1000種類ある。知らなかった。

 

その見分け方は裏面を見ないといけなかったりするので、銭形砂絵がどのグレードの寛永通宝をモチーフとしているのは、ちょっとわからなかった。

でも1文~4文とのことで、あまり高価なものではなかったようだ。

 

今の感覚だと、「僕らの学校に小池都知事が訪問されるぞ。よーし、でっかい10円玉を校庭に描いておこう。都知事に屋上から見下ろしてもらえば、きっと喜ぶぞー!」…みたいな感じか。

ホントに喜ぶのか??

 

だからこそ、僕は願う。

前述「渋沢栄一の1万円札」のように、寛永通宝が発行されるちょっと前にデカデカと砂に絵を描いて、新しい時代の到来を領主と共に祝ったことを。

 

寛永通宝で買い物できる街

 

「マジか!?」・「江戸時代か!?」という声が聞こえてきそうだが、これはマジな話だ。

銭形砂絵のある観音寺市では、2010年に地域起こしの一環として、買い物に寛永通宝が使用できるようになった

 

f:id:yama31183:20200805225739j:plain

寛永通宝11

まさかの現役カムバックだ。

引退して安らかな眠りについていた寛永通宝さんとしても、これは青天の霹靂であったろう。

 

商店街の、このキャンペーン加入店において、寛永通宝1枚を30円としてショッピングできるそうだ。

レジの人とか、大変そうだな…。

 

f:id:yama31183:20200805225938j:plain

寛永通宝12

しかし、ガチの寛永通宝を持っている人って、この時代にどのくらいいるんだ?

そして、それを商店街のショッピングで1枚30円で手放してしまうような酔狂な人は、どのくらいいるんだ?

 

万一寛永通宝をもっていたとしても、だ。

寛永通宝は、バージョンによっては数10万円とかの価値もあるから、一律30円で消費してしまうのはもったいないかもしれないぞ。

 

 

このキャンペーンが果たして地域起こしになったのかどうかは知らない。

しかし銭形砂絵は、僕の記憶には鮮烈に焼き付いた。

当時の領主も、さぞや驚いたであろう。 

 

今も昔もユニークな発想力を持つ観音寺市の人、好きだ。

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 銭形砂絵
  • 住所: 香川県観音寺市有明町
  • 料金: 無料
  • 駐車場: 展望台脇に少数あり。あるいは、「道の駅ことひき」・「琴弾公園」から徒歩で10数分。
  • 時間: 特になし。ライトアップは日没~22:00

 

 

No:026【愛知県】生ける廃墟「新今池ビル」!その地下は立ち止まり厳禁の不気味空間!!

今池は死の町です、ハイ。」

 

今は亡き、名古屋今池の伝説の店「大丸ラーメン」のオーナー大橋さんの口癖であった。

「大丸ラーメン」は、「ラーメン二郎」ファンがハダシで逃げ出すほどにクレイジーな店だったのだが、その話はまたいずれしよう。

 

今池死の町かどうかは僕にはよくわからないが、 僕の知る限りは深夜までパトカーのサイレンと酔っ払いの咆哮がBGMの、繁華街であり歓楽街。

 

そんな地下鉄今池駅に接続するそのビル「新今池ビル」は、生ける廃墟と言われている。

特にその地下が、とんでもなくディープだと言われている。

 

さて、いったいどういうことであろうか??

 

 

地下鉄今池駅から…

 

名古屋市内にある、地下鉄今池駅

 

東山線桜通線が乗り入れるその駅は、Wikipediaさんの情報によれば2018年時点で1日の利用者数が24,000人近い駅。

 

朝の通勤時間帯とか、3分に1本くらいの感覚で電車が来たりする、とても賑わっている駅だ。

 

その自動改札を通り、わずか10秒…。

 

f:id:yama31183:20200731214309j:plain

地下飲食街1

…あれ?って感じになる。

なんか、踏み込んじゃいけない世界に入った感覚になる。

 

村の年寄りが「あの境界から先は絶対に行ってはならん。あれはわしらが昔張った強力な結界でな、あの外に出ると、途端に幽世(かくりよ)の人ならざる者が(以下略)」

まぁそんな世界観を感じてしまう。

 

99.9%の乗客が、ゾロゾロと僕の後ろのメイン通路を歩く。

この分岐なんて全く目に入ってもいないように。

僕はそこにヌルリと入り込む。

 

f:id:yama31183:20200731215308j:plain

地下飲食街2

まずは上記をご留意いただきたい。

駅の改札から接続するこの通路が、「新今池ビル」の地下にそのまま突入していることを。

それと、ここの場所が「地下飲食街」であることを。 

 

あなたは、この表示を見て「わーい、飲食街で何か食べようかなー、ワクワク。」と思うだろうが、このあと期待を裏切ってしまうこととなるかもしれず、僕は大変に心苦しい。

 

なぜなら、目には見えないが死臭みたいなものを、この通路の奥から感じ取ってしまっているのだ。

 

 

このあとは、ポスターなどを掲示できる壁面の大きなガラスケースが通路の左右にいくつも並ぶゾーンだ。

しかし、どのケースも空。あ、1つだけ例外がある。

 

f:id:yama31183:20200731220208j:plain

地下飲食街3

今池地下劇場」という、アンダーグランドな響きの劇場を紹介するすポスター(?)だ。無数のガラスケースがある中、入っていたのはうち1個にこれだけ。

 

今池地下劇場

成人向 900円 新作二本立て

当ビル地下1F エレベーター横

 

A4のプリント4枚をセロテープで繋ぎ合わせて作ってある。

蛍光灯の熱で乾燥し、紙もセロテープもパッサパサだ。

ホントに新作を見れるのか?

 

※ここから先の本編について、配慮しながらの写真掲載と執筆はするが、念のためR15くらいで考えていただきたい。

 

 

今池アンダーグラウンド

 

さぁ、飲食街に入ったぞ。

 

f:id:yama31183:20200731222753j:plain

地下飲食街4

…なんか暗い。

そしてシャッターと消費者金融の看板。

 

飲食街なのに、飲食できそうなお店がないではないか。

 

名古屋メシと言えば、ひつまぶし・味噌カツ手羽先・あんかけスパに、味噌見込みうどん…!

期待していた気持ちがここでしぼんで虚無になる。

 

店も無ければ、人もいない。

アコムの「むじんくん」が皮肉にしか聞こえないくらいに、無人だ。

 

僕は日を変えて何度かここを歩いているが、擦れ違った人数は、そのすべてを合計しても片手に収まる。

 

今池駅の利用人数が万単位であり、改札から徒歩10秒なのに。

 

あ、でも今回は1人だけいた。

バイオハザードのゾンビみたいな動きで、フラフラと通路を行き来するおじさんだ。

大変に申し訳ないが、あんまりこの地下街の賑わいには繋がりそうにない。(僕もだけどな)

 

f:id:yama31183:20200801150450j:plain

地下飲食街5

「森永」の喫茶店。誰もが知る、あの森永だ。

既に閉業している。

店名ロゴの横には天使のマークも刻んであるが、薄汚れており、さながら堕天使ルシファーだ。

 

そして「おいしいコーヒー」・「おいしさの追求」と書かれているが、もうここではそのおいしさと巡り合うことはできないのだろう。

 

f:id:yama31183:20200801161526j:plain

地下飲食街6

以前は飲食店が軒を連ねていたそうだが、今は足を踏み入れるのも憚れるほどの静寂である。

店舗の外壁は白いシートで覆われており、なんだかご遺体の顔にかける白い布を想像してしまう。

 

そしてね、気になるのは「立ち止まり厳禁」のステッカーが貼られたりしているという点。

なんで?なんで??

 

ちょっと徘徊していると、類似の別の表示が目に入った。

 

防犯監視カメラが作動するので

通路一帯にての無用な停滞又は

屯する行為は厳禁します。

 

…マジか!!

 

立ち止まっただけで「防犯上問題あり」と認識され、監視カメラに撮影されるようなスポットだとは!!

そして、特に理由なくこの通路に立ち止まることが厳禁だとは!

 

ビックリしすぎて、このステッカーを撮影することはできなかった。

身の危険を感じて、すぐに歩き出してしまったので。

 

こう考えると、前述のゾンビのように歩きまわっているおじさんの動きにも合点がいく。

しかし、そのおじさんはさっきからどこに行くわけでもなく、こちらの動きを窺っている…。

 

なぜだろう?

やっぱ僕が、不用に立ち止まったり写真撮ったりしている不審者だと思われているからなのだろうか…。

 

f:id:yama31183:20200801195147j:plain

地下飲食街7

名前の通り、飲食店は確かに多い。

しかし、営業している店舗は1つとして存在しない。

 

かといって、廃墟ビルというわけではない。

こうして合法的に閉鎖店舗の中を闊歩できるのだ。(ただし立ち止まり厳禁)

これが、このビルが生ける廃墟と呼ばれる所以である。

 

f:id:yama31183:20200801195430j:plain

地下飲食街8

あなたは現時点でこう思っているかもしれない。

 

「前述の消費者金融無人ブースだけが、現在営業している店舗なのだろうな。もうここでの有人の営業は存在していないのだろうな。」

 

…違うのだ。

例外が1つだけあるのだ。

 

しかもすんごい物件だ。

これこそが、この地下飲食街の深淵である。

 

 

では、その物件をお見せしよう…。

 

 

f:id:yama31183:20200801200244j:plain

地下飲食街9

 

今池地下劇場」!!

ディープな世界の極み!!

 

 

国内で絶滅の危機に瀕している、成人向け映画館なのだそうだ。

 

少し角度を変えると受付の人が映ってしまうし、さっきのゾンビおじさんがユラユラとこっち向かってきているので、この写真が精いっぱいだった。

 

f:id:yama31183:20200801201416j:plain

地下飲食街10

料金は900円。

新作二本立てと書いてあり、「触る女」・「欲情の赤い蜜」の2本。

それを1日に5回上映しているそうだ。

 

ちなみに上のスケジュール表では「欲情の甘い蜜」と書かれているが、ポスターに書かれている正式名称は「欲情の赤い蜜」。

誤植である。

 

f:id:yama31183:20200801202532j:plain

地下飲食街11

執筆しつつちょっとWebサイトで調べてみた。

 

「欲情の赤い蜜」は、僕がここを実際に訪問した年の作品であった。

Web内でイメージ写真を見る限りは、現代風な感じ。スッと違和感なく見れそうな気配だ。(←見ないけどね)

しかしポスターにしてこの空間に掲示すると、ノスタルジックに見えてしまう不思議。

 

「触る女」のほうは、2009年公開だったぞ。

全然「新作」ではないぞ。

 

しかしね、ここは曲りなりにも飲食街

今でこそ廃れ切っているけれど、以前がファミリーが訪れることもあったろう。

そんな飲食街のメイン通路から見える位置にコレか…。

しかも昼間にガンガン上映。

 

そういう時代だったのだね。

そして、良くも悪くも、そんなおおらかな時代も間もなく終焉を迎える。

 

 

f:id:yama31183:20200801203547j:plain

地下飲食街12

…おっと、そんな悠長なことを考えている場合ではないようだぞ。

 

ゾンビおじさんのアプローチを躱さなければならない。

おじさんは、はたしてなぜウロウロしているのだろう?

 

  1. 僕のように興味本位でこのディープワールドを見て回っている
  2. 成人映画を見たいが、入る勇気がない(決心がつくのを待っている)
  3. 成人映画を見たいが、入る勇気がない(僕と一緒に入ろうとしている)
  4. その他

 

「4」であると推測した。

当初から僕を過剰に意識している時点で、「1・2」は無い。

 

そして僕は事前に調べて、地下劇場がハッテン場であることを知っている。

ハッテン場って言葉、僕は今回初めて知ったのだが、あえてここではその詳細は書かない。

 

とりあえず、ターゲットが自分である可能性を感じた。

「4. 僕と一緒に地下劇場に入ろうとしている(その理由は、1人で入る勇気がないからではない)」

 

はい、逃げる!!

 

 

2020年、そのビルは姿を消す

 

地上は明るい。

パチンコ屋やドン・キホーテ、郵便局などが立ち並び、人通りも多い大交差点だ。

 

f:id:yama31183:20200801224843j:plain

今池1

世界は明るい。なんという清々しさよ。

深呼吸をする。

 

ここが新今池ビルの建つ通りだ。地元民は「環状線」と呼んでいる。
 

f:id:yama31183:20200801224854j:plain

今池2

ところで、今回ご紹介したのは今池の町のほんの一部である。

 

これであなたが「今池は怖い町!」とか思ってしまうと、今池好きの人々に申し訳ないので、少しフォローをさせていただく。

 

f:id:yama31183:20200802104359j:plain

中屋パン1

「中屋パン」

今池ビルから南に2分ほど歩いたところにある、昔ながらの小さいパン屋さん。

創業1936年なので、もうすぐ85年になる老舗。

 

土日休みなのでサラリーマンの購入ハードルは高いが、あんドーナツが特に有名。

小さい店舗なのに、あんドーナツだけで1日800個売れるそうだよ。

 

エッググラタン・お好み焼き風のパンと共に購入。

どれも結構味が濃い。ガッツリ食べたい人におすすめ。そしてすごい腹持ち。でもメチャうまい。

 

f:id:yama31183:20200802105920j:plain

中屋パン2

パンを入れてくれた袋は、きれいにして今も手元で保存している。

機会があれば、また行きたい。

 

そして、今池の他のお店巡りのご紹介などは、また機会があれば。

 

 

 

前述の通り、新今池ビルから地上に出て少し歩いたところで撮った写真は手元にあった。

しかし残念ながら、新今池ビル自体の外観写真は手元になかった。

 

僕のバカバカバカ…。

なんで撮影しなかったのだよ。

だから、Googleマップさんの力を借りて、上にビルをご紹介した。

 

1962年に建てられたビル。

少し色あせて、そして曲線が一切なく、平面のみで構成されたデザインに昭和テイストを感じる。

 

さらに、外壁に大きく「今池地下劇場」の看板を設置する、すごい強い心臓をお持ちだ。

今の時代であれば絶対にできない。

 

 

ja.wikipedia.org

 

今回このタイミングで新今池ビルをご紹介した理由は、上記Wikipediaにも掲載があるが、このビルが2020年の今年中に取り壊される予定だそうだからだ。

 

今池地下劇場は2017年に閉店し、消費者金融のブースも2019年に撤退した。

そして、今年2020年の2月には、地下街そのものが封鎖されたそうだ。

 

今回は地下のみご紹介したが、地上7階についても入っていた店舗は、ごくごくわずか。そのすべてが既に撤退し、今は解体を待つばかりとなっている。

 

 

しかしコロナウイルス流行の影響なのか、解体の具体的な日程はまだ世に出ておらず、さながら刑の執行を待つ死刑囚のような気分なのだろうか…。

 

まだビルが残っているうちに記事を書きたい。

そう思って今回は筆を取った次第。

 

f:id:yama31183:20200802113947j:plain

今池商店街1

今池は、元気な町である。

昭和の活気を現在も残していると感じる。

 

縦横に商店街が張り巡らされ、地域主催の祭りも行われている。

このカオスなデザインのパンフレットに、生命力と多様性を受容する懐の深さを感じる。

 

商店街の力で、地ビールまで開発したそうだ。

 

f:id:yama31183:20200802114347j:plain

今池商店街2

ごく一部分のみの紹介ではあるが、以前どこかのお店でもらった、今池の町の手書きマップもある。

どちらの資料も、作成者のこの町への愛を感じる。

 

 

今池は死の町です、ハイ。」

 

大丸ラーメンの大橋さんはそう語っていた。

それは間違いではないが、同時に新しいスポットもたくさん生まれている。

 

死んで生まれて、そうやって歴史を紡いで…。

 

今池ビルの建っている地は、一等地だ。

解体の後にそこに造られる施設は、きっと今池をさらに繁栄させることだろう。

 

f:id:yama31183:20200802183740j:plain

今池ビール

そんな今池の未来に、カンパイだ。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。 

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 今池地下飲食街
  • 住所: 愛知県名古屋市千種区内山3-32-2
  • 料金: 無料
  • 駐車場: 近隣のコインパーキングを利用のこと
  • 時間: 2020年8月現在、地下は既に閉鎖されている。外観のみを楽しんでほしい。

 

No:025【北海道】360度広がる大草原「ノースフラット」!!地平線まで無人の絶景を見よ!

 夏になると、全国から凄腕のライダーたちが集まる冒険の大地、北海道。

 

 

北海道は、日本の中でも別格だと僕は考えている。

どの都道府県とも隣接しないその大地は、いわば旅人にとってRPGの中の世界。

一歩足を踏み入れたら、そこから冒険の始まりだ。

 

ツーリングマップを広げ、絶景を目指して走り回り、擦れ違いざまに他の旅人とピースサインを交わし、夜は知り合った旅人と酒を飲みながら情報交換…。

 

僕もこの北の大地にて、数々のベテランの旅人に揉まれ、無数の出会いと別れを繰り返し、旅人宿のオーナーと語り合い…。

 

こうして知ったスポットの中で、今回はWebサイトに一切登場しない大草原(※)をご紹介したい。日本4周目のフィナーレを飾る旅で訪れた、あの絶景の大草原を。

 

(※)もし仮にうまいこと検索して過去に掲載された情報が出てきたなら、それを書いたのはきっと当時の僕である。

 

 

想い出は、よみがえる

 

f:id:yama31183:20200729193149j:plain

地図1

なまら蝦夷」。

北海道を旅する者が持つ、各種ガイドブックの中でもなかなかコアな本。

旅人宿のオーナーたちが合同で出版しているものだ。

 

f:id:yama31183:20200729193546j:plain

地図2

北海道の大地をさまよう旅人たちに贈ります。

 

もうね、 裏表紙のこのメッセージだけで痺れる。

今は夏だから、北海道に旅立ちたくって、体がうずいてしょうがなくなる。

あぁ、さまよいたい!今すぐにでも、さまよいたい!!

 

ところで僕は、この「なまら蝦夷」だとか、旅人宿の本・ツーリングマップルなどに、現地でもらったチラシなどをモリモリと挟み込む習性がある。

 

f:id:yama31183:20200729194314j:plain

地図3

例えば、こんなチラシが入っている。

手書きの汚い地図だとお思いか?

しかし、これはノースフラットへの道しるべが記載されている貴重な地図だ。

 

ちなみに作成者は、とある旅人宿のオーナーさん。

宿に宿泊した旅人との会話の流れ次第で、手元にあるこの地図をもらえたり、もらえなかったり。

 

上の写真、いきなり解像度がアホみたいに低くて大変に申し訳ないが、今回ご紹介する場所は所在地を非公開としたいため、あえてボカしている。

 

しかし、記事を詳細まで読み込めば、なんとなく場所の見当はつくように書くつもりだ。

 

f:id:yama31183:20200729195020j:plain

地図4

中央にノースフラットの文字が確認できる。

 

大陸より大陸的風景。北海道で最高にカッコイイ風景。 

 

どこまでも広がるアメリカの大地と地平線が大好きなオーナーさんが、北海道のここにアメリカの大平原を連想したのだ。

語源となったであろう、「ノースラット」もアメリカの町だったな、確か。

 

では、時系列を日本4周目の最後のドライブ、北海道を巡る旅にさかのぼろう。

 

 

大草原に行かないか?

 

今日は僕、朝の4:30頃に起きたんだ。

オーナーさんから「ここの近くには、北方領土国後島から昇る朝日が見れるスポットがある。早起きして行ってみたまえ。」って言われていたの。

 

なので、1人で行ってきた。

すんごい朝日が見れて感動した。

 

地平線の彼方から、「これがこの世の夜明けだ!!」と言わんばかりの真っ赤な太陽が昇ってきて、それを正面から受け止めた僕の精神のキャパを越えそうなくらいになり、もうゲラゲラ笑うしかなかったさ。

すごいな、北海道は。

 

 

f:id:yama31183:20200729201124j:plain

地平線物語1

そして、関係ないけどこの宿の犬とも、全く打ち解けることができなかった。

会う度に、すんごい歯茎をアピールしてくる。

 

怖いので、どうやって声を掛けたらいいのかわからない。

「歯茎、きれいですね」としか言いようがないけど、そう言うともっと見せつけてくる。怖い。

 

f:id:yama31183:20200729201733j:plain

地平線物語2

朝食後、コーヒーを飲みながらオーナーさんや、昨夜一緒に飲み会をした旅人たちと語り合う。

その旅人たち、僕が朝日を撮影した写真を見せたら、すごく羨ましがっていた。

 

オーナーさんが僕の写真を見ながら「この部分は北方領土のここだな」とか、地図で説明してくれる。

僕は「すげーすげー」と言い、旅人は「いいなーいいなー」と言っている。

 

それらのリアクションに気を良くしたオーナーさんが取り出したのが、冒頭の地図だ。

 

「この後、キミらに少し時間があるのであれば、地平線まで見える秘密の大草原を案内しよう。日本で最高の眺めだ。その名は、ノースフラット。」 

 

どうやらおじさんは、特別な許可でここに入れる立場の人らしい。

 

f:id:yama31183:20200729202147j:plain

地平線物語3

行くっす!!

 

もうね、こうして宿の窓の外の草原を見ているだけでもテンション上がっていたんだもん。

今日の天気、すさまじくいいんだもん。

快晴の北海道の大草原を走る以上の幸せ、僕は未だに知らんわ。

 

f:id:yama31183:20200729202357j:plain

地平線物語4

僕とオーナーさん、そして2人の旅人、合計4人にて宿を出発する。

 

親のかたきのように吠え続ける犬の声をバックコーラスにしながら。

…ねぇキミ、なんでそんなに敵対心むき出しなの??

 

f:id:yama31183:20200729202847j:plain

地平線物語5

チリ1つ無いほどに綺麗な青空が広がる中、僕はオーナーさんの車を追いかける。

 

オーナーさんは、とある分岐の前で車を停めて降りてきた。

そして僕らに聞く。

「この先は未舗装路が3㎞程続く。車を汚したくなければ、ここに車を停めた上で、こちらの車に乗っていいよ。」

 

しかし僕は断った。

自分の愛車で行ってみたいし。

そして心配ご無用。僕の愛車のパジェロイオは、北海道上陸初日からドロッドロになるほどに走っております故。

 

こうして僕らは未舗装路へと突撃する。

 

 

北の大地の大平原

 

 

f:id:yama31183:20200729221255j:plain

ノースフラット1

砂ぼこりを豪快に巻き上げながら、3台の車が未舗装路を駆け上がる。

僕は最後尾でアクセルを踏む。

 

道は狭く擦れ違い不可能。目印も一切なし。

これは、冒頭の地図があったとしても、初見では到達できたかどうか…。

 

f:id:yama31183:20200729221652j:plain

ノースフラット2

高原に向かって、標高はグイグイ上がっていく。

未舗装路の3㎞は、なかなかに長いよな…。

 

f:id:yama31183:20200729223033j:plain

ノースフラット3

本当に何もない草原のド真ん中で、オーナーさんの車が止まった。

 

ここがノースフラット!!

 

 

f:id:yama31183:20200729223353j:plain

ノースフラット4

 

果てしなく、広ーい!!!

 

 

僕らは草原の真ん中に、車を豪快に停めた。

こんなことができるのは、きっとオーナーさんが「ここには誰も来ないだろう」と確信しているから。

 

現にここにいた数10分の間、車も人間も、動くものは僕ら以外に何1つなかった。

 

f:id:yama31183:20200729224911j:plain

ノースフラット5

愛車と大草原と空。

絵になるじゃないか。

 

日本1周が終わるたびに車を交換する僕にとって、日本4周目のファイナルドライブである今回の旅が終われば、この車とはサヨナラなのだ。

 

f:id:yama31183:20200729225118j:plain

ノースフラット6

だからこそ、ここでこういう記念撮影ができてうれしい。

最後の記念撮影だ。

 

日本4周目の数々の冒険、僕に付き合ってくれてありがとな…。

 

ちなみに、日本5周目の愛車は既に決まっている。

HUMMER_H3という外車だ。それはそれで楽しみ。スゲー楽しみ。

 

f:id:yama31183:20200729225352j:plain

ノースフラット7

オーナーさんが、「こっちに来てみなさい」と言って、ズンズン地平線の向こうに遠ざかっていく。

慌てて僕は追いかける。

 

なんと、そこに埋まっていたのは三角点だった。

ここが標高を示す基準点なのか。草原の真ん中なのに。

 

f:id:yama31183:20200730190341j:plain

ノースフラット8

振り返ると、愛車の向こう側にすんごい地平線が見えた。 

 

とりあえず、僕も同泊の旅人たちも、「うおぉぉぉーーー!!」って叫んだりした。

あ、人って周囲に何もないと叫ぶんだ。今、知った。

 

f:id:yama31183:20200730190459j:plain

ノースフラット10

草原を、気の向くままに歩く。

向こうに見えているのは「雌阿寒岳」だと、オーナーさんが教えてくれた。

 

f:id:yama31183:20200730190618j:plain

ノースフラット11

雌阿寒岳雄大だ。

 

めっちゃくちゃ空気が澄んでいるときには、ここから厚岸まで見えるらしい。

マジか。とんでもなく遠いぞ、厚岸。

今も微かに見えているのだとオーナーさんは言うが、僕にはわからなかった。

 

f:id:yama31183:20200730191755j:plain

ノースフラット12

見渡す限り、人工の建造物がない。

例外的に1つだけ、遥か彼方に1つある。

しかしそれを紹介してしまうと、ここの場所が判明してしまうかもしれないので、今回は掲載を見送る。

 

f:id:yama31183:20200730191933j:plain

ノースフラット13

左奥に、僕の愛車がポツンと見えている。

この大地に対し、なんてちっぽけなんだろう。

 

オーナーさんは、「ここが国内最高の展望地だ」と繰り返していた。

好きな場所の近くで旅人宿を経営する、元旅人。北海道にはそういう人が多い。その地を心の底から愛している。

そういう人と話すことは、こちらも大きな活力をもらえて楽しい。 

 

「夜の星空も最高だよ」と教えてもらった。

だろうね。天の川とか、すごそうだね。

1人で夜は来れなそうだけど。そして1人で来るのはライセンス的にダメだろうけど。 

 

f:id:yama31183:20200730192443j:plain

ノースフラット14

草原を傷めないよう、オーナーさんの指示で轍をバックした。

木立の中の未舗装路を再び走り、丘を下る。

 

舗装路との境界にある広場で、3台の車を再び停めた。

みんなで集まり、お別れの挨拶だ。

 

最高の景色をありがとう。

僕はみんなにお礼を言った。

そして愛車に乗って旅立つ。次の絶景スポットを目指して。

 

オーナーのおじさんと同泊の旅人が、草原をバックにいつまでも手を振ってくれた…。

 

 

想い出は、また静かに眠る

 

手元にある、たった1枚の地図。

地図というにはチープで見づらく、 字も読みにくい。

 

f:id:yama31183:20200729194314j:plain

地図5

でもな、これを見ると脳裏にあの大草原がよみがえるんだ。

 

「な、最高だったろ!?」

あのオーナーさんが、得意気に笑う声が聞こえてくるんだ。

 

そんなこの地図が、僕の宝物。

 

f:id:yama31183:20200730193937j:plain

地図6

その後、日本5周目・日本6周目でノースフラットの近くを走っている。

あのオーナーさんのいる宿の近くも走っている。

 

だけども、どちらも再訪はしていない。

一度きりの、でも最高の想い出なのだ。

 

 

f:id:yama31183:20200729193546j:plain

地図7

 

2度と訪れず、そしてWebの中を探しても見れない、僕だけの想い出だったこの光景。

 

 

北海道の大地をさまよう

旅人たちに贈ります。

 

 

北海道、コロナの影響で今年は行けなさそう。

旅人宿のオーナーさんたちも大変だろう。

落ち着いたら、また必ずや北に旅立ちたい。

 

僕はしばらくの間、懐かしいあの大草原を回顧した後、なまら蝦夷を閉じる。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: ノースフラット
  • 住所: 非公開(北海道のどこか)
  • 料金: 無料
  • 駐車場: …という概念がないくらい広い
  • 時間: 特になし

 

 

 

No:024【佐賀県】この棚田はすごい!!玄界灘に沈む夕日に反射する、絶景の水田を見た!

春のある日。

玄界灘の海が、そして水を張られたばかりの水田が、見事に夕日で赤く焼けた。

 

1年の中でも、この時期にしか見れないスペシャルなイベント。

そこに僕は偶然居合わせた。

わずか10分前の飛び込み参加であったが、計り知れない感動があった。

 

あの日の日没を、僕が忘れることはないだろう。

 

…そんな絶景の日没。

玄界灘に面した「浜野浦の棚田」を、今回ご紹介させていただこうと思う。

 

f:id:yama31183:20200725205702j:plain

棚田1

 

 

 

太陽の出現は突然に

 

18:30過ぎの、日本本土最北西端に位置する「波戸岬」…。 

「ダメだなこりゃ」って僕はため息をついた。

 

ここで夕日を見たかったのに、肝心の太陽が顔を出す気配が無いのだ。

今日はPM2.5的な気配でボンヤリした世界観は否めないものの、それなりに晴れていた。今だって、周囲は明るい。

 

だから、夕日に期待を込めていたのだ。

日本本土再北西端のこの岬で、夕日を眺めたかったのだ。

 

f:id:yama31183:20200726084044j:plain

波戸岬

しかし、18:30を過ぎたというのにコレだもんな。

20分間待っていたが、全然ダメ。もうダメ。

 

他にも数人が西の空を眺めているが、僕は早々に諦めた。 

伊万里方面でも行こう。そんでどっかでお風呂に入ろう。

 

 

こうして気持ちを切り替え、波戸岬を出発して15分後。

まさかの事態が生じる。

 

太陽が姿を現したのだ。

 

f:id:yama31183:20200726084359j:plain

 

このタイミングで太陽が出るとはーー!!

 

あなたに理解していただけるかどうかは不明だが、旅人の中の一定数は日没に重きを置く。1日の終わりに夕日を見れるかどうか、これはその日1日が円満終了するかどうかと同義であるといっても過言ではない。

 

もう少し万人にわかりやすい例を挙げるとすれば、「富士山」からの御来光や、海岸で待機する初日の出。

そのときに太陽が見えるかどうかが問題なのだ。日の出からしばらく経過してから快晴になったとしても、満足感は得られない。

 

f:id:yama31183:20200726195227p:plain

 

どこで夕日を見る?

どこで海に沈む夕日を見られる??

 

僕の見立てでは、日没まであと12分。

「いろは島展望台」までは、どんなに急いでも、あと15分。

「大山公園展望台」は行ったことないからどんなロケーションかわからない上、きっと日没には間に合わないだろう…。

 

さて、どうしよう。

キョロキョロしながら車を走らせること、およそ1分。

 

f:id:yama31183:20200726195511j:plain

棚田2

なにこの人だかり?

なんかいいモン見れるのか?

 

そんな予感がするので、数10m先に見つけた駐車場に愛車を停め、やじうま根性全開で、原住民の群れにダイブした。

 

 

棚田と夕日

 

…前項のような書き方をしたが、僕は確信をしていたさ。

みんな西の海側を見てカメラを構えているんだもん。

 

夕日、見えるんだろ?そうなんだろ?

じゃあ、僕も仲間に入れてくれ。

 

f:id:yama31183:20200726202120j:plain

棚田3

 

すげっ。 

 

しかしこれは、現地の看板の写真だ。

僕は、旅にて自分がどこに立ち寄ったのか、明確な情報が欲しい人間。

なので、場所を示す看板などがあると、反射的にそれの写真を撮る。

 

従い、今回も真っ先に設置されている看板を撮影した。

ここは玄海町の「浜野浦 棚田」というのか。そうかそうか。

 

f:id:yama31183:20200726222229j:plain

棚田4

うおぉ…。

 

道路沿いも人がたくさんいるなって思ったが、道路から下を見下ろしたら、もっと人がたくさんいた。

あっちも棚田だが、見る側のこっちもまさかの棚田スタイル。

 

なんか売店的なテントも立っているし。軽く祭りだ。

 

棚田も綺麗だが、人の多さにまずは驚いた。 さすがゴールデンウィーク

 

f:id:yama31183:20200726222429j:plain

棚田5

なんという見事な棚田だ。


綺麗だとか、そういう概念ではない。

この両側を谷で囲まれた斜面を、このように丁寧に無数の平面をつくり、そして稲を育てる先人の英知と苦労に頭が下がるぜ。

 

f:id:yama31183:20200726222825j:plain

棚田6

田植えが終わったばかりの水田の脇に停車する軽トラック。

1日の作業を終え、彼らもここで一息ついているのだろうか。

 

農家の慌ただしい春の1日が、終わりを告げる…。

 

…とか思っていた矢先だけどな。ちょっ、待て。

2つ上の写真に戻ってほしい。そんで、その写真の右下部分を見てほしい。

 

f:id:yama31183:20200726223119j:plain

棚田7

 

 

 恋人ーーー!!!

 

 

なんかエロい作風の幟が写真に見切れているぜーー!!

日本の原風景みたいな農村に、場違いなくらいにムフフなマークがたなびいているぜーー!!

 

そう、ここは…

 

f:id:yama31183:20200726223828j:plain

棚田8

 

『恋人の聖地』!!

 

 

僕の苦手な分野、来たわ。この単語を聞いただけで、背中がゾワワ…ってなるわ。

恋人?なにそれ?都市伝説?UMA??

 

…って感じにやさぐれそうになったけど、よくよく周囲を見たら恋人っぽい人はほとんどいなかったので、荒ぶっていた精神もどうにか鎮静化した。

 

 

f:id:yama31183:20200727225341j:plain

棚田9

さぁ、棚田が赤く染まるぞ。

水を張られた水田が、夕日の赤を映し出しているぞ。

 

f:id:yama31183:20200727230123j:plain

棚田10

何度かシャッターを切る。

似たようなアングルの写真ばかりになってしまっているが、いかんせんここの棚田のビューポイントは、ほぼこれ以外の選択の余地がない。

 

ためしに展望台の下段まで下りてみたが、やはり僕は道路付近からのこの角度が好きだ。

ここから、太陽が沈むまで眺めたいと思う。

 

f:id:yama31183:20200727230426j:plain

棚田11

幾何学模様の棚田が真っ赤に染まる。

4月中旬に水田に水を張ってから、5月の上旬の田植え直後の今の時期までしか見れない、わずかな期間の芸術だ。

 

f:id:yama31183:20200727230657j:plain

棚田12

もっと眺めていたかった。

しかし、太陽は水平線に接触することなく、中空で溶けるようにしていなくなった。

 

僕がここに到着してからわずか10分のスペクタクルであった。

得も言われぬ満足感が、僕の体の深い部分に残っていた。

 

日没後もしばらくボーッとそこに立っていると、ゲコゲコと大量のカエルが鳴き出した。

 

 

春先の再訪

 

1年の中でも最も美しいシーンを最初にお見せしてしまったが、前述のシーンは僕が日本3周目を巡っていたときのエピソードである。

僕はその後、日本5周目においてここを再び訪問している。

 

f:id:yama31183:20200727231334j:plain

棚田13

3月下旬の、まだうすら寒い早朝。

久しぶりに僕は棚田を見下ろした。

 

この時期はまだ水も張られておらず、土と草が棚田を覆っている。

しかし、海近くのうっすら黄色い部分をよく見てほしい…。

 

f:id:yama31183:20200727231933j:plain

棚田14

おぉ、あれは菜の花ではないか。

一足早い春の訪れを演出してくれている。

1年の初めに、田んぼに生命の息吹を吹き込んでくれる役目を担っているのだろう。

 

 

ここには、11.5haの敷地の中に、実に283枚もの棚田があるという。

その枠組みは石垣のように造られており、古い部分は戦国時代・江戸時代のものなのだそうだ。

 

400年以上も脈々と受け継がれてきたこの生活、そしてこの風景。

日本って素晴らしいよな。

 

そんな風景を求め、今日も僕は旅をする。

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 浜野浦の棚田
  • 住所: 佐賀県東松浦郡玄海町浜野浦
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり。無料駐車場が数10台分あるが、近年田植えの夕方時期は、軒並み満車と聞いている。
  • 時間: 特になし

 

No:023【岐阜県】30年以上前に封印された幻の渓谷!!久々の観光客として訪問しよう!!

木曽川流域には、歴史に埋もれてしまった景勝地がある。

この30年以上、(一般的な)観光客は訪問していない、木曽川の織り成す渓谷。

名前を「深沢峡」という。

 

35年前後もの長きにわたり、景勝地として静かに佇んでいた深沢峡だが、あと9年でこの世から姿を消すぞ

そのあたりの事情は後述するが、今回は僕が初めて深沢峡を訪れた物語を紹介したい。

 

今から振り返れば、これが僕が秘境と廃墟にのめりこみ始めた、トリガーとなるドライブだったのかもしれない…。

 

 

岐阜県道352号 大西瑞浪

 

まずは、以下に深沢峡の周囲の地図をご紹介する。

アプローチの困難さを把握していただきたい。

 

f:id:yama31183:20200722170823p:plain

 

深い渓谷により、国道418号は左右に分断されている。

深沢峡エリアまで国道の痕跡はあるが、既に廃道となっているそうだ。

 

…となれば、県道352号を北上するルートが妥当だろう。これも最後は廃道化されているが、人が歩けるだけの環境は残っていると聞いている。

 

f:id:yama31183:20200722171348j:plain

県道1

行こうぜ、秘境!

行こうぜ、深沢峡!!

 

町はすでに背後だが、まだまだ道は綺麗だ。桜も綺麗だ。

対向車もゼロなので、道は若干狭いもののスイスイと進む。

 

f:id:yama31183:20200722171735j:plain

県道2

車が通行できるのはここから2.5㎞先までだと、看板に表示してある。

行けるところまで行くぞ。

 

f:id:yama31183:20200722200904j:plain

県道3

…そして車両通行止め。チェーンが張ってあり、ここから先は侵入不可能。

 

ここは「瑞浪市衛生センター」という施設のすぐ横。

愛車のパジェロイオはこの付近に待機してもらおう。

ここからの県道は、この2本の足で踏みしめていく所存。

 

f:id:yama31183:20200722201034j:plain

県道4

しばらくは、うっすらと轍の残る道。

さっきチェーンが張られていたが、関係者車両は今も内部に入ることがあるのだろうか?

 

2・300m歩いていると、前方にバリケードが見えてきた。

ガードレールを3枚重ねて作成した、突貫テイストの強いものだ。

車両は仮に先ほどのチェーンを乗り越えたとしても、ここで確実に突き返されることとなるのだな。

 

f:id:yama31183:20200722201532j:plain

県道5

このあと、ダメ押しでガードレール2枚重ねのバリケードがあった。

 

それを越えると途端に道幅は狭くなり、ほぼ山道となる。

そして荒れっぷりにも拍車がかかる。

 

f:id:yama31183:20200722202200j:plain

県道6

大崩落だ。道幅の半分ほどがゴッソリと持って行かれている。

しかしもう半分が残ってよかった。

 

このご時世では、行政は崩れたところでこの道を直してはくれないだろうから。そうしたら、本当に誰も行けない渓谷になってしまうから。

 

f:id:yama31183:20200722202355j:plain

県道7

これは木曽川へと流れ込む支流だろうか?

とんでもない大岩がゴロゴロしている。

 

途中に滝があると聞いたことがある。おそらくこの支流のどこかに存在しているのだろう。今回は、そちらも行ってみたいと思う。

 

f:id:yama31183:20200722202633j:plain

県道8

ボロボロの石碑が現れた。ほとんど字が読めない。

しかし、「深澤峡記念」って書いてあることを、事前知識から知っている。

 

道は谷に向かって急な九十九折を繰り返す。

道幅もカーブの曲線半径も、とても車が通るような道ではない。

県道ではあるが、おそらく車道は想定していなかったのだろう。

 

f:id:yama31183:20200722215253j:plain

県道9

マニアには有名な公衆トイレが姿を現した。

覗いてみたが、便器はどちゃくそに破壊されており、使用はできない。

 

f:id:yama31183:20200722215411j:plain

県道10

半分獣道のような県道をさらに進む。

 

すると、その筋では非常に有名な廃屋である「いさまつ」が見えてくるんだ。

まだ県道352号ではあるのだが、いさまつは別格なので次の項で取り上げよう。

 

 

廃茶屋、「いさまつ」

 

深沢峡を語るにあたって、避けて通れない有名物件。

それがこの、観光客向けに事業を営んでいた、いさまつだ。漢字で書くと「伊三松」。

 

f:id:yama31183:20200723115723j:plain

いさまつ1

ちなみにここ、2020年は写真よりも遥かにボロボロである。

もう完全に柱と屋根しか残っていないくらいで、おすもうさんが激突したら崩れそうなくらいに。

 

f:id:yama31183:20200723120246j:plain

いさまつ2

お店の壁には、「玉田医院」を紹介する看板が掲示されている。

ちなみに玉田医院は、少なくとも僕の訪問当時は現存していたらしい。

 

…独特の崩し方の字体だな。

電話番号が『日吉 五番』と書いてある。 

日吉ってのは、瑞浪市日吉町という住所を示している。

 

五番ってことは、その当時は日吉町において電話番号が1ケタしかなかったのだろうか?

つまり、日吉町には電話機がMAX9台。

そういう時代の遺産なのか…。すんごい貴重だな、この看板。

 

f:id:yama31183:20200723120659j:plain

いさまつ3

少なくとも、訪問当時の僕はまだ廃墟には目覚めていない。

…このときは、まだ夜明け前だ。

しかし、もうまどろんでいる。やがて目覚めのときが来ることを、未来の僕は知っている。

 

ドアの隙間から少しだけ内部を見るに留めた。

ちゃぶ台のようなものに、日用品がいくつか乗っているのがチラリと見えた。

 

f:id:yama31183:20200723120951j:plain

いさまつ4

2階から3階へと上がる急階段。

いさまつは一見平屋だが、断崖絶壁に建つ3階建ての建物だ。歩道側から見ると平屋、そして裏の崖側から見ると3階建て。

 

f:id:yama31183:20200723122155j:plain

いさまつ5

いさまつごしに、木曽川の水面が見えるのがおわかりだろうか?

あれが目指す深沢峡だ。

 

在りし日のいさまつは、ここの3階で観光客を受け入れる茶屋を営んでいた。

また、2階部分では宿業もやっていたとのことだ。そして、1階が女将さんの自宅だったらしい。

 

そのほか、この断崖を下りきった河沿いでは、貸しボートもやっていた。

さらには、近くの「丸山ダム」からは1日3便の観光船が深沢峡まで来ていたのだ。すごい賑わいだ。今からでは考えられない。

 

ちなみに、丸山ダムは後述の重要なキーワードとなるので、覚えておいていただけたらと思う。

 

f:id:yama31183:20200723172059j:plain

いさまつ6

崖側から見た、いさまつ。

聳え立つ3階建てがよくわかる。最上階の3階が、遊歩道に面している茶屋部分だったのだ。

 

時系列は少し先に行ってしまうが、木曽川の対岸付近から見たいさまつを以下に紹介しよう。

 

f:id:yama31183:20200723182451j:plain

いさまつ7

改めてみると、すっごい立地だ。

そして水面ギリギリには朽ちかけたボート小屋も見えるぞ。

いさまつは、付近に民家もない、あんなところで半世紀ほども観光業を営んでいたのだ。

 

昭和中期のころは電気も電話もなければ郵便も届かず、近所の人を介して運営していたと聞く。

いさまつは、観光客の相手を一手に担うと共に、周辺の歩道の整備なども行い、まさに深沢峡と共に歴史を歩んだ。

 

f:id:yama31183:20200723183226j:plain

いさまつ8

そして、歴史を閉じるのもまた、ほぼ同時だったという…。

 

深沢峡が閉鎖された時期は、Webサイトで検索してもまちまちだったりアバウトだったりと、ハッキリしない。

 

ただ、1982年の集中豪雨で、木曽川沿いの国道418号が崩れたのは、大きな転機となったようだ。このとき、同時に県道352号も被災している。

この国道418号の通行止めは、冒頭の地図でも記載した、現在まで続く国道断絶である。

 

既にこの頃には深沢峡への観光客は激減していたようで、この両方のアプローチルート崩壊がトドメを刺すこととなったのだろう。

 

さらに、1人でいさまつを支えてきた女将さんが亡くなったのが1987年と聞いている。

 

 

こうして、いさまつも深沢峡も、朽ちていった…。

 

 

廃橋、五月橋

 

…「五月橋」。

秘境マニア・深沢峡マニアがこの名前を聞いただけで、興奮で鳥肌が立つようなスポット。深沢峡のハイライトである。

そして、「深沢峡=五月橋」とも言えるくらいの存在。

 

f:id:yama31183:20200723184410j:plain

深沢峡1

さぁ、木曽川がハッキリと見えるようになってきた。

引き続き県道352号を進むぞ。

 

車を停めた時点から、廃道を歩くこと30分

始めて五月橋がまともに視界に姿を現した。

 

f:id:yama31183:20200723192453j:plain

深沢峡2

五月橋!!なんという綺麗な赤!!

1954年に架けられ、60年以上の長きに渡って深沢峡の両端を繋いできた立役者!!

 

僕は喜び、小走りで山道を駆け下りて五月橋のたもとへと向かった。

 

f:id:yama31183:20200723193214j:plain

深沢峡3

…グハッ!!

せっかくたもとまで来たというのに、木々がジャマすぎな事件。

 

まだ4月で木々の葉も少ないが、来月以降であれば橋の全容はほぼ覆い隠されていたであろう。これ、ちゃんと一望できるようなロケーションはないものか…。

 

f:id:yama31183:20200723193358j:plain

深沢峡4

ここで県道352号は終点となる。

 

それでは、橋を渡ろう。

車を停めてからここまで、車両通行止めはあったが立入禁止は全くない。

この橋に至っても何も(アプローチ時点では)バリケードは無いので、特に法的な規制もなく足を踏み入れられるのだ。

 

…踏み入れられるものなら、な。

 

 

f:id:yama31183:20200723193808j:plain

深沢峡5

 

風通しバツグンである。

 

 

よく、吊り橋とか高層ビルとか、高所の展望スポットでこうやって足元が透けているタイプはあるだろう。

しかし、これは違うぞ。1982年で被災し、その後は何のメンテナンスもされずに放置されてこうなっているのだぞ。床面はとっくの昔に消失したのだろう。

 

どこまでこの橋を信頼していいものか。

グレーチングは歩くたびにカタカタ鳴り、そして渓谷を風が吹き抜ける。

ゾクゾクするぜ。

 

f:id:yama31183:20200723194240j:plain

深沢峡6

水面までは20mほどだろうか?

落ちた衝撃では死なないだろうけど、まだ4月で上着も着込んでいるので、この状態で泳ぐのは厳しいかもしれない。

 

叫んだところで誰にも聞こえないだろうし、うん、落ちたら結局死ぬだろうね。

確定。

 

そして、透明度の少ないノッペリとしたエメラルドの水面が、また怖い。

なんだか生命を感じないのだ。

ま、いろんな意味でここには生命なんてないんだけどな。僕以外は。

 

f:id:yama31183:20200723194519j:plain

深沢峡7

f:id:yama31183:20200723194711j:plain

深沢峡8

全長123mの五月橋の終点が間近に迫った。

 

その終着点にチェーンが張られていることに気付く。

橋の南側はウェルカム状態なのに、北側はチェーン封鎖なのだ。

なんだそれ。もう渡っちまったぞ。

 

f:id:yama31183:20200723195444j:plain

深沢峡9

こんなチェーン、スルッと潜って向こう側に行くことも可能だが、その前に気になるのは、向かって右側に設置されている看板だ。

 

裏面をこちらに見せているので何と書かれているのかわからない。 

チェーンの手前から首を突き出し、表面の記載を確認してみよう。

 

f:id:yama31183:20200723195853j:plain

深沢峡10

…やっぱりね。

橋は通行止めなのに、南側からは気付かず渡れてしまうという不思議。

 

果たして僕が置かれているこの状況は、アウトローなのかそうでないのか。

でも、チェーンを潜るという行為自体がなんかちょっと良心を咎めるので、ここまでとしておこう。

 

なにより、秘境探索としての領域はここまでで充分。

ここから先は、1982年の大崩落が放置されたままの、廃道マニアの領域。しかしそれは、今の僕にはまだちょっと早い。

 

f:id:yama31183:20200725114734j:plain

深沢峡11

前述のいさまつの遠景は、ここから撮影したものである。

さて、深沢峡のハイライトは攻略した。

引き返そう。

 

f:id:yama31183:20200725115602j:plain

深沢峡12

五月橋のド真ん中で休憩した。

読書しながらのランチだ。

 

遥か昔に封印された観光地ではあるが、僕はここをあくまで「観光地」として楽しみたかった。例えほんのわずかな時間であっても。

 

それが、深沢峡に対する僕なりの供養だ。

 

 

霧ヶ滝と、その上流

 

まだ僕にはやらねばならないことがある。

それは、この深沢峡のどこかにあるという「霧ヶ滝」を見ることだ。

 

少なくとも僕が訪問した時代において、ただでさえ少ない深沢峡のWeb情報に対し、霧ヶ滝の情報は、輪をかけて圧倒的に少ない。

…いったい、滝はどこにあるのだろうか??

 

ふと思い出した。

ボロボロの公衆トイレの近くに、山道の分岐があったことを。

行ってみるか。

 

f:id:yama31183:20200725120741j:plain

霧ヶ滝1

獣道のようだが、わずかに道の痕跡がある。

ここを入ってみよう。

 

途中で道が消えてしまうかもしれないが、それならそれでいいわけが立つ。

とりあえずチャレンジしてみることが大事。

 

f:id:yama31183:20200725121734j:plain

霧ヶ滝2

最序盤でも見かけた渓流の延長線が、間近に表れた。

 

この渓流の上流もしくは下流が、滝なのであろう。

渓流の動線を念頭に置いて歩くのがいいかもな。

 

f:id:yama31183:20200725121646j:plain

霧ヶ滝3

あー、なんか階段あった。

茂みの向こうにニョッキリ登場した。

 

これは確実に、この先に何かがあるぞ。

それを確かめに、もうひと踏ん張り!!

 

…と思ったが、道がなくなった。とんでもなく巨大な岩たちに塞がれている。

しかし、その向こうから滝と思わしき水音は聞こえている。

 

f:id:yama31183:20200725131352j:plain

霧ヶ滝4

うわー…、足場がほとんどないぞ。

10cm弱くらい。これを踏み外したら、下の渓流にドボンだ。

 

f:id:yama31183:20200725131515j:plain

霧ヶ滝5

この向こうか?

滝の存在は、既に確信に近い。しかし、僕の身長でこの高さ170cmほどの岩を乗り越えられるのか?

懸垂の要領で踏ん張る。

 

 

ヌグググ…!!

 

頭を岩の上から覗かせる。

 

見えッ! 

岩の向こうに滝が見え… !!

 

 

f:id:yama31183:20200725131759j:plain

霧ヶ滝6



… ないッ!!

 

 

見えない!!

写真の右下4分の1、チリチリになった茶色い枝葉の向こうにかろうじて見えている、白いシャワシャワしたものが滝の水流。

 

チックショウ!もう一息なのに! 

現段階では、まだ「滝を見た」とは言えない。

 

がんばれ僕!!

上体をさらに岩の上へと引き上げる。 

 

f:id:yama31183:20200725132548j:plain

霧ヶ滝7

 

見えたーーーッ!!

これが…、霧ヶ滝!!

 

 

全ては見えないし、若干ブレたけども、これが僕の限界だ。もうダメ。

でも、ひとめだけでも見れてよかった。

2筋に流れ落ちる、華麗な滝であった。

 

 

このあと少し道を引き返し、その道中でふと渓流を見下ろす。

すると気になるものが目に入った。

 

f:id:yama31183:20200725134852j:plain

ほこら1

スゲーところに、スゲーもんがある。

渓流沿いの段階に、ハシゴと石碑と崩れたほこらだ。

配置を見る限り、ハシゴは石碑に登るために意図的に設置されたものだろう。

 

これはどこのWebサイトでも見たことがない。

なので確証は持てないが、こんな伝承を聞いたことがある。

 

昔、深沢峡の苔を採取して煎じて飲んだら、難病が治った。

これに感謝し、ほこらだか碑だかを作った。

それは、霧ヶ滝の断崖の脇を登った先にある、…と。

 

f:id:yama31183:20200725170738j:plain

ほこら2

もしかしたら、これがそれなのだろうか…??


忘れ去られつつある、伝承の一端を目撃できたのかもしれない。

 

かたちを変え、そして滅びゆく渓谷

 

複数のWebサイトを巡っていろいろ情報を集めたが、深沢峡の最初期については情報が少なすぎたり、表記揺れがあったりしてよくわからない。

 

しかし、明治時代後期にこの周辺の開拓が行われ、現在の五月橋付近に人が往来できる吊り橋が架かったりしたそうだ。

その後の大正時代も、知る人ぞ知る景勝地として存在する。

 

そんな深沢峡が一躍脚光を浴びるのは、1933年(昭和8年)のことだ。

 

crd.ndl.go.jp


国立国会図書館」のデータベースで確認できるのだが、深沢峡1933年の「日本十二秘勝」というのにノミネートされている。 

これにて、観光客が激増したのだそうだ。

 

しかし、この当時の深沢峡というのは、まだ僕らが知る姿とは全然違うもの。

1955年に、これまでの風景を一変させる、大きな大きなイベントが起こる。

 

丸山ダム、建設。

 

木曽川に建設された巨大ダム。

コイツはすごい。

Wikipediaの言葉を借りると、『戦後の大ダム建設として大規模かつ本格的な機械化手法を全工程で行い、後の日本土木技術のいしずえとなった』。

そんなヤツが、わずか10㎞の場所にできたのだ。

 

深沢峡の水位は、これによって40m上がる。

これが、今回ご紹介した深沢峡である。

 

五月橋ができ、いさまつができ、多くの観光客が訪れ、手漕ぎボートで遊んだり吊り橋から歓声を上げる。丸山ダムから観光船が運航され、深沢峡は大いに賑わう。

1980年代初頭までは。

 

それから先は、前述の通りだ。

 

 

f:id:yama31183:20200725173959j:plain

深沢峡13

帰り道、ほぼ障害物なしに五月橋を見下ろせる場所があることに気付いた。

息を飲むほどに美しい光景…。

 

しかし、この光景を見れるのは、頑張ってもあと9年間、2029年までかもしれない。

 

新丸山ダム、建設。

 

さらにダムができるのだ。2029年に。

日本最大級のダムの嵩上げによる、ダム再開発事業なのだそうだ。

2009年に一度凍結されたこの計画だが、今年2020年3月のコロナ禍の中で「4月からの工事開始」が発表された。

 

これにより、木曽川のこのエリアの水位はさらに数10m上がるだろうと推測されている。

深沢峡・五月橋・県道352号の山道ゾーン・いさまつ・霧ヶ滝…。

今回紹介したすべてのスポットが水没するのだろう。

 

f:id:yama31183:20200725174930j:plain

深沢峡14

 

深沢峡は花に抱かれて、静かに佇んでいる。

 

誰も来ない、誰も知らない秘境の渓谷。

 

僕が再びここを訪れることはないかもしれない。

再び訪れたときには、もう僕の知っている深沢峡ではないかもしれない。

 

一期一会に、ありがとう。

そして、安らかに。

 

f:id:yama31183:20200725175410j:plain

 

 

深沢峡を出発した僕は、さらなる岐阜の深部へ車を進める。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

 

No:022【三重県】日本唯一の松阪牛の駅弁「モー太郎弁当」!!弁当箱は音楽を奏でるぞ!

僕は駅弁に興味を持ったことがほとんどない。

鉄道で旅をしたことすら、ほぼゼロである。

 

そんな僕が思わず目を停めた駅弁がある。

それが、松阪駅の「モー太郎弁当」という、松阪牛をこれでもかと詰め込んだ弁当だ。

それだけで、僕のテンションはマックスだ!

 

さらにこの弁当箱、音楽が流れるというハイテク装置を実装しているらしい!

そうきたらもう、見るっきゃない!食うっきゃない!そして歌うっきゃない!

この弁当1つあれば、そこはもうパーリーナイッ!!

 

じゃあ、行こう松坂!ウェイウェイ!!

 

 

駅弁の「あら竹」

 

キンキンに寒い2月のある朝、僕は松阪駅前にやってきた。

駅前にて駐車場をうまく発見できなかったので、愛車のHUMMER_H3は300mくらい離れたところに置いてきた。

 

f:id:yama31183:20200713223607j:plain

松阪1

試しに、松阪牛の匂いが漂っていたりしないか、鼻をクンクン言わせた。

牛肉の匂いはしないが、かわりにどことなく昭和の香りがする駅だ。

 

お目当ての駅弁を売っているお店の名前は「あら竹」。

明治28年創業とのことで、もう120年以上も営業している老舗中の老舗だ。

その店舗は駅構内ではなくって少し離れた駅前商店街と聞いている。

 

まぁ駅構内にも駅弁販売ブースがあるのかもしれないが、別に駅で買うことが僕の目的ではない。弁当を手に入れられさえすればよい。

そういった魂胆から調査していたので、本店というか総本山というか、そんな位置づけの場所が必然的に僕の目的地となったのだ。

 

f:id:yama31183:20200713224552j:plain

松阪2

商店街も昭和テイストを感じさせるものだ。

飾らない、気取らないその雰囲気が僕は好きだ。その一角を見たとき、僕の目は獲物を狙う鷹のように鋭くなった。

 

あったぜ、あら竹。

あれが今回の僕のターゲットだ。

 

f:id:yama31183:20200713224957j:plain

松坂3

…おっと。

思ったよりも渋めなテイストで攻めてこられたよ。

 

弁当屋さんだというから、もっとオープンな感じで入りやすい雰囲気を想像していた。しかしこれは、一昔前の金券ショップみたいな店構えだぜ。

 

もっとも、昭和時代とかのお弁当屋さんってこんな感じなのかもしれないけどさ。

僕がお弁当屋さんで想像しちゃうのは「ほっともっと」的なお店だったので、そのギャップに思わず身構えた。

 

ちなみに僕は「ほっともっと」ですら入ったことも買ったこともないという、弁当界のルーキーだ。今回、いきなりハードル高いぞ。

 

f:id:yama31183:20200713225913j:plain

松坂4

看板にちゃんと僕の目的のモー太郎弁当も掲載されている。

 

遠目から見るとイタリアンカラーだが、実態はガチガチに弁当屋だ。

さぁ、待ってろモー太郎。

 

なんか急に雪も降ってきたので、躊躇している暇はない。

木枯らしに背中を押されるようにして、僕は店内に突撃した。

 

 

f:id:yama31183:20200713230720j:plain

あら竹1

 

わー!押し寄せる情報量に酔う! 

 

 

カウンターの周辺は情報の坩堝(るつぼ)よ。色紙・掲載新聞・土産・宣伝のPOP…。

あまり脳に一気に情報を流し込むと、頭が発火するよ?

インディ・ジョーンズ」の「クリスタルスカルの王国」で、そんな感じになっちゃった方がいらっしゃるよ?

 

f:id:yama31183:20200713232739j:plain

あら竹2

ニヤニヤしながら伊勢うどん伊勢うどんを売っている人のパッケージ。

僕は正直、伊勢うどんは苦手だが…。

そして、パッケージとPOPがズレているような気もするけど、まぁいいや。

 

f:id:yama31183:20200719205023j:plain

あら竹3

日本一多くのメディアに取り上げられている、的なことを宣伝していたりも。

ただしなんだか情報が古そうな気もするが。

 

…って言っている場合じゃない。

僕は駅弁を買わないと。

モー太郎弁当っていう、日本で唯一松阪牛をふんだんに使った駅弁。

松阪市に来たなら食べないと後悔する。そう思った。

 

しかし店員さんが僕の視界にいない。

「すみませーん!」って呼んだ。

反応がないのでもう1回呼んだ。

 

そしたら奥からおばちゃん登場。

早速モー太郎弁当をオーダーした。

 

f:id:yama31183:20200720203437j:plain

あら竹4

壁に飾られ、黒光りするアイツ。

あの、牛のデスマスクみたいな弁当をおひとつ僕におくれ、とオーダーした。

 

「日本初のメロディー駅弁」と気になる文言が躍っているが、それは後で触れるから、もうちょっと楽しみにしてくれ。

 

するとおばちゃん、「ちょっと今は在庫がないので奥で詰めてくるわね。そこに座って待っていて。」と言ってくれた。

展開撮影の許可をいただき、僕は2人掛けくらいの狭いベンチで弁当完成を待った。

 

f:id:yama31183:20200720203925j:plain

あら竹5

まさに今頃、奥の調理場でおばちゃんが松阪牛を操っているのだろう。

あの、日本三大和牛の1つである松阪牛を。

 

壁には日本地図と世界地図が掲示してある。

ひょっとして世界進出しているのか?モー太郎、守備範囲広いな。グローバル化がとどまるところを知らない。

 

5分ほど待ち、僕はモー太郎弁当をゲットした。料金、1350円。

よーし、今日のランチは松阪牛だ。

ウヒャヒャヒャ…と喜び笑いをこらえきれずに、僕は粉雪の中をダッシュで愛車のもとへと走った。

 

 

モー太郎弁当

 

実食だ。

僕は逸る気持ちを落ち着け、深呼吸してから弁当を取り出した。

 

f:id:yama31183:20200720205624j:plain

モー太郎弁当1

おぉ…、紙のパッケージに包まれていて、まだモー太郎の素顔は見えないぞ。

もどかしいが、神々しい。

 

古代中国や平安時代の高貴な女性などは、普段は御簾(みす)の奥にいて姿かたちが見えにくいばかりか、顔を扇で隠していたという。

下々の民には決して素顔を晒さないのだ。

そういうオーラを感じた。ま、このあとむしり取るけどな、それ。

 

松阪名物

黒毛和牛

蓋を開けると ♪ふるさと♬ のメロディーが流れます。

 

モー太郎弁当

 

電子レンジOK 温めると出来たての美味しさ!!

メロディセンサー付のフタ・中台紙は必ず外して下さい

 

パッケージにはそのように書かれていた。

 

f:id:yama31183:20200720210758j:plain

モー太郎弁当2

じゃーん。

御尊顔を拝しまして、恐悦至極に存じます。

 

 右を見ても左を見ても、ゆるキャラであふれかえる昨今において、なんとう武骨な顔だよ。夜、子供がこれを見たら恐怖におののくかもしれない。

しかしこれは、ゆるさで媚びを売るのではなく、黒毛和牛としての確固たる威厳やブランド力を意識した結果のデザインとのことだ。

 

f:id:yama31183:20200720213615j:plain

モー太郎弁当3

蓋をパカッと取ると、蓋の裏側のオルゴールが光を感知して「故郷(ふるさと)」の音楽を奏でるぞ。

音を奏でる駅弁は、日本初だぞ。

 

バリバリ単音だけどな。

誰もが知っている曲で、そして旅情感を味わってほしいとの意図からの選曲なのだそうだ。

 

故郷(ふるさと)

 

うさぎ追いし かの山
こぶな釣りし かの川
夢は今も めぐりて
忘れがたき ふるさと

 

作詞: 高野辰之
作曲: 岡野貞一

 

 …これね。

作詞者・作曲者共に1940年代に亡くなっていることで、死後50年保持される著作権も既に消滅している。従い、ここに歌詞を掲載させてもらった。

 

f:id:yama31183:20200720215241j:plain

モー太郎弁当4

…しかしさ、駅弁というからには電車内で食べることを想定しているんでしょ?

 

電車内でふるさと流れたら、近所の人たちに「あ、あの人モー太郎弁当食べている!」ってバレちゃうよな。

車内いたるところでふるさと鳴っているのかな、松阪って。

 

でも、僕は小心者だから、きっとメロディが鳴り響かないように必死になって食べることとなると思う。

 

f:id:yama31183:20200720215552j:plain

モー太郎弁当5

メロディセンサーは、剥がして二次利用もできるぞ。

つっても、単音でゴリゴリの電子音だから、あまり心は安らがない。しかも結構音も大きいから、使いどころには工夫が必要だ。

 

このセンサーは、2000回使用できるだけの持久力があるらしい。

僕もこの記事を書きながら、久々に手元の弁当箱をパカッと開いたら、元気にふるさと流れたよ。

 

では、さんざん引っ張ったが弁当食べよう。

 

f:id:yama31183:20200720224913j:plain

モー太郎弁当6

はい、肉の大海原

副菜とか漬物とか、そういうのはもうかたちだけ。

肉・メシ。基本的にはそれのみだ。潔く、そしてそれが正解だ。

「この海原で、好きなだけ泳ぎなさい」という、あら竹からのメッセージと受け取った。

 

これは黒毛和牛のA5ランクを使っているとのこと。贅沢の極み。

タレのベースは醤油で、やや甘辛く、そして濃厚。

僕がよく行く牛丼チェーンを、神々の領域まで昇華させたような感じだ。

 

お弁当を温めていないのに、この柔らかさと芳醇さ。

一切ごまかしのない、ストレートなうまさだ。

 

正直、弁当箱自体がやや小ぶりなので、成人男性としては少々ボリュームは物足りないだろう。(一般的な駅弁もおおかた小ぶりなイメージだが)

しかし、この容器・このご飯の量に対する肉のボリュームは充分と感じた。

 

 

f:id:yama31183:20200720225532j:plain

モー太郎弁当7

 モー太郎弁当は、五感に響く弁当だそうだ。

 

  • 視覚…目に飛び込むのは、黒毛和牛のパッケージ。
  • 聴覚…ふたを開ければ、動揺「ふるさと」のメロディが流れます。
  • 嗅覚…ふたを開ければ、メロディと共に、美味しい香りがします。
  • 味覚…松阪名物のすき焼きに、生姜の香りを加え、駅弁ならでは、個性ある味わいに仕上げました。
  • 心…駅弁の持つ郷愁と、牛匠の真心をお届けできれば、幸甚でございます。

 

うん、ところで五感の触覚はどちらに行かれましたか?

まぁいいけど。

 

 

父方の祖父の家には、壁に黒い観音の顔だけのオブジェが飾られている。

子供の頃、すごく怖かった。 

 

実家には、壁に黒いアフリカ原住民の仮面が飾られている。

子供の頃、すごく怖かった。

 

…であるなら僕の取るべき道は1つ。

自宅の壁に、このモー太郎弁当を    ← 全力却下されました

 

 

 

さて、コロナウイルスで冷え込んだ観光業界を盛り上げるための「GoToトラベルキャンペーン」が 、2020年7月22日の今日から施行される。

 

首都圏なんてコロナの第2波でそれどころじゃないし、それ以外の地域も大手を振って出かけられる状態ではないから、世間ではすさまじく悪評が飛び交っているけど。

GoToトラベルが、むしろGoToトラブルになっているけど。 

 

せめて松阪に安全に行ける方、駅弁なら三密を避けてコソコソ食べられるだろう。

よろしければ、松阪へ…!

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: あら竹 本店
  • 住所: 三重県松阪市日野町729-3
  • 料金: モー太郎弁当1500円(2020年現在)
  • 駐車場: なし。近隣のパーキング利用のこと。
  • 時間: 7:00~17:00(無休) 

 

 

No:021【長野県】狭ッ!!定員たったの2名!!塩尻駅の蕎麦屋は135cm×65cmの狭小空間!

まさかね、店の狭さで蕎麦屋を選ぶ日がやってくるだなんて思ってもいなかった。

 

子供時代の僕自身に、「お前の将来は、狭い蕎麦屋を求めて車中泊の旅をするような人間になるのだぞ。」とか教えたら、絶望で人間不信になりそう。

ついでに蕎麦アレルギーになりそう。

 

あ、事実子供の頃の僕は蕎麦アレルギーだった。

そうか、そういうカラクリか。これでタイムトラベル物の小説を1つ書けそうだぜ。

 

…とにもかくにも、僕はあの狭い蕎麦屋の話をしたいのだ。

あの春うららかな日に食べた、一杯の蕎麦の話を…。

 

 

せまい(入口)

 

僕は塩尻駅前に現れた。

塩尻駅前の駐車場は、30分無料だそうだ。使わない手はない。

駅構内で蕎麦を食べて、また戻ってくる。うん、充分すぎる時間だ。

 

f:id:yama31183:20200716231747j:plain

塩尻駅1

愛車のHUMMER_H3を駐車場に停め、僕は駅と対峙した。

 

この駅構内には、立ち食い蕎麦屋がある。もっとも、全国各地の駅構内に立ち食い蕎麦屋はあるだろうが、僕は立ち食い蕎麦未経験の人間である。

人生で一度切りの立ち食いデビューを、ここ塩尻駅で迎えるべく、やってきたのだ。どうしても、塩尻駅で立ち食い蕎麦を食いたいのだ。

 

塩尻駅には、それだけの価値がある。

 

f:id:yama31183:20200716232040j:plain

塩尻駅2

改札口に行くと、僕は券売機で切符を購入した。

別に愛車を置いてどこぞに旅立つわけではない。駅構内に入場したかったので、そのための入場券を購入したのだ。

その料金は140円。

 

これは僕にとっては、ただ駅構内に入るための切符ではない。

人生の階段をのぼるための大切なチケットだ。

 

f:id:yama31183:20200716232721j:plain

塩尻駅3

 

改札を通過し、お目当ての蕎麦屋を目指す…。

 

すぐに見つけた。

時空の割れ目のような、その蕎麦屋への入口を。

 

f:id:yama31183:20200716232945j:plain

桔梗1

 

… 狭い。

 

 

その店の名は、「そば処 桔梗」。

日本一狭いと言われている蕎麦屋だ。

 

f:id:yama31183:20200716233301j:plain

桔梗2

なんだこの入口の狭さは。

入口というか、スリットというか…。

 

その入口の幅はなんと50cm

「設計のための人体寸法データ集」(通商産業省生命工学工業技術研究所)によれば、成人男性の肩幅の平均は45.6cmとのことだ。

それよりわずか4.4cm広いのみ。つまり片側2.2cmずつのスペースがあるのみ。

 

これは己の空間把握能力を過信しすぎると、肩を脱臼する結果になりかねない。

若干体を斜めにしながらスルリと店内に入るのが成功率を高める秘訣だ。

 

 

せまい(店内)

 

さぁ、そしてめくるめく店内だ。見てほしい。

 

f:id:yama31183:20200718000842j:plain

桔梗3

 

狭ッ!!

 

 

上の写真は、店の一番奥付近で撮影したものである。

しかしながら写真の右下に、今入ってきたばかりの入口がしっかりと映っている。手を伸ばせば余裕で入口に手が届く。

以上。これが、この店のホールの床面の全てだ。 

 

この床面は、広さ135cm×65cmという。

前述の通り、男性の肩幅を45.6cmとすると、2人で90cm。

これが限界だろう。この店は定員2名だ。

 

f:id:yama31183:20200718120235p:plain

 

…これが限界だろう。
電車のシートとは違い、食事をするのだからどうしても肩や肘は動く。体にピタッとつけたままというわけにはいかない。

 

そのスペースが、片手分11cmで限界。

「日本って狭いのね…(涙)」と外国人に言われそうな狭小スペースだ。

 

ただ、ハードルはそれだけではないぞ。

 

f:id:yama31183:20200718120655j:plain

桔梗4

 

券売機!!

 

 

定員2名なのに、これを設置しちゃったよ。

ただでさえ狭い空間に、さらにイベントをブチ込んできたよ。

 

よく写真を見てほしい。

向かって右側がカウンターだ。券売機があるのは決して背中側ではない。むしろ左肩にジャストフィットする配置だ。

 

f:id:yama31183:20200718131613p:plain

 

さっきの図を流用するとこうなる。

向かって右側に先客がいるのであれば、その先客の腕が動くスキをついて、券売機で食券を購入する必要がある。

かなり難易度の高いアクションゲームであろうことが予想される。

 

かと言って、では1人目の客が入口側にいたらどうなるだろうか?

前述の通り、ホールの奥行きは65cmしかないのだ。

 

人間の体の厚みは20cmちょいらしい。ここでは22cmと仮定しよう。

また、食事をしている際にカウンターに胸を押し付けているわけではないと思う。

10cmの空間を空けていると仮定しよう。

 

f:id:yama31183:20200718163929p:plain

 

なかなかシビアな世界だな、これは。

 

僕が訪問した際、先客はいなかった。

店の手前と奥、どちらをチョイスすべきか少し迷ったが、結論として奥を選んだ。

 

なぜなら、入口側に立つと後からくるお客さんが「あれ?満員なのかな?」と思ってしまうかもしれないので。

お客さんが来たら、僕はカウンターに極力くっつき、そしてお客さんは体を横にしつつ僕の後ろをすり抜けて券売機側に。

そのタイミングで、僕は入口側に場所移動する。こうすることで、次のお客さんは券売機を使うことができる。

 

…そんな作戦を考えた。

 

f:id:yama31183:20200718170205j:plain

桔梗5

上の写真も、券売機に背中を押し付けて撮ったものである。

写真の一番右には既にお店の反対側の端が見えている。

 

ちょっとわかりづらいかもしれないが、カウンター下の茶色い壁には、ウッドパネルの繋ぎ目が映っている。これがお店のほぼ真ん中。

ここを強調し、今までの写真をもう一度振り返っていただきたい。

 

あと、カウンターの上の僕のグラスは撮影中移動させていないので、それも踏まえて見ていただきい。

 

f:id:yama31183:20200718171830j:plain

桔梗6

黄色い線と青いグラスは同じ位置。ただただ、驚愕の間取りであった。

ちなみに、居心地はすこぶるよかった。

狭いと落ち着く。…ネコのように。

 

 

うまい(蕎麦)

 

では、注文だ。小さな券売機にメニューが並ぶ。

かけうどん・かけそばなどは290円だが、せっかく信州に来ているので、信州っぽいものを食べたいな。

 

f:id:yama31183:20200718172249j:plain

桔梗7

僕は「安曇野わさびそば」をオーダーした。420円。

 

f:id:yama31183:20200718172418j:plain

桔梗8

わずか1分ちょいで、安曇野わさびそばがやってきた。

さすが駅ナカの立ち食い蕎麦屋。ここいらのレスポンスは非常に速い。

そしてうまそうだ。

 

f:id:yama31183:20200718172723j:plain

桔梗9

わさびそばは、すりおろしたわさびの根の部分を使っているわけではない。

葉わさびであった。

信州安曇野は水が綺麗かつ豊富であり、わさびの一大産地。だからこそできる、珍しいメニューなのだろう。

 

食べてみるとかなり辛い!でも爽やかなわさびの風味が鼻を衝く。

すりおろしたわさびと比べて、ずっとみずみずしく感じる。

…すごいうまいぞ、これは!

 

f:id:yama31183:20200718173247p:plain

 

今ね、この店内の感情の分布はこうなっている。

せまい」の中に、一点集中型の「うまい」が生まれましたぜ。

 

よーし、これで午後の旅も元気よく続けられそうだ!

 

 

狭さの謎を解明する

 

なぜこの店はこんなにも狭いのか。

まずは1つ重大なネタバラシをしてしまうと、この店の顔はもう1つあるのだ。

正確に言えば、僕が入った店員2名のブースは、いわば店の裏の顔。

ホントに文字通り「裏の顔」。

 

つまり表があるのだ。

ザックリした店周辺の間取りをご説明しよう。

 

f:id:yama31183:20200718221006p:plain

 

これで、本来のこの店の表側は、向かって上側のベンチスペースに面していることが、おわかりいただけただろうか?

そして、冒頭であえて僕はが入場券を買い、自動改札を通って店の裏側に回ったのも、ご理解いただけただろうか?

 

この店は、ベンチスペースで次の電車を待つお客さんなどをターゲットとしており、僕の入った裏側は、電車の乗り換えなどのように改札を出ない、ごく一部のお客さんへの門戸としているのだ。

 

…それでも「狭すぎるぜ!」ってお思いのことだろう。

今一度、裏側入口の写真を見ていただきたい。

 

f:id:yama31183:20200716232945j:plain

桔梗10

どうやら2002年までは写真のエレベーターはなかったそうだ。

 

エレベーターの設置により、店舗が圧迫されて現状のようになったらしい。

2001年以前の詳細な情報は掴めなかったので、そのときの裏側の形状がどうだったのかは不明だが。

 

いずれにせよ、わずか2名のスペースを諦めずに継続したことで、一部マニアが熱狂する極小蕎麦屋が誕生したのだ。

 

 

コロナと豪雨の渦中のインタビュー

 

僕には大きな懸念があった。

それは、この「withコロナ」のご時世において、「そば処 桔梗」のあの狭小空間はソーシャルディスタンスを100%確保できないだろうという懸念。

 

それでも2名入れているのだろうか?

それとも1名のみのスペースとしたのだろうか?

あるいは閉鎖…??

 

もし1・2名の場合、あの空間に消毒用アルコールなどを設置したのだろうか?

カウンターの端にチョコンと設置でもしたのだろうか?

 

疑問は尽きない。

では、取材だ。

ブログへの写真掲載許可申請等を兼ねて、統括している運営会社に質問をした。

 

 

それに対する質問の返信メールをいただいたのは、令和2年7月豪雨気象庁命名した一連の豪雨が信州を襲っている、まさにその日であった。

 

大変な中、蕎麦屋に関する返信をいただきすみません。

ちなみに、結構スピーディーに返事をいただいたにも関わらず、その返信メールはなぜか「迷惑メール」フォルダに分類されてしまっており、僕は1週間近く存在に気付かなかった。

ダブルすみません。

 

担当さんからのコメントによると、お店の裏側エリアはコロナ感染抑制の観点から、現在はクローズしているとのことだ。

あー…そうだよねー…、なかなか難しいしよねー。

 

ただし、広い表側エリアは営業しており、消毒用アルコールも設置されているそうだ。

おぉ、少なくとも現在も、あのおいしいわさびそばは食べられるぞ!

 

そして今後の展開なのだが、まずはどうにか1人ずつ利用できるようにしようと、対策を模索中なんだとか。

 

マジか!!

近日中に、究極形態「定員1名」の店に自己記録更新するかもしれないぞ!!

 

興味ある人、是非そのタイミングで訪問してみていただきたい。

そして、コロナの渦中にてがんばるお店を応援してきてほしい。

 

 

 

塩尻駅の、急いで歩いていたら気付かずに通過してしまうような、次元の狭間に迷い込んだ物語。

 

 店は小さいけれども、大きいドラマがそこにあった。

 

 以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: そば処 桔梗
  • 住所: 長野県塩尻市大門八番町9-1
  • 料金: かけそば290円、安曇野わさびそば420円、他
  • 駐車場: 駅前駐車場あり(30分無料)
  • 時間: 6:50~19:30(年中無休) 

 

 

No:020【島根県】習志野隕石だけじゃない!民家の屋根から床まで貫通した隕石があった!

2020年の7月2日深夜2時半ごろ、関東地方を横切る火球が目撃された。

火球とは、流れ星よりも遥かに明るい流星。

 

この火球は満月よりも明るく、目も眩むような閃光と共に空を走り、関東一円に爆発音を轟かせて消えたという。

 

深夜なので目撃情報はそこまでは多くはないが、爆発音で起きた人は多いと聞く。

 

www.iza.ne.jp

 

 その火球だが、その後に回収され、7/13に隕石だと分析結果が出たそうだ。

千葉県習志野市のマンションの手すりに激突して2つに割れ、「国立科学博物館」の調査にて「ふむ、これは宇宙からの飛来物ですな」って結論が出されたとのこと。

 

これにて、日本国内では53番目に確認された隕石となり、名前は「習志野隕石」となった。

 

この53個が多いのか少ないのか、僕にはピンとは来ないが、そういえば僕も隕石落下地点を見に行ったことがあったな。

確かその隕石は、今回の習志野隕石よりもずっとやんちゃな着陸劇を演出していた記憶がある。

 

今回はその記憶をちょっとだけ振り返ってみたいと思う。

 

 

 

秘境、島根半島北岸へ 

 

僕は島根半島北東部に位置する、七類港に来ている。

島根半島の北側ってのは、なかなかのローカルテイスト漂うエリアだ。

なぜなら、「島根半島北岸」って、日本の秘境100選にもエントリーされているくらいだから。

 

f:id:yama31183:20200715231438p:plain

 

参考までに、島根半島の地図を貼り付けさせてもらった。

島根半島はどこからどこまでが半島なのか、ちょっとわかりづらいので。

 

今回の舞台の七類は、その青丸部分に位置する。

 

f:id:yama31183:20200714222909j:plain

七類1

七類港は、隠岐の島に行く航路を運航している隠岐汽船の港だ。

現在は朝の7:00台なのだが、こんな時間から駐車場は相当に混雑している。

フェリー「おき」が目の前に停泊しているが、それに乗り込んでいる乗客の車なのだろうか?

 

さて、僕がここにやってきた理由。それはズバリ隕石だ。

この七類港に隣接する「メテオプラザ」というところでは、1992年にこの地に落下してきた隕石を展示しているそうなのだ。

 

f:id:yama31183:20200714223915j:plain

七類2

1枚目の写真にも写っている、この建物が「メテオプラザ」。

ついついフェリーに夢中になってしまってまともな写真が残っていないが、ずいぶんお金をかけたユニークなかたちの資料館で、遠目から見てちょっとした狂気を感じた。

 

そんなメテオプラザに少し興味があってやってきたのだが、目の前まで行って調べたところ、開館時間は9:00。

 

うーむ。さすがに7:00台の訪問では無理があったか。しかしここで1時間待機するほどの情熱も持てない。

とりあえず、ここはフェリーをしばらく眺めて無理矢理自分を満足させる。

 

f:id:yama31183:20200714224344j:plain

七類3

 

しかしながら、僕はそれで隕石を諦めたわけではない。

実は、隕石が直撃した地点に記念碑があるという情報を掴んでいるのだ。

車で10分ほどの近所だそうなので、今度はそっちを目指してみようと思う。

 

f:id:yama31183:20200714224615j:plain

七類4

僕の目指す、「美保関隕石」の落下地を示す看板が出てきた。

隕石の激突を食らったのは、松本さんというお宅らしい。なるほど。

 

看板に沿って木々の間のクネクネ道をしばらく走り、海岸スレスレに並ぶ小さな漁港の集落へとやってきた。

 

そんで普通に松本さんの家の前を通り過ぎたあと、「あれ?もしかして今のが…」って思って舞い戻ってきた。

なかなかに目立たない場所に、その記念碑は佇んでいた。

 

 

隕石の直撃を受けた家

 

まずは隕石をその身で受け止めた、松本さんのお宅をGoogleマップストリートビューからご紹介しよう。

 

 

モニュメントの奥、木造2階建ての家屋が松本邸だ。

 

こんな感じで一個人の家を紹介してしまうのは、このご時世ではなんだか気が引ける思いもするが、さっきの通り看板にはデカデカと松本邸を示す看板が立っていたしね。

さらに、メテオプラザでは松本邸の詳しい間取りまで紹介されていたりするからね。パーソナルデータ大放出なスタンス。

 

f:id:yama31183:20200714230313j:plain

隕石1

これがモニュメントだ。

何をイメージしてこんな芸術的な造形になったのか、そっちのセンスがない僕には理解できかねるが、そのモニュメントの真ん中をよく見てほしい。

 

…石、挟まっているだろ?

それが1992年にここに落下した、美保関隕石の実物大のレプリカなのだ。

 

f:id:yama31183:20200714230515j:plain

隕石2

美保関隕石のサイズは、最大長25.2cm、重量6.38kgだ。

7/13に発表された習志野隕石が4.5cmの63gと、5.0cmの70gだから、その差は歴然。美保関隕石のほうが断然ビッグである。

 

デカくて重いということは、それだけ破壊力もあるということ。

先日の習志野隕石がマンションの手すりにゴチンと当たって2つに砕けてダウンしてしまったのに対し、ここの美保関隕石は屋根から床下まで一直線に突き破っている。

 

松本邸が木造であるという要因も大きいだろうが、いずれにしても怖いよな。

こんなビッグサイズの石、1cm上から落とされても痛いだろうに、宇宙空間から流星のように尾を引きながら突っ込んで来たら、屈強なおすもうさんでもディフェンス困難と推測する。

 

f:id:yama31183:20200714231347j:plain

隕石3

この隕石、嵐の夜に松本邸を突き破ったから、住民は「雷が落ちたのかな?」と思いつつそのまま寝て、翌朝になって屋根から床まで開いている穴に気付き、そしてその後に隕石だと発覚したとのことだ。

 

松本邸は、その穴を完全には修理をせず、その後も被害状況を公開したりしているとのことらしい。

 

http://starsight.on.coocan.jp/MAC/OAA/OAA_150_matsumoto.pdf

美保関隕石物語)

 

僕も関連するサイトはいろいろ巡ったが、上記リンクは隕石自体にはあまりスポットを当てておらず、隕石が落ちてきた家の人がうろたえる様を描くヒューマンドラマであり、切り口が秀逸だった。

 

あなたも隕石が自宅に落ちたときにうろたえないように、むしろいつ自宅に隕石が落ちてもいいように、予習のために読み込んでおくとよいと思う。

 

ちなみに本物はさっきのメテオプラザで展示されている。

まさにこの隕石を紹介するためだけに存在する巨大資料館である。1つの隕石の落下が、島根半島北岸の小さな港にデカくて奇抜な資料館を爆誕させるに至ったのだ。

隕石の影響ってすごい。 

 

いや、違う。この程度の影響でよかった。主に悪い方向に影響が出なくって。

ティアマト彗星みたいに集落1個ぶっ潰すような被害は困るし。

ましてや白亜紀最後のK-Pg境界を引き起こした隕石は、直径10㎞だからな。恐竜はおろか、植物も大半が絶滅し、衝突の粉塵で数年は夜が続いたそうだからな。

 

美保関隕石にせよ習志野隕石にせよ、怪我人がいなくって本当に良かった。

 

f:id:yama31183:20200714233112j:plain

隕石4

ありがたいことに、モニュメントの横には比較的詳しい説明版が設置されていた。

これで、情報量はメテオプラザには遥かに劣るものの、そこそこの把握はできる。

一部を引用すると、以下のような感じだ。

 

国立科学博物館島正子博士らによる迅速な分析研究の結果、約6100万年の間ほぼ現在の形で宇宙を漂っていたことが分かった他、世界で初めての放射性核種が検出されるなど貴重なデータが多く得られました。

また驚くべきことに、落下が目撃された世界最古のいん石とされる「直方いん石(861年福岡県)とは、火星と木星間に存在する小惑星群の中の同じ母星から宇宙に飛び出した可能性が極めて大きいとのことです。

「宇宙の双子」が地球上の日本に衝突して再会できるとは、まさに天文学的な確率の奇跡といえましょう。

 

直方隕石とのロマンスはよくわからないが、とりあえず国内で数10例しかない隕石なのだから、大変貴重。

 

これがもしあと数mズレていたら、目の前の海に落ちたのだから、松本さんは「デッカい雷だったなー」で終わり、永久に隕石だと気付かなかったろう。

 

 

f:id:yama31183:20200714234423j:plain

島根半島北岸

松本邸を出発した僕は、島根半島北岸を西に走り始める。

 

ここからの道はとんでもなく狭く、そして永久と思われるほどに長かったんだけど、それはまたいつか機会があったら話そう。

 

 

ところで、先日の習志野隕石はその点が非常にレアで、飛行している火球から落下位置が推定され、そして発見に至った国内初めての事例と言われているそうだ。

インターネットの普及によるところも大きいと思うが、すごい実績を上げたのだね。

 

 

 

空を見上げれば、そこにはいつもと同じ、何の変哲もない夜空が広がる。

しかし、星々が飛び交う無限の宇宙の中に、この地球が浮かんでいる。

そこで暮らす僕らも、宇宙の一部なのだ。

 

そんなことを感じさせてくれたスポットであった。

 

 

 以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 美保関隕石 落下記念碑
  • 住所: 島根県松江市美保関町七類690-1311
  • 料金: 無料
  • 駐車場: なし。ただし短時間であれば、付近に停めておいて大丈夫かも。
  • 時間: 特になし 

  

 

No:019【山梨県】自殺の名所、「青木ヶ原樹海」!!誰もいない早朝に単独探索してみた!

富士の樹海こと、「青木ヶ原樹海」。

富士山の山麓に位置する広大な原生林である。

 

日本でもっとも有名な自殺スポットではないだろうか。僕も小学生のころから、「あそこは恐ろしい場所だよ」と、村に古くから伝わる悪霊の伝説のように聞いていた。

もう樹海と聞いただけで、忌まわしいものを見たかのような気持ちになったものだ。

 

確かに樹海は怖い。確かに自殺者も多い。

しかし、世間一般で言われるほどの「入ったら抜け出せない魔の森」ではなく、散策用の道も整備されているという。

(もっとも、それを踏み外したらマジに遭難の可能性が高くなるらしいが)

 

青木ヶ原樹海は、怖い顔も持っているけど、きっと一般観光客向けの優しい顔も持ちあわせているのだ。二面性なのだ。

だったら僕は、そのスレスレの部分を歩いてみよう。

 

…1人で。

 

f:id:yama31183:20200712000924j:plain

樹海1

 

 

 

富士山麓車中泊

 

本編とは直接関係ないが、気分を盛り上げる意味も兼ねて、前夜に富士エリアで車中泊をしたので、その話からしよう。

 

f:id:yama31183:20200712132813j:plain

富士1

…暗い。灯り1つ無い、漆黒の闇。

ここは「富士山スカイライン」の標高1200m地点にある、「西臼塚駐車場」だ。

時刻は深夜の1:35

6月だがこの場所のこの時間は、気温1ケタである。寒い。

 

そんな富士山の深い森の中だが、ここに来るまでの走行中、シカ10数匹・ヒト1人を目撃した。

シカについては、ホントたくさん道路に飛び出してきてサファリパークて的な気分を味わえた。

ヒトについては、この極寒かつ真っ暗な深夜の山道を、リュックを背負いヘッドライトのみで1人歩いていて、ホラーな気分を味わえた。

 

f:id:yama31183:20200712143459j:plain

富士2

さて、駐車場に入ったものの、愛車パジェロ・イオのヘッドライトでは、どんな広さの駐車場でどういう区画になっているのかすらわからない。

そのくらいの闇なのだ。

また、路面が砂利のダートなので、例え区画があったとしても、この闇ではわからないレベルだと思われる。

 

少なくとも、ヘッドライトを照らした範囲内では他に車も停まっておらず、ある程度の広さの敷地内に僕以外はいなさそうだった。

 

さらには、周辺には車通りもないし、一切の照明もない。

それだけに空は満天の星空だった。天の川も見えた。

 

では、闇に抱かれて寝るとしよう…。

いつもそうしている通り、車の窓を少し開けて寝ることとした。

 

f:id:yama31183:20200712143809j:plain

富士3

すぐ横で、ヒソヒソと人の話し声がすることに気付いたのは、それから間もなくだった。

 

今初めて気づいたような気もするし、横になる前に星空撮影をする際に外に出たときにも声が聞こえていたような気もする。

でも、とにかく話している人がいるの。内容までは聞き取れない。

 

さっき駐車場に車で入ってきたときには僕以外の人や車はいないように感じたが、実はいたのか。

真っっっ暗なので全然周囲は見えない。目は開けていても閉じていても同じだ。

しかし話声の音量から、ここからの距離は10mほどではないかと推測した。

 

結構近い。地面が砂利だから、テントでも張っているのだろうか??

僕は星空撮影のために車のドアを開け閉めしたり、携帯電話のカメラで「パシャ」とか音を鳴らしていた。

ご迷惑でしたね、すみません。

 

改めて、僕は布団に潜り込む。

 

 

 

深夜の2:20

 

 

 

寝 れ な い

 

 

ナニコレ?

 

寝れない事件勃発。

さらに頭がイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ

ついでに気持ちが悪い。

 

そして、隣からのボソボソ声がまだ聞こえているんだ。

たぶん男女。ある程度抑揚があるので、断じて動物や鳥の声ではない。

真っ暗な中、何時まで起きているんだよ…。

 

 

 

… うーん、うーん …

 

どのくらい時間が経ったのかわからないけど、まだ寝れない。

車中泊の旅はこれまで無数にしていたけど、こんなことって初めてだ。

 

もしかしたら寝れていたのかもしれないけど、すごく眠りが浅くて寝た気になっていないパターンかもしれないが。

だとするなら、体は寝ていても頭は起きているような、一番疲れるパターン。

 

時間を確認したいが、時計は真っ暗で見えない。

携帯電話を見れば液晶画面から確認できるが、その光でまた目が冴えてしまうことを懸念して辞めた。

 

それにしても、隣は何を話し込んでいるのか…。

窓を閉めておけばよかったなぁ、ホント。

 

 

4:05、起床。

ほとんど寝れていないけど、起きた。

若干空も白み、周囲が見渡せるようになったし。

 

イテテテテテ…。

頭痛に耐えながら、気になる隣人を確認するため、重い体をシートから起こし、窓から外を覗いてみたんだ。

 

f:id:yama31183:20200712145709j:plain

富士4

 

だーれも いませーん …

 

どういうこと?

ついさっきまで話し声が聞こえていたよね?

 

僕が寝ている間に出発しちゃったのかもしれないけど、車にしろテントにしろ、それなりの音はするハズだよね…?

あれれ?なんだ?オバケか??

 

どっちでもいいけど、なんか気分悪いので早めに出発しよう。

死ぬほど頭が痛いし、右腕がハンパない倦怠感なんだけど、なんとかパジェロイオにエンジンをかける。

 

ブルン、ブロローン…。

 

エンジンがかると共に、なんかメチャクチャ生臭い風がエアコンの吹き出し口から出てきた。

 

おっ、おえぇぇぇぇ--…。

 

なにこの臭い。強烈。ダメこれ。

早く走ろう。窓全開で走って、車内の空気を浄化しよう。

 

僕は起きてからわずか5分後、4:10にアクセルを踏んだ。

 

f:id:yama31183:20200712150600j:plain

富士5

サイドミラーを見てみると、黒い森の向こうから富士山がデロ~ンって出てきた。

うわっ、キモッ!

壮大で神々しいはずの富士山が、このときばかりは邪悪に見えた。

 

このあとは、「朝霧高原」で朝食を食べたり、日の出を眺めたりと、なんやかんやがあったのだが、そこは割愛しよう。

 

早朝5:30、僕は青木ヶ原樹海にやってきた。

 

f:id:yama31183:20200712154105j:plain

富士6

霧の中の青木ヶ原大橋を渡る。

 

…いろんな意味でトワイライトゾーンだぞ、この先は。

 

 

樹海を単独散策する 

 

※特にヤバい写真はございませんが、想像力が豊かな方については食事中の閲覧はお辞めいただけるようお願いします。

 

最期の地を探す心理 

 

僕が今回探索の起点として選んだのは、「富岳風穴」という樹海内の観光洞窟の脇から入る散策路だ。

風穴の駐車場の端の端、一番樹海の開口部付近に愛車を停めた。

 

f:id:yama31183:20200712161343j:plain

樹海2

もし、あなたが「なーんだ、観光地の横だったら、自殺者なんているハズないよね。安心安心。」とお考えなのであれば、それは間違いだ。

 

なぜなら、自殺者は樹海のエキスパートではない。

かつ、バスでの来訪が最多だ。マイカーで来るにしても、それなりな駐車場がないと駐車困難だし、タクシーにしても不自然ではないスポットを指定しないと、ゴリゴリに怪しまれるだそう。

 

そして、樹海エリアだけども1人でバスを降りても不自然じゃない場所といえば…。

ここ「富岳風穴」や「西湖コウモリ穴」・「鳴沢氷穴」の3箇所が、その筆頭なのだ。

 

f:id:yama31183:20200712172935j:plain

樹海3

ちなみに、上記の理論は下記リンク先の文書を参考とさせていただきました。

 

青木ヶ原自殺対策事業【山梨県
山梨県福祉保健部障害福祉
https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12200000-Shakaiengokyokushougaihokenfukushibu/33.pdf


◆自殺多発地における保健所・精神保健福祉センターの取り組み
山梨県精神保健福祉センター
山梨県富士東部保健福祉事務所
https://www.pref.yamanashi.jp/seishin-hk/documents/22-2j.pdf

 

さて、上記の通り現在の時刻は早朝の5:30台。

こんな静まり返った時間帯に、僕のような根暗そうなメガネボーイが1人で歩いているところを目撃されたら、マジに上記引用したようなボランティアスタッフから心配して声をかけられるだろう。

 

そうならないうちに、僕は霧に紛れてスルリと樹海に潜入するとしよう。

では、ちょっと留守番を頼むぜ、我が愛車!

 

f:id:yama31183:20200712194321j:plain

樹海4

樹海には、『借金は必ず解決できる』とか『命は親からもらった大切なもの』だとかの、自殺抑制のおなじみの看板がある。

 

そして、それに加えて異様に圧迫感を感じたのは、監視カメラだった。

こちらをジッと熱烈に見つめる眼差しを感じた。

 

f:id:yama31183:20200712210216j:plain

樹海5

カメラにはこっちもカメラで対抗だ。

僕もオマエを監視してやろう。「深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」。

 

f:id:yama31183:20200712210458j:plain

樹海6

僕は久々の樹海潜入だ。しかし単独は初めてだ。

 

ところで樹海の内部であるが、おそらく誰もがイメージする樹海に比べて、木々は細い。

原始時代からの巨木がうねるように育っているさまを想像するかもしれないが、意外と貧弱なのだ。

 

f:id:yama31183:20200712213642j:plain

樹海7

なぜなら、樹海はまだ若い森。

だいたい、1200年前にできたばかりという。

 

西暦864年、富士山は大きな噴火をした。ダイナミックに溶岩が流れ、北西の山麓を一面焼け野原にした。

その溶岩が冷え固まった後、若い木々が芽吹き、少しずつ森となった。

それが青木ヶ原樹海だ。

 

f:id:yama31183:20200712214010j:plain

樹海8

溶岩の上の森だから、十分な土がない。

土がないということは、栄養も少ないわけだし、木々が高く太く伸びようとしたところで、そのウエイトを支えるだけの基盤がない。

だから、木は細いのだ。

 

f:id:yama31183:20200712214224j:plain

樹海9

だから、このように太くて立派な木があると「おっ」って思って足を止めてしまう。

 

それと、木々は針葉樹が多い。僕は木の種類は全然詳しくないけど、ヒノキやツガが多くを占めると聞いたことがある。

これらの木は、枝分かれがそんなにない上、分岐したとしても人間の手が届かないような上の方だったりしている。

 

僕は、正直自殺者の気分で周囲をキョロキョロしていたのだが、安易にロープを設置して首を吊れそうな木はそうそうはない。

 

f:id:yama31183:20200712214811j:plain

樹海10

例えばこのようなちょうどよい感じの木は、かなりのレア案件だ。

もしかしたら、何度か使用されてしまうのかもしれないなって思ってしまう。

 

あなたは「いや、そんな歩道の近くで自殺なんてしないでしょ?」と思うかもしれない。僕もそう思った。今でもちょっとそう思う。

しかし、「見つけてほしい」という心理も働くらしく、すっごい樹海の深部で自殺する人は少ないそうだ。

むしろ、歩道付近が多いのだと聞いたことがある。

 

f:id:yama31183:20200712215159j:plain

樹海11

また、首を吊らないにしても、心理学的に人間は無意識に特徴的な場所でその歩みを止める傾向があるのだという。

 

「ちょっとここで小休止」・「ここで携帯電話をチェックしようか」。

それらの行動に関係がなくっても、人は何かランドマークとなるところで立ち止まる。それが己の人生を終える場所であれば、なおさらかもしれない。

 

上の写真のように、細い木が乱立する中に突如としてユニークな樹木があったら、それは最期を迎えるスポットとして魅力的に映るのだろうか…。

 

f:id:yama31183:20200712215748j:plain

樹海12

だから、昔どこかで耳にしたことがある。

 

青木ヶ原で毎年行われている一斉捜索では、だいたい決まったところを探せば自殺者の遺体を見つけられる可能性が高いのだと。

最期の地を探す者の心理は、みんな似通っているのかもしれない。

 

 

どこかの誰かの「落とし物」

 

前項に続いての見聞だが、自殺者は夕方くらいに現地入りするケースが多いと聞いたことがある。

つまり、発見されるとしたら翌朝である。

 

だから、僕は実は少しだけビクビクしているのだ。

だってさ、本日最初の樹海の訪問者は、きっと僕なのだから。

 

f:id:yama31183:20200712220430j:plain

樹海13

こんなものを見てしまうと、一瞬「ヒュッ!」っとなって息が止まってしまう。

 

人によっては、やはり最期に「見つけてほしい」という感情が働くのか、身に着けているものを歩道そばの目につきやすい場所に残してから、奥のほうへと足を踏み入れるケースも多いようだ。

 

では、僕が樹海の中で見かけた人工物を紹介しようと思う。


 

f:id:yama31183:20200712221002j:plain

樹海14

これは歩道から少し離れた場所で見つけた。

お酒の空き缶、5本だ。

樹海の中で、パーリーピーポーが酒盛りしていたのか?

そうでないとしたら、お酒の力を借りたのか? 

まだ前者であることを願いたい。

 

f:id:yama31183:20200712221227j:plain

樹海15

コンビニ弁当だ。牛カルビ。おぉ、なかなかの奮発ではないか? 

これも歩道から少し反れたスポットにあった。賞味期限は2ヶ月前。

 

牛カルビ弁当をコンビニで買って温めてから、ここでピクニックをしたのだろうか?

オニギリ・サンドイッチのような常温に強いものか、せめて冷めてもおいしいオカズのお弁当をチョイスしたほうが無難と思われるが…。

 

この弁当の主は、牛カルビ大好き人間のピクニックの残骸なのだろうか?

それとも、最期に奮発して一番高いお弁当にしたのだろうか?

まだ前者であることを願いたい。

 

f:id:yama31183:20200712221817j:plain

樹海16

f:id:yama31183:20200712221848j:plain

樹海17

スズランテープも、歩道を反れたところに設置されていた。

前者は目で追えないほどに深部に繋がっている。

 

興味本位の探訪者なのだろうか?

後者の2本の木の間を渡したテープは、何のためなのだろうか?

 

f:id:yama31183:20200712223259j:plain

樹海18

いずれにせよ、ほとんど茶色と緑だけで構成されるこの世界において、白や赤というのはすごく目立つのだ。

それだけで、小心者の僕の心臓は、ビクッと跳ね上がる。

 

f:id:yama31183:20200712222848j:plain

樹海19

なかなかにオーパーツ的なものを発見した。

最初は電源ケーブルかと思ったが、これは違うよな??

 

たぶん玉碍子(がいし)だ。電線の支線部分の絶縁に使われる、磁器のパーツ。それと、ダランと横たわっているのは電線だ。

もしあなたが気になるのであれば、下記リンクから「玉がいし」を調べてみてほしい。

 

ja.wikipedia.org

 

f:id:yama31183:20200712223505j:plain

樹海20

…これは灰皿だろうか?土管のような造りだが。

Webで調べたところ、こういう灰皿も存在はしていたこともあるそうだが…。

しかし、原生林の中に灰皿とは、にわかには信じられない。昭和時代の名残か?

 

この原生林には、旧時代の落とし物もあるようだ。

 

 

美しき原生林

 

僕がこの青木ヶ原に来た目的の1つは、「単純に原生林を楽しみたい」というもの。

 

昔から森林ウォークは好きだし、屋久島では苔の魅力に目覚めたし、来週も「関西最後の秘境」と言われる原生林を探索する予定なのだ。

その前哨戦の意味もあって、今回この原生林へとやってきたのだ。

 

f:id:yama31183:20200712224734j:plain

樹海21

前述の通り、青木ヶ原樹海のベースは溶岩である。

噴火の際の溶岩流はすごい起伏がある。そんな状態で溶岩が冷え固まったから、地面もデコボコなのだ。

 

そのデコボコの上に、わずかな土壌があり、苔がそれを覆っている。

それが青木ヶ原の特徴だ。

 

f:id:yama31183:20200712225425j:plain

樹海22

中には、その当時の溶岩がそのまま露出している部分もある。

30haある青木ヶ原は、全てが溶岩フィールドなのだ。

 

さらに、その溶岩をしっかりとホールドするために、木々は溶岩を伝うように根を張る。いかんせん、潜り込むだけの土がないから、這うしかないのだ。

これでさらに地面はデコボコとなる。

 

f:id:yama31183:20200713193941j:plain

樹海23

まるで血管のように、木の根が地表を舐める。

 

この溶岩地帯を人が真っすぐに歩こうとしても、起伏が激しすぎて迂回などを繰り返さざるを得ない。

そうこうしているうちに、「真っすぐ」がどっちなのかさえもわからなくなる。

これが「迷い込んだら脱出できない森」の理由だ。

 

f:id:yama31183:20200712225725j:plain

樹海24

よく、山菜取りの人が行方不明になるニュースがある。

最終的に(生死にかかわらず)登山路から数100mも離れていない場所で見つかるケースが多いが、森ってそんなものらしい。

 

一度登山路が見えない場所に行くと、方向感覚を失う。

戻ろうにもどこから来たのかさえもわからなくなる。

普通の森でもそうなのだから、青木ヶ原樹海のこの起伏ではなおさらだ。

 

f:id:yama31183:20200712225937j:plain

樹海25

溶岩は固いから、躓いたりするとヘタすりゃ皮膚も肉もスパッと切れる。苔が覆っているから気付きにくいが、心の中にナイフを秘めているぞ、ソイツは。

だから相当な準備がないと、内部には足は踏み込めない。

 

当然僕も、歩道からはほぼ反れないように細心の注意を払った。

あと、万が一のためにマーカー用のスズランテープも持参してきている。

 

f:id:yama31183:20200712230251j:plain

樹海26

また、足元も注意だ。

溶岩樹型という現象がある。溶岩が流れて木々を飲みこんだが、その木々が悠久の年月を経て朽ちてしまう。そうなると、溶岩の中に木のかたちの空洞ができあがる。

 

樹海の中には、いたるところにそういうものがある。

大木が飲み込まれると、それはそのまますごい大きな落とし穴となる。

上の写真のように、細い木であれば小さい空洞となって残る。いずれにせよ、注意して歩いたほうがいい。

 

f:id:yama31183:20200712234418j:plain

樹海27

7:00になり、樹海の中までしっかり日が射し込むようになった。

あぁ、木漏れ日が美しい。

 

既に樹海に足を踏み入れてから1時間半。

この後の予定も鑑みて、僕は樹海探索を2時間半としておきたかったので、ここでUターンをする。

 

f:id:yama31183:20200712234649j:plain

樹海28

苔にも着目してみよう。

青木ヶ原樹海の特徴の1つが、この苔だ。溶岩の土壌をモコモコと緑に覆っている。

屋久島の「白谷雲水峡」を彷彿とさせる。

 

f:id:yama31183:20200713193115j:plain

樹海29

なんでこんなに苔が多いのかというと、駿河湾で発生する湿った空気が富士山に激突して雨や霧になるから。

高い湿度が保持されていることで、ここは苔の世界となっているのだ。

 

まさに一面、モスグリーンである。

 

f:id:yama31183:20200713193425j:plain

樹海30

青木ヶ原、それは貧弱な溶岩大地に必死に生きる、木々と苔の世界。

 

深い森に、今まさに日が差し込む。

神々しいな。

昨夜や今朝のダーティーな雰囲気を吹き飛ばしてくれるかのような、光のシャワー。森も喜んでいるかのようだ。

 

f:id:yama31183:20200713193739j:plain

樹海31

f:id:yama31183:20200713194207j:plain

樹海32

こんなにもステキな森。

東京都心からでも2・3時間で行ける大自然。心安らぐ森林浴スポット。

なのに日本最大の自殺の名所という、大変不名誉なレッテル。

地元はこの青木ヶ原のイメージ払拭に心血を注いでいる。

 

f:id:yama31183:20200713194416j:plain

樹海33

 

苔たちが、頭をもたげて僕の歩みを眺めている。

苔たちに見送られ、僕は最初の富岳風穴に順調に戻りつつある。

 

さぁ、そろそろゴールだ。2時間20分ほどに及ぶ、僕の早朝ウォーキングが終わりを告げる。時刻はまだ朝の8:00前だが、今日という日に大きな満足感を得られた。

 

f:id:yama31183:20200713194556j:plain

樹海34

 

ありがとう、青木ヶ原樹海。

少しだけ怖い、でも美しい森。

 

この森に、笑顔が溢れる日を僕も待ち侘びる。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

 

No:018【東京都】ビルの谷間に昭和初期の老舗旅館!!実際に宿泊してみた話をしよう!

東京都中央区

その名の示す通り、我が国のまさに中枢に位置するスポットです。

例を挙げれば、東京駅の東口から銀座や日本橋などなど…。

 

そんなところでの宿泊と聞けば、あなたはどのようなイメージをしますか?

 

オシャレなドレスやパリッとしたスーツ、絵に描いたような幸せそうなカップルやファミリー、そんな彼等が夜景の見える高級ホテルのレストランでグラスを傾け…。

といったイメージではないでしょうか?

 

…だとするならば、その夜にこの男が訪れた宿はいったいなんだったのでしょうか?

 

もしかしたら、この男は、本人も気づかないうちに奇妙な世界に引きずり込まれてしまっていたのかもしれません…。

(ここまで、「世にも奇妙な物語」のストーリーテラー風に)

 

f:id:yama31183:20200705230341j:plain

 

 

チェックイン

 

東京都心で1泊しよう。そう思い立ったのが発端であった。

最初は、老舗旅館に泊まろうだなんて、露ほども考えていなかった。

安く素泊まりできるビジネスホテルとかあればなって思っていた。

 

しかし甘かったのだ。 

都心のホテルはどこも高い。地方であれば1泊2食でヘタすりゃ温泉まで入れるような値段でも、都心ではビジネスホテルで素泊まりすらできないレベルだったり。

探せば安いホテルも無くはないが、もう既に予約も埋まっていた。

 

ならば僕は…。

絶対に大手のホテル予約サイトに載っていなさそうなところで攻略を始めた。それが、この宿との出会いであった。

 

 

f:id:yama31183:20200706233944j:plain

大宗旅館1

10月も中旬に入っているのに、その日の東京はジメジメと蒸し暑く、非常に不快であった。

気温は30℃近く、おまけに雨。

時刻は既に22:00を過ぎていたが、空気は水気を含んでジットリと重いまま。

シャツは汗で張り付き、すこぶる不快だ。

 

ここは築地のビルの谷間。

僕の行く手に、目指す宿が見えてきた。上の写真に既に写っている。

 

f:id:yama31183:20200707231545j:plain

大宗旅館2

ここだ。

隣はアパホテルとか立体駐車場とかの、そんな並びにいきなり木造の瓦の日本家屋。この家だけ、時空転生されて昭和初期から現代にワープしてしまったかのようだ。

そんな家屋が、夜の闇にヒッソリと佇んでいる。

 

その宿の名は「大宗旅館」。

昭和初期に建てられ、戦火を免れて奇跡的に残っている、歴史的建造物だ。

 

f:id:yama31183:20200707231953j:plain

大宗旅館3

なんだかミスマッチだよね、これ。

本来であればこういう建造物は、田園地帯の広い庭の中に建っているのがお似合いなんじゃないかと感じる。

 

だが、これはまさしく現実だ。

雨の中で傘やバッグを持っていてもどかしいが、カメラで必死に外観を撮影した。

これはすごいぞ。まさしく昭和の遺産。そうそう拝めるものではない。ましてや、ここに宿泊できるだなんて、夢のようだ。

 

f:id:yama31183:20200707232504j:plain

大宗旅館4

特にこの辺りが好きだ。妖艶な雰囲気すら感じる。

背後の立体駐車場さえ見えなければ、どこぞの温泉街の老舗旅館だと言っても気付かれないであろう。

 

f:id:yama31183:20200707232715j:plain

大宗旅館5

玄関の扉は少しだけ開いている。

僕が先ほど到着が遅くなる旨を電話したところ、オーナーのおばあちゃんは「扉を少し開け、お風呂を用意して待っているからね」と言ってくれたのだ。

 

では、大宗旅館、お邪魔します。

 

ガラガラッと引き戸を開けて中に入ると、おばあちゃんが出迎えてくれた。

早速を2階の部屋へと案内してくれる。

うおぉ、階段がどえらい角度だ。さすが昔の日本家屋。

 

f:id:yama31183:20200707233148j:plain

大宗旅館6

2階には2部屋。

この宿は客室が2部屋しかなく、1階の部屋はオーナーさんの住居のようだ。

ちなみに素泊まり専用の宿である。

 

そしてこれが僕の割り当てられた部屋だ…!

 

f:id:yama31183:20200708224622j:plain

大宗旅館7

 

ステキ!!

 

昭和でじっくりことことダシを取ったかのような、渋すぎる空間。

 

小さい頃、母方のじいちゃんの家の客間で1人ポツンと寝た思い出が蘇る。静かで暗くって、天井の模様が気になって、そして柱時計がコチコチと針を刻んでいて…。

 

そんなことを思い出す、ちょっと怖くて懐かしかった記憶。

たまんねーわ、ここ。

 

実はね、この宿に電話予約をした際、おばあちゃんが「畳ですよ、本当にいいんですか?」って3回くらい聞いてきたの。

 

畳、いいじゃないですか。普段はベッド派な僕だけど、今日こそは畳に布団ですわ。是非、畳と濃厚なスキンシップ取りたいわ。

 

f:id:yama31183:20200708225141j:plain

大宗旅館8

おばあちゃんとは、そのまましばらく僕の部屋で世間話をした。

 

僕がどういう要件でここに来たのかの質問だとか、明日の朝の予定だとか、以前に「築地市場」目当ての外国人観光客が来たときの話だとか…。

ちなみに、今日の宿泊客は僕だけだそうだ。

 

おばあちゃんはひとしきり楽しそうにお話をし、満足そうに去って行った。

気さくでいい人だ。下町テイストを感じた。

 

 

バスタイム

 

ちょっとの間、部屋に冷房を入れてクールダウンさせた。

いやぁ、10月にクーラー使うとは思わなかったわ。東京は暑い。今日は特別に暑い。半袖で充分なのにジャケットだったから、汗だくだ。

 

それでは、おばあちゃんがお風呂を準備してくれたそうなので、汗を流してスッキリしてこよう。

 

f:id:yama31183:20200708225826j:plain

大宗旅館9

 

わー…。いきなりすごいの来たー…。

 

 

ここは1階のお風呂の脱衣所だ。

これ、現代の東京なんだぜ。江戸じゃないんだぜ。

 

この時代の東京都心でこういう宿のお風呂に入ったことが、後年自慢できそうな気がする。

数10年後、こういう建築物はお金を出して拝観するようなスポットになってしまうかもしれない。しかしそれでは味気ない。

 

ライヴ感。これ重要。

こうやってハダカになって風呂飛び込んで味わってこそだぜ!イェイ!!

 

f:id:yama31183:20200708231122j:plain

大宗旅館10

お風呂、不思議な造りだ。

絶妙な位置に衝立のようなタイルの壁があり、浴槽を挟んで洗濯機。

 

これさ、洗濯機にシャワーのお湯とか盛大にかかってしまったら、故障の原因になるのではないだろうか?

そもそも、なぜにお風呂に洗濯機??

 

この位置だと、シャワーを豪快に使うと洗濯機が濡れてしまいそうなので気を遣う。

「では逆向きになればいいじゃない?」と思うでしょ。

その反対側がこれだ。

 

f:id:yama31183:20200708231534j:plain

大宗旅館11

木枠の引き戸である。

これまた守備力には不安を感じさせる造りだ。

 

確かこの引き戸の向こう側って廊下だよな?確かめようにも、ガラッと開けたら廊下で、そこにおばあちゃんがいたら双方気まずいので自粛しておこう。

とりあえず、ここにシャワーのお湯がかかると、廊下水浸しの懸念があることも踏まえておかねばならぬ。

 

f:id:yama31183:20200708232007j:plain

大宗旅館12

…ほらね。ちゃんと僕のような好奇心にブレーキかかりづらい人に対するアラートが出ているでしょ?

こっちもあっちもお湯かけ禁止よ。「前門の虎、後門の狼」よ。

 

しかし、シャワーを浴びたあとの湯舟、気持ちいいーー!

「ふぅー」とため息をつきながら、天井を見上げた。

 

f:id:yama31183:20200708232244j:plain

大宗旅館13

 

…天井、高いな。

 

そんでエアコンとお札。

チグハグ感がハンパない。洗濯機だし、木の引き戸だし。

 

これ、タヌキに化かされていないよね。

ちょっと里山から人間界に降りてきたタヌキが、村で見たものを無秩序に詰め込んでこの空間を作り出したんじゃないよね?

 

僕、実は都心のビルの谷間の路地でハダカになって「ふぅー」とか気持ちよさそうに唸っていないよね??

 

 

f:id:yama31183:20200708232538j:plain

大宗旅館14

部屋に戻ると、ジャストタイミングでおばあちゃんが冷たい麦茶を持ってきてくれた。

ありがたい。

高校時代にインターハイ出場校の有能なマネージャーだったんじゃないかってくらいのナイスタイミングのドリンク提供だ。

 

クーラーもつける。

夏だ。風鈴をぶら下げれば、もう夏の夜だと思う。

 

おばあちゃんは、今しがたTVで見ていたという、スポーツ観戦の話を興奮気味にいろいろ話していた。

 

だけども僕は、日中の疲れでもう半分も話が頭に入ってこなかった。

「スポーツ観戦ね。あぁ、やっぱ高校時代はマネージャーだった説、濃厚。」と思いながら冷たい麦茶が喉から胃に落ちていく感覚を、ただ楽しんでいた。

おばあちゃんの話をBGMに。

 

 

f:id:yama31183:20200708232946j:plain

大宗旅館15

上の写真は、僕の部屋を出た目の前の風景である。

右側には急な下り階段。右奥にはダークな雰囲気の洗面台がある。なんだかホラーだが、少なくとも2階には他に洗面台はない。

ここで歯磨きをした。

 

f:id:yama31183:20200708233309j:plain

大宗旅館16

闇がヒタヒタと背後に迫ってくる気配を感じ取れるようだ。

 

ここが「バイオ・ハザード」の世界であるのならば、きっとあの奥の扉を開けようとしたら2・3匹のゾンビが出てくるぞ。

今の僕はマグナムもグレネードランチャーも所持していないから、せいぜいこの歯ブラシでゾンビを叩きのめしてやろう。

 

暗闇を睨みながらの、そんな歯磨きタイムだった。

 

f:id:yama31183:20200709224621j:plain

大宗旅館17

旅館の和室の窓際にある、小さいテーブルと椅子が置かれた、インナーバルコニー的なスペースの正式名称を知っているかい?

あれは「広縁」というのだよ。
 

僕の泊まった部屋にもそれがあった。

イスの幅ギリッギリのコックピットみたいな感じで、広縁というより狭縁って感じだったけど、試しに座ってみたら妙に収まりがよかった。

 

しかし、今日はもう究極に疲れている。フラフラなのだ。

寝ることとしよう。

 

 

チェックアウト

 

翌朝は、6:00には起きてちょっと外に朝食を食べに行った。

 

ちなみに今日も雨だが、気温は昨日から急降下。最高気温でも15℃だという。昨日は30℃ほどだったから、一気に15℃のクールダウンだ。

寒々しい1日となりそうだ。東京の夏日もこれで終わりだな。

 

f:id:yama31183:20200709225603j:plain

大宗旅館18

間もなく大宗旅館ともお別れだ。外から部屋に戻り、身支度を整える。

 

かなり短い滞在時間だった。

部屋の中で意識を保っていた時間は、本当に少ない。

広縁のイスで読書だとかして、ノンビリと過ごしてみたかった。それが心残り。

 

f:id:yama31183:20200709225914j:plain

大宗旅館19

このような都心の立地だから、窓の外は道路を挟んで高いビル。

あっちのビルの窓からこっちも丸見え。眺めがいいとは言えない。老舗旅館の窓の外にオフィスビル

 

こんなミスマッチな光景が他にあるだろうか?

 

f:id:yama31183:20200709230245j:plain

大宗旅館20

 

さぁ、では出発だ。

本日はこのあとすぐに行かねばならない場所があるのだ。

 

荷物をかけてチェックアウトのために玄関へと向かう。

おばあちゃんを呼ぶために、「すみませーん!」と声を上げた。

 

 

 … 静寂 … 。

 

 

アレ?

 

「チェックアウトしまーす!おばあちゃーん!!」

 

… 仄暗い旅館からは何も聞こえてこない。

 

ヤッベ。まだ寝ているのかな?それともちょっと耳が遠いのかな?

朝早くにチェックアウトすることはキチンと伝えておいたんだけどな…。

 

管理人部屋がどこかもわからない。

そもそもそういう位置付けの部屋は存在しないのかもしれないが。

 

とりあえず「おーい、おーい!」と、遭難者を探すみたいな感じに、古(いにしえ)のラビリンスを練り歩く。

おばあちゃんのプライベート空間に突撃するわけにはいかないから、廊下から自分の中の存在をアピールし続ける。

 

しかしその努力は徒労に終わった。途方に暮れて玄関にまた戻ってきた。

あと10分で築地駅前まで行かないといけないんだどな…。

マジでヤベーだろ、これ…。

 

そんな絶望の玄関で、僕はすごいものを発見してしまった。

 

f:id:yama31183:20200709231221j:plain

大宗旅館21

…なんだこのギミックは…。

そっか、これは呼び鈴だ。

キツツキのおもちゃではあるが、その下の紐を引くとカッコンカッコンと鳥が動いてクチバシが板をつつき、音が出る仕組みだ。

 

ははーん。僕はすべてを理解し、ニヤリと不敵に微笑んだ。

 

 

 

「キツツキの紐を引く」という条件を満たすことでTrue(正しい)シナリオが起動し、「おばあちゃん登場」というアクションが実行されるプログラムだ。

 

これは例えると、初めて入ったラーメン屋でドッカリとイスに座って「チャーシュー麺!」とオーダーしたら、「後ろの券売機で食券買ってー!」と言われる、あのお決まりの儀式だ。

「券売機で食券を買う」というTrueシナリオを実行しない限り、「ラーメンが出てくる」というアクションは起こりえない。

 

今頃おばあちゃんは、そこいらの襖の陰で息を殺して、僕の次のアクションを窺っていることだろう。

 

大宗旅館における通過儀礼(イニシエーション)、これにて突破!!

 

僕は得意げになって紐を引いた。

カッコンカッコン、乾いた音がした。

 

 …  … 

 

 

静寂。

 

 

なにこの展開。

 

f:id:yama31183:20200709232008j:plain

大宗旅館22

『音を強くお呼びください』

 

わかりそうな、わからなそうな、絶妙なフレーズの貼り紙がしてある。

…比較演算子。何デシベルか知らないけど、オブジェクトの音量が規定数値に対し「≧(大なりイコール)」となる必要があったか。

 

カッコンカッコン、カッコンカッコン…

 

 

必死にキツツキを鳴らすけど、相変わらず頼りない音だし、おばあちゃんの気配はナッシングだし。どうするよ、これ。

 

 

心が折れる寸前で思いついた次のアクションは、この宿に電話する方法。

携帯電話を取り出し、大宗旅館に電話する。

まさに今いるこの宿内に、コール音が鳴り響く。

 

横の廊下の奥で、何かが「ズズッ…」と動く音がした。

そして「もしもし…」とおばあちゃんが電話に出た。やった!

 

僕は事情を話した。

おばあちゃんは、まさか宿内の僕から電話が来るとは思っておらず、一瞬事態を飲みこめていない様子だったが、すぐに理解してくれた。

そして明るい声で「あらあらYAMAさん。朝ごはんはもう食べてきたの?静かだったからチェックアウトはまだかなーって思っていて、それでね(以下略)」

 

いや、全然静かじゃなかったし。

むしろ喚いていたし。

そんで早く玄関出てきてくださいな。電話での僕とのこの通話、もはやおばあちゃんの肉声までもがこっちに届いていますぜ。

 

…ということで、おばあちゃんと無事再会(?)し、チェックアウト手続きできた。

 

 

f:id:yama31183:20200709225648j:plain

大宗旅館23

昨夜からヘロヘロすぎて、次の行き先である築地駅の場所を調べる時間がなかった僕。

おばあちゃんに駅の場所を質問したら、「案内しますよ」と提案してくれた。

 

それはすっごいありがたいんだけど、もう本当にあと数分の猶予しかないところにおばあちゃんがゆっくりゆっくり先導してくれて、マジこの寒い朝に変な汗をかいたりして。

まぁでもなんとかギリギリで次の予定に間に合うだろう。

 

 

朝の築地の商店街の一角。

おばあちゃんは「この道をまっすぐ行けば築地駅よ」と僕を笑顔で見送ってくれた。

 

「ありがとう!!」

 

僕は走り出してから最後にもう一度振り向き、おばあちゃんに手を振った。

 

f:id:yama31183:20200709234427j:plain

築地

 

コロナの渦中のインタビュー

 

それから少し月日が流れた。

毎日100人以上のコロナウイルス新規感染者が発生し、第二派の懸念が叫ばれつつある2020年7月の東京。

 

あの大宗旅館と、オーナーおばあちゃんは大丈夫だろうか?

ブログ掲載の申請がてら、おばあちゃんに電話をしてみた。

あのときは不在らしかったオーナーのおじいちゃんも、一緒にそこにいてくれた。

 

もともと2部屋しかなく、宿泊者も少ない宿。

このコロナウイルスの影響で、最近は客足もパッタリであり、1ヶ月に1組とかなのだという。

そんな中でも、予約者にはどこからの来訪なのかしっかり確認をしつつ、宿泊業務を続けているとのことだ。

 

おばあちゃんは「ビルに囲まれた中の、こんな昔ながらの宿だけどね…」という部分をかなり強調しつつ何度も口にしていたが、僕にはその口調に悲観的な部分はあまり感じられず、時代に合わせて飄々と生きていく様をイメージさせた。

 

…とりあえずストリートビューから見てみるかい?

大宗旅館の埋もれっぷり。

 

 

カメラを思いっきり空に向けてみてほしい。

どれだけ空が狭いのか、わかるから。

 

 

大宗旅館は、1930年(昭和5年)の建物で、今年で築90年目。

それだけで他にはない凄まじい魅力に感じるが、2部屋しかない・素泊まり・高齢の夫婦のみでの営業であることから、旅行サイト・宿泊サイトへの露出はしていないとのことだ。

なので、Web検索してもほぼ情報が出てこないし、予約は電話のみ。

 

「それでもね、こういうのの好きな人もいるそうで、たまーにインターネットで見たからって言って泊ってくれる人もいるのよ。」とのこと。

はい、僕もその1人です。

 

ブログ掲載に当たっては、商業的なものであれば好まないが、ここを気に入ってくれた人がその思い出を書いてくれるのであれば嬉しいと語ってくれた。

おじいちゃんはブログがわからず、どう説明しようか一瞬迷ったところ、すかさず横からおばあちゃんが「本のようなものよ」と解説した。

 

おじいちゃん&僕:「本!!?」

 

 

とりあえず、書籍化ではございません。そんなハズがない。

しかし、僕が大宗旅館で過ごした短い時間の思い出が、同じくこういうのが好きな人に届けばいいな。

 

「またいつか、コロナが収まったら築地に行きます。」 

「あなたのこと、覚えておくわね。」

「お電話でお話しできて、本当に良かったです。」

 

 

コロナに負けるな、東京都民!

第一波をも超える感染者数に驚愕するけれども、必ずまた笑顔で旅ができる日がやってくる!!

電話を切った後も、しばらく心はポカポカ暖かかった。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 大宗旅館
  • 住所: 東京都中央区築地7-10-5
  • 料金: 5500円(プランは素泊まりのみ)
  • 駐車場: なし。ただし隣がコインパーキング。
  • 時間: チェックイン・チェックアウトはある程度相談に乗ってくれる。

 

 

 

No:017【鳥取県】おーい!国道の脇に石の棺桶が落ちていたぞー!!その正体はなんだ?

国道で緩い峠を越えようとしたときに、それを視界の隅に捉えた。

 

棺桶。

 

一瞬のことに我が目を疑ったが、確かに国道脇にそれは置いてあった。

どうしてこんな場違いなところに?

世の中のTPOに真っ正面から宣戦布告をしているかのような事態だが、いったいどうした?

 

とにもかくにも、このままではいけない。不明点は確認し納得させねば。

僕はすぐにブレーキを踏み、その少し先にあった国道脇の駐車スペースに車を滑り込ませた。

 

 

 

棺桶を観察してみよう

 

場所は鳥取県の海に近い国道178号。海沿いに山陰地方を東から西に走る場合、この道を通るケースが多いと思われる。

僕も日本4・5・6周目でこの道を通り、3回ともこの棺桶を目撃している。

今回は、日本6周目の写真を中心に、その計3回の記録を統合させて紹介しよう。

 

f:id:yama31183:20200704220356j:plain

石棺1

この道路が国道178号。

現在は朝の6:30。朝日がようやく当たり始めたあの草むらに、確かに棺桶はあったのだ。

車を降りてそこへと向かう。

 

f:id:yama31183:20200704221117j:plain

石棺2

ここだ。右端に僕の愛車が小さく映っていることで、駐車スペースとの位置関係がおわかりいただけるだろうか?

 

問題の棺桶は、大掛かりなひさしに保護されている。

そして、輪のように配置された巨石の中に鎮座していた。

その巨石たち、まるで棺桶の主の死を悲しみ、お別れを惜しんでいるかのような配置だなって思った。

 

あぁ、そんな光景を見せつけられては、僕まで涙腺が…

…緩まないけどね。

 

まずは棺桶をしっかり観察するのが先決だ。

 

f:id:yama31183:20200704221722j:plain

石棺3

これだ。

正確には石の棺桶、つまり石棺ですな。

高さは1.4m、長さは2.5m。死者が眠るには充分な空間を確保した、重厚感あふれるベッドスペースだと感じた。

 

それにしてもかっこいいな、この石棺。

僕は昔インディ・ジョーンズに憧れて考古学者になりたかったくらいだから、こういうのすごく好き。

 

もうね、これを見た瞬間、僕のシナプス鳥取砂丘→砂漠→エジプト→ピラミッド→ミイラ→棺桶→ファラオの呪い」くらいに、前のめりに考えていたもの。

棺桶のフタを撫でながら、脳内はハムナプトラになってた。

 

f:id:yama31183:20200704230944j:plain

石棺4

石棺のフタは、グッと押してみたがビクともしなかった。

まかり間違って開いちゃって、中から邪悪な出てきた精霊に顔面を溶解させられても困るけども。

…あ、それは聖櫃(アーク)か。

 

 

正体を引っ張ってもアレなので、この石棺の正体を解説しよう。

 

ここのスポットの正式名称は、「小畑古墳公園」。西暦600年ごろの、古墳時代後期の遺跡なのだ。今から1400年以上も昔だ。

そして「小畑古墳群」から出土した、この家形石棺ってのが目玉だ。

 

 

上の地図を見てほしい。

現在地のすぐ南を、国道9号のバイパスが走っている旨を確認できる。

 

2001年ごろ、この9号バイパスを通すための工事が行われていた。その工事の過程で発掘されたんだそうだ。

盗掘されて石棺もパーツがバラバラだったんだけど、なんとか復元させ、無くなっていたパーツは代用品で作成して現在に至るってわけだ。

 

ちなみに発掘時に中に人間が入っていたという記録は見つからなかった。

主はゾンビとなって徘徊しているのか、それとも盗賊団に盗まれてしまったのか。

 

f:id:yama31183:20200705144527j:plain

石棺5

この青い梱包用PPバンド。センスが光るね。(←主に悪い意味で)

発掘メンバーのやりとりが想像できそうだ。

 

メンバーA:「よっしゃー!土の下から石棺が出てきたぞー!これは歴史的大発見だ!」

一同:「おぉぉー!Aさんアメージング!!さすが我らのリーダー!」

メンバーA:「あぁ!だが長年の土の重みなのか盗掘団の仕業なのか、パーツがバラバラだ!」

一同:「オーマイガッ!」

メンバーA:「オマエら!急いでパーツを組み立てろー!そんで新入りのB!!オマエは岩美のジュンテンドーで梱包バンド買ってこい!」

メンバーB:「イエッサー!!」

 

…ま、そんなワケはないと思うが。

しかしこのPPバンドのせいで、せっかくの歴史的アイテムが急に安っぽく見えてしまうのも事実。

 

f:id:yama31183:20200705145957j:plain

石棺6

こうやって真横から見ると、側面の石板が後からはめ込まれたものであることがよくわかるね。

 

フタについている特徴的な4つの突起。

これは「縄かけ突起」と呼ばれているとのことだ。文字通り、移動の際に縄をかけて引っ張ったりしたのだろうな。

 

 

小畑古墳群とその周辺

 

小畑古墳群 1号墳

 

先ほど、僕は「小畑古墳群」という言葉を使った。

その名の通り、遺跡はこの石棺1つだけではない。

石棺は小畑3号墳に属している。そして調べてみると古墳群は1号~7号まではあるようなのだ。

 

f:id:yama31183:20200705154427j:plain

小畑古墳群1

1号~7号までのいくつかは、ここから離れた場所に移設されたり、そもそも保存が難しかったりと、いろんな事情を抱えているらしい。

 

そんな中、1号はすぐ歩いて行けるところにあるとのこと。

立て札に導かれるまま、山道みたいなところに入る。

 

f:id:yama31183:20200705162601j:plain

小畑古墳群2

これが1号墳だそうだ。

横穴式の石室になっている。規模は奥行きで11.2m、高さは高いところで3.5mもあるそうだ。これは、県内でも最大クラスなんだとか。

 

立て札によると、かつてはこの中に33体の観音像が祀られていて、「穴観音」とも呼ばれていたそうだ。

しかし1990年に「この石室、ちょっと強度ヤバくない?崩れる可能性、あるんじゃない?」ってなり、観音像は現在別の場所で公開されている。

 

f:id:yama31183:20200705164734j:plain

小畑古墳群3

そんなこんなで、昔は観光客も中に入れたそうだが、今は立ち入り禁止。

木の柵ごしに中を覗いたところで、観音もいないし真っ暗だし、吹き込んだ枯れ葉が堆積しているだけだ。

 

 

源頼朝の愛馬 誕生の地

 

ここにはもう一箇所の見どころ(?)がある。

僕が車を停めた駐車スペースの脇の木立の中に、それはある。

 

f:id:yama31183:20200705172557j:plain

生月誕生の地1

源頼朝の愛馬_生月誕生の地」の碑がある。

今から900年以上前の1100年代に鎌倉幕府を作った「源頼朝」。

その愛馬がここで生まれたのだそうだ。

 

この白い柱の右側にほんのちょっと顔をのぞかせている岩が、歴史ある生月誕生の本当の記念碑。

雑草にうずもれてほとんど見えなかったので、写真から外しちまったわ。

 

 

愛馬の名前は「イケヅキ」。生月と書かれることもあるし、池月と書かれることもある。すごい屈強な馬なので、頼朝にかわいがられたらしい。

 

その後、「佐々木高綱」に与えられ、「木曽義仲」との決闘であった宇治川の戦いでも活躍したんだとか。

なるほど、あの宇治川の戦いの先陣争いで活躍した有名な馬か!

あぁ、確かにあの戦いは、水流を突っ切るパワーと川底のブービートラップを回避する瞬発性が必要。屈強な馬だからこそ、先陣を取れたのだろう。

 

f:id:yama31183:20200705175109j:plain

生月誕生の地2

となりには、よくわからない碑が2つ。

片方は明治十二年であり、もう片方は天保十五年と刻んであるように見えた。

天保十五年はすごいな!

石棺や頼朝には負けるが、西暦1844年だから180年前か!

 

*-*-*-*-*

 

 

いつもは気にも留めずに通過してしまうような緩い峠。

ふと足を停めれば、草木の陰に数々の歴史の片鱗が残っていた。

 

…いや、違う。

そもそも現代人が国道9号バイパスを作ろうとして、この遺跡の存在に気付いたのだ。

言い換えよう。

 

 

いつもは気にも留めずに通過してしまうような緩い峠。

しかし、歴史の片鱗は、通過していく我々を草木の陰から覗いているのかもしれない。 

 

f:id:yama31183:20200705203116j:plain

小畑古墳群4

 

古墳群の丘から見下ろす田園に、太陽が登り始めた。

 

180年前も900年前も1400年前も、太陽だけはきっと同じように昇っているのだろう。

新たな1日が始まり、こうして日本の歴史は1日ずつ追加される。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。


 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 小畑古墳公園
  • 住所: 鳥取県岩美郡岩美町大谷
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし