旅行中の人間ってのは、感受性の塊である。
これが僕の持論だ。
ストレス社会の荒波にさられた日本人の心は、さながらコチコチの石ころみたいだ。
それが旅に出ることで、柔らかいスポンジのように森羅万象全てを受容できる状態となる。
飯を食っては「うまい!」、景色を見ては「綺麗だ!」と叫ぶ。
夜はゆっくり温泉に浸かったり、酒を飲んだり、至福のひとときだ。
アバンチュールな出会いもありがち。…僕にはないけど。
まぁとにかく、普段に比べて喜怒哀楽のポジティブなタイプの感情が、3倍くらい敏感になるってこと。
類似事例は、「ゲレンデでは異性の魅力が増して見える」だとか、「山頂で食べるカップ麺はやたらうまい」とか、そんな感じ。
そんなピュアなハートで、母なる太陽のエネルギーを受け止めたら、もうどんなことになってしまうのか、想像もつかない。
…というわけで、今回は夕日と1日の終わりにまつわる話を書こうと思うのだ。
四国最西部にて
時刻は16:30。
年が明けたばかりということもあり、日の入りがとても早い。
日没まであと3・40分だろうか…。
すごく長く見積もっても1時間。
「伊予灘」を右手に見ながらドライブする僕は、西の海を見て思案する。
あの、水平線に細長く突き出しているのが、四国最西端の「佐田岬」だ。
あそこで日没を眺められたら、最高だ。
しかし、あと30分であそこまで行けるか…?
答えはNOだ。
僕は努力という言葉を知らない。諦めが早い。
メッチャ尖っている。
子供に四国を与えるとしたら、 ケガをしないように佐田岬半島をポキッと折ってから与えたほうがいい。
逆にあなたが新米の殺し屋であり、ボスから与えられた武器が四国しかないのであれば、佐田岬半島をターゲットの首の後ろにブッ刺すがよい。
そのくらい尖っている。
ここから岬の先端付近の駐車場までは、車でおよそ1時間。
そこから遊歩道1.8㎞を歩いて30分。
日没にはとても間に合わないだろう。
このときは日本4周目。4周目ともなれば、「佐田岬に夕方ギリギリにアプローチして、遊歩道の途中で暗くなって怖くて半泣き」くらいのことは当然経験済み。
だから今日はもういいや。佐田岬は明日に行く。
そう考えた僕は、佐田岬半島の南側の付け根当たりで、夕日がきれいに見えるポイントを探すこととした。
このあたりはどうだ?
微調整を繰り返しながら、本日最後の太陽を眺めるポイントを定めた。
県道249号沿い。
八幡浜のフェリー乗り場から西に約1㎞地点だ。
小長早(こながはや)のバス停が近くにある。
ここにはゆとりのある駐車スペースがあり、そして上の写真では見づらいが、海に向かって防波堤が突き出ている。
長早防波堤という名前らしい。
防波堤の上には釣り人たち。
釣り人と夕日って、個人的にはすごい絵になると思うんだ。
なぜだろ?
その佇むさまと、釣り竿のシルエットが夕日にマッチするからなのだろうか?
ところで、まだ日没までは20分はあると判断した。
僕はツーリングマップルを開き、この後のプランを練りながらしばらく待機する。
いかんせん行き当たりばったりなので、このあとどこで風呂に入り、どこで寝るかとか、1ミリも考えていないんだよね。
そして日は沈む
時刻は17:10。
いよいよ来るぞ、今日という日の終焉のときが。
僕はツーリングマップルを閉じ、のそりと車から這い出た。
日中であれば、もしかしたら何気ない県道の一風景なのかもしれない。
しかし、見よ。
冒頭で記載の通り、あなたも旅人目線で感受性を3倍にして見てほしい。
県道の一風景が、一大スペクタクルに変貌するから。
1月の海風で、手が震える。
しかし、この震えは寒さから来ているものだけではないと気付く。
四国の西海岸は、国内でもとりわけ夕日が美しいと評判のエリアだ。
空気が澄んでいる冬は、なおさらである。
その美しい夕日が、穏やかな瀬戸内海に沈もうとしている。
おそらく、あの島は「鳥島」と「黒島」だろうな。
そこに夕日が接近する。
あ、ヤベーよ、これ。
僕のようなカメラのド素人でも、ポスターみたいな写真をジャンジャン量産できる。
気の利いたポエムとか書いて、八幡浜市の観光ポスターにしてやりたいくらいだ。
「忘れられない夕日を見れる街、八幡浜市」
…とか、この写真に書いて観光ポスターにしてみたくなる。
そして、いよいよだ。
17:20、島の稜線に日が重なる。
なぜ、夕日はこんなにも我々の胸を熱くするのか。
光の時間から闇の時間へ。
その移り変わりの、最後のきらめきを見れるからだろうか。
つまり夕日は終焉である。
夕日がイメージするものは、郷愁であったりもの悲しさであったり、切なさであったり。
数々の詩や歌でも夕焼けや夕日はそんなポジションだ。
「夕日に似合う曲調は?」と聞かれて、ドッカンドッカン賑やかな選曲をする人は少ないだろう。
今日という、2度とない日のエンディングが、静かに訪れるのだから。
(日没をドッカンドッカン見送るなんて、世界広しと言えども僕は「礼文島」の「桃岩荘」くらいしか知らん。)
朝日と夕日のみが、人間がまともに太陽を直視できる時間。
赤く焼けた太陽は、焚火に目を奪われるのと同じように、人の心を引き付けるのかもしれない。
そして、朝日にはなく夕日のみが持つのは、前述の要素に伴う「1日の終わりを振り返ることができる時間」という点。
僕らは、火を見て心を落ち着け、そして1日を振り返り感謝するのだ。
例えわずかな時間でも、そうやって気持ちの整理をし、体を休める準備をし、明日への活力とするのだ。
…僕はそう考える。
視界の右手から一隻の小さい漁船が動き出した。
20分近く、この近辺の船に動きがなかったのに、いきなりだ。
これ、いい絵が撮れるかもよ!
さぁ来い、早く来い!!
でないと日が完全に沈んでしまう!
チャンスはわずか数秒だ。
その数秒の間に、2枚の写真を撮った。
太陽はまだギリギリで顔を覗かせており、まぁまぁ納得のいく構図で写真が撮れたと思う。
そして日が落ちた。
しばらく僕は残照を眺めていた。
これを旅情と言わずして、何が旅情か。
シナリオのない1人旅。
ふと訪れた小さな町での、感動的な夕日。
ガイドブックになんて載らない、小さな防波堤の近くで見送った太陽。
こういうのが、旅の醍醐味。
1日の終わり
おまけ。
蛇足かもしれないが、今回の記事のテーマは「1日の終わり」なので、そのあとのことも少し書く。
10㎞ほど内陸に入り、「夜昼トンネル」という、なんか今回のテーマをそのまま反映したようなネーミングの長いトンネルを抜ける。
山間部に出てきたのが、「レストラン嵯峨野」。
気に入ったら夕食にしようかと外から少し雰囲気を窺うが、なんか違う感があり、今回はパス。
実は目的は、このレストランの裏。
「ゆう湯さがの」という温泉施設がある。レストランと同じ会社が経営している。
僕、日本2周目・3周目でもここで風呂に入っている。
4周目の今回は、3回目の訪問になる。
いいお湯だった。旅情効果で感受性3倍だからかな。
ちなみに2020年現在は倒産し、ストリートビューでは廃墟となったレストランが確認できる。
なんか悲しいぜ。
風呂上り、再び八幡浜の街中へ。
どっかで夕食にしたいのに、いい感じのグレードの食事処がない。
商店街も暗い。
しょうがないからコンビニ弁当買って食べた。
でもコンビニ弁当もうまい。感受性3倍だから。
「道の駅 伊方きらら館」にやってきた。
尖って危険でおなじみ、佐田岬半島をやや先端方面に走ったところにある道の駅だ。
今夜はここで寝る所存。
とてつもなく真っ暗なのな。何も見えない。
今日という日を、強制終了させにかかっているようだ。
車も他にはキャンピングカー1台しかいない。あと、風が強くてとても寒い。
上の写真を撮るのも苦労した。
風でブレるし、寒さでブレるし、暗すぎてブレるし。
おかげで、画像補正してもこのザマさ、ハハ。
じゃ、飲むか。
さっきコンビニで買った、2本の発泡酒とおつまみを取り出す。
うん、ビールじゃなく発泡酒でいいの。感受性3倍でうまさUPするから。
まだ19:00台だぜ。
真夏であれば、まだほのかに明るい時間だぜ。
だけども僕はもう、1日を終わらせようとしている。
なんという自由。
車中泊は自由。
空を見上げると、真っ暗な夜空に星が瞬いていた。
この周辺は人家もないから星が綺麗だ。
星を見ながら飲む酒はうまい。
旅情からなのか、それとも昨夜から相当な距離を走ってきた疲労からなのか…。
酔いが回るのが早い。
普段の3倍酔う。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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