雲の中を歩いた。
その先にあったのは、2016年の春の熊本地震で崩壊した「ラピュタの道」だった。
あれからもう8年。道は傷み、草は生い茂り、ラピュタはひっそりと歴史に飲み込まれつつある。
だけども、僕はあの在りし日の記憶を忘れない。そのためにも、最後にひとめ見たくってここまで来たのだ。
阿蘇カルデラの絶景ポイント
まずはね、ラピュタの道とはなんぞやってのをご説明しよう。
大前提として、阿蘇は超巨大なカルデラなのである。カルデラの成り立ちを話していると時間が無くなっちゃうから、もう阿蘇の俯瞰図だけ下に貼り付けてみるね。
こうなっている。つまりは阿蘇五岳をグルリと取り囲むような城壁のような断崖があるのだ。それを外輪山と呼ぶ。
外輪山から内側に降りていくにはかなり険しい道が多い。もちろん観光バスもガンガン通るようなメインルートは走行していて普通に安定感があるのだが、地元の人が行き来するようなローカルな道だと、とんでもなくワイルドだったりする。
その1つがラピュタの道だったのである。
外輪山に迫り出すように設置されていたラピュタの道。そこから見下ろす谷は、そりゃあもう絶景だったのだよ。
あえて走る必要はない。外輪山のヘリの部分から、道路と谷を見下ろすのが絶景だったのだ。朝は雲海が立ち込め、まさにラピュタさながらに空に浮かんでいるような光景を眺めることができた。
そんなラピュタの道であるが、冒頭で記載の通り熊本地震で崩れてしまった。
復旧に必要な金額は100億円。それを工面するのはとても困難だし、それだけの価値を見出すのも困難なようだ。
もともと付近の牧場の人たちが牧草を運ぶために使っていた道。そりゃあその人たちにとっては生活道路だから大事なのだろうが、他の交通の大動脈となる道路に比べれば、どうしても優先順位は落ちてしまうのだ。
そんなこんなで誰も行くことができなくなってしまったラピュタの道。Googleマップからもピンが消え、忘れ去られる運命にある…。
僕も2019年にこのすぐ目の前まで行ったが、どうなっているのか確認するのを失念してしまっていたしね。通行止めになっている様子だけでも確認しておきたかったと、後から後悔したよ。
長々と前説を語ってしまったが、そこいらのことは以下の記事に書いてある。
この【週末大冒険】というブログの初期のころに、在りし日のラピュタを回顧して書いた記事だ。まだ不慣れな執筆をしているが、よかったら読んでみてほしい。
じゃあ今回なんでまたラピュタの道について語るのかというと、昨年である2023年に久々に見に行ったからだよ。
地震から7年が経過したラピュタの道はいったいどうなっているのか。
次からが本編なのである。
ラピュタは雲の中
さっきまで晴れていたのに、いきなり曇ってきた。まぁでもいいや。ほら、ラピュタって雲の中にあるというから。
ラピュタの道は、もともとは「ミルクロード」っていう外輪山の尾根を通る快走路からの分岐として存在していた。
しかし熊本地震以来はその入口は封鎖されてしまっていて、中に入ることができないのだ。そりゃそうだ。車道は崩れてしまっているのだから。
僕は、ラピュタの道を見下ろす丘にまた登りたい。では、そこまでどうやって行くのか。
まぁそこはなんやかんやだ。詳細はここでは伏せるけども、そもそもこの近辺には駐車できるスペースもないので、すごい経路を歩き生い茂った草で朝から裾が汚れてテンション下がった。
ところでこれは、ちょいと時系列は前後するけど探索前後にかつてのラピュタの道への入口を確認しに行ったときのものである。
ミルクロードは、ミルクのように真っ白な雲の中に沈んでいたよ。そんな中、かつての入口が見えてきた。懐かしすぎる。
この横並びのマシュマロ群。ここがかつてのラピュタの道への入口だったのだ。別にここに「入口ですよ」みたいな看板も無く、普通の車は高速でこの前を通過していくのみ。
そんな中で一部の、この道の存在を知っている者のみがあの絶景ポイントに足を踏み入れていたのだ。そうそう、お地蔵さんが目印だったよね。お地蔵さん、今もまだいた。マシュマロに寄り添うように立っていた。
もう、この向こうには入れない。
手前からは雲のようにフワフワのマシュマロに見えたが、こうやって間近で見ると、それは極めてハードなバリケードだったのだ。
崩壊した世界を垣間見る
汗と泥にまみれ、僕はかつてのポイントの間近まできていた。
世界は静かだった。動くものなどなかった。
ただ、風は草原の上を吹き抜けていき、足元の雲はみるみるかたちを変えていた。耳をすませば、ミルクロードを走る車の音が聞こえるようだ。
朝露と泥で白いパンツが汚れていく。なんてこった。泣きたい。
ヘロヘロになってシャッターを押したらピントがずれた。手前の雑草にピントが合ってしまった。
外輪山の急勾配と、そこを駆け下りていく雲。幻想的なひとこまであった。
足元にはラピュタの道の序盤ポイントが見えた。あぁ、しかし相当に傷んでしまっている…。それはきっと地震のダメージだけではない。7年以上にも及び整備がされてないことに伴う老朽化だろう。
普段何気なく僕らが車で走っている道も、誰かがしっかりメンテナンスしてくれているからこその道なのだ。それを怠るとたちまち道は傷んでいく。そう考えると人間の文明なんて、案外脆いのかもしれないね。
外輪山に迫り出すポイントは、もうすぐそこだ。あの日にはちきれんばかりの期待をもって、満面の笑みで向かった場所。しかし今は足取りも重い。世界は完全に崩壊し、そして見捨てられてしまっている。
ここ、たぶん致命的なダメージを負った部分の1つであろう。
ラピュタの道がそう呼ばれるようになった由来に当たる、まさにシンボル的な部分。そこが大きく崩れてしまっている。もともと急斜面に縫うように道が通っていただけに、このように崩れてしまうと補修も相当に大変なのだろうな…。
手前のループ状の道もガッタガタに崩れているね。見るも無残だ。
確かに、復旧に莫大なコストがかかるのもうなずける惨状だ。そして、そこまでコストをかける見返りがなさそうなのも納得の風景だ。
ここを復旧させることで、この道を使っていた地元の牧場は喜ぶかもしれないが、迂回すればそれは事足りる。絶景に喜んで写真を撮っていた僕らも、別にここにお金を落としていたわけではない。復旧工事のコストの回収は極めて困難なのだろう。
遥か下に見えている道をズーム撮影してみた。ここも相当に朽ちてきてしまって様子がうかがい知れた。
あともう数年もすれば、路面はすべて草に覆われてしまうのかもしれないね。
引きで撮影してみた。いい光景じゃないか。相変わらず絶景ではあるんだよ。しかし崩壊が進んでる光景。雲に飲み込まれつつある光景。
切なくなる。今回頑張ってここまで来たけど、僕はもう復旧しない限りここに立つつもりはない。そして、復旧する可能性はほぼゼロ。つまりこれが最後だ。
最後に目に焼き付ける。なんて綺麗な光景なんだろう。阿蘇は「大観峰」も「草千里」も「白川水源」も全部好きだけど、ここにはここの良さがあった。そのことを僕は忘れないよ。
特徴的な岬の先端のような部分が、徐々に雲の中に消えていった。
今回ここに来れて良かったなぁ…。
カルデラの中にどこまでも広がる雲海。空の中に浮かんでいたかのような、ふわふわとしたひとときだったな。
ミルクロード付近を振り返る。
またちょっとだけ青空がのぞいてきたようだ。ということは、そろそろ僕が現実世界に帰る時間なのだろう。
さよなら、ラピュタ。
以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。
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