Googleマップに、マイナーな観光スポットまでもが掲載されるようになったのは、ごく最近の話。少なくとも、僕にとっては。
それまでは、Webの奥底に眠る情報や口コミなどで、どうにかウワサの地の情報を仕入れ、そして現地で自分の足で探していた。
不便なのかもしれないが、それはそれでとても楽しかった。
日本最西端の「与那国島」に、とんでもなく狭いビーチがあるという情報を仕入れたのも、そんなWebの深部であった。
日本最西端の島へ
「四畳半ビーチ」の場所は、アバウトにしかわからない。
まぁいっか。それだけ探す楽しみが増えるということ。
なんとなく推測をした上で、手持ちの地図にそれと思われる場所をマークし、僕は与那国島へと飛ぶ。
「羽田空港」⇒「那覇空港」⇒「石垣空港」⇒「与那国空港」の、3便乗り継ぎだ。
国内なのだが、果てしなく遠い旅路。
ブロッケン現象!!
沖縄本島の那覇空港から石垣島の空港へ向かっているときは、ブロッケン現象が見えた!
光輪の中に、僕が乗っている飛行機の影が映っている!
このときの光輪、虹とは逆に一番外側が紫になるのが特徴なのだ。
さらに、よく見ると虹が二重になっているのがわかるだろうか?
外側の虹は、右上の方に見切れながら少ししか映っていないけど。
これもブロッケンの特徴だね。
いずれにしろ、すごい珍しい。幸先の良いスタートだ。
石垣島や、そこからフェリーでアプローチできる竹富島で遊んだ後、いよいよ与那国島に向けてのアプローチ。
小さなプロペラ機で、西へ西へと飛ぶ。
与那国島、すっごい西。
石垣島ですら、日本列島のメチャ西なのだが、与那国島はさらに海を隔てている。
与那国島から見れば、石垣島に行くよりも台湾に行くほうが近いくらいなので。
そんな遥かなる旅を経て、国境の島与那国島へとやってきた。
これから始まる、数日間の日本最西端を舞台とした、たった1人の冒険に心が躍る。
さて、もちろんこの島を巡っての冒険エピソードは無数にある。
しかし今回は、タイトルでご紹介した部分に絞ろう。
「四畳半ビーチ」と、その脇にあるお墓に聳える凱旋門とピラミッドという、事前に入手した興味深いウワサにフォーカスし、執筆しようと思う。
1億円のお墓
さぁ、いよいよマイナービーチを目指すか。
既にクチャクチャになってきた手描きの地図で場所を再確認し、鍵のかからないオンボロレンタカーに乗り込んだ。
墓地。
墓場に着いた。
標識が無いのでよくわからないが、たぶんこのあたりだと思うんだよな、ビーチ…。
ちなみに周囲はだーれもいない。
あ、違った。死後の人ならたくさんいる。
ここは「浦野墓地群」。
これらは内地のものとはずいぶんビジュアルが異なるが、れっきとした墓だ。
戦隊ものの飛行機とかが、地下から登場する秘密基地のようだ。
これは沖縄独特の亀甲墓というもの。さながら遺跡である。
エントランスがあって、その先の広場ではお墓参りの際に親族一同でピクニック形式で宴会をしたりするスペースがある。
亡くなった人と一緒に楽しく宴会する風習、ポジティブですごくステキだ。
その奥にあるのが、遺体が収められている家形墓。
住んでいる場所が、自分の敷地の住居から、墓場の家に変わるだけの感覚?
死生観の違いが面白い。
墓の連なる丘でキョロキョロしていると、内陸方面に気になる建造物が見えた。
ちょっとビーチは置いといて、そちらに先に行くか。
「凱旋門」だーー!!
いや、ホンモノを見たことのない僕であっても、本場の凱旋門とのギャップの大きさくらいは想像できるけども、それでもこのインパクトは見るものを圧倒する。
重厚感のある建物なんてほとんど存在しない与那国島の、さらに集落の外れの墓地の横にこれですもんよ。
2階建てを優に越える高さですもんよ。
場違い感がハンパない。
しかし、そのカオス感は奥を覗き込んだ際に極まる。
ピラミッド!!
凱旋門の向こう、「シャンゼリゼ通り」の先はまさかのピラミッドであった。
わけがわからない。
ここは、訪問当時にWebにわずかに存在している情報では、「凱旋門とピラミッド」と呼ばれるスポット。
まんまその通りなのだが、いろいろ検索してもその正体はわからなかった。
※2020年現在は、「1億円のお墓」としてWeb上にいろいろ情報あり。
この夜、宿泊している宿のオーナーの「まなみさん」に聞いてみた。
すると、アレは1億円をかけて建てられた、地元の人の墓なんだそうだ。
ファラオか。
沖縄の墓は大きい。
10畳くらいあるような墓もあったりする。
しかし、これはそういう次元ではない。屋敷だ。
シャンゼリゼ通りの左右に立っているズングリした木が、執事たちに見える。
「おかえりなさいませ」とか言って、深々と頭を下げてくれそうだ。
その敷地面積は1500坪。
30坪や40坪の土地で、どうにかこうにかマイホーム大作戦を繰り広げている首都圏の人間からしたら、羨ましいことこの上ない敷地だ。
しかも墓に。
さらには内部にはリビングもあり、死者が豪遊できるように設えてあるとの、オーナーさん談。
ファラオ、至れり尽くせり。
もっとも、地元の人であっても詳細はわからず、今は手入れもされずに荒れてきているらしいのだが…。
それが少し切ない。
あと、「凱旋門とピラミッド」、Webのどこを見ても異色の組み合わせだという旨の表記だった。
しかし、よくよく考えれば凱旋門の延長線上には「ルーブル美術館」のガラスのピラミッドがあるぞ。
作成者が、ここまで考えて作っていたのであれば、すごい。
最西端の知られざるファラオは、遥かフランスの地に想いを馳せていたのか。
今となっては、誰もわからない物語。
四畳半ビーチ
ところでビーチはどこ?
情報によれば、この浦野墓地群に隣接するどこかにあるそうだが、右も左も広大な墓地。
そんな墓地の中を、海側に向かってズンズン歩いてみた。
しかし、墓地と海との間には、結構ワイルドな茂みがある。
これは侵入者を阻む、かなり凶悪なトラップ。
チクチクしてイタイイタイイタイイタイ…!!
サンダルでは不向きだったか…。雨露で足元グッショリ濡れたしさ。
なんだここ?
僕、1人墓地の中でパニクっている。
四畳半ビーチはどこだ。この数100mはある広大な墓地の、海岸線沿いのどこかにあるはずだ。
こうなったらシラミ潰しだ。西側から歩いて探す…!!
あ、見つけた。
ここだと思う。墓地の西端に近いところにあった。
東側から歩かなくって本当によかった。
「ホントにここがビーチ?」っていうのが第一印象。
両側を急に囲まれた、本当に小さな砂浜が目の前にあった。
他の八重山諸島の島っていうのは「白い砂浜と、どこまでも続く遠浅の海岸」ってイメージがあるけど、与那国島は違う。
珊瑚礁が隆起しているから、テーブル上のゴツゴツした磯に囲まれた島で、そこに黒潮の本流がダッパンダッパンぶつかる、荒々しい島。
なのでビーチは他の島に比べるとかなり少ないのだ。
こうやって沖に目を向ければ、結構な高波。
だから石垣島と与那国島を結ぶフェリーは「ゲロ船」って言われているんだけどね。みんな吐くから。
僕もゲロ船に乗って吐いてみたかったんだけど、便が少なくうまく予定が合致しなかったので、往復共に空便になったわ。
しかし、入江となっているこのビーチの部分はすごく水が澄んでいる。
日光を遮るものはなく、あまり長居はできない。
いかんせん、今は2月の真冬なのに、気温25℃は普通にありそうだからな。
なので、20分ほどの時間を、岩場の上でネコのようにゴロンゴロンくつろぐ。
…信じられるかい?
2月の空なんだぜ、これ…!
絵に描いたような、夏らしい雲。
いかに自分が、日常の世界と隔離された場所にいるのかを、しみじみ感じる空。
バカンス、最高ーー!!!
そして僕は、次は「六畳ビーチ」に向かうのだ。
その話は、またいずれ…。
…およそ3時間後…。
戻ってきた。
島を1周したりランチしたりして、そんで舞い戻った。
やることないし、なんか眠いので。
少し雲も出てきてしまっており、逆に言えば屋外でも快適に過ごせるということ。
なのでここで昼寝するわ。
結構風が強くって、波がバッタンダッパンしている様を磯でしばらく楽しんだあと、ゴロリと横になった。
潮騒が耳に心地よい。
1時間半くらい寝た。ガチで寝た。
ここは楽園か。楽園のプライベートビーチか。
時刻は既に夕方。
海の向こうに青空が広がっているのを確認し、僕は次の目的地を、あの空のもとへと設定する。
僕は、このドライブを堪能している段階では、ここが本当に四畳半ビーチなのか、イマイチ確信を持てなかった。
宿に帰ってオーナーのまなみさんに報告し、大体のイメージが合っていたことで、確信レベルが80%に達した。
その3日後、宿をチェックアウトする。
まなみさんが「4泊もしてくれて、ありがとう。これはお土産よ。」と言って、日本最西端で作られる塩である「蔵盛さんちの塩・お母さんの塩」っていうのをくれた。
パッケージが四畳半ビーチーー!!
「四畳半ビーチ」と書かれている部分が左下に見切れてしまって残念ではあるが、こんなところで答え合わせができた。
Webにほとんど掲載されていない四畳半ビーチ、これにて確信レベルが100%に達した。
ちなみに蔵盛さんちの塩、島の近海で汲み上げた海水を自釜でギュンギュン濃縮しており、 味わい深い塩なのだそうだよ。
帰宅後に食べたら、確かにうまかった。
1500坪の広大な敷地を持つ一億円のお墓、そして四畳半の小さなビーチ…。
…普通、逆じゃね??
いや、そのパラドックスが、僕の人生を一層に濃く、味わい深いものとするであろう。
蔵盛さんちの塩のように。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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