日本人として、いやむしろ世界の平和を祈る人類として、避けて通れない悲しい記憶がある。
旅をしていれば必ず、いつかはそれらに触れることとなる。
僕はヘラヘラと楽観的に生きている人間なので、できれば暗い過去に顔を背けていたいけど。
このブログも、旅人の脳汁がギュンギュン出るような魅惑的なスポットばかりを書いていきたいけど。
しかし、日本を知るということはまた、戦争を知るということでもある。
1945年の8月9日、つまり75年前の今日、長崎市に原子爆弾が投下された。
今回は、その記憶に少しだけ触れたいと思う。
長崎平和公園
僕は、「長崎平和公園」に足を運んだ。
これは日本0周目から数えて、ここに来るのは5・6回目だろうか?
なるべく、長崎の中心地を訪れた際には、ここに立ち寄りたいと思っているので、今回も短時間とはいえ、見学していこうと考えている。
平和公園へと続く長い階段の横に、エスカレーターが設置されている。
どうやら2012年の8月に設置されたそうだ。
しばらく訪問にブランクがあったので、初めて知った。これは便利。
さて、ここからは過去の訪問記録も織り交ぜてご紹介しよう。
「平和の泉」。
噴水越しに、「平和記念像」が見えている。
手前に映っている碑には、以下のような文面が刻まれている。
のどが乾いてたまりませんでした。
水にはあぶらのようなものが
一面に浮いていました
どうしても水が欲しくて
とうとうあぶらの浮いたまま飲みました
― ある日のある少女の手記から
壮絶だ。
原爆の熱波に晒され、水を求めながら亡くなった人の数は夥しい。
そんな原爆犠牲者の冥福を祈るため、1969年にこの泉が造られた。
噴水に虹がかかる。
青天に噴水。そして虹。
この美しい光景に、改めて現代の平和のありがたさを噛みしめる。
登ってきた方向を振り返る。
日本三大夜景の1つである「稲佐山」が見えている。
あそこからの夜景もまた、僕は何度も見てきた。
日本2周目の訪問時は、「稲佐山スカイウェイ」っていうカップル専用のミニゴンドラみたいなヤツ(2008年廃止)の前で心が折れ、男1人の僕は山頂に行くのは断念したけどな。
ホント、あれはおめでたいBGMを垂れ流していて、独り者のMPをゼロにするのに効果的なマシーンであった。
あぁ、カップルの聖地よ。
カップルと僕との位置関係をひしひしと感じる、この構図よ。
泉の先には、いくつもの像が設置してある。
上記はその1つ、「乙女の像」というものだ。
世界平和に賛同した、中国から贈られてきた像。
ゴールデンウィークの朝9:00頃に来たときには、すごく人が多かった。
朝7:00台や夜間の訪問時は、ほとんど人はいなかったのだが。
上の写真、右のほうにチラリと乙女の像が映っている。
有名すぎる像だ。夜間はご覧の通りにライトアップもされている。
1955年に造られた像で、高さは9.7m、重さは30tの青銅製だそうだ。
一緒に映っている人々と、その大きさを対比してほしい。
見上げるほどに大きい。
そして、この独特のポーズにも意味がある。
- 右手 … 天を指し、原爆の脅威を表す
- 左手 … 水平に伸ばし、平和を表す
- 表情 … 軽くまぶたを閉じ、戦争犠牲者の冥福を祈る。
…あ、像の手の上に、平和の象徴のハトが…!
いや、カラスだったわ、すみません。
しかし、カラスだって平和を愛しているはず。
そして、平和祈念像もそんなカラスに優しく微笑みかけている。
どうやら原爆75周年の今年に向け、塗り直しなどの修復作業が実施され、2019年の昨年に作業完了したそうだ。
僕は2019年に長崎県をドライブしたものの、巨大台風の影響で予定変更を余儀なくされ、その新バージョンを拝めていない。
また機会があれば、是非とも見てみたい。
平和記念像の左右にある、「折鶴の塔」。
正解平和と慰霊の願いを込め、千羽鶴が届けられる。
それをこうして掲げてある。
一礼をし、僕は公園を後にする。
爆心地公園
「爆心地公園」は、平和公園の入口のエスカレーターから、ほんの100mほどの距離にある。なので歩いて一緒に行くには容易い。
ミステリーサークルのような、円形の模様が描かれた公園。
その中央に、黒御影石の石柱がズドンと立っている。
これが、「原子爆弾落下中心地碑」だ。
この無慈悲な碑銘を見ただけで、寒気がする。鳥肌が立つ。吐き気がする。
1945年8月9日、この碑の上空500m地点で、原子爆弾が弾けたのだ。
爆心地の表面温度は3千~4千度に達した。
一瞬で、数万という命が消えた。
この町内にいた人は、偶然防空壕にいた1人の少女を除いて即死したという。
被爆したり町も破壊されたりで、生き残った人も地獄の苦しみだったろう。
何年も、何十年も、令和の現代に至っても。
その苦しみは続く。
碑の足元に立ち、空を見上げた。
何の変哲もない、平和な青空。
周囲には鳥がさえずり、そして親子連れの笑い声が聞こえている。
これが今、爆弾で掻き消えるとしたら…。
普通ののどかな朝なのに、そんなことを考えると、絶望で頭がクラクラした。
石柱の隣にあるのは、「原爆殉難者名奉安」と書かれた黒い箱。
その中には、原爆で亡くなった方、後遺症で亡くなった方の氏名情報が奉安されているそうだ。
公園の隅には、ガラス越しに被爆当時の地層を除ける建物がある。
ここには、爆風で飛び散ったと思われる無数の瓦や焼けた土、食器類が見えた。
日常を襲った悲劇。
いつもの暮らしが、一瞬でガラクタまみれの焼け野原となってしまったのだろう。
残酷極まりない。
「レンガの柱ですか…?」という状態になっている、この建物。
これは「浦上天主堂」という教会の遺構である。
当時、爆心地から500mの場所にあったこの教会は、爆風で全壊した。
当時は多数の信者がこの建物内にいたそうだが、全員が死亡したそうだ。
かろうじて残った建物の一部が、ここに移築され、今の僕の目の前にある。
ところで、今のこの遺構は、原爆によってこのかたちに残されたわけではない。
大部分を解体・撤去され、建物の壁も切断された上で残った、意図的な残骸である。
原爆後も13年はそのままで残されており、「原爆ドーム」同様に原爆の恐ろしさを後世に残す声も大きかったのだが、ご覧の通りほぼ全撤去となってしまった。
原爆の廃墟はへいわのためというより、無残な過去の思い出につながり過ぎる。憎悪をかきたてるだけのああいう建物は一日も早くとりこわした方がいい。
(引用元:「週刊新潮」1958年5月19日号)
そりゃそういう意見もあるだろう。
被爆した人、大切な人を失った人であれば、なおさらなのかもしれない。
東日本大震災の震災遺構も、同様の議論が数多く見られたし。
後世の僕としては、それが見れないことに対し少し残念な気持ちになるのだが、遺すのが正しいのかどうかは、たぶん正解のない問題なのだろう。
浦上カトリック教会
よい機会なので、さらに歩いて「浦上カトリック教会」にやってきた。
Wikipediaには「カトリック浦上教会」と書かれていたのでどうしようかと迷ったが、「長崎市公式観光サイト」の表記に従い、この名称とした。
これは、前項でご紹介した「浦上天主堂」の現在の名称である。
到着したのは朝の8:00台。
すんごい逆光だ。「目が!目がーーッ!!」ってなる。
初代の建物は、1914年に天主堂ができ、1925年に双塔ができた。
その壮大さから、「東洋一の天主堂」と言われていたのだそうだ。
しかし前述の通り、1945年の原爆で全壊してしまった。
新たに1959年に再建されたのが、これである。
外観は、被爆した初代のものと同じにしてあるとのことだ。
現在でも信徒数は8,000人ほどおり、日本で最大のカトリック教会だとWikipediaさんが言っている。
原爆の壊滅状態から見事に復興しているのだね、すごい。
では、礼拝堂に入ってみようか。
荘厳だ。
影響を受けやすいタイプの僕は、この空間に入っただけで 、なんだか神聖で清い気持ちになる。誰もいないから、なおさらそんな気分になる。
実際は煩悩の塊なのだが。
ステンドグラスには、キリストの生涯の物語が描かれている。
そのステンドグラスを通し、淡い光が教会内に射し込む。
原爆関連のスポットを見てザワザワしていた精神も、ここに来ることで落ち着きを取り戻すことができた気がしたよ。
路面電車を見ながら、さようなら!
現在の日本では、路面電車の走る町は18都市ほどしかないらしい。
僕も生まれ育った町で路面電車を見ることはなく、まともに目にするようになったのは旅人となってからである。
だから、路面電車を見ると、瞬間的にテンションが上がる!
だって、道路を電車が走っているんだぜ!
「路面電車」なんだからその通りなんだけど、僕にとってはそれが非日常!
この不思議な世界、長崎に来たからには、堪能せずにはいられない!!
正直、路面電車が近くを走っていると、運転メッチャ怖い。
一緒の道を走っていいのかダメなのか、交差点で彼らがどんな軌道で向かってきて、こちらはそれをどう躱すのか。
そして、路面電車専用の信号とかあったりして、軽くパニックになる。
一番いいのは、他の車の後をピタッと着いていくことだが、そうでないケースはビクビクしたりもする。
しかし、自分が住んでいる街とは違う街。
そんな場所を歩くとき、「ここが違うんだな」、「この街の人にとっては、これが当たり前なんだな」って思うだけで、ワクワク感が急上昇するんだ。
そんな魅力的なエッセンスの最上級が、路面電車。
そうそう、爆心地公園からさらに200mほど南に歩くと、「長崎原爆資料館」があるんだ。
僕もそこは2回訪問したことがあるが、そのお話はまたいずれ、機会があったら。
散歩を終え、僕は平和公園裏手にある、ちょっと料金の安い駐車場へと戻ってきた。
「平和町駐車場」。
料金を気にする人や、混雑しやすい時期や時間の利用においては、穴場的な駐車場だと思っている。
では、ドライブ再開といこうか!!
長崎の平和を祈ってる!!
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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