2020年の7月2日深夜2時半ごろ、関東地方を横切る火球が目撃された。
火球とは、流れ星よりも遥かに明るい流星。
この火球は満月よりも明るく、目も眩むような閃光と共に空を走り、関東一円に爆発音を轟かせて消えたという。
深夜なので目撃情報はそこまでは多くはないが、爆発音で起きた人は多いと聞く。
その火球だが、その後に回収され、7/13に隕石だと分析結果が出たそうだ。
千葉県習志野市のマンションの手すりに激突して2つに割れ、「国立科学博物館」の調査にて「ふむ、これは宇宙からの飛来物ですな」って結論が出されたとのこと。
これにて、日本国内では53番目に確認された隕石となり、名前は「習志野隕石」となった。
この53個が多いのか少ないのか、僕にはピンとは来ないが、そういえば僕も隕石落下地点を見に行ったことがあったな。
確かその隕石は、今回の習志野隕石よりもずっとやんちゃな着陸劇を演出していた記憶がある。
今回はその記憶をちょっとだけ振り返ってみたいと思う。
秘境、島根半島北岸へ
島根半島の北側ってのは、なかなかのローカルテイスト漂うエリアだ。
なぜなら、「島根半島北岸」って、日本の秘境100選にもエントリーされているくらいだから。
参考までに、島根半島の地図を貼り付けさせてもらった。
島根半島はどこからどこまでが半島なのか、ちょっとわかりづらいので。
今回の舞台の七類は、その青丸部分に位置する。
現在は朝の7:00台なのだが、こんな時間から駐車場は相当に混雑している。
フェリー「おき」が目の前に停泊しているが、それに乗り込んでいる乗客の車なのだろうか?
さて、僕がここにやってきた理由。それはズバリ隕石だ。
この七類港に隣接する「メテオプラザ」というところでは、1992年にこの地に落下してきた隕石を展示しているそうなのだ。
1枚目の写真にも写っている、この建物が「メテオプラザ」。
ついついフェリーに夢中になってしまってまともな写真が残っていないが、ずいぶんお金をかけたユニークなかたちの資料館で、遠目から見てちょっとした狂気を感じた。
そんなメテオプラザに少し興味があってやってきたのだが、目の前まで行って調べたところ、開館時間は9:00。
うーむ。さすがに7:00台の訪問では無理があったか。しかしここで1時間待機するほどの情熱も持てない。
とりあえず、ここはフェリーをしばらく眺めて無理矢理自分を満足させる。
しかしながら、僕はそれで隕石を諦めたわけではない。
実は、隕石が直撃した地点に記念碑があるという情報を掴んでいるのだ。
車で10分ほどの近所だそうなので、今度はそっちを目指してみようと思う。
僕の目指す、「美保関隕石」の落下地を示す看板が出てきた。
隕石の激突を食らったのは、松本さんというお宅らしい。なるほど。
看板に沿って木々の間のクネクネ道をしばらく走り、海岸スレスレに並ぶ小さな漁港の集落へとやってきた。
そんで普通に松本さんの家の前を通り過ぎたあと、「あれ?もしかして今のが…」って思って舞い戻ってきた。
なかなかに目立たない場所に、その記念碑は佇んでいた。
隕石の直撃を受けた家
まずは隕石をその身で受け止めた、松本さんのお宅をGoogleマップのストリートビューからご紹介しよう。
モニュメントの奥、木造2階建ての家屋が松本邸だ。
こんな感じで一個人の家を紹介してしまうのは、このご時世ではなんだか気が引ける思いもするが、さっきの通り看板にはデカデカと松本邸を示す看板が立っていたしね。
さらに、メテオプラザでは松本邸の詳しい間取りまで紹介されていたりするからね。パーソナルデータ大放出なスタンス。
これがモニュメントだ。
何をイメージしてこんな芸術的な造形になったのか、そっちのセンスがない僕には理解できかねるが、そのモニュメントの真ん中をよく見てほしい。
…石、挟まっているだろ?
それが1992年にここに落下した、美保関隕石の実物大のレプリカなのだ。
美保関隕石のサイズは、最大長25.2cm、重量6.38kgだ。
7/13に発表された習志野隕石が4.5cmの63gと、5.0cmの70gだから、その差は歴然。美保関隕石のほうが断然ビッグである。
デカくて重いということは、それだけ破壊力もあるということ。
先日の習志野隕石がマンションの手すりにゴチンと当たって2つに砕けてダウンしてしまったのに対し、ここの美保関隕石は屋根から床下まで一直線に突き破っている。
松本邸が木造であるという要因も大きいだろうが、いずれにしても怖いよな。
こんなビッグサイズの石、1cm上から落とされても痛いだろうに、宇宙空間から流星のように尾を引きながら突っ込んで来たら、屈強なおすもうさんでもディフェンス困難と推測する。
この隕石、嵐の夜に松本邸を突き破ったから、住民は「雷が落ちたのかな?」と思いつつそのまま寝て、翌朝になって屋根から床まで開いている穴に気付き、そしてその後に隕石だと発覚したとのことだ。
松本邸は、その穴を完全には修理をせず、その後も被害状況を公開したりしているとのことらしい。
http://starsight.on.coocan.jp/MAC/OAA/OAA_150_matsumoto.pdf
(美保関隕石物語)
僕も関連するサイトはいろいろ巡ったが、上記リンクは隕石自体にはあまりスポットを当てておらず、隕石が落ちてきた家の人がうろたえる様を描くヒューマンドラマであり、切り口が秀逸だった。
あなたも隕石が自宅に落ちたときにうろたえないように、むしろいつ自宅に隕石が落ちてもいいように、予習のために読み込んでおくとよいと思う。
ちなみに本物はさっきのメテオプラザで展示されている。
まさにこの隕石を紹介するためだけに存在する巨大資料館である。1つの隕石の落下が、島根半島北岸の小さな港にデカくて奇抜な資料館を爆誕させるに至ったのだ。
隕石の影響ってすごい。
いや、違う。この程度の影響でよかった。主に悪い方向に影響が出なくって。
ティアマト彗星みたいに集落1個ぶっ潰すような被害は困るし。
ましてや白亜紀最後のK-Pg境界を引き起こした隕石は、直径10㎞だからな。恐竜はおろか、植物も大半が絶滅し、衝突の粉塵で数年は夜が続いたそうだからな。
美保関隕石にせよ習志野隕石にせよ、怪我人がいなくって本当に良かった。
ありがたいことに、モニュメントの横には比較的詳しい説明版が設置されていた。
これで、情報量はメテオプラザには遥かに劣るものの、そこそこの把握はできる。
一部を引用すると、以下のような感じだ。
国立科学博物館島正子博士らによる迅速な分析研究の結果、約6100万年の間ほぼ現在の形で宇宙を漂っていたことが分かった他、世界で初めての放射性核種が検出されるなど貴重なデータが多く得られました。
また驚くべきことに、落下が目撃された世界最古のいん石とされる「直方いん石(861年福岡県)とは、火星と木星間に存在する小惑星群の中の同じ母星から宇宙に飛び出した可能性が極めて大きいとのことです。
「宇宙の双子」が地球上の日本に衝突して再会できるとは、まさに天文学的な確率の奇跡といえましょう。
直方隕石とのロマンスはよくわからないが、とりあえず国内で数10例しかない隕石なのだから、大変貴重。
これがもしあと数mズレていたら、目の前の海に落ちたのだから、松本さんは「デッカい雷だったなー」で終わり、永久に隕石だと気付かなかったろう。
松本邸を出発した僕は、島根半島北岸を西に走り始める。
ここからの道はとんでもなく狭く、そして永久と思われるほどに長かったんだけど、それはまたいつか機会があったら話そう。
ところで、先日の習志野隕石はその点が非常にレアで、飛行している火球から落下位置が推定され、そして発見に至った国内初めての事例と言われているそうだ。
インターネットの普及によるところも大きいと思うが、すごい実績を上げたのだね。
空を見上げれば、そこにはいつもと同じ、何の変哲もない夜空が広がる。
しかし、星々が飛び交う無限の宇宙の中に、この地球が浮かんでいる。
そこで暮らす僕らも、宇宙の一部なのだ。
そんなことを感じさせてくれたスポットであった。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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