まさかね、店の狭さで蕎麦屋を選ぶ日がやってくるだなんて思ってもいなかった。
子供時代の僕自身に、「お前の将来は、狭い蕎麦屋を求めて車中泊の旅をするような人間になるのだぞ。」とか教えたら、絶望で人間不信になりそう。
ついでに蕎麦アレルギーになりそう。
あ、事実子供の頃の僕は蕎麦アレルギーだった。
そうか、そういうカラクリか。これでタイムトラベル物の小説を1つ書けそうだぜ。
…とにもかくにも、僕はあの狭い蕎麦屋の話をしたいのだ。
あの春うららかな日に食べた、一杯の蕎麦の話を…。
せまい(入口)
僕は塩尻駅前に現れた。
塩尻駅前の駐車場は、30分無料だそうだ。使わない手はない。
駅構内で蕎麦を食べて、また戻ってくる。うん、充分すぎる時間だ。
愛車のHUMMER_H3を駐車場に停め、僕は駅と対峙した。
この駅構内には、立ち食い蕎麦屋がある。もっとも、全国各地の駅構内に立ち食い蕎麦屋はあるだろうが、僕は立ち食い蕎麦未経験の人間である。
人生で一度切りの立ち食いデビューを、ここ塩尻駅で迎えるべく、やってきたのだ。どうしても、塩尻駅で立ち食い蕎麦を食いたいのだ。
塩尻駅には、それだけの価値がある。
改札口に行くと、僕は券売機で切符を購入した。
別に愛車を置いてどこぞに旅立つわけではない。駅構内に入場したかったので、そのための入場券を購入したのだ。
その料金は140円。
これは僕にとっては、ただ駅構内に入るための切符ではない。
人生の階段をのぼるための大切なチケットだ。
改札を通過し、お目当ての蕎麦屋を目指す…。
すぐに見つけた。
時空の割れ目のような、その蕎麦屋への入口を。
… 狭い。
その店の名は、「そば処 桔梗」。
日本一狭いと言われている蕎麦屋だ。
なんだこの入口の狭さは。
入口というか、スリットというか…。
その入口の幅はなんと50cm。
「設計のための人体寸法データ集」(通商産業省生命工学工業技術研究所)によれば、成人男性の肩幅の平均は45.6cmとのことだ。
それよりわずか4.4cm広いのみ。つまり片側2.2cmずつのスペースがあるのみ。
これは己の空間把握能力を過信しすぎると、肩を脱臼する結果になりかねない。
若干体を斜めにしながらスルリと店内に入るのが成功率を高める秘訣だ。
せまい(店内)
さぁ、そしてめくるめく店内だ。見てほしい。
狭ッ!!
上の写真は、店の一番奥付近で撮影したものである。
しかしながら写真の右下に、今入ってきたばかりの入口がしっかりと映っている。手を伸ばせば余裕で入口に手が届く。
以上。これが、この店のホールの床面の全てだ。
この床面は、広さ135cm×65cmという。
前述の通り、男性の肩幅を45.6cmとすると、2人で90cm。
これが限界だろう。この店は定員2名だ。
…これが限界だろう。
電車のシートとは違い、食事をするのだからどうしても肩や肘は動く。体にピタッとつけたままというわけにはいかない。
そのスペースが、片手分11cmで限界。
「日本って狭いのね…(涙)」と外国人に言われそうな狭小スペースだ。
ただ、ハードルはそれだけではないぞ。
券売機!!
定員2名なのに、これを設置しちゃったよ。
ただでさえ狭い空間に、さらにイベントをブチ込んできたよ。
よく写真を見てほしい。
向かって右側がカウンターだ。券売機があるのは決して背中側ではない。むしろ左肩にジャストフィットする配置だ。
さっきの図を流用するとこうなる。
向かって右側に先客がいるのであれば、その先客の腕が動くスキをついて、券売機で食券を購入する必要がある。
かなり難易度の高いアクションゲームであろうことが予想される。
かと言って、では1人目の客が入口側にいたらどうなるだろうか?
前述の通り、ホールの奥行きは65cmしかないのだ。
人間の体の厚みは20cmちょいらしい。ここでは22cmと仮定しよう。
また、食事をしている際にカウンターに胸を押し付けているわけではないと思う。
10cmの空間を空けていると仮定しよう。
なかなかシビアな世界だな、これは。
僕が訪問した際、先客はいなかった。
店の手前と奥、どちらをチョイスすべきか少し迷ったが、結論として奥を選んだ。
なぜなら、入口側に立つと後からくるお客さんが「あれ?満員なのかな?」と思ってしまうかもしれないので。
お客さんが来たら、僕はカウンターに極力くっつき、そしてお客さんは体を横にしつつ僕の後ろをすり抜けて券売機側に。
そのタイミングで、僕は入口側に場所移動する。こうすることで、次のお客さんは券売機を使うことができる。
…そんな作戦を考えた。
上の写真も、券売機に背中を押し付けて撮ったものである。
写真の一番右には既にお店の反対側の端が見えている。
ちょっとわかりづらいかもしれないが、カウンター下の茶色い壁には、ウッドパネルの繋ぎ目が映っている。これがお店のほぼ真ん中。
ここを強調し、今までの写真をもう一度振り返っていただきたい。
あと、カウンターの上の僕のグラスは撮影中移動させていないので、それも踏まえて見ていただきい。
黄色い線と青いグラスは同じ位置。ただただ、驚愕の間取りであった。
ちなみに、居心地はすこぶるよかった。
狭いと落ち着く。…ネコのように。
うまい(蕎麦)
では、注文だ。小さな券売機にメニューが並ぶ。
かけうどん・かけそばなどは290円だが、せっかく信州に来ているので、信州っぽいものを食べたいな。
僕は「安曇野わさびそば」をオーダーした。420円。
わずか1分ちょいで、安曇野わさびそばがやってきた。
さすが駅ナカの立ち食い蕎麦屋。ここいらのレスポンスは非常に速い。
そしてうまそうだ。
わさびそばは、すりおろしたわさびの根の部分を使っているわけではない。
葉わさびであった。
信州安曇野は水が綺麗かつ豊富であり、わさびの一大産地。だからこそできる、珍しいメニューなのだろう。
食べてみるとかなり辛い!でも爽やかなわさびの風味が鼻を衝く。
すりおろしたわさびと比べて、ずっとみずみずしく感じる。
…すごいうまいぞ、これは!
今ね、この店内の感情の分布はこうなっている。
「せまい」の中に、一点集中型の「うまい」が生まれましたぜ。
よーし、これで午後の旅も元気よく続けられそうだ!
狭さの謎を解明する
なぜこの店はこんなにも狭いのか。
まずは1つ重大なネタバラシをしてしまうと、この店の顔はもう1つあるのだ。
正確に言えば、僕が入った店員2名のブースは、いわば店の裏の顔。
ホントに文字通り「裏の顔」。
つまり表があるのだ。
ザックリした店周辺の間取りをご説明しよう。
これで、本来のこの店の表側は、向かって上側のベンチスペースに面していることが、おわかりいただけただろうか?
そして、冒頭であえて僕はが入場券を買い、自動改札を通って店の裏側に回ったのも、ご理解いただけただろうか?
この店は、ベンチスペースで次の電車を待つお客さんなどをターゲットとしており、僕の入った裏側は、電車の乗り換えなどのように改札を出ない、ごく一部のお客さんへの門戸としているのだ。
…それでも「狭すぎるぜ!」ってお思いのことだろう。
今一度、裏側入口の写真を見ていただきたい。
どうやら2002年までは写真のエレベーターはなかったそうだ。
エレベーターの設置により、店舗が圧迫されて現状のようになったらしい。
2001年以前の詳細な情報は掴めなかったので、そのときの裏側の形状がどうだったのかは不明だが。
いずれにせよ、わずか2名のスペースを諦めずに継続したことで、一部マニアが熱狂する極小蕎麦屋が誕生したのだ。
コロナと豪雨の渦中のインタビュー
僕には大きな懸念があった。
それは、この「withコロナ」のご時世において、「そば処 桔梗」のあの狭小空間はソーシャルディスタンスを100%確保できないだろうという懸念。
それでも2名入れているのだろうか?
それとも1名のみのスペースとしたのだろうか?
あるいは閉鎖…??
もし1・2名の場合、あの空間に消毒用アルコールなどを設置したのだろうか?
カウンターの端にチョコンと設置でもしたのだろうか?
疑問は尽きない。
では、取材だ。
ブログへの写真掲載許可申請等を兼ねて、統括している運営会社に質問をした。
それに対する質問の返信メールをいただいたのは、令和2年7月豪雨と気象庁が命名した一連の豪雨が信州を襲っている、まさにその日であった。
大変な中、蕎麦屋に関する返信をいただきすみません。
ちなみに、結構スピーディーに返事をいただいたにも関わらず、その返信メールはなぜか「迷惑メール」フォルダに分類されてしまっており、僕は1週間近く存在に気付かなかった。
ダブルすみません。
担当さんからのコメントによると、お店の裏側エリアはコロナ感染抑制の観点から、現在はクローズしているとのことだ。
あー…そうだよねー…、なかなか難しいしよねー。
ただし、広い表側エリアは営業しており、消毒用アルコールも設置されているそうだ。
おぉ、少なくとも現在も、あのおいしいわさびそばは食べられるぞ!
そして今後の展開なのだが、まずはどうにか1人ずつ利用できるようにしようと、対策を模索中なんだとか。
マジか!!
近日中に、究極形態「定員1名」の店に自己記録更新するかもしれないぞ!!
興味ある人、是非そのタイミングで訪問してみていただきたい。
そして、コロナの渦中にてがんばるお店を応援してきてほしい。
塩尻駅の、急いで歩いていたら気付かずに通過してしまうような、次元の狭間に迷い込んだ物語。
店は小さいけれども、大きいドラマがそこにあった。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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