遥か南の海。石垣島から小船に揺られて辿り着いた、日本の有人最南端の波照間島。
そこに「たましろ」という名前のクレイジー極まりない宿があった。
日本一ボロいとか、日本一汚いと言われる宿。愉快な旅人が集まってドカ盛りご飯をつつきながら毎晩ゆんたくする、最高に楽しい宿であった。
旅人たちの間では伝説の宿だ。『北の「桃岩」・南の「たましろ」』。そう言われたりする。桃岩とは日本の有人最北端の島である礼文島の「桃岩荘」を指すのだが、そこも大変に芳ばしく、僕の大好きな宿である。
そんなたましろだが、1年前の2023年にオーナーのオジーが亡くなり、閉鎖してしまった。とても悲しい。
オジーが亡くなったことは常連さんを通じて早い段階で僕の耳にも入ってきたが、「しばらくのうちは内密にしておこうとなっている」と聞いていたので、その通りにした。
だがオジーの死から1年が経ち、今やWebで普通にその情報を確認できるようになった。
なので、この折にたましろの思い出を執筆しようと思う。
僕、たぶんたましろが無かったら、今の人と結婚してなかったと思うぜ。
■1回目:スクランブル
なんだこの宿は
波照間島の初夏の朝。僕はレンタサイクルショップのオーナーさんが運転する軽ワゴンに揺られていた。
ショップに行く前に、僕の今夜の宿であるたましろに立ち寄って荷物を置かせてくれるらしい。ありがたい。
オーナーさんが車にブレーキをかけ、「ここだよ」と教えてくれた。
うん、すんごい。
ジャンク部品が散らばっているしブルーシートだし、なんかもう説明する気も無くすくらいにインパクトが強い。
一緒にワゴンに乗っている「ひまこさん」が「私はここ、無理なんだよね…」と眉をひそめた。その気持ちは痛いほどわかるが、それを耳にすると僕も自信を無くしそうだから辞めてくれ。
で、僕の荷物はどこに預ければいいのだろうか?
軒先で寝ている人(常連さん)に聞くと、「オーナーのオジーは不在なので、そこの外のテーブルに置いておくのがいいんじゃないかな」とのことで、そうした。
バガバガのセキュリティだが、まぁいいや。今夜が楽しみだ。
このあと、僕は昨夜の宿で一緒だったひまこさんと共に自転車で島中を駆け巡る。自転車で半日もあれば容易に島一周できるような規模なのだ。
初めての波照間島は何もかもが新鮮だった。特に「ニシ浜」は最高だったな。3回行った。でも他の観光スポットを含め、今回は全部割愛しよう。たましろのことだけ語りたいので。
15:00すぎに別の宿に泊まるひまこさんと解散。じゃあね、またどこかで会うことがあれば。
まだ早い時間ではあるが、炎天下で朝から自転車を漕いでいたので汗だくでクタクタなのだ。たましろにチェックインしよう。
オーナーのオジーは、買出しかなんかでまだいなかった。軒先のテーブルで他の宿泊の人とダラダラ話しながら待機する。平和な時間だ。いい感じの日陰で眠くなってくる。
てゆーか、実際寝ている人もいる。最高にゆるいな。ここが毎晩ゆんたくが行われるテーブル席らしい。
16:00頃、オーナーのオジー「玉城さん」が戻ってきたのでチェックインの手続きをする。1泊2食で5000円だ。そして部屋に案内される。
建物の中、とんでもない熱気。宿泊者たちが外で寝ている理由を理解した。
熱帯のような湿気であり、畳も布団もペッタペタ。畳はじゃっかん砂でジャリジャリ。エアコンはなく、布団1つに付き扇風機1台が用意されているという異様な光景に、さんぴん茶噴いたわ。
心地よい疲れだ。夕食まで昼寝でもしようかな…。僕も常連さんたちにならい、屋外のテーブル席で1時間ほど仮眠をした。
幻の泡盛とドカ盛りご飯
17:45だ。夕食は18:00から開始であり、続々と宿泊者が揃い出した。これからたましろ最大の名物である夕食が始まるんだぜ、ウホホ、楽しくなってきた。
まずは泡波とロックアイスがガンガン配られる。「まずは」なんてサラッと書いたが、これを本州で飲もうものなら万札が余裕で消えるからな。波照間だからこそ飲める、幻の泡盛なんだからな。
だがたましろでは飲み放題だ。最強!ハッピー!みんなでカンパイ!!
同泊者は20人以上いるのでいいペースで瓶は空になり、オジーがさらに泡波1升瓶を持ってきた。1升は常連でも滅多に見たことがないレアらしい。会場がどよめいた。興奮の坩堝(るつぼ)。
酒を飲みながらいつ島に来たのかだとか、波が激しかっただとか、今日のニシ浜のコンディションどうだとか、島の話題で盛り上がる。観光地が少ないから何の話をしてもみんなが理解できて楽しいぜ。同じ目線で話ができる。
ここでたましろ名物のドカ飯が登場!!すさまじいボリューム!!
茶碗が小さく見えるかもしれないけど、実はかなり大きい丼だぜ。普通の茶碗の2~3膳分はあるのかな?牛丼屋の特盛くらいを想像してほしい。
ウナギが小さく見えるが、これは普通サイズだ。お茶碗であれば白米を覆えるくらいの大きさはある。
それと対比すると、いかにうどんが驚異的な量なのかわかるだろう。たぶん3玉くらい。かきあげも負けじと巨大だ。炭水化物コンボ。
あとは刺身の盛り合わせ、バナナ・パイナップル・漬物・ジーマミドーフ。
常連さんに言わせると、今日のメニューはやや難易度が高いらしい。「まずはかきあげを違う皿に非難させ、うどんを速攻で攻めよう!」…みたいな作戦が広まり、ひたすらうどんを食べる。すばやく食べないとうどんが汁を吸って永久に食べ終わらなくなってしまう。
現に僕の隣の人はうな丼から食べて大失敗し、うどんはほとんど手をつけられなくなっていた。かきあげは2時間後くらいに酒のつまみにし、うな丼もうなぎだけをつまみにして、ご飯は食べないのが賢いんだって。
僕、うどんの麺を食べきったよ!頑張った!快挙だ!しかし後悔…。もう満腹。オカズ食えない。炭水化物だけで力尽きた…。
悔しいので根性で刺身を完食する。あとはちょっとずつかきあげを攻めようか。
もう周りではリタイアの人が続出してきていた。
まぁそんな人も含め、終始酒を飲みながらみんなで楽しくゆんたくしているんだけどね。時間は無限にあるのだ。なんなら朝まで食べていてもいいのだ。思い思いに食事を楽しむのだ。
食べながら綺麗な夕焼けを見てていたが、20:00頃に暗くなってきた。日本の最西部にあるので1日が終わるのがとても遅いのだ。21:00くらいまではかろうじて明るい。
あぁ、もう2時間も経っているんだ。話しているとあっという間だな。でもまだ全然食べ途中だな。
メンバーの中には今日島を離れたかったけど欠航で連泊になってしまった人が5・6人いた。さすがに明日は島を出ないと仕事がヤバイんだって。おー、明日に帰らなければいけない仲間がいるぞ。僕もそうだぜ。
明日は1便で島を離れた方がいいかな?常連さんによると、1便が一番出航できる可能性が高いみたいなので、僕も1便狙いでいこう。
明日の1便で島を出る予定の人たちと話し合う。きっと今日はほぼ全便欠航だったから、一番確率の高い1便に人が集中する。フェリーには確実に全員乗り切れないだろう。そうしたら早い者勝ちだ。朝、速攻で港に行かなければ。…ということらしい。
朝食を早めてもらうことってできるのかな?とりあえず早起きはしなくちゃ。
21:30ごろ食事をギブアップした。
うぅ…、ご飯は半分以上残してしまったよ…。宿泊者20数人のうち、2名が完食できたみたいでした。すげー…。
ここでシャワーを浴びるために席を外した。ボロッボロの小屋の中でシャワー浴びた。
その後、ゆんたく席に戻ってしばらくダラダラしていた後、「希望者でニシ浜に星を見に行こう!」ってなった。行く行く!
合計8人でほとんど真っ暗で街灯も無い道をニシ浜まで歩く。
頭上は満天の星。夢みたいな世界。北斗七星とサソリ座が綺麗だ。残念ながら南十字星は見えていないけど。
東屋の思い思いの場所に腰掛け、みんなで夜空を見上げる。
天の川が空を横切っている。ときおり流れ星が飛ぶ。ニシ浜の穏やかな波音だけが心地よく聞こえる。お互いの顔も見えないくらいに辺りは暗い。
同泊者の人の三線の演奏を聴きながら最南端の星々を見ていると、旅って本当にいいなーって思えるよ。
別れは嵐のように
昨夜は部屋に戻ってすぐに爆睡したので、汚さとか暑さとか全然意識しなかった。
8:00から朝ごはんなのだが、7:20くらいから僕はそわそわしてゆんたくテーブルにいた。同じような人も数人いた。
朝食を食べたらすぐに出発したいから、荷造りを済ませておく。
オジーは「みんなフェリーが気になるだろうから、今日は早めにご飯にするよ。」って言ってくれた。
朝ごはんができるまで、ゆんたくテーブルで空の様子を眺めていた。
昨日よりも若干風が弱いような気がする。一昨日の夜なんて嵐の前みたいにゴウゴウいってたけど、それと比べるとだいぶ穏やかだ。
しかし問題は波が収まっているかどうかだ。波照間は外洋だから、八重山諸島の他の島と違って海の状況が過酷なのだ。
ソワソワしているだけってのも耐えられないので、石垣島のフェリー会社に電話してみた。「さっき石垣港からは出航しましたよー」って、電話に出た係員の人が教えてくれた。
わーい、やったー!これで少なくとも波照間から船には乗れるよね!
…って喜んで同泊者の人に報告したら、「いや、大抵石垣島からは出るって。そのあと波照間島の直前で引き返すパターンが多いんだよ。」だって。
ガクッ…。
そうだった。そういや昨日の1便だってそのパターンだったと聞いていたな。もう波照間が見えているのに引き返すこともあるらしいのだ。
あー…、不安だ。
こう考えると一昨日の夕方に僕がちゃんと波照間に来れたのって結構すごいのかも。3回もトラブルを起こし船を一艘壊しながらも到達したもんなぁ。
人数が多いので屋外のテーブルと室内のテーブルで2班に分かれた。僕は屋内になりました。なんか、アレだね。ここはトイレが近いので、そこからの臭いがアレだね…。
うっわ。多っ!
何この味噌汁の量。ラーメンかなってくらいのボリューム。奥にサンマ一匹があるのに、遥かにインパクト負けしてるわ。とりあえずガンガン胃に詰め込んでいく。
ちなみにたましろでは朝食時に一緒にラップや塩を出してくれる。常連さんはこれで朝食の残りでオニギリを作ったりし、昼ご飯にするそうだ。
「すぐに港に向けて車を出発させられるからねー。」とオジーがのんびりした口調で言う。よし行こう。バタバタしてしまったが、楽しかったよ。最後に振り返って宿の写真を1枚撮った。
同泊者3人とたましろのワゴンに乗りこみ、宿の前で手を振る同泊者の人たちに挨拶し、港に向けて出発したのが8:20だった。
1便は9:30に波照間を出航する。この時間から港に行って間に合うだろうか…。
既に朝ご飯の前にたましろの前を素泊まり宿「やどかり」の送迎ワゴンが通過していたのを思い出した。
そうだった。朝食付きの宿よりも素泊まりの宿の方が早いに決まっている。これはピンチ?
そしてフェリーはちゃんと来るのか?無事に石垣島まで行けるのか?
「お香典がいらないことを祈っときますわ~。」とか、オジーが縁起でもないことを言ってる。みんなで精いっぱい突っ込む。
オジーにお礼を言い、僕らは桟橋へと急いだ。
さて、今回はたましろのお話なのでここまでだ。このあと、フェリー乗員の倍くらい桟橋に溜まる人々、大荒れの海、海上保安庁も巻き込むあれやこれやのトラブル…などがあるのだが、それも割愛。
…と、かつて「八重山スクランブル」というタイトルで執筆した長編旅行記の一部からのご紹介でした。
■2回目:クライシス
お正月は永久に続く
夕方16:30、再び僕は波照間島の桟橋に降り立った。
各宿の車が港に送迎のために来ている。その中でもひときわボロくて白いワゴン車。みんな知っているね、たましろのオジーのワゴンだよ。このワゴン、すごいんだぜ。天井の内貼りとか、全部剥がれて鉄板丸見えよ。頬が緩む。
ワゴンに乗り込むと、同じ便で島に着いたらしい旅人が1人いる。聞くと、さっきのフェリーで僕の後ろの席に座っていたという。
名前は「KEN君」で波照間島は初めて。僕と同じく2泊3日の予定だそうだ。よろしくね。
いやぁ、相変わらず笑える外観でワクワクする。
クリスマスパーティや正月パーティをやって片付けていないのか、いたるところにそれらの飾り付けが残っていた。「明けましておめでとう」と書かれているが、もうすぐ4月だぞ。
KEN君はたましろのうわさは聞いていたとのことだが、想像以上のレベルに既にビビっていた。
そして「前面に掛かっているブルーシートがイメージダウンの元だと思う」と冷静に分析をしていた。うん、間違っちゃいないがそういうレベルではないと思うよ、もはや。
オジーは「19:00から夕食なので、それまでに「お風呂に入っておくといいですよ。」と言う。
どうやら今日の宿泊者は僕とKEN君の2人のみだそうだ。3月後半の3連休で多くの旅人が来て、それが掃けた直後の様子。でもまた明日からは週末なのでこの宿にも9人ほどの旅人が新たに来るらしい。今日はちょうど閑散日のようだね。
このあと、「夕食が19時ならば時間的に余裕よ!」みたいな感じになり、KEN君と共にニシ浜まで歩いたり近くの商店で買い物したりしたんだけど、そこいらの話は割愛。
で、綺麗なニシ浜を眺めた後の… ―
ー …たましろ。この落差。ギャップ萌え。
パッと見では絶対に宿だとは思えない。建物であることはわかるが、一体何棟が合体しているのかもわからない。あと、ついでに入口も知っていなければわからない。面白いだろ。他人事だと思って笑っててくれや。
いろんなところから正月がチラッチラと見えている。このクソ暑い中に正月要素を持ってこられても戸惑うばかりだ。
庭の一角には、野生の泡波が集会を開いていた。この量、写真に映っている分だけでも東京で買おうとしたら、5万でも無理だよね。それを水のように飲める宿は、波照間島でも貴重なんだぜ。
宿は奥に行くほどカオスな感じになっていく。洗面所とかお風呂場はかなりのレベル。ドアの建付けは最悪だ。シャワーやトイレを使う際には、常に「誰かがドアを開けませんように」と祈りながらだ。
キッチンから出てきたオジーが「お風呂の後に夕日が見えるかもしれないよ。今の時期ならモンパの木の付近だよ。」と教えてくれる。
「モンパの木」は、ここと「ニシ浜」との中間あたりにあるお土産屋さん。んじゃ、ダッシュでお風呂に入ってから夕日を見に行こうかな。
シャワー後、オジーは宿の自転車も貸してくれた。
「全部かなりガタが来ているから、それを覚悟の上ならば自由に使っていいですよ。」とのことだ。うん、想像はついてますんで大丈夫です。
漕ぐ度にガショガショいい、ハンドルが若干曲がった自転車で、KEN君と夕日を見に行ったのだが、そこいらもまた機会があったら書こう。
夕食ギリギリで帰還した。せっかくシャワー浴びたのに、また汗をかいた。
この島、まだ春なのに暑すぎるんだよ。そしてブッ壊れそうな自転車で坂道を上がってくるのは想像以上にふくらはぎに負担がかかったよ。
ここが僕の部屋。扉を閉めるにはかなりのコツが必要だし、床は老朽化で一部沈んでいる。座布団とか布団とかはちょっとアレだし、壁に掛かっている鏡は割れている。
座卓にお湯(?)の入った急須が置いてあるが、中にはいつのものかわからない茶葉がミッチリ詰まっている。これ危険?自分のさんぴん茶を飲むわ。
ドカ盛りを前に醜態さらせ
そして19:00、夕食が始まる。どうやら人数が少ないので宿の前のゆんたく用のテーブルではなく、室内のテーブルらしい。前回にお朝ご飯を食べたお部屋だ。
まずは泡波だな。この島以外ではほんのコップ1杯でも1000円くらいする幻の泡波。泡波は島内で消費される分しか生産していないから、島から出ると一気に高くなるのだ。
それを「まずは」とか言って飲める幸せ。カンパイ!
すさまじいボリュームの夕食が登場。
普段はポジティブシンキングのYAMAさんも、見た瞬間もう敗北を悟りました。
余裕。余裕で敗北よ、これ。本能レベルでもうわかった。うまそうだがダメこれ。
とりあえず脳内で素早く攻略作戦を立てた。
一番危険なのは、手前の沖縄そばだな。パッと見で3玉分。そこに大量の肉が乗っている。普通だったらこれだけで満腹になるか食べきれないボリュームだ。
これの麺を最初に攻略し、のびるのを防ぐ。
次に何気に脂分が多いであろう、刺身セットをたいらげよう。時間をあまりおくのも衛生上もよろしくないし。
それから小鉢類を個別撃破し、ゆっくりとご飯の上の鮭を食べながら酒を飲む。その下の大量のご飯は食べれたら食べるが、厳しいかもしれないな。バナナはKEN君に食べてもらおう。よしっ、カンペキだ!世が世なら天才軍師だぞ、僕は。
…無理でした。
まずは麺の半分だけで満腹。「ヤバいです、ヤバいです!」とかアラートをKEN君に出しまくり、そうそうに小鉢に逃げる。
そんで中盤には「もうコーヒーゼリー食べちゃっていいですかぁ?安らぎが欲しいん
ですけどぉー。」と禁断の発言。
KEN君に「もう逃げるのかよ!」とツッコまれつつも、ツルッとゼリー食べちゃった。あぁー、和む。
バナナは計画通りKEN君にあげた。鮭の乗った2杯分くらいのご飯はもう全然無理。鮭を1口食べるだけで限界だった。
一方で基本的に出されたご飯は全て食べるのがポリシーというKEN君も無様に敗北してた。
あとは2人で食堂でダラダラTVを見つつ酒を飲み、旅の話をした。
楽しいねぇ。2人だけだけども、ダラダラと周囲に気を遣わずに酒飲んでご飯を食べて。今日出会ったばかりとは思えない。
星が出ていたらいいなって思って、KEN君とちょっと外を見に行ったけど、分厚い雲がかかっていた。ま、いっか。疲れたので寝る。
鉛色の空の下で
朝起きて、外に出た。
お、おぅ…、なんなのだよ、この絶望色の空は。いつ雨の降り出してもおかしくないような空気感。しかも寒い。
そんで風が強い。辺り一帯がザワザワしてる。それと連動して僕もザワザワと胸騒ぎ。庭のクリスマスツリーもザワついている。
オジーが出てきて、「今日は1~3便はダメだぁ…。4便は大丈夫だと思うが…。」っ
て言う。1~3便欠航ということは、夕方までは島のメンバーは固定されるということだね。
朝も破壊力大だ。一番奥に焼き魚1匹とかドカンといますからね。中央に鎮座する玉子とじも、玉子5つくらい使ってるんじゃない?
そしてご飯はおひつでやってきた。フタを取ってみたら、6~7合分くらいのご飯がデーンと入っていたので、そっ閉じよ。ムリだし。1膳の半分も食べれないよ、僕。
2人で1時間半かけて食べたけど、もちろん残してしまった。
その後はKEN君と自転車で島内を巡るんだけど、いろいろあってさ。
「明後日から仕事だからどうしても確実に島を出たい。貨物船に紛れ込んででも出たい。」と真剣に話すKEN君。ヘタすると今日の宿泊者が自分1人になってしまうので、それを穏便に食い止める僕。
全便欠航!!
「貨物船ぱいかじに乗るんだ」とまだ言っているKEN君をなだめ、たましろのオジーにこのことを報告しに行く。
オジーは「そうですか…。今日来る予定だった9人は全員キャンセルですか…。」と肩を落としていた。出会えるはずの旅人に出会えなくって、僕も残念だぜ。
でも波照間ってこんなもん。概要だから欠航率が非常に高いよね。
1日中自転車を漕いでヘトヘトになり、2人とも夕方に仮眠。
そして19:00にゆんたく開始なのだ。週末でここに来るはずの旅人たち9人がいなくってまた2人だけだけど、親睦を深めようぜ!
泡波もおなじみだ。もう幻とか貴重とかって感じではなく、ゴクゴク飲むぜ。自転車で走り回って水分欲しているしな。
そして今夜のドカ飯はこちらだ。
おぉ、今日は活路を見いだせるかもしれないぞ。僕もKEN君もこのメニューを見て同じことを思った。
まず、手前のスープ。昨日はそばが3玉分くらい入っていたが、今日は具が少なめの普通のスープだ。これは胃に流し込める。
そして中央のメインのおかずは煮物。角煮・ニンジン・ジャガイモ・昆布・コンニャク
などが主な具だ。これはヘルシー。胃に負担をかけずに食べれるぞ。
さらに豆腐はツルッといける。他の小鉢も1つ1つは量は少ないのでダメージも抑えられる。バナナやパイナップルは食べれないのでKEN君にあげるとして、あとは刺身くらいか。
あと、ご飯が今日は丼ものではないので自分でおひつから盛る形式。これを食べないのであれば炭水化物ゼロ作戦となる。なんとかなるぞ、これ。
今日は結構作戦通りに行けた。やっぱ炭水化物が無いだけで全然難易度が変わるわ。
おひつには相変わらず大量のご飯が入っていて、僕はそれは1口くらいしか食べれなかったけどね。あとはフルーツ以外は全部食べられた。
そしてKEN君と語らいながら21:30くらいまで酒を飲んでいた。泡波、余裕で1瓶空いた。
食後に外を見てみると雲が晴れてきている。これ、「ニシ浜」まで行ったら星が綺麗に見えるかもしれないなぁ。
KEN君と2人、「ニシ浜」に行った。お酒飲んでいるし、道は街灯も無くて真っ暗だから徒歩だよ。いつも携帯しているライトで夜道を照らしながら歩いた。
まだうっすら雲がかかっているためか、天の川とかは見えないし、満天の星とまでは届かない感じ。しかし頭上は綺麗な星空が広がっていて、目が慣れるにつれていろんな星座が見えてくる。
しばらく波の音を聞きながら星空を見上げた。まだ風は強いけど、明日は天気も回復しそうだな。あとはフェリーが復活してくれることを祈るばかりだ。
今回はこの屋外のゆんたくテーブルは使えなかった。それがほんのちょっと心残りだけど、どんな旅だってオンリーワンなんだよ。失敗も成功も無い。
確実かつ保障された道を歩くだけなら、僕はそれを"旅"とは呼びたくないな。
僕は、今日という日に精一杯の感謝をする。
眠りにつく前に、改めて僕は夜空を見上げた。
サトウキビ畑で僕らは叫んだ
翌朝は、雲は少なめ。西の空は雲が多いが、東は晴れている。これはいい朝日を見れそうだ。しかし風はやや強め。うーん…、このくらいだったらフェリーは出ると思うけどなぁ…。少なくとも、石垣港は出発してくれるだろう。
とりあえず「天気がよかったら一緒に朝日を見ようぜ」とKEN君と話していたので、KEN君を起こしてオンボロ自転車に乗り、島の東を目指した。
朝日を見つつも手元の携帯電話をチェック。するとちょうど今しがた、本日全便運航すると発表された。
おぉぉぉ!!これで島抜けできる!!危機を乗り越えた!
島の東側のサトウキビに囲まれた一本道。その向こうに昇ってくる朝日を眺めながら、僕とKEN君は叫んだ。帰れるーー!!
陽光を背中に感じながらゆっくりとたましろに戻り、荷造りをする。
8:00から朝食だ。ドカ飯ファイナルだ。
おかずだけで満腹で、ご飯まではほとんど手を付けられない。無理矢理詰め込み、チェックアウトする。きっと船はヤバいくらい揺れるぞ。でも吐くなよ、朝ごはん。
フェリーは石垣港を無事出航したとの情報も入ってきた。
最後の懸念である波照間直前でのUターンも、オジーが「この程度の風なら大丈夫ですよ~。」と言ってくれた。
ではたましろ、さよならだ。
てゆーか上の写真、たましろのどこの何を撮ったんだっけ?外壁??
オジーにお別れを言い、僕らはターミナルの建物内に入る。まだ桟橋はガラガラなので並ぶ必要はなさそうだ。そもそも平日だったので島内には観光客も少なかったのだ。
9:30頃、石垣島からやってきた船が無事に入港した。
桟橋に降ろされる物資、そして陸に降り立つ旅人達…。また島が活気づくね。何人かの旅人がたましろワゴンに向かって行くのも見えた。
今日のたましろはきっと賑わうことだろう。
旅人たちの思い出は、こうして延々と紡がれていく…。
■3回目:ヴォヤージュ
久々の外ゆんたくは楽しい
八重山諸島を何日もかけて旅していた。当初波照間島に渡ろうと思っていた日は天候が悪く、全便欠航になってしまった。
予定を組み替えて別日に波照間に渡ることにしたが、その日は当初泊まりたかったちょっと雰囲気よさそうな宿は満員であった。
うーむ。でも波照間には行きたいんだよ…。波照間島で、前日に予約しても空いていそうな宿ってどこだろう…?
はい、そこのあなた。もうあなただったら答えられますよね?
「た ま …」。いや、みなまで言うな。
僕はチラッと横を見た。今回は1人ではないのだ。同行者は、この1年前に小雨の降る沖縄本島の海を見に行ったら、初めて見る沖縄の海に感動していた。
いやいやいやいや。雨の沖縄本島の海に感動するようでは、晴れの波照間の海を見たら泡吹いて気絶するぞ。実際やってみる?
…ってことでここまで来た。たましろはちょっとハードル高すぎやしませんか?
翌朝、気付いたら波照間港でたましろワゴン乗っていた。ゴメン、なんかもう、これしか策が思いつかなかった。オジーが予約電話に出て「はい~?」とゆるく応答したとき、正直安堵してしまった。
ワゴンには8人くらい乗った。大盛況だ。
オジーも表情からはわかりにくいが上機嫌のようで、「ではまずはワゴンで集落を案内しますね~」と言い、メンバーの1人が「何度も来ているので大丈夫です」と言っても完全スルーで、10分ほどの観光案内が強行された。
ちょっと天然入っているオジーの島案内、僕にとっては楽しい時間だった。
たましろについた。同行者が唾を飲むのがわかった。
オジーは「あの、お金ないんで。夕食の材料買えないんで先に5000円ください」と言ってきた。この正直者め!好き!
そのあと、レンタサイクル屋さんに行き自転車を借りて、みんな思い思いに島を駆け巡ったよ。
またニシ浜に行ったり、オシャレなカフェができていたのでそこでランチしたり、日本最南端のプラネタリウムを見たりいろいろしたんだけど、例によって全部割愛。
そんなこんなで19:00からたましろのゆんたくが始まるのだ。
まずはオリオンビールと泡波でカンパイだ。
外のゆんたくテーブルで10数名で夕食開始。楽しめそうだぜ!
おぉ、うまそうだ。炭水化物は1品のみだ。レベルはやや低めのヤツだ。
向かって左は大盛りのジューシー。右はアーサ汁。どっちも人気メニューであり、大変うまい。一同盛り上がる。
これまではゆんたくに同席していなかったオジーが今回はグイグイ来て、「では順番に自己紹介していきましょ~」ってなり、1人1人ニックネームやこれまでの旅などを話した。
ノリのいいメンバーばかりで、すぐに打ち解ける。
メンバーの1人は大量にオリオンビールを差し入れてくれた。狂喜乱舞。
途中で南十字星を見に行く星空ツアーの送迎バスがやってきた。ゆんたく中ではあるが、数名がそれに乗って最南端の天文台に出かけて行った。
以前は別の宿の送迎シャトルバスで僕も行ったことがるが、今は各宿ごとに行くのは禁止されていて、島共通の大型バスにみんな集合することになっているそうだ。
バスの中の他の宿の人たち、「へぇー、ここが伝説のたましろかー」みたいな顔でこっちを見ている。そうです、ここがたましろです。楽しいのです。
オシャレなペンションにはそれ特有の良さがあり、こちらにはこちらの良さがあるのです。
でもね、一緒にゆんたくしている男性1人と女性1人がたましろのアネックスに宿泊しているそうで。そっちはなかなかに衛生面が厳しいと言っていた。
アネックスなんてあったのか、初めて知った。こちら側の部屋の写真を見せると、「うらやましい!まるでスイートルーム!」って言ってた。マジか。
たましろオジー、裏声で歌う
オジーが「ではみんなで歌を歌って盛り上がりましょ~」と言い出した。
いきなり「知床旅情」を歌うことになった。最南端の島で北国の歌。いいぞいいぞ。もうみんなお酒入っているので海賊みたいに陽気に歌う。
続いて「遠くに行きたい」・「りんご」など。昭和の歌が多い…。よくわからんけど、みんなでわからんなりに肩組んで歌えば全部楽しい。
オジーは「えーと、あなた横浜から来たのなら「赤い靴」歌いましょうか。横浜の歌でしょ?」みたいなキラーパスも投げてくる。
「じゃあ次はオジーの番!!」って言うと、大真面目に歌ってくれるんだけども裏声でとんでもなく高い声で「小さい秋」を歌ったりし、一同大爆笑したりした。
オジーは「じゃあ次はこの歌」って言うんだけど大正時代の歌で誰も知らなかったりして。
「え…、どこの居酒屋でもかかっているでしょう…」と言うオジーに対し「どこの居酒屋だよー!」と複数名がヤジを飛ばしたら、本気でショボンとしてしまってみんなでフォローしたり。
オジー主催の歌唱大会だけで1時間くらい楽しんだ。ご飯をチビチビつまみ、酒を飲みながら外でこんなことする。非日常が震えるくらいに楽しい。
島情報もみんなとたくさん交換した。僕らが「隊長」と呼んだ人には黒島を勧められた。礼文島に行ったことがある人もいて共通の話題で盛り上がった。行ったことのない人には礼文島アピールをしておいた。
メンバーに三線弾ける人がいると盛り上がるよね。
リクエストすると様々な琉球ソングを奏でてくれ、それをみんなで歌う。あぁ沖縄の歌って素晴らしい。沖縄の夜ってすばらしい。
23:00ごろ、10人ほどでニシ浜に星を見に行った。満天の星が頭上に広がっていた。
たましろに戻ってくると、1人の女の子がたましろの前で泣いていた。集落の中心地の方から家出してきたと言っていた。みんなで事情を聴き、なぐさめ、そして夜道を歩いて家まで送り届けたりした。
その帰り道で見た星空、最高に綺麗だった。
さよなら最南端の島
翌朝。前日にシャワーを浴びるヒマがないほどに楽しんでしまったので、早起きしてシャワーを浴びた。ちょうどオジーがキッチンにいたので、頼んでボイラーをつけてもらった。
朝ごはんは、なんだかオジーがドタバタしているらしくいつもよりより遅めの8:15。しかもフェリー1便で島抜けするメンバーだけ、外の席で先に食べるようなスタイルだった。僕らは1便で石垣島に戻るので、先にいただきますね。
今日はこの時期ありえないほどに爽やかな気候。ちょっと肌寒いくらい。ムシムシしていないので快適はあるけども。
さて、そろそろ1便の人たちの港送迎の時間なのだ。宿をチェックアウトする。
たましろワゴンに僕と同行者、それと同泊者のおじさん1名が乗り出発。昨夜一緒にゆんたくでドカンドカン盛り上がったメンバーは、既にどこかに行ってしまったようだ。
あれ…。最後に挨拶したかったな。ちょっと切ない。
港に到着すると、昨夜のメンバーがみんないた。先回りして見送りのために集まってくれていたのだ。
みんなで集合写真を撮り、連絡先の交換をした。また会おうね!
フェリーが到着した。1人1人と握手をしながら船に乗り込む。
あれ…?でも見送りに来てくれた人、5人ほど少なくなっている…。そのままフェリーは出航。ゆっくりと防波堤を超える位置まで近づく。
いた!少なくなっていた5人のメンバーは、防波堤の最先端まで移動し、そこで僕らを見送ってくれていたのだ!
ありがとう!また会える日を夢見ている!!
僕と同行者は、最高の思い出に包まれ、外洋に向けて乗り出した。
-*-*-*-*-*-*-*-
この送迎時のメンバーとは、このあと東京で大集合して飲んだりした。
2023年、オジーの玉城さんが亡くなった。
2024年、この防波堤も安全面から立入禁止になってしまった。
日本最南端の島も、少しずつ変わってきている。また訪れたい気持ちもあるが、思い出の地が変わってしまった部分を見たくもないというジレンマもある。
それでも、僕の心の中の波照間とたましろは不変なのだ。
ありがとう、オジー。
以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。
住所・スポット情報