僕ら一般人が到達できる、日本の最南端はどこか。
それは「波照間(はてるま)島」だ。
正確にはその波照間島にある「高那崎」っていう岬だ。
今回ももちろん高那崎を絡めた日本最南端の話にフォーカスしたいのだが、それ以前にさ、波照間島に到着した時点でもう世界が違う。
日本最南端テイストが島中にムンムン満ち満ちている。
周囲全て水平線の、真っ白い珊瑚礁の小さな島。
「あー、死んでないのに天国に来ちゃったー…」って感じる。
昼はオリオンビールを飲み、夜は泡盛(「泡波」)を飲んで、旅人たちとゆんたくだ。
誰かしらが三線を持ってきているだろうから、みんな一緒に琉球ソングを歌うのだ。
僕は、寒い冬の間は毎日こんな波照間島のことを考え、懐かしんでいる。
(夏の間は3日に1回ペースだ、すまない)
今回は、そんな南国の楽園のお話をしたい。
最果ての珊瑚礁
まずは波照間島の位置関係をまずはご説明したいので、以下の地図をご覧いただきたい。
めっっっちゃ南だな!!
本土最南端の「佐多岬」も南国ムードが溢れていたのだが、ごらんよ。
例えば横浜から波照間に行く場合、佐多岬あたりでまだ半分なんだぜ。
つまり横浜人から見ると、波照間島の南国指数は佐多岬の2倍だ!
うん、なに言っているの自分でもわからねぇ!
参考までに、上記に佐多岬について執筆した記事のリンクを貼っておく。
良かったら事前に読んで見てほしい。
ほら、あなたも「いきなりプールに飛び込んではダメ。心臓ビックリするから、足からゆっくりよ。」って言われたでしょ?
それと一緒。いきなり波照間は心臓ビックリしちゃうからね。
…という冗談はさて置き。
アホみたいに揺れる。
なぜなら、波照間航路は外洋に突入するからだ。
初めて波照間に行ったときには、あまりの荒波で船がオーバーヒートして2回交換したのだぜ。船そのものをだ。
出航したと思ったらまた石垣島に戻ったり、予定にない「黒島」に寄港して一度降ろされたりして、ハラハラドキドキだった。
まぁそんな船旅だから、船は波間をマジに跳んで、海に落ちるたびに船内から悲鳴、船酔いした人にとっては地獄という、阿鼻叫喚であった。
僕も心臓ビックリした。
翌日はね、島で知り合った人の乗った船が沈んだりしたからね。
(僕は翌々日の定期船に乗船)
海上保安庁から僕宛にも生存確認の電話が来たさ。まったくもってスリリング。
何度か波照間島には行っているが、いつだって「島に行くフェリーがちゃんと出るのかハラハラ」・「島から石垣島に帰れるのかドキドキ」だ。
おもしろ過ぎて徹夜で語れる。
そんな南の孤島。
レンタサイクルで気軽に島を一周できるほどの大きさの、白い珊瑚礁で出来た島。
なんというステキなネーミングなのだろう。
高那崎は不憫な岬
さて、前述の通り日本最南端の岬は高那崎とされている。
なんで語尾を強調したのか、まずは波照間島のレンタサイクルショップでもらった地図を見てほしい。
ご自由に拡大してほしい。
「"たましろ"っていう宿に興味があるわ」とか言って、突撃してヤケドするのも大いに結構だ。(僕の常宿だ)
しかし注目してほしいのはそこではない。
地図の右下部分だ。
「あれ?高那崎って最南端じゃないぞ?」
…そうなのだ。
島の明確に最南端の部分には名前がついていない。
便宜上、高那崎が最南端とされているが、「日本最南端の碑」からは1kmほど離れている。
そして岩礁だけで何もないので、高那崎に行く人は稀だ。
みんな日本最南端の碑で記念撮影をするのだ。
だから(少なくとも僕の経験上、)最南端に行きたい場合に「高那崎に行こうぜ!」と言う人はいない。
みんな「最南端の碑に行こうぜ!」と言うのだ。これ注意。
だから「高那崎」と言ってもなかなか通じないかもしれない。
2021年現在、なんとGoogleマップにも登録されていない不憫な岬なのだ。
よし、もう高那崎という言葉を使うのはここまでだ。
充分に連呼してやったので、満足であろう。
では、日本最南端の碑に行こうぜ、ひまこさん!
日本最南端を示す物たち
自転車で日本最南端の碑に向かう。
波照間島は背の高い木立もないし、ビルも原則ない。
つまり日影が非常に少ないので、日差し対策と水分補給には細心の注意をしつつ自転車を走らせるのだ。
僕は合計4回ほどは最南端の碑を訪問しているが、一番最初は旅友のひまこさんと一緒だった。
船がバキバキになるほどの荒波を共に乗り越えた仲だ。
後日談だが、ひまこさんとはこの旅の後も一緒に関西最後の秘境の「芦生の森」を探検したり、神戸で飲んだり、和歌山とドライブしたりしている。
はい、そうこうしているうちに目印となる「星空観測タワー」に着いた。
島で一番大きいのではないかと思うスケールの建物だ。
ここから見える東屋の向こうが、日本最南端の碑だ。
300mもないので、星空観測タワーから歩いてもいいし、もう少しだけ自転車を漕いでもいいだろう。
ちなみに日本最南端を示す碑は複数ある。
以下で順次ご説明していきたい。
日本最南端之碑
日本最南端之碑。
後ろにまだ陸地があるのでもっと海に近づいてもいいが、ここが撮影スポットだ。
海の向こうは、もう何も見えない。
ハンドメイド感の漂う碑である。
その経緯をご説明しよう。
1970年。
まだ第2次世界大戦に伴うアメリカからの「沖縄返還」が実施される2年前のことである。
日本縦断をした1人の大学生がいた。
その大学生は北海道から旅を始めて、この地をゴールとしたのだ。
その記念として、アルバイトで稼いだお金を使ってここに自費で碑を建てた。
それがこれだ。
島一周サイクリングに誘ったひまこさんと共に、この最南端の地を踏んだ。
感無量だった。
この碑を自費で建てた、当時の学生さんに心から感謝を伝えたい。
なにせ、当時ここは「日本」ですらなかったのだから。
その複雑な心境は、察するに余りある。
そのの絡みもあり、2021年も返還されていない北方領土を臨む本土最南端の「納沙布岬」には、この波照間島から採取した炎が延々と燃えているのだ。
ぶっちゃけ納沙布岬に行くと、北方領土返還へのプロパガンダでお腹いっぱいになる。
純粋な景勝地として楽しむ心の余地も無くなる。
しかし、その背景だけは、我々は知っておかないといけないのかもしれない。
聖寿奉祝の碑
そんな日本最南端の碑のすぐ横にあるのが、この「聖寿奉祝の碑」だ。
日の丸のマークが象徴だ。
昭和天皇の在位60年目を記念して日の丸を埋め込んだらしい。
ってことは、1985年だ。
もともとはそれよりも10年以上も前、日の丸の旗を掲揚する塔を建てたんだけどさ、潮風が思ったよりも強くって、すぐにボロボロになっちゃって。
なのでこういう碑になったらしい。
2018年、この日の丸が破壊されて、交換のために一時撤去されたりもした。
国際問題の火種を孕むのか、なんのか。
そういう政治的背景には極力足を踏み込みたくはないが、公共の物を破壊するのだけはちょっと違うよな。
2021年現在はちゃんと復活しているので、ご心配なく。
日本最南端平和の碑
このエリアには、ひときわ大きいハンペンのような石碑がある。
存在感はダントツでトップだ。
それが「日本最南端平和の碑」である。
この石碑が建てられたのは、1995年。
第2次世界大戦の終結(1945年)から50年目を記念して造られたのだそうだ。
岩に刻まれているとおり、これを造ったのは地元である竹富町だ。
戦後50年記念であること、そして石碑に"平和"の文字が刻まれていることからも、沖縄が歩んだ壮絶な歴史の記憶を絶やしてはいけない、という意思を感じる。
日本の最南端から、日本の恒久平和を祈りたい。
蛇の道・その他の碑
日本最南端の地には、うねるように鎮座する巨大なヘビがる。
まずは航空写真にてお見せしよう。
わかるかな?
右上から左下に向かい、クネクネとした白い帯が見えるだろう。
これが「蛇の道」だ。
「日本最南端の東屋」付近から始まり、日本最南端之碑近くで終わっている。
上の写真をよく見ると、日本最南端の東屋・日本最南端の公衆トイレ・星空観測タワーが写っている。
クネクネした道を歩くと、その傍らのところどころに、こぶし大の石が埋まっていることに気付くだろう。
ちょっとフォーカスしてみよう。
石と一緒に、「秋田」とか「山形」と書かれたプレートも埋め込まれている。
こちらには「神奈川」や「東京」もある。
全都道府県ある。
これらは、実際に全部の都道府県で採取した石。それをこうやって埋め込んであるのだ。
沖縄は、戦後しばらくアメリカに取られてしまい、日本ではなくなってしまったでしょ?
もう二度とそんな歴史を繰り返してはいけない。
海で隔たってはいても、沖縄も本土の都道府県も、同じ日本なのだ。
47都道府県、全部集まって「日本」なのだ。
決してもう離れ離れにならないよう、蛇がクネクネと47都道府県分の石に絡まってくれているのだ。
なんというありがたい蛇。
その終着点付近にあるのが、「波照間之碑」。
頭頂部の欠けたピラミッドのような造形だ。
近くの岩の上には、こんな"日本最南端"もある。
テーブル上の岩盤だ。
上に見切れているが、ちょうどベンチのように使えるコンクリートブロックもある。
ただしかし、これをテーブル代わりにするだなんて、恐れ多くて僕にはできないな。
…こんな多くの碑がある日本最南端。
何度も訪問するのは難しいかもしれないので(もちろん毎年行く常連さんもいるが)、記念に目いっぱい写真を撮っておくと良いだろう。
あの向こうはフィリピン
最南端の地からの景色を少しご紹介したい。
ついつい夢中になって碑の写真ばかりを撮ってしまい、「…で、最南端ってどんなところでどんな景色なの?」と人に尋ねられたときに困る。
これは"波照間あるある"なのかもしれない。
これは最南端の碑のちょびっと手前で撮影した。
琉球石灰岩のゴツゴツした大地が特徴だ。沖縄県の大地の30%がこれだ。
珊瑚の死骸を多く含んでいる。
まるで固まった溶岩のようだ。
メッチャ固くて尖っているので、サンダルで歩いた場合、ヘタするとケガをする。
僕もかつてやってみたので間違いない。
大体前述の繰り返してはあるが、日差しは強いし、足元はゴツゴツだし、周囲は木陰もないし、商店からも遠く離れていてる。
いろいろ気をつけてアプローチしよう。
あのあたりが大地の果て。
その向こうは延々に海が続き、次の陸地は800㎞ほど離れたフィリピンだ。
ただし、フィリピン最北の島までであればその半分ほどの距離であろう。
なんか、すごいな。
400㎞離れているとはいえ、フィリピンを感じさせるとは。
400㎞なんて、東京から大阪までの距離感。高速道路を使えば4時間ほどで走れる距離なのだ。
そんな一般人到達可能最南端の景色。
こんなブログではとても表現しきれない、現地ならではの情景を五感で感じ取ってもらいたい。
南十字星が輝く島
一般的に南半球で見られる、全星座の中で一番小さな星座。
サザンクロスとも呼ばれているものだ。
波照間島では、それがギリギリで見える。
冬から初夏にかけての22時ごろ、水平線からわずか3度というギリッギリのところに浮かぶのだ。
上記は波照間島のマンホールだ。
もしあなたが波照間島で南十字星を見れなかったのだとしたら、足元の写真を撮って気を紛らわせればよい。
南十字星を僕が見に行ったときの話は、またいずれ星空観測タワーについて執筆する際に触れたい。
宿泊した民宿の送迎で、夕食後にこの日本最南端を目指したことがある。
星空観測タワーで南十字星を見るためだ。
なんか日本列島の相当西にあるためか、20時を過ぎても空が明るくって時間感覚が狂う。
宿から10数名でここに降り立ったのだが、そのときのメンバーには前述のひまこさんもいた。
次の日の高波の中をがんばって島から脱出しようとし、乗った船が沈むこととなるメンバーもいた。(しかしちゃんと無事であった)
なんか知らないけど、星空観測タワーに来ていた別の宿の人たちともすぐに仲良くなり、みんなで記念撮影をした。
南国だとみんな心も開放的になり、近所の公園の幼稚園児同士と同じくらいスムーズに友達になれる。
僕はこれを勘違いして"モテ期"と呼んでいる。
しかし、夜でもまだ昼の熱気を残す波照間島。
そこで残照を眺め、そして南十字星を一緒に探したあの日のことを、僕は忘れない。
また、汗だくになりながらひまこさんと島内を自転車で駆け巡り、晴天の日本最南端に立ったあの日のことを忘れない。
夕方、ひまこさんは僕を宿の前まで誘導してくれ、「はい、ここがあなたの泊まるたましろ。私にはちょっとムリだけどね。」と言い、クールに自転車で去って行った。
なるほど、ここが宿。ガラクタ小屋ではなくって宿。ウワサに名高い、日本一汚い宿。
…って思った。
その話も、また機会がございましたら。
*-*-*-*-*-*-*-
常夏の島、波照間島。
改めて、日本列島は南北に長いのだな、と感じる。
もちろん東西にもそれなりにも長いのだが、気候の変化があるのは南北だ。
「宗谷岬」や「礼文島」とは全然違う世界、そしてそれぞれに素晴らしい魅力のある日本に、改めて感動したのだ。
また星空の下で、三線の演奏で歌いながらゆんたくしようぜ。
どこまでも澄み渡った青い海。
その桟橋で島抜けする僕に向かってずーっと手を振ってくれた、最南端で知り合った仲間たち。
帰る地はバラバラでも、思い出は1つ。
僕らは、蛇の道でそれを学んだのだ。
さようなら、最果ての珊瑚礁。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
住所・スポット情報