房総半島最南端、つまりは島を除く関東地方の最南端の地が「野島崎」である。
そこがどんなところなのかというと、いい感じの灯台のある岬なのだ。
もともと端っこの岬が好きな僕は、もちろんこの岬も好きである。
大好きすぎて日本1周目の頃から何度も行っている。
それでは今宵は、この岬の歴史と共に、何度か実際に訪問したときの写真をご紹介したいと思う。
どことなく南国を感じた過去
その岬のロケーションは、どことなく南国だと僕は感じている。
関東の本土で最も南であることもあり、"南"を意識した植栽にしたのではなかろうか。
9月の下旬、しかも夕方に来たときの写真である。
だんだん秋の気配が濃くなってきて、しかも背景にはコテコテのレトロな食堂群が立ち並ぶが、植栽は南国トロピカルなのだ。
このミスマッチこそが野島崎、素晴らしき岬、って心の中で毎回咆える。
あと2日ほどで新年を迎えるという年の瀬の夕方の写真である。
芝は真冬の色であるが、ヤシの木が「そんなことないさ」とあの熱い夏を思い出させてくれる。
その木々の向こうには、日本の洋式灯台で2番目に古いという野島埼灯台がその存在を放っている。
僕は、日本6周目までは何度もこの灯台の足元まで来たにも関わらず、その灯台に登ることはなかった。
そうなのだ。
この灯台は一般人の僕らでも上まで登れるという超貴重な灯台なのだ。
登らなくてもいい岬だが、登ればもっと楽しめるに違いない。
岬の先端付近には、「房総半島最南端の地」の碑が立つ。
しっかりと南国アピールしている。
砲弾みたいな流線形で黒々したゴツい碑だ。
よほど風が強い岬なのか、ペンキの文字が横に流れてしまっている。なんてこった。
ペンキ塗った直後に強風の日が来たのか?ペンキ屋さん、大失敗である。
すごく鮮明に文字が浮き出ていた時代もある。
何度も行くとこういう変化も目につき、他の人と違う視点で観光スポットを楽しめる。玄人好みの趣味だ。
ちなみにだが、上の写真の右端に映っているのは野島崎灯台霧笛舎という施設で、既にこのときは廃墟となっている。
昔は霧が深くて灯台がまともに見えないような日は、霧笛を鳴らして灯台の存在を船につけていたけど、今は文明は進歩してそういう必要もなくなったようだね。
2018年だっただろうか、解体されてしまい僕は少し悲しい気持ちになった。
房総半島最南端を示すものはもう1つある。
同じく岬の先端にある、巨大な石板。ここには日本地図と共に、各都市や各有名な岬までの距離まで書かれている。
こういう日本地図付きのオブジェでテンション上がるのは僕だけ?あなたはどう??
岬の本当に先端の先端に当たる部分には、岩の上に海を眺めるベンチが設置されている。
1脚しかなくって2人掛け。そして周囲から丸見え。
つまるところカップルベンチとして使われるケースが多いであろうな。
僕は日本6周目に至るまで、あそこに座ったことはない。
何度もこの岬を訪問しているにも関わらず、悲しいことにカップルで来たことはないからだ。
母親とだったら来たことあるけど、母と2人であのベンチってのも、ある意味美しいけどそれ以上になんか恥ずかしくてきっと海も空も見ずに自分の足元だけを見ることになるであろう。
さて、次からがメインとなる章である。
日本7周目となる2023年夏、僕はここを再訪する。
アフターコロナ、今までできなかったことはできるのだろうか?新しい一歩を踏み出せるのだろうか?
時代は既に動き出している。YAMAはどうだ?動けるのか?時代に取り残されるのか?
ジャングルを堪能する初夏のある日
2023年初夏、野島崎にやってきた。
いつもであれば岬の西側のロータリーに面した駐車場に停めるのだが、なんだかそこは混雑していそうな気配がしたので、東側に少し離れた広大な駐車場に日本7周目の愛車を停めた。
こっち、ガラッガラだった。
あなたも覚えておくがよい。
西駐車場は近いけど狭くて混雑必死。東駐車場はほんの少し遠いが広くてガラガラだ。どっちも無料。ありがたし。
岬の先端を目指したるき始めると、いきなりジャングルみたいになった。
これでもかってくらいの南国テイストだ。
今までは西側の遊歩道を歩くことが多かった。
そこは海ギリギリで潮風を浴びながらの遊歩道。こっちとはまるでロケーションが違う。
それでいいのだ。
実は野島崎には何度も訪問しているが、似たような写真ばかりであった。
野島崎にはいろいろな施設やオブジェがあるし、遊歩道も何本かある。
今までと違うことをしないと人としての進歩がないし、ブログに書こうにもネタが少なくなっちゃうでしょ。
「若い海女」の像も何気に初めて見たし。
ジャングルを背にしていて全然海っぽくないけども。
なんともいえない形状の滑り台もあったし。
木立からチラッと顔を見せたときには「ゾウさんかな?」って思ったけど、全容を見て混乱した。
なんだこのグニャグニャは。どこから登るのだ。
何を意図した形状なんだ。設計者はどういう思考回路だ?混乱した。頭痛い。
「白浜海洋美術館」。外観が民家にしか見えない。
この岬、美術館まであるのだ。知っていたけどもまともに意識してそこを見ようとしたのは今回が初めてだ。
成長しているぞ、僕。ただし中にはまだ入らない。入るのはきっと日本8周目だろう。
「白浜灯台」と書かれたプレートを加えたセイウチだかアシカだかの遊具。
昔の公園に置かれていた遊具でこういうのがあるよね?
森の中にポツンと1匹。赤と黄色の謎な配色。ちょっと切ないけどもかわいい。
ところで「白浜灯台ってなんだよ?灯台の名前は野島埼灯台だろ?」って思っていた。
しかしよく考えると、「左が白浜、右が灯台」っていう意味だったのだろうか?
この先の海岸って"白浜"と呼ばれているのだろうか?
灯台がどっちの方角にあるか走っている。
だてに何度も来てはいない。
今回は灯台の上に登りたい。岬の先端とかはさておき、灯台に登りたい。
だから灯台の方角に向かうのだが、遊歩道はどんどん狭くなり、なんだか足元もぬかるんでヌチヌチしてきた。
南国植物越しに灯台が見えるのだが、道がない。
鬱蒼とした植物で見通しも悪いし風通しも悪く、汗が噴き出す。
ドロ道で靴も汚れる。
これ帰宅したら怒られるよな、全くもう…。
茂みの中に小さな社があった。
「稲荷神社」という名称であった。ここも初めて知ったな。
この先、ふいに海岸沿いの綺麗に整備された遊歩道に戻った。
あ、もうすぐそこは岬の先端だ。
遠回りしてヌチャヌチャになって、灯台にも行けずに岬の先端に出ただけだった。
朝日と夕陽の見えるラブベンチ
せっかくなので岬の先端も見て行こう。
例の房総半島最南端を示す碑である。
その文字は歴代で最強に薄い。
そろそろ塗り直しが必要ですな(ただし風の弱い日に作業しなければな)。
その碑の対面、岩の上のベンチを見て僕はニヤリと悪い笑みを浮かべた。
ベンチには誰も座っていない。
そして周囲を見ると誰もいない。
これ、ササッと1人であのベンチまで行っちゃうチャンスなんじゃね?
カップルやファミリーが今まさに遊歩道を歩いてあそこを目指しているなら気が引けて行けないけど、周囲一帯誰もいないという奇跡。
これは一世一代の試みをすべきであろう。
岩は歩道も手すりも何もない。
岩場をネコのように素早く登った。
わぁ、来たぞ僕。初めて登ったぞ。
ほんの数mではあるが、荒々しい海を見下ろすこのロケーションは、ここならではだろうなぁ。
潮風や強い日光に常にさらされつつも、人々に愛されるベンチ。
初めて間近で見ることができた。
長年憧れていたこれに座れるなんてドキドキしちゃうわ、僕。
そして座った。
もちろん普通に座り心地ではあるが、前方全て太平洋という贅沢すぎるロケーションには感動以外の表現が見当たらない。
隣の標柱にはこのように書かれていた。
『絶景 朝日と夕陽の見える岬』
ここに座って朝日か夕日を見ることができたなら、それこそ最高なのだろう。
それはまた、いつか機会があれば…。
ベンチから後ろを振り向いた。
灯台のすぐ右当たりのモジャモジャしたエリアが、さっき僕が迷走していたあたりである。
灯台のやや左下には房総半島最南端の碑が見えている。
遊歩道の向こうから父子がこちらに向かって来ており、子供はこのベンチを指さして興奮気味に何か言っている。
では、そろそろ僕は撤退しよう。
今まで見上げるだけだった、岩の上のベンチ。
別に誰でも座れるので別段ハードルが高いわけでもないが、僕は日本7周目で初めて座った。
遅すぎるデビューだったのかもしれないが、まだまだ僕には伸びしろがあるのだ。満足。
これまた僕には恥ずかしすぎる初めてがある。
それは、岬の先端付近の「伝説の岩屋」を初めて見るということだ。
西駐車場から岬の先端に向かう遊歩道から、ほんの10数mしか離れていない。
この10数mが僕にとっては足を踏み出せていない領域だったのだ。
このように、岩屋自体に入ることはできない。隙間から中を除くだけだ。
昔、「源頼朝」がここに来てお参りしているとき、いきなり雨が降ったのでとりあえず隠れたというのがこの岩屋である。
その後、「さらに創造の神であるオオダコの海神像を祀ってありがたさにブーストをかけ、豊漁を祈ろうぜ!」ってなったそうだ。
なるほど、ではそのオオダコの海神を見てみよう。
すっげぇ悪い顔!
どう見てもモンスターじゃないですかドラゴンクエストとかの中盤で、海で出てくるモンスターじゃないですか!
でもナイスなデザインだ。僕は好き。
タコ、お賽銭に埋もれている。
上の写真ではわかりにくいが、タコの足元にはアワビが置いてある。
そのアワビの中にお賽銭が入ると開運間違いなしなのだそうだ。
説明板によれば、『なぜならば貝運は開運への道の如し!』とのことだ。
なんだそのナゾのテンション。好き。
全国で16基のみの登れる灯台へ
次の僕は、最大の目的である野島埼灯台へ向かう。
あの灯台に今から登る。
先ほども書いたが、この灯台は一般人が登れるのだ。
全国に16基しかない、”参観灯台”という超珍しい登っていい灯台なのだ。
他の参観灯台について知りたかったら、上の【特集】を閲覧してほしい。
僕は16基全てを巡っているから。
300円を払い、灯台に最接近する。
うほほー!こんなに近くからこの灯台を見上げたのは初めてだぜ!
この灯台は1870年、日本の洋式灯台としては2番目に点灯したのだ。
ちなみに日本で最初の洋式灯台は神奈川県の「観音埼灯台」である。
観音崎については上記のリンク先の記事で執筆済みだから、ヒマだったら読んでほしい。
知らない人も多いと思うけど、あの有名な「ガリバー旅行記」にも出てくる岬だから。
つまり世界的に有名な岬だから。
話を野島崎に戻そう。
灯台の入口に向かう。上の看板、レトロな手書き文字が好きなのでついつい写真に撮ってしまった。
灯台が左にある旨を念入りに2回示している。その必要はあるのか。いや、きっとあるはず。念入りな告知ありがとう。
いよいよ灯台を登り始めるぞ。
貼り紙では螺旋階段が77段、鉄ばしご階段が22段だと掲示してある。
鉄ばしご階段ってあまり聞きなれない言葉だが、写真を見る限り階段とはしごの中間くらいのもの。
手すりにつかまらないと転げ落ちるので注意するよう記載があった。
よーし、カッコ良すぎて読めないぞ!
明治〇〇年?の12月18日、これいったい何が起こった?
もし点灯を指すならば、それは1870年1月22日であり、旧暦表記で明治2年12月21日となる。
それと近しいようだが、年月日すべてズレているような…?
よくわからない。受付の人に聞いておけばよかった。
あとはひたすらグルグルと螺旋階段を登る。
自分が今どのあたりにいるのかもわからない。延々にゴールが出てくるまで登り続ける単純な思考だけで足を踏み出す。
来たッ!鉄ばしご階段だッ!
これは擦れ違い不可能だしメチャメチャ急だし。
貼り紙してある通り、下ってくる人が優先だ。これが2つ続く。
その先にあるのは灯台の灯光、つまりライトの部分だ。
手を伸ばせば届きそうな位置に、海の彼方までを照らす超巨大なライト。
うほぉ、興奮するぅぅーー!!
そのライトをかすめるようにして、小さな鉄の扉から灯台の外に出る。
狭いバルコニーが灯台の周囲360度に設置されている。
わぁぁぁー、海!
数10m登っただけで、その視界の広さは驚異的だ。なんて気持ちのいい空間。風強い。
岬の先端方面だ。
拡大すればさっきのラブベンチも見えているぞ。
左下部分のモジャモジャしたエリアは、先ほど僕が遭難しかけていた部分だ。
すっごいモジャモジャ。岬だけども海の直前まで緑が生い茂っていることが手に取るようにわかるよね。
日本で2番目に古い野島崎灯台。
実は江戸時代の末期の1866年、アメリカとかイギリスと「日本国内に8個の灯台をこれから作ります!」っていう条約を結んだうちの1つ。
だから出来た時期では惜しくも2番目だけど、これら8つは全部"一期生"と呼んでもいいのではなかろうか。
その8つとは、さっきも触れた観音崎の他に、「樫野埼」・「神子元島」・「剱埼」・「伊王島」・「佐多岬」・「潮岬」だ。
僕は大体全部行っている。
灯台を降り、併設されている小さな資料館に入った。
歴代の灯台の写真と模型が展示されている。
1869年の仮設置版の木製灯台がグッと来るぜ。
1923年に関東大震災でポッキリ折れて倒壊し、そして現代の3代目ができたんだよな。
資料館をグルリと回ったら…。
最後に行きたい場所がある。
さっき灯台の上から眺めた、あの神社。
野島弁財天を祀る「厳島神社」だ。
この構図、なかなかすごいよね。
陸地側から岬の先端方面にまっすぐ歩くと、神社の拝殿がある。そこまではわかる。
その真後ろにこの灯台があるのだ。
祈ろう、今後の旅が安全でありますようにと。
日本7周目も、いつの日か無事に完結できますようにと。
こうして2023年、また灼熱の、熱い暑い夏が始まる。
以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。
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