「佐多岬に行く手段がこの世から消滅する!?」
新聞を読んだ僕は絶叫した。
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本土最南端の「佐多岬」。
この岬は2018年9月に大規模リニューアルされて生まれ変わった。
それはそれで良いことだ。
僕は懐古厨ではない。人工的な施設や設備は、どれも進化するのだ。過去を振り返ってばかりでは文明は前へは進めない。
…しかしだ。
2018年9月以降の新・佐多岬も最高なのだが、それ以前の佐多岬もちょっとボロくて旅情あふれていいスポットだった。
それが僕がかつて佐多岬を目指した原点なのだから、旧・佐多岬の思い出も大切にしたい。
僕は少し考えた。
それを胸の奥にしまっておくのも良いだろう。
だけども、なぜ僕が佐多岬を好きなのか。それは、最初に佐多岬のことを知ったときからの壮大な物語があるからだ。
あなたにはあなたの物語があるだろうが、僕には僕の物語がある。
それを共有し合えれば、もっともっと僕らは分かり合える。
よし、書こう。
ちなみにだ。
新・佐多岬については上記に執筆済みなので、2021年現在のロケーション等を知りたい方については、リンク先に飛んでほしい。
では、よみがえれよ我が青春の日々!!
【日本1周目】:遥かなる旅路
「佐多岬に行く手段がこの世から消滅する!?」
2003年12月5日、新聞を読んだ僕は絶叫した。
いや、別に僕は佐多岬に深い思い入れのある人間ではない。
なんだったら、佐多岬が本土最南端の地であると知ったのも、ここ1・2年の話である。
日本本土最北端の「宗谷岬」とかだったら知っているし行ったことあるけど、佐多岬はよく知らない。
だけども、由々しき事態だということだけは理解した。
事の概要をご紹介しよう。
大正時代に設立された、「岩崎産業(現在の名称)」という企業がある。
九州南部を中心とした観光業・交通事業、その他さまざまな分野で地域を盛り上げてきたすんごい企業である。
この企業が佐多岬まで通じる道路「佐多岬ロードパーク」を造ったのは、1964年のことであった。
これで一般人が佐多岬を訪問できるようになった。ドッカンドッカン盛り上がったらしい。
だがちょっとほとぼりが冷めた頃、民衆は我に返り、そしてブチ切れた。
「そういや佐多岬ロードパークの通行料高くね?たった数㎞で1000円はヤバくね?そのあとの遊歩道でまた100円通行料が掛かるって何それ?バブル既に崩壊しているんですけど??」
…みたいなことになったのだ。
あと、車専用道路なのでチャリダーとか徒歩ダーの日本縦断の人や突端マニアは到達できず、トラブルだらけであった。
南九州観光ブームも去り、客離れは止まらず、岩崎産業はこの道路の維持管理に苦しむこととなる。
「もうダメ…。管理限界。辞める。」
岩崎産業がそう発言したのが、2003年12月4日のことである。
「3ヶ月後の2004年2月末で、もう佐多岬ロードパーク閉鎖するの。無期限閉鎖にするの。」ってコメントした。
岬の先端まで行ける道は、岩崎産業の開拓した佐多岬ロードパークしかない。
つまりそれは、佐多岬に行く方法が無くなるということなのだ。
そりゃ新聞読んだ僕もビビッてカフェオレ噴きますわ。
「ちょっと行ってくるわ、九州。」
母親にそう発言したのは2004年の年明けすぐのことで、そりゃ僕の毎度無茶な行動に母親もそれなりに慣れているんだけど、やっぱ心配はされた。
自宅から佐多岬までは、片道1500㎞はあるからな。それを全部自走で行く。
ついでにせっかくなので南九州をグルリと観光したいので、総行程4000㎞はくだらない。
さて、ガキに毛が生えた程度の僕が、これを完遂するのは至難である。
まずは仲間が必要だ。
友人の中で既に免許を取得しているメンバー、そしてナビや宿や食事処調査などのサポートができるメンバーを集めた。
ステップワゴンという車をレンタルした。
大きいが運転しやすく、なかなかに快適であった。車中泊もしやすい。
阿蘇を走り、高千穂を走り、青島や堀切峠に感動し、そして本土最南端へ…。
すっごい楽しかったさ。何もかもが、初めてだった。
ただね、正直予定よりもかなりの時間を要してしまった。
僕も当時はドライブ経験が未熟であり、見通しも甘ければ仲間のコントロール力も甘かったのだ。
なんだったら、道も間違えて非効率なルートを走っていた。
忘れもしない、夕暮れの佐多岬ロードパーク第2料金所。
僕らの乗った車が近付いてきたことを確認した料金所の人が、大きく腕で「✕」を作った。
通行時間に数分間に合わなかったのだ。
場所はここである。
岬の駐車場まであと2㎞。
1500km走ってきて、あと2㎞のところでの挫折であった。
しかも、1ヶ月後にはもう閉鎖されるかもしれない岬への道にて。
料金所脇の集落の小道から岬に行けないかちょっと試そうとしたりもしたけど、道が狭すぎだし岬までは行けないと判断して断念した。
…まぁでもね、みんな若いのでそんなに落ち込まなかった。
「でも楽しいからいいさ!」というノリであった。
すぐ近くの観光船(これも岩崎産業運営)の「さたでい号乗り場」の駐車場にて、「これが僕らの本土最南端だ!」とみんなで祝福し合った。
…確かに楽しい。最高だ。
だが僕は、この人生において一度も佐多岬に立つことなく終わるのだろうか…。
【日本2周目】:立ち上がれ、旅人よ
2004年~2005年も、佐多岬ロードパーク絡みのゴタゴタは続く。
「もう辞めます!」って言い放った岩崎産業だけど、それに対し国土交通省が「許可しない!観光に与える影響大きすぎ!せめて佐多岬に繋がる唯一の道を今後どうするのか考えろ!」と言う。
岩崎産業、「なんで早く許可してくれねーんだよ…」と言う。
誠にカオスである。
とりあえず、内心「国土交通省がんばれ」って思った。
こんな崖っぷちの状態が1年ほど続く。
こちとらストレスでハゲるぜ、まったく。
事態が大きく好転したのは、2005年3月末のことであった。
岬の先端部分数㎞(第2料金所から先)を残し、佐多岬ロードパークを岩崎産業から県や町が買い取るというものだ。
これで、佐多岬ロードパークが閉鎖されることはなくなったわけだ。
一安心だ。
…ただ、やはり僕の心の中には前回の直前挫折の悔いが残っている。
朗報を入手した2005年、僕は再び佐多岬を目指して車を走らせる。
この1年半で僕も随分成長した。
仲間はいない。僕1人で行く。
車もちゃんと自分のものがある。あの日の思い出を胸に、ステップワゴンを買ってある。
目指すは佐多岬だけではない。九州一周する。5000㎞以上の道のりだ。
全部車中泊、そして車中自炊をしながら行く。
こうして僕は、初めて岬の先端を踏めたのだ。
第2料金所で通行料1000円を払い、駐車場で大ガジュマルを眺め。
そしてその先の遊歩道で100円を徴収され、15分歩けば岬の先端だ。
しかし湯歩道は半分ジャングルだし、アップダウンで階段多いし、猛暑で汗だく。
なんかレストランの廃墟まで出てきた。
果たして道はこっちで合っているのか…。
廃レストランの裏で擦れ違った、1人旅のお姉さんに道を聞いた。
どうやらこれが正規のルート。
さらに歩き、階段を登り、ようやく本土最南端の碑の前に出た。
ちなみにさらに先には展望タワーがあるが、老朽化して登れなかった。
至るところがボロボロだな、この岬…。
しかし、南国植物に囲まれた本土最南端の碑の前に立てて、感無量であった。
このロケーションを、僕は一生忘れないであろう。
ここで出会った「R君」という北海道の旭川からやってきたライダー君と共に写真を撮った。
駐車場まで戻り、さっきのお姉さんとおしゃべりし、東京から1人で車旅をしていることを聞いた。
その後、数10㎞連なって走った後にクラクションを鳴らし合ってお別れをした。
1人旅をしていても、1人ではない。同じく1人旅の人と多くの交流が持てるのだ。
そんなことをたくさん感じた旅となった。
…ねぇ、僕も旅人を名乗っていいかなぁ…?
【日本3・4周目】:誰にも負けない経験値を
2007年のことだ。
1000円かかっていた通行料がなくなったのだ。
…ただね、第2料金所から先はまだ岩崎産業であるらしい。
2007年4月時点では、駐車場から先の遊歩道にて入園料300円がかかってしまうのだそうだ。
なんとも複雑なシステムよ。
突端マニアの車中自炊
さぁ、時代時代の節目で、僕は佐多岬に現れるのだぞ!
再び僕は本土最南端にやってきた。
日本3周目だ。車中泊&車中自炊で西日本を一気に回る旅のハイライトだ。
…てゆーかですね、前項の写真も大体この日本3周目の写真を使わせてもらっていたのだ。
佐多岬ロードパークは無料となっており、快適に走行できた。
上記写真は終点の駐車場にある大ガジュマルの木だ。
すぐ下に車を駐車することもできる。
新・佐多岬では周囲をしっかりバリケードで囲まれており、愛車と共にギリギリまで接近することは不可能となっている。
灯台型の電話ボックスだ。
『日本本土最南端の応手電話ボックスです 旅の思い出に声の便りを伝えてください』 と書かれている。
この時代に電話ボックスが使われることはそうそうないだろうが、ロマンあふれるシチュエーションだ。
駐車場から遊歩道に入るには、このトンネルをくぐらなければならない。
ここはまだ岩崎産業のテリトリーだ。
トンネル内の小屋で300円を支払うこととなる。
あと、ステッカー類が売っていたりするので2枚購入した。
本土最南端到達証明書も購入した。
ここから先は、南国植物がモジャモジャに生い茂ったジャングルだ。
相変わらず汗の噴き出る行程だ。
だが、それがいい。本土最南端に来ているからには南国を味わいたいのだ、僕は。
お馴染みの廃レストランの裏を通り、ボロッボロで朽ちかけた展望タワーを目印に最後の階段を上る。
そうすれば、本土最南端の碑の前に出ることができる。
今回ももちろん、展望タワーは立入禁止であった。
岩崎産業にこれを立て直すだけの余裕は既に無いのであろう。
タワーの先行きが心配だ。
日本の本土最東西南北端を示した立て札もあった。
最東端は「納沙布岬」・最西端は「神崎鼻」・最北端は「宗谷岬」だ。
もちろん全て踏んでいる。僕は突端マニアなのだ。
車に戻った後は、遅めの朝ご飯を車内で作ってから岬を後にした。
最南端の絶景を見ながらの朝食は格別であった。
朽ちゆくタワーに登れ
「ここでは500円。そのかわり岬の駐車場から先で支払う必要がなくなったからね。」
日本4周目の話だ。
なぜか復活した第2料金所のおばちゃんにそう言われた僕は、「はい?」と内心で青筋を立てていたと思う。
「前回は駐車場から先で300円だったろうが。1人旅の人間にとっては200円の値上げだ。」・「あのときはよくも✕マークを出しやがって!」…と、そんな感情が渦巻いた。
しかしそれらはお門違いな怒りだ。
とりあえず、苦い思い出を持つ第2料金所を初めて写真に収めた。
てゆーか、来るたびに料金システムが変わって混乱だ。
終盤に出てくるガジュマルの木。
車道にカーテンのように垂れ下がっているのが特徴で、テンション上がる。
新・佐多岬時代の現在もあるので嬉しいイベントである。
これは大好き。
僕が大好きだったこの場所は、新・佐多岬においては「北緯31度線展望広場」という、さらなるステキスポットとなっている。
旧・佐多岬では駐車するのも困難であったが、大変居心地のいい撮影スポットになって嬉しい限りだ。
ライダーさんたちはここで愛車と共に記念撮影するのが定番だ。
駐車場では大ガジュマルの近くに駐車できた。なんとも幸せだ。
岬の先端へと繋がる遊歩道は、例のトンネルから始まる。
さっき500円払った第2料金所が復活したから、このトンネルでの入園料を支払う必要はない。
だけどもトンネル内の小屋の中には従業員の人がいて、ヒマそうにしてた。
うん?てゆーかなんで人がいるの?
料金取らないんだったら数種類しかないお土産を売るくらいしかやることないよね。そりゃヒマだわ。…って思った。
遊歩道は相変わらずの絶景だ。
ホントここ好き。
でも、廃レストランも好き。
…ねぇ、こんなこと言っている僕は変ですか?
自分でも最近変だと思うのです。廃墟とかに心惹かれるのです。
このまま廃墟マニアとかになったらどうしましょう?
2021年の僕は知っている。
このあたりのタイミングから僕が廃墟趣味にのめり込み、手に汗握る数々の廃村探訪や廃墟攻略をしていくことを。
今日も最高の景色をありがとう。
これまでも全部快晴だったけど、今回は一番空気が澄んでいる。
「屋久島」も見える。
…だがな…。
今回気になるのは…。
佐多岬展望タワー!!
過去にここを訪れたときには老朽化により立入禁止であった。
しかし、今回はどうやらOPENしているそうなのだ。
なぜ?リフォームしたの?そうは見えない外観だけど?
でも、行けるなら行くしかないだろ、旅人よ。
ちなみにタワー近くにもう1つの本土最南端の碑がある。
このタイミングで初めてこれを撮影することができた。
さて、展望タワー内部であるが…。
1Fはガランとした広い空洞。そこから階段で上ヘと登るみたい。
1Fの入口近辺には簡素なオフィスデスクが置かれ、そこで土産物を売っていると思われるおばちゃんが爆睡してた。
まぁ土産って言ってもステッカーやキーホルダー数種類程度だ。
…ここにも人がいるんだ。
トンネル内の小屋といい、ここといい、なんか人件費無駄使いの気配を感じる。
おばちゃんを起こさないように息を殺して前を通り過ぎて階段を登り始めるんだけど、ゴリゴリのコンクリートのタワーだからすっごい足音が響く。
ホラー映画であれば僕は真っ先に敵に殺されている。
たぶん起こしちゃったよね、うん。
5Fくらいまで登り、ようやく展望スペースに着いた。
景色は確かに下界で見るよりいいが、着目すべきはそんな部分じゃなかった。
当時の僕の言葉を借りるなら、「バッカじゃないの!?」って感じだ。
この展望台、壁がねぇ!窓もねぇ!
最初からそういう設計なのではない。壊れて無くなっている!!
天井もベリベリ。ナイスだ。
場所によっては窓が無い、ガラスも無い、手すりもない。ダイレクトに太平洋。
あるのは本当に簡素なネットだけ。こんなもん、台風一発で壊れるかもよ。
確かにリニューアルOPENしていたわ。しかし内容がこれか。
ずいぶんとワイルドな設計だ。
東日本大震災の後だというにこれでいいのか。
風が無駄に気持ちいいーー!
それを演出する舞台である展望台が、スーパーダメージ加工だった。
階段を降りたら、おばちゃんはやっぱり起きていた。
アンニュイな目をしてイスに腰掛けていた。
ちょっと世間話をし、ついでに本土最南端ステッカーを購入した。
【日本5周目】:さよなら激動時代
2012年の10月、佐多岬ロードパークは完全に町道となった。
もう岬の先端まで行くのに料金を徴収はされないのだ。
また、佐多岬展望タワーは2012年の年末から撤去工事が始まり、完全な更地となった。
まだまだ整備には時間がかかるだろうが、佐多岬は岩崎産業の手を離れ、これから生まれ変わるのだ。
はい、また来た。
そして因縁の旧第2料金所で突然止められた。
ゲート警備の人が話しかけてくる。
「GW中でこの先は混雑するので、四輪車の方はここまでの通行となります。車を駐車場に停めて、有料のシャトルバスで岬の先端まで行ってください。」
ガーン…!愛車と共に「佐多岬」に行けないのかよ!
この先の道も運転していて最高なのに!
こんなに天気がいいのに、マジ残念すぎるぜ!!
シャトルバスは30分に1本とのことだ。
タイミングを逃すと旅の日程に少々影響を及ぼすな…。
しかし、ちょうどシャトルバスが来ている!乗り込む!
シャトルバス料金の100円を支払い、乗り込んだ。
なんだか悔しいね。
岬の駐車場までわずか3kmほどとは言え、自分で運転したかったよ。
ちなみにバイクは自走していいんだぜ。羨ましい。
バスの座席は敢えて左端を選んだ。
そして、あるタイミングでカメラを取り出して窓の外にレンズを向ける。
うん、わかっているんだ、タイミングは。
いつも撮っている恒例の31度線が近付いてきていることを体が覚えているから。
他の観光客は、それは現れるまで「なんでカメラを用意しているの?」って不思議そうだけど、それが見えてからではもう準備が間に合わないんだよね。
今まで歴代の愛車と共に撮影していたスポットなので、今回の愛車と一緒で撮影できなかったのが悔しいけど、とりあえず撮影成功。
いつも車を駐車している駐車場に到着した。
なんか模擬店のテントとか立っていて、ワイワイした雰囲気だった。
ん?なにこれ?
しかし僕は特に興味はなかったし、先を急ぎたかったのでそのままスルーした。
今から思えば戻ってきたタイミングで覗いて見てもよかったな。ただ、そうはしなかった。
いつもの遊歩道のトンネルは、もう料金小屋が無くってガランとしていた。
遊歩道はいつものモジャついたジャングルであった。
この雰囲気は今後も残してほしいな。
あ、廃レストランが無い。
この鉄柵で囲われたところがレストランだったのだ。
そして、写真に向かって右側のレストラン裏と崖の狭間を歩いて岬の先端に向かっていたのだ。
いつまで営業していたのかわからないレストランも、これでサヨナラだ。
いつもの本土最南端の碑は、いつもの場所にあった。
これは今後も残ってほしいものだ。
さて、展望タワーの跡地はどうなったのであろうか?
気になったのでさらに登ってみた。
うおぉ、なんだこのノッペリしたフィールドは!
こには2・3人の観光案内のおじさんがいた。
僕は「タワーなくなっちゃったみたいだけど、ここは今後どうなるのですか?」と質問してみた。
おじさんは「新しいタワーを作るよ。2・3年でできると思うよ。」って言っていた。
「ところでどこから来たの?」みたいな話になった。
僕は「今回は名古屋から宮城まで向かう。ただし鹿児島を経由地としている。」みたいに答えておじさんを混乱させる。
「以前の岬のことをずいぶんよく知っているんだね。過去にも来たことあるの?」って言われ、「好きな場所なので4・5回来ています。」って言って、さらに混乱させてしまった。
だが事実だ。
「記念に写真を撮ってあげよう」って言われたので、お言葉に甘えた。
タワー跡地の海ギリギリのところには、真新しい本土最南端の碑ができていたので、その前で。
いずれまたこの地に来るころには、きっと新しいタワーができていることだろう。
その日が楽しみだね。
もう1つの本土最南端の碑、かろうじて残っていた。
相当にボロボロになりつつも存在していた。
ただこれ、たぶん新時代には生き残れないだろう。
引っこ抜かれるのも時間の問題だ。これが最後の撮影になるのだろう。
駐車場まで戻ってきた。
ここの大ガジュマルは引っこ抜かれないだろうか?
それが気がかりだ。
灯台型の電話ボックス。
コイツはもうダメだろう。以前よりずいぶん朽ちてきているし。
今回が見納めになると確信した。
こうして僕は佐多岬を後にする。
さよなら、僕の憧れた佐多岬。
さよなら、岩崎産業が開拓した激動の歴史。
【日本6周目】:そして伝説へ
これでシナリオは繋がる。
上記に繋がる。
僕はリニューアルした佐多岬に立つ。
面倒くさいかもしれないが、もしお時間に余裕があるのであれば、ぜひ上記リンク先もお読みいただきたい。
きっと僕の想いがリンクする。
第2料金所については以下のように記載してしまった。
ピッカピカの真新しい駐車場やトイレがある。
まぁこの場所もいろいろ語りたいことがあるのだが、今はスルーしよう。
かつての冒険を以下のように振り返った。
遠い昔、仲間と交替でハンドルを握り、真冬に目指した佐多岬。
若かりし日の僕が、カーナビもないステップワゴンに荷物を積んで、1人車中泊をしながら九州を一周した思い出。
日産サファリをうならせ、車中泊での西日本一周をしたときの思い出…。
あとね、本土最南端の碑はすっかり変わってしまったけど、駐車場の大ガジュマルにかつて同じデザインの碑がくくりつけられていて、泣きそうに懐かしくなった。
全部ね、繋がっているんだよ。
過去から未来へ。
2021年現在の佐多岬は素晴らしい岬だ。
別にそれ以前の姿なんて知る必要はない。
だけども、以前のことを知ると、ちょっとだけ冒険に深みが出るのもまた事実なのだ。
ここまで読んでくれたあなたも、そういうのちょっとだけ好きでしょ??
僕もまだまだ若輩者だけど、自分の経験は大事にしたい。
それはきっと未来への宝物だ。
では、そんな思いも込めて、2022年もよろしくお願いします。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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