能登半島、2024年は本当に大変な1年になっているよな…。元旦の大地震で大きな被害を受け、さらには9月の豪雨で各地が浸水した。
僕、2024年の春に能登半島をめぐるドライブをしようと思っていたんだよね。いつも春に走りまわることが多いので、日本7周目で再び訪れるのを楽しみにしていたんだよね。
しかし元旦の地震で計画を見送らざるを得なくなった。ニュースなどで目にする輪島の町や景勝地の「見附島」などの変わり果てた様子には胸が痛んだ。
僕が能登半島を訪問するのはまだもう少しだけ先になると思うが、大好きな能登半島から何か1つブログ記事を執筆したい。
そう考え、今回は「ヤセの断崖」・「義経の舟隠し」という隣り合う2つの断崖景勝スポットについて語ることにした。
能登金剛のダイナミックな海岸へ
あなたは"能登金剛"と呼ばれるエリアをご存じか。能登半島の西側(外側?)に当たる海岸線で、断崖絶壁や奇岩の連なる景勝地が目白押しなのだ。ここの各景勝地をちょこちょこ立ち寄りながらドライブするのがとても楽しいのだぜ。
有名どころでは「巌門」かな。巌門はいつか個別の記事として執筆したい。
上の写真は能登二見とも言われる「機具岩」だ。ダイナミックで1枚の写真に収めるのがギリギリなスケールだぞ。
標高の高い所から日本海を見下ろす「鷹の巣岩」もいいよねぇ。日本1周目からちょいちょい訪問しているお気に入りのスポットの1つだ。
他にも能登金剛を構成する景勝地は「関野鼻」・「福浦灯台」・「増穂浦」・「吹上滝」、そして今回ご紹介するヤセの断崖に義経の舟隠しなど、いろいろだ。
関野鼻は2007年の能登半島地震で大きく崩壊し、それ以降は原則立入禁止となってしまった。巨大な岩石が剥がれ落ちて海にゴロゴロと転がっている様子は恐怖だ。
僕はこの地震の前に一度だけ先端まで行ったことがある。とってもダイナミックで素敵な景勝地だったので残念な限りだ。
そうそう、関野鼻の少し北にあり厳密には能登金剛エリア外なんだけども、「トトロ岩」というものもある。だが2024年の今回の地震でトトロの片耳が取れてしまったそうで、僕もショックを受けている。もうトトロには会えないのか…。
一方、ヤセの断崖も崩壊したのではないかとハラハラしていたのだが、なんとか景観は保っているらしい。もっとも、ここも2007年の能登地震では大きく崩壊したんだけどね…。
では、2007年より前の貴重な写真と共に、僕が訪問したヤセの断崖を振り返っていこう。
もともとはとってもスリリング
日本1周目、太平洋側に住み、まだ日本海すら見たことがない僕。学校の放課後に仲間と共に車に乗り込んで徹夜で走り、初めて日本海を見に行った先が能登半島であり、そのときにヤセの断崖も訪問した。
これヤッバい。高さ35mの海に迫り出した岩盤の上に立てるのだ。すごくスリリング。
実は手前にはひざ丈くらいの簡単なロープが張ってあり、『この先はヒビ割れているので入らないほうが無難ですよ。入る場合は自己責任ですよ。』みたいなことが書かれていた。
明確に立入禁止でないならば入ろう、無難な人生とサヨナラしよう、って感じでロープをまたぎ、岩場の先端まで行ってみたのだ。上の写真は同行した仲間だが、さすがに脇から見ていてもヒヤヒヤした。
ヤセの断崖は、古くは1961年に公開された「松本清張」原作の「ゼロの焦点」のクライマックスに使用されたことで全国的に知名度が上がったそうなのだ。
ゼロの焦点の舞台であることはこの日本1周目の訪問時から知っていたのだが、肝心なゼロの焦点のことを1ミリも知らない。2024年現在も知らない。
ただ、国内のサスペンスもののドラマや映画のクライマックスで、主人公と犯人が断崖などスリリングな場所で対峙するシーンって多かったみたいだけども、その原点がこれだそうなのだ。そういうのはみんなゼロの焦点のリスペクトだそうなのだ。
サスペンスものもほぼ見たことないからわかんないけど。
それでどうやら追い詰められた犯人はそこからダイブして自殺するエンドが多いらしく、ここヤセの断崖も自殺名所になってしまった。
だから2回目訪問時には『自殺する勇気があるなら生きてみろ!』という立て札もあった。
地震のちょっと前の訪問時。以前は簡易的なロープだったところもこのときは頑丈な柵になっており、断崖の先端までは行けなくなっていた。これは確か脇から撮影した写真だ。
そして2007年、能登半島地震が起きたのだな。
移ろいゆく時代と景観
2007年の能登半島地震からしばらく経ったタイミングで、久々に能登半島を訪れていた。
駐車場から展望スポットまで100m。ふーん、こんな看板ができたのか。とりあえず行こう。真冬でとんでもなく寒い上に雨で強風で、ビニール傘の骨は早速2本イカれてしまったよ。萎える。
そして看板に沿って100m進んだが記憶と全く違う場所で、マジに違う場所に来てしまったのかと勘違いした。
前に来たときと全然違うぞ。こざっぱりした展望台が出来ていて、スリリングな断崖がどこかに消えちゃっているぞ。そんで展望台の柵の向こうからピョコンと1本覗いている、あのアホ毛みたいな植物は何。
小雨が降る中、周囲をウロウロしてみたんだけども以前のようなダイナミックな景観は無い。
あぁ、そうか。思い出したよ。2007年の能登地震でヤセの断崖も先っぽが崩れ落ちたって聞いたっけ。今の今まで忘れていた。それで以前と違う景観になってしまったんだね…。
柵の向こうから下を見下ろすと、若干ではあるが迫り出した断崖の名残のようなものが見えていた。
初回訪問時、『岩に亀裂が入っている』という立て札があったことも思い出した。地震の影響でそこから崩壊したのだろうな…。
僕が今まで巡ってきた歴代の観光地の中でも、ここまで変化があったところは初めてかも。自然の力は恐ろしいと心から感じたよ。
ヤセの断崖の名前の由来は諸説あるけど、「断崖の上から下を覗き込むと怖すぎて痩せる思いをする」っていうのが有力だ。
かつては確かにそうだったろう。しかし今ではそれも失われ、名前だけが残るスポットとなってしまった。
ゴツゴツした岩肌がそのまま露出しており、そこを怖々と岩盤の先端まで歩いた地。そこもご覧の通り綺麗に舗装されて柵も付いた、安全で美しい展望所となった。
あぁ、春の夕日は心に沁みるなぁ…。
能登金剛の荒々しい海岸線。穏やかな東側の内浦と比べ、西側の外浦は波や風の影響でダイナミック。その海岸線が夕日に照らされて、より一層陰影が際立っている。
今までも何度も何度もちょっとずつ削られて崩落を繰り返し、そしてこれから先も長い歴史の中でかたちを変えていくのだろう。
僕らの知っている日本列島も、ずっとこのままではないのだ。1000年前と比べると細かいところでいろいろと形状が異なっているし、江戸時代と比べてもまた異なっているからね。
これからのドライブ人生、何度かはこういう場面に遭遇していくのかもしれないなぁ…。
歩いて義経の舟隠しへ行こう
ヤセの断崖からは海岸沿いの遊歩道を歩いて数分なのだ。僕の知る限りでは義経の舟隠しに固有の駐車場はないため、ヤセの断崖から歩いていくのがスマートなのである。
僕はここにも日本1周目から通っている。
ここは幅5m・奥行き100mほどの天然の入り江。
「源義経」、平家を滅ぼした後に兄の「源頼朝」と政治絡みでなんやかんやがあり、育った地である奥州を目指して日本海側を逃げて行くじゃないですか。
その際ここいらで嵐に遭遇し、この入り江に48艘の舟を停泊させて身を隠したのだそうだ。この近所には、他にもいくつか義経や弁慶にまつわるスポットがあるらしいよ。
こんなところに嵐の日に48艘も船を入れて耐えられるのかどうかはちょっとわからないけども、なかなかに壮観な眺めだ。宮崎県の日向岬にある「馬の背」とニアリーイコールなビジュアルだね。
ここで夕日を見たこともあるが、最高だった。この入り江のシルエットが絵になって美しすぎた。
僕はここには何度か来ているが、自分以外の人を見かけたことがほぼない。静かに能登金剛の海岸を眺めるにはうってつけだ。
このときは春のとても穏やかな日。入り江への波も静かだった。
こういう1日の終わり方、最高。
一転、真冬の強風の日に来たときはヤバかった。既にビニール傘の骨を2本持っていかれているが、しっかり支えないとさらに2本くらい持っていかれそうだぜ。
能登の日本海側は波が激しく岩礁に打ち付けられて発生する、"波の花"という現象がある。氷点下とかの極寒で強風の日にしか見られない光景で、純白の泡のようなものがそこかしこに溜まったり空中をフワフワと浮いたりするのだ。
このときはここでも他の能登金剛でも、その波の花を見ることができたよ。
「義経ェーーッ!!」って思うほどの激しい波が入り江に出たり入ったり。これヤバいよ。こんなところい嵐のときにいたら、胃の中のものが全部出てきちゃうよ。
再訪できる日に思いを馳せて
これは直近である日本6周目にて訪れたヤセの断崖。
2007年の能登半島地震からは10年以上が経過し、もう僕の中でもこの眺めがヤセの断崖として定着している。
しかし岩盤を先端まで歩いた思い出も、ちゃんと記憶の奥底に根付いている。
かつて駆け出しの旅人だった頃は、見るもの触れるものすべてが新鮮だった。
だけども何年も何周も日本を巡っていると、ちょとずつ装いを変える景勝地、閉店してしまうお店、人との別れも経験していくこととなる。それはこれからどんどん多くなるのだろう。
そういうのも含めて受け入れ、そして前に進まねばならないよね。
また行こう、能登半島。その日を楽しみにしている。
被災された方々は本当に大変だろうけど、他には無い能登の魅力や文化の復興を祈っている。ゆっくり焦らず無理をせず、復興の道のりを歩んでほしい…。僕もなんらかのかたちで応援します。
以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。
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