南房総の、とある海の見える丘の上に防空壕がある。その中には大正時代から平成中期まで活躍した「岩崎巴人」の描いた3枚の仏教画があるという。
観光地ではなく、宣伝もされておらず、Googleマップにも存在しない。ただ、かき集めた複数の情報をパズルのように組み合わせると、おぼろげながらその場所がイメージできた。
じゃあ行ってみるか。…というわけで、僕が日本6周目と7周目にてここを訪問した記録を執筆したい。
ただし、場所は非公開とさせてもらおう。それと、仮に場所を特定できたとしても安易な気持ちで行かない方がいいかもしれないぜ。2023年時点でかなり道は荒れてきており、ヘタをするとケガするぜ。
その理由は本編でご説明しよう…。
激坂の先の防空壕へ
「そう来たか!」とハンドルを握る僕は叫んだ。
エグい坂道が現れたのだ。普通車がギリッギリで通れるくらいの幅の道。しかし激坂。見ての通り最序盤はガードレールすらない。対向車がくる可能性は極めて低いだろうが、ここを登れと?
一瞬ブレーキを踏んで躊躇したが、意を決して突っ込んでいった。
うおぉぉぉ…!!運転席からは空がよく見える。そのくらいの斜度。
未舗装路になる寸前のガタガタのアスファルトをかなり長い間進み、「ここいら辺かな?」って思ったところでハンドルを一気に右に切って支線に入った。別に目印があるわけではないが、結論から言うと僕の選択は正しかった。
海がきれいに見える丘の上の広場に着いた。まだ14時台ではあるが、真冬の太陽は既に大きく西に傾いていた。海がキラキラしているね。
道はここで終わっている。ここから先は徒歩で行く。そうそう、この回は仲間と3人での訪問であった。準備をして3人で歩き出す。
これは、広場への直前の道を撮影したものだ。ズームしすぎてしまったので全容がわかりづらく恐縮だが、すんごい急勾配で降りてきたのだ。かなり路面が荒れているので、「これ最後に車で登って行けるのかなぁ?」ってちょっと不安になった。
奥を目指して進んでいくと、作業小屋のようなものがある。ちょっとドキドキしたけど人の気配はなかった。さらに奥へ奥へと進む…。
なかなかにスパイシーなテイストの洞窟の入口が見えてきた。
日常生活では「じゃあ入りましょう」とは言い難いビジュアルだ。だがこの先に人知れず高名な画家の壁画が眠っているのだというからむしろテンションは上がるよね。
こちとらこれのために大型のハロゲンライトも持ってきている。入ろう。Go。
最初の10数mは外界の明かりが内部を照らしてくれている。ご覧の通り、すごくキッチリした石積みの洞窟だ。
民間の防空壕なのであれば、こんな豪勢な造りになろうはずがない。一説によると軍事施設であったという情報もある。軍事施設を防空壕としても使用していた痕跡なのだろうか?
さて、上の写真をご覧の通り、洞窟はすぐに突き当りになっている。ただしこれは直角が直角に左に曲がっているのだ。いよいよ普通の防空壕ではないぞって思えてくるよね。
恐ろしいほどに暗い。直角に曲がったことで、外界の光は完全に遮断された。ここから先は漆黒の闇なのだ。とりあえず慎重に奥へと歩いていこう…。
ある程度進んだところで、右に直角に曲がる分岐が登場した。曲がると同時に登り階段になっている。なんだこの不思議な構造は…。まるで迷路だ。
そちらの方向、右上部に懐中電灯の光を当てると…。
うおっほ!!
闇には似つかわしくない、にこやかな笑顔が登場した!これが1枚目の壁画だ!
洞窟の中の壁画を巡る
真っ暗な洞窟の支線に1枚目の壁画が現れた。
神々しい姿の人の下で、青いアニマルがペチャンコになっている。憐れ。
いや、違うな。動物の上に座っているってことは、この人はきっと「文殊菩薩」だ。文殊菩薩は青い獅子に乗っているのだと聞いたことがある。獅子は智慧の象徴だそうだね。
岩崎巴人はその文殊菩薩をここに描いたのだ。
いつの時代のものかはわからないが、終戦後~昭和後期にかけてのものかな?真っ暗で誰も来ないようなところだからからか、異様に保存状態がいい。
壁画の前を通過してさらに先に行けそうな雰囲気だ。2枚目と3枚目の壁画はそっちなのだろうか?どっちが正解なのかわからないが、とりあえず階段を登って進んでいく。
うん、ダメこれ。埋まっている。階段や壁の造りも当初と比べるとチープになっていっているから、こんなところに壁画は描かないよね。引き返そう。
本線に戻って進行方向に洞窟を進んでいると、やがて出口の光が見えてきた。
おぉ…、これはどうしようか…。
直進すると出口だが、盛大に崩れた跡がある。ここを乗り越えるのは至難だ。一方でその直前には左側に延びる支線がある。その先もどうやら出口のようだ。
どっちに行っても出口。…ということは、残り2枚の壁画はここではなく、別の防空壕にあるということ。防空壕は1つではないのだ、きっと。
出口を前にいろいろ思案していると、足元にこんな石の動物がいることに気付いた。なにこの子。どういうアニマル?
とりあえず、正面は絶賛崩壊中だから左に行きますか…。
左から洞窟を出ると、完全に茂みの中の山道。しかもT字路だ。まだ分岐かよ。どっちに行くべきなのだ?
洞窟の出口が崩落していなかったのなら、進行方向は真っすぐ左だ。崩落がいつのものかは知らないが、何10年も前のものではないかもしれない。つまりは岩崎巴人が壁画を描いたときには崩落していなかったかもしれない。
2つ目の防空壕はどこだ…?岩崎巴人なら、どこに壁画を描きたいと思う…?
そうだな、画面左下の緑の道を左方向に進むべきだな。そうすれば洞窟の崩壊前の道に合流できるかもしれない。第2の防空壕があるとするなら、その先じゃないかな。
…わっ、また謎の子がいた!そこかしこに野生動物。
僕らは獣道を先へと進む…。道はゆるやかに谷底へと降りて行った。なんだろう。このなんだか手ごたえがない感じは。
きっと道が細すぎるのだ。さっきの防空壕の堅牢な造りからして、第2の防空壕もそこまでグレードダウンはしないと思う。こんな狭い道の先にそんな防空壕を造れるのか?
5分ほど歩いて到達した谷底で道はほぼ消えた。だが防空壕はない。
洞窟である以上、基本的には横穴であるはずだ。横穴であるということは、そこそこ垂直に近くて掘削しやすい山肌があるはずだ。なのに、それが存在しない。
これはどこかで選択を誤ったようだな…。
道を戻る。他に分岐がないか注視しながら戻るが、全然ない。どこで間違えた?それとも、最初の最初から間違えている?1つ目の洞窟のさらに手前にあったりしたのだろうか…??
とりあえず、洞窟には戻らずに獣道のまだアプローチしていない側に行く。
するとな、それが正解だったんだよ。マジか。こんな特異な構造だったとは…。
本線に接続するような配置で、2本の短い洞窟が延びていたのだ。入口まではかなり茂みを掻き分けないといけなかったが、どうにか到達した。真冬だから来れたが、夏場で草ボウボウだと厳しいかもしれないな…。
構造はシンプルだ。短い洞窟の突き当りに壁画が描かれている。なんだか物騒な気配のする壁画だが、近づいてみよう。
捨身飼虎図だな。昔々のインドで、腹を空かせた母トラと7匹の子供のトラがいて、それを見た王子が「かわいそうだから自分がエサになるわ」っていうヤツ。
これ、美談?こんなことしていたら命が1億個あっても足りないと思うんだけどね。
さらにはこの防空壕から少し離れたところに、3つ目の防空壕がある。
同じような造りで、短い洞窟の突き当りに如来像のようなものが描かれている。赤色がバックなのがちょっと毒々しいぞ。
ところで僕は考える。2つ目と3つ目の洞窟について、あまりにも短すぎる。数mしかない洞窟をわざわざ掘るだろうか?
例えば特攻兵器の震洋の格納庫などであればこのくらいの規模のものをいくつも見たことがあるが、山の中のこんなところにこの規模の洞窟を掘り、しかも綺麗に石造りで仕立てているのはちょっとおかしい。
推論だけどさ、岩崎巴人がわざわざ壁画を描くために洞窟の中に白地の壁を作ったんじゃないかな。1枚目~3枚目まで、全部そうだと思う。
少なくとも2枚目の壁画と3枚目の壁画は戦時中は存在しておらず、左右に延びるメイン通路に接続していたんじゃないかな。
このラビリンス感、やっぱ軍事施設だ。丘の上にあるという立地からも、もしかしたら過去にここには砲台があったのかもしれない。そのための施設だったのだろう、この洞窟は。
また洞窟を戻り、車を停めた丘の上の広場戻ってきた。鬱蒼と茂る森、暗い洞窟からのこのギャップよ。すばらしい。夕日が目にまぶしいぜ。
こうしてひとまず収穫を得て、僕らの小さな冒険は終わる…。
2023最新情報を得るために
時代は少しだけ流れたが、あの激坂は相変わらずだ。
2023年夏、僕は1人あの思い出の地へと向かっていた。あの洞窟はどうなっているのだろう。壁画は無事だろうか。
Webの中にはほとんど情報はない。SNSにもない。過去分はそれでもまだ数件あるが、ここ3年くらいは情報マジにゼロだ。僕の検索がヘタなのでなければ。
だから自分の目で確かめに行くしかないんだよぉーー!
…ってうおぉぉ、なんかカードレールがひしゃげているなぁ!落ち葉が大きくてこの傾斜だと滑りそうで怖いなぁ!!
なんだかテンション上がりすぎて、広場への分岐をスルーしてしまったそうだ。なるほど、まっすぐ行くとさらに道は荒れるのね…。
半分未舗装路みたいになったところで誤りに気付き、何度も切り返ししながらUターンした。変な汗かいた。
正解はここだな。ここで右だな。
こんな情報を書いたところで何の参考にもならないと思うけども。
そして懐かしの絶景の丘だ。こんなに草が生い茂っていたっけ?前回は真冬だったから土がむき出しだったのかな?
ただ、逆を言うと夏にもかかわらずこの程度の草原だということは、誰かしらが定期的に手入れをしているのだろうね。
小屋も健在だ。相変わらず謎の物品が周囲に散らばっている。
そしてこの先、木立の中に入っていくと途端に足元がヌチャヌチャして嫌な感じになってきた。
あー…、歩きやすい靴で来ればよかった。そしてちゃんとしたライトを持ってくればよかった。ショボい懐中電灯しか手元に無いんだよね…。もともとここに来る予定じゃなかったから。ふと気が向いて立ち寄っただけだから。
洞窟は開口していた。まずはそれがありがたい。崩れていたり封鎖されていなくってよかった。昔の施設や使われなくなったトンネルって、往々にして封鎖される定めだもん。
暗い。1人だと若干心細さもあるが、大丈夫。僕ったら1人でもそこいらの洞窟とか真っ暗な廃墟とかギュンギュン入っちゃうから。慣れているから。
写真でこそ明るいが、実は懐中電灯が弱くてほぼ真っ暗。それでもかつての右側への分岐にすぐ気づいた。
文殊菩薩、健在。
ライトの照射範囲も狭くって、文殊菩薩を照らすと青きアニマルが見えなくなり、青きアニマルを照らすと文殊菩薩が見えなくなるジレンマね。まぁいいけど。
さらに洞窟をずんずん進む。
洞窟内の石のアニマルもいた。逆にいなかったら怖いけど。
えぇと、ここで洞窟を左だったな…。洞窟の出口の部分、少し崩れているような気がしたけどまだ大丈夫。通れる。
ただ、ここから先は手入れがされていないな…。いきなり倒木だ。そして茂みが深くなる。蜘蛛の巣がすごいし蚊も多い。進行はかなり困難だ。距離は近いのに、植物がすごく旺盛なんだもん…。
第2の洞窟が見えてきた。あそこまでは到達できそうだぞ。茂みを掻き分けて向かう。汗が噴き出る。
捨身飼虎図、到達。もうおそらく二度と来ないであろうスポット。最後に目に焼き付けてやろう。
前回は気付かなかったが、壁画の左下にあるのは照明だろうか?ここがライトアップされて公開されていた時代もかつてあったのだろうか…?
あったとしても、世の中にインターネットが普及する以前の話だろう。Webの中にここの情報はほぼないのだから。
そして第3の洞窟は…。いや、これマジ無理。すんごい茂み。第2の洞窟からたった10数mの距離なのに、それがヤバい。
もちろん作業着みたいにちゃんと防御を整えていれば突破できるだろうが、普段着で半袖の僕にはこれ以上はキケンだ。
たぶん洞窟はすぐそこにある。なんとなくそこが、開口部がゆえに黒くなっているような気もする。それでも到達できない。諦めよう…。
赤い如来、確認できずだ。でも、きっとあるだろう。今もあるしこれからもあるだろうが、なかなか一般人が到達するには難しい世界となってきたようだ。
帰りの洞窟。さっき僕が出てきた開口部は、重い岩盤をかろうじて支えているようにも見えた。これが崩れたら、もう第2・第3の壁画を見ることは永久に難しいだろう。
近々歴史の中に埋もれてしまうかもしれないスポット、今回2つのみだけど見られてよかった。
実は南房総にはもう一箇所ある。この辺が岩崎巴人のゆかりの地であることがその理由だそうだ。
僕はもう1つもアプローチ済みなのであるが、その話はまた機会があったらしたいと思う。
以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。
住所・スポット情報
- 名称: 岩崎巴人の壁画洞窟(丘の上)
- 住所: 非公開
- 料金: 無料
- 駐車場: あり
- 時間: 特になし