有明海。日本最大級の干潟であり、その干満差も日本トップクラスの6mだ。この有明海に面した太良町は"月の引力が見える町"とも言われている。
そんな太良町には「大魚神社」という映えスポットがある。有明海の沖合に向かって3つの鳥居が並んでるのだ。
なかなかに神秘的な光景でしょ。
まぁ僕の訪問時は干潮時であり、有明海特有のヌチヌチした干潟が露出しており、見栄えがイマイチだったかもしれない。完全に鳥居の足元が水没していた方が幻想的だったかもしれない。
まぁそんなこと言っていたら始まる話も始まらないので、かまわず話を始めるぜ。
干潟に並ぶ海中鳥居
大魚神社に到着した。なんか付近が工事中で駐車場がどこなのかわかりづらかったが、神社の横の空き地になんとか駐車できた。
海沿いの車道を挟んだ反対側には、神社の本殿が建つ。一応お参りはしておいたが、今回の注目スポットはこっちではないのだ。車道を渡って海ギリギリのフィールドに足を踏み込む。
これが海中鳥居か!?チゲー!よく見てくれ、これ全然海中じゃない。砂浜にズンボリと埋まっている。
なんのためのものなのか僕にはわからなったが、海中鳥居と呼ばれているものはないのでさらに進もう。
これも違う。さらにフェイントみたいな鳥居がが出てきた。でもその向こうに3つ一直線上に並ぶ鳥居が見えている。。これが今回の目的のものだ。
さっきの本殿のまっすぐ正面にあたるのがここだよね、きっと。
この3つが海中鳥居と呼ばれているものだ。冒頭で書いた通り干潮なので泥の中にたたずんでいる絵になってしまったが、それでもなかなかにかっこいい。
しかしこの鳥居の写真を延々並べたところであなたも退屈してしまうだろうから、ちょいとこの神社の由来についてお話ししよう。
1600年代の終わり頃のお話なんだけど、この地に悪代官がいたんだって。地域住民は「もうやってられないわ」ってなり、有明海の沖合にある沖ノ島っていう小さな無人島で宴会を開き、そこの悪代官も招待したのだ。
そんで酔わせた隙に、悪代官だけ残してみんな船に乗ってスタコラ退散だ。ひでぇ。
ところがだ、あんた聞いてくれ。
満潮で島が沈みかけて悪代官大ピンチ!…っていうところで大きな魚が現れて、悪代官を背中に乗せて陸地まで送ってくれたのだ。
悪代官、生還!地域住民の悪だくみ、無駄!!
この大きな魚とは一説によればブリらしいけど、マジでブリのヤツったら余計なことをしてくれたよね。もうこれ書いていて僕もブリ憎い。今晩お刺身にして食ってやりたいほど憎い。
で、生還した悪代官はどうしたのか。
僕がもし悪代官だったら怒り狂って地域住民をちぎっては投げちぎっては投げってすると思うね。もう干潟全部使ってどろんこレスリングするよね。
ただ、どうやら悪代官は改心して住民に謝罪し、そして大きなブリにも感謝をして神社を建てたらしい。そう、それがこの大魚神社だね。
遥か沖ノ島を臨む
悪代官が置き去りにされた沖ノ島は、この陸地から6㎞地点にあるという。水産庁が選んだ"未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選"の1つでもあるそうだよ。
この3連鳥居。この延長線上にその伝説の沖ノ島がある。どうやら佐賀県に属する有明海の中では唯一の島なのだそうだ。
目を凝らすが6㎞先だもんな、大きな島だったらともかく非常に小さな島だそうなので、よく見えない。
これは海中鳥居の近くに設置されている説明板。ここからのロケーションについて記載されている。
沖ノ島は満潮時には海に沈むそうだが、干潮時には姿を現しているし、海上保安庁が建てた沖ノ神瀬灯標があるらしい。
僕も視力はイマイチなので目視できないが、ズーム力に定評のある僕の愛用のコンデジを使えば撮影できるかもしれな…。チャレンジしてみる。
よしっ!写った!コンデジ、グッジョブ!!
ゴチゴチにソリッドな沖ノ神瀬灯標がカメラ越しによく見えた。
ところで伝承によると3連鳥居と沖ノ島の間の海中にも鳥居が建てられ、それは干潮時に姿を現すらしい。たぶん今は干潮だから見えている可能性が高いかなって思ったけど、見当たらなかった。
現存しているよね?まだ干潮っぷりが足りなかったのかな?
沖ノ島は、男島と女島の2つの岩礁から成るそうだ。あの灯標の足元、2つに分かれているけどもそれが男島と女島なのかな?
沖ノ島にはもう1つ有名な伝説がある。その昔、干ばつが続いていたとき村に住んでいた「おしまさん」という娘が雨乞いのために身を投げた。その遺体が沖ノ島に流れ着くと、この土地は雨に恵まれれるようになったとのことだ。雨は良かったけど、そういうことしちゃダメだぜ、おしまさん。少なくとも現代の感覚ではな。
今も毎年沖ノ島にあるおしまさんの石像にお参りする文化が残っており、その石像のレプリカは同じく有明海沿いにある「道の駅 鹿島」にもあるそうだ。
僕はこのときも鹿島の道の駅に立ち寄っているし、以前も訪問したことがあるのだがおしまさんの像には気づかなかった。失敗したぜ…。
では、もう少し海中鳥居から見える光景についてご紹介をしよう。
ハートのくっついた鳥居もある。その足元にはハート型にくりぬかれたプレートも何枚かある。
これの使い方は、ハートのプレート越しに海中鳥居を撮影すると、ハートフレームになってかわいい!…って感じにするというものだ。
いやぁ驚きましたね。あの悪代官がこんなファンシーなものを作るだなんて。否、あなたもお気づきの通り、このハートフレームは300年前のアイディアではないけどな。
実は海中鳥居は3連だが、その少し手前の陸地にもう1つある。4つあるうちの3つが海中なのだ。こうやって青空バックに見上げる鳥居もまぶしいね。僕はハート越しよりこっちの方が好き。
もう1つの大きな見どころは、海中鳥居からも見えるこの「太良海中道路」だ。
海の中に電柱が続いている。完全な干潮ではないので途中から水没してしまっているが、これは漁船などからの運搬などに使われる道路なのだそうだ。なかなかに珍しいロケーションだね。
本殿と海中鳥居の間にある川(?)。干潟特有のドロドロっぷりが壮観だ。こういう干潮では、停泊している船は全く動かないだろうね…。
しかしこういう干潟だからこそ育まれる命もたくさんある。日本の宝だ。
道の駅から干潟を眺めよう
では、ちょっと余談になってしまうかもしれないけど、最後の章では有明海の干潟を一望できる道の駅 鹿島について語ろうと思う。あのおしまさんの石像のレプリカも置いてあるから、今回のお話に無関係ではないしね。
道の駅鹿島。これはずいぶん前、日本3周目にて撮影したものだ。初夏の兆しの暖かい日であった。
実は昨年である2023年もここを訪問しているのだが、なんであえて日本3周目の写真を出してきたのかというと…。
ドロドロっぷりが過去一だったからだ。美しいまでの茶色い大地。
毎年5月の下旬か6月の頭くらいに、ここで「ガタリンピック」っていうイベントもやっているんだよ。全身泥だらけになるから、汚れてもいい服か水着だとかを着て、グッチャグチャになりながら競技をするの。
ソリみたいなものも用意されていた。あれに乗って干潟内を移動できたりするらしい。ただ、バランス崩して転んだら悲劇だし、そうでなくても服装には気をつけた方がいいな。よそ行きのドレスとかはきっと不向き。
そしてここからは昨年の写真だ。道の駅に併設されている「干潟展望館」に僕は登る。日本でもここにしかないくらいに見事な干潟。有明海沿いをドライブするならば、絶対に見るに限るっしょ。
静かな空間でおじさん数人が厳かに話し合っていたのでちょっと二の足を踏んだが、ここで躊躇しちゃダメだ。干潟が好きなその気持ちに正直になれ。
おじさんの間を割って入って窓際に向かった。
ちょっと水が多いのかな?つゆだくなのかな?見ようによっては普通の海みたいだ。だからさっき過去の写真を先に出したのだよ。
あと、前回はきっと防波堤の上に立って干潟を眺めたんだろうな。展望館よりも防波堤の上の方が眺めがいいかも。
ただ、ここには無料の双眼鏡が設置されているのが嬉しい。
覗くと沖合にたくさんの棒が刺さっているのが見えた。海苔の養殖で使っている支柱だな、あれ。
その他、展望館内には干潟の漁で使用していた伝統器具がいくつも展示されていた。泥の中の闘いだから、普通の漁業の道具とはちょっと違い、なんだか農具みたいなテイストだったりするのがユニークなのだ。
もうこれ、写真だけ見せられるととても漁業風景とは思えないもんね。良くて潮干狩りだ。
だがそんな歴史を知り、風土を知り、伝承を知ると、また旅は楽しくなる。日本って面白い。
悪代官と、その悪代官を乗せた巨大ブリも、干潟の中を泥だらけになりながら陸地に戻ってきたのかもしれないねぇ。泥どろになった悪代官、見るも無残だったから住民も許しちゃったのかもしれないねぇ。
そんな想像をしながら、僕は干潟を眺めたのだよ。
最後にオマケ。「あ、ここにも僕と同じように干潟を見ている人がいるぞ」って思ったらですね…、
…、恐怖しかなかった。
以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。
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