この岬を有する佐田岬半島は日本一細長い半島とも呼ばれており、付け根部分から往復するのはなかなかに時間がかかる。しかも終盤は擦れ違いがギリギリなほどの幅の車道となる。
さらには駐車場から岬の灯台までは結構なアップダウンのある道を片道1.8kmも歩かねばならない。
だからこそ、到達できた佐田岬に感動できるという面もあるが。
このあたりの詳細は以下の記事で記載しているので純粋に岬を目指す方は以下をご覧いただきたい。
今回取り上げたいのはそうじゃないのだ。
この岬へと向かう広大な道のりの終盤に立ちはだかるガーディアン、「ミカンの押し売りのばあちゃん」について語りたいのだ。
ばあちゃんの押し売り理論を参考に、僕がばあちゃんに物を売ってみたいのだ。
もうこの記事、これからはばあちゃんのことしか書いていないし、僕もばあちゃんのことしか考えていない。
しかもあなたが想像するほどユニークな結果にはならないかもしれない。
それでいい方だけ、深呼吸してから画面をスクロールしてほしい。
岬には押し売り警戒看板が立つ
ミカン押し売りのばあちゃんとは。まずはそれを語らねばなるまい。
上の看板を見ていただきたい。これは佐田岬の駐車場から、灯台へと続く1.8㎞の遊歩道への入口部分に掲示されているものである。
遠路はるばるお越しいただき有難うございます
美しい自然の景観をお楽しみください
⚠押し売りにご注意ください
粗悪な商品を高値で買わされたという問い合わせが増えています。購入時のトラブルに関して、応援管理者は一切の責任を負いかねます。
公園管理者 伊方町
これ、なかなかに温度感の高い看板だなって思った。相当な量のクレームが役場に殺到し、頭を抱えた役場が「せいいっぱい角の立たない方法で警告と責任の回避をしている」と感じた。
担当、たぶんこの文面を考えながら下唇を思いっきり噛んでいたと思う。額に青筋を立てていたと思う。
本来は『押し売りされたという問い合わせが増えています』でよかったのだ。
それをわざわざ『粗悪な』・『高値で』というネガティブ表現を用いている。そもそも粗悪かどうか、高値はどうかは購入者の価値観によって左右される。
あえてこう書いたことで、「このくらい強いクレームが来ているんですよ」・「買わない方がいいですよ」っていうエマージェンシーを我々に発している。
これ、公務員としてはギリッギリのラインを攻めていると思う。僕もこれを初めて読んだときには「まぁまぁ。気持ちはわかるがホットミルクを飲んで今夜は早めに寝ろ。」って思った。
僕とばあちゃんの邂逅の記憶
僕が初めて押し売りばあちゃんと出会ったのは、日本2周目にて初めて佐田岬を訪問したときだったと記憶している。社会人になったばかりの頃であった。
以前のばあちゃんは、先ほどの警告看板のすぐ裏手、つまりは岬の先端へと続く上記の遊歩道の片隅に座っていた。
初回に出会った際にはまだばあちゃんではなく、"おばちゃん"って呼んだ方がいいくらいの年齢だったかな?同一人物かどうかは定かではないけども。
まぁいいや。この記事では"ばあちゃん"で統一する。
ここはすごく狭い道なので、100%ばあちゃんの前を通過せねばならない。
僕ら観光客が前を通過しようとすると、「ミカンどうですか?」みたいに声を掛けられる。
確か初回は仲間と4人だったので、フルーツは基本どんなものであっても食べない僕は、後ろの方でその一連のやりとりを見ていた。
ばあちゃん:「ミカンどうですか?」
観光客:「いや、今はいいです。旅行中ですし。」
ばあちゃん:「郵送でもできますよ。ご家族も食べるんじゃないですか?」
観光客:「家族いないし自分も食べないです。」
ばあちゃん:「それではこの海藻の乾物はどう?」
…こんな感じで、傍らのボックスからドラえもんのようにいろいろ取り出していたと思う。夏場はアイスもストックしていたな、確か。
上記はサラッと書いたが、実際は百花繚乱の受け返しテクニックを自在に操り、観光気分で少々懐の緩くなっている人はついつい買ってしまったりするのだ。
僕はフルーツを食べないのでわからないが、ミカンはそこそこの値段だそうだ。ちなみに海藻の乾物は社会人になったばかりの僕が気軽に買える値段ではなかったし、社会人になったばかりの僕は海藻に興味すらなった。あんなもん、金出して買うもんじゃねーくらいな的外れな人種だった。
ってことで冷静な評価はできないが、看板に『粗悪な』・『高値で』と書かれていたということは、ガッカリされた人の方が多いのであろうな。
この写真右端の看板。これが設置されたのは2010年代の前半だっただろうか?
これが設置されてからは、さすがにばあちゃんも遊歩道に陣取るのを辞めてしまったようだ。あ、ちょっと切ない。
しかし日本6周目で久々に佐田岬を訪れた際に、久々にばあちゃんを見かけた。
駐車場から1.5㎞ほど手前の車道沿いにある民家の前に座っていた。
日本6周目、朝早い時間に佐田岬を訪問した僕。
その際に僕は、駐車場までの車道沿い、そして駐車場、岬の先端までの遊歩道、その全てにばあちゃんがいないか確認していた。結果いなかった。
いたらこの警告看板ができたことに対してどういうお気持ちなのかインタビューしてみたかったんだけどな。
だが、全ての観光を終えて充実した気分で岬を立ち去った直後にばあちゃんが現れたのだ。
その場所が、先ほど書いた通り駐車場から1.5㎞ほど手前の車道沿いにある民家の前だったのだ。
そうだった。僕はばあちゃんがミカンを売り出す時間を考慮していなかった。たぶん8時ごろから押し売り開始だ。だから往路の際にはばあちゃんはおらず、復路で登場したのだ。
僕が車で通りすぎる際、ばあちゃんはミカンを持った片手を高く上げ、僕に向かって何かを叫んだ。
気持ちの準備ができていれば僕はブレーキを踏んでばあちゃんと会話ができたろう。しかしいきなりの登場でそこまでの咄嗟の判断ができなかった。僕は「やぁ」みたいに片手をあげてばあちゃんの横を通過した。
ばあちゃんの叫びがドップラー効果みたいな感じでわずかに聞こえた。サイドミラーを見るとまだこっちに向かってミカンを振りかざし、何かを叫んでいた。
ゴメンばあちゃん、この道はもうUターンするのはかなり難しいのだよ。またいつか。
僕はばあちゃんと闘いたい
Web情報によれば、ばあちゃんは80歳を超えたという。引退してしまう前にまた会いに行かねばなるまい。
日本一細長い半島を眺めました。
— 旅人YAMA@日本分割7周目 (@yama31183) September 17, 2023
その先端にいるボスキャラ、「ミカンの押し売りのばあちゃん」
今回の旅では行かないだろうが、日本7周目のどこかで、僕はあんたとも闘いたいと思っている。#佐田岬#豊後水道 pic.twitter.com/Wrz3S2BrBu
2023年の9月は、フェリーで佐田岬沖を通過した。大分港を起点に九州北半分を一周する旅を計画していたのだ。
佐田岬の灯台も遠くに見えた。あぁ、あそこにばあちゃんがいる。でも今回は会えない…。
ばあちゃんに恋焦がれてXにポストしたのが上記だ。
2024年、僕はばあちゃんに再会できることとなる。
前日まで佐田岬はおろか、四国に行くことすら明確に考えていなったので、このプランには僕自身が一番驚いたかもしれない。
時系列的には上記の記事の翌日だ。
上記の記事の最後に雪予報を検知した僕が予定を大きく変更し『さて、山口県まで突っ走った後にUターンして四国を目指そうかな…』とつぶやいている。
その結果、佐田岬を訪問することとなったのだ。
しまった、もうあと2時間後にはばあちゃんのいる佐田岬だ。
にもかかわらず、僕はばあちゃんに会ったときの会話を全然考えていない。事前準備もしていない。
あこがれのアイドルに会う直前の少女のように、僕は焦る気持ちを抑えながらプランを練った。
天下一品こってりスープおにぎり
僕は作戦を立てる。
ばあちゃんは観光客に押し売りをしてくる。それがいいか悪いかは厳密にはわからないが、迷惑をしている人もいるから冒頭の看板が作られている。
それでもSNSなどを見る限り、ばあちゃんは少しだけ場所をずらして相変わらず押し売りをしている。
きっとばあちゃんは「自分は押し売りをしている」・「迷惑をかけている」という自覚がないのだ。純粋にミカンを売りたいと思っているのだ。だからこそ、あの手この手で買ってもらう方法を提案しているのだ。
…その精神、しかと僕が受け止めた。そしてばあちゃんに同じく「押し売り返し」してみたい。
日本7周をし、何度もばあちゃんに会っている僕だからこそ、それができる。ばあちゃん、あなたを見て育った僕は一人前のオシウリストになりましたぞ、と。
「天下一品 こってりスープ仕立て 炒飯おにぎり」を購入した。168円。
選ぶ時間も店も充分に無かったのでこんな結果となってしまったが、まぁいいや。ばあちゃんに魅力を伝えられれば商品はなんでもいいのだ。
今からこれを、ばあちゃんに売りに行く。押し売りする。人生初の押し売りだ。ドキドキすらぁ。
大事なのは、ばあちゃんと同じ手法で押し売りすること。
ばあちゃんが「あら、私と同じセールストークね」って気づき、それによって今まで押し売りされてきた人々の気持ちがわかってくれればハッピーエンドだ。
嫌がらせになってはいけない。高圧的になってもいけない。僕はばあちゃんの愛弟子の気分にならねばならない。
天下一品 こってりスープ仕立て 炒飯おにぎりは、2024年2月26日から販売開始されたそうだ。うおぉ、マジか!メッチャ旬じゃねーか!我ながらいいチョイス!
そして説明するまでもないかもしれないが、あのポタージュのようにドロドロのスープがウリのラーメン屋「天下一品」のラーメンをモチーフとしたおにぎりなのだそうだ。
その鶏ガラスープを取り入れた炒飯で作ったおにぎり。にんにくや唐辛子も入っているぞ。元気になれるヤツ。
さらには天下一品って言ってもピンと来ないばあちゃんのために、天下一品のことをWebで調べて学習した。
創業は1971年、大阪万博の次の年だ。京都「銀閣寺」近くに屋台としてOPENし、最初は全然売れなくって苦労したらしい。
そのあとも当然いろいろあるけど、ここで話す話題じゃないので全部カット。
なんか調べていくうちに僕自身が天下一品のことが気になってしょうがなくなった。
僕自身がこのおにぎり食いたい。最悪、ばあちゃんと天下一品おにぎりの取り合いになるな、これ。
さて、どうやって鏡面セールス(←鏡面セールス??)をすべきか…。
佐田岬半島の先端に向かって走りながら脳内ロールプレイングをする。イメージは以下の通りだ。ばあちゃんのミカンターンと僕のおにぎりターンの対比で書くぞ。
ーーーー
ばあちゃん:「ウチのイヨカンはおいしいよ。買っていきなさい。」
僕:「いや、イヨカンって食べたことないんですよね…。食べられないかも。」
ばあちゃん:「じゃあだまされたと思って食べなさい。おいしいから。」
僕:「天下一品のおにぎりはおいしいよ。買ってください。」
ばあちゃん:「いや、天下一品って食べたことないのよ。苦手かもしれないわ。」
僕:「じゃあだまされたと思って食べてください。おいしいから。」
ーーーー
僕:「でもちょっとお高くないですか、これ…?」
ばあちゃん:「ウチのイヨカンはあれこれあれこれで、すごく大きくて甘いからお値段以上にお得よ。」
ばあちゃん:「でもお金を払ってまで食べようとは思わないわ。」
僕:「天下一品のラーメンは(歴史と企業努力を語る)で、それがおにぎりになるという2024年のビッグイベントなのですよ。それを僕がここまでお届けしているのです。配送業の"2024年問題"ってご存じですか?昨今のトラックドライバーの労働時間が社会的問題(以下略)」
ーーーー
僕:「でも柑橘類ってやっぱちょっと苦手かも…」
ばあちゃん:「ウチのは大丈夫よ。あれこれあれこれで、柑橘類が苦手な人でも食べやすいから。」
ばあちゃん:「でもこってりラーメンなんて普段食べないから苦手かもしれないわ。」
僕:「これは大丈夫です。おにぎりですから。老若男女、初心者であっても気軽に天下一品を体験できるように工夫されているんです。日本人なら誰しも馴染みのあるおにぎりで天下一品の(以下略)」
ーーーー
ばあちゃん:「このイヨカンは、太陽をたっぷり浴びたからすっごく栄養価が高いのよ。」
僕:「見てくださいこのおにぎり。カロリー218キロカロリーありますよ!栄養の塊ですよこれ!」
ーーーー
ばあちゃん:「じゃあご家族のために買って帰ってくださいな。」
僕:「じゃあ家族に食べてもらいましょう。おにぎりもラーメンも嫌いな日本人、きっといませんから。」
ーーーー
トークスクリプト、カンペキ!脳内で20種類くらいは用意した。
どう来ても天下一品カウンターできる。すばらしきは天下一品よ。
押し売りばあちゃんと対峙する
さぁ、いよいよ岬の先端が近づいてきた。
ここでゴメン、水を差すようだがあなたに1つ大事なことを伝えておきたい。
僕の目的は「ばあちゃんにおにぎりを押し売りする」ことではない。ばあちゃんのセールストークに対し鏡面セールストークをすることだ。
つまり、ばあちゃんは僕にゴリゴリの押し売りをせずに早々に手を引いた場合は、僕もセールスができなくなる。
僕は今回の企画をエンターテインメントでやっているわけではない。そういう系のユーチューバーなら突っ込んでいくのだろうが、僕はばあちゃんに迷惑をかけたいわけではない。
"おあいこ"以上のことはしないのだ。
毎回岬の先端まではすごい距離があるなーって思っていたのだが、ばあちゃんのことを考えていたらあっという間に先端付近まで来てしまった。
あともう少しだ。高鳴る心臓。初恋のあの気持ち。
そうだ、「言った言わない」にならないように録音もしておこう。断りなく録音するのはちょっとよろしくないので、録音に了承いただくトークも直前で考えておいた。
そして間もなく見えてくる。ミカンの木に囲まれ、崖を背にして立つ家が。その前に座り込むばあちゃんが。
よく聞き取れないが、「ちょっとー!お兄さんー!」みたいに呼びかけられた。
僕は待ってましたとばかりにブレーキを踏み、停車して「どうなさいましたか?」と聞く。
ばあちゃんはミカンの紹介を始めた。
ちょっと品種の部分が聞き取れなかったのだが、「〇〇という大阪の品種で、最近新しく育て始めた。ちょっと高いけれどもすっごいおいしいから買って行きなさい。」みたいな感じであった。
「ミカンか…。ちょっと"僕自身は"柑橘系はあんまり食べないんですよねぇ…。」と返答した。
ここで予想外の事象が起きる。
「あー、そうなの。だったらしょうがないやねー。」とばあちゃんが引き下がったのだ。
えっ、どうしたどうした。随分丸くなったじゃないか。僕はわざわざ"僕自身は"って言って隙を見せたのに。
一瞬考えた。これで「家族は食べます」とか言ったらもっとグイグイ来てもらえるだろうが、それでは「押し売りされたい」人になってしまい、本来の意図と外れる。それはダメなんだ。
僕が「すみませんねー」と言うと、ばあちゃんは「はいよー」とあっさり答える。
こりゃもう去るしかない。こうして佐田岬の駐車場に到着した。そこから小1時間をかけて佐田岬散策をするのだが、最高でしたわ。この岬はやっぱいい。
だけどもなんだか心が満ちない。ばあちゃんともうちょっとお話しできると思っていたからな。ワクワクしすぎた。
ばあちゃんも昔と比べて年を取り、ハングリー精神を失ったのだ。クレームを怖がり、本当に買いたい人だけにミカンを売るスタンスに変えたのだ。
それでいいじゃないか。
これで丸く収まる。もうよっぽどのことがない限り、被害者は出ないであろう。
それが確認できただけでよかった。
ここまでダラダラと長文を書いたので画面の前のあなたは「なんだ、結局押し売り返ししないのかよ、ガッカリだぜ」ってスマホを投げるかもしれない。
そういうもんだよ。この世はバラエティ番組のようにうまく構成されているわけでもなければ、フィクションのように望んだ展開になるわけでもないのだから。
エピローグ:また逢う日まで
佐田岬を観光し、再び僕は佐田岬半島の付け根に向けて車を走らせる。
時刻は16:30。西日がまぶしくなってきた。
ばあちゃんの家の前も無人だ。もう仕事を終えたのであろう。
ちょいと切ない気持ちで通り過ぎようとしたときだ。隣の納屋みたいなところにいたばあちゃんがちょうど外に出てきて、僕を見て「ちょっとアンタぁぁーー!」みたいに吼えた。
いや、ちょっと待てそのタイミングで呼ばれるとは思わなかった。
また呼ばれるとも思わなかった。
もうすでにブレーキを踏むのもよろしくない。僕は「やぁ」みたいに片手をあげてばあちゃんの横を通過した。
ばあちゃんの叫びがドップラー効果みたいな感じでわずかに聞こえた。バックミラーを見るとまだこっちに向かって何かを叫んでいた。
僕が2回目と気づかずに、またミカンを売るつもりだったのだろうか?
それとも他の物を売ってくるつもりだったのだろうか?
残念ながら真意は不明だ。
じゃあ、次は日本8周目で確認せねばなるまい。それまで元気でミカンを売り続けていてほしい。四国最西端で旅人たちに恐怖を振りまいていてほしい。
あの警告看板がいつの日か撤去されたら、僕は悲しい気持ちになってしまうからさ。
ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー
「天下一品 こってりスープ仕立て 炒飯おにぎり」。
僕の口に入ることになった。まぁうまかったですわ。ただ、ばあちゃんと対峙した際にすぐに取り出せるようにバッグの中に入れていた。そのまま佐田岬往復の時もバッグの中だった。
歩いたときの振動が蓄積されて、もともと柔らかかったであろうおにぎりの封を切った瞬間に、ほろほろと崩れた。
運転席のシートの脇の隙間とか、マックのポットが無限に吸い込まれるあの空間にご飯粒がぽろぽろと落ちていった。ちくしょうめ。うまいけども、ちくしょうめ。
伊予灘に落ちていく夕日を眺めながら、僕はつぶやいた。