京都は歴史的価値のある神社仏閣がたくさんあり、世界中から注目されて観光客もワンサカ来るすごい町だ。
僕も教科書に載っていて誰もが知っているような神社仏閣はそれなりに巡ったが、今回は京都の中心地にあるがちょっと王道からは反れたスポットについて語りたい。
「蹴上インクライン」。
いつ行ってもいい場所だが、桜スポットとしてご紹介したい。
あ、2024年の京都の桜シーズンも終わりかけのところ申し訳ない。これからすぐに行けばまだギリで間に合うかもしれない。あるいはブックマークして来年の桜シーズンまで温めていただきたい。
廃線と桜並木。かなり絵になるスポットだぞ。
桜が満開の快晴の日にここを歩けたことを、僕は天に感謝しているよ。
琵琶湖疎水の遺構へようこそ
あとから「南禅寺」入口付近にも駐車場があることに気づいたが、僕は蹴上駅から300mほど南にある100円パーキングに車を停めて歩いてきた。
ある意味その選択は正しいかったのかもしれない。なぜならば、交差点の向こうに一直前に連なる桜並木を眺めることができたからだ。
あれがインクライン。あの桜並木の下にそう呼ばれる線路が敷かれているはずだ。あぁ、早くその上を歩いてみたいな。
交差点の横にはレンガ造りの「第2期蹴上発電所」がある。1912年(明治45年)に造られた水力発電所だ。
さて、今回インクラインについて語るには、「琵琶湖疎水」について理解しておかねばならない。
琵琶湖疎水とは、お隣にある滋賀県のデッカい湖「琵琶湖」の水を「京都にもその水ほしいよ!流してよ!」って思ったのではるばる引っ張ってくるという、明治時代のロマンあふれるプロジェクトなのである。
その引っ張ってきた水を使った水力発電所の遺構だ。
インクラインの目の前までやってきた。現れたのは「ねじりまんぽ」という不思議なトンネル。これまた明治時代の遺構である。
まんぽというのはトンネルを指す言葉であり、ちょっと中の写真は撮り損ねちゃったんだけどもレンガがねじれるように積まれているのだ。
例えるとさ、銃の砲身内部って螺旋状の腔線っていう溝が彫られていて、これによって弾丸は高速回転するじゃない。このトンネルは、その砲身のように螺旋状にレンガが積まれているのだ。
なぜかっていうと、この上にインクライン、つまりは線路が通っているから。その重みに耐えられるようにこういう構造なんだって。メチャ珍しいのです。
インクラインを歩き出す。桜の咲く線路の道だ。
だがゴメン、その写真をお見せする前に、もう1つ事前知識を語っておきたい。
琵琶湖からここ京都市街地まで水を引っ張ってくる明治時代の一大プロジェクト。トンネル掘ったり水路造ったりと、ほぼ水平を保つ道を形成できたのだが…、1つ例外があった。
小さい写真で恐縮だ。スマホの方は拡大してほしい。これが琵琶湖疎水の全容図。
右が琵琶湖、左の赤丸がインクライン。ここだけ傾斜になってしまっている。
まぁ水はいいよ。琵琶湖から京都まで下るだけだからさ。でも、せっかくこれだけの水路を造ったなら、もっといろいろ活用したいじゃない。
たとえば船による水運だ。京都と琵琶湖がほぼ水平に繋がったんだから、船で物資を運べばすごい楽。
でもダメだー。このエグい傾斜は船が登れるわけがねぇ!
…ってことで誕生したのがインクラインなんだな。
線路を敷いてそこに船を載せて巻き上げる。その動力は、水力発電で作れば自給自足みたいになるぞ、と。その水力発電所が、さっきの第2期蹴上発電所だ。日本初となる、事業用の水力発電所だったのだそうだ。
はい、話が全部繋がってきたね。
インクラインとは傾斜地を行き来する貨物用ケーブルカーを指す。
その跡地の線路を歩くことができるのだ。背景を知ることでより一層ワクワクできるよね。
じゃ、線路をノンビリ歩こうか。
廃線と桜並木が作る世界
インクラインの全長は582m。これができた当時は世界最長の規模だったんだって。
僕はそのインクラインの中央付近から歩き始めた。まずは下流側、京都市街地へのゴール方面に歩いていこう。
歩いているとあんまり感じないが、インクラインは36mの高低差がある。そこを2本の線路が繋げているのだ。
少し葉が多くなりだした桜並木が線路の両側に立ち並んでいる。ソメイヨシノであり、90本あるとのことだ。そこを多くの観光客が歩いている。
外国人の人も多い。「日本にようこそ!日本の春はステキでしょ!」って胸を張って言いたいな。
足元は砂利引きの上に飛び石。うん、不規則で歩きづらい。スマホ見ているとコケるんだからな。
でも風情がある。はんなりして来た。京都だから。
線路は橋の下をくぐる。この上は南禅寺前の交差点であり、そこからの道が南禅寺につながっているのだ。
そして橋をくぐって少し行ったところが「南禅寺船溜」っていうインクラインを行き来する船の荷物積み下ろし場所であり、インクラインの終点となる。そこまで行ってみよう。
桜のトンネルの向こうにトンネル。そのトンネル越しに南禅寺船溜の噴水が見えてきた。美しい光景だ。欧州のどっかの宮廷の庭みたいだ。
そしてそのちょっと手前でインクラインの線路が途切れているのが、ここからでもわかるね。
わぁ、すげぇ。思わず声が出た。
トンネルによって向こう側がよく見えず、密閉感があった状態からのこの世界の広がりだから、余計に感動が増幅される。
噴水の背後に見えている白い建物は、「蹴上インクライン ドラム工場」だよね?
インクラインを行き来する船を載せた台車のワイヤーを巻き上げるための操作室。湖畔にたたずむ洋館みたいだ。
線路が途切れた向こう側は、チョロチョロと水の流れる水路。春先のきれいな水の中で、なんか植物がスクスク育ってきている。えっと、なんだっけこの植物。
そして水流には一緒に桜の花びらが乗ってきている。春ならではのロマン。
水流の上流側を目で追う。するとさっきまで歩いていた線路の脇にこんな水路があったのだね、気づかなかった。琵琶湖疎水はインクラインの外側をこうやって流れていたのか、そっか。
水路の上には桜。いいね、川と桜のコラボ。
ここでインクラインの脇にある階段から上に上り、さっき下をくぐった橋の上側に行ってみることとした。
はい、すごいね。夢の世界のようだね。
ちょうど園児の集団が散策しにインクラインに入ってきた。色鮮やかな帽子がまぶしい。
そして園児、まだ人間界での経験値は数年だろうに、感受性豊かだし個性もそれぞれ。微笑ましい。そんな彼らが数10年後の日本を支えていくのだね。がんばって、そして楽しんで大きくなってほしいものだ。
では、ここで折り返し、今度は約600m先の上流側の終点に向かって歩くぞ。
三十石船の軌跡は春爛漫
出し惜しみしてきたが、桜のトンネルが本領発揮するのはこの章だ。すごいんだからな。
Uターンした僕は、しばらくはインクラインを見下ろしながら車道側を歩く。
そこの行程の中盤には、インクラインのレールの上を行き来していた復元された台車が展示してあり、目を引く。こういう働く車系が好きな僕はもちろん足を止める。
台車に載っているのは三十石船だ。
インクラインが実際に稼働していたのは1891年から1948年までであり、50数年。正直個人的には「少々短い期間だったんだな」って思ってしまった。
当時は船に米・酒・醤油などを載せて大津と京都を行き来していたそうだが、戦後になるともう市街地を結ぶルートに船を使うのって、ちょっと古い手段になっちゃうもんね。車道も発達するし、鉄道も発達するし。
こうして役目を終えてしまったのだ。
この復元台車自体は新しく、2010年に造られたもの。
なんか三十石船に乗っかっている荷物まで復元されたそうだけど、ネット掛かっているし全部同じ色で何が何だかわからずに気に留めなかったわ。しかも上の写真では荷物、白飛びしているしな。
さぁ、こっからスゲーぞ!!
僕も今回初めて知ったのだが、インクラインは上流部分の方が桜が咲き乱れている。いや、これ下流側が葉桜が多くなってきているからかな?
標高が高い方が春が来るのが遅いもんな、そっかそっか。
とりあえず桜も多いし人も多いし、もうグッチャグチャでなんだか楽しくなってくる。
さらに園児の集団も突入してきて、さらにワチャコラしてきた。
みんなの歓声や笑い声が周囲に響く。いいね、春ってそうじゃなくっちゃ。動物・植物のすべてが活発化し、世界が活気づくのだ。
マジ満開。
そんでほんの30mほどしか上っていないのに、振り返ると遠くに山々が覗いている。すっげぇな、京都。
582mのインクライン。同時三十石船を載せたい台車は、このインクラインを10分~15分かけて登ったそうだ。
人が普通に歩く速さの半分くらいのスピードだったんだね。ゆっくりゆっくりと、でも船に積み荷を載せたままで船ごと移動できる技術は画期的だったのだろうな。
あとな、僕はこれでも「結構にぎわっているな」って思った次第なのよ。
だけども後からWebで調べたら、桜満開の週末のときってこんなレベルではないのな。朝の新宿駅みたいに人でギュウギュウで、線路なんて1ミリも見えないくらいにごった返すのな。
僕がここを訪問したのは平日の午前中である。いいタイミングをチョイスしたようだ。
そんなこんなで楽しい散策も終盤。左手に「蹴上疎水公園」が見えてきた。
多くの観光客はここいらで引き返したりしているそうだが、レールはあと100mほど続いている模様だ。もう少し登ろう。
レールはここまで。正面の策のところで琵琶湖疎水の水路に突き当たり、消えていた。
あそこが「蹴上船溜」。上流側の船の停泊スポットだ。
ここに復元された台車と三十石船があった。周囲にはほとんど人もおらず、静かに水際に停泊していた。
その向こう側に橋があるので登ってみよう。
三十石船、そしてその向こうには緩い下り坂。両側に桜並木。これまで歩いてきた行程を見下ろすことができた。
あと、左上にちょこっとしか見えていないけども、京都盆地を取り囲む山脈。
日本の春の美しい光景だね。
橋から反対側、つまりは琵琶湖側を眺める。
右奥には立派なレンガ造りの建物「旧御 所水道ポンプ室」が見え、さらにその奥にはチラリと「琵琶湖疏水第3トンネル」の西側出口が見えている。
あそこから疎水はトンネルに入り、山の向こうに繋がっているのだろう。
僕が今回歩いた琵琶湖疎水はほんの一部だが、こうして疎水は続いている。
ちゃんと辿れば、琵琶湖から京都市街までの壮大な疎水を負うことができるかもしれない。明治時代の夢の残滓。
そう考えると、なんかワクワクするよね。そんな春うららな思い出。
異常、日本7周目を走る旅人YAMAでした。
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