清里高原。
昭和後期から平成初期の、いわゆるバブルと言われた時代には空前の清里ブームが巻き起こり、駅前などは"高原の原宿"とも言われたほどに、若者やファミリー層でごった返したそうだ。
そんな時代も、今や遠い昔なのだろうか…。
現在の清里駅前はそれらの夢のカケラが廃墟として立ち並び、寒々しい雰囲気が満ち溢れている。
目に映る景色は大体廃墟であり、営業しているお店を探す方が困難だ。
このかわいらしいおとぎの国テイストのまま廃墟となっているので、人は清里のことをファンシー廃墟とかメルヘン廃墟などと呼び、一部の廃墟マニアの間ではそれなりに人気だ。
僕は清里に向かう。
廃墟好きとしての探求心。遥か昔の家族旅行の思い出の地としての切なさ。
その2つを抱えて…。
※ 複数回訪問した写真をマージしてお届けします。
※ どんどん状況が変わっているので、2023年現在は写真と実態が異なる可能性があります。
ミルクポット
もう数えきれないほどに来ているエリアである。
たぶん20回は来ているが、30回には届かないかな…といった具合だ。
適当に目についた駅前通りの駐車場に車を停める。
そして管理人のおばちゃんに料金を払う。
駐車場、ガラッガラだな…。
カサをさしてちょっと周辺をブラついてみることにした。
うん…、寒いな。
高原だからだけではなく、小雨が降っているからだけではなく、雰囲気が。
町は申し分ないほどにオシャレなのだが。
ちなみに右端の時計台は公衆トイレであり、その1つ奥は項番だ。
いちいちセンスはいい。
いかんせん、誰もいないのだ。
これだけ建物が立ち並ぶのだが、ひっそりと静まり返って周囲は無音である。
たまーに歩いている観光客を見かけるが、お互い「何をしに来た?」みたいな疑問の目線を交差させる。
だが僕は清里駅前のこの現状を充分に知っている上でやって来た。
好きな地なので見るのはツラい部分もあるが、廃れていることを確認しに来た。
さぁ、もう上の写真に見えている、パステルグリーンの建物があるT字路が最大の目的地の1つだ。
ドーンと左右に立ちはだかるメルヘンな建物。
右も左も廃墟だ。
観光業は生ものだから、弱者が強者に飲み込まれるのはまだわかる。
だがここは違うのだ。
右から左まで、かつて強者だった店舗まで全部廃墟だ。どうしてしまったんだ、この世界は。
右に建つのは「ミルクポット」。
この廃墟群の中でもひときわインパクトが高いし、廃墟になる前も大人気だった清里のシンボルの1つである。
この巨大なミルクポットは、かつて記念写真を撮る人の行列ができたそうだ。
1980年代には、漫画界の巨匠の鳥山明先生が、「Dr.スランプ アラレちゃん」のンガの中にこれをモチーフにした巨大ミルクポットを登場させていたそうだ。
アラレちゃん、ほとんど見たことはないけど、言われてみればペンギン村にこんなポットがあったような気がするな。
というより、ペンギン村自体が清里っぽい感じがするな。
そんな聖地とも言えるミルクポットだが、もうボロボロだ。切ないよね。
左は「Green Park」という元お土産物屋さん。
ファンシーグッズの販売が中心だったが、レストランも兼ねていたそうだ。
当時の清里って、どこもかしこもファンシーグッズ、今でいうところのゆるキャラ的なグッズを売っていたようだね。
個人的にその魅力はよくわからないが、当時の人たちがグッズを求めてワイワイにぎわう清里、僕もこの目で見てみたかった。
今はもう、ここには切なさしかない。
まだまだ綺麗で、こんなにも洗練られたデザインの建物。
もったいない。
この建物、さっきの写真にはうまく写ってはいないけど、「Milk Pot」と書かれた文字があるんだ。
正面の巨大ミルクポットのお店と関連性があったらしい。
一説によると、昔々はこのGreen Parkの前にミルクポットがあったりしたらしい。
つまり移設したのだね。
ミルクポットの背後には、さっきの写真にも写っているがおとぎの国のようなユニークな巨大時計がある。
その時計を後ろから見たのがこの写真だ。
「ポッポ清里」。ここのお土産屋さんだったみたいだ。
いや、むしろミルクポットと一体化しており、複数の飲食店が入った「フェステキヨサト」という複合施設であったという情報もある。
その店頭には、小さな小さなかわいい家がたたずんでいた。
ドアの上には「清里フェステ」と刻まれていた。
そんなおしゃれな数々の店も、もうドアは何年も固く閉ざされたままなのだ。
ワンハッピープラザ
さらに少し進んだ。
清里駅から延びる線路のすぐ手前にある「ワンハッピープラザ」だ。
ここもショッピングモールの成れの果てだ。
もうどこもかしこもお土産物屋だったのだろうなぁ。それでもジャンジャン売れていたのが、バブルという時代だったのだろうなぁ…。
その中央に建つのが、上の写真の「アゼリアの塔」という名の時計台。
まだその時計は生きていた。
幸せな時間はどんどん過ぎていく。それを自ら刻んでいた。
すでに閑散としていたが、学生時代に仲間たちと訪れた記憶のあるモール。
もうロープが張られて立ち入り禁止なのだ。
ガラス張りのカフェは、その店内が手に取るようにわかり、まだ当時のままのように小物まで置いてあるが、お客が来ることはもう二度とないのだろう。
敷地には立ち入りできないので、外側の車道からハッピープラザを辿ってみた。
そこにあるのが、このインパクト大のキノコと木のオブジェだ。これは僕、大好きだ。
清里のメルヘンワールドを象徴するような場所がここであろう。
これはもう、町ぐるみの巨大テーマパークだったんだと思う。
清里に来るということ、それだけが当時のステータスだったのだろう。「ディズニーランド」に行くのと同じように。
僕らを見下ろす木の精霊の顔。
その目はまだ澄み渡っていた。
クオリティはかなり高めのオブジェだよね。
清里全盛期から多くの人々を見下ろしてきたであろうそのオブジェ、今後も残ってくれると嬉しいけどな。
傍らの巨大キノコには、何とも言えない造形のカタツムリがへばりついている。
キモかわいいの先駆者みたいなデザインだ。
そんなキノコと木の精の建物だが、取り壊しの計画が進んでいるのか、直近の訪問では幕に覆われていた。
これヤベーぞ、個人的にはかなりショックだ。
ただ、この記事を執筆しながらGoogleストリートビューを覗いてみたら、まだこの中途半端なマスキング状態でストップしていた。
あなたも急いで清里に行けば、これらを見ることができるかもしれないぞ。
木の精とキノコに配慮するように、そこだけ避けて設置された工事の幕。
このまま彼らまで取り壊されないことを祈る。
ワンハッピープラザ。
カフェやジェラートショップがひしめいたといわれるそのエリアは、2010年ごろに閉店したという。
時代は流れ、町はどんどんかたちを変えていくのだろう。
それは正しいのか悲しいのか、僕はよくわからない。
ただ、少しだけ寂しい…。
清里駅前広場
夕暮れが近づく中、清里駅前までやってきた。
もちろんここは現役の施設である。
駅には電車が到着したようで、10数名の乗客が駅から出てきた。
なんだかそれを見て安堵した。
駅舎はピカピカだし、デザインはよくわからないがおしゃれなような気もする。
高原の駅はまだちゃんと生きている。
駅前にはSLが展示されている。
1972年に引退した、"高原のポニー"とも呼ばれたSLだったそうだ。
ポニー…。こんなにもゴツくてデカいポニーを僕は他には知らないが…。
2009年からここに展示されているそうだ。
さらに2019年には綺麗に整備し直され、運転席にも登れるようになっている。
この写真はその直後に撮影したものである。
レトロなデザインのバスも展示されていた。
その手前には説明版板がある。
1999年から2017年までのおよそ20年に渡り、清里を巡っていた観光バスなのだそうだ。
これは紺色と白色のツートンのヨーロピアンカラーのピクニックバスなのだそうだ。
こっちは緑色と黄色のジョンディアカラーのレトロバス。
どちらも老朽化で引退している。
どうやら乗り心地が悪かったと説明版でも触れられているが、こんなレトロバスのベンチに揺られて高原を走るのは、また格別だったであろうな…。
清里には、動くものが少ない。少なくなった。
夕日に照らされる駅前。
ここも廃墟が多い。新しく見えるレストランも、開店からそんなに年数を経たずに閉店してしまっていたりする。
土地価格を調べてみたが、びっくりするほど安い。
かつての高原の原宿。
当時はこんなにも寂れるだなんて、誰が予想していただろうか…。
西日に照らされた富士山が見えた。
あぁ、富士山だけはずっと変わらず雄大だし綺麗だな。
…僕が初めて清里を訪れたのは、いつだったであろうか…。
たぶんまだ年齢が一桁だとか、そのくらいのころだっただろうか…。
正直、駅前に記憶はあまりない。
もしかしたら来なかったかもしれない。
だけども清里のペンションに宿泊し、その豊かな自然を堪能し、夜にはカブトムシが街灯の光に集まってきたのを見て人生最大の興奮を覚えた。
あの日のことは今だってよく覚えている。
確か甲府盆地で名物のワインやグレープジュースを買ったし、信玄餅だって食べた。
僕と家族との貴重な思い出のある街なのだ。
それに、学生時代に仲間たちと何度もドライブ旅行で訪れた。
廃墟は好きだが、思い出の地が廃れていくのは悲しい。
まだわずかに営業しているお店がある。
どうにか活路を見出し、かつてほどではないにしても賑わいを取り戻してほしいと願う。
ちょっと前には有料で、おばちゃんにお金を払った駐車場。
それも無料になっていた。
おばちゃんが引退してしまったのか、そもそもお金を取るような価値のある町ではなくなってしまったのか。
どっちだかわからないし両方なのかもしれないが、いずれにしても切ない話だ。
普段であれば無料の施設や無料駐車場は喜ばしいが、この件に関しては不穏しか感じない。
それでも年の瀬の迫る駅前には、薪を積み上げたかわいい三角形のオブジェがあった。
まるでクリスマスツリーのようだ。
センスはあるけど廃れてしまった町、清里。
それでも現在、世の中はレトロブームだろ?
熱海の町のように、昭和の全盛期から地の底まで落ち、それでもまた若い人たちが頑張って隆盛を取り戻した町もある。
清里にはポテンシャルがある。
ここから盛り返せる可能性もある。
ファンシー廃墟から持ち直すことができたのなら、それは最高にかっこいいシナリオだろう。
そうなったらいいな。
そうそう、廃れているのは駅前だけで、ちょっと離れた「清泉寮」などは今も昔もソフトクリームを求める人で行列ができている。
上の街灯のオブジェも、清泉寮の建物がデザインされている。
昔々、関東大震災からの復興の一環として「ポール・ラッシュさん」が先導して開発された高原の楽園、清里。
次世代にも生きてほしい街だと思う。
夕闇の中、その町を離れる。
次に来るときに見えるのは、希望の光か、それとも…。
急に気温が下がったように感じた。
※ 奇しくもこの記事公開の数日後、「ミルクポット」が長年の沈黙を破って新装開店しました。
嬉しいね。僕もいつか行こう。
以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。
住所・スポット情報