福岡県と熊本県にまたがる「三池炭鉱」。
"明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業"として2015年に世界遺産になったよな。
石炭時代全盛期に日本を支えていた拠点の1つは、まさにここなのだ。
それでは今宵は、三池炭鉱の中でもギリギリ熊本県に属する「万田坑」を見学した日の思い出を振り返ってご紹介する。
…いや、専門的で具体的な説明なんかは一切できないけどな。
ただただ素人が鉱山跡を見てワーキャー言っているだけの記事になるだろうが、等身大で執筆したいのでご留意いただきたい。
なぜ僕は鉱山に惹かれるのか
僕は炭鉱や鉱山施設は詳しくはない。いや、むしろ全然知らない。
だけども、それらの持つ独特の世界感には強く惹かれるものを感じる。
今までいくつの鉱山を巡ってきただろうか?
長崎県の巨大廃墟島、「軍艦島」は鉱山の発掘のために発展し、一時期は世界一の人口密度と日本一の高度な文明を築いた夢の島だった。
岩手県の八幡平エリアにヒッソリと廃墟群が残る「松尾鉱山」も同じく栄華を極め、その暮らしは" 雲上の楽園"と言われたほどだった。
そこは僕も好きで何度も見に行った。
…鉱山。
かつての世界ではなくてはならないエネルギー源。
しかし石油に取って代わられ、朽ちて無くなった産業。
その儚さと切なさが、魅力の1つなのだと感じる。
それぞれが持つソリッドなデザインと、それが朽ちて行く退廃美。
かつてそれを照らした光が強ければ強いほど、衰退した後の影が深く暗くなるのだろう。
しかもまだ衰退から数10年なのだ。
遺構がたくさん残っているのだ。
それらを眺めると、背筋がゾクゾクするような興奮を覚える。
言葉に表すのはちょっと難しいが、レトロフューチャーなギミックを愛でる気持ち・骸骨デザインのような死を暗示するものに惹かれる気持ち・幽霊のような科学で解明できないものを恐れる気持ち…。
そういったものが絶妙にブレンドされた魅力だと、僕個人は感じている。
前段が長くなってすまない。
いよいよ僕は三池炭鉱にやってきた。
熊本県から福岡県に入る数100m手前、海沿いの酷道から内陸方面に少し入ったところだ。
名前だけはずーっと昔、それこそ物心がついたときから聞いてるスポット。
一度来てみたかったのだ。ワクワクが止まらないわ。
石炭時代のタイムカプセル、万田坑
万田坑は、三池炭鉱の中でも最も大規模だった施設。
国内最大規模と言われている。どんなところだろうか?
…なんかすっごい観光地化されていた。
道路沿いに「万田坑」とデカデカと書かれた幟が並んでいて盛り上がっていた。
そっか、そういうところだったのか。
これは僕の下調べが不十分であったな。
今ここに来るまで、万田坑は当時の施設が放置されたままのような感じで、ひっそりと見学するイメージであったのだ。
おっと、これは別にガッカリしたわけじゃないぜ。
そりゃ、僕は寂れた雰囲気や誰も知らないスポットがが大好きだから、「あっ、普通に有名で気軽に来られる場所なんだ…」って一瞬あっけに取られたけど。
だけども普通に来られる場所に今まで未訪問だったのは事実なんだし、今回来られたことに感謝。
そしてこうやって一般向けに整えてくれたことで、外部も内部もガッツリ見学できるというのだから、なんとありがたいことよ。
俄然テンション上がったわ。
入場料400円を支払い、早速敷地の中に入った。
受付で「資料館を先に見て行った方がいいかもしれないですよー」と言われたので、軽く流し見しておくことにした。
本当は早く実際の鉱山施設を見てみたかったが、何事も順序って必要だしな。
「万田坑ステーション」という名前の資料館に入る。
なるほど、この後でこのジオラマの跡地に足を踏み入れるのだね。世界観を事前に把握できた。
他にも鉱山の歴史がわかるパネル展示や映像などがあった。
その後、かつての鉱山施設正門をくぐって200mほど歩く。
万田坑のかつての施設が立ち並ぶ、メインのエリアにやってきた。
レンガ造りの建造物がかっこいい。
ここでシンブルとなる第二竪坑櫓もハッキリと見ることができた。
武骨な鉄骨と、その中に組み込まれた巨大な歯車…、全部好き。ほれぼれするわ。
さて、どうやら万田坑っていうのは係員の方がアテンドしてくれるシステムらしい。
週末だとかの繁忙であれば1グループ10数人とかまとめてガイドするらしいが、このときはお客は僕1人であった。
係員のおじいさんと僕。マイツーマンのガイドが始まった。
「深い坑道に降りる前には、必ずこの山ノ神に安全祈願をしてから行くのです。」とい
うように、敷地内のいろんな場所を説明をおじいさんがしてくれる。
当時の労働者の姿が克明にイメージできる。
確かここは、2010年頃まではこんな観光スポットではなかったと言っていたな。
それが巨額を投資して、現在のように一般人が観光できるように整備したんだそうだ。
向こうに聳えている第二竪坑櫓も、表面を全部補修した上に塗り替えて新品同様の
外観にしたんだってさ。
内心僕は、「あれだけはボロいままのほうが味があったような気もするかな…」って思った。
Webで塗装前の第二竪坑櫓を見たことがあるが、サビッサビのボロボロではあるが、引退して長い年月が経ったにもかかわらず朽ちずに立ち続ける無言の迫力を感じたのだ。
それを見てみたかった気持ちがある。
ただ、そのまま放置しておいたらキケンだとね、やっぱ。
こうやって一般観光客が近くまで来るとなおさらキケンだし、価値のあるものだから未来に残していかねばならない。
そうなると補修すべきだもんね。
山の神の跡、倉庫、ポンプ室、事務所などを巡り、安全灯室という建物にやって来た。
ここ、すごく好きな雰囲気だった。
この入口のボロッボロの扉と手書きの文字の時点で最高っしょ。
当時からこれが朽ちずに残っていることにまずは感謝だなぁ…。
外観から見て行こう。
ツタの絡まった赤レンガ。その脇に銀色の重油タンクや給湯タンクが並べられている。
どうやらここは浴室も兼ねているので、給湯タンクがあるらしいね。
タンクはそりゃあ古さは隠しきれないが、ピカピカに磨かれている。
筆と墨で描いたような力強いフォントが映えますなぁ。
そして無機質なタンクのはずなのに、こうやって手書きの文字があると温かみを感じてしまうな。
その安全灯室の軒下には備品類が乱雑に置いてある。
これは当時のもの?それともここを観光施設に整備したときの木材や備品のちょい置きスペース?
おじいさんに聞いてみると、「全部当時の本物だよ」とのことだった。
マジかよ!
そんな貴重なものを軒下に普通にゴロンと置いちゃっているのかよ!
ゲートをくぐった有料ゾーン内とはいえ、太っ腹な展示をしてくれているぜ!
注目すべきは左のボロボロなヘルメットだよな。
当時の作業の過酷さを物語るようだ。
安全灯室の中はもうガランとしてしまっている。
右端に見えているのは洗濯機のように見えなくもないが、なんであるのかをおじいさんに聞くのを忘れてしまったわ。
扉の奥には浴室がチラリと見えている。
では、このあとはメインの第二竪坑櫓方面に行きますぜ!
鉱山の中枢、日本最大級の第二竪坑櫓
おじいさんと共に第二竪坑櫓方面の前までやって来た。
そこにはもう動かなくなったトロッコが日なたぼっこをしている。
トロッコ大好きなんだ。
映画「インディージョーンズ」を幼い日に見てから、その魅力の虜だ。
もう、暗い穴に入る必要も無くなって、太陽の下でノンビリと第2の人生を歩んでいるのだね。お疲れ様。
竪坑の入口付近には、竪坑に降りていくためのケージも置いてあった。
これに25人くらいの工夫が乗り、300m近い地下に降りて行って採掘作業をしていたのだ。
2つのケージが滑車を挟んで1つずつ取り付けられ、片方が上がれば片方が下がるような仕組みだったそうだよ。
しかしこんな簡素なケージで地中奥深くに降りて行くのって、閉所恐怖症だったら耐えられないだろうな…。
しかも25人乗りだぜ。密ってレベルじゃねぇ。苦しい。
その昇降するケージの制御室がこれだ。
周囲が暗かったのでカメラがブレてしまった!いいところなのに申し訳ない、チクショウ!
かつてはこの小屋のすぐ脇に地中30m近くまで掘られた竪坑があったんだけど、これは閉山時に埋められてしまっている。
でもなんか臨場感だけはあるぞ、このエリア。
中を覗くといろんなレバーやボタン、そして下の制御室との連絡用の信号一覧が貼
ってある。
左側の鐘やブザーなどを使って、各所の係員と連携を取ったのだ。
僕はおじいさんに「この信号一覧は新しそうに見えるんだけど、当時のもの?」と聞いてみた。
当然のごとく当時のものであった。
すごい貴重だね。
そして見るだけで緊張感を覚えてしまいそうな指示項目。
公道での作業は常に死と隣り合わせだったんだろうなぁ…。
そんな危険と、かけがえのない犠牲の先に、現代の僕らの生活が成り立っているのかもしれない。先人たちに感謝。
「次に巻揚機室に行こうか」とおじいさんが言う。
巻揚機室とは、さっきの地中に降りて行くケージを実際に操作する施設らしい。
完全に建物内部の見学となるんだけど、古い建物だから万一の落下物に備えてヘルメットを被るようにと言われました。
被るー!なんかワクワクするー!
そして、ヘルメット被った僕の姿をおじいさんに撮影してもらっておけばよかったなー。惜しいことをした。
…というより、1人1人にこんな懇切丁寧に説明していて大丈夫なの?人件費的に。
これは400円程度で得られる内容じゃないと思うんだけど。
親切すぎやしないか?
万田坑、メチャメチャいいところだな。
ケージ巻き上げ用のウインチ。超巨大な歯車だ。
これでケージを支えていたのだろう。
25人乗りのケージが2つ、つまり50人分の命を預かる、文字通りの命綱を動かす滑車だね。
ちょっと聞いてください。
そりゃ僕もこんな機械を見てテンション上がりましたとも。
しかしそれ以上にテンション上がっちゃったのは、僕じゃなくてむしろおじいさんのほうだった。
「このぶっとい何100mもあるロープをこのウインチで巻き上げて!!このレバー1つで速度を調整して!!ガーッと引き上げるのですッッ!!ガーッと!!!」って絶好調。
ちょっ、落ち着けおじいさん。
僕も気持ちはわかるけど、おじいさんのペースに着いていくのが大変。
おじいさんは口調滑らかにガンガンしゃべってどんどん進んでいく。
この巻揚機室まで穏やかな雰囲気の紳士だったのに、豹変したわ。
それが巻揚機室の魅力か。理解した。
この深度計とロープ速度を計測するメーターは、メッチャ気に入った。
僕の将来の書斎の片隅にこのレプリカを置くべきだ、と強く思ったほどだ。
見学の最中、おじいさんとはいろいろ世間話をした。
僕が九州一周の旅の最中であることや、このあと三池炭坑にもう1つ残っている「宮原坑」もこの後訪問してみたいと思っていることを伝えた。
おじいさんは巻揚機室から外を見て、「宮原坑はあっちの方向だ。2階からだと竪坑櫓のてっぺんだけ見えているでしょ。」と教えてくれた。
なるほど、ここの第二竪坑櫓と同じそうな建造物が向こうの方に聳えている。
「でもね、距離は近いけど道は細いし複雑だから車でも30分くらいを見積もっていたほうがいいかもしれない。」みたいにアドバイスをくれた。
そうなの?
宮原坑までは直線で1.5㎞ほどだと思う。
おじいさんは大げさすぎ。なんとかなるっす。
これでおじいさんと僕のガイドツアーは終了。
1対1であったせいもあっておじいさんの怒涛の説明が続き、僕はあまり写真撮影をする時間が無かった。
おじいさんに相談したら、「では巻揚機室以外であれば2周目を1人で行ってきていいよ」と言ってくれた。
だから今回掲載した写真の多くは、僕1人で巡った2周目の写真なのである。
ひとととり写真を撮り終わって敷地を出ようとしたとき、次のお客さんに案内を始めようとしているおじいさんとすれ違った。
改めて「ありがとうございました!」とお礼を言った。
この猛暑の中、真っ赤に日焼けした顔が印象的でした。
数人の係員さんで観光客みんなに丁寧な説明してて、本当にありがたいと感じた。
車に乗り込むと西日が強くなってきていた。
僕は宮原坑を目指すのだが、いかんせんこの車にはナビがない。
正確に言うと西日本全般のデータが入っていない。
もう道が細くてギリギリだわ目印何もないわで、ウロウロしたけれども結局宮原坑を見つけられず、2023年現在も宮原坑は未訪問のままだ。
アドバイスを軽んじてしまってゴメンよ、おじいさん。
そして宮原坑を諦めた僕が夕刻にどこに向かったのかというと…、余談ではあるが下の記事に続くのだ。
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…"炭坑節"って、あるよね?
三池炭鉱が歌詞に出てくる歌で、もともとは炭鉱労働者が歌い始め、それが戦後に全国に広まって盆踊りの歌となったようだ。
僕のじいちゃんがよく歌っていた、遠い昔の記憶。
じいちゃんは九州にも炭鉱にも縁のある人ではなかったけど、それでもじいちゃんが口ずさんでいたからさ、数ある鉱山の中でも三池炭鉱は僕にとって特別なんだよ。
以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。
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