日本で一番知名度の高い木、それは屋久島の「縄文杉」かもしれない。
屋久杉の象徴的な存在であり、太古から生きるその姿に人々は畏怖し、そして憧れる。
しかしその縄文杉の姿を実際に見たことがある人はそんなに多くはないだろう。
縄文杉は、円錐状に聳える屋久島のほぼ中央、森の奥深くにあり、到達するには往復12時間ほど登山する必要があるのだ。
ちなみにこれはよく言われることだが、「屋久島を知りたければ縄文杉は後回しにしろ。白谷雲水峡に先に行け。」という話がある。
「白谷雲水峡」は巨大な杉と緑の苔に覆われた神秘的な森であり、一歩進む度、一呼吸する度に自分の命が浄化されていくような気持ちになった。
僕の人生において最強の森かもしれない。
すべての時間が貴重であった。
それに反し、縄文杉登山は時間が非常にかかるわりには、得られるものが縄文杉と、いくつか後述する大きな屋久杉のみなのだ。
だから「何日も島に滞在でき、白谷雲水峡以外に時間を取れるなら縄文杉も行っていいかもよ。でも縄文杉だけ見て白谷雲水峡を見ないならそれは残念だよ。」というように、旅人はみんな口をそろえる。
心配無用!!
なんなら屋久島の旅は一度だけでは無いし今後も来るし!
あれから結構時間は流れたが(あえて訪問年は書かないが)、大丈夫だ。
だって縄文杉から見たらそんな時間は誤差みたいなもんだし、登山道が大きく変わるわけでもないからな。
プロローグ:5月下旬の屋久島が好き
屋久島。
それは鹿児島県の本土の南に浮かぶ円錐状の島。
円錐の頂上は九州最高峰の「宮之浦岳」であり、標高は1936m。
小さな島なのにこんな感じに高い山が聳えているから、「洋上アルプス」と呼ばれたりもする島。
温暖な沿岸部のみに町がいくつかあり、島の内陸部はほとんど大森林だ。
ここにガンガン雨が降り、屋久杉が育つのだ。
「屋久島は月に35日雨が降る」とも言われる。
普通であれば旅で雨が降るのはカンベンなのだが、屋久島は別だ。
雨が太陽光で煌めく、雨を吸った苔が深い緑に染まる、豊かな水流が森の中を流れる…。
僕はこの島を訪れて雨の概念が180度変わったさ。
そして「一番屋久島が綺麗な時期っていつだろう?」って考えた。
僕の出した答えは5月下旬。
新緑で島は緑。梅雨入り直前で、そこそこ雨は降るが行動が制限されるほどではない。
もちろんどの季節も綺麗だろうが、人生に何度も屋久島には行けない素人の僕が出した結論がそうだったのだ。
従い、この物語も5月下旬のものである。
島が円錐状であることを踏まえ、上記の簡易MAPをご覧いただきたい。
縄文杉は島のほぼ中央部だ。
これだけでなかなかヘビーな行程であると想像がつくであろう。
僕は宮之浦集落を早朝出発し、まずは車を走らせて荒川登山口を目指す。
今回語る行程は黒い矢印の通り。
文中で出てくるスポットや、主だったスポットも書き加えてみた。
それでは、ここから先は現地の旅人YAMAさんに語ってもらおうか。
第1章:ひたすらにトロッコ道
線路を歩く
5:15、宮之浦の集落にある宿をレンタカーにて出発した。
安房の町まで行き、そこから内陸部へと入る。
昨日は九州最高峰の「宮之浦岳」を日帰り登頂したんだけど、そのときのルートとほぼ一緒だな。
6:12、荒川登山口に到着。
まだ朝早い時間ではあるが、"縄文杉攻略組"としてはかなり遅い方だ。
なぜなら駐車場が余裕で満車である。
止むを得ず、Uターンして登山口から500m以上離れた路肩の駐車帯に駐車した。
さらにもうこの時間なのに、狭い山道をバスが何台か上がってきた。
ホテルに宿泊している人や、ツアーの人が送迎バスでいっぱい来るのだね。
荒川登山口まで戻ってきた。
ここにはトイレがあるので寄っておこう。
周りには6・70人の人が登山準備をしている。
さすが縄文杉のネームバリュー。
単調でキツイ行程だが、やっぱみんな縄文杉見たいもんね。
僕もだ。
6:30、荒川登山口から登山開始。
昨夜、宿で一緒に飲んだ屋久島永住にあこがれる女子「ふくちゃん」が、今日の天気は曇りのち雨だと言っていた。
雨が降り出す前に帰って来れるかな?
登山口からトロッコの軌道が始まる。
さぁトロッコ道とはこのあと長い付き合いになるぞ。
このトロッコは今でも現役で、木材等を運び出すのにときどき使われるんだって。
だからトロッコが来ると登山客は道の端に回避しなければならない。
いくつかのWebサイトでトロッコに遭遇したエピソードを見たことがあり、内心僕も遭遇に期待していたけど、結論一度も遭遇しなかったな。
それでも線路を歩くなんて普段無いことだからなんだかワクワクする。
森の中やトンネルを通るトロッコ道がカッコいいのだ。
そして登山客が多いのな。
みんなしっかりレインウェアを着込み、デカいリュックをしょっている。
僕だけ変に身軽だ。最低限の装備しか持ってきていないもんなぁ…。
トロッコ道は高低差がほとんどない平らな道ではあるが、狭いし枕木があって歩きにくいので前を歩いている人を抜かしづらい。
さらに人が多いので、自然とペースは落ちる。
昨日の九州最高峰の宮之浦岳は、かなりハイペースで歩いて標準タイムの半分くらいで下山した。
今日はそこまで工程を短縮するのは難しいだろうな。
急な登山路だったら速い人と遅い人で相当な個人差が出るだろうけど、こういう平らな道ではあんまりペースに違いが出ないしね。
「トロッコ道は退屈なだけで見どころが無い」とよく言われるので、意識的に綺麗なポイントを探して写真を撮ったりする。
そのつもりだっけど、後から見返すと「うーむ、イマイチ」って写真も多い。
これもその1枚だ。
トロッコ道はすぐに飽きた。
ワクワクしたのは最初の10分だけだった。
このあとの人生、なかなかに悩ましいものになりそうだな…。
そこそこ早いペースで歩いていたので、ツアーの団体さんは僕に道を譲ってくれたりした。
おじさんやおばさんに「一人出来たの?車で来たの?すごいねぇ、若いねぇ」とか言われたりした。えへへ、ありがとう。
7:04、赤い橋が見えた。
うおぉ、ここは手すりも何もないのにそこそこな高さの橋!
下の川まで5mくらいはある。高所恐怖症の人にはキツいだろうな。
橋で一瞬盛り上がったが、再び淡々と平坦なトロッコ道だ。
7:08、大きな「小杉谷橋」を渡る。下は安房川かな?
7:09、「小杉谷小中学校跡」に到着した。
多くの人がここで1回目の休憩を取ることになるであろう、有名なスポットだ。
ここ小杉谷は、昔は森林伐採の拠点であり、最盛期には500人以上が暮らしていた集落だったのだ。
例のトロッコも伐採した樹木を乗せてガンガン走っていたのだろう。
しかし屋久島の自然を守る活動が強くなり、伐採活動は終焉する。
それに伴い1970年に集落は閉鎖、小中学校も閉鎖となったそうだ。
校舎等は現存しておらず、上の写真のように門柱と階段が残るのみだ。
ただし登山者用の簡易小屋もあり、多くの人が休んだり朝ごはんを食べたりしている。
僕はそれを脇目で見ながらズンズン進む。
木々のトンネルの中、トロッコ道は延々と続いている。
若干ツアー客が少なくなってきたかな?
大規模なツアーグループは既に抜かしてしまったのかもしれない。
昨日の宮之浦岳登山の影響でまだ靴が湿っており、そのせいで靴ずれがしている。
一度立ち止まってテーピングしておいた。
うん、これならまだ歩けそうだ。
7:30、「楠川分かれ」に来た。
ここから道を反れると白谷雲水峡へと続く「辻峠」方面になるんだね。
もちろんここは道を反れることなくトロッコ道をひた進む。
三代杉と仁王杉
7:33、「三代杉」という名前の付いた杉の前にやって来た。
その名の通り、1本なのだが三世代の杉で形成されている。
初代の杉は遥か1200年前に倒れ、その倒れた木の上に二代目の杉が育つ。
その二代目は350年ほど前に伐採されてしまうのだが、その切り株の上に三代目が生えてきたという不屈の歴史。
屋久杉名物の”切り株更新”っていう現象があってね、例え切り株だけになっても命は潰(つい)えず、そこから新たな若い木が生えてくるのだ。
今や初代の倒れた杉は完全に朽ちて消滅し、その部分は大きな空洞となっている。
三代目はまだ周囲4mほどの規模であり、貫禄は無い。
だけども樹高は38mもあり、屋久島で一番高い木だと言われている。見上げると首が疲れるほどの高さ。
三世代で築いた生命力、恐れ入ったぜ。
8:06、「仁王杉」という屋久杉に到着。
ちょうど日が差してきていい写真が撮れた。
数人の人が立ち止まって見上げていたよ。
仁王の名の通り2本で1対の木だったけど、2000年に片方が倒れてしまったそうだ。
この木は残る一本。
周囲は8.3mあるそうで、なかなかの迫力の巨木だな。
8:20、大株歩道入口まで来た。ここでトロッコ道とはサヨナラとなる。
ゆっくり歩くと登山口からここまでは3時間弱だそうだ。
さーて、来ちゃったよ。
いよいよここから激坂が始まるぞ。
登山口から縄文杉までは10.5kmほどであり、もう既に8.5km地点にいる。
だけどもここからが本番なのだ。
縄文杉までの短い距離で全行程のほとんどの高低差を一気に稼ぐことになるらしいからな。
縄文杉までの標準タイムは、ここから2.5時間ほどだそうだ。
既に足に疲労が来ている。
ダラダラしたトロッコ道が地味に効いててね、真綿で首を絞められるかのようなダメージがある。
もちろん昨日の宮之浦岳の疲れも癒えていないし。
山道の入り口に腰掛けて休んでいたおばちゃんと会話をした。
おばちゃんはこの先の激坂を眺めながら、「いよいよですね」と言う。
僕もおばちゃんに「いよいよですね」と返す。
そして先に山道に足を踏み入れた。
第2章:屋久島の森の深部へ
翁杉とウィルソン株
8:22、大株歩道に突撃。
それはトロッコ道でほどよくガタガタになった体に対し、一気にトドメを刺しに来る強烈な登山路の名前だ。
看板の右から激坂入る道がある。
うおぉぉー!いきなりしんどい!
凄まじい角度の階段、そして岩場をよじ登るポイントまである!
ビックリしちゃったので写真は撮っていない。
ヒザが早くもミシミシ言って来た。
実はね、最近数時間歩くとヒザが痛むのだ。特に階段やを下るときなど、ヒザに負担がかかるシチュエーションがツラい。
別に僕の体重が重すぎるわけではないと思うけどね。
これは単純に万年運動不足のせいだよね。泣ける。
明らかに昨日の宮之浦岳登山が効いている。
まだ登りのうちからこの痛みということは、下山時にかなりキツかろう。
ヒザが悲鳴を上げるであろう。
ちょっと鬱だが、僕は進む。悲鳴を上げたいのならば、上げろよ我がヒザ。
上の写真はブレていて恐縮だが、林の中に散らばる朽ちた大木だ。
もちろん屋久杉にだって寿命はある。
だが、こうして朽ちて自然に返る様も美しい。
8:30、大株歩道に入ってから10分弱で「翁杉」が現れた。
コイツはすごいぞ。
ヘタクソな合成で大変申し訳ないが、これが翁杉だ。
樹高は23.7m。樹齢2000年。周囲12.6m。
少なくとも僕の訪問時点では、倒れずにキチンと立っているスギとしては縄文杉に次いで2番目の太さだ。
随分貫禄があるように感じるのは、幹にまとわり着いた苔とかの他の植物のせいかな。
これがいいよね。まさに"翁"って感じだ。
頭頂部は既に枯れてしまっているが、必死に生きてる様を感じた。
ところで、ご存じの方もいるかと思うが。
2010年秋、この翁杉は地上3mのところからバッキリ折れて倒れる。
中は90%も空洞状態だったそうだ。
残念。しかしこれも自然の摂理だ…。
8:35、翁杉からほんの少しの距離のところにある「ウィルソン株」にやってきた。
超超巨大な切り株だ。
周囲13.8m。生きていれば縄文杉にも匹敵していたかもしれないスケールだ。
ウィルソン株は何気に縄文杉より楽しみにしていた杉。しばらく見とれる。
こんな巨木を切ってしまったのはどこのどなたかというと、あの「豊臣秀吉さん」。
1586年に京都の寺院を建てるためにたくさん屋久杉を伐採したうちの1本がこれだ。
ちなみに枝など一部は運ばずにそのままこの付近に放置したそうで、今もその残骸が散乱している。
ここには10名ほどの先客が来ていた。
この時間でここにいるのはかなりペースの速いベテラン勢か、メチャクチャ早起きしている人らしい。
挨拶し、お互い写真撮影をした。
どうよ、この僕に対するウィルソン株の巨大さは。
遠近法でかなり僕の方が大きく映っているハズなのに、杉と比べていかに小さいことか。
ウィルソン株の特徴は、その切り株の空洞の中に入れること。
なんと中は広さ10畳ほどのワンルームになっているのだ。湧水まであるよ。そして祠もあるよ。
屋久島の焼酎"三岳"が供えられていた。
切り株の上部は吹き抜けになっている。
とある角度から空を仰ぐとハート型に見えることで有名だ。
…ということでミーハーな僕もハート形を発見して撮影だ。
ステキなハートだった。太古の空が垣間見えた気分だった。
山道は相変わらずの急勾配。
ヒィヒィ言いながら登る。ヒザも随分痛む。
実はこんなこともあろうかとヒザサポーターを付けていたんだけど、これだけの勾配だとヒザの曲げ伸ばしによってヒザサポーターがかなり擦れる。
これはこれで外傷によるダメージが心配だ。
なので取り外したら可動はずいぶんラクになった。
でもこの代償は下りでズシンと来るんだろうな…。
…ところで、縄文杉はまだか?
イメージ的にウィルソン株のすぐ先くらいだと思っていたが、改め調べると1時間半~2時間ほどかかるとのことだ。
これはハードだぜ。
大王杉と縄文杉
ウィルソン株からおよそ20分。
9:04、ラスボス一歩手前と言っても過言ではない、「大王杉」が姿を現した。
デカいーーー!!
樹齢3000年で、樹高24.7mあり、周囲は11.1m。
大王の名に恥じない巨大さだ。
実は縄文杉が発見されるまではこの大王杉が屋久島最大とされ、これこそが屋久杉のシンボルだったのだ。
うん、意外と縄文杉の発見は最近であり、それは1966年。
初めて聞いたときはビックリしたよ。
昔から「あっちの方に超デカイい杉の木があるらしい」っていうウワサはあったけど、正式な発見からはまだ60年も経っていないのだ。
大王杉の近くに1グループの先客がいて挨拶をした。
それだけだ。
もう周囲には人はいなくなってしまった。
僕は限りなく先頭に近い位置にいるのだろう。
ここから先、足元は森林を傷付けないように板の歩道や階段となっている部分が多くなる。
若干歩きやすいぞ、ありがたい。
数分後の9:13、「夫婦杉」が見えた。
樹齢は1500年と2000年。
今まで見てきた名前の付いている屋久杉と比べるとちょっと若いしスリムだ。
2本の隣接する杉の木の枝が完全に繋がっていて、手を繋いでいるように見えるのが名前の由来。
ただ、この2本の杉の木は3mも離れている。
そして地上から10m以上もあるところで手を繋いでいる。
この2つの要素を満たすのって、非常に珍しいんだって。
このあと、またガチな山道になった。
渓流を跨ぎ、ついでに水を汲んで飲み、ヘロヘロになって歩く。
すると9:30、突如前方に不釣合いなほど立派な展望台は聳えているのが目に入った。
あぁ、来たよ。着いたよ。
こんな森の深部に、こんな立派なステージを作るに値する存在は1つしかないもんね。
階段を一歩一歩登る。
そして― …
9:32、縄文杉到達!!
(荒川登山口から3時間2分)
樹高25.3m。周囲16.4m。
樹齢は2000~7200年と諸説あり。「中は空洞になってて年輪を計測できないので樹齢不明」とか、「実は複数の杉の木が融合している」とか「6000年前の屋久島の噴火で全て木は死んだハズだからそれより若い」だとかいろいろ言われ、ハッキリしていない。
最新の研究では複数ではなくって1本の木だと言われているが…。
樹齢はどうであれ、このうねるような肌よ。
ゴツゴツした幹やコブが何千年も生きてきたこの杉の生命力の象徴のように感じられる。
太古からこの島の深部で生きる、この無言の迫力だ。
その縄文杉に、僕は1人対峙している。先客がいたかもしれないけど、もう僕は1人だ。
押し負けてしまいそうな威圧感。
縄文杉の全体像もお見せしよう。
やっぱ縄文杉のイメージって言うと、根本あたりのずんぐり下部分が一般的だ。
しかしご覧のように思ったより高さがあり、その高さも込みで見るとシュッとした感じにもなるのだ。
展望台は杉からは約10mほど離れている。
よく「縄文杉は遠くからしか見れない。残念だ。」みたいに聞くけど、実際立ってみると充分に近く感じられる。
それだけ杉が大きいのだ。
そして"展望台"っていうからちょっと高いところから見下ろすのかと思っていたら、ちゃんと地面と同じ目線だった。
かつては展望台が無かったという。以前は根元まで行けたのだ。
だけども有名になりすぎて多くの人が訪れ、根の近くの地面が踏み荒らされて木が衰弱し、それで1996年に展望台を作ったんだよな。
※2017年にさらに別角度から縄文杉を見られる展望台もできています。
縄文杉の周りは観光客から見えやすいように他の木が綺麗に伐採され、オガクズみたいな土が敷き詰められて、畑のような外見になっている。
あまりに作られ保護された環境にあるのでちょっと不自然な感じもするが、しょうがないことなのだろう…。
展望台で持参したパンを食べて休憩した。
今日初めての食事だ。
展望台には注意書きがたくさんあり、反時計周りに歩く順路まで書いてある。
縄文杉のメインとなる撮影スポットは長時間立ち止まることすらできないようで、写真を撮ったらすぐに立ち退くように書いてある。
それに、他の人がたくさんいる場合は展望台では休憩したり長時間滞在することも出来ないようだ。
最盛期にはきっと展望台はごった返すのだね。
いや、もしかしたらこのあと2・3時間後にはそうなるのかもしれないな。
1人でここに立てて本当に良かった。
それではさようなら、縄文杉。
きっと一生で一度の出会い。
第3章:ひざの痛みをこらえて下山
…下山開始。また同じコースを荒川登山口まで戻るのだ。
10数分すると、後続の人たちがチラホラと現れ始めた。
みなさん往路で先ほど見かけている人たちだ。
「あとちょっと!今なら展望台は空いていますよ!」と声をかける。
大王杉くらいまで降りてくると対向の人も多く、そして足場は狭い木の板の歩道なので一方が広いところで待っていないとすれ違いが出来ない。
もちろん登りの人が優先。
このくらいのペースがちょうどいいかもな。休み休み行こう。
いかんせんヒザが痛くてさ、どこかに捕まっていないと下り階段に足を踏み出せない。
ゆっくりゆっくり下りたい。
とりあえずこの急な登山路さえ降りてしまえばあとは平坦なトロッコ道だからそこまでヒザには負担はかからないと思うんだ。
大株歩道が終わるまで、しばらくの辛抱だ。
たぶんトロッコ道で抜かせてもらった集団やカップル等と続々と擦れ違う。
「早いですねー!僕ら、登山口で一緒にスタートしてたんですよ!」
えっ、きっと挨拶したんだろうな。
忘れていてゴメンなさい。
「お兄さん元気ねぇ。全然余裕そうだし。その若さがうらやましいわ!」
ありがとう。でも、他の人と擦れ違うときだけ無理して余裕の表情を作ってます…。
ヒザ痛い…。
ツアーを率いてるインストラクターのお兄さんも声をかけてくれる。
「君、日帰り?そうか。日帰りの人と擦れ違うのは今日初めてだから、キミが今日の縄文杉の一番乗りだ。ちょっと手を出してごらん。」
…?
とりあえず手を出してみると、ガッチリ握手してくれた。
「おめでとう!この後も気をつけて下山するんだよ。」
わっ、普通に嬉しいです。ありがとう。
おじさんやおばさんの大集団に声をかけられる。
「おい、キミ。朝に会ったキミかい?ほら、『一人出来たの?車で来たの?すごいねぇ、若いねぇ』と話しただろ?」
…あっ、あのときの!
ウィルソン株まで降りる頃にはもう登山者はほとんど見なくなった。
ヤクシカがときどき歩いているのを見かける程度だ。
最初は「シカだー!」と見るたびに興奮していたけど、ヤクシカも当たり前のように出てくるからすっかり慣れたよ。
誰もいないので思う存分ヨタヨタと苦しみながら下山。
何度か激痛で「ヒィィー!」と悲鳴を上げてみた。
それでもなんとかトロッコ道に出た。
ウィルソン株を過ぎてしばらくしたあたりからパラパラと降り出してきた雨は、トロッコ道に出る頃には本降りになっていた。
大株歩道で本降りにならなくて良かったな。
レインウェアを取り出す。
このあとは正直、足も精神面もヘトヘトだった。
雨の中、人っ子一人いないトロッコ道を8km以上歩き続ける。
レインウェアを被っていて視界が狭いのでなおさら気が重い。
なんかさ、晴れているのに雨が降るんだよね、この島…。
上の写真、これでも雨が降っているのだ。
まだですか?登山口はまだですか?
行きに撮った写真の撮影時刻から登山口までの残り時間を推測する弱い自分がいる。
トロッコ道キツイ。
みんなが薦めなかった意味が身に染みてわかってきた。半泣き。
残りのパンをモソモソと食べながら、機械的に「右・左・右・左」と足を前に出す。
13:03、下山。
ようやく荒川登山口に戻ってきた。往復6時間半だった。
だが車はさらに500m先だ。足を引きずりながらアスファルトを歩き、かなり先に駐車している車を目指す。
車内に入ったときには心底ホッとした。
同時に雨が止み、綺麗な青空が祝福してくれた。
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よーーし!
まだお昼だ!
このあとは温泉に入って、Aコープでランチを買って宿で食うか!
そして夜は同泊の旅人たちと飲むし、明日も登山をするんだ!
屋久島ではアクティブに!アグレッシブに!
自然と戯れ、自然と一体になり、そして内なる自分と向き合う。
…そんな日々が、限りなく尊い。
この思い出よ、いつまでも…。
以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。
住所・スポット情報