宮崎県の最南端「都井(とい)岬」。
僕が訪れた数多の岬の中でも、とりわけ印象深い岬の1つである。
なぜなら、まずは絶景である。
そして日本で唯一の野生(正確に言うと半野生)の馬がいる。
さらに一般人も登れる貴重な灯台がある。
素晴らしいだろう。
上の写真だって、別に立入禁止の牧草地帯に突撃したワケではないんだぜ。
岬の先端に行く途中にある「小松ヶ丘広場」の駐車場で撮影しただけなんだぜ。
なのにこの絶景なのだ。
だったらあなたも、急ぎ2023年のどこかで都井岬に行くための計画を進めるべきであろう。
僕は何度も行っている。
とりあえず今回は3回分くらいの訪問写真を織り交ぜてご紹介したいと思うが、同じ景色は2度とない。
あなたはあなたなりの都井岬を発見してほしい。
「駒止めの門」と緑の丘陵
都井岬の敷地はいったいどこからなのか?
とりあえずこのブログでは、「駒止めの門」からと定義付けたい。
だから話はそこから始まる。
料金所があるのだ。
ここで野生馬保護協力金として車は1台当たり400円を支払うことになる。
野生馬については後々詳しく語ろう。
料金所では、この写真のようにかなり立派な観光案内冊子をいただくことができる。
ちょっと恐縮してしまうくらいにしっかりしたヤツだ。
数種類もらったこともある。
そして、もう誠に残念なんだけど、僕みたいな素人が撮ってこの先ご紹介する写真よりも、この冊子の写真が最強。
チクショウ、完敗だ。
つまりは都井岬には写真のように、野生の馬がいたりするのだ。
すごいだろ、最高なのだ。
冊子を受け取った時点でボルテージMAXだ。
料金所のおばちゃん、日本5周目のときには僕の愛車HUMMER_H3を見て「すごい車ねー!いい車ねー!」って驚いていた。
日本6周目のときは別の方だったと思うが、愛車の日産パオを見て「すごい車ねー!いい車ねー!」って驚いていた。
愛想のいい人たちでほっこりしちゃう。
駒止めの門は、その名の通り馬が外界に出ないようにする役割もあるらしい。
逆を言えばこのゲート以降はどこに馬がいても不思議じゃないのさ。
だからゆっくり進もう。
「ここは北海道だったかな?」みたいなレベルの気持ちのいい丘が連なる。
古いネタを使うのだとすれば、WindowsXPのデフォルトの背景画面のような丘だ。アレは最高だったよな。
ちなみに僕は何年かけても成長しないタイプの人間なので、上の3枚の写真は訪問した年は違うのだけれども、ほとんど同じ位置で撮影しているのだ。
毎回ここで「うほほー!」って思って車を停めて撮影してしまう。
サルも見かけることがある。
この写真では親子の2匹だが、群れでゾロゾロしていることもある。
馬もサルもいる岬なのだ。
しかもどちらも野生。サファリパークよりすごいんじゃないか、これ。
超絶景、小松ヶ丘広場で愛車を撮影
そんな中で特筆したいのが、駒止めの門から1㎞ほどのところで現れる「小松ヶ丘広場」だ。
ごらんなさい、もうこの景色、ヤバすぎっしょ。
岬全体の中でここが一番の絶景スポットだという説もある。
だからあなたももし訪問の先には先を急がずに、岬の先端にこだわりすぎずに、ここに一度停車してみてほしい。
日本6周目では爽やかに晴れ渡った。
緑の芝生と白い柵、その向こうに整然と立ち並ぶ木々、その背景には青い空と青い海だ。
小学生が描くような単純な光景だが、シンプルが故に非の打ち所がない。
ここは標高200mほど。
緩い丘から見下ろすこれらの光景が旅の疲れを一瞬で吹っ飛ばす。
さらにここの駐車場が良い。
これ、駐車場なんだぜ。立入禁止の牧草地帯に勝手に車で突っ込んじゃったワケではないんだぜ。
明確に駐車枠が引いてあるわけではないが、ここに車を停めることとなる。
愛車とこの丘のロケーションをカッコよく撮影できる格好のスポットだ。
あまりに気に入ったので、2020年秋にTwitterを始めるとき、プロフィール画像にこれを使ったくらいだ。
実はフレームの外の右側ギリギリに違う車もいるのだが、こうしてみると無人のフィールドにポツンと愛車が停まっているかのようであろう。
我ながらいい絵が撮れた。(あ、フォローいただけると喜びます)
どこからどこまでが小松ヶ丘広場なのかよくわからないが、このあたりの丘は本当にいい。
後述するが馬の出現確率もやや高めのエリアだそうだ。
あなたもまずはここいらでナイスショットを狙おう。
少し広場から場所も話もズレるが、似たような絶景はまだまだ続くぞ。
ここは何もないやや広い駐車場。
ただ、ずーっと昔は「都井岬 岬の駅」という道の駅のような施設であった。
今は解体されて何もない。
たぶん2012年~2013年くらいに閉鎖されたのであろう。
後述するが、都井岬の敷地内には閉鎖してしまった施設がたくさんあるのだ。
廃墟として残っているものもある。
廃墟好きの僕としてはワクワクしてしまう部分もある反面、ちょっと切ないよね…。
では次の章では、その廃墟と野生馬について語ろうか。
野生の「御崎馬」と残された廃墟
"御崎馬(みさきうま)"。
ここにしか生息していない、日本固有の馬だ。
僕は今まで5回ほどこの岬を訪問し、100%御崎馬と遭遇している。
野生なので遭遇の保証はできないし、事実僕と馬の距離は近かったり遠かったりとまちまちだったが、それでも見れなかったことはない。
これは先ほどの、小松ヶ丘広場で絶景を見た日本6周目のときの写真。
撮影したのも小松ヶ丘広場。
このときは最高の快晴であったが馬を見るチャンスが少なく、遠方の丘にこのように数頭が見えただけだった。
だがこの遠景が逆に美しかったな。
近くまで行って撮影している人もいたが、僕は馬が風景の一部になっている構図が好きだ。
御崎馬は、体高130cmほど。分類的にはポニーになるそうだ。
確かにこうしてみると小柄である。
どうやら江戸時代の前半に、この地域の軍事目的として飼育が始まったのが由来だそうだ。
もちろん現代は軍事用としても農耕用としても馬の活躍の場は無くなってしまい、数は減少して110頭ほどがここにいるのみらしい。
ところで、冒頭にも書いた通りこの馬は基本的に"野生"である。
誰かが管理し、飼育しているわけではない。
勝手なところで寝ればいいし、好きに草を食べればいい、っていうスタンスだ。
繁殖も子育てもご自由に、ってしている。
そんな環境だからこそ、馬も変に軟弱にならずに自分らで生き抜くだけの能力があり、事実300年間こうして種を保っている。
ただし…、これも冒頭で使った表現だが、半野生と言ったほうが正しいかもしれない。
駒止めの門があったようにキチンと外界から馬の生息地域を守っているし、一面に広がる牧草地帯も馬用に人間が管理しているからだ。
天然記念物だしね、観光の目玉でもあるしね。
こうして南国植物の間を歩いている御崎馬、ちょっとミスマッチだけどもとても美しいなぁ…。
でも、この都井岬にはもう1つ馬とミスマッチな要素もあるんだ。
廃墟と馬。
そうなんだ。後ろに見えるのは廃墟なのだ。
「都井岬グランドホテル」という名前だった巨大建造物。
岬の先端に行く際には、絶対にその前を通らなければいけないので、100%存在に気付くであろう。
5階建てであり、200人以上が宿泊できたという大型ホテル。
ただしここも2000年ごろに閉館し、解体すらされることなく2023年現在も聳えている。
そしてその周囲を馬が我が物顔で闊歩しているという、よくわからない世紀末的な世界観。どこのディストピアだ、それ。
廃墟ホテルの脇に愛車のパジェロイオを停め、馬に夢中になる僕。
すると背後から何者かの視線を感じる。
…おかしい。車の音も人間の足元さえも聞こえていなかったのに、なぜ急に背後に気配を感じたのか。
これはホラーでしょ。
廃墟なだけに、科学で解明できない何かを感じるでしょ。
バッと振り返ると、…サルがいた。
サルのヤツも御崎馬をガン見してた。
しかし僕に存在を悟られると慌てて逃げて行ってしまった。
…こんな図も見たことがある。
車道の真ん中を馬が横断しているのだ。
もちろん車は徐行しているのでキチンと止まる。馬優先。
なんだか1頭の馬がもう1頭にじゃれついているようだ。
しかしじゃれつかれてるほうの馬はやたらクールで、無視を決め込んでいる。
そんな2頭が横断歩道を渡り終え、木々の中に去って行くのかと思いきや…。
あ、Uターンして横断歩道を渡りながら戻ってきた。
で、戻るのかと思いきや横断歩道の途中で進路を変えて、まさかのこっち側に…。
おいおいおいおい、2頭がじゃれ合いながらこっち来たぞ、こっち来たぞ!
怖ェな、オイ!!
後ろの馬、そのテンションとその目はなんだ。
貞子みたいでメッチャ怖いじゃないか。
…とまぁそんなこんなで、馬の素顔を垣間見れるのは動物園とはまた違った趣があるよね。
上の写真も左下、芝生の向こうにチョコンと灯台が顔を見せているのがおわかりかな?
上の写真でも、右端に灯台が見えている。
同じように馬のいる岬、青森県の「尻屋崎」や沖縄県与那国島の「東崎」のように灯台と馬を大きくコラボさせるのは難しい。
灯台の近くは牧草地ではなく、馬は来ないらしいのだ。
灯台と馬の絶景ならば、やはり尻屋崎。
以前に執筆済みなのでご興味あったらリンク先を見ていただきたい。
岬の灯台直下、登らなくてもいい景色
灯台直下の駐車場までやって来た。ここで車道は行き止まりとなる。
ここでは駐車場に停めた車と灯台とのコラボ写真を撮ることもできる。
僕も毎回やっている。
後述するが灯台の敷地に入るにはまた料金を払わないといけないので、ここまで車を走らせた目的の1つはこの写真を撮るためだったりしている。
上記は日本4周目のときの写真だ。
日本5周目では夕日を浴びて陰影がハッキリし、そのかたちがさらに際立っていた。
思わず見とれてしまう。
最高の天気の日本6周目。
ただ灯台はどんな天気であってもカッコいい。
僕はあの灯台に登ったことがあるのは2回(うち1回は中途半端)であるが、その理由の1つとして、登らずともここからの景色が素晴らしいという点があげられる。
はい、最高。
ただし手前の緑の繁殖力がちょっと予想以上である。
小松ヶ丘広場の章で僕が『小松ヶ丘広場が一番の絶景』って書いた意味、少しだけわかっただろうか?
もちろん好き好きはあるだろうが、空間の広がりでいえば小松ヶ丘広場に軍配が上がるのだ。
ただね、この灯台直下だからこそのお気に入りポイントもある。
それをぜひご紹介したい。
来た方向を振り返って見てほしい。
チラリと車道が見えるだろう。それを思いっきりズームするのだ。
さっきまで馬を眺めていた、岬の駅があった跡地が見えている。
その向こうは海。
実はここは標高250mもある。岬の根本付近をこうやって眼下に眺めることができるのだ。
これが好き。
ちょっと天気がイマイチだったときもあるが、そんな日の海も僕は捨てがたいと思う。
少しくすんだ海の色は、どこか優しくて心を癒してくれる。
まだ暑いが季節は夏から秋に変わりゆく。
花を眺めて、そんなことを感じたよね。
九州唯一の登れる灯台に入ってみよう
日本全国に、2023年現在で一般人が登れる灯台は16基しかない。
登れる灯台のことを"参観灯台"って呼ぶんだけど、その参観灯台は九州には1つしかない。
前章では『灯台に登ったことがあるのは2回(うち1回は中途半端)』って書いた。
その中途半端な1回分の思い出について、ちょっと回顧しよう。
あれは日本2周目のときであった。
日本本土最南端の「佐多岬」などで日中遊びまくった僕が駒止めの門をくぐったのは、17:30近くになってからだった。
まだ多少日の長い季節であったが、さすがに夕方の気配が色濃かった。
灯台の直下に到着したのは17:40頃だった。
灯台の片隅のお店の店頭で串団子を売っているおばちゃんに声をかけられた。
「ずいぶん来るのが遅くなっちゃったんだねー。灯台はもう閉まっちゃったよ。」
あー、やっぱそっかー。
もう周りに人もいないしね。観光する時間は終わりだよね。
灯台は基本的に16:30には閉鎖するのだ。
おばちゃんは「せっかくだから串団子を食べていかない?」と言う。
小腹が減っていたので1本購入することにした。
団子を食べ始めると、おばちゃんは言う。
「そうだ、あなた若いんだからゲートを越えて灯台まで行っちゃいなよ。ここいら
の若い連中もゲートが閉まってても乗り越えて行っちゃうんだよ。あなたなら乗
り越えられるよ。お団子食べながら散歩してきな。」
理屈が良くわからない。
だけども薦められたら行くしかないっしょ。
ゲートを越え、敷地内に入った。
ただし行けるのは灯台の塔を支える建物部分までだ。
その建物の屋上テラスまで出て、柵も何もない夕焼けの水平線を眺めながら、団子を食べた。
少し涼しくなった風が最高だった。
そしておばちゃんにお礼を言い、岬を後にしたのだ。
…これが中途半端な1回分の思い出。
日本5周目。
あのときと同じくらいの西日。
しかしまだ16:10。季節は1月なので日が短いのだ。
螺旋階段を登って、灯光の目の前までやって来た。
ど迫力だ。
とても歴史的価値のある古い灯台で、1929年から稼働しているそうだ。
もともとはこの灯台、第1等レンズっていう国内でも数基しか使われていないような巨大で明るい灯光を装備していたんだよね。
だけども1950年に第3等レンズに付け替えたそうだ。
遥か昔の一時期だけど、第1等レンズを備えていたという事実はすごいよな。
北方向を振り返る。
わぁ、いいなー。夕方っていいなー。
眼下には灯台の敷地、その向こうの駐車場には愛車のHUMMER_H3、そして左奥にはここまで走って来た車道が見える。
PM2.5の影響で晴天にもかかわらず空にかなりモヤがかかっている。
残念な反面、これが幻想的な光景を作り出してくれていた。
このときの旅路では、この都井岬が日のあるうちの最後の観光スポットだったのだ。
最後だからこそ、なおさら感慨深い。
冬の早すぎる日没。
その最後の光が宮崎県の最南端を照らしていた。
灯台の上はとても寒かったが、こんな光景を僕はいつまでも眺めていた。
改めて、冒頭のフレーズを振り返ろう。
まずは絶景である。
そして日本で唯一の野生(正確に言うと半野生)の馬がいる。
さらに一般人も登れる貴重な灯台がある。
こう書くとたったの3行であるが、僕にとってはすごく思い入れがあり、行くたびに楽しませてくれる岬なのである。
日本7周目で、僕はいつかここを再訪するだろう。
次はどんな景色を見られるかな?
御崎馬たちは元気だろうか?
まだ見ぬ旅に、思いを馳せているのだ。
以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。
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