「残波(ざんぱ)岬」。
それは沖縄本島に西海岸にちょびっと突き出た岬の名前である。
ちょびっとではあるけれども、なかなかに荒々しくてインパクトのある岬なのである。
同名の泡盛もある。
沖縄県内はもちろん、首都圏の大衆居酒屋であっても泡盛のメニューがある店は大体"残波"を取り扱っているのではないかというほどのポピュラーっぷりである。
まだお酒の知識も乏しい若さ全開の頃、僕は沖縄本島でわざわざ残波を買ったこともあったな。比較的安価でお求め安かったしな。
そんで旅人宿のオーナーさんに「泡盛あるので飲みましょう!」みたいに嬉々として渡したけど、反応はイマイチだったな。
今となってはわかる。王道過ぎてポピュラーすぎたのだ。
でも、それだけ王道かつポピュラーな残波、逆にすごいよね。
では、今回は泡盛ではなくて岬の"残波"について執筆したい。
2023年時点で3回訪問しているので、それらをミックスしながらお届けしようと思う。
日本一大きいシーサー、残波大獅子
残波岬公園内には、リゾートホテルもあるしカフェもあるし、ゴルフ場もビーチもある。
だが僕はそんなのは知らない。なぜなら残波岬に来たからには「残波大獅子」と岬の先端にしか行かないからだ。
残波大獅子。ようするに沖縄文化のシンボルの1つであるシーサー。それの超巨大版なのである。
とんでもなくデカい。8m75cmもある。
当然沖縄で一番大きく、それすなわち世界で一番大きい。
僕の場合、残波岬に行く目的の1つは、この超でっかいシーサーを見ることだ。
初回訪問時は日本3周目のときのこと。大学関連の友人が「沖縄でデカいシーサーを見つけた!」と写真を送って来たので気になり、調べて場所を特定して数日後に僕も訪問したのだ。
僕と比較するとこうなる。僕の身長がいくら控えめだとはいえ、この巨大さにはあなたも圧倒されるはずだ。
怒らせたらきっとひと口でバクッとやられてしまうに違いない。
とはいえシーサーは守り神。沖縄の家の屋根の上や門の上に設置されていることの多い、ライオンをモチーフとした守り神。
だからきっと僕のことも守ってくれるはず。食べられないはず。
大獅子は人気。こうやって眺めている間にも、観光客のお姉さんが足元によじ登る。そして記念撮影して去って行く。
地元の子供も戯れる。きっと大獅子のことを「大きめのワンちゃん」くらいにしか思っていないのだろう。それも正解かもしれないけど。
ところでこの大獅子、いつ何の目的で造られたのか。
調べてみると、造られたのは1985年だ。
目的は、「ここ読谷村は昔中国との貿易でとっても栄えていたんだよ。国交が盛んだったんだよ。」っていうのを後世に伝えるためのシンボルなのだそうだ。
普通のシーサーって、魔物から家を守るために魔物がやってくる方向を向いているらしい。
だけどもこのシーサーは、中国との国交のシンボルなので、向いている方向は中国なのだそうだ。
なるほど、遥か昔の琉球王朝時代を回顧しつつ、海の向こうの中国をじっと見据えているのだね。
このときの訪問時はザーザー降りの雨であったが、相変わらずシーサーはクールな顔で前方を眺めていたよ。
ちなみに大獅子は岬の先端ではなくって、その1kmくらい手前にいるので注意な。
でもキョロキョロしながら岬への道を走れば、巨大なので気付ける可能性が大だ。
沖縄一高く、そして登れる灯台
大獅子からは1㎞近くある。初回訪問時はそんなに距離があるとは知らなくって地道に歩いて汗をかいた。
でも実はそんな頑張る必要はない。岬の先端付近にも、無料で充分に広い駐車場があるからだ。
ゴメン、岬の様子を引きで撮影した写真がこの1枚くらいしか無かったや…。
ザーザー振りの残波岬。
右に映っているバスは観光バスではなくって、「金城パーラー」っていう残波岬で50年以上も営業しているバスを店舗にしたパーラー。買わなかったけども紅いもソフトクリームが名物だよ。
50年以上前のボロボロのバスを今も使っていたら僕の興奮もひとしおなんだけど、潮風が常に吹くエリアなのでバスは5年おきくらいに買い替えているそうだ。
写真では軽く霧が出ている程度だけども、実際は過酷な環境だった。
もう雨と風がハンパないレベルで、「台風かな?」って思った。
おかしいね、過去に来た際には荒々しい岩礁とコバルトブルーの海が印象的だった岬のはずなんだけどね。
このときは友人と4人で来ていたのだが、誰も車を出ようとしない。
そんな中でも僕は車外に飛び出した。なぜならトイレに行きたいから。
突風の中をカサを壊されそうになりながらトイレに到達し、「ここまで来たら、もうほんのちょっとだけ進んでみよう」って思って灯台と岬を写真に収めたのがこの写真だ。
誰もいやしない。
晴れの日の岬の灯台はとても綺麗だったな。
高さは30mちょっとあり、沖縄県では一番高い灯台だ。重要な航路だから灯台をしっかり目立たせて海の安全を守るためのものらしい。
そしてこの灯台のもう1つの特徴なのだが、実は一般人でも灯台の上まで登ることができるのだ。
これはすごく貴重なのだぞ。登れる灯台のことを"参観灯台"というのだが、全国で16基しかない。その1つがこれなのだ。
僕は3回来たのに一度も登ったことがないが、日本7周目で訪れたら登ってみたいなと企んでいる。
他の登れる灯台がどこかのか知りたい方は、上の【特集】のリンク先をご覧いただきたい。僕、全部訪問しているから。
実は灯台はかなり新しいもので、1974年に建てられたそうだ。
まだ50年弱だ。他の国内の参観灯台や有名な灯台が軒並み明治時代に造られているにもかかわらず、この灯台は昭和時代の後半。
これには理由がある。
1970年代の初頭って、まだ沖縄返還前の時代であり、アメリカが占領していたのだ。残波岬一帯もアメリカ軍の弾演習場であり、当然立入禁止エリアだったらしい。
そんなことをさておき、やっぱ岬の沖を船で航行する人たちにとってはこの岬に灯台が欲しい。作らせてくれ。
こうして建設計画が始まった。
米軍占領下だから、工事関係者がなかなか敷地に入れなかったり、演習が急に始まっちゃって工事が強制終了したりと大変だったとのことだ。
考えてみると金城パーラーって、沖縄返還時からここでバス使ってパーラーやってんのか。すんごいバイタリティだな。
時は流れ、2001年に地元の人たちの「見学できるようにしてほしい」っていう声が大きかったから、こうして一般人にも開放された。
かつては占領下で敷地にすら入れなかったところを、地元の人たちの努力でいまや一般人でも登れる貴重な灯台。
そういった背景事情を知ると感慨深いよね。感謝感謝。
岩礁のそそり立つ絶景の岬
残波岬は、高さ30~40mの断崖が連なる険しい海岸線にある。
沖縄の穏やかで真っ白なビーチとかとは、全然印象が異なるワイルドなスポットなんだからな。
残波岬の名前の由来には諸説があるが、名前の通り「波が残る」っていう説が強い様子だ。
「岩に波が残る」だとか、「風化する船が波を残す」だとか、これまた複数の説があるけど、どちらにしても波が印象的であり、それはやはりこの一帯がワイルドであることに通じるのかなって思う。
僕の足元でも今、波が白く砕けているよ。
その岩礁は琉球石灰岩だ。つまりはギザギザで固くって攻撃力が高い。
僕も沖縄だと浮かれてサンダルで行動することが多いんだけどさ、油断すると足の爪とか肉とか持って行かれるから要注意な。
あと沖縄行っている人は知っているかもしれないけど、琉球石灰岩にはやたら尖って触ると死ぬほど痛い茂みがあるから、それもダブル注意な。
その岬の敷地内で、青空バックにカッコいいポーズを決めているのは「泰期さん」である。
初訪問時は沖縄の歴史に疎くって知らなくって調べたんだけど、1300年代の後半、この読谷から当時の中国である明(みん)に5回も中国に渡航したすごい人だ。
当時は中国に渡るのってすごく危険で命がけだったんだけど、5回も往復した。
そのおかげで交易が発展し、沖縄は栄えたのだ。
だからこの泰期さんも中国を指さしている。もしかしたら「6回目、行くぞ!」って言っているのかもしれない。
最初の章の残波大獅子とも、これで話が繋がったね。
泰期さんも大獅子も、一緒に中国を見ている。
一時期はアメリカに占領されちゃったけど、日本に取り戻して灯台を建てて、一般人に開放して、そして中国交易時代に感謝しながらも観光地として発展している。
胸がアツくなるじゃないか。
だからこそ、次こそは灯台に登り、泰期さんと大獅子の視線の先を眺めて「中国見えるかな?」ってやりたいのだ。
以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。
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