無機質な部屋。
簡素なテーブルとイスと文庫本。
そんな空間で、老婆の焼いた焼き鳥を、僕はハムハム食べたのだ。
「これまでの人生で一番おいしいかもしれないな」って思ったほどであった。
2022年の猛暑の季節の夕暮れ、本当にステキなひとときであった。
以来、再訪できることを夢見て、それをモチベーションとしてきた。
しかしこのお店は、もう存在しない。
楽しみに訪問したかつての店先で、僕は愕然としたのだ。
この記事を読んで訪問してもらい、そしてその絶品さをあなたと分かち合いたかった。
もうその夢は叶わない。
だけども、せめて僕が思い出を振り返るから、ほんのちょっとでも共感してほしいかな。
「いわき商店」。
それは東京と神奈川の狭間に存在した、昭和時代に帰れる焼き鳥屋さんであった。
雑色の商店街を抜けて
知らないと読めないかもしれないが、"ぞうしき"と読む。
この駅にやって来たのは、2022年7月の夕刻である。
2022年、とても暑い。夕方でも暑い。
なんだこれ。東京ってこんなに暑いのか。
しかも目指すいわき商店はここから10~15分ほど歩いてかかるみたいだ。
こんな暑い中にそんな時間歩いたら、ビール飲ませないとYAMAさん死ぬぞ。
これは後程、お店を訪問して帰って来たときに撮影した写真なんだけどさ、雑色って駅前から商店街がずーっと続いているのだ。
駅の間近ではさらにアーケードがついている。
なんだかレトロだが、とても活気があってワクワクする町だ。
アーケードの上に設置されている"ぞうしき"の看板もいい。
シンプルすぎてよくわからないところがいい。
下段を見ると『ZOSHIKI Shopping Street』なので商店街だとわかるのだが、日本語では"ぞうしき"だけなんだもん。
町の名前を知らずに通りかかったら「ぞうしきって何??」ってパニックになるよね。
駅から市街地方面へと続く商店街もまた、歩いていて楽しかった。
夕方特有の、ちょっとした惣菜の香りが鼻孔をくすぐる。
何かが特別だということはないが、日常生活に深く根ざしているだろうと思われるこの商店街。いいじゃないか。
そんな商店街も数100mで終わり、そこを反れてさらに数100m幹線道路沿いを歩く。
正直結構疲れ、汗も引かないので途中の自販機でお茶のペットボトルを買ってしまったりもしたさ。
わかるよね、だからこそ、この店を見つけたときの感動と安堵感がひとしおであったことを。
焼き鳥のいわき商店。ついに視界に入った。
ドキドキの初入店
いわき商店。いい面構え(外観)だ。
ここだけのナイショだけど、その渋すぎる外観に一度素通りしてから1分ほど遠巻きに呼吸を整えることとなった。
外から伺うに、店内はやや薄暗い雰囲気。
というより、飲食店らしさがない。ガランとしていて簡素なテーブルとイスがあって…。
でも店頭には「営業中」の札が下がっている。
営業しているに違いない。お客さんと思われる人が中に座っていて、なにやら大声でおしゃべりしているしな。
お店の外壁に貼ってある料金料。
ガムテープで目隠しされてしまっているが、焼き鳥1本の価格はおおむね60円だ。
なんだこの値段。
もちろんこれがずいぶん前のもので、今は値上げされてしまっている可能性が高いのだろうが、それでもこれを見ただけで「アタリだ!」って悟ったよね。
それでは入ろう。深呼吸してお店に入ろう。
お店の入口から撮影した写真がこれだ。
1秒で大体状況を理解した。
左から順に、客席・酒の自販機・酒を飲んでいる地元のおばちゃん・受付カウンターだ。
なるほど、その全部が必要。
店内は簡素であるが、必要は物は全てあり、逆に不要なものは無いとみた。
おばちゃんの目の前にある暖簾のかかった小さな窓が、受付カウンターだ。
あの向こうに店主の81歳のおばあちゃんがいる。
手前のお客さんのおばちゃんは、受付の向こうのおばあちゃんとおしゃべりをするために、受付正面のカウンター席に座っていた。
しかし僕が来たのを見て「あら、ごめんなさいね!私ズレるわ!」と移動してくれた。
お優しいおばちゃんだ。
上の写真のとおり、受付の前はおばちゃんの片足のみになった。
「で、お兄ちゃん食べに来たの?」とおばちゃんは缶ビールをグビリと飲んで、僕に聞く。
「はい、初めてでして…」と僕は答える。
先ほど書いた通り、酒を飲んでいる地元のおばちゃんは必要な存在なのだ。とても重要だ。
僕のような一見さんにこのお店のチュートリアルをしてくれるから。
「そこにメモ帳があるでしょ!?それに自分の食べたいものを書いて向こうのおばあちゃんに渡して!あ、今日は名前は別に書かなくっていいから!」
どうやらお客さんが複数名とのときは自分の名前もメモ帳に書き、焼き上がり時に呼び出してもらうスタイルだそうだな。
僕もメモ帳に"YAMA"って書きたかったが、まぁいいや。
そして壁のメニューを見る。
大体100円だ。激安なのである。
この値段なら全部食べたい。全部食べてもお財布に優しい。
まずは、しろもつ・タン・レバーだ。
受付の向こうのおばあちゃんに渡す。
「タレか塩かも書いて」と、ドライなフィードバックを受けた。
お酒を飲んでいるおばちゃんの説明が不足していたのだ。
僕とおばちゃんは「わ、ごめんなさい」とハモり、僕は改めて"塩"と書いた。
こういう個人店への初入店はドキドキするが、オーダーを終えると「スーッ」と自分がお店の空気に馴染むのを感じる。
さて、イスに座ってゆったりと待とうじゃないか。
ガリレオと酒と焼き鳥
イスに座り、しばし焼き鳥を待つことになった僕。
いやしかし、その間にやりたいことがある。やるべきことがある。
僕は席を立った。
お店の奥にある自販機。
そこでお酒を買うのだ。お酒を飲めるよう、今回は車ではないのだ。
このお店は対面販売しているのは焼き鳥オンリーだが、お酒の自販機がある。
常連さんはお酒を買い、店内で焼き鳥を食べるのだと聞いていた。
それをやる。
アサヒのジョッキ缶だろ、ここは。お酒のリアリティが違うもんな。
プシュっと開けて、焼き上がりを待ちながら飲み始めちゃうぞ、僕。
僕の座ったテーブル席には多数の文庫本が詰まれていた。
なんだか「東野圭吾」率が高いな。おもしろいもんな、東野圭吾。
とりあえずなんか読むか。
一番上にある"探偵ガリレオ"にするか。
ガリレオの長編はとても読み切れる時間は無いし、僕は全て読破済みだし。
だが短編オムニバス形式の探偵ガリレオは未読なのだ。
小説内の不良の頭部が燃え上がったくらいのタイミングで、受付の向こうのおばあちゃんが「焼けたわよー」と言ってきた。
不良の話ではない、焼き鳥の話だ。現実に引き戻された。
なんだか子供用の食器のような、プラスチックのプレートで焼き鳥が提供された。かわいいな。
だが肉片はデカいぞ。
世の中には100円の焼き鳥はそれなりに多く存在しているが、小ぶりなことが多い。
しかしここは豪快に肉を串にブッ刺している。これはお得感が満載。
タン、うまい。ほどよい弾力、ほど良くジューシー、力強い肉の味。
レバー、なんだこりゃ絶品。レバーってこんなにうまかったのか。炭火の芳ばしさと絶妙な塩加減。感動の嵐。これだけ肉厚なのに100円!?
しろもつ、ホルモン特有のグニグニ感と、溢れ出る旨味。ビールが瞬く間に減っていく。
うまいなぁー…!!
見てよ、このコゲ。すごくいい焼き具合なのだ。
しみじみうまい。マジうまい。
最近いろんなお店で焼き鳥を食べているが、その中でも絶品だと感じた。
ちょっと冷静になるために、再びガリレオを手に取ったりした。
一気に食べるのがもったいない。一瞬で無くなってしまいそうだ。
本を読みつつも、別の頭では「第2弾のオーダーはどうするのか」・「お酒のお替りはするのか」と考えていた。
すごく楽しい時間である。
次はつくね・鳥皮・レバーだ。
再び全部塩。
レバーは第1弾でうますぎたので早速のリピートだ。
飲んだくれのおばちゃんが「兄ちゃん、行くねー!安いからいっぱい食べて行ってね!」・「読書してんのかい!真面目だねー!最近の人はよく本を読むよね!」・「本当に暑いね、ビール飲まなきゃやってらんないね!」と声を掛けてくる。
それと、入店時からお店のおばあちゃんとひっきりなしに大声でおしゃべりしており、ここでは書けないような個人情報が容赦なく僕の耳にも入ってきていた。
こういう雰囲気も住宅地の個人店って感じで良い。酒のBGMに最適だ。
待ってましたよ、第2弾!
僕は焼き鳥を受け取ると同時にまたお酒の自販機で、今度は発泡酒を買った。
つくねは口の中で優しくほどけた。ホワホワだ。幸せが広がる。
鳥皮はパリパリタイプではなく、ジューシーなグニグニタイプ。うむ、うまいとは思うのだが、実は僕はパリパリタイプが好みであった。
レバーは再び至福の時を僕に与えてくれた。
なんてステキなお店だろう。
ガリレオは第1章を大体読み終えた。次来たら2章を読もうか。
飲んだくれのおばちゃんが「お腹いっぱいになったかいと?うまかったろう!ありがとね!」と言ってくれた。
お店の81歳のおばあちゃんも受付の向こうからチラリと顔を出して「ありがとうー」って言ってくれた。
きっと僕はまたここに来るのです。
おばあちゃんの焼く絶品の焼き鳥を食べるために。
ガリレオの続きを読むために。
まだ町はムワッと熱気を伴っていたが、ビールでクールダウンした僕の足取りは軽かった。
なくなってしまった店
8ヶ月が経過し、2023年の3月。
僕は再び雑色駅に来る機会を得た。
商店街を歩く僕の気分はルンルンであった。
「レバーを食べて、しろむつを食べて…。今度は絶対ハツも食べよう。タレも試してみたいな。」
そんなことを考えていた。
もうあと10分後には、ひとくち目のビールを飲めているはずだ。
それが楽しみでならない。
お店の場所はちゃんと覚えている。
かなりの距離だが、迷わずお店を目指し…。
…あれ?
何かが違う。どこか違和感を感じる。
お店の20mほど手前、この写真を撮ったときの僕はそれに気付かなかった。
さらにお店の前を通り過ぎて10mほど。
「あれ??通過してしまった?お店を見落とした?」
そこで胸がザワザワした。
おかしい。見落とすハズはない。
道路の反対側に渡り、改めてこの区画全体を見渡した。
お店、なくなっていた。
インド料理屋さんになっていた。
マジか…!!
こんなショックってあるのかい。
せっかくここまで出向いたのに。
事前に調べておけば閉店情報を掴めていたはずだが、それを怠った僕が悪いのか?
しばし呆然となった。
インド料理屋さんには申し訳ないが、僕はまた雑色駅に引き返して歩いていくことしか、このとき選択の余地が無かった。
トボトボと歩いた。
*-*-*-*-*-*-*-*-
いわき商店は、2022年8月末に急に閉店してしまったらしい。
Webを調べてみたが、その理由はわからなかった。
2021年にはTV番組「出没!アド街ック天国」にも取り上げられたお店。
店内に貼られた紙には、以下のように書かれていた。
12位 昼から一杯
【いわき商店】
住宅街にある昭和の雰囲気が漂う一軒。お昼の2時オープン。
80歳の女将さんが一人で切り盛りする小さなお店。
こちらは焼き鳥のみを販売。
店内でも食べられるが、お酒のメニューはない。
お客さんは、店内にある自販機で缶のお酒を買い、焼き鳥をつまみに呑む。
もっと通いたかった。
僕が前回食べている途中も、地元の方が何名か来て、夕食用に焼き鳥を持ち帰りしていた。
そんな風景もなんだか懐かしく感じ、情緒もあった。
わずか1回切り。
だけども最高だった。
僕はこの先、何10回も何100回も焼き鳥を食べ、酒を飲むことがあるだろう。
きっとその度に、たった1回の訪問だったこのいわき商店のことを思い出すだろう。
ガリレオの続き、いつどうやって読もうかな。
以上、日本6周目を走り終えた旅人YAMAでした。
住所・スポット情報
- 名称: いわき商店
- 住所: 東京都大田区南六郷1-24-10
- 料金: レバー¥100他
- 駐車場: なし
- 時間: 14:00~19:00