小雨がシトシト降る森の中を1人歩いた。
すると前方に、不自然なほどに巨大な人工物が見えてきた。
それが「八角トンネル」と呼ばれる、文字通り八角形のコンクリートの遺構である。
スゲーな…、まるでタイムトンネルのようだ。
この他ではちょっと見られないような独特の造形美に、僕は見惚れた。
…ってことでだ。
今回は2023年の九州北半分を巡った旅路の中から、八角トンネルをピックアップしたい。
突然の雨と田植え機
雨が降り出した。
八角トンネルの駐車場まであと2分ほどだというのに。ほんの2時間ほど前まで晴天だったというのに。
チクショウ。とても悔しいが、でもどうにもできない。僕はただ八角トンネルを目指すことしかできない。
美里町と言えば「日本一の石段」という3333段の石段がある町だ。僕もかつて2回この階段を登り、もちろん2回ともヘロヘロになった。
今回は行かないぞ。二度と行くか。時代は石段ではない、トンネルだ。
八角トンネルは森の中ではあるが、何気に国道から数100mほど反れただけで到達できる。直線距離で言えばものの200mほどだったりする。
国道から脇道に反れる部分には、八角形の八角トンネルを示す立て札と、ハートマークの二俣橋を示す立て札がある。
二俣橋ってのはね、アーチ橋なんだけど、時間帯によってはリアル部分と水面に映ったアーチ部分とが合わさってハートマークになるんだよ。だから"恋人の聖地"と呼ばれたりもしているんだよ。なにそれカップル爆発しろ。
脇道はこんな感じで、ギリギリで車がすれ違える程度。
こんな道が数100m続く。そんで最後は森の中に突っ込むようなかたちになり、そこに八角トンネルの駐車場が出てくる。
これが駐車場に停めた車の中からの眺めだ。
ザーザーと雨が降り、外に出れないのだ。なんてこった。
いや、折りたたみ傘は一応所持しているのだが、傘を差したくないのだ。一度濡れると乾かすのが大変でしょ?
狭い車内だし。それに車中泊するときにそばに濡れた傘があるのって、なんだかイヤだし。
では、この雨はいつに止むのか。ちょっとスマホで雨雲レーダーを見てみようぜ。
よしっ、ふざけんな。
あたり一面数10㎞四方に雨雲が無いのに、僕の頭上だけピンポイントで雨雲。
天からの嫌がらせとしか思えない。日頃の行いが致命的だったとしか思えない。
拡大してみた。ガチで雨雲の中でももっともエグいところにいる。
これは逆に笑えてくるレベルだ。
でも、これあと15分待てば雨雲が通過するらしいですぜ。であればこのまま車の中で待機するのが利口であろう。
そう思ってふと横を見ると、駐車場にはもう1台、いすゞのトラックが停まっている。
そのトラックの中にはおじさんが座っていたんだけど、そのおじさんがおもむろに車外に出て、そして荷台に登ったのだ。傘もささずに。
僕は内心思ったね。「いや待て!なんでこのタイミングで外に出るんだ!濡れるぞおじさん!!」って。
いすゞのトラックの荷台には田植え機が乗っている。イセキの”ラブリー"っていう、田植え機っぽくないネーミングだけども、確かに田植え機だ。
なんで初秋のこの時期に田植え機を積んで森の中にいるのか知らないけど、とりあえず田植え機なのだ。
おじさんはこの田植え機を荷台にしっかりとくくりつける作業を始めた。
それ、今じゃないとダメなのか。雨の降る前である10分前にはできなかったのか。雨の止む15分後では遅いのか。
ザーザー降る雨に、みるみるおじさんの服は濡れる。
僕は隣の車内から「おじさーーん!!」って思ってハラハラしながらその作業を見ていた。
森の中の八角トンネル
10分後、ほぼ雨は止んだ。15分後に確実に止むだろうと見込んでいるが、もうこの時点で大丈夫なレベルになった。
だから僕は車外に出て、これから八角トンネルまで歩いていこうと思う。
ふと隣のいすゞのトラックの中を見ると、ずぶ濡れになったおじさんが「やれやれ…」って感じでタオルを取り出し頭を拭いているところだった。
いや、ホントにピンポイントのゲリラ豪雨だったのに、なんでそのタイミングで外に出たのよ…。
おじさんはさて置き、僕は森へと歩き出す。
ここから八角トンネルまでは徒歩で5分もかからないという。ちょっと足元は悪いものの、楽勝だ。
ちなみに雨上がりのせいか、やたらと蚊が多い。そして僕は蚊に大変好かれる性分で、普通の人の3倍くらいいつも刺される。やってらんないね。
だから外にいる時間は最小限に抑えたい。
従い、ハートがどうのとか恋人がどうのとかいう二俣橋には行かない。ここからすごく近いらしいが行かない。カップルは爆発するがよろし。
ラブリーは田植え機だけで充分だ。
急に日が差してきた。濡れた木々がキラキラと輝いた。
いいねいいね。こんなシチュエーションに出会えるのであれば、雨もまた良しだ。
歩行開始から3分ちょっと。八角トンネルが姿を現した。
異次元トンネル。そう思った。
存在は知っていたものの、急に出てくるんだもんな。八角形だし。
これが近年SNSでインスタ映えするとちょっと有名なトンネルだ。
トンネルという名称ではあるものの、筒状ではない。
分厚い7枚のコンクリート壁がわずかな隙間を空けて立てられているのだ。
それはまるでドミノ。
手前の1枚をチョンと指で押せば、バタバタと後ろも連動して倒れ…みたいなヤワな構造ではないんだけど、とにかく一見すると八角形も謎だし板が並べられている構造も謎なのである。
じゃあこれはなんなんだ…って話はまた次の章でしようか。
今は頭カラッポでこのトンネルを楽しみたい。
見よ、このソリッドなデザインを。
なんて重厚感だ。お相撲さんがタックルしても1ミリも動じないほどの堅牢さを感じるぞ。
そしてなんだかタイムトンネルに吸い込まれているような感じで頭クラクラしてきた。
上を見上げると、日差しと共に森が見える。スッカスカなのだ。
普通トンネルと言えば、山をくり抜いてその中に道を通すためのものだ。でもこの上に山なんてない。
じゃあなんでこんな何もない山の中に立派な八角形と作ったのだろうか…。
トンネルの長さは50mほど。すぐにゴールにたどり着く。
その向こうはさらに道は荒れているし、先に進んでもこれと言って特に目ぼしいものがあるわけではないらしい。
そして前述の通り僕の周囲を蚊がブンブン飛んでいてわずらわしいことこの上ないので、トンネルを出たところでUターンして戻ることにした。
ちなみに僕は個人的には、この裏から見るトンネルの方が好きだぜ。緑に覆われているから。
あなたが訪問される際、ぜひトンネルを最後まで歩いてみてほしい。
それはかつての夢の名残り
では、ネタバラシしよう。
端的に言えば八角トンネルとは、昔ここに鉄道が走っていた時代に、線路や列車を落石から守るために作られた覆いなのである。
現地の説明板と共に少しご説明したい。
熊延鉄道。それは熊本県熊本市と宮崎県延岡市を結ぶべく建設された鉄道の名前。それぞれの町の頭文字を取って熊延鉄道と呼んだのだ。
1915年にこの鉄道が開通したけど、その区間は実際は熊本県内の「熊本市-美里町」のわずか28㎞区間だけ。
随分壮大な夢を見過ぎてしまったような気もするけど、それでも人や石炭や物資を運び、経済発展に貢献してきたのだ。
その終点に当たる町、美里町のまさにここ、山深い区間を走る際に落石から守る覆いを設置したのが八角トンネルなのである。
左上の写真をよく見てほしい。現役時代の八角トンネルだ。
トンネルの中に線路が敷かれている。かっこいいなぁ、このデザイン。
ただ、なぜ八角形であるかは現在も不明である。
そして筒状ではなくって隙間がある構造については経費削減と推測されている…。
熊延鉄道は1964年に廃線になってしまった。もう60年ほど前の話だ。
しかしこのトンネルだけは撤去されずに現在も残っている。つまりは熊延鉄道遺構ということなんだな。
そして僕は八角トンネルを出てすぐUターンしたが、道はまだもう少し続きがある。
「第一津留川橋梁橋脚」というスポットが地図に書いてある。つまりはもう少し先で線路は川を渡る。その際の橋の脚が残っている。
いったん国道に戻る必要はあるが、さらに線路があった延長上には「第二津留川橋梁橋脚」・「第三津留川橋梁橋脚」もあるんだ。
「第一」以降は、もうどこに線路があったのかを地図で判断するのも難しい状態となってしまっているけどね…。
ただしだ。
- 僕が雨に降られながらも国道から反れて駐車場へと向かった狭い車道。
- 車を降りてから八角トンネルまでの遊歩道。
- トンネルから先を眺めた、上の写真の遊歩道。
これらは全部過去線路が敷かれていた場所だ。列車と同じコースを歩けていたのだ。そう考えると胸アツだよな。
ここを列車が潜り抜けていたんだ。
僕だったらテンションMAXで叫んじゃうよ。当時の熊本の人はどうだったのかな?
そして、今も人々の心をSNSでくすぐっているんだ。すばらしい。
ちょっとだけ昔を垣間見れたトンネル。
僕が「タイムトンネルのようだ」と表記したのも、あながち間違いではなかったかもしれないな。
エピローグ:ラブリーおじさん
駐車場へと戻ってきた。いすゞのトラックはまだ同じ場所に停まっていた。
さっきビショ濡れになっていたおじさんは、トラックの脇で着替えの真っ最中だった。
こらこら、いくら森の中とは言え外でパンツ姿になるなや。
僕の帰還に気付いたおじさんは、「八角トンネルに行っていたのかい?俺は一度も行ったことないんだよなー。」と言っていた。
トンネルしかないけどもいい場所だったと伝えた。
「その車、車種はアレでしょ?最初見たとき全然気づかず、変わった外車が来たなって思っちゃったよ。」みたいに言われ、カスタムカーの話に花が咲いたりもした。
おじさん、時間に余裕ありまくりだな。じゃあなぜさっきゲリラ豪雨の中をわざわざ外に出て、ラブリー田植え機の世話をしていたのか。
おじさんは「濡れちゃったし暑いからね。これから温泉行くわ。九州は温泉いっぱいでいいところだぞ。じゃっ。」と言って去っていた。
そっか、温泉に行く口実だったのかな。
じゃあね。僕も毎日温泉のお世話になっているぜ、九州はいいところだ。
ラブリー田植え機のおじさんを手を振って見送り、そして僕も発進する。
空は嘘のように明るくなり、このあと快晴になっていく。
以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。
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