2階建てトンネル。
今宵はその意味不明なパワーワードに震えて眠れ。
さてさて、ちまたでは2階建てトンネルと呼ばれているスポットが静かに人気なのである。
しかし2階建てトンネルっていったいなんなのだろうね?例えば首都高や都心の地下鉄などは、トンネルの下にまたトンネル…というように、路線が複雑に絡み合っていて大変なことになっている。道路や線路の多重構造だ。
ただ、今回僕がご紹介したい「向山・共栄トンネル」は違うんだ。
ちょっと写真を見てほしい。
んー、上のトンネル、どうやって行くのかな?
マリオカートの世界だったら手前にジャンプ台とか置いてあって、上の道にピョンと行ける。ただ現実だと難しい。作った人はマリオカート脳なのか?違う。
ではトンネルみたいに見えるけれども実はただの岩穴なのか?それも違う。アレもトンネルの出口だ。
さぁ、ワケわかんなくなったところで本編だ。
2階建てのインパクト
理屈はさて置きね、まずはこの2階建てトンネルの衝撃をあなたにも味わってもらいたい。実際に目にするとすごいインパクトだったが、たぶん画面越しでもそれは伝わるから期待してくれ。
僕は2回訪問しているが、2回目でも鳥肌が立ったんだからな。
これは県道から脇道に反れ、向山・共栄トンネルが見えてきたときの図である。
向山・共栄トンネルの向こう側、道が繋がっていないわけでは無いんだけど、ちょっとこの先はアレでアレなので、たぶん行くことになる人の99.9%がこちら側からのアプローチになるであろう。
あなたが今後ここに行くときの疑似体験になるのである。
トンネルの反対側、山型の出口が見えている。この時点では何の不思議もない。僕もあなたも「あぁ、数分後の自分はあの出口の向こうにいるんだろうな」と思うであろう。
なんとも浅はかな思考よ。そんな妄想は未来永劫現実にはならないというのに。
さらにちょっと歩いたところで出口をズームしてみた。
なんだかおかしい。どこかおかしい。
出口の先が荒れすぎているのだ。なんだろう?あの先は廃道かな?それとも異世界かな?
さらに少し歩くと衝撃の絵面になる。驚く準備はよいか諸君!
下からなんか出てきた!!
地平線から現れたのは太陽なんかじゃねぇ。出口だ。
うぉぉ、今こそ使うぞ、有名なテンプレートを!!
『あ…ありのまま、今起こった事を話すぜ!
おれはトンネルを出口に向かって歩いていると思ったら、その出口の下からもう1つ出口が現れた…。
な… 何を言ってるのかわからねーと思うがおれも何が起こったのかわからなかった…。
頭がどうにかなりそうだった…。
催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ…。
もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…。』
一見すると上の方の出口に行くかと思いきや、実は上の出口に辿り着くことは僕らの脚力では困難だった。下の出口に向かうのだ。
これが世にも奇妙な向山・共栄トンネルなのである。
一般道では国内に10本ほどしかないが、左右に分岐するトンネルならある。それならまだわかる。
上記は信州の山間部にある「入山隧道」だ。つい先日、11月の上旬に撮影してきた。
でも上下分岐とはどういうことだろう?
僕らの頭がバグっていたのだろうか?それとも設計者の頭がバグっていたのだろうか?
次章以降で真相に迫って行こう。
トンネルにはこう行く
いきなりハイテンションにトンネル内部の話をブッ込んでしまって申し訳ない。
ちょっと冷静になり、トンネルまでのアプローチについて語らせていただく。
ここな、房総半島の内陸部である「養老渓谷」エリアにあるんだけど、近くにいい感じの駐車場が無いのだ。それが難点。
養老渓谷のメインロードである県道81号から、例の向山・共栄トンネルを貫通してさらに200mくらい進んだところに上の写真のようなやや広めの無料駐車スペース(空き地?)がある。
僕は過去の訪問において、いずれもここを使った。たぶんここが一番いい。あとは県道沿いに有料観光駐車場がいくつかあるけど。
付近のGoogleマップを掲示しておこう。僕の使った駐車スペースはトンネルから見て南西方向に、川を渡った先の「すいせん畑」付近にあった。
スイセンの季節は11~4月という。この季節にドンピシャでこのスポットに来たことは無いのでわからないが、少なくとも僕の訪問時はスイセンの存在には気付かなかったな。
橋の上から「養老川」を見下ろした。
養老渓谷を縦断するメインリバーだね。養老渓谷を代表する景勝地といえば「粟又の滝」で、とても幅広でおだやかな滝なんだ。
夏は多くの子供がその滝つぼ付近でパシャパシャ水遊びをしているし、僕も脳内は子供だから当然水遊びをするのだ。
ここからは中瀬遊歩道という散策路が出ており、「弘文洞門」というワイルドな渓谷の景観が臨めるスポットがあるのだが、直近の台風の影響で通行止めだった。
…というか、調べてみると令和時代になってから台風が来るたびに通行止めになっており、まともに稼働している気配が無いのな…。残念な事態。
閑話休題。
橋を渡るとすぐに、さっき車で貫通した向山・共栄トンネルの出口側が見えてくる。
こうして見るとなんの変哲もないトンネルである。
さっきはこの出口の上にもう1つの出口が見えていたが、いざ出口から出て振り返るとそれは見えないのだ。
ただ、左に立て看板で『トンネル内駐停車禁止』と書かれている。
もしかしたらこの不思議なトンネル内で愛車を止めて、愛車と共に撮影したい…という人がいるからなのかもしれないね。
とても狭いトンネルで擦れ違い困難なので、それはキケンだ。こんな感じの小さなトンネルなのだ。
だからしっかりじっくり徒歩で鑑賞しよう。こうしてストーリーは前章に繋がる。
それでは、いよいよトンネルの謎に迫ろうか。
なぜこんな構造なのか
前章の最後で、僕は2階建てトンネルの下の方の出口からトンネルに再度入ったと書いた。
先ほど掲載した写真がこれだ。
これのトンネル上部についている銘板部分に着目したい。
旧字体ではあるが「共栄トンネル」と書かれている。これを覚えておこう。
そして入口に戻ってきた。そこで再びトンネルの銘板を確認してみよう。
「向山トンネル」…!なんと、トンネルのあっち側とこっち側で名前が違うのだ。途中で別次元に入ってしまったかのような感覚だ。
そのカラクリはこうなのである。
もともとは上の出口が使われていた。上の方にしか出口が無かった。
しかし1945年に利便性をUPさせるためにトンネル内の地面を掘り下げて下の方に出口を作った。でも上の方の出口はメンドウなのでそのまま残しておいた…。
こうして2階建てトンネルができたのだ。
おそらくは昔は向山トンネルという名前だったのだろう。
だから1つしかない入口側の名前は向山トンネル。新しく下に出口を作った方は、共栄トンネルという新しい名前を与えられた。
厳密に言えば、全長115mあるトンネルのうち入口側92mは向山トンネル、そして出口側23mを共栄トンネルと呼ぶらしい。
いや、普通にしていたらそんな境界全くわからん。だからGoogleマップでも通常の呼称でも、それらを合体させた向山・共栄トンネルと呼んでいるのだ。
いやはや、言われてみれば納得だが、こうして見ると奇妙なものだ。
ところで数年前まではあんまり有名ではなくって全然人も見かけたことがなかったけど、近年はSNSで映えスポットとなったためかポツポツと観光客を見かけたよ。
そんで入口にはこんな看板も設置されるようになった。
ところでよく見るとトンネルの全長と、向山トンネル・共栄トンネルの長さが先ほど僕が記載したものと異なる。10m長くなっている。なんか上の看板も上から手描きのテープで貼られて修正されている。
どうして近年訂正されたのかはわからないが、とりあえず当ブログではこれまで永らく語られていた、全長115m説で執筆させていただいた。
出口付近から入口を見た図も載せておこう。
1階と2階の境界線が良くわかるよね。これまでは"出口だけ"2階建てのような記載をして来たが、実はトンネルの真ん中くらいまでずっと2階の名残が見えているのだ。
そして2階部分は手掘りだったそうで、跡が見上げればわかる。
おまけ:幻の上の出口
ところで、上の方の出口は今は行けないのだろうか…?当然賢明なあなたはそれが気になって夜も眠れないであろう。僕もだ。
トンネルの出口のすぐ先には「川の家」という名前の旅館がある。そこの正面のちょっとした広場の奥を見てみよう。
「立入禁止」の看板がある。
しかしどこにどう立ち入る可能性があるのか。その後ろは草ボウボウであり道路はおろか遊歩道のようなものも無いのだ。
正解は、この奥が2階の出口なのである。
おそらくは一部の人はそれを知っており、この茂みを無理矢理突破して2階出口に立ちたいと夢見ているのだろう。
正直僕も立てるのであれば立ってみたい。
しかし以前来た時には立入禁止の札は無かったものの土砂降りでとても危険な状態であり、直近では上記の通り立入禁止だ。
これは踏み込まない方がいいと判断した。
終戦の年まで使われていた、幻の上の出口。ちょっとだけ立ってみたかったけどな。
でもこれでいいのだ。
ちょっと離れているところから見上げる、手の届かない過去の遺構。それがいいんじゃあないですか?それがロマンってヤツじゃあないですか?
以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。
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