僕はかつて、全国の有名な廃墟や廃村を巡っていた。
語り出すと闇が深くなりすぎるのでここでは避けるが、そりゃもうアドベンチャーの連続であった。
そんな僕が存在は何となく知りつつも、ずーっと未訪問であった廃墟的なスポットがある。
それが「豊後森機関庫」だ。
いやぁ、すまない。
なんで行っていなかったのか自分でもよくわからないのだが、たぶんその理由の1つは九州を旅する機会が極端に少なかったからだと思う。
僕が豊後森機関庫を訪問したのは日本6周目であるが、正直そのときには廃墟界から足を洗っていた。
それでもかつて訪問できなかった悔いが残っていたので、必ずや行くべしと考え、ようやく訪問にこぎつけたのだ。
そして素晴らしかった。
SLと転車台
さらにそこから道を一本反れた、久大本線の「豊後森駅」の東側300mほどのところに、その機関庫はある。
カーナビに従って国道を反れたが、一本反れただけで思いのほかローカルな景観となって少々驚いた。
しかしこんな天気のいい日に、こんなローカルな町を走れるのは最高だって思った。
そして着いたぞ、憧れの豊後森機関庫。
すげぇいい…。シビれる…。
コミカルな住宅地の先にこの光景が出てきたのだから、そのカタルシスはすんごい。
スカッと晴れた晴天に、漆黒のSL。そしてキチンと整備された綺麗な緑の芝生。
背後にグルリと弧を描くように建っているのが機関庫だ。
もうこれ、絵にならないわけがない。
今回の僕は若干興奮で我を忘れていた。
だから似たような写真が多いし、しかしそんなに写真の枚数自体が無かったりもする。
もうちょっと敷地内のいろんなところを歩き回ったり、説明板を撮影したりすればよかったのだが、狭い範囲を「ウホホウホホ」と走り回っていただけらしい。
失敗した。記事としては失敗した。
まずはSLのご説明をしたい。
この子は国鉄9600形蒸気機関車「29612」号機っていうのだそうだ。
製造されたのは、1919年(大正8年)。すごく先輩。
福岡県のとある公園で朽ちかけていてそのまま解体か…って思われていたものだったのだが、ギリギリのタイミングでここに譲り渡され、修復を受けて2015年からここに展示されているそうだ。
今では黒光りするほどのピッカピカである。
新たな人生を歩めてよかったね。
そして、2015年からここに展示されているとのことで、僕が豊後森機関庫の存在を知ったときにはまだSLは無かったのだな。
SLがあるほうが、きっと断然映える。2015年以降にここに来れて良かった。
SLの背後、そして機関庫の前に当たる位置には、転車台がある。
上に貼り付けたGoogleマップの衛星写真で見ると、その存在が良くわかると思う。
転車台がキチンと残っているのは嬉しいね。
これは文字通り、列車の向きを変えるための巨大なプレートだ。
SLって、前と後ろがあるよね。後ろ向きには走れないよね。
そこが、前にも後ろにも運転席のある電車との違い。
だからSLは終点まで行ったら、転車台に乗ってグルリと回転させられ、反対方向を向くのだ。
SLの時代は、こうしてどんな終着駅にも転車台があったのだね、きっと。
かなり場所を取ったろうし、メンテナンスも大変だったろう。
そして、世の中が電車の時代になって、一気に変わって一気に廃れたのだ。
重いSLを乗せて回転する転車台、きっと迫力あったろうなぁー…。
ちなみに転車台の上、なんかかわいいトロッコみたいなのが載っていたけど何これ?
迫力ある機関庫
そしてメインである。豊後森機関庫の本体だ。
前項でも少し触れたけど、それは扇形の倉庫。バチクソ年季の入った倉庫。
転車台を覆うように、その背後を守備している。
それも当たり前だ。
なぜなら、複数の車両を格納できる機関庫からの列車の出し入れにも、転車台が必須だからだ。
そのイメージをお見せしよう。
こんな感じだ。
線路は右から描いていき、途中で疲れて雑になった。
あなたはこういう工事をしてはいけないよ。
今は線路は数本ないが、線路を描き加えるととても美しい、放射状の建物群となる。
僕はこれを見てベルギーの「ルーヴァン監獄」、あるいはそれをモチーフにしたかつての「網走監獄」が脳裏に浮かんだね。
ここ豊後森機関庫は、こんな感じの扇形のターンテーブルを活かし、12台の車両を格納できる。
これが多いのか少ないのかはちょっとわからないが、12台ものSLが一堂に会していたら興奮で狂い死ぬのだけは確実である。
あのさ、もうちょっと頑張って全国からSL集めてさ、いっぱい機関庫に入れようよ。
そしたらマジ最高のスポットになるよ。
そんな夢物語をついつい語りたくなってしまう。
この豊後森機関庫が誕生したのは、1934年のことだそうだ。
1945年の第二次世界大戦末期には、アメリカ軍の戦闘機がここを機銃掃射した。
そのとき3名のスタッフさんが亡くなり、そしてそのときの弾痕は今も外壁に残っているという。
もしかしたらこれが弾痕かな?違うかな?
窓ガラスもバキバキだ。
機銃掃射の被害もあるのだろうか。
しかし戦前の建物の窓ガラスが、こうして吹きっさらしの屋外でちゃんと残っているのは嬉しいものだ。
豊後森機関庫の魅力の1つは、この割れた窓ガラスだと穆は考えているし。
こうして機関庫の前や転車台の周囲をひとしきりウロウロすることで、僕の観光は終わった。
…しかし実は知っていた。
一般人は通常立ち入り禁止の、機関庫内に入る手段があることを。
そうなのだ、玖珠(くす)町の町役場、あるいは観光協会に事前に許可申請書を提出しておけば、中に入ることもできるのだ。
少なくとも僕の訪問当時はそうであった。
どこかの誰かの参考になるよう、イメージを貼っておく。
玖珠町観光協会のWeb内のページではあるのだが、2022年現在どこからもリンクが貼られていないという、不思議なページだ。密室殺人みたいな位置付けのページ。
僕、この機関庫にすごく入りたかった。
だけども僕が許可申請をしなかった理由は、この申請所に訪問日時を記載しないといけない点であった。
無理。九州一周をフラフラと旅していたんだもん。
天気を見ながらルートを調整し、昨日だって急遽「数日後に台風が来そうだから明日のうちに快晴の阿蘇を走ろう」とか考えて、大陸に舵を切ったりしているのだから。
あと、当時は「ヘルメットお持ちください。無い人は町役場で申請してうんぬん…」って書かれていた。
僕は工事関係者ではないし、ライダーでもない。
ヘルメットなんぞ持っていなかった。
なおさら訪問難易度が上がるので、今回は外観の見学のみとしたのだ。
実は敷地内、ちょびっと離れたところには「豊後森機関庫ミュージアム」っていう作業員詰所をリフォームして作った小さな資料館もある。
これも完全にスルーしてしまったが、今となっては見ておけばよかったと思っている。
あのときはお腹減っていたもんなぁ…。
早くご飯食べたかったんだよね…、僕。
いろいろとやり残しが多かったスポットではあるが、それは次回への宿題とすることで、またいつの日か訪問する楽しみが増す。
外観を眺めただけであっても、この青空の中でこのスポットに出会えたことは、幸せな思い出となって残っている。
廃墟…と表現しては失礼な気もするが。
僕がずっと憧れであった廃墟。
今後も玖珠町のトレードマークとして、その姿を後世に残してほしい。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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