僕ら一般人が到達できる、日本の最北東端はどこか。
それは北海道の知床にある「相泊(あいどまり)集落」だ。
正確に言えば日本の国土には北方領土が存在するし、仮にこれを北海道本土に絞ったとしても「知床岬」がある。
北海道の地図をパッとイメージしても、大半の方の脳には知床半島が思い浮かぶし、「知床岬、一般人でも行けるんじゃないの?」と思われるかもしれない。
結論、知床岬は凡人には少々困難だ。
車道はおろか、歩道もない。
今回僕は、車さえあれば多くの方が訪れることが可能である日本の最北東端、相泊集落の最北端部分についてお話ししたい。
…もうね、道がブツッと切れているからね。
岬じゃないけど、これもある意味で"最果て"よ。
知床は大自然の楽園
まずは前提のご説明をさせていただきたい。
今回の記事は、日本の突端をいろいろご紹介する以下の【特集】の一環として執筆する。
本記事のみならず、どうぞ心行くまで突端を味わってほしい。
輪郭を知れば中身が見えてきて、それが日本を理解することにも繋がると思うのだ。
さて、冒頭でもご説明の通り、そんな日本の各突端においてメッチャ手前で道が途切れてしまうという意味で、知床岬は少々特殊である。
ちょっと知床岬にフォーカスしたMAPをお見せしよう。
ガチで知床岬に行こうとしたら、片道でも相泊集落から徒歩で2泊3日だ。
歩道もなく、海沿いのガレ場を延々歩かないとだし、場合によっては高い岩場をクライミングしたり、満潮の海を少々泳いていかないといけない。
もちろんテント・飲食、全部持参だ。
さらにヒグマの巣窟。なにせ世界遺産に登録された広大な大自然だから。
相泊の道路が終わるところに立っている標識を撮影してきた。
パワフルなワードが並ぶが、マジで遊び半分で足を踏み入れてはいけないのだ。
慢心は即、命にかかわる。
僕も知床岬まで行こうと本気で考えていた時期がある。
いろいろ情報収集もした。
しかし装備を整えるのは大変そうだし、僕は根性無しだし、1日でもお風呂に入れないとイヤだし、夜はきっとオバケが怖い。
それに、一緒に言ってくれそうな友達がいない。マジメな話、同行者は絶対にいないとキケンなのだ。できれば経験者がいいけど、もちろんいない。
…とまぁ八方ふさがりで、そもそもサラリーマンなんであんまり長期も休みも取れないし、それだけの休みがあるなら北海道全域をグルグル走りたいし。
ね、もうグチグチとネガティブ発言が止まらないでしょ。
神聖な知床の地は、こんなグチ男は受け入れてくれませんな、きっと。
だから、僕は相泊集落を目指すのだ。
エンド・オブ・ザ・ロード
羅臼の中心地であっても、なかなかに"果て感"がある。
しかし相泊集落はそこから25㎞だ。
どん詰まりの道なので、また羅臼中心部まで戻ってこないといけない。
往復50kmだ。
信号なんて1つもないし、店も交差点も人もほぼゼロ。
たまーに対向車が来るだけで、とても爽快な走行だ。
相泊集落に行く途中には奇岩があったり滝があったり、小さな集落と温泉があったりするのだが、そこは主旨ではないので全部飛ばそう。
舞台は25㎞先、道路沿いにポツポツと民家が10数軒並ぶ、相泊集落である。
その一番奥、いよいよ道路が無くなるところまでやってきた。
『キケン 道なし!』
『この先 行き止まり』
「相泊橋」という集落の北端近くに架かる橋のたもとにあるのが、これらの看板だ。
エモい。
ただただ、この看板がエモい。
裏を返せば、もう道がなく危険と隣り合わせの場所まで、僕はやってきたということだ。
知床の道は、ここで終わる。
この先は世界遺産が牙を剥く、野生の王国だ。
エンド・オブ・ザ・ロード。
岬の先端まで車で行くことはできないが、道の終焉をしっかりと示してくれる場所まで自走で来れたことが感慨深い。
僕はガチの地理的観点からの突端を目指す人間ではない。(それが実現できれば一番だけど)
旅人としてなんらかのゴールの定義を踏めれば、ひとまずは満足なのだ。
まさにここがそれ。
だから、僕はここに来るたびにこの看板の写真を撮影している。
正確に言うと、無難に車で行ける厳密な限界点は、橋を渡ってすぐ左側にある無料駐車場だ。
上記の写真で示すのであれば、愛車パオの屋根の上あたりに被っている場所だと思っていただきたい。
ここがその駐車場。
相泊を散策するのであれば、ここに停めるのが良いだろう。
(…とはいっても、見どころは少ないが)
ここから奥は、本当にもう車道がない。
建物がチラホラ見えているが、漁業関係のものがほとんどとなる。
昆布漁が盛んな羅臼。そのための施設(昆布番屋)がまだ知床半島の先端方面に向けて点々と存在するのだ。
漁師さんは、そういった番屋に主に小船で行き来している。
知床岬まで2泊3日で歩くのであれば、この写真をずっと奥の方に、こういった番屋を見ながら歩いていくのだ。
一度、地元の方に許可をいただき、駐車場のもう少しだけ奥まで車で進ませてもらったことがある。
とはいっても数10mだが。
先ほどお見せした橋の反対側。
橋の下を流れる川の河口部分が上の写真だ。
果て感のある、いい写真になったと思っている。
向こうの陸地は国後島だ。
ギリギリまでやってきたという達成感があった。
そりゃ「本来であればこの向こうも…」みたいな北方領土を取り巻く思いも無きにしも非ずだが、それは今回は胸中にしまっておこう。
日本最北東突端地の碑
さて、突端マニアのみなさん。
ここ相泊には、「日本最北東突端地の碑」がある。
2021年現在、かろうじてある。
僕自身は2021年のこの場所を実際に自分の目で見たわけではないのだが、そのような情報を得ている。
ちょっとそこいらの経緯を時系列でご説明しよう。
「熊の穴」とトド肉
食堂兼民宿の、「熊の穴」。
先ほど掲載した相泊橋のすぐ手前にかつて存在したお店だ。
知床岬まで徒歩で行く人の拠点となったり、オーナーのおじさんがいろいろアドバイスしてくれたり、岬到達後は船で迎えて来てくれたり。
知床岬攻略において重要なお店であったという。
これは日本3周目で僕が訪れた際の写真だ。
左奥にご注目いただきたい。
日本最北東突端地の碑。
お店の前には、この碑が設置されていた。
斜め方位の突端だ。とても貴重なものだ。記念撮影できてとても嬉しい。
よし、お昼ご飯はこのお店で食べるか。
トド焼き定食!!
トドだよ、トド。
道東や道北では、トドを食べる文化があるのだ。
レトルトカレーの具だったり缶詰とかで観光客が購入できる機会もあるが、こうやって肉そのものをムシャムシャ食べられる機会は非常に貴重だ。
だから迷わずトドをオーダーした。
尚、迷ってはいないが、心中はドキドキであった。
なかなかに強めの臭み。
全体的に味が薄く、なんか水っぽい感じ。
だから焼肉のタレにしっかりと絡ませて食べるのだ。
うむ、一生に1回でいい味かもしれない。
ジャーン、お目当てはこれだ。
会計時にオーナーさんからいただいた。
証明書
貴方は知床世界自然遺産、日本最北東突端に到達し、味処熊の穴を味わった事をここに証明する
トド肉を食べたときだけ、これをもらえる。
当時は日本の突端に到達するたびに、そこで発行している到達証明書を獲得していたので、これも絶対にGetしておきたかったのだ。
冒険者の夢の跡
少し時が流れて、再び知床羅臼の町。
僕は嫌な予感がしていた。
羅臼の旅人宿で一緒に飲んだ旅人が、「相泊集落の熊の穴?改装していたのかな?やっていなかったよ。」と言っていたのだ。
その旅人に別れを告げてチェックアウトすると、僕は相泊集落を目指してアクセルを踏む。
到着した。
懐かしいお店であったが、前のような生命反応を感じられなかった。
近くにトラックが停まっていたが、お店自体を見るに、改装しているにしては各所に雑さが見られた。
作業している人に、「何の工事ですか?リニューアルですか?」って聞いてみた。
そしたら「ここのオーナーさんが亡くなったので、もう壊すんだよ」とのこと。
えぇーー!!閉店なのですか!あのオーナーさん、亡くなっちゃったのですか!
ショックだ。
どうやらオーナーさんが亡くなったのは2010年のこと。
その後、2011年にお店は閉店し、売りに出されたらしい。
僕がこの写真を撮ったのは2013年のことだったのだが、取り壊し予定ということは、買い手がつかなかったということだろう。
以前記念撮影したときとはデザインの異なる碑。
あのあとリニューアルしたんだね。
しかしその碑が傾いた状態で無造作に置いてあるのが、とても悲しい。
お店を解体してしまうということは、この碑もきっと撤去されてしまうのだろう。
碑はお店の敷地内にあるので、作業の方に立ち入り許可と撮影許可をいただき、碑と共に再び記念撮影をした。
これがきっと最後の撮影になるだろう…。
悲しいけど、グッバイだ。
象徴よ、令和に遺れ
さらに時は流れた。
久々に僕は羅臼に来ていた。
ちょうど「北海道胆振東部地震」っていう大きな地震が起きた直後であった。
もう、お店もあの碑も、無いよね…。
いや、普通にあった。
なんだったら、5年前と全然同じだった。
「解体する」と言っていたのは何だったのだろうか?
手前にはミッチリと車が停まっているが、お店が営業しているわけではない。
寂しいことには変わりは無い。
そうだ、日本最北東端の碑は…!?
あった。
チクショー、ゴミみたいに扱いやがって…。かわいそう、かわいそう。
横倒しになっているし、数年前と比べて明らかに塗料が落ちて色あせていた。
地元っぽい人に、「コイツと一緒に写真を撮りたいのですが、引っ張り出してもよろしいですかね?」と聞いて「いいんじゃない?」的な回答を得る。
よーし、まずはちゃんと立とう。
碑は立っているべきだ。少なくとも今だけは。
うんうん、いいぞ。
初めてここに来た日を思い出すなぁ。
あの日からいろいろ変わっちゃったけどさ、懐かしいよな。
今度こそ最後になってしまうかもしれない。
そう思って記念撮影をした。
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2021年、この地を訪れている人の写真をWeb上で見ると、まだお店もあるし碑もある。
なんだったら、碑はちゃんと立て掛けられていて、このときみたいな邪険な扱いはされていなかった。
しかし、主のいない店の敷地内の碑だ。
いつどうなるかわからない。
日本最北東端の象徴であるこの碑、今後も残存してほしいと強く願う。
未来に命を繋ぐもの
相泊には、食堂も無ければお店もない。
国後島は良く見えるが、人工的な展望台みたいなものもない。
つまり、"観光施設"と呼べるようなものは、僕は知る限りはほぼゼロである。
あえて言うならば、「相泊温泉」だ。
海ギリギリに設置された、コンクリートの小さなプールみたいな温泉。
無料だが、夏期のみ入浴可能であり、満潮時や高波のときには水没する。
夏の一時期のみ簡素な囲いができるが、それ以外はこのようにフルオープンであり、車道からも丸見えだ。当然脱衣所などは無いし、混浴だ。
観光客向けではなく、もともと漁業関係の方々が入るために造られ、地元の人が管理して運営されている。
カクゴがあるなら、ここに入ってみるのもいいだろう。
(僕は入ったことは無い)
そんな中で、僕がオススメするのが相泊川である。
あの『キケン 道なし!』・『この先 行き止まり』の下を流れている川だ。
上の写真のように、橋の下をくぐったら海に注ぐだけの、何の変哲もない川に見えるかもしれない。
しかし、夏の後半から秋には、すごい光景がみられる。
それは鮭の遡上である。
海で暮らしてきた鮭が、産卵のために生まれ故郷の川に戻ってくるという、アレだ。
川を覗き込めば、いたるところ鮭だらけなのだ。
それはもうウジャウジャと遡上している。
わかりやすく、あえて水流が穏やかな場所にいる鮭の写真を数枚掲載した。
傷ついた彼らの身体がわかるだろうか?
ヒレや腹が川底などにこすれて剥離し、真っ白になってしまったりする。
だけども彼らは死力を尽くして遡上するのだ。
水流に逆らってひたすら泳ぐ。
ときどき油断したり体力が尽きて、一気に河口のほうまで流されてしまうものもいる。
残念どころの話ではない。命がかかっているのだ。
しばらく力をためた後、一気に推進する行動を繰り返している。
魚にだってスタミナがあるのだ。
苦しいのだ、きっと。
僕はスーパーの魚を見ても、食材としか思ってこなかった。
観賞用の魚を見ても、「優雅ですね」くらいにしか思わない。
しかし、おそらく魚にも感情がある。
自然の中で生きるっていうのは、こういう厳しいシチュエーションに立ち向かうことなんだ、きっと。
途中で傷つき、息絶える者もいるだろう。
熊のエサになってしまうものもあるだろう。
それでも必死に泳ぐ彼ら。
思わず「がんばれー!」と声が出てしまうが、ずーっと太古の昔から育まれてきた営みなのだろう。
生きるということ、食物連鎖、命をいただくということ…。
子供のときにこの光景を見れたら、さらに感銘を受けていたであろう。
彼らはどこまでいくのだろう。
川は遡るほど勢いが早くなり、狭くなり、そして形状もボコボコで小さな滝のようなところもある。
柔らかい体は、きっと擦り剝けてボロボロになるに違いない。
旅の終着点は、命の終着点。
それと引き換えに、子孫を次の時代に残すことができる。
それは当たり前なのかもしれない。
でも、人の手の全く入っていない命のバトンを目の前で見れるのだ。
なんという貴重な体験なのだろう。
世界自然遺産、知床。
車で行ける限界点は、すなわち手つかずの大自然との境界。
そこで生きるということ・命というものの素晴らしさを感じ取れた。
ここを立ち去る前に、再度冒頭の写真を掲載しよう。
『キケン 道なし!』・『この先 行き止まり』。
僕らが介入していいのはここまでだ。
岬までなんて、行けなくていい。岬まで道路を通すのもおこがましい。
少しだけ、大自然に触れさせてくれてありがとう。
言葉にできない感謝の気持ちで、最果てを引き返す。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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