そうなのだ、あの2011年3月11日の東日本大震災から、もう15年もの月日が流れているのだ。
それは、物心がついていなかったくらいの子も、成人を迎えてしまうほどの時間の流れだ。あぁ、もうそんなに時間が流れたんだな。道理で記憶も少し薄れてきたような気がするぜ。

僕も当時は都心で震災の影響を受けたとはいえ、東北地方で当事者として被災したわけではない。いろんな被災地を巡ったが、それはボランティアとしてだったり、旅人としてだ。残念ながらそういう記憶は少しずつ霞がかかってくる。
ならば、忘れる前にいろいろ執筆しておかないとだよね。
15年目の震災の月に語りたいのは、南三陸町にある「清水浜(しずはま)駅」だ。
まずは気仙沼線を振り返りたい
気仙沼線。
東日本大震災の前までは、石巻市の前谷地駅から、気仙沼市の気仙沼市までを結んでいた鉄道路線だ。
2011年の震災でほぼ全線が被災し、その大部分である柳津駅から気仙沼駅までは壊滅状態となってしまった。この区間においては2026年現在も"鉄道"としての機能は失われてしまっている。

震災後に宮城県の沿岸部を走っていた僕は、目に入った「陸前小泉駅」にショックを受けたよな。思わず車を停めて、土手のような小高い丘にあるその駅に近づいた。
そこにはわずかに、横倒しになった線路が残っており、かろうじてそれが駅であると主張していた。

ホームだったであろうものは、もうグチャグチャで何が何だかわからない。津波の威力がどれだけすさまじいものであったか、これを見ただけで恐ろしくなる。
こんな破壊力を持つ津波に襲われては、家々はひとたまりもなかったであろう…。

国道45号の上に架かる鉄道橋も落ちていた。つまりはあの高さにまで津波が到達したということなのであろう。想像を絶する高さだ。これを予想できる人は少なかったであろう。だからこそ、逃げ遅れて多くの人が犠牲になってしまった。

「大谷海岸駅」に残る線路。日本一海に近いとも言われていた鉄道駅。
僕、震災前この駅で車中泊したこともあったんだぜ。寝起きに駅舎経由で海まで歩いたりもしたんだぜ。それが見る影もない。駅すらない。残るのはわずかな線路だけだ。

その後、この駅は道の駅となった。仮設の道の駅時代から、僕は何度もここに通っている。
復興して少しずつ大きく綺麗になっていく道の駅を見ながらも、それでも『あの日を忘れられない』。忘れてはいけない。そう心に誓っている。
さて、今回の本題である気仙沼線の清水浜駅の存在を知ったのは、震災の後のことであった。震災前の清水浜駅のことは、残念ながら全くわからないのだ。
清水浜駅の存在を知ったのは、以前に上記の記事で書いた南三陸町の復興ボランティアに存在した時のことであった。ボランティアセンターの設けられている「南三陸ベイサイドアリーナ」っていう大きな施設に到着した。
もう6月だというのに雨のせいか上着が必要なくらいで、やっぱ東北は寒いなぁって思ったよな。

雨の中ボランティアセンター開所を待っている間に見つけたのが、ベイサイドアリーナの建物前に設置されていた、「清水浜」の鉄道駅を示す駅名板だったのだ。ここで僕は清水浜の駅の存在を知った。

「なんでこんなところに駅名板があるだろう?」って思った。
清水浜の駅は地図で見るともう少し東だ。気仙沼線の駅のようだが、津波で被害を受けてしまったのでホームの行先板だけここに持ってきたとかなのだろうか…?
僕は現地で僕はそう推測したが、後日調べてみると実際にその通りだった。
このときには「なるほど、そっか」くらいしか思わず、このあとやって来た旅友の「ニコル君」と合流してボランティア活動に専念し、清水浜駅のことはしばらく忘却の彼方であった。
被災した清水浜駅に通う日々
清水浜駅との出会い
少し時が流れた。
2月の寒い日、東日本大震災の復興商店街としては最大規模であり最も有名なものの1つである「南三陸さんさん商店街」を出発し、北に向かっていた。
いつもはこの進路を取るときには国道45号を使うのだが、このときは何の気なしにさらに海沿いを走る県道221号に入ってみた。

狭いしアップダウンが豊富だ。海が近いとは思えないようなワンパクな道だ。しかしところどころではキラキラと光る冬ならではの綺麗な太平洋が見えて心が癒された。
この県道221号を抜けて再び国道45号に接続される直前、ふと左手に破壊された駅があることに気付いた。

手前には車を数台停められる空き地があったので、そこに愛車を停めた。これ以上先は行き止まりっぽいし日陰で積雪もあるので、車での侵入はここまでが無難だ。
上の写真、右手の小高い所にあるのが駅のようなのである。

あぁ…。なかなかに衝撃的な光景だ…。町も近いこの場所で、この規模の破壊の痕跡が、震災からもうしばらく時が経つのにこのように残っているとは。
津波はあの駅舎まで到達したのだろう。白い駅舎の屋根が歪んでいるのが見える。そして、ホームの手すりも、そこに続く階段もグニャリと曲がっている。視線を右にずらすと、少し先で線路自体が崩壊して無くなっている。
ここから線路までの高さは7・8mはあるのだろうか?あそこまで津波が来たんだね…。

ゆがんだ駅舎に目を凝らし、そこに"清水浜駅"と書かれているのに気付いた。
清水浜駅、清水浜駅…。どこかで聞いたことがあるような…。そして前述のボランティアの際にベイサイドマリーナで目にした駅名板を思い出して鳥肌が立った。
あの駅名板の駅がここか…!ようやく点と点が、線でつながった…!これが清水浜駅…!!

ホームまで登れるのであれば登ってみたい衝動に駆られたが、階段には柵があり危険なので上までは行けなかった。当然と言えば当然だ。いつ崩れても不思議ではない、ガタガタの駅だ。

日本一周をする身として、東北地方太平洋岸の国道45号はよく走る。そこから一瞬反れるだけのこのエリアは、非常にアクセスがいい。ならば今後も機会があったらここを訪れ、どのように変化するか見守ってみようか…。
周囲の情景は少しずつ変化する
2017年の春は、旅友「FUGA君」の車の助手席に乗ってこのエリアを走っていた。

三陸海岸エリアは、来るたびにロケーションが変わる。今後の津波を防ぐために沿岸部は嵩上げをしており、標高を数10m上げているのだ。とんでもない規模の大工事だ。
だから上の写真では土の擁壁の間を縫うように走っている。次回来るときにはこの路面自体も左右の丘と同じ高さになっているかもしれない。道路のルートも変わっているかもしれない。そういう規模感だ。

FUGA君に「ここだぜ」と伝えて車を停めてもらった場所は、暖かい季節だからか前回と比べて緑が多く、そしてそのせいかそれとも撤去されたからなのか、がれきが目立たなくなっているように感じた。
嵩上げと並行してこの駅周辺の片付けも進んでいるのかもしれない。

違う角度から撮影した写真がこれだ。車の後方は今までは平地だったのだが、嵩上げによって丘のよになっている。左側には工事中の橋脚がある。崩れた鉄橋をまた架け直す予定ということだろうか?
ただ、BRT(バス・ラピッド・トランジット)という、鉄道の代わりにバスを代替えとする運用が既に始まっており、BRT清水浜駅はここから200m離れたところに存在する。
だとすると、鉄橋は何のために補修しているのだろうか?今後をウォッチしよう。

ホームへの階段については以前と同様であり、むしろさらに朽ちてきているようにも感じた。これらはもう再利用できないね。リニューアルするとしても全撤去になると思う。これが見納めかもしれない。

崩れた鉄橋の向こう側でも嵩上げがされており、盛った土を白いコンクリートで固めるところまで進んでいるのが遠めにわかった。
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また少しだけ時間が流れ、僕は清水浜駅を再訪した。
母親を連れて南三陸エリアをドライブする機会があり、その折に立ち寄ったのだ。

駅舎はほぼ変化なかった。全開で見納めだと思ったけど、また出会うことができてちょっと嬉しい。
敷地内に資材が置かれていることで、なんらかのやる気を察した。マジでそろそろ見納めかもしれない。そして結論から言うと、本当にこれが旧清水浜駅を見る最後となった。

「毎回同じような写真を撮っているな」って思われるかもしれない。
しかしそれは、平和な生活しか知らない人の視点かもしれない。当事者ではない僕にも、今までの何の変哲もない日常がいかに貴重であったかわかったし、壊された日常が少しずつ復興していったり思うようにいかなかったり…。
今、すごくすごく大事な歴史の1ページの中にいるのだ。例え前回訪問時と変化がなくっても、そのことを知る・記録するのが大事なのだ。そう思った。

前回も眺めた、崩れた鉄橋の復旧作業光景。次の橋脚はさらにマッチョになりそうな感じだなって思った。津波に負けない強い橋を作らねばならないのだね。
2025年秋の清水浜駅
あ、しまった。時間が流れすぎた。前回訪問から数年が経過してしまった。南三陸町には何度も訪れていたのだが、清水浜駅はついついおざなりになってしまったのだ。

現在の清水浜駅だ。
僕はこれを見て「あぁ、なんかゴッチリした感じだけども確かに当時の面影があるなぁ。特に階段とか。」って思った。これ、大きな勘違いであった。
実はこれは僕が通っていた鉄道駅の清水浜駅ではない。BRTの清水浜駅だ。BRTの清水浜駅自体も震災からの復旧後に何度か場所を移転しており、3代目となるBRT清水浜駅だ。うわー、なんでこのことに気付かなかったのだろう。お恥ずかしい。
しかし、もう鉄道駅の清水浜駅はGoogleマップのどこにも名前が残っておらず、前述の通り周辺のロケーションも変わったので、何も考えずにサクッとアプローチするのは難しい状態ではあるんだけどね…。

しかしポジティブに捉えるのであれば!
見てほしいこの駅を。先ほども書いた通りだが、以前の清水浜駅とほぼ同じロケーションではないか。数年ぶりの僕が勘違いするほどに。
これが意図的なのか偶然なのかは知らないが、「勘違いした」ということ自体が貴重な体験だ。被災した駅を知る僕だからこそできた体験だ。

そして、あの日に何もわからずベイサイドマリーナで見かけた駅名板だ。
あれがここにそのまま移設されたのかどうかは知らないが、本来あるべきところに駅名板がある安心感よ。あの時の伏線が、これで完全に回収されたと言えるのではないだろうか。

ホームへの階段を登る。
そう、このときはここが鉄道駅と同一だと勘違いしている。つまり僕は「ずっと登れなかった階段を今踏みしめているぞ!」とワクワクしてしまっていた。だからこんな風に足元の階段の写真なんて撮っちゃっている。

ここがホームの上。線路が無いのでピンと来ないかもしれないが、BRT清水浜駅だ。バス専用の道路であり、まさに電車に対する線路と同じような存在だ。乗ったことないからいまいちリアリティのある説明ができなくって申し訳ないけど。

ホームからの反対側の光景。僕は勘違いしているので、「あの日見た崩れた鉄橋、ちゃんと繋がったのだなー」って胸が熱くなっていた。返してくれよ、この気持ち。

BRTって僕にとってはとても珍しいので、いろいろ見て回った。ここは待合室。小さいけども2019年に出来たばかりで新しいので清潔で居心地がよさそうだ。Wikipediaによると1日の平均乗車人数は2人だそうだけどな…。控えめな人数だね…。

ついでに撮影した路線図も貼り付けておく。
冒頭にも書いた通り、気仙沼線は最南端部分の内陸で被災を免れた一部区間を除き、鉄道ではなくなってしまった。だけどもBRTというかたちで、ちゃんと気仙沼駅まで通じている。路線図を見て「あぁ、繋がっている」ってしみじみ感じた。

ホームから愛車の停まる駐車場を周辺を見下ろす。
津波をかぶった痕跡もわかるし、嵩上げした部分もわかる。移転したとはいえ、ここも大変だったのだろう。1日の乗客数が2名というのも、土地柄もあるかもしれないけども周辺から家屋が無くなってしまったという背景もあるのかもしれない。
何をもって"復興"というのか、すごく難しいよね。

…それでも。これで僕の1つのエピソードに区切りをつけられた気持ちになった。これを最後に清水浜駅を訪れることは無いかもしれないが、それで満足だと感じている。
あ、最後に鉄道駅のあった場所がどうなっているか、一緒に見てみる?本来だったらそれを掲載するのが綺麗な締め方だったもんね。

Googleマップのストリートビューから2022年のものを持ってきた。駅舎は無くなり、階段があった場所はしっかりしたコンクリの擁壁になっている。
しかし、駅舎や階段はいつ撤去されたのだろうか…?ストリートビューでは2014年の次がこの2022年であり、8年も一気に時代がワープしている。その間になくなったのは事実だが、それは僕も知っている。もっと絞り込みたかったのに。
Webで調べても明確にわからず、AIに聞いてもわからなかった。
…ま、わからないものはしょうがない。
そもうち記憶からも記録からも失われていく、鉄道時代の旧清水浜駅。あえて個別に取り上げた記事をブログ執筆したくなったのは、そういう経緯でして。
以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。
住所・スポット情報
- 名称: 旧清水浜駅
- 住所: 南三陸町志津川清水浜
- 料金: 無料
- 駐車場: あり
- 時間: 特になし