あの東日本大震災から、もう14年も経つ。僕自身あれだけ鮮明だった記憶も、少々薄れてきたようで危機感を感じている。
だってさ、直接的でも間接的でもあの出来事を体験した僕らは、あの震災のことを忘れてはいけないのだ。ちゃんと次の世代に語り継がないといけないのだ。
だから僕は毎年この時期になると、ブログに東日本大震災関連の記事を執筆している。
上に、我がブログの東日本大震災関連の特集ページへのリンクを貼っておいたので、よかったら見てほしい。なかなかに胸が締め付けられるけども、それもまた大事なことだと思うんだ。
では、今回は震災6年目の3.11に仮設商店街「気仙沼復興商店街 南町紫市場」を訪問した話をしよう。閉鎖間際の、この商店街にとっての最後の3.11のお話だ。
粉雪舞う巨大仮設商店街
2017年3月11日。この日の僕は、岩手県から宮城県まで海沿いを南下するドライブをしていた。
つまりは東日本大震災で一番被害の大きかったエリアだ。そこをこの日に走行し、あの日を振り返ると共に現状をこの目に焼き付けておこうと考えていたのだ。

粉雪が降ってきた。今日は快晴だったり雪が降ったりと、天気がコロコロ変わる。風が強く、雲が現れたり消えたりなので、それに伴って天気も急速に変化しているのだろう。
気仙沼はまだまだ荒れ地が多いものの、主要道路は嵩上げされた丘の上を通っており走りやすい。ここ1・2年で嵩上げ工事がググっと進んだね。走るたびにルートが変わっていて戸惑うけど。

14時、気仙沼復興商店街 南町紫市場の駐車場に到着した。
いろんな仮設商店街を巡ってきたが、実はここを訪問するのは今回が初めてだ。だが、2017年の4月、つまり来月で閉所がすでに決まっている。もう震災から6年。各地の仮設商店街が次々と閉所している時期なのだ。
最初で最後の訪問。だけども3.11という節目の日に来れたのも何かの縁だよね。さらに言えば、もうすぐ震災発生時刻の14:46なのだ。ここでみんなと共に発生時刻に祈りを捧げるよ。

第一印象は、かなり大規模なんだなっていう点だ。これまで見て回ったどの仮設商店街よりも大きいかもしれない。2階建てだし何棟もあるし。
気仙沼の中心地だからであろう。でも、裏を返せばこれだけのものを作らないといけないくらいに被害が大きかったってことなのだろうか…。
ワクワクしたらいいのか切ない気持ちになったらいいのか、感情がごちゃごちゃになる。

この商店街は、震災の年である2011年のクリスマスイブにOPENした。近くの高台にある、津波からの避難の際にも活躍した「紫神社」から名前を取ったそうだよ。
もともとは震災1ヶ月後くらいに始まった青空市場的なものから始まったんだって。それが今では52店舗で7棟にもなった。すんごい規模。

それぞれの棟に「イ」~「ト」の、いろは四十七文字が割り当てられている。上の写真は「ロ」だね。
内部を歩いてみた。八百屋さん・美容室・服屋さん・刃物屋さん・そして酒屋さんなど、なんでもある。観光客向けではなく、まさにここに生きる人たちのための商店街だよな。ここだけで生活を完結できるレベルだ。
そりゃそうだ。何もないところから、被災した人が生きるために作られた商店街なのだから。

…だけども人、少ないね…。
正直3.11のこの時間なのだから、もっと追悼イベント的な感じで活気があると思っていた。今現在においては相当に人がまばらだ。
だけどもTVカメラはスタンバイしているのを発見。2社いた。どうやら離れのエリアのステージで、もうちょっとしたらイベントを実施するそうだ。なるほど。つまりは震災発生時刻の14:46に合わせて何かやるのだな。

ここが離れの建物だ。デカい。
14:46まであと30分近くある。何をしようかな…。
6年目の追悼イベント
震災発生の14:46まではあと30分ほど。その時間にはここにいたい。
それまでにランチを済ませる策もあるけど、この商店街はあまり観光客向けのお店が無い。僕はどうせだったら海鮮丼とか、ベタなものを食べたいのだ。
この記事を執筆している2025年現在だったら「海鮮よりも地元の人がいつも食べているものの方がいいでしょ!喫茶店!レバニラ炒め!ラーメン餃子!」って言うだろうけど、この時はまだ青かったのだ。

ところでここから1・2kmのところには「復興屋台村 気仙沼横丁」っていうプレハブの食事処が集まった横丁があるんだけど、そこまで行ってまたここに帰ってくるのは時間的に厳しそうだ。
しかもだ、昼を大きく回っているというのに実は僕、お腹が減っていないのだ。今朝に岩手県盛岡で食べたじゃじゃ麺がボリューミーすぎたのだ。
じゃあランチ食べなきゃいいじゃない。プラプラしていればいいじゃない。なるほど、結論が出た。

20分ほど、駐車場の車に戻ってヤボ用を済ませておいた。
14:30を回ったた。震災発生時刻まではあと15分ほど。ここいらでステージを見に行ってみるか…。
うん、人が少ない。お客さん的なポジションの人は10人くらいしかいない。
どうしたどうした、大丈夫か気仙沼。粉雪もまた降ってきて、僕は身震いした。

ステージでの献歌が始まった。歌ってくれているのはロックボーカリストの「朴保さん」という人らしい。魂のこもった歌だ。人も30人くらい集まってきたぞ。

しかしだ。付近の商店から有線BGMがガンガン流れているので、朴保さんの歌がかき消されちゃうんだよね…。せっかくいい声で歌っているのに。商店街のBGM、止めればいいのに…。
あるいは、僕がもっとステージに近付けばいいのかもしれないけど、あくまでアウェイなので遠巻きで聞くのみにとどめている。

次は復興商店街理事長による挨拶。ここでBGMも止まった。各店舗からも従業員の人たちが出て来たし、付近の人もステージ近くに集結する。
震災が来て、全てが失われて、それでも立ち上がってきた人々の歴史。非常の心のこもったスピーチ。
この復興商店街は、来月末で閉鎖となる。今年が最後の3.11なんだ。最後のメモリアルイベント。もともと縁もゆかりも無い僕だけど、今日のこの時間にここにいるってことを大事にしたい。

運命の14:46。
町にサイレンが鳴り響く。僕らは理事長の合図と共に1分間の黙祷をする。
色んな思いが去来する。
もう6年だけど、まだ6年だよね。この先、どれだけ長い道のりを歩むことになるのだろう。でも、進まなければならない。未来を見れなかった人たちのためにも。
雪がチラチラと降り続けている。凍えるほどに寒いけど、これもまた思い出。

続いて「GONZA&FRIENDS」っていうゴスペルチームの追悼のゴスペルソング。
横浜を中心として活動している有志のチームで、この2日間各地の被災地を回って歌を届けてくれているんんだって。力強い歌声、沁みた。

僕は出発する。
南町紫市場、フォーエバー!来月の閉所までもうひといき頑張ってね!そしてみなさん、よい未来を!
次はすぐ近所の「復興屋台村 気仙沼横丁」に行ってみよう。さっき「30分でご飯を食べて戻ってこれないかな…?」って一瞬考えたスポットだ。

荒れた道を、僕は走り出す。
復興屋台村 気仙沼横丁
一瞬で到着した。
ここは観光客向けなテイストも強そうな雰囲気の、食事処の集結した仮設屋台村だ。

何かめぼしい食事処はあるだろうか…。
正直、まだ盛岡のじゃじゃ麺がお腹にいる。既に15時を回っているのに全然お腹が空かない。
でも、記念にどこかで何かを食べたいなって思いがあったのだよ。この地にお金を落としたかったのだよ。何よりこの屋台村は2017年3月20日、つまりはあと9日間で閉所なのだよ。これが最初で最後なのだよ。

屋台村を歩き回る。
うん、想像通り軒並みクローズだ。中にはもう閉鎖間際なのでお店を畳んでしまっているところもある。調べたところ、多くのお店のランチ営業は14:00までだったみたい。
そりゃそうだよねー…。そんなもんだよねー…。

残念ながら、ここではご飯は食べれないな。夕方の営業も17:00からだそうだし。そこまでは待てない。暗くなるころには県内の石巻市まで走り、そこでの被災地のイベントを見たいのだ。
せめて商店を歩き、この雰囲気だけでも感じ取っておこうじゃないか。6年間の歴史の終わり、見届けようじゃないか。

お店はやってないからわからないけどさ、なんかどこも美味しそうだしこだわってそうだし、愛されているお店が多そうな気がする。この屋台村は閉所してしまうが、このお店たちの大半はどこかの新天地で第2の人生を歩むのだろう。
だから今回のタイミングでは入店できないが、どこか遠い未来で再び会えるかもしれないね。

「6年間 皆様 感謝 ありがとう」
"感謝"と"ありがとう"という重複された言葉が胸に刺さる。
大事なことだから2回言うよね、うむ。

こうして僕は気仙沼を出発し、再び被災地を南下する。
このとき立ち寄った他のスポットの話は、また機会がございましたら。
※気仙沼復興商店街 南町紫市場は、その後「南町紫神社前商店街」として本設の商店街となりました!めでたい!!
以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。
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