この記事の結論をあらかじめ言うのであれば、「なにがなんだかわからない」だ。
僕は必死に頭を回転させるが、真実には到達できなかったのだ。
だが僕は、「結果」だけを求めてはいない。
結果だけを求めていると、人は近道をしたがるものだ。
近道すると、真実を見失うかもしれない。
大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている。
はい、どこかで聞いたようなセリフを偉そうに吐いたところで本題だ。
僕は山梨にあるという日本の中心を探しに行く。
これは実際に現地を踏み、そして日本の中心である根拠を理解しようと奔走した、僕の冒険である。
第1章:南宮大神社、「日本列島の臍」
臍を示す巨大パネル
国道20号を走ると見えてくる、丘の遥か上の鉄塔。
僕は知っている。あの足元に日本の中心があるということを。
僕は覚えている。日本の中心を巡っていた頃の、懐かしい日々を。
はい、なんだか日本の中心がたくさんあるかのような書き方をしてしまった。
しかし事実なのだ。
実は日本の中心って、いっぱいあるのだ。ぶっちゃけ30箇所くらいある。
詳細については上記リンク先の【特集】をご覧いただきたい。
日本の中心の定義って曖昧で、定義次第で無数に乱立しているのが実状なのだ。
そしてこの無数の日本の中心を全部巡ってみたいと夢見ているのが、この僕だ。アホでしょ。
今回は、日本3周目・4周目・6周目のエピソードをマージしてお届けする。
国道20号を反れて、「金閣寺」みたいな建物を見てから丘を登り、やや複雑な住宅地をウネウネ走って来たのは、「南宮大神社」。
この南宮大神社が第1章のキーワードだ。
特に何の変哲もない、ごく普通の神社に見える。
目の前の道の交通量はそこそこあるが、誰も神社に見向きもしないし、境内も無人だ。
すぐ横の施設で行われていた桃祭りみたいなのには、そこそこ地元の人が来ていたけどな。
しかしぼくは桃には興味なし。
目的は神社だ。正確に言うと、神社の車道に面した石垣部分だ。
日 本 列 島 の 𦜝(中心)
見よ、この堂々たる「日本列島の中心」の文字を!
あ、「𦜝」は環境依存文字なので、ここ以外の本文中は「臍」と書かせてもらうね。
それとなんだか「(中心)」の文字が小さすぎて切ない気持ちになるんだけど、どうしたんだろう。
写真のフレームに納めるだけでも苦労するスケールだ。
写真の一番右に「大草」というパネルがあるのも見えるだろうか?
これは韮崎市大草町を示している。
大草という単語は終盤にも出てくるので、覚えておいてほしい。
僕はこの大看板を見たかったのだ。
道行く人々はそんな僕を不思議そうに見ているが、僕はこの看板を見れて感無量なのだ。
臍の石碑と神社の境内
あともうひとつ、ここにはごちそうがある。
「日本列島の臍」の石碑だ。
さっきの大看板とこの石碑、日本の中心を示すシンボルが2つもあるのだ!
それをデカデカとアピールしている!
道行く誰も見ていないけど!
2022年現在は、この石碑はちょっと輝きが失われている。
しかも周囲の草に飲まれそうになっている。がんばれ石碑。
この石碑の右手には、ここが日本列島の臍であることを説明している看板が立っている。
ちょっとズームしよう。
なかなかに年季が入った看板だ。
そして残念なことにこの角度からだと文字の一部が読めない。
あとから後悔したのだが、なんとしてでもよじ登って読めばよかった。
これ、終盤に大切になるのだ。
つらつらと説明書きがあるが、ここの読解も終盤にゆだねよう。
…これらいずれも、車道に出て境内の外から眺めたものだ。
じゃあ境内はどうなっている?
なにか日本の中心絡みのいいもの、あるのかな?
結論、ない。
簡素な社殿を眺め、落ち葉を踏んだだけだった。
おかげさまで住宅地の中の静けさを堪能できた。
神社について書かれた説明板もあったが、日本の中心については一切触れられていなかった。
書き起こすのが面倒なので、説明板の写真をここに貼っておく。
興味があったら拡大してほしい。
あ、1つ大事なものが、これまた車道沿いにあるのでお見せしたい。
日本列島の臍を示す看板だ。
ゴメン、混乱させちゃったよね。
「今いるここが日本の列島の臍のはずでしょ?なんでもうひとつあるの?」って、思ったよね。
僕も初回訪問時はそう思った。
だからご説明しよう。
本来の日本の中心はこの南宮大神社ではなく、この看板の指が指し示す900m先の地だ。
しかしそこがあまりに辺鄙なので、南宮大神社にりっぱな石碑や看板を作ったのだ。
なるほどなるほど。
確かにここは立派に日本の中心の1つと言えよう。
ただしここまで来たなら、本来の日本の中心を踏まないとだよね!
第2章:果樹園のど真中、「日本列島中心の地」
かつてのそこはラビリンス
この第2章で向かうスポットは、「日本列島中心の地」と呼ばせてほしい。
案内標識には「へそ・へそ・へそ…」って書いてあるが、現地の看板は"日本列島中心の地"ってなっているので。
かつての僕は、この日本の中心を目指して右往左往した。
2022年現在は各所に標識があるが、かつてはほとんどなかったのだ。
初回訪問時は、50分近く探したさ。
当時の情報はWebにもほとんどなかったのだ。
さらに当時の愛車にはカーナビすらついていなかった。
行ったりきたりして、「日本のへそ 500m⇒」までは行き着いたんだけど、そこから先がまた案内が無くてわからない。
すごい民家の隙間だし。
それを抜けたら果樹園だし。無限果樹園。
車で20分ほどグルグルしたあげく、路駐して歩いてみた。
僕の愛車は巨大な日産サファリという車でで小回りが利かないので、歩いたほうが視野が広いような気がしたのだ。
でも見つからない。
困ったので、そこいらの民家に人に聞いた。
どうやらすさまじく微妙なところにあるらしい。
「鉄塔を目指すんだよ、鉄塔を。」って言われた。
「鉄塔を…、目指すのですか…?」ってアホの子のように復唱した。
果樹園の中にある、この鉄塔を目指せっていうのだ。
日本列島の中心地は、この鉄塔の足元にあるらしいのだ。
教えてくれた民家おじさん、この鉄塔は国道20号や国道52号からも見えると言っていた。
このあと知るのだが、まさにその通りであった。
僕は「日本の中心を巡っている者です。日本3周目です。」みたいに経緯を説明してから歩いて行こうとした。
すると民家のおじさんが「大丈夫!車で行けるよ!道も新しいし!」と言う。
一度車を取りに数100m歩いて戻った。
改めて乗り込み、果樹園の中を走りだす。
ま、初回はここでもう一度迷ったよね。
果樹園の中を縦横無尽に走る作業者用の道路。そこをさまよう。
案内や標識等もないからグルグル。
富士山の眺めの綺麗な果樹園の中を冷や汗かきながらグルグル。
切り返すポイントも無くって泣きそう。
そんな中で見つけた鉄塔は、まさに羅針盤だったよね。
おじさんが伝えたかった鉄塔、見つけたよ。よかったよかった。
中心地はバージョンアップする
では、現地の様子をご紹介しよう。
まずは駐車場はない。…だけれども路肩にスペースがあるので、そこに停めさせてもらうとする。
鉄塔のほぼ真下、写真中央の説明板があるところがゴールだ。
その目の前まで愛車で行くことができる。
ちなみに2022年現在は、この写真の擁壁の上にはミッチリと木々が植えられている。
最新映像はこんな感じだ。
例の説明板を拡大表示してみよう。
さっき南宮大神社で見たものと若干デザインは違うものの、内容はほぼ同一である。
内容の読解はこれまた次章に回そうと思う。
ところで、日本6周目でアプローチして気付いたのだが、このスポットはバージョンアップしている。
まずは説明板がリニューアルされている。
『南アルプスユネスコパーク』のログが追加されたのが、主な変更点だ。
もう1つは、説明板の脇に「日本列島のへそ」と書かれた小さな石碑が造られた点だ。
これは嬉しい。
今までは看板しかなかったのだが、キチンとした碑ができたのだから。
ただ、「日本列島のへそ」って書いてあるね。
僕は今まで説明板に従って、ここのことは「日本列島の中心地」という名称だと思っていたのだが、もしかしたらそれは概念であって名称ではなかったのかもしれないね。
そもそも南宮大神社での石碑も「日本列島の臍」だったしね。
…でも、このブログではこの果樹園の石碑は「日本列島の中心地」と呼ばせてほしい。
南宮大神社のものとの区別のためにも。
ややこしくてすまない。
石碑の頭頂部には、ここを中心とする十字マークがついていた。
日本の中心を表しているのだろう。
ここからの眺めはなかなかだった。
遠くには、先ほど走っていた国道20号が見える。
さっきはあっちからこっちの鉄塔を見上げていたのだな。
日本列島の中心地は、こうして丘の上に聳えている。
第3章:日本列島の臍ってなんだ?
さて、なぜゆえここが日本列島の臍なのか。
この章ではそれにスポットを当てる。
根拠は、南宮大神社にも果樹園の中の日本列島中心の地にも書いてあったな。
まずはちょっと古いものだが、日本4周目・5周目に果樹園の中で撮影した説明板を掲載しよう。
日本列島の中心地
国土地理院の計算を基に日本列島の中心はこの地であることが判った。
北緯三十五度四十一分二十七秒
東経百三十八度二十七分四十秒
日本列島の最北端の稚内市と最南端鹿児島県佐多岬の二点を円で囲んだ中央が日本の最東端・南鳥島と最西端与那国島との中心の経線と交差する地点がこの地である。
地元ではここを日本列島のへそと呼んでいる。
大草公民館
…なかなかに複雑な理論である。
句点がないことで、文書の切れ目がわかりづらくって相当に頭を悩ませた。
どういうことなのか、読解してみよう。
この文章は、それぞれの定義から定めた2点をさらに結合させて日本の中心を求めている。
このように前者をA地点、後者をB地点と呼ぼう。
A地点を考える
まずはA地点についてだ。
片方は町で、片方は岬。
定義を揃えるなら両方町(稚内市と南大隅町)とするとか、両方岬(宗谷岬と佐多岬)にすればいいのにね。
そもそも稚内市とはどこを指すだろう。
稚内市役所かな?普通に考えればそうなるかな?
いずれにせよ、日本の中心を北緯・東経…と正確に表記しているからには、基準となる稚内市も「面ではなく点」で定義されているはずなのだ。
次に、特定の2点を含む円の定義について。
実際に描いてみればわかると思うが、そのような円は無限にある。
「稚内市役所と佐多岬を直径とする円」であれば1つだが、もはやそれは円である必要はなく、「稚内市役所と佐多岬を結ぶ直線」と書いた方がいいけどな。
無数にあるがゆえに、その円がどのようなものなのかは、正確にはわからない。
もうこの際だからうまいこと描いて、この円の中央にここ大草町が来るようにしちゃえばいいのにな。
それで「はい、中心はここ大草町でしたー!」ってすればいいじゃないか。
…とならない理由がたぶんある。
その概念、ほとんどそのまま群馬県の「日本の臍」と同じだからだ。
このままだと群馬県から「パクリやがって!うまいこと少し違う円を書きやがって!」ってなり、泥試合になる。
だから、無理矢理もう1つのエッセンスを追加したのだ。
知らんけど。
B地点を考える
次にB地点だ。
町でもなければ岬でもない、島という第三の概念が登場した。
稚内市とのときと同じく、同じくこれらの島どこを計測の基準としたのだろう?
つまり、どこを基準としたのか僕には推測できない。
説明板には、『日本の最東端・南鳥島と最西端与那国島との中心の経線』と書いてあったな。
南鳥島の方だけ「・」が挟まれているのが気になるけど、まぁいっか。
A地点は円であった。
つまりは縦方向と横方向を加味して導き出した。
しかしB地点は「経線」って書かれている。つまりは横方向のみからの算出だ。
なんだその相違は。
確かに与那国島と南鳥島の緯度はほぼ同じだけども、多少が違う。
ここで僕は気付くのだ。
「Bは点ではない、線であると」。
うおぉぉ、すごいことになってきた。
B線は、南鳥島と与那国島を結ぶ中心点から真っすぐ上に伸びる経線!
この図に先ほどのA点を加えると…!
マジかよ!
何が何だかわからねぇ!!
…ってワケではなく、ギリギリわかったけど、腹落ちしねぇ!
なんて難解な図式を考えたんだ!
それでも根拠が判明し、よかったよかったって枕を高くして寝ることができた。
そんな安眠が妨げられる日が来るとは、露知らず…!!
概念はひっくり返る
2022年の夏のある日である。
僕は夏にこの日本列島のへそに行ったときの写真を見返していた。
「いいドライブだったなー」とか、ほんわかした気持ちで見ていた。
そこで戦慄が走った。
なんか根拠が変わってる!
「経線」であれば線だ。B線と表記した通りだ。
しかし「経緯」となると、それは点だ。B地点復活だ。
前項でも出てきた、B地点である。
A地点とB地点から日本列島の臍を導きだすには、ここから「経緯が交差する中心地」を求めるんだって…?
読めば読むほどわからなくなるフレーズ。
しかし、これは「頭痛が痛い」とか「骨折が折れた」と同じだ。
経緯が交差と中心地、絵に描けばどちらも同じ点を示すとわかる。
ただしご愁傷様。
この理論だときっと日本列島の臍、太平洋に沈む。
これはここ数年で説明板をリニューアルした際に、「経度」を「経緯」と誤記したのではなかろうか。
もし本気で「経度」を「経緯」にしたのであれば、日本列島の臍の位置が同じなのはおかしい。
「日本列島の臍の位置が変わる」のか、それとも「今まで長年表記をミスしていて実は"経緯"って書きたかったんですー」のどっちかだ。
ここまでの3案を整理しよう。
- 今回、「経度」を「経緯」と誤記した
- 今まで「経度」だったが、「経緯」に概念を変えた(←日本列島の臍の位置が変わっていないのでありえない)
- 今まで、「経緯」だったところを「経度」と誤記していた
「1」か「3」だ。
しかし「3」もありえないと推測する。
大草町に日本列島の臍を持って来るには、A地点は遥かロシアにならねばならない。
稚内市と佐多岬を結びながら、そういう正円を描くのは不可能だ。
どうしても無理矢理な楕円になってしまう。
そんなことやったら、マジでなんでもありの世界になってしまう。
B地点方式は無理。
B線としないと無理。
残る可能性は、「1. 今回、「経度」を「経緯」と誤記した」だ。
これは僕1人で考えて見ても推測の域を出ない。
公式の見解を得て、ついに謎は…
ブログに掲載させていただくことを明記の上、僕は韮崎市に問い合わせをした。
一部を以下に抜粋する。(本当はもっと文章は長い)
◆質問①
「二点を円で囲んだ中心点」とは、どのような意味でしょうか。
任意の2点を含む円は、理論上無限にあります。
従い、その中心点も無限にあります。
「稚内市と佐多岬の緯度の平均値」であればとてもスッキリするのですが認識に齟齬ございますでしょうか。
(これを「A点」と定義する)
◆質問②
「日本の最東端・南鳥島と最西端の与那国島との中心の経緯が交差する中心地」についてご確認です。
私の解釈ですと、南鳥島と与那国島の経緯度の平均を求める。(これを「B点」と定義する)
前項「A」と本項「B」の経緯度平均をさらに求める。
そのスポットが「日本列島の中心地」…と読み解いたのですが、認識に齟齬ございますでしょうか。
◆質問③
「日本の最東端・南鳥島と最西端の与那国島との中心の【経緯】が交差する」とあります。
しばらく前に現地に設置されていた看板には【経緯】ではなく【経線】と書かれていました。
このポイントが「質問②」の定義の通りに算出されているのであれば、緯度を含むかどうかでポイントがズレます。
現在ポイントがズレていないということは、昔の看板が誤記だったということでしょうか。
上記はあくまでB点理論ではなくB線理論だ。
これを肯定されたら、日本列島の臍は太平洋に沈む。どんな回答かな。ワクワク…。
結論から言う。
「わかんなかった」。
観光協会の人が過去の資料を漁ってくれ、さらに説明にも記載のある大草公民館という看板設置主にも問い合わせをしてくれた。
だけれども、日本の中心と定めた詳しい経緯について明確な答えが見つからなかったのだ。
わからないものはしょうがねぇ…。
僕の推測も推測の域を出ることができなかった。
ただ、いくつか補足情報として判明したこともある。
冒頭にある、『国土地理院の計算を基に…』の部分。
最初の文章を読むと、あたかも国土地理院がこの日本列島の中心地を定めたかのように読める。
しかしこれは、『初期(明治19年)の国土地理院の三角点から、韮崎市大草町が定めた日本列島の中心地』という意味だったそうだ。
それから、これら各所への看板や石碑の設置。
それは今からおよそ30年前のことらしい。
…ということは、1990年代初頭だろうか?
きっかけとしては、当時の民放テレビにて、『韮崎市大草町がちょうど日本の中心地だ』という内容の放送があったからだそうだ。
そこで地域活性化に役立てるため、当時の大草公民館が中心となって看板の設置をしたそうだ。
これで韮崎市内には、日本列島の中心地がここである根拠が眠っていないこと納得した。
これ以上突き詰めるには、当時のTV局を特定し、そこに問い合わせるしかないのだな。
…及び、もう少し僕の推測に真実味を満たせるのであれば。
この経緯度は「A地点・B地点の経緯度が何であれば導き出せるのか」を逆算すればいい。
だけれども、僕の活動はひとまずここまでとしよう。
続きは興味があれば、画面の前のあなたにお任せしたい。
韮崎市の観光協会の皆様、そして大草公民館の方につきましては、誠にありがとうございました。
謎は解けなかったけど、そして理屈はすごく強引な気もするけど、そんな日本の中心があってもいいと思う。
「結果」だけを求めてはいけなない。
大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている。
そして、ここ韮崎市で使った時間がとても充実したものであることに感謝する。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
住所・スポット情報
南宮大神社
日本列島の中心地