どいつもこいつもさぁ、「富士山」を見せておけば日本人は喜ぶと思っていやがる。
正解だよチクショウめ!富士山最高だろ!
この国に富士山が無かったら、それはもう日本とは呼べないだろ!
…では、今回は富士山の絶景スポットを訪問する話だ。
そのスポットの名は「薩埵(さった)峠」。
名前を知らない方もいるかもしれないが、そうであってもここからの写真をどこかで見たことがある方も多かろう。
間もなく冬が始まろうとする日。
早くも沈もうとする太陽に照らされて赤く染まる富士山。
それはもう、息を飲む美しさだったよ。
東名高速はドラマティックに
今回の舞台がどこにあるのか、最初に頭に入れておいていただきたい。
…ここである。
ちょっとこの縮尺だと富士山は入らなかったな…。
ちなみに富士山は北東(右上)の方角にある。
そこそこの距離はあるものの、海を挟んだ向こう側に富士山が見える点もこの峠の素晴らしさの1つだ。
もう少し拡大しよう。
薩埵峠、東名高速道路に面していそうだがそうではなく、海沿いを走る国道1号に面してそうだが、そうでもない。
2次元的に考えればメッチャ近所なのだが、この辺りは海ギリギリまで山が迫り出している地。
薩埵峠はそんな海を見下ろす山の中腹にあるのだ。
どれだけその山が険しいのかは、上の地図にてまともな道路が東名高速と国道1号しかないことからおわかりいただけるであろう。
大金積んでドカンと作ったこの2本の道路以外は開通困難なレベルで山深いのだ。
だからアプローチもひと癖ある。
そのようなヘビーでちょっと人を寄せ付けない立地ではあるが、東名高速道路でこのエリアを走ったことがある方はみんな、この薩埵峠の片鱗を味わっているはずだ。
あえて100mほど手前のシーンをGoogleマップのストリートビューから拝借した。
愛知県側から神奈川県側に向かう、東名高速道路。
これまで山しか見えなかったエリアから、トンネルへと入る。
そのトンネルを抜けた瞬間、進行方向の眼下に太平洋が広がり、続いて雄大な富士山が姿を現す。
…東名高速道路で屈指のドラマティックな場面だ。
よかったらその感動を一緒に味わうべく、上のストリートビューをあなた自身の操作で2・300m進んで見てほしい。
このトンネルの名前、ご存じか。
「薩埵トンネル」だ。
ここを走った人、脳が記憶したかどうかはさておき、トンネルの銘板が目に入っていたはずだ。
そしてこのトンネルの上のさらなる高みから絶景を眺めるのが、薩埵峠なのだ。
あえての由比側攻略
国道1号線を西に向かって走っていた。
助手席から「後ろに富士山が見えてきたよ!」と声が聞こえた。
ただ、運転席の僕が見えるはずもなく、撮影だけ頼んでおいた。
ここ数時間、雲の中にお隠れ遊ばせていた富士山が、ちょうど姿を現したのだ。
やった。
富士山の見えない薩埵峠を目指すことに残念さが滲みだしていたところだが、これで僕の人生は盛り返せる。
さぁ、ここから薩埵峠に登るぞ。
ルートは東西の2つある。
- 東ルート(由比側):距離長く道狭く激坂。擦れ違い困難。
- 西ルート(興津側):距離やや短く、ややなだらか。擦れ違いなんとか可能。
あなたは東西どちらがお好みか。
ちなみに僕は、もう既に東からニョロッと狭路に入り込んだ矢先だ。
国道1号を反れて一本山側に入っただけで、信じられないほどのローカルな世界観が始まるぞ。
距離にして、ここから3㎞ほどであったろう。
しかし、なかなか印象深い3㎞であった。ワクワクドキドキの充実した時間をありがとな。
国道1号から山側に、100mほど狭い登り坂をウオンウオン言いながら上る。
愛車の日産パオは馬力が無く、既にもういっぱいいっぱいだ。
すると上の看板だ。左に2.9㎞で薩埵峠とのことだ。
この先は、家の立ち並んで歴史のある狭い街道エリアと、ミカン畑を掠めるローカルなエリアとかが小刻みに連続する。
このくらいであれば、以前の愛車のHUMMER_H3でもなんとか行けるかもしれない。
擦れ違いもまだできそうだ。
ついでに鉄道の東海道本線がチラリと見えている。
この東西を結ぶ大動脈の3つをギュッとまとめてここに通さねばならないような立地なのだ。本当に海ギリッギリに作ったのだ。
この3本はすぐ左手に見えてはいるが、あっちとこっちを直接繋ぐ道は極めて少ない。
こちらのほうが、もうかなり標高が高いからだ。
圧迫感のある家の隙間を通っていく。
今でこそ海側に国道1号があるが、この道こそが古くからある東海道だ。
ずーっと昔から、物流・旅人、何もかもがこの道を利用していたのだ。
右側の山肌がえげつない。もともと右から左にかけて、すっごい斜面なのだ。
そんな中をクネクネと街道が通っている。
「なんだかんだで、あんまり傾斜は無いではないか」と思われるかもしれない。
まぁそれも今のうちだ。
この先の狭路や激坂にビビったところで、ちょっと車を停めて徒歩で行けるような駐車場はもうないぞ、たぶん。
いきなり目の前に現れた壁に、僕は一瞬「マジかよ…」って車を停めた。
なかなかにゴキゲンな角度だ。
「左に反れる道が正規ルートであってほしい」と祈ったが、薩埵峠を指す標識はしっかりと右側…ってゆーか上を示していた。
坂もすごいし擦れ違いは100%無理だな。腹くくるか。
記念にGoogleマップのストリートビューからも、同じ場所の写真を掲載しておこう。
「狭い狭い」と言いながらやってきた道が、いきなりさらに半分くらいの狭さになるわ、天空に向かい始めるわで、笑い止まらんですワハハ。
激坂・激狭、目指せ天空!
とんでもない斜度の坂だ。
非力な愛車のパオが「わ"ーーーッ!!」って聞いたこともないようなエンジン音を出している。
僕もだ。「わ"ーーッ!!」と叫んで共鳴した。
すごいな、パオでこの坂を登れるということは、世の中の軽自動車であっても大概は登れる。
どんな車も大抵は薩埵峠まで行けるということだ。
ゆっくりゆっくり登っていく。
無理したら本当に、パオちゃんが事切れる。
一気に随分高いところまで来た気分だ。
ただ、道は細いしガードレールが無い。
これもし対向車来たら、僕は左に目いっぱい道を譲り、そして太平洋に転げ落ちるだろう。
左側を覗き込んでみた。
ごらん、東名高速がもうあんなに下に見えているよ。
なんかゾクッとするような怖さと美しさよ。
ガードレールが出てきた。少し心が軽くなる。
だが道は狭い。
途中でミカン畑の作業をしている軽トラの脇をギリギリで擦り抜け、そして道の端に置いてあったであろう作業棚が壊れて倒れている脇をもっとギリギリで擦り抜け…。
このくらい道幅があるとホッとする。
斜度もさっきのようにアホみたいなレベルだったのは200mほどであり、その後は安心して走れるレベルとなった。
ただ、まだまだ標高は順調に上がっている。
東名高速道路がミニチュアみたいになってきたので、それが理解できた。
よくご覧いただきたい。
もうこの辺りは海沿いの平坦な土地がなくなっちゃっているので、地面は鉄道や国道1号に譲り、東名高速は海上を走っているのだ。なんてこった。
もうすこし西(右側)を見てみよう。
この角度を見れるのは当然、由比側からのアプローチ時だけである。
国道1号は険しい薩埵峠をギリギリ迂回して海側を擦り抜ける。
東名高速は勢いよく山肌に突き刺さっているように見える。
そうなのだ。
かろうじて見えてはいないが、画面右端に冒頭でご紹介した薩埵トンネルの東側出口があるのだ。
トンネルを抜け、海に飛び出た車たちは、眼前に聳える富士山にことどとく感動するのだ。
そんなおめでたいスポットが見えている。
さぁ、もう少しだ。
時刻はまだ15時台だが、この時期の日没はとんでもなく早い。
太陽はもちろん薩埵峠の反対側に隠れてしまっているが、東側の富士山が夕日に照らされているうちに絶景スポットに到着したい。
ようやく駐車場、見えてきた。
ゴールだ。
1台分だけ駐車場に空きがある。満車だったら泣いていたところだ。よかった。
ミカン無人販売と遊歩道
ミカンの木に囲まれた小さな駐車場に到着した。
たぶん駐車可能台数は8台か9台。なかなか狭い。
駐車場内にトイレがあるのはありがたい。
絶景展望台に行くには、ここから遊歩道を徒歩で数分だ。
車道から見ると駐車場を挟んで反対側。
富士山とは逆側に歩くのだと覚えておいてほしい。
遊歩道の入口にはミカンの無人販売所があった。
時間はちょっと前後するが、ここでミカンを記念に購入した。
『おいしいよ ありがとう』
『あまくておいしいよ ありがとう』
『みかん 1袋200円』
こんなにありがとうを繰り返す人の造るみかんが、おいしくないわけないですよね。
買うさ。
1袋に5個入っていた。
僕はミカンの善し悪しはわからない人間だが、後程食べた同行者が「おいしい」と言っていた。
その言葉だけで充分だ。
土地が瘦せていても、傾斜地でも育つのがミカンだ。
だから激坂の土地でミカンを見ることが多い。伊豆とか山口とか愛媛とか。
ミカンの特産地は激坂が多い。
これ覚えておくとお得。
駐車場からの眺めは悪くは無いのだが、高速道路や国道1号がほとんど見えない。
富士山の前に広がっているはずの海もあまりよく見えない。
やはり展望台に急がねばならない。
遊歩道の入口には木の杖が用意されていたが、健常者であれば不要と思う。
道はほぼ平坦だし、サクサク歩けば3分ほどだからだ。
こんな感じだ。よく整備された遊歩道。
しかし実はこれが東海道だ。
この遊歩道は由比側とは反対である興津側の下界からずーっと続いているのだが、それこそが東海道。
東海道は駐車場を経て、ミカン畑の激坂を降りて、僕の今回のレポートの冒頭に繋がるのだ。
Googleマップで追いかけると、この遊歩道や興津側の下界の住宅地の中をクネクネと進む東海道の表記が見られる。
面白いからヒマな方はGoogleマップで追いかけてみてほしい。
そして展望台に着いたー!
あまり広い展望台ではない。
でも例の絶景を見ることができる唯一のスポットがここなのだ。
待ってました!!今までの苦労は全て、この瞬間のためにあった!!
東海道の絶景を見よ!
展望台に駆け上った。
もう何度もWebやポスターなどで見た光景が、目の前に展開された。
それはもう、カンペキに出来上がった、非の打ち所の無い構図であった。
最高かよ。
上半分は赤い富士山。
下半分は既に日陰で青みを帯びる道路と青い海。
この対比が美しすぎる。
本当にね、ほんの30分前までは富士山は見えなかったのだ。
しかしみるみるうちに姿を現した。
駿河湾越しの山々のさらに向こう、最背面から赤く幻想的に、この構図の全てをまとめてくれている。
ちょっとズームしてみた。
霞の中から聳える赤富士は、もう威厳しかない。
もっとズームしてみた。
富士山の山頂直下のジグザグな登山路が見えた。
急勾配と酸欠と闘う、シンドいところだよな、懐かしいぜ。
目線を少し右にずらす。
円を描くように駿河湾が広がり、その向こうに工場地帯と山々。
富士の製紙工場と、箱根山地だろうね。
あそこはまだ夕日に照らされている。
さらに右を見てみよう。
水平線に浮かぶ陸地は島ではない。
伊豆半島だ。
中央の盛り上がっている部分が「天城越え」に当たる部分だろう。
駿河湾越しに全部見えている。
足元も見てみよう。
淡々と走って行く車や電車はまるでジオラマのようで、ずっと見ていられる。
前述の通りだが、東西の交通の要(かなめ)がこんな狭いところに集結しているのだ。
台風の日には、海水が鉄道部分にまで飛んでくるぞ。
でも、これでも相当がんばって開発したのだろう。
だって昔は今僕の立つここが東海道だったのだから。
展望台に掲示してあった説明板の絵を掲載しよう。
「東海道五十三次」の1つ、薩埵嶺の絵だ。
まさにここからの構図を、「歌川広重」が絵に描いて残している。
左上の激坂に佇む旅人が、この峠の険しさを体現している。
絶景ではあるが、東海道随一の難所だったのだ。
今と昔とをこうして対比できる地。
交通の進化を感じ取れるけれども、ずっと変わらない富士山も同時に眺められる地。
なんてステキなのだろう。
幸いなことに、こんないい眺めなのにここにいる人は数人で、僕はゆっくり数10分ほどこの景観を堪能できた。
遠景だし見る場所はほとんどここ一択なので、構図に動きはない。
だけれども、時間と共に変わりゆく絶景は全く飽きなかった。
三脚を設置して長期戦の構えの人もチラホラいたが、夜景まで待つつもりなのだろうか?
それもまたいいかもしれない。
だが、僕は暗くなる前に山を下りることにした。
また由比側の激坂を使って下ろうと思っているしね。
徒歩でも車でも、ちょっとアクセスの難しい薩埵峠。
ましてや富士山をしっかりと見ようとするなら、運も味方につけないといけないかもしれない。
そんなあなたへ…。
さっきの僕の展望台の写真に、チラリとライブカメラが写っているのに気付いていただけただろうか?
「薩埵峠_ライブカメラ」で検索すれば、誰でも""今"の薩埵峠を見ることができる。
かつて東海道を難所を乗り越えた旅人よ。
令和時代の東海道がこれだ。令和時代の富士山がこれだ。
雲の上からなのか、はたまたライブカメラの向こう側からなのか、世界に誇れるこの景色を見守っていてほしい。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
住所・スポット情報