今からちょうど1年前、2019年10月31日未明。
沖縄のシンボルと言っても過言ではない、「首里城」が全焼した。
日本中がショックを受けたであろう。
特に沖縄県民の方々は、大変な喪失感を味わってしまったことだろう。
僕も朝起きてこの事実を知り、愕然とした。
※2019年は、パリの「ノートルダム大聖堂」も全焼しており、その光景もフラッシュバックした。なんて年だ。
首里城には過去3回訪問している。
本心を言えば、僕は那覇の喧騒を早く抜け、北部のビーチなどを観光したい人種であった。
(これらの絶景ビーチについては、またいずれ機会があったら語りたい。)
とはいえ、首里城のことも好きだった。
大切な思い出がたくさんある。
思い出しただけで胸が締め付けられてしまうような感覚があるが、今回は僕がかつて首里城を観光したときのエピソードを織り交ぜて語りたい。
あのときのことを、忘れないように。
防御力低め、守礼門!
首里城の敷地に足を踏み入れる。
無料エリアであり、ガイドブックでよく見るような壮大な正殿は、まだまだ先だ。
さぁ、そんなエリアにいきなり出てきたぞ、「守礼門」だ!!
栄えある日本三大がっかりスポットにもエントリーされることのある、 首里城で最初に出てくるフォトスポットである。
うん、確かに僕も最初に見たときは、その守備力の低そうなビジュアルに、思わず頬が緩んだぜ。
僕は歴史にも建築にも大した知識はないが、従来の門というのは敵の侵入を物理的に防ぐためであったり、関所のように人間が通過可否判断を下すための用途と思っている。
しかしこれよ。
風通しバツグンよ。
誰もがフリーパス、いやむしろストレスフリーで通過できる、安心設計。
沖縄の人の優しさしか感じない。
扁額に書かれた、『守禮之邦(しゅれいのくに)』。
「禮」は「礼」の旧字みたいだな、どうやら。
「ここ琉球は、礼儀を重んじる国である」って感じの意味だそうだ。
社訓のように掲げてある。
ちなみに、工事するとこうなる。
事前情報知らずに訪問したから、「ブホッ」ってなった。
一瞬、「堅牢さが著しくUPしたー!これぞ城門!!」ってなったけど、ビニール素材がふんだんに使われているので、そりゃ幻想だ。
屈強なお相撲さんなら、素手で引きちぎることだろう。
うん、こうしてみると城塞都市のように見えなくもないのだがね。
本来の守礼門の姿は見えなかったものの、こういうレアパターンを見れるのは結構好き。
幻の2000円札にも、守礼門が描かれていることをご存じの方も多いだろう。
ちなみに、スカシの中も守礼門だ。
僕は今まで2000円札は1枚しか入手したことなく、それを大事に10数年も持っている。
ボロボロだ。
使う予定も未定だったが、今回こういうかたちで使えてよかった。
ゴチゴチに堅牢、歓会門!
さぁ、次に出てくるのは「歓会門」だぞ。
これもペラペラの紙装甲なのだろうな、フフフ。
やっぱ沖縄は暑いから、風通し命だよね…っ!
ゴチゴチでした。
首里城、ここに来ていきなり方針変えてきたそうです。
こりゃあ、お相撲さんでも無理だわ。
城門のシャッター、上の写真では半分閉まっているように見えるけど、あれを完全に閉められたらもう誰も侵入できぬ。
ド迫力である。
三匹の子ブタの、一番賢いヤツが作った門だ。
今ごろ、ちょっと楽観的な子ブタの造った守礼門は、鼻息で吹っ飛んでいるだろう。
あるいは、ゴーレムに変形する古代城塞みたいなテイストだ。
とにかくカッコよさと力強さを兼ね備えている、男の子たちのヒーローみたいだ。
なにせ両側に狛犬いるしな。
いや違う、シーサーだこれ。
どちらでもよいが、パワフルを極めた城門である。
琉装のお姉さん方が出迎えてくれたこともあった。
確か日本1周目で沖縄をドライブしたときは、ここでお姉さんと記念撮影をしたのだ。
お姉さんの笑顔で、歓会門の印象が少しだけ柔らかくなったような気がする…。
階段を守れ、瑞泉門!
さて、ゲート続きの散歩道ではあるが、無料区間の3つ目を守るのが、次の「瑞泉門」だ。
ここを抜ければ間もなく、正殿も建つ広場である。
その手前の階段を守っている。
ちょっとイメージしやすいよう、イラストを描いてみよう。
この奥にある「漏刻門」も含め、4つの門で広場侵入を防いでいるっぽい。
しかし守礼門だけ離れているし守備力低いしでかわいそう。
たぶん他の3つの門からは、格下に見られている。
変身前のシンデレラみたいに、姉さん方から邪険に扱われていそう。
敵も守礼門だけはやすやすと突破するんだけど、他の3つ門は「我ら四天王の中でも守礼門は最弱のヒヨッコよ。アヤツを倒したくらいでいい気になるなよ、クックック…。」とか言ってそう。
さぁ、3つ目となる瑞泉門が見えてきた。
階段の上から我々を見下ろしているのがおわかりになるだろうか?
堅牢さの中にもオシャレさを兼ね備えた、バランスの良い門だ。
四天王の1人目である守礼門はザコ(←失礼)。
2人目の歓会門はゴツいパワーバカ(←失礼)。
3人目の瑞泉門はパワー・スピード・カッコよさのバランスの取れた戦士タイプだ。
数あるマンガなどでも、四天王はこんな感じのキャラクター構成だったりする認識。
そんで、この3人目あたりが読者人気が高く、最後のボスに苦戦する主人公勢を助けるために寝返って加勢してくれたりする。
すまない、妄想が過ぎた。
次は、少し引きでお見せしたい。
瑞泉門は、門としての単独の守備力もさることながら、上の写真のように高い城壁で囲まれた中での唯一の突破口となっているのが特徴。
敵兵は階段を使うしかない(実は例外もあるが目を瞑ってほしい)。
その階段を守るための、要の門なのだ。
さて、ついでに四天王の最後の門もお見せしよう。
実は、これまでの写真にも写っている。
この、向かって左側の門だ。
瑞泉門の、ホントすぐ先。
従い、正直あまり記憶に残らなかったし、独立した写真も撮らなかった。
これはこれでかわいそう。
イジられキャラの守礼門よりも、ある意味かわいそう。
せめて、ズームして1枚掲載してあげよう。
メインキャッスル、御庭と正殿!
4つの門をくぐると、丘の上の平地に出る。
急に視界が開ける。
観光客が一斉にカメラを取り出すのもここである。
券売所もあるので、観光客が一斉に財布を取り出すのもここである。
僕も券売所でチケットを購入した。
否、ここは「王へ貢いだ」と表現すべきかな?
さっきまで四天王を倒すという侵略者目線でシナリオを書いていたのに、いきなり白旗を振ってしまってすまない。
さすがに立場をわきまえた。
いずせにせよ僕の心は、既に21世紀にあらず。
琉球時代にワープしているのだ。
そう思わせてしまうくらい、この丘の上の広場は荘厳だ。
さぁさぁ、王への謁見の場は近い。
最後の門、「奉神門」だ。
「神を奉る(たてまつる)門」か。すごいネーミングだ。
そして、すんごい赤だ。赤がほとばしっている。
なお、僕はここで構図を凝り過ぎて、重大なミスをしている。
実はこの門、正面と左右、合計3つの入口があるのだ。
だけども上の写真では2つしかフレームに入れなかった。失敗失敗。
当時は、中央の入口を通るのは極めて位の高い人だけ。
それ以外は左右の入口を使ったそうだ。
現代は僕のような平社員でも中央から入れる。ありがたい。
せめて気持ちだけは貴族を意識し、中央突破した。
はい、来たー!!
メインキャッスルだ!!
正殿である。
ここは全員カメラを構えるところ。
ちょっと上では、漆の塗り替えをしているときの写真を掲載してみた。
正殿をよく見ると、いたるところに龍が舞っている。
シャチホコ的なポジションにも龍がいる。
シャチホコから始まる滑り台のゴールには、かわいくシーサーの顔が乗っている。
「日光東照宮」の「陽明門」を彷彿とさせる、このゴージャスなデザイン。
維持するには並々ならぬ技術とコストがいるのだろうな…。
歴史の重みよ。
正殿の前のこの広場が、「御庭」である。
御庭と書いて「うなー」と読む。
王の御膳のこんな場所で「うな~」とか、ゆるキャラをこじらせたような声を発したら、王の側近に刺されそうだと思った。
でも、この読み方が正式なのだから、きっと刺される
ようなことはないのだろう。
御庭には、シマシマの白線が引かれている。
あなたは「横断歩道?交通整理?王に謁見する前に、右見て左見て、手を上げて渡ったのか?」と思われるかもしれない。
それはちょっと違う。
国を挙げてのイベントがあるとき、主要なメンバーたちがここにズラッと勢ぞろいするのだ。
そのときワチャワチャしないようにするための目印だ。
王の前に、カッコよく並びたいもんな。
だから、交通整理の部分だけ正解だ。
御庭の周囲は360度ぐるりと赤い建物に囲まれている。
箱庭的な感覚だ。
上の写真は、その一部である。
では、正殿に参ろうか。
御庭を進む際に思わず手を上げそうになりつつも、正殿に向かって足を進める。
ラストダンジョン、正殿内を見学!
有料エリアのもう1つの目玉が、正殿内部の資料館である。
だけども、御庭と正殿の外観に興奮しすぎて正常な判断力を欠如していた僕は、なんと正殿の入口を通り越し、有料エリアの出口近くまで行ってしまった。
そこで「あれ?何か足りない…」みたいにキョトンとした顔をしていたら、係員さんに「まだ正殿内部を見ていないのですかー!あっちですよー!!」と気持ち強めの案内をされた。
危ない危ない、大きな失敗を犯すところだった。
ここに来るのは3回目なのに、フワフワしすぎた。
正殿内部の前半エリアは、撮影禁止である。
従い、写真でご紹介できるのは撮影可能な後半部分のみとなる。
あと、土足禁止。
ちなみに前半は、貴重な資料類の展示であった。
まさに資料館・博物館といったことばがマッチするような雰囲気であった。
琉球時代の貴重な書面・家系図などの資料、王族の使っていたアイテムの数々。
厳かな雰囲気の中、そういったものを見て回った。
後半エリアは、内部装飾を再現している部分が多い。
上の写真もそれである。
この階段は、実際には上がれない。
なんと王専用の階段なのだそうだ。王はここを利用して、1Fと2Fを行き来する。
玉座が再現されている。御差床(ウサスカ)っていうらしい。
実際に座ることはできないが、クッション性に乏しく、疲れやすいのではないかと推測した。背もたれも固いそうだし。
令和の時代は、テレワークに備えて座り心地の良さを追求しなければいけない。
威厳を追求していたであろう琉球時代と、ちょっと考え方が違うのだな、と改めて感じた。
守礼門が工事中の期間の特別サービスなのか、期間限定で写真撮影用の御差床の大型パネルが設置されていた。
ありがたい。うれしい。
このパネルの前で記念撮影をした。気分は王である。
一部、床がガラス張りになっていた。
ここから下を見ると、石垣がある。
かなり深そうで、2mほどはゆうにあるかもしれない。
実は首里城は、これまでに4回ほど火事で焼失している。
直近では第二次世界大戦で跡形もなくなくなり、1992年に復元したのだ。
ここで僕が見下ろしているのは、後から建てられたものではなく、完全なオリジナルの首里城跡。大変に貴重なものだ。
実は、ここまでにご紹介した首里城の建築物(赤い建物)は、世界遺産ではない。おそらく後世のものであり、歴史的な価値は充分ではないからと思われる。
正殿の跡。その一部を、ようやく僕は目にすることができたのだ。
正殿のミニチュア模型もある。
前述の横断歩道の正しい使い方を、ここでお勉強できる。
正殿の背後で「ガオー」とやれば、城を襲う魔王になれる。
ほら、横断歩道の人たち、キチッと整列していないでもっと慌てふためけ。
「うなー!」とか言いながら逃げまどえ。
こうして、大満足の首里城見学を終える。
ちなみに首里城の敷地を出るときにもなんか迷ってしまい、立体駐車場や土産物屋の中をウロウロしてしまった。
首里城はナゾがいっぱいだ。
2019年、首里城炎上。そして…。
そんな首里城が、焼け落ちてしまった…。
かなりショッキングな写真ではあるが、上のページはわかりやすかった。
被害を受けた建物のBefore/Afterが比べられる。
消失した部分は、おそらく以下の部分と思われる。
深夜に正殿から出火し、瞬く間に延焼してしまったようだ。
御庭では、数日後にここで開催される予定であった、組踊300年の記念舞台の準備が進んでいた。
この日も深夜1時くらいまで作業が行われていたらしい。
その作業後、1~2時間ほどの間に火事となった。
それ以上の原因の特定はまだ明確ではないようだし、そこを僕があれこれ考えたり意見を言うのは、ここでは避けたい。なんか空しくなっちゃうから。
火災を知った日に、メモした内容である。
本当にショックであった。
僕でこれだけショックなのだから、沖縄の人や関係者の人の悲しみははかりしれない。
それでも1年を経た今、技術者の人たちが当時の技術を復活させて再現できるよう動き出し、「次は絶対燃えないような城にする」と宣言している。
見守ることしかできないが、また新しい歴史が生まれるその日を、僕も祈っている。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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