若狭湾に突き出た、常神半島。
正直、お世辞にもアクセスがいいとは言えない。ましてや、観光客が気軽に立ち寄って観光したりグルメを楽しんだり…には少々ハードルが高い。
今回は、そんな常神半島の突端からのリポートである。
そもそもなぜ僕がそんな半島の突端にいるのか。理由は2つある。
- 端っこを目指すのが生きがいだから
- そこに大きなソテツの木があるから
常神半島のアイデンティティに敬意を払うのであれば、上記の「2」を心持ち大きめの声で宣言することとなろう。
ここに寄ることによる時間のロスは大きいが、わざわざ足を運んだからこその体験ができるのもまた事実。
ここには、自生するソテツとしては日本海側最北に位置するソテツの木があるのだ。
北陸地方とソテツ。ちょっとミスマッチな気がするが、それがまた良い。
では、過去2回僕が「常神のソテツ」を訪問した写真を散りばめてご紹介しよう。
民家の隙間からこんにちは(第2回目の訪問編)
常神半島最突端、正に道の突き当りとなる常神集落が見えてきた。
国道からここまでは海岸沿いの狭いグニャグニャした道を30分弱。なかなかに長い道のりだったぜ。
集落の端には「常神岬」を示す石碑も立っている。
正確には岬の先端はまだもう少し先なのだが、いかんせんまともな道は無いと聞いている。なので実質ここが半島の先端だ。
常神集落は、小さな漁港の集落。
僕は日本3周目で訪問した際の記憶をたどりつつ、前回と同じと思われる場所に愛車のパジェロ・イオを駐車した。
目指す常神のソテツには駐車場がない。
従い、ちょっと手前で駐車してから歩いていくのだ。
…とある店舗の前までやってきた。
右手に映っている看板、「あたらしや」の文字が潮風で劣化して、もはや「うらめしや」みたいなテイストになっている。
さて、ここからソテツまでどうやって行くかというと…。
すでにその道筋は写真の中にある。しかも中央にドーンと。
ちょっと突撃に気が引けそうな道だ。
しかし、ちゃんと「通路↓入口」と書いてある以上は、ここも天下の往来よ。胸を張って歩こうじゃないか。
通路は建物を貫通して、裏手に出る。
裏手はすぐに険しい山になっていた。常神半島って、割と海岸ギリギリまで険しい山なのだ。日本有数のリアス式海岸だからね。
そして、連なる建物の背中を眺めながら、山肌とのわずかな隙間をひたすら半島先端方面に向かって歩く。
道は狭いぞ。たぶん軽自動車1台が通れるかどうかの道幅だが、そもそも軽自動車がここまで入ってくる手段がないような気もするし、仮に入ってきたところで資材だとかいろいろ障害物も豊富。
完全に徒歩のみのための生活道路だろうかね。
さぁさぁ、入り組んできたぞー!
もう道幅は1mあればいいほう、って感じだが、臆するなかれ。
伝説のソテツを求めし者、この試練を見事乗り越えて見せよ!
…もはや道なのかどうかもわからない。
「隙間」って呼んでいいですか?
あと、念のため言っておくが、筆者はネコではないぞ。ネコ目線で記事を書いているわけではないぞ。ちゃんと、れっきとしたホモサピエンスだニャ。
しかし、上の写真の通り進行方向を聖なる光が包み込んでいる。
あぁ、あそこに伝説のソテツが。
とうとう僕はソテツに再び出会うことができるのだ…!
-*-*-*-*-
…ところで、前回来た時もこんな道だったっけ?前回を踏襲したつもりだったが、若干の違和感が…。
「通路↓入口」を見て、「あぁここで間違いない」と思ったのだが、「通路↓入口」は他にももう一箇所存在したのではなかろうか。
では、そこいらへんを明らかにするため、時を遡って日本3周目のYAMAさんにもリポートしてもらおう。
民家の隙間からこんにちは(第1回目の訪問編)
ここからは、日本3周目を走る過去のYAMAさんが執筆するぞ。
常神半島の車道を行けるところまで走り続けた僕。
最後の集落の行き止まり、そこには公園があった。狭いけれどもなんとか駐車ができそうなスペースがある。
僕はそこに愛車のbBを停めた。
この公園は、常神潮風公園というらしい。ついでなので少し散歩をした。
誰もいないのね。まだ朝の7時台だからかな?
できて間もないと感じられる、きれいに整備された公園だった。遊具もちょろっとある。しかしそれ以外には特筆すべきものはない。
ただ、若狭湾の海の色は、この雲が多めの天気にも関わらず、とってもきれいだった。
さて、目指す常神のソテツは、ここから徒歩4分程度のようだ。
「←徒歩2分」の看板があるので、左に顔を向けた。
ん?左に道なんてないぞ。海に面してビッチリと建物が並んでいるだけだ。隙間すらない。
いや、隙間…。すまない、よく見たら一箇所だけあったわ。
「通路↓入口」という看板が頭上になければ、とても踏み込む勇気の持てない時空の狭間。ここに入れと申すか。
うん、行くけど。僕はこういう狭くて入り組んだ隙間が好きなのだ。
入口の看板をくぐり、奥へと歩みを進める。
建物の裏側は、山が近くまでせり出していたものの、ギリギリまで敷地を有効活用し、ギッチリと民家が建てられている。
その民家をとりまく道路は、徒歩で移動できる必要最低限の幅だ。
ときおり現れる、ソテツを示す小さな看板に従い、民家の路地裏をすり抜けていく。
こんな先に観光名所があるだなんて、にわかには信じられんな…。
ところで、このスリリングな様子を言葉だけではなかなか表しにくい。
Googleマップの衛星写真を下に貼り付けるので、見てほしい。
ギッチギチでしょ。車、入れないでしょ。
建蔽率とか、えげつないことになっているでしょ。
山が海岸付近まで迫っている険しいリアス式海岸の地で、わずかな平地に潮風を避けつつ集落を作ったら、こういう結果になったのだろうか?
もはや道ではない。
隣家との境目にある石垣の上だ。写真の左手も、誰かの家屋だ。
こんな場所を歩くのは、ネコくらいか?
ん?もしかして我輩はネコであるのか?
そう自問自答を進めていると、ついにソテツの木が現れた…。
はい、というわけで、日本3周目のYAMAさんのリポートはここまで。
改めて見返してみると、どうやら今回と前回とで、違う道でアプローチしたようだった。しかし、どちらも狭いことには変わりないようだ。
あなたはお好きなほうでどうぞ。
巨大ソテツ、現る!
さぁ、これが常神のソテツだ。とくとご覧あれ。
すごいよね。
幹は大きく8本に分岐し、高いものは6m、そして 全幹の周囲は5.2mにも及ぶそうだ。
庭に収まりきらないくらいにパッツパツ。
首都圏の建売一戸建てだったら、庭全てがソテツで埋まるよな。BBQも洗濯物も家庭菜園も、思い描いていたガーデンライフ全部、この化け物ソテツが飲み込んじゃう。
ソテツっていうか、ヤマタノオロチって感じだよね。ちょうど8本に分岐しているし。ちょっとしたゲームの中ボスクラスだわ、これ。
さらにはこのソテツ、1924年(大正4年)に国の天然記念物に指定されている。
指定された以上、オーナーさんも気まぐれに伐採とかできない感じか?僕の持っているツーリングマップルにも掲載されているくらいだし。
だから、2階の窓や縁側に激突しそうなくらい成長しても、ここはガマンだ。
しかし、このソテツはいったいどこからやってきたのだろうか…。
ここで、ようやくタイトル記載の伏線を回収することになるのだが、1300年前にこの地に漂流してきたインド人が種を植えたらしいですぜ。
初めてこれを読んだときには「ブホッ」ってなった。そんなバカな。
そんないくつもさ、破壊力の高いワードを並べてくれるなと。脳みその情報処理が追い付かないからさ。…って思った。
インド人伝説について考える
「1300年前のインド人」以上の情報は伝承に残っていないし、これ以上の考察をしているサイトも見つからなかった。
なので僕が勝手に考察する。
インドから日本に来れるのか
僕はソテツに関しては素人だから見ただけで品種まではわからないが、常神のソテツは、"蘇鉄"と表記されることもある。
ちなみに"蘇鉄"は「学名:Cycas revoluta」であり、「ソテツ類」の特定の1品種をさすようだ。
では、「学名:Cycas revoluta」はどこに生えるのか。
日本の九州南端、南西諸島、台湾、中国大陸南部に分布する。
(引用元:Wikipedia)
中国大陸ってどこだ?
アジア大陸(ユーラシア大陸東部)のうち、現代国家としての中国の領域に含まれると考えられる陸地を指す。
(引用元:Wikipedia)
…まさかの、インド要素ナッシング。
情報はガセなのか…。
いや、まだ可能性はある。
インド人が、中国でソテツの種を入手し、それを日本に持ってくれば辻褄が合う。
今から1300年前。つまり、ザックリ奈良時代だ。
インドから日本に来ることが可能なのだろうか。
可能だ。
唐に滞在中に日本人遣唐使からの熱烈アピールをもらい、日本に渡ってきている。
そんで、奈良の「東大寺」に大仏ができたときの、開眼供養にも立ち会っているのだ。
さらに言えば、奈良時代の聖武天皇のコレクションを集めた「正倉院」だって、ペルシャの食器とかモリモリある。
奈良時代の日本は、確かにインドを始めとした「西域」とつながっていた。
普通のルートであれば、唐を船で出発したら、まずは福岡の太宰府を目指すのだろうが、1300年前に漂流したインド人はどこからどこに向かっていたのか…。
なぜソテツを持っていたのか
そう、コイツだ。ソテツだ。
なんでインド人、ソテツの種なんて所持していたのだろうか?
これについては、漢方を少し調べてみた。
サイトによってやや表記揺れがあるのでどれが一番妥当なのかわかりかねるが、主に中国ではソテツの実は切り傷の治療に効能があるとされていた。
であれば、中国経由で日本にやって来たインド人が、ソテツの種を持っていても不思議ではない。
長くて困難の多い船旅。きっと不慮のケガも多いはず。そんなときには、レッツ・ソテツ、ビバ・ソテツだと中国人に教わったはず。
なぜソテツを植えたのか
そもそも人はなぜ、植物を植えるのか…。
- 食料とするため
- 酸素供給や空気の浄化のため
- 心の安らぎのため
- 記念のため
例のインド人については?
ソテツの特性や成長スピードを考えると、「記念」ではないだろうか。記念植樹。
正直、銅像でも記念碑でもよかったのかもしれないが、生命を持つ植物だからこそ、未来への意思を込めやすい面もあったろう。
1000年先まで残るメッセージとしては、その選択は正しかった。この地にはない、ソテツを植えたのもまた良かった。
それから先、そのインド人はどうなったのか。
もしこの常神の地で暮らしたのであれば、それも伝承として残るはず。それがないということは、無事に旅立って行ったのかもしれないね。
後に残ったソテツだけが、伝説となった。
-*-*-*-*-
僕の壮大な妄想は、ここまで。
あくまで伝説。あくまで妄想。
しかし、1人のインド人と1粒のソテツの種が、もしかしたら時代を超えて壮大なロマンを生み出しているのかもしれない。
このソテツは、誰も知らない1300年前の冒険を知っている、唯一の生き証人なのかもしれない。
そう考えると、ワクワクするだろ?
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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