週末大冒険

週末大冒険

ちょっと出かけてみないか。忘れかけていた、ワクワクを探しに。

【コラム】日本を6周もしてしまった僕!!なんでボロ系のスポットを好きになったのか!?

こんばんは、【週末大冒険】のYAMAです。

 

今回は久々にコラムを執筆します。

いやね、実はコラムなんて書くつもりはなかったのです。

コラムは新年一発目とかで、キチンと練りこんだものを書こうと思っていたのです。

 

ではなぜこんな師走のヘンテコな時期に僕がコラムを書いているのか。

もしかして、観光スポット情報のネタがもうギリギリなのか。

 

まぁそうなのです。

ある意味ギリギリなのです。ピンチ。

 

 

そんな穏やかでない師走。

寒い寒い1年の終わりの月。

なぜ僕がギリギリなのか、そこいらの事情も含めて書き殴りましょう。ぶっちゃけましょう。特別だ。

 

 

震える季節・震える世界

 

前提の話をしましょう。

僕は【週末大冒険】に、3日~4日のスパンで記事をUPしています。

 

なぜこのスパンにしたのかと聞かれたところで明確な答えはないのですが、「スパンにムラが無く、大体決まった間隔で記事がUPされたら閲覧する人も安心でアクセス数が伸びそうだよね」という思いからです。

1記事の執筆にどれだけの時間を使うのか、そしてその時間をどのくらい日々の中で捻出できるのか、それをなんとなく「3日間」と見込みました。

 

正直、記事の内容やボリュームによってはこの「3日間」はなかなか厳しいです。

しばしば4日間スパンになっているのは、そういう事情からです。

さらにときどき5日間隔にもなりますよね。これは「YAMAさん死んでいる」と思ってください。

 

ヤバいときのイメージ

最近も割と忙しく、結構恒久的に睡眠不足でフラフラしていたりもしていますが、ブログ執筆は好き。

好きだからこそ頑張っているのです。

 

自分よがりの記事ばかりで本当に恐縮ですが、それなりに生きがいを感じているので、SNSとかで好意的なコメントを見つければ1日幸せな気持ちになれますし、ブログが縁でラジオ出演させてもらったりして、すごいありがたい気持ちです。

 

↓ フォロワーさんが1万人いったら泣いて喜ぶと思う。

twitter.com

 

さてさて、これで少しはYAMAさんの好感度が上がったでしょうか。

そんな誠実で律儀な僕がなぜギリギリの状態になってしまったのか…。

 

それは、所用で1週間ほど家を空けてしまうことになったからです。

正に今、しばらく家に帰っていません。

はい、引っ張った割にはあっさりさっぱりした理由でごめんなさい。

 

そりゃ僕も、事前に記事を書き溜めようとかしましたよ。

でも先日身内に不要があり、喪中はがきを急いで出さないとあれやこれやでメンドウでしょ?

それを夜な夜な作っていたらほら、書き溜めるハズのネタも書き溜められないタイミングでファーラウェイですわ。

 

吹雪…!

すっげぇ北国まで来た。

雪エグい。寒い。ってゆーか痛い。

 

ヤバい…!

だから調査や写真の収集が必要な観光スポット情報の執筆ではなく、酒飲んでダラダラ執筆できる【コラム】にしたのです。

うん、今はシラフではないよ。当たり前。

 

1人ジンギスカン記念日

それでは2つほど裏情報を語ります。

酒を飲みながら駄文を綴ります。

 

(旅先の酒は酔いが回るのが早い。普段の3倍酔う。)

 

 

なぜ僕はボロスポットを好きになったのか

 

ボロ食堂・ボロ宿・ボロ温泉・ボロ自販機…。

僕は年季が入りまくったスポットが好きである。

 

ボロ自販機、もちろん現役

そして、これを見ているあなたもそこそこ好きなのだろう、少なくとも怖いもの見たさはあるだろうと認識している。

コレ系の記事はアクセス数がなかなか多いからだ。

 

なぜ僕はボロ系が好きなのか。

 

人は大人になり、歴史を知り、物の価値を知るようになると、古いものに興味を示すようになると考えている。

僕も子供時代の修学旅行や家族旅行で訪れた神社仏閣や宿場町は、正直当時退屈な思いもした。だけども今はその素晴らしさ、詫び錆の良さがわかる。

 

奈良井宿、マジ好き

…っていう世間一般にも当てはまる、ありきたりな感情が暴走してしまい、【侘び寂び】を超過して【ボロ界】まで到達したのか。

 

違う。

戻ってきたのだ、僕は。

 

麗しき廃墟よ

ボロ界どころか、その先の【廃墟界】まで到達していたのだ。

大気圏突破してから戻ってきて息を吸えているのだ。

 

一般的な人の成長曲線と、僕の成長曲線

 

―*-*-*-*-*-*-

 

2011年の東日本大震災

転機はそこだった。

 

僕は福島県浜通りに災害復旧ボランティアをしに行った。

今まで何度かドライブした地が見るも無残に崩れており、大きなショックを受けた。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

当たり前のようにずっとあると思ってた景勝地・観光地・食事処。

それらのどれもが永久ではなかったのだ。

ガレキの中でそれを痛感した。

 

あのときの南相馬

…であればYAMAよ、オマエは今後どのように動くのだ。

「失われゆく文化を、その前にこの目に焼き付ける」

それはいい。そこまでの思考はいい。

 

しかしちょっと思い込みの強い僕は、"失われゆく"をマジのギリッギリの境界線に設定した。

それすなわち、廃村・廃墟だ。

 

こんなところでくつろぎたい

北海道から沖縄の八重山諸島まで、名だたる全国の廃墟を巡った。

明治時代の古地図を手掛かりに山道を見つけて辿ったこともあった。

 

Webにほとんど情報がない廃墟も、あらゆる側面から検索し、推理し、パズルのように情報を組み立てて位置を特定した。

大崩壊・警備・封鎖など、潜入にはリスクを伴う物件もあった。

 

グジュグジュに崩れる隔離病棟のベッド

心臓バクバク言わせながら辿り着いたその先の世界は、すごかった。

崩壊美。鳥肌が立つほどの感動だ。

 

世間から忘れ去られ、大地に溶け行く歴史。

その最後の一瞬に出会える喜び。

 

短命に終わったロープウェイ乗り場の事務室

廃墟最高!!

人がいなくなったからこそ情緒あり!

…って思った。

いつだってショルダーバッグには、軍手やヘッドライトや簡易冒険グッズが入っていた。

 

夢と思い出の詰まった小学校

ふと「廃墟界から卒業しなければ」と思ったのは、日本5周目に入ってからだ。

目立つ車に乗った。

守るべき存在もできた。

あまりヤンチャしてはダメだ、そろそろ。

しばらくは禁断症状も出たが、じきに僕は廃墟界から大きく遠のいた。

 

それでもちょっと諦められない気持ちがあった僕は、「廃墟の手前の世界」に目覚めることになる。

冒頭のボロ系スポットだ。

 

秋田県で出会った老舗食堂、最高

最初は廃墟の代用として巡っていた。

だけども今は違う。

ボロ系スポットには廃墟にはない魅力が溢れている。

 

そもそもボロくなるまでそこにある、ということが魅力の1つだ。

ボロ食堂であれば、何10年も地域の人に愛されている必要がある。

そのためには美味しさ、ご主人の人情などが必要。それらを味わえるだけでも幸せだ。

 

福島県、日本人の原風景のような食堂

ときどきバランスが悪くって、「美味しくないけどご主人の人情がすごい」とか「美味しいけどご主人がマジとっつきにくい」とかあるけど、それはそれでネタとして最高だ。

 

チェーン店には無い唯一無二のその魅力を求めて、今日も僕は走り続ける。

 

 

なぜ僕は日本を何周もするのか

 

僕は日本を6周している。

正確にはまだ6周目の途中だが、もう日本6周目は97%くらい終わっており、2023年の春には終了する。

だからもう日本6周走っていると言ってもいいだろう。

 

なんでそんなに走るのだろうか?

何周もしたからこそ見える世界ってあるのだろうか?

 

ー*-*-*-*-*-*-*-*-*-

 

僕の日本一周は、すべて車だ。

全て自宅(あるいは地元)から車で出かけ、そして帰ってくる。

 

日本1周目は、学生時代に始めた。

12回に分けて日本一周した。

アホの仲間たちとムチャなスケジュールで走り回り、各県で1つずつくらいしか観光しなかった。

それでも仲間たちとの非日常的なドライブはとてもとても楽しかった。

笑いあり・涙あり・喧嘩あり…。青春そのものだ。

 

阿蘇の草千里を眺めながら

日本2周目は、同じく仲間たちとのドライブだった。

しかし各県でしっかり観光し、90回くらいに分けて日本一周した。

超有名観光地はこのとき大体制覇したし、グルメにも目覚めて現地のおいしいものも食べたりした。

 

1人で出かけるときには車中泊したり車中自炊したりもし、企画力・知識は格段にUPした。

日本本土の四島の再東西南北端16岬を制覇したものこのときだ。

 

無知が故の無謀さでどこへでも

日本3周目は、「このままじゃだめだ!」って思った。

日本一周している他の旅人たちは、宿でほかの旅人と飲み明かしたり、旅先で出会って一緒に行動したり、出会いと別れを繰り返しているのだ。

なにそれすごいドラマ!

それに引き換え、1人で車中泊している僕のなんと寂しいことか!

 

僕はその理想を全部叶えることにした。

旅人が集結する離島にも多く出かけた。

旅人宿のオーナー・島で出会った旅人、お互いの旅路の中で共に冒険した仲間…。

今でもそれらの人たちとは多く交流がある。

旅人としての土台はここでできたのだ。

(仲間たちとも多くドライブしたけど)

 

オホーツクに巨大カニの爪が出現

日本4周目は、もう日本の主だった観光地はほぼ制覇していた。

次に手を出すのは、秘境である。マイナーで誰も知らない場所にこそ、魅力がある。

廃墟も廃村も好きだ。未舗装路も林道も好きだ。

 

日本の中心をほぼ制覇したのもこのときだ。

レトロ自販機を巡り始めたのもこのときだ。

以前止まった旅人宿にまた泊まりに行くことで、交友も深くなった。

多くの旅人との出会いもあった。

 

基本的に行動は1人だった。

僕は冒険家だった。

 

もうすぐ本土最南端

日本5周目では、失敗と成功が同時にやってきた。

HUMMER_H3というデカい車に乗ったのだ。

長年憧れの車で大好きだったのだが、いかんせんデカすぎて狭い道や狭い駐車場を敬遠するようになった。

 

前項の通り廃墟は卒業したが、ボロに目覚めた。鄙びた湯治宿で1人自炊して酒を飲むのも好きになった。

ボロ以外では珍スポットをかなり精力的に巡ることとなった。もともと好きだったが、さらに火が付いた。

 

雪道を走るのも好きだ。

バーで飲む酒もフランス料理も好きだ。

 

2020年頃閉鎖されてしまった、思い出の風力発電

日本6周目では、日産パオを買った。

すさまじく小回りが利き、悪路以外はどこでも行ける気がする。

ボロ系や珍スポットも引き続き行っているが、純喫茶・老舗居酒屋にも行く。

 

興味は尽きない。

何度訪問しても楽しめるスポットもあるが、人間今日もは徐々に変わる。

興味を更新しながら日本を巡れば、毎周飽きることはないのだ。

僕はこうして、まだまだ成長するのだ。

 

いつも一緒に

-*-*-*-*-*-*-*-*-

 

しかし、何周も巡ることで切なくなることもある。

何度も同じスポットを訪問すると、どうしての初回ほどの感動はなくなるのだ。

 

例えば初めて日本本土最北端の「宗谷岬」を訪問した時は「うぉぉ!宗谷岬だーー!!」って有頂天になった。

しかし6回とか行くと、「はい、宗谷岬。今日も素敵!」って言って写真撮ってササッと立ち去るとかだ。

 

「慣れ」はある意味恐ろしい…

そりゃそうだ。

初めての映画を見るときのハラハラドキドキや感動と、6回目で展開も結末もわかっている状態では雲泥の差だ。

 

もちろん、何度も映画を見るからこその細かいポイントに気づくとか、背景情報なども加味してみるだとか、複数回だからこその楽しみもある。

それはドライブであっても同様だ。四季・天気・出会いなどなど条件が変われば印象も変わる。新しい思い出ができる。

 

お馴染み五箇山、天気悪いけど紅葉綺麗だから良し!

僕は人生で日本10周したいと考えている。

まだまだ新しいエピソードができるだろう。

知識はもっと広く深くなるだろう。

 

その濃縮したエピソードだけを、【週末大冒険】で今後も公開していきたいと思う。

だから、今後ともどうぞよろしくお願いします。

 

以上、ギリギリを生きる旅人YAMAが酒を飲みながら駄文を綴りました。

(早く真っ当な人間になれるといいね)

 

このギリギリの表面張力が素敵

No.243【神奈川県】70年続いた老舗肉屋「不二屋」の最終日!!僕はお弁当を買いに行く!

さよならを、言わねばならない。

言える日は、きっと今日しかない。

 

誰に対して?何に対して?

 

それは僕の心が知っている。

だから僕は服を着替え、車に乗り込む。

 

…少し濁った空。もう冬が来るとは思えないほどのぬるい風。

2022年秋の最後の日が幕を開けた。

 

 

なぜ僕はその店を目指すのか

 

「不二屋」。

横浜市にて70年に永きに渡って営業してきた個人商店のお肉屋さんらしい。

僕がこのお店の存在を知ったのは、2022年11月も下旬に入ってからだった。

 

不二屋1

普段の僕は、わざわざ車で遥か遠方のお肉屋さんを訪問するような人間ではない。

お肉は近所のスーパーで買えばよい。

しかしこの不二屋には、行ってみよう、いやむしろ行きたいと思わせる理由が2つあった。


1つ目は、お弁当も販売しているという点。

お肉屋さんだけに、カツやフライを中心としたメニューであり、なかなか安価なようだ。

あ、ちょっと気になる。

 

2つ目は、2022年11月末で閉店し70年の歴史に幕を下ろすという点。

うわっ、めちゃ気になる。

 

不二屋2

しかし僕だって仕事をしている人間だから、11月下旬の今となっては訪問チャンスはもうほとんどない。

結論から言う。

11月30日、つまり最後の営業日にどうにか訪問できることとなった。

 

老舗の最後の日だ、お客さんが殺到するかもしれない。

少なくとも昼時は弁当ラッシュで売り切れを見込もう。

昼前も混雑するかもしれない。

朝の営業開始から間もない時間がよいかな?

 

アプローチ1

ほどほどに朝の時間。

それを目指して、僕は1人車を走らせた。

 

 

最初で最後の不二屋訪問記

オーダーする

 

不二屋は大通り沿いにあった。

国道16号…ではないのだが、直前まで国道16号であった道路の延長線上だった。

 

アプローチ2

上の写真で言うならば、T字路を左に曲がってすぐのところだ。

乗用車もトラックもバンバン走りまくっている道路。

 

運転席からすぐにお店の存在は発見できたが、どうやらお店の駐車場はないっぽい雰囲気。

お店の前に路駐している車もいたが、この大通りでは路駐したくないと考えた。

 

アプローチ3

100mほど先のコインパーキングに愛車を入れた。

お店のすぐ隣もコインパーキングだったのだが満車だったので、ここになった。

まぁ100mくらいは一瞬だ。何の問題も不満もない。

 

アプローチ4

歩きついでに、不二屋の前の通りを改めてご覧に入れよう。

こんなスケール感である。

 

そしてもうこの位置からお店は見えている。ちょっとズームしてみるね。

 

アプローチ5

あそこだ。すでに3人ほどの人が店頭にいる。

弁当待ちかな?

僕も早くあそこの一団の仲間入りをしたい。

 

不二屋でお弁当を1

ほぼお店の前までやって来た。

歩道までの全てを覆いつくすダイナミックなひさしが特徴的である。

 

店舗の上の壁面には「不二屋牛肉店」と書かれている。これが正式名称だ。

もっとも、牛肉以外にもいろんな肉を売っていたし、お弁当もあるけど。

 

不二屋でお弁当を2

店舗脇の黄色い看板に、お弁当類のメニューがズラリと書いてある。

メンチフライ・アジフライ・からあげ・しょうが焼き・ロースかつ・イカフライ・各種カレー…。

 

おいおいおいい、マジかよこの肉屋。

こんなにもお弁当ラインナップが充実しているとは。

もし近所で働いていたなら毎日通っちゃうよな、これ。

 

不二屋でお弁当を3

あ、ところがだ。

店頭のメニューボードを見ると貼り紙がしてあるぞ。

圧倒的にメニューが少ない。

そっか、最終日だもんな。ミニマムな形態での営業をするのだね。

 

そして既にそのいくつかは赤線が引かれている。

焼き肉弁当ともも唐揚げ弁当・唐揚げ弁当はない様子だ。

残っているのはしょうが焼きとチキンカツの弁当なのかな?

 

不二屋でお弁当を4

ショーケースも覗いて見た。

朝一の段階であったかどうかはわからないが、カツ類の単品も無し。

『コロッケは、終了しました。ありがとうございました。』の紙札もある。

 

受付の小窓から、お店のおばちゃんに「もうお弁当で残っているのはここに書かれているだけですか?」って念のため聞いてみた。

おばちゃんは「えっと、そこのプレートになんて書いてある?うんうん。あとはメンチカツあるわー。」って答えた。

あ、まさかのメンチカツ登場。

 

お弁当は2つ買おう。

メンチカツとしょうが焼きをオーダーした。

 

ちなみにこのお店、オーダーしてからお肉を調理してくれるそうだ。すごい。

それまで店頭でちょっと待機。

 

 

受け取る

 

僕の前には3人組の人がお弁当を待っていた。

しばらく時間がかかりそうなので、その間にお店の様子を見学させていただこう。

 

不二屋でお弁当を5

『11月30営業を終了させていただきます。70年間誠にありがとうございました。』

 

本日の日付。

悲しいメッセージだ。

 

こんなひとことでは表しつくせないほど、いろんな歴史があり、いろんな思いがあるのだろう。

僕ごとき、そんなことを理解できるはずはない。

だけども少しだけ胸の奥がキュンとする。

 

その貼り紙のすぐ下の受付から垣間見える店内調理スペースでは、おばちゃんとおじさんがお弁当作りにバリバリと勤しんでいた。

 

不二屋でお弁当を6

もう1つある、お肉用のショーケース。

ここにはもうお肉類は無かった。歴史の終焉はもうすぐそこまで来ている。

 

僕の前にいた3人組が、それぞれお弁当を受け取った。

「ここが無くなると寂しくなります。」・「ありがとうございました。」とおばちゃんに挨拶し、去って行った。

 

不二屋でお弁当を7

店頭に誰もいなくなったので、改めてお店をほぼ正面から見た図をご紹介しよう。

 

『健康は不二屋の肉で』

 

なんと迫力のあるお店の外観、そして力強い看板のフォントよ。

一朝一夕では醸し出せない、年月を積み重ねてきたものにしか持ちえないオーラがある。

 

不二屋でお弁当を8

おばちゃんとやりとりをする受付は、写真中央の小さな小窓だ。

これもまた良い。

 

となりには数個、小さな花が置かれていた。だれかが閉店をねぎらって寄贈したのだろうか?

かわいいお花だ。そしてちょっと泣ける。

 

不二屋でお弁当を9

ベビーカーを押したお母さんがやってきた。

既に予約済みだったのか、すぐにお弁当4つを受け取ると、おばちゃんと感慨深げにしばらくお話をし、去って行った。

 

長年の常連さんなのだろうか?

ご家族で食べるのだろうか?

最後のお弁当、きっと格別な味になるのだろうな。

 

不二屋でお弁当を10

「できましたよー」と小窓から声がかかった。

アツアツのお弁当が出来上がっており、僕はお金を払う。

2つで1000円だ。安ッ。

 

おばちゃんに「袋、持っていますか?」と聞かれたので「持っています」と答え、僕は慌ててカバンから袋を取り出した。

レジ袋とかをあらかじめ用意しておけばよかったが、カバンに入っていたのは何か不測の事態があったとき用に常に持ち歩いている、やや小さめの不織布の袋。

 

「えっと…」って感じで、やや高い位置にある受付でモタモタしながら袋に詰めようとしていると、おばちゃんがニッコリ微笑んで「私がやるわ」と言ってくれた。

 

不二屋でお弁当を11

マチのない袋なので、お弁当を横にして丁寧に入れてくれた。

よって取っ手は使えないが、すぐ先にある駐車場までの持ち運びなので問題ない。

あと「NEXT DOOR」の袋だが、気にしないでいただきたい。

 

手に持つとジンワリお弁当の熱が伝わり、出来立てのありがたみを感じた。

 

不二屋でお弁当を12

僕はおばちゃんに「最後に来れて良かったです、ありがとうございました。」と伝えた。

おばちゃんは僕がどこから来たのかを聞き、「遠くからありがとうね」と言ってくれた。

店の奥からおじさんの「ありがとうございましたーー!!」という声も響いてきた。

 

また僕の後からのお客さんが来た。

今日は時短営業で14時までだそうだが、こうしてお客さんが途切れることは無いのだろう。

そして別れを惜しむ声が常に聞こえるのだろう。

 

不二屋でお弁当を13

車を発進させてから気付いた。

なぜ閉店してしまうのかを聞いていなかったと。

 

おじさんもおばさんも、体力的にはまだいけそうな年齢だと感じたが。

もっと他の諸事情があったのだろうか?

 

…しかし、車を走らせながら考えを改めた。

聞けなかったなら聞けなかったで、それも運命。

大事なのは閉店理由ではない。

「閉店するという事実を掴み、そして最後に訪問できた」、それだけでいいじゃないか、と。

 

 

お弁当を味わおう

 

自宅でお弁当を食べてみることにした。

ほとんど受け取った瞬間に不織布の袋に入れてしまったので、お弁当をまともに見るのは僕もこれが初めてだ。ワクワク。

 

実食1

左がメンチカツ、右がしょうが焼き。

なるほど、「肉屋の弁当!」って感じのビジュアルだ。全体的に茶色い。

僕好みの色使いだ。

 

実食2

しょうが焼き弁当。

 

敷き詰めたキャベツの上にしょうが焼きが載せられている。

あまりお肉の量は多くないかな…と思いきや、向かって奥の中サイズのスペースにも同じラインナップがある。

枠を超えたコラボレーションだ。

一番奥の小サイズのスペースには、ちょろっと味付けモヤシが入っていた。

 

肉は柔らかく、味付けもバツグンだ。

ご飯があっという間になくなるぞ。このご飯ドロボウの肉め!悪いヤツだ!

 

実食3

こちらはメンチカツ弁当。

巨大なメンチカツが2つ鎮座している。

中サイズのスペースはソースの袋で占められている。

 

食べてみた。

冷めてはいるが、それでもシャクシャクの揚げ方はさすがだ。

肉屋のコロッケやメンチカツってとんでもなくうまいよね。

肉の処理で出た新鮮な牛脂を使って揚げているからと言われているよね。

 

実食4

理屈はさて置き、とにかくうまい。

肉汁が口いっぱいに広がるのだ。肉汁、すなわち幸福。

 

最後に行けてよかった。

後悔はもう無い。

ごちそうさまでした。そして、ありがとうございました。

 

*-*-*-*-*-*-

 

…さよならを、言わねばならない。

言える日は、きっと今日しかない。

 

誰に対して?何に対して?

 

それは僕の心が知っている。

だから僕は黒いスーツに着替え、車に乗り込む。

 

コロナ禍の直前以来、ばあちゃんに会えなかった。

会おうと思えば会えたけど、あと2ヶ月あれば会えたかもしれないけど、間に合わなかった。

もしかしたらそんな後悔が、今朝の僕の原動力だったのかもしれない。

 

…もう冬が来るとは思えないほどのぬるい風。

2022年秋の最後の日はこうして終わりを告げようとしている。

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 不二屋牛肉店(閉店)
  • 住所: 神奈川県横浜市磯子区原町3-19
  • 料金: メンチカツ弁当¥500他
  • 駐車場: なし。近所のコインパーキングを使用のこと
  • 時間: 9:00~17:00(日祝定休)

 

No.242【愛知県】渥美半島先端「伊良湖岬」!タカは群れて柱を作り、大アサリはうまい!

愛知県には、カニの爪のように尖った岬が2つある。

向かって左(西)側は知多半島、右(東)側は渥美半島だ。

 

両者はそこまで距離が離れていないということもあり、どっちも似たような景観で似たようなグルメが名物であるが、両方共に素晴らしいいのであなたには是非両方行ってみてほしい。

僕もそれぞれ何度も訪問した。

 

 

さて、今回は右(東)側の渥美半島の最先端にある、「伊良湖岬」について語りたい。

遊歩道の脇に突然ナチュラルに現れる灯台が特徴の岬だ。

 

伊良湖岬の駐車場から気楽に歩ける範囲のスポットを、日本3周目~5周目の訪問時の写真を織り交ぜて紹介したい。

 

何のオチも起伏もない記事だが、最初に言っておこう。

伊良湖岬は…、いいぞ。

 

 

道の駅・クリスタルポルト

 

岬の先端よりもほんのちょっと手前。

そこには道の駅がある。「道の駅 伊良湖クリスタルポルト」という名前だ。なかなかカッコいいネーミング。

 

クリスタルポルト1

最大の特徴は、港も兼ねていること。

三重県の鳥羽へと行く"伊勢湾フェリー"の港がある道の駅なのだ。

 

伊良湖岬自体は日本2周目も踏んでいるのだが、この道の駅には日本3周目が初訪問であった。

さすが岬の先端だけあり、かなり風が強かった。

このときは11月下旬。わりと凍えた。

 

クリスタルポルト2

これは日本5周目のときの写真。

愛車HUMMER_H3での最初のドライブでやってきたのが、伊良湖岬であった。

 

慣れない巨体と左ハンドル。

朝の7時台でまだ駐車場もガラガラだったので、何度か駐車の練習をさせていただいた。

いかんせん、この車幅だと駐車枠ギリギリだからな。

 

当時の手記を見ると、『運転席側を軸とした車庫入れ駐車はできるようになった。その逆の助手席側を軸とした駐車はまだ難しすぎ。』と書いてあった。

日本5周目に入っているのに、内容がまるで教習所。

 

クリスタルポルト3

駐車練習でカロリーを消費してしまったので、ちょっと小腹が減ってき。

この道の駅の建物内で何か食べ物がないかなーと探したんだけど、目ぼしいものはなかった。


大アサリを始めとする名物を食べれる食事処やフードコートなどはいろいろあるんだけど、どれも朝の7時台では営業を開始していなかったのだ。

あー、名物を食べたかったなー。

 

クリスタルポルト4

一方、日本3周目ではこの建物内で食事はしなかったものの、お土産物をいろいろ物色したりした。充実した時間であった。

伊良湖の名物の大アサリが売っていたりして、前日に大アサリの存在を知ったばかりの僕は初めて実物を目にして興奮したりした。

 

建物の3階では、港に停まっているフェリーが良く見えるシートがあったので、しばら
く青い海を眺めて過ごした。

これは伊勢湾フェリーの"伊勢丸"だね。

 

クリスタルポルト5

うっすらと向こうに見えているのは渥美半島と対を成す知多半島ですかね?

出航するフェリーと広がる海。旅情を感じさせる道の駅だ。

 

クリスタルポルト6

ちょっと敷地の隣にある港の入口まで歩いてみた。

わぁ、エモい。

この簡素でレトロなフェリー乗り場、いいなぁ。ずっと残ってほしいデザインだ。

 

クリスタルポルト7

再び伊勢丸である。

日本3周目でも5周目でも、クリスタルポルトに停泊しているのを目撃している。

結構運がいいのかも。

出航を見送り、また道の駅へと戻った。

 

尚、2022年10月から2023年6月までは、この道の駅は改装のために休館する。

新しく生まれ変わるクリスタルポルトに再訪できる日が楽しみだね。

 

 

伊良湖亭の大アサリ

 

伊良湖岬の先端の駐車場。

こはちょっとレトロな売店が立ち並ぶ、ワクワクするスポットだ。

 

伊良湖亭1

鄙びた売店群。

あまりオシャレとは言えないかもしれない。正直僕は、こういう売店に対し食指が動かない時期もあった。

 

ただ、少なくともここ10年くらいは「こういう店サイコー!」って思っている。

ちょっと昭和の残り香のするお土産物屋兼食堂みたいなところ、世間の荒波に負けずに営業を続けてほしい。

 

さて、僕が入ったことがあるのは左側に見切れている「伊良湖亭」である。

 

伊良湖亭2

ちょっと色あせた加工をすれば、「これは昭和の写真です」って言ってもバレないかもしれない。

つまりは昭和時代からずーっと同じ景観かもしれない。

そういう妄想をしてしまうほどの佇まいである。

 

看板に「フイルム」と書いてあるのが時代を感じさせるよね。

昔はカメラにフイルムをセットして写真を撮っていたのだ。

スマホで無限に撮れるわけではなく、24枚とかそのくらいずつしか撮れなかったのだ。

 

このフイルムの文字は、2022年現在に至るまでにどんどん薄く白くなっている。

フイルムが世界から消えていくのを現わしているかのようだ。

 

伊良湖亭3

大アサリ定食をオーダーした。

僕、実はアサリとかの貝類って見た目が原因であんまり食べれなくって、特に大きい貝は苦手なんだ。

だけども、せっかくなので勇気を出して頼んでみた。

旅に背伸びは必要。こういうときに新しい扉は開くのだ。

 

伊良湖亭4

大アサリ、デカい。ハマグリよりもデカいくらいかな?

勇気を出して口に運んでみた…。

 

あ、おいしい。

やっぱちょっとちょっとビジュアルは苦手だけど、食べられた。

 

ちなみに大アサリ定食には、"焼き大アサリ"と"大アサリのフライ"の2種類がついている。

焼き大アサリは普通に醤油をたらしただけのシンプルなもの。素材そのものの味を堪能できる。

大アサリのフライはサクサクでジューシーで絶品だ。

 

焼き大アサリは店頭で浜焼きもしているけれど、フライは店内じゃないと食べられない。

店内で食べた価値あったね!気に入った!

 

駐車場にて

ちなみに伊良湖岬はバードウォッチングのスポットでもある。

タカの渡り・ヒヨドリの渡り…。他にも数々の野鳥が見られるという。

 

だからシーズンによっては駐車場は鳥を見に来る人でギュウウギュウ、さらには100人以上のカメラを持つ人たちが駐車場近辺にひしめくこともある。

 

僕は10月の朝に多くのバードウォッチャーと遭遇したことがある。

そして調べてみると、10月はタカがここに集まるのよ。

東から来るタカたちは、陸に沿って飛ぶので全てがこの細長い渥美半島先端の伊良湖岬に集まる。

そして秋の天気のいい朝に一斉に上昇気流に乗って海に飛び立つという"鷹柱"という現象が見れるのだそうだ。

なんだそれ、めっちゃワクワクするね。すごい岬。

 

 

四冠を制する恋路ヶ浜

 

伊良湖岬は砂浜のある岬だ。

断崖絶壁の荒々しい岬ではない。穏やかな岬であった。

恋路ヶ浜1

駐車場のすぐ目の前には「恋路ヶ浜」っていう砂浜が広がっている。

ここも散策してみた。

絵に描いたようないい砂浜だって思った。転がる流木もいい…。

 

恋路ヶ浜2

ここ、「日本の白砂青松100選」・「日本の道100選」・「日本の音風景100選」・「日本の渚100選」に選ばれているのだ。

まさかの四冠!

スゲーな、砂浜の王者の名をほしいままにしておるわ!!

 

恋路ヶ浜3

これら4つの日本100選を記念したモニュメントも立っていた。

ただしYAMAさん、なぜかこのモニュメントは写真には撮らなかったらしい。

きっと興味をそこまで惹かれなかったのだな…。

 

だけどもなぜかモニュメントの説明板の写真なら撮っている。

あなたは上の文章からモニュメントを想像するか、あるいは手っ取り早くWeb検索でもしていただきたい。

 

恋路ヶ浜4

名前に「恋」がつくスポット。そして景勝地

旅好きの方ならこれだけでザワッとしてしまうことであろう。

そうなのだ、アレがあるぞ…。

 

その1、カップルが一緒に鳴らすと幸せになるだかならないだか…の鐘だ。

とりあえず1人でも鳴らしてみよう。

 

恋路ヶ浜5

その2、貝殻に願い事を書いてくくりつける系のヤツ。

まず、その貝殻の真ん中にデフォルトでハートが描かれれているデザイン、なんなんだ。それ、なんなんだ。

その時点でももう用途が限定される。合格祈願とかできない。

 

貝殻かわいいけどね。青空に映えるけどね。

それでも他人事ながら書かれている内容を読むと恥ずかしくなるよね。

 

恋路ヶ浜6

それじゃ、砂浜の写真をもう少し並べようと思う。

 

恋路ヶ浜は、あの文豪「島崎藤村」の「椰子の実」という詩の舞台になっていることでも有名。僕も島崎藤村、好きだ。

 

恋路ヶ浜7

冬間近、風が強くて寒いけど、打ち寄せる波が綺麗なシーンも見た。

真夏、かなり混雑する中で汗だくになりながら歩いたこともある。

どちらも季節なりの良さがある。

 

恋路ヶ浜8

では、最終章では岬の灯台をご紹介しよう。

 

 

伊良湖岬灯台

 

海沿いの遊歩道をテクテク歩いて伊良湖岬灯台を目指す。

駐車場から歩いて5分ちょっと。天気のいい日にちょこっと歩くのにうってつけの距離かもしれない。

 

灯台1

遊歩道の脇に普通に灯台が出現する。

象徴的に聳えているわけでもなく、白壁でしっかり取り囲んでいるわけでもなく、あまりにナチュラルさに出てきてちょっと驚く。

 

灯台2

日本地図でもわかるほどにしっかりと海に突き出た大きい渥美半島

その岬の先端なのだから、さぞかしゴツい灯台があるのだろうと思いきや、実は結構かわいい。

その高さは14.8m。

 

灯台3

しかしコイツは「日本の灯台50選」に選ばれているのだ。

やや小さめだけどもすごいヤツなのだ。

 

ここ渥美半島と、対を成す知多半島

このカニの爪のような2本の半島が形成する三河湾沖を航行する船の重要な目印になっているのがこの灯台だ。

 

灯台4

今も、目を凝らせば灯台の背後を超大型船が通っていく。

これすなわち、日本有数の都市である名古屋を支えている灯台

なんてカッコイイ光景。

 

*-*-*-*-*-*-*-

 

発着するフェリー。

生まれ変わる道の駅。

綺麗な砂浜。

地元の産物である大アサリ

先端に建つ灯台

空高く舞い上がるタカ。

 

およそ観光に必要な要素は全て取り揃えている伊良湖岬

 

 

ちょっと喧騒を離れて休日を楽しむのには、恰好のスポットなのではないかな?

そういえば僕も、これまでの人生で一番忙しい時期・キツい時期によくここを訪れていた。

 

なかなか現実は厳しいけどもさ。

気持だけは、岬の先端から天空を目指すタカ柱のように…。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

 

No.241【栃木県】「日本列島の中心」の石碑を目指して!闇夜のキャンプ場を訪ねてみた!

秋も深まりつつある日の夜、僕が目指していたのは「蓬山ログビレッジ」である。

 

佐野市のかなり山深い自然豊かなエリアにある、キャンプ・バーベキュー・スポーツなど自然の中でのアクティビティを目的にした施設だ。

そんなところに夜に向かうのは、普通に考えればキャンプ予約をしておきながら大幅に遅刻した人くらいであろう。

 

僕の場合はそうではなかった。

じゃあ何をしに向かっているのかだって?

それは、蓬山ログビレッジ内にある「日本列島中心の碑」を見るためだ。

 

わかっている。目的は碑であっても、夜間に行くのが好ましくないことは。

しかし、他のスポットで遊んで時間を消費してしまい、そうこうしている間に暗くなってしまったのだ。

 

真っ暗な道を山の深部に向かってギャンギャン進む。

大丈夫。この先に光明あり、だ。

 

 

中心を求めるとき、僕らの脳はどう動くか

 

まずは、僕の目的である日本列島中心の碑についてご説明したい。

これな、読んで字のごとくだが日本の中心を示している碑なのだ。すっごい。

日本の中心は、栃木県佐野市の山の中にあったのだ。

 

ところがここで要注意である。

実は日本の中心は1つだけではない。日本各地に無数にある。

驚けよ、諸君。ぶっちゃけその数、30ほどもあるのだ。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

それらの詳細については上記リンク先の【特集】をご覧いただきたい。

そしてこの無数の日本の中心を全部巡ってみたいと夢見ているのが、この僕だ。驚けよ、諸君。

 

さて、なんで中心がいくつもあるのか。

それは様々な概念が存在するからだ。

「中心とはかくあるべき」という理論も法律も存在しない。

だからみんなフリーダムに日本の中心を作っている。

 

もちろん僕が目指してる日本列島中心の碑にも、ちゃんと日本の中心だと名乗れる定義がある。

 

 

現地の説明板をかつて撮影した写真である。

 

一番上の「佐野市」のところに修正テープが貼ってあって気になるが、たぶんこれ昔は「田沼町」って書かれていたんだと思う。

2005年までここは田沼町だったが、佐野市に合併されたのだ。

上の説明板と田沼町の名前、あとあと重要になるから覚えておいてほしい。

 

あ、そして肝心な日本の中心である根拠だ。

 

 

北海道本土の最北端である「宗谷岬」、そして九州本土の最南端である「佐多岬」。

それらの中間点を、日本海側と太平洋側から割り出した。

日本海側は新潟県上越市内であり、太平洋側は茨城県神栖市内だったらしい。

 

さらにこの上越市内ポイントと神栖市内ポイントを結ぶラインの中心地。それが蓬山ログビレッジの日本列島中心の碑である。

 

この理論、一見すると沖縄県がまるまる眼中に無く、ちょっと乱暴に思われるかもしれない。

…だがしかしだ。

 

 

「この真ん中はどこでしょう」と聞かれた場合。

左下の小さな図形が気になるものの、たいていの人は右上の大きな図形のおおよそ中心を指し示すであろう。

それすなわち、質量が小さいものは省いて中心を求めているということだ。

 

これが良いとか悪いとかではない。

ただ、我々がなんとなく本能で中心を定義する行為を理論化したのが、この日本列島中心なのだなぁって思ったよ。

 

 

何だって「最初」は印象的なのだ

 

日本3周目を走る、ある春の朝。

佐野市にある「道の駅 どまんなか たぬま」で朝を迎えた。

 

ファーストアプローチ1

とても爽やかな青空であった。

実は昨夜は春の嵐が吹き荒れ、すんごい暴風雨であった。

 

そんなゴーゴー風が吹き荒れる中、僕は栃木県に足を踏み入れていたのだ。

強風で木の葉っぱがベチベチとフロントガラスを直撃し、風でいろんなものが転がってくる、なかなかスリリングな体験であった。

 

そこから夜が明けてこの晴天。

こりゃ今日はいいことあるかもね。

 

蓬山ログビレッジは、ここから県道201号を北に22kmほどである。

愛車の日産サファリに乗り込み、エンジンをかけた。

 

ファーストアプローチ2

蓬山ログビレッジ、こんな場所だ。

最高過ぎる新緑が僕を出迎えてくれた。

 

木々の隙間にログハウスがチラチラと見えるであろう。

キャンプもできるので、シーズン中はあそこも賑わうと思われる。

 

ただ、まだこの春先のシーズンは営業していないのかもしれない。それか、現時刻である朝の6時台は営業していないのかもしれない。

なぜなら、駐車場にチェーンが張られていて駐車場にすら入れなかったからだ。

しょうがないので少し離れた路肩に停めた。

 

ファーストアプローチ3

改めて蓬山ログビレッジに入る。

するとメインと思われる管理棟の前に、ドデーンとわかりやすく日本列島中心の地の石碑があった。

 

おぉぉ!スゲー!!

ここが日本の中心なのか!!

もちろん自分でここに来たところで中心にいる実感は無いけど、このような碑があると途端にテンションが上がるものだな!

 

いくつもあるという日本の中心。

他にも巡ってみたい。今日明日で6つくらい巡りたい。

 

ファーストアプローチ4

-*-*-*-*-*-*-*-*

 

これが、僕が30近くある日本の中心を巡り始めた最初の1つ目であった。

記載の通り、この日と翌日で計6個の日本の中心を踏むこととなるのだが、その中でも栄えある最初の訪問地である。

 

初めて1人でおつかいをした日。初めて車を運転した日。初めてデートした日…。

何事も「最初」っていうのは印象深い。

 

僕の日本の中心巡りにとって、この地がその初めてなのだ。

強い南風で木々がしなる中、僕はこの碑を見上げた。

この先、長く長く続く冒険の始まりである。

 

その後市街地で警察官に呼び止められ、これもらった

 

 

闇の中で見い出せよ、僕らのお宝

 

時は流れて2022年の秋。

驚くほど早く日が暮れてしまった。秋、恐ろしい子

 

それでも僕は蓬山ログビレッジを目指さなければならなかった。

随分時間は押してしまったが、ここを省略して家路に着くことはできかねる相談だ。

 

時刻はまだ18時台ではあったが、山の中の県道201号は驚くほどに暗い。

道沿いにポツリポツリと民家はあるものの、街灯も店も無く、深夜のように静かである。

 

闇に浮かぶ石碑1

着いた。駐車場も空いていたので入れた。

しかし真っ暗で、ここからどっちの方向に行けばいいのかよくわからない。

 

闇に浮かぶ石碑2

「どこかに施設内のマップとかないかなー」と思ってそれっぽい掲示板に近づいた。

とりあえずサルに充分注意しなければならないことはわかったが、日本列島中心の地の石碑がどこにあるかと、サルに対しどのような注意をすべきかはわからなかった。

 

闇に浮かぶ石碑3

それでも僕は何となく覚えていた。

蓬山ログビレッジの管理棟みたいなところを目指せばいいんだろ?

ボンヤリと灯りの点いている建物の方に向かう。

 

闇に浮かぶ石碑4

うん、あった。そして暗い。

 

これは手持ちのハロゲンライトで照らしたものだ。

全然明るさが足りないな。

ちょっとそんな予感がしていたぜ。「石碑、ライトアップなんかされていないよな」って。

 

まぁ見えないレベルではないが、ちょっと物足りないのは事実だ。

これどうするよ。

 

闇に浮かぶ石碑5

いくつかあるライトを使い、同行メンバーが「あーでもない、こーでもない」とお膳立てをしてくれた。

 

ちなみに碑の右後ろにある垂直にそそり立つ岩は「面白石(おもっちろいし)」というらしい。

 

闇に浮かぶ石碑6

説明板によれば、表い石が付着しているからだそうだ。

そっか。それってシャレ?リアクションに困る。

 

闇に浮かぶ石碑7

そうこうしているうちにライトアップが完了したようだ。

あ、なかなかいい感じ。

これで存分に撮影できるというのものだ。

僕らはひとしきり、記念撮影に勤しんだ。

 

闇に浮かぶ石碑8

ところで前回訪問時には気付かなかったのだが、石碑のすぐ足元にはこのような「日本の中心点」を示す標が打ってあった。

これは大事だ。キチンとこのようにピンポイントで根拠を示してくれているのは、とてもありがたい。

 

闇に浮かぶ石碑9

ただ、日本の中心の説明板はかなり劣化が進んでた。

 

最初の章で「田沼町」にシールが貼られて「佐野市」と上書きされている旨をご説明しただろう。

そのシールが剥がれてまた田村町に戻っている。あれあれ。

 

闇に浮かぶ石碑10

せっかくなので敷地内を少しだけ歩いた。

ほぼ真っ暗で懐中電灯を使わないと足元も怖いくらいであったが、なんとか歩けた。

 

コテージサイトでは、何グループかの人たちが談笑していた。

もう寒い時期だが、まだキャンプは楽しめる。楽しそうでいいじゃないか。

 

闇に浮かぶ石碑11

管理棟の入場時間は終わっていたが、中ではスタッフさんがまだ業務をしている様子であった。

願わくばお話など伺いたかったが、利用客でもない僕がこの時間に突撃するのは失礼にあたるので控えた。

 

闇に浮かぶ石碑12

周囲にはほとんど灯りがないので、見上げた空には星が瞬いていた。

 

再び僕がここに来ることはもう無いかもしれない。

だけどもかつて最初に僕が踏んだ日本の中心の地。

夜とは言え、またこうして来れたことに感謝する。

 

闇に浮かぶ石碑13

こうして闇夜の道をまた20㎞以上走り、僕は佐野の市街地を目指す。

 

 

田沼の道の駅で日本のど真中を感じよう

 

ここまでの記事を読み、「少しだけ興味があるけども佐野の市街地から片道20㎞もかけて蓬山ログビレッジまで行くのはシンドいな」と思っているあなたに朗報である。

 

ど真ん中・田沼1

前々章でちょこっと触れた"道の駅 どまんなか たぬま"。

これが文字通り「日本の真ん中は、かつての田沼町なんですよ」っていう意味の道の駅だ。

 

僕が昔訪問したときには日本の中心を示すエッセンスはこのネーミング以外になかった。

ただし2022年に再訪したらもう少し日本の中心アピールが進んでいるので、ここを目的地とすることで満足することも可能かもしれないぞ。

 

ど真ん中・田沼2

とりあえず日本の中心には関係ないけど、駐車場がすごかった。

これに触れずにいられるか。

あまりにスタイリッシュでビックリしたさ。

 

ど真ん中・田沼3

なにこの広々空間に全部屋根付き、しかも煌々と灯りで照られた空間。

もしここで車中泊しようとしたら、明るさ対策しないと朝まで眠れなさそうな、無機質で強力な灯りだ。

カッコイイけどもちょっと怖いくらいだ。

 

ど真ん中・田沼4

敷地内の中庭チックなところには、道の駅の解説20周年を記念するライトが地面に当たっていた。

ど感謝」…。初めて聞く日本語。

 

ど真ん中・田沼5

このときはもう夜の20時近かった。

残念ながら道の駅内の施設は全てクローズしてしまっていたが、とても綺麗でオシャレな道の駅であることは感じ取れた。

 

ど真ん中・田沼6

しかもミニ遊園地的なものもある!

子供向けの乗り物各種、そして一部エリアには線路まで引かれていてミニSLが走るそうだ。

 

僕は日本3周目で立ち寄った記憶しかなかったが、ずいぶんとバージョンアップしたのだね。すごい。

 

ど真ん中・田沼7

これは自販機内のパネルである。

日本列島と、ここが日本の中心であること・その根拠を示す線と点が書き込まれている。

これは嬉しいね。

 

自販機以外にも同じデザインの掲示があったが、夜間で最も写真映えするのが自販機だった。

あなたも気になるならば、探してみてほしい。

 

ど真ん中・田沼8

鉄道駅のような駅名標もあった。

「ゆめのくに ← どまんなか → はなのくに」

…なかなかにステキじゃないか。

 

夢にも花園にも手の届く、日本の中心の旧田沼町

今日の観光はここでお終いだ。いい終焉だった。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 蓬山ログビレッジ
  • 住所: 栃木県佐野市作原町1271
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 日本列島の中心の石碑を見るだけであれば、特になし

 

No.240【福井県】夏草かき分け「立石岬」!史上初の日本人が設計&建設の灯台に出会う!

いよいよ冬がやってくるな。

 

冬の寒さが苦手というあなた。

2022年の夏は猛暑すぎて大変だったというが、早くもあの暑さが懐かしいとボヤいているあなた。

…実は僕もだ。

 

抜けるような青空、入道雲

夏草の蒸しかえるような匂いを嗅ぎ、汗をかきながら歩くのも楽しい。

絵に描いたような夏休み。

僕ら日本人の記憶の奥底には、そういう夏がいつだってあるに違いない。

 

今回はそんな季節外れの夏らしい景観をお届けしたい。

福井県から、「立石岬」。

 

 

敦賀半島シーサイドドライブ

 

僕は真夏の敦賀湾、敦賀半島を北上していた。

目指すはこの半島の先端、立石岬である。

 

シーサイドドライブ1

その岬の先端に何があるのかはよく知らないが、僕は岬マニアだ。

とりあえず大きそうな岬があったら先端まで行ってみる。僕にはそういう習性がある。

 

ほら、テントウムシなどの昆虫も、棒にとまらせると一番上まで行くでしょ?

アレと似たようなものだ。

たぶんだけど、僕も生まれたときにマッドサイエンティストの博士にそういうプログラムを埋め込まれたんだと思う。知らんけど。

 


そして、今回の世界観を表すMAPである。

なんとなく頭に入れておいていただけると良いかもしれない。

 

ちなみに「敦賀港」は、北海道に渡るフェリーに乗るために何度か利用したこともある、思い入れのある港だ。

船旅はいいよね…。それはまた機会がございましたら。

 

シーサイドドライブ2

「手の浦海水浴場」の横を通過する。

お、水着の男女。夏真っ盛りだね。

そして海の向こうに見えているのは若狭湾の東端を形成する海岸線だ。

ここは深い湾になっているのだ。

 

シーサイドドライブ3

「水島」も見えるぞ。車を停めた。

水島は、敦賀半島先端近くから砂州で繋がっていそうで繋がってい無さそうな、小さな2つの無人島だ。

別名"日本のハワイ"とも呼ばれているそうですぜ。

 

手前には水島行の船乗り場もあるのが、上の写真で確認できる。

 

シーサイドドライブ4

あの水島にも海水浴場があり、サマーバカンスを楽しむためにクルーザーで向かう人々がいるのだ。最高かよ。

僕の写真では表現しきれないが、角度や天気次第では、マジに沖縄の珊瑚礁のように淡い水色の海に囲まれるのだ。日本海、あなどれない。

 

シーサイドドライブ5

水島のビーチで楽しむ人々が、あなたにも見えるだろうか?

僕は…、うん。見なかったことにして自分の道を歩むよ。さーて、立石岬…。

 

*-*-*-*-*-*-

 

車道の行き止まりまであと1㎞も無いだろう、というところまできた。

よく見えないがこのあたりの左側一帯は「敦賀原子力発電所」の敷地だ。

物々しいバリケードに、ちょっと気が引き締まる。

 

その「日本原子力発電敦賀原子力館」のほぼ隣あたりだ。

道の脇に「猪ヶ池」という池があったので再び駐車した。

 

シーサイドドライブ6

これが猪ヶ池だ。

木々に囲まれた周囲1kmほどの池である。

なんで僕がこの池に興味を示したのか、次のGoogleマップを見てほしい。

 

 

岬のほぼ先端。すぐ隣は海なのだ。

にもかかわらず、不思議とこの池は完全は淡水だという。

 

なるほど、過去にもあったなこんな池。

それは静岡県西伊豆だ。伊豆の七不思議だと呼ばれていたな。

 

西伊豆・大瀬崎の「神池」1

こうした岬の先端付近にある淡水池の謎については、半年前の2022年春の「ブラタモリ」で成り立ちを解説していて知った。

 

西伊豆・大瀬崎の「神池」2

岬の右側と左側から均等に風が吹き付け、それによって岬の陸地部分に窪みができ…。

岬のとんがりが2本になったりしたけどそれが繋がって行けのように取り残され…。

うむ、感動したんだけども内容はもうおぼろげだ。すまない…。

 

なのでごまかすように次章の本題に移行する。

 

 

立石岬灯台を目指して草の中

 

敦賀半島最北の車道は小さな港、「立石漁港」にて行き止まりとなる。

その漁港の駐車場を使っていいそうなので、ここに愛車を停めた。

 

夏草の中で1

さて、ここから徒歩なのだが、どっちからどうやって岬の先端の灯台まで行けばいいのか…。

見ると写真の最奥、岸壁と民家の間に標識が掲示されている。

あっちだ。

 

夏草の中で2

いやがおうにも「クマ出没注意」のフレーズが目に入る。

なんてパワフルな字だ。こんなところにもクマいるのか…。

 

そして一転して上の青い看板には立石岬灯台の絵が描かれているのだが、薄っすらしすぎてレリーフみたいになっている。

 

夏草の中で3

敦賀海上保安部のWebサイトでも、クマへの注意喚起がされていたので画像を引用させていただく。

 

海上保安部とは思えないほどに砕けたテイストのイラストだ。

直接記載できないオトナの事情があるのだろうが、ポケモンを意識した構成であり、「マジモンに注意」の表現がウケる。

いや、本当に熊が出てきたらウケるどころの騒ぎじゃないけどな。

 

夏草の中で4

じゃあ歩くか。

ここから灯台までは山道を15分ほどだそうだ。

進行方向に進むと、いきなり海際の狭い遊歩道。草がモジャモジャ。

 

夏草の中で5

わっ!

 

いきなりこんな人が出てきて心臓止まりました。

近所の畑のカカシだと思うが、山道でクマにビビっている人に対してこれは有効すぎる精神攻撃。

 

夏草の中で5

夏草の成長速度に対し、人類による整備の速度が負けている。

これは写真で見える以上に歩きづらいぞ。足もとすら見えないような草むらを進んでいく。

 

しかし夏を満喫しまくっている図だ。

気温はきっと30℃台の後半だろう。

メチャクチャ暑い。梅雨なのにすごい快晴。汗がほとばしる。

 

だれか、今の僕をビールのCMに起用してくれ。てゆーか冷えたビール下さい。

本能がそう渇望していた。

 

夏草の中で5

両側の茂みは、僕の身長ほどにもなった。

さっきまでは海風が体に当たって多少クールダウンしてくれたが、今はそれすらない。

シンドい。

 

夏草の中で6

シンドいといえば、僕の足元もだ。

今回はサンダルしか持っていない。サンダルで来るところじゃないぞ、ここは。

せめてスニーカーだ。ケガするぞ。

 

夏草の中で7

しばらく進むと今度は道は山側に大きく折れ、かなりの急坂の山道になる。

これはキツい。汗が無限に放出される。

 

足もとは岩がゴロゴロしていてサンダルでは滑る。踏ん張りが効かない。

10分ほどハァハァ言いながら山道を登ると、ついに灯台の頭が姿を現した。

 

夏草の中で8

ついたーー!!

 

 

日本人が初めて設計した洋式灯台

 

夏草の中から灯台の頭頂部が見えたときにはとても安堵した。

ここまで観光客はゼロ。

しかもクマが出るかもしれない。

道もあっているのかイマイチわからない。

つまり不安だらけだったのだ。

 

立石岬灯台1

そうまでしてここに来たかった理由は2つある。

 

冒頭の通り、ただ単に僕が岬好きであるから。

そしてもう1つは、この灯台は日本人が初めて設計から建設まで自分たちでやり遂げた灯台であるからだ。

その偉大な功績を見ていたかったのだ。

 

立石岬灯台2

空、青。そしてクソ暑い。

だがしかし、最高の絵だ。

これまでの鬱蒼とした空間から解き放たれたカタルシスよ。

 

立石岬灯台3

そして傍らにあった説明板がこれだ。

 

この灯台ができたのは1881年

なんと日本海側の灯台としては2番目に古いのだ。

じゃあ日本海側で1番古い灯台は何か、だって…?

 

角島灯台

山口県の西部、「角島」という本土と道路で繋がっている島にある「角島灯台」だ。

これはデカいし白塗りしていない素材剥き出しの荒々しさで、僕も大好きだ。

 

島に渡るための「角島大橋」もインスタ映えスポットとして非常に有名であり、数々の車のCMにも出ているので、あなたもどこかで目にしたことがあるかもしれない。

 

立石岬灯台4

話を立石岬灯台に戻そう。

 

これまでの洋式灯台って、それなりに海洋知識のある外国人が「ここに作るといい感じですよ。設計してあげましょう。」みたいなノリだったの。

だけどもこの立石岬灯台は、日本政府が「ここ敦賀を中国を始めとする大陸側の玄関口とする!だから灯台必要!」って方針を定めたの。

そういう経緯で、日本人が設計・建築をしたのだ。

 

もちろん今でも現役。

しかも登録有形文化財にも登録された。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

過去、ブログ内で似て非なるステータスを持つ灯台を取り上げたことがある。

石川県、能登半島最先端の「禄剛崎灯台」だ。

 

これは日本人が初めて建設し、その喜びから灯台に菊の紋章までくっつけた。

ただしこれは設計士はイギリス人だったのだ。

完全なる日本製は、立石岬灯台が最初。

 

立石岬灯台5

ズングリしているが、青空に立つその姿はなかなか素晴らしい。

ここも周囲は草ボウボウだが、綺麗に整備されているのではなく、こういうワイルドなところに立つ灯台っていうのも悪くはないな。

そう思った。


ただし、とても暑かった。木陰は皆無。

あまり炎天下にいると日焼けしてしまう。

 

灯台に別れを告げてまた15分ほど歩き、漁港の愛車の元へと帰ってきた。

もう汗だく。ヘロヘロ。

カバンを投げ捨て、ボディシートで体を拭いた。

 

チクショウ。願わくば、僕も海水浴したい!

 

-*-*-*-*-*-*-*

 

いよいよ明日から冬がやってくる。

それに合わせて気温も一気に下がるとのことだ。

 

僕らは冬には夏を懐かしみ、夏には冬を懐かしむ。

そんな繰り返しの思いが原動力となり、地球を動かし四季を巡らせているのかもしれない。

…という妄想ができるのが、日本の四季の素晴らしさ。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 立石岬
  • 住所: 福井県敦賀市神町
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり(立石漁港を使用)
  • 時間: 特になし

 

No.239【静岡県】紅葉まだ間に合う!「白糸の滝」は錦絵図のような木々に包まれる!感動!

「白糸の滝」というのは全国各地にいくつかあるが、静岡県富士宮市の白糸の滝のお話である。

 

ここの白糸の滝が絶景なのを知っている方は多いと思う。

無数の小さな滝が織りなす、白い水流のヴェールのような瀑布なのだ。

僕も過去何度か訪問し、スゲースゲーと叫んだ声すら滝の音に飲み込まれるような絶景に感動したさ。

 

春の訪問時

ここに紅葉真っ盛りのシーズンに行ったらどうなるか。

恥ずかしながら、初めて紅葉シーズンに行ったのは昨年である2021年11月であった。

 

そしてすごかった。

陳腐な言葉を並べても説得力がないので、まずは写真を1枚掲載しよう。

 

紅葉シーズンの訪問時

はい、100点!!

 

ちなみにもうちょっと到着時間が早ければ写真の右下部分の影も無くなるので120点!!

あと、写真右上の「富士山」が雲に隠れていなくって完全に見えていたら200点!!

 

…というワケでマイナスファクターも少々あるものの、すごく満足できる時間を過ごすことができた。

今回はその、紅葉時期の白糸の滝に絞って執筆する。

 

 

近道一番駐車場

 

白糸の滝には、いくつか駐車場がある。

なんて言うのかな…、観光地のオフィシャルな駐車場ではなく、おじさんおばさんなどが「安いよー」・「ここだよー」みたいな感じで呼び込んでいるような、ちょっとレトロな形態の駐車場ってイメージだった。

それらの駐車場の場所をまずご紹介しようか。

 


ゴチャついたマップになってしまってすまない。少し整理しよう。

 

  • 白糸の滝観光駐車場(¥500)…ちょっと高いが、ショップなどへのアクセス良好
  • 終点駐車場(¥300)…音止の滝・白糸の滝に近いが、観光客が多く歩く狭い道を進む必要あり
  • 旧白糸ガーデン駐車場(¥300)…すべてがノーマル
  • 近道一番駐車場(¥300)…白糸の滝にやや近いが、ショップにはやや遠い
  • 白糸自然公園駐車場(¥0)…すべてに対し桁外れに遠いが、歩ける距離だし無料

 

近道一番駐車場1

今回、僕は「近道一番駐車場」に停めた。

この駐車場を選んだの、なかなかユニークな選択肢だったかもなって思った。

まずは名前がユニークだしな。

 

近道一番駐車場2

駐車場から車道を挟んだ対岸が白糸の滝の敷地だそうだ。

その車道を渡るとき、さっきまで隠れていた富士山の登頂が見えて「おぉぉ!」ってなった。

 

近道一番駐車場3

富士山、ほんのちょっと頭が出ているだけでも、なんて雄大でなんて魅力的なのだろう。

すごい存在だ。富士山が嫌いだという日本人はなかなか見かけない。

 

ただし僕は近道一番駐車場を信用していなかった。

『白糸の滝がすぐ見えますよ』みたいに書かれていたが、この界隈で一番賑わっている「白糸の滝観光駐車場(¥500)」からはそれなりに離れている。

こういう観光地って、みんな口々に「ウチが一番近い」って言っているイメージだ。

だから疑わしい。

 

白糸の滝展望台1

歩くこと2分ほど、いきなりこんな絶景が眼下に現れた。

マジか。近いしすごい。

疑ってゴメン。

 

 

白糸の滝展望台

 

すごいすごい!!

 

白糸の滝展望台2

近道一番駐車場からすぐに白糸の滝を眺めることができた。

そのスポット名は「白糸の滝展望台」というまんまなネーミングである。

 


さきほどのMAPに、世界一下手な白糸の滝の絵を追加してみた。

白糸の滝は、向かって左側が正面である。

近道一番駐車場から歩いてきた僕は、いきなり展望台からその正面を見ることができた。

 

一番栄えている駐車場は白糸の滝観光駐車場であるが、そこから歩くよりも断然近い。

それに、白糸の滝観光駐車場に車を停める多くの人は、展望台まで来ないのだ。

 

 

白糸の滝観光駐車場に車を停める人は、「ここ」って書いたところが大体ゴールになる。

展望台にメッチャ近いように見えるが、実は展望台の方が遥かに標高が高い。

だからみんな展望台まで上がってこないんだよね。

何を隠そう、今までの僕がそれだ。

 

白糸の滝展望台3

だから、今回初めて近道一番駐車場に車を停め、この景色を見ることが出来て感動した。

写真の右上の隅を見てほしい。富士山も見えている。

白糸の滝と富士山の写真を同時に撮れるのは、地上ではここだけだ。

 

白糸の滝展望台4

しかし「失敗したな」って思った点が2つある。

 

1つは到着時間が遅すぎた。

あと2時間くらい早ければ、上の写真の大部分は日が当たっていただろう。

影が多くなってしまい、滝が見えにくかったのがマイナスだ。

 

あともう1つ、展望台の写真を引きで撮ればよかった。

記事にするにはいささかわかりづらかったよね、ゴメン。

展望台と言っても何か塔があるわけでもないし、丘を登るわけでもない。

遊歩道の脇が深い谷であり、遊歩道から谷底を見下ろしたのだ。

 

白糸の滝展望台5

これは展望台に掲示してあった写真である。

はい、プロってすごい。素人惨敗。

 

ただ、展望台は狭いので狙えるアングルは1つだ。

天気と日当たりと紅葉の時期だけしっかり合わせれば、あなたも似たような写真を撮れるかもしれない。

 

白糸の滝展望台6

 

 

お鬢(びん)水

 

白糸の滝展望台から、ほんの100mほど近道一番駐車場方面に戻る。

そこに「お鬢水」というスポットがある。

どういうところなのか想像がつかなかったので、先にわかりやすい白糸の滝展望台を見たが、心を満たされたのでお鬢水に戻ることにした。

 

お鬢水1

遊歩道が分岐し、ちょっと木立の中に入っていくイメージだ。

そこのモミジの色付きが最高で、これを見ただけでも「お鬢水を目指してよかったなぁ」と思えるほどだった。

 

お鬢水2

日本の秋って凄まじいよな。

世界が赤く燃えるように色付く。

1年からしたらこの時期は一瞬かもしれないが、劇的なイベントだとしみじみ思う。

 

お鬢水3

これがお鬢水だ。ようするに池、だね。

窪地に当たる部分なので既に日陰であるが、水は結構澄んでいそうな気配だ。

そして池のふちには石碑などが並んでいる。歴史あるスポットの気配。

 

スケール感は、左端の人間と対比してみてほしい。

 

お鬢水4

脇の説明板に由緒が書かれている。

ここは白糸の滝の崖面のほぼ中央部。川の本流が落下する部分の上に当たるらしい。

鎌倉時代に初代将軍の「源頼朝」がここで水面を鏡代わりにして髪型をセットしたのが、名前の由来だ。

 

お鬢水5

水面を鏡代わりにするには、当然水面の正面に行かねばならないよね。

この池の大きさと深さを鑑みると、なかなかにチャレンジングなヘアセットだったと思う。

池の中にズブズブ入って下半身ビッショリか、後ろから部下に落ちないように支えてもらいながらのスリリングなひとときか。

 

まぁどっちでもいいけど。

そして当時もちゃんと鏡あるんだから、部下は鏡を用意しておいた方がいい。

 

お鬢水6

…というのが非常にヤボな横槍だということを、僕はもちろん知っている。

数100年以上前の逸話なんて、事実とか理屈ってレベルではない。

むしろロマンと神話の物語なのだから。

 

さて、僕はお鬢水から流れ出る水の行方を目で追う。

これ以上は危険なので立入禁止だが、水流の先には深い谷があるようだ。

木立の隙間に目を凝らしてみよう。

 

お鬢水7

うおぉ、あれはもしかして白糸の滝の端っこか!?

 

お鬢水も、滝の一部となってあそこから滑り落ちていくのだろう。

白糸の滝の一端を垣間見ることができたのだな。

 

 

滝正面と滝見橋

 

白糸の滝展望台から、急な階段をしばらく下る。

そうすると、滝壺と同じ目線に設置された遊歩道に出ることができる。

 

滝の正面遊歩道1

前述のMAPを再利用する。

ここ」と書いた部分にやってきた。ここまでは過去の僕もアプローチ済みだ。

 

滝の正面遊歩道2

水流のカーテン。

そのパノラマを眼前で見ることができるのがここだ。

 

あれ、確か昔は写真の左端に当たる部分に古びた土産物屋があったよね?

そういうのが撤去され、とても綺麗なテラス風の遊歩道になっているな。

 

少し残念なのは、もう滝の半分近くが日影になっているという点だ。

さっき展望台から眺めたときよりも、さらに日影が浸食してきている。

 

こう書くと夕方の訪問のように聞こえるが、実はまだ13時台である。

晩秋の日は短い。昼前の訪問がベストである。

 

滝の正面遊歩道3

それでも、この陰と陽のコントラストは美しい…。

とめどなく流れる水。不思議。

炎の揺らめきと一緒で、いつまでも眺めていたくなる。

 

…おっと。

しかしそんなにゆっくりとはしていられないぜ。

「滝見橋」という絶妙なネーミングの橋から、完全に日影になる前に白糸の滝を眺めたいじゃないか。急げ!

 

滝見橋1

これが滝見橋!

この写真ね、実は僕の2m左まで日影がやってきていて、「早く写真を撮ってくれー!もう闇が僕のすぐ近くまで浸食してきているー!僕が飲み込まれる前に早く!!」って、中二チックなファンタジーストーリーみたいなセリフを吐いていた。

いや、しかし実際マジでギリギリであった。

 

滝見橋2

無数の滝が、川の本流に流れ込んで合流している様子が手に取るようにわかる。

滝の構造を把握するのであれば、ここが一番のスポットかもしれないな。

そしてさっきのお鬢水は、この写真の一番奥の崖の上だな。

 

滝見橋3

それでは、滝見橋の先の階段を昇ろう。

つまりは白糸の滝展望台のあったのとは反対側の崖。

そっちのほうにこのエリアのもう1つの滝、「音止(おとどめ)の滝」があるのだ。

 

見上げる紅葉が目に眩しい。

 

瀧見橋4

途中、滝見橋と白糸の滝を同時に見下ろすことができた。

白糸の滝、これにてラストショットである。

 

 

「Mifujiya Coffee」

 

階段を昇った先は、カフェや雑貨屋などが並ぶ綺麗なストリートである。

うむ、すっごい綺麗になったなここ。

昔の記憶では、昭和っぽい土産物屋が軒を連ねていた記憶だったが。

 

カフェタイム1

冒頭のMAPを再掲載しよう。

音止の滝のあたりまでやってきた。

…が、音止の滝については次項で書こうと思う。なぜならば… ―

 

カフェタイム2

オシャレなカフェを発見してしまったのだ。

「Mifujiya Coffee」という店名。

カフェなんてする予定ではなかったが、急にコーヒー飲みたくなっちまったじゃないかチクショウ。

 

カフェタイム3

そして今日は晩秋なのにポッカポカ。

外のテラス席でコーヒー飲んだら最高じゃないかよ。

あぁ、なんて恐ろしいことを思いついてしまったのだろう、僕は。

 

じゃあもうカフェに入るしかないだろう。

自家焙煎とか書いてあるし。なにそのキラーフレーズ。ちょっと僕に飲ませろ。

 

カフェタイム4

メニュー台もやたらオシャレだ。

2人なので"富士山アイスコーヒー"と、"音止の滝ブレンドコーヒー"をオーダーした。

そうなのだ。11月も下旬だがこれだけ暖かく、しかも階段を昇った直後だからアイスコーヒーがいいのだ。

 

カフェタイム5

店内、いい雰囲気だな。

コーヒー関連の雑貨も取り扱っている様子。

コーヒーを淹れてくれるのを待つ間、いろいろ見させてもらった。

 

カフェタイム6

店内には薪ストーブもある。

これから冬を迎えると、あそこに火が入るだろう。

 

中の席もいいが、ガラガラである。

お客さんはみんな外のテラス席にいるのである。

僕もそうする。冬になる前にせいいっぱい光合成しておきたいじゃないか。

 

カフェタイム7

はいステキ。

ここはカフェの敷地であり、カフェの店内を経由しないと行けない場所。

つまりはメニューをオーダーした者のみが入れる世界だ。

 

カフェテーブルが点在しているし、お店の軒下の日影もに席がある。

あと、この写真を撮っている僕の後ろにもカウンター席がある。

 

カフェタイム8

軒下の席に座った。ほどよく日が当たっていた。

そして2つの席が、まるで映画館の座席のように並んでおり、その真ん中にドリンクを置く小さなテーブルが取り付けられていた。

 

すっきりした味わいの富士山アイスコーヒー、ほっとする音止の滝ブレンド

どちらも富士山の湧水を使っているとのことだ。

ホットもアイスもどちらも楽しめる気候であり、そしてどちらもおいしい。

 

カフェタイム8

ゆっくりと、日が西に傾いていくのを眺めながら、カフェタイムを楽しんだ。

幸せなひとときだ。

 

 

音止の滝

 

白糸の滝とセットで楽しめる、音止の滝。

ここに来たなら見たいところだ。当然だ。

 

過去の音止の滝

ちなみにこれが、過去に僕が見た音止の滝だ。

白糸の滝とは一転して、豪快なイメージの滝である。

 

前章でカフェをしたときから、数分時をさかのぼる。

さーて、滝を見られる場所はどこだったかなぁと遊歩道を歩いていると…。

 

音止の滝1

わわっ!なんだかチープですぜ!

でも確かに横には『音止の滝』と書かれている。

 

既存のしっかりした丸太風の柵がある部分に対し、とりあえず数10cm高さを稼ぐためだけのために、鉄パイプでとりあえず感の高いお立ち台を作っている。

なにこれ?こんなだったっけ?

 

コロナ禍だしお立ち台のサイズ的にも、1組ずつしか滝を眺められない。

なので必然的に行儀のいい列ができていた。

そして数組分待ち、僕もお立ち台に登る…。

 

音止の滝2

見えねーー!

眼前のモジャモジャが、果てしなくジャマーー!!

 

それに、さっき掲載した過去写真と比べるとちょっとアングル違うよね。

どうした?過去に眺めた展望台はどこ行った?

それっぽい場所はあるが、お土産物屋の敷地内であり、お土産物屋ごと立入禁止のロープが張られている。

はて??

 

まぁしょうがないかと遊歩道を歩いていて、そのとき発見したのが前章のカフェ、「Mifujiya Coffee」である。

実はこのカフェに入った目的は、もう1つあった。

 

音止の滝3

音止の滝のほぼ真上に敷地があるのだ。

Webサイトにも『日本で唯一滝の真上で珈琲が飲めるお店です』って書かれている。

 

上の写真、赤囲みは音止の滝の石碑である。

向かって左手、カウンター席に座るカップルたちは、真下の滝を見下ろしながらコーヒーを飲んでいるのである。

 

音止の滝4

僕も滝を見れる可能性があるならカフェしようぜ!…ってなったのだ。

 

そう、あくまで「可能性」と書いた。

なぜなら、滝の真上の敷地から、滝がちゃんと見える可能性は低いだろうと考えたのだ。

さっきのお立ち台からのアングル、モジャモジャがなくっても滝が見えるギリギリであろう。

これ以上滝の起点に近づいたら、ちゃんと見えようはずもない。

 

では、答え合わせだ。

 

音止の滝5

うむ、予想通りギリッギリ!!

せいいっぱい首を伸ばしてこのレベルだ。

 

しかし確認できただけでも成果があったじゃないか。

今回はこれで良い。

 

ちなみに音止の滝、さらに遠いところから遠望する「音止めの滝裏展望台」というのがあるのだが、僕自身は行っていないので気になる方はご自身で調べてほしい。

 

近道一番駐車場3

…再び近道一番駐車場。

スタッフのおじいちゃんとお話ができた。

 

音止の滝は2011年の東日本大震災後、地盤が一部崩れてしまったのだそうだ。

それで危ないので立入禁止になっているとのこと。

 

なるほど、あの地震はここまで影響があり、そして10年以上経った今も展望設備が再建できないということか。

そういえば、白糸の滝はさておき、音止の滝は長いこと見ていなかったな。今回初めてこの経緯を知った。

 

近道一番駐車場4

白糸の滝。

富士山が「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」として世界遺産になったとともに、ここも世界遺産となっている。

 

2022年11/26・27は、白糸の滝展望台で紅葉ライトアップも行われる。

あなたも興味があったら滑り込んでみてはいかがだろうか。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 白糸の滝
  • 住所: 静岡県富士宮市上井出273-1
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No.238【福岡県】日本のベニスこと柳川!ダンジョンのような水路の迷宮を歩いてみよう!

ドラゴンクエストでもなんでもいい。

ゲームの中のフィールドは、どれもとても複雑である。

地下のダンジョンであろうと、天高く聳える塔であろうと、小船で攻略する運河だろうと。

 

そりゃそうだ。

ゲームプレイヤーを迷わせるため、あえて造りを複雑にし、難易度の高いラビリンスとしているのである。

ドラクエⅡの「ロンダルキアへの洞窟」、ファイナルファンタジーⅢの「クリスタルの塔」などは、ゲーム史に残るプレイヤー泣かせの鬼畜ダンジョンである。

 

ただし、現実にはそんな複雑な造りの迷宮なんてあるワケが…。

あるワケが…。

 

 

「水郷柳川」。

 

 

福岡県にあった。

これこそ、日本の誇る水路タイプのリアル鬼畜ダンジョンである。

 

 

柳川に馳せる想い

 

佐賀県との県境にほど近い、福岡県の有明海沿いの町、柳川市

その町のアイデンティティGoogleマップを使って上空から見ると一目瞭然だ。

 

柳川は水路の町1

見てくれ、この大地のヒビ割れのように縦横無尽に描かれている青い線を。

全部水路なんだぜ。

このエリア一体、水と共に生活していると言えるだろう。

 

柳川は水路の町2

少し地図を拡大してみる。

そうすると、さっきの縮尺では描ききれなかった細かい水路が登場する。

 

こうやって見ると道路より水路の方が多いよな。

東京下町のこまごました道路が続いているエリア、その道路が全部川になったとイメージしてもよいのではないだろうか?

 

柳川は水路の町3

さらに拡大してみた。

水路が自由にのたうつように伸びているのが目の当たりにされる。

 

今でこそ、道路はしっかり舗装されて随所に橋が架かっている。

でも、100年前とかそれ以前とか、車も走っていない時代はどうだったのだろう?

きっと橋も少なかったのだろう。

 

そんな時代は、果たして陸路が便利なのか船が便利なのか。

…そういう世界にもなりかねない。

ただ、陸にしても水路にしても、きっと複雑極まりない迷路だったのであろう。

 

そんなことを想像するだけで、僕はワクワクしてしまうのだ。

 

*-*-*-*-*-*-*

 

初めて僕が柳川の町を訪れたのは、日本2周目の頃であった。

日本1周目ではもっと内陸を走っており、柳川市には足を踏み入れなかったのだ。

 

ただ、日本2周目訪問時のコンディションはズタボロであった。

長崎県の最南部にて「軍艦島」をバックとした夕暮れを眺め、長崎市の市街地で「稲佐山」の夜景を眺め、そして有明海沿いにここまでやってきた。

 

当然もう夜遅い。22時を回った。

僕はヘトヘトに疲れていた。

 

カーナビも無い車であったが、闇夜に浮かぶ看板から水路がすぐ近くにあると知った。

車を停め、カメラ片手に小走りで辺りを巡ってみた。

 

ファーストショット

当然夜なので町は静まり返っている。

「いずれ機会があったら水路を見ながらのんびりと散歩とかしてみたいなぁ。」

…当時の手記にはそう記されている。

 

わずか数分。柳川を少しだけ感じられた時間であった。

 

 

初めての水路散策

 

日本3周目、2月下旬。

冬ではあるが、九州には早くも春の気配が漂い始めた、暖かい日であった。

 

付近の山間部にて、車内の自炊スペースでお好み焼きを作って食べた僕は、「よしっ今度こそ柳川に行くぞ」と勢い付いた。

 

柳川散策1

とりあえず柳川の町に入ったのだが、どこを拠点に散策すべきか迷う。

たぶん周囲360度どこも水路なのだが、逆にその情報量の多さが僕を戸惑わせる。

そして天気のいい週末とあって交通量が多く、僕はオドオドしっぱなしでハンドルを握っていた。

 

花粉飛びすぎで鼻水出まくり、ちょうどティッシュがなくなって困っていたので、コンビニに入り、ティッシュ購入がてら道を尋ねてみた。

店員のおばちゃん曰く、「今の時期はまだちょっと早いねぇ。もう少し先だったら雛祭りイベントでの舟下りがあるし、花も咲き始めるんだけどねぇ。」とのこと。

 

でも僕は水路を見ながら散歩をしたいので、イベントうんぬんは気にしないですと言い、観光客用駐車場の場所を聞き、パンフも何種類かもらった。

ありがとう、行きずりのコンビニ。

 

柳川散策2

あぁ、柳川!

初めて明るい状態で見ることができた…!

 

ちなみにコンビニのおばちゃんはオフシーズンって言ってたけど、駐車場はすごい観光バスが来ていたし、一般車も多かった。

休日だったりシーズンだったりしたら車を停められなかったよ、きっと。

これが柳川の人気か。スゲー。

 

柳川散策3

いやーホントに水路だらけなんだね。

自分の足で歩くと実感する。

 

町中の川なんてどこの町にでもあるし見慣れているけど、ここのは川と違って直角に
曲がったり、いろいろ分岐したり合流したりと変則的だ。

それが天然由来の「川」と人工的な「水路」の違いなのだろう。

 

そしてあくまで僕の体感だけども、上流とか下流みたいな明確な傾斜が無いんだね。

つまり流れをほとんど感じさせない。

だから穏やかな水路に囲まれた街ってカンジ。

 

柳川散策4

水路に沿って、地元の人が散歩しているコースみたいなところを選んで歩く。

うん、ここがどこだかよくわからんが、この辺りは観光客が少なくていいや。

 

人の流れを見る限り、たぶん観光客の多くは「北原白秋生家・記念館」のほうに歩いている。

そりゃ僕も白秋さんは尊敬しているけどね、今回の目的は白秋さんではない。

だから反対方向に行くのだ。

 

ところどころで見かける小舟がまた絵になる。

のんびりとしたお散歩で気持ちがいい。

水の流れと時間の流れが比例しているかのようだ。

そしてそれに僕自身もリンクするよう、ゆっくりゆっくりと町を満喫する。

 

柳川散策5

カメラにパノラマ機能が無かったので、強引に3枚の写真をくっつけた。

しかしそれでも、この水路の広がりをあなたにお伝えするのは困難であろうな…。

ホント、歩けども歩けども、水路が広がっていたのだ。

こんな景観、日本でここだけではないだろうか。

 

ポカポカ暖かい、春を感じさせる散歩であった。

「これで花粉さえ飛んでいなければ最高なのにな…。」

僕はそう呟き、さっき買ったティッシュで盛大に鼻をかんだ。



夕闇の水路の静けさよ

 

「うおぉ、急げ急げ!もう日が暮れるぞ!!」

僕は車から転がり落ちるようにして柳川に降り立った。

時代はしばらく流れ、日本5周目、5月の19:00直前のことであった。

 

夕闇の柳川1

柳川の川下りの案内看板を見つけたので、そこに沿って出てきた駐車場に飛び込んだ。

ここがどこだかよくわからないが、そんなのを確かめているうちに真っ暗になってしまう。

 

とりあえずここから水路散策ができそうなので、それでよいのだ。

さぁ、行こう。

 

夕闇の柳川2

…この光景、なんとなくデジャブを感じるな…。

 

「白秋道路」っていう遊歩道を川に沿って歩く。

北原白秋の中学校時代の通学路だそうで、真横の川は川下りコースでもある。

さらには「日本の道路百選」にも選ばれているのだそうだ。

 

夕闇の柳川3

ここでさっき感じたデジャブに確信を持った。

あ、ここ、来たことあるよ…。

 

結構昔、日本3周目のときのこと。確かにここを歩いた。

記憶のピースがカッチリとはまった。

いろんなところを旅しすぎて情報が錯綜するが、たまーにこうやって忘れかけていた思い出が蘇ることがある。

日本何周もしていると。それがまたいい。

 

夕闇の柳川4

こんな公園みたいに綺麗には整備されていなかったけどな。綺麗になったな。

 

微妙な変化に気付けたり、気付けなかったり。

はたまた帰宅後に写真を見比べて気付いたり。

そういう楽しみがある。

 

思い起こせば、さっきの駐車場も前回使ったところだ。

もう夕暮れなので車がガラガラすぎて2台しかおらず、一緒の場所とはすぐには気付けなかったけど。

 

夕闇の柳川5

記念に、前回とほぼ同じ場所で自撮りしておいた。

そしてあの頃の道を思い出しながら、同じコースを歩いた。

 

夕闇の柳川6

もう観光客のいなくなった遊歩道を夕涼みしながら歩くのも楽しい。

ときどき小魚が「パシャッ」って飛び跳ねていた。

物音と言えば、それくらいであった。

 

 

柳川は水が無い町

 

柳川水郷の水路は、延長930㎞もあるそうだ。

すごい。東京から福岡くらいある。

じゃあなんで、こんなにも水路が発達したのだろう?

 

意外かもしれないが、かつての柳川は水不足ですごく困っていた。

いや、海水ならあるよ。有明海が目の前だから。無いのは真水だ。

 

柳川は標高が低い湿地帯。

有明海は日本一干満の差が激しい海。

つまり満潮時には海が陸地まで逆流してしまい、町の中の川も池も海水とブレンドしてしまう。

飲めないし農業にも使えない。

 

そんなこんなで、柳川の人たちは2000年くらい前からずーっと困っていた。

 

水路の町1

その対策が掘割(ほりわり)という設備だ。

ここいらは話すとなかなかに長くなってしまうのだが、土を掘って溝を作る。

掘った土は陸地になる。

 

掘られた溝は雨水をため込んだりして真水として利用ができる。

また、あるときは海から逆流してきた水をため込んで、町を守る。

昔からいろいろ考えられ、少しずつ作られて現代のかたちになったのだそうだ。

 

水路の町2

柳川のお城のお堀として活躍したり、人々が舟で行き来するなど生活ルートになったりしたのだが、それは二次活用的なものなのだね。

 

今では観光中心であり、どんこ舟という各写真でも掲載した手漕ぎの小舟で、ゆっくりと水路観光ができる。

ギリギリで橋の下をくぐったり、水上店舗があったりと、調べてみるととても楽しそうだ。

 

水路の町3

僕は少し散策しただけであり、うまく写真を取れた気もしていない。

 

ぜひ気になったらあなた自身でWeb検索したり、あるいは現地訪問してみてほしい。

僕もいつかは観光用のどんこ舟に乗ってみたい。

 

きっと生活の数だけ水路がある。

きっと伝えきれない過去からの思いがある。

だからこそ、僕はもっともっと柳川を知りたいと思うのだ。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 水郷柳川
  • 住所: 福岡県柳川市三橋町下百町1-6
  • 料金: 散策だけなら無料
  • 駐車場: 観光駐車場が各所にあり
  • 時間: 散策だけなら特になし

 

No.237【長野県】本州の中心ってどこ!?実は松本の「浅間温泉」にあるんだぜ、中央の碑!

その温泉地に、僕は旅で3回足を運んだことがある。

 

そう書くと「きっとお気に入りの温泉地なのだね!」とか言われるかも知れない。

すまない、実はそこの温泉に入ったことはないんだ。

それどころか、まともに観光したこともお金を落としたこともない。

 

なんでそんなにも空虚な旅をしたのか。

それは強烈な目的地が1つだけあったからだ。

 

「本洲中央の地」と刻まれた石碑。

 

 

これを拝むために僕は松本市の「浅間温泉」の薬師堂を目指した。

 

ここが本州の中心?

どんなところだ?なぜ中心なのだ?

興味が僕を、駆り立てる。

 

 

本州の中心、すわなち日本の中心

本州中心の根拠をWebで探すが皆無

 

北海道・本州・四国・九州。

日本列島を形成するメインであるこの四島において、本州はその中心である。

その本州の中心ってことは、広義の日本の中心である。

 

日本の中心。

すごいパワーワードだ。なんか惹かれる。

日本の端っこも惹かれるけど、同じくらいに日本の中心にも興味をそそられる。

 

そんな飽くなき探求心で日本の中心を巡っているのが、この僕だ。

実は日本の中心って、いっぱいあるのだ。ぶっちゃけ30箇所くらいある。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

詳細については上記リンク先の【特集】をご覧いただきたい。

日本の中心の定義って曖昧で、定義次第で無数に乱立しているのが実状なのだ。

そしてこの無数の日本の中心を全部巡ってみたいと、僕は夢見ている。アホでしょ。

 

次に僕は考える。

「なんで長野県松本市の浅間温泉が本州の中心なのかな?」って。

 

 

とりあえずGoogleマップの浅間温泉にピンを立ててみた。

なるほど本州の中心と言われれば、そう見えなくもない。

…っていう自己満足を求めているのではない。

 

本州の中心示すスポットがある以上、誰かがここが本州の中心だと判断したのだ。

その人の根拠を知りたい。

「なんとなく」ならそれでもいい。

見解を知りたいのだ、僕は。

 

だから2022年の今年、Webで調べてみた。

僕が調べた限りでは、1つも根拠となる情報は出てこなかった。

 

ただ、僕が本州の中心を検索したのは2022年だけではない。

たぶん遡れば2006年くらいから調べまくっていた。

16年も前だ。なんて執念!コワッ!キモッ!

 

その頃は、Webの中にほんの少しだけ手掛かりがあったらしい。

わずかな手掛かりを見つけた僕だったが、その後数年かけても追加情報を入手できず、Web上にこんなコメントを残した。

 

僕の過去記事

本州の中心が長野県、そして長野県の中心が松本市であるから、という推測も存在する。誰か正確な定義を知っている人がいたら教えてください。』

 

そうなのだ。

2022年現在もWebの検索エンジンで「松本市_本州の中心」で検索すると、パラパラと『本州のほぼ中心に位置する松本市では…』みたいなフレーズが出てくる。

長野県、位置的に確かに中心なのかもしれない。

 

あと、冒頭に戻るけど石碑の正式名称は本洲中央の地だ。

中央と言うのは物理的な中心ではなく、「機能の中心」も指す。

…であれば、県内トップクラスの大都市である松本市が長野県の中央であるのも納得だ。

 

 

だが僕はそれだけに満足はしない。

 

  • じゃあ松本市の浅間温泉の、石碑のあるその位置が本州の中心である根拠は?
  • 今までの理屈も僕の推論だよね?公式な情報はいずこ?

 

もうWebで調べても、これ以上の情報が出てこない…。

 

 

自治体に問い合わせてみよう

 

2022年、長年くすぶっていた疑念を払拭させるため、僕は「松本観光コンベンション協会」さんに、ブログ掲載の意図を示した上で質問をぶつけた。

そして回答いただいた。マジにありがとうございます。

 

◆質問①
前提としまして、以前どこかのWebにて「本州の地理的の中心の県が長野県であり、かつその地理的中心が松本市であるとの表記を見たことがあります。

後者については、塩尻市も「長野県の中心である」と名乗っているスポットがあり、実際に緯度だけで判断すれば松本市は長野県のやや北に位置すると思います。

地理的中心というより県下有数の都市であることが判断基準のようにも思えますが、どうだったのでしょうか。

 

塩尻市も「長野県の中心である」と名乗っているスポット』って気になるでしょ。

 

塩尻市・日本土真ん中

これはまだ正式執筆前だけども、塩尻市には「日本土真ん中」っていう日本の中心の1つがあるのだ。

「"長野県の中心である"ってアピールする町が2つあって大丈夫なの??塩尻市は地理的な中心で、松本市は政治の中心だよね?」…っていう意図も込めての質問だったのだ。

 

これに対する回答をいただいた。

松本市は長野県の「中信」地域にあり、その中信地域の中でも一番人口が多く、中信地区を代表する市である…とのことだ。

 

 

長野県は、上のように4つのエリアに分けられている。

位置的にも文字的にも、中信が真ん中っぽいイメージ。

その中の最強都市が松本市だ…っていう、松本観光コンベンション協会さんのコメントだ。

 

 

ただし!!

 

『「本州の中心」というようなことはあまり聞きませんし、それに関したPRについても行ってはいません。』

 

マジか。

松本市が本州の中心である根拠を確認した後、「じゃあさらに浅間温泉の薬師堂に絞り込んだ理由は何なの?」って質問にスマート繋げたかったのに、頓挫したわ。

終わった。

 

浅間温泉_メインストリート

…と思いきや、僕はすでにその質問を投げていた。

 

◆質問②
松本市の中でも浅間温泉薬師堂が「本洲中央の地」に選ばれた理由をご教示いただけ
ますでしょうか。

浅間温泉は松本市の中でも北部であり、地理的には中心ではないスポットです。

理由があるならご教示いただきたいです。

 

「だーかーらー!そもそも松本市が本州中央じゃないって言ってるだろ!」って一喝されるかと思いきや、これの返信は興味深かった。

 

『浅間温泉観光協会にこの件について聞いたところ、60年位前に、まだ浅間温泉が本
郷村(今は合併して松本市になっています)にあった時代に、観光呼び込み策として
建てられたとのことです。』

 

人々の期待を背負った碑

なるほど。

ヒントはこっちの返信の方が豊富であった。

 

碑を建てたのは本郷村だった時代だ。1974年に松本市に合併したそうだ。

…ってことは、「松本市が長野県の中心だから…」っていうのはたぶん製作者の意図とは反する。その当時ここは松本市じゃなかったのだから。

 

きっとふんわり「このあたりって長野の中心じゃね?北にズレている気もするけど、まぁそういうことにしちゃおうよ」って感じになったのではないだろうか?

 

こういう中心もあっていいのかもしれない

なにせ60年の前の話なので、これ以上僕が調査するのは難しいだろう。

 

ひとまず本州の中心の定義についての結論は、「浅間温泉がノリで設定した」としておこう。

いいじゃない。昭和時代はこういう勢いが大事だったのだよ、きっと。

 

 

温泉街を彷徨い歩く

 

あーだーこーだと退屈な検討をしてしまっていてすまない。

いよいよ現地を目指したい。

 

しかしまだこれは前段となるストーリーだ。

まだ本洲中央の地は登場しないので、「そんなチャプターは読む価値が無い!」という方は次の章までワープしてほしい。

 

-*-*-*-*-*-*-*-

 

…日本3周目前半。

愛車の日産サファリに乗った僕が、松本市にやって来た。

 

初めてのアプローチ1

浅間温泉。

これは後年撮影した写真であるが、この看板のフォントがレトロでエモい。

ずっとこのままのデザインを大事にしてほしい。

やや小さな温泉街だと感じたが、そこに様々な温泉施設が密集している。活気がある。

 

僕は本洲中央の地を探しにやって来たのだが、それがどこいらへんにあるのかよく知らない。

Webで検索してもほぼ情報が無いのだ。

わかっているのは『浅間温泉内の薬師堂にある』ということだけ。

 

とりあえず温泉街の南の外れに愛車を駐車した。

ここからは歩こう。

 

 

― 結論から言うと、上のGoogleマップの薬師堂は絶対に目指すなよ!

違うからな!!ここじゃないからな!! ―

 

現地に持参したガイドブックを見ると、温泉街の北の半分山みたいなトコに「神宮寺」の薬師堂というのがある。

その薬師堂こそ、上のGoogleマップの薬師堂だ。

 

うわー、温泉地の逆側に車を停めちまったよ。

だけども車はデッカいから、また乗り込んで温泉地をチマチマ走りたくないよ。

 

とりあえず、歩こう。

山に方面入る道がわからなくて、散歩していたばあちゃんに道を聞いたりもする。

朝で寒いのに、体が火照ってきた。

よくわかんなくて墓場の中をグルグルしたりもした。

 

そして到着。

 

初めてのアプローチ2

うむ、違和感がある。

なんかイメージと違う。

 

試しに付近に本州中央の地の碑があるか探してみる。

いや、無いです。そんな気がしていた。

うろ覚えだけど、ネット上で見たときはもうちょっと栄えていそうな背景だったんだよね。

 

でも確かにここ、薬師堂なんだけどなぁ…。

僕の愛用のガイドブックには薬師堂はここ一箇所しかないので、他に候補を見繕うこともできない。

 

初めてのアプローチ3

ガッカリしながらトボトボと温泉街の栄えているところまで戻り、そこをウロウロ歩いて探す。

無い。そう簡単に見つかるわけないか。

この温泉地から1本の石碑を見つけるなんて、どれだけの難易度よ。

 

さらに車に乗ってウロウロし、変な袋小路に入って泣きながら切り返しをしたりもして…。

あー、もうダメ。帰る。

いつの日かのリベンジを夢見て。

 

 

ようやく到達したからこそ尊い

 

僕が本洲中央の碑にちゃんと訪れたのは、日本3周目後半と日本6周目終盤の2回である。

直近の日本6周目をメインに、そのときの写真をお見せしよう。

 

浅間温泉1

2022年、久々に浅間温泉の入口ゲートをくぐった。

もちろん今回も目的は本洲中央の地である。

 

懐かしすぎて記憶が錯乱している。

どこだっけ?どこだっけ??

カーナビで薬師堂を登録したのだが、まるで初めてのような気分で温泉街を走る。

 

浅間温泉2

そうこうしているうちに薬師堂を通過してしまったようだ。

カーナビが「目的地に到着しました」と胸を張って報告してきたが、僕は薬師堂に気付かずにスルーした。

 

マジであった?

 

付近の駐車場に愛車を停め、歩いて戻る。

そして見つけた。

 

浅間温泉3

あぁ、わかりづらいことこの上ないね。

そんなロケーションだったわ、確かに。

 

左右の建物の隙間に挟まれるように建つ薬師堂。

前の道を車で走っていたら、気付く可能性はかなり薄い。

その敷地内に、さらにひっそりと本洲中央の地の石碑がある。

 

本洲中央の碑1

石碑の脇の植物も伸びていて、文面が見えづらくなってきている。

日本3周目で見たときにはもうちょっとスッキリしていた記憶があるんだけどな。

 

本洲中央の碑2

そう思って探し出した写真がこれだ。

碑の下半分文覆い隠す草が少なく、かわりに上半分を覆い隠す茂みがある。

なんてこった。

上半分とした半分を両方同時にしっかり見たことが無いのか、僕は。

 

本洲中央の碑3

何枚か写真を撮った。

道を歩く観光客は僕の方を見て「は?そこに何かあるの?」みたいなけげんな視線を向けてくるが、あるんです。

誰しもの興味を惹くわけではないけど、僕にとっては大事なものがあるんです。

 

本洲中央の碑4

だからせめて、もうちょっと碑が見えやすくしてほしい…。

塀の陰、こんなモジャモジャなところでかわいそうだよ…。

 

浅間温泉5

では、薬師堂にも目を向けてみよう。

僕がさんざん追い求めた薬師堂。

右側の道祖神がなんだかかわいいぞ。

 

浅間温泉6

薬師堂の前には由緒が書かれている。

ただし本洲中央の碑の由緒については当然書かれていない。

 

そんなことは日本3周目後半の初訪問のときにチェック済みだ。

書かれていないから、観光協会にまで問い合わせしたのだ。

 

浅間温泉7

この薬師堂の正式名称は「下浅間薬師堂」。

いつの日か僕が間違えて山の方で発見したのは「神宮寺薬師堂」だから、注意してほしい。

 

もともとは戦国時代の1561年、「武田信玄」がこの地を支配していた頃に、ここに「五月念仏寺」というのが建立された。

その跡地にあるのがこの薬師堂だ。湯治のためにここに来る人の万病平癒祈願のためのものらしい。

 

浅間温泉8

どうやら1742年に建立されたそうだ。

隣の宿屋の敷地に飲み込まれるようにして建っているけど、歴史は古いぞ。薬師堂の方がきっとセンパイだぞ。

 

浅間温泉9

そして道路を挟んで反対側には、「浅間温泉わいわい広場」というのがあった。

これは日本3周目のころにはなかったな。新しそうだ。

誰もワイワイしていないが、子供たちがワイワイしていたら平和そうだな。

 

浅間温泉10

夕闇に包まれる頃、僕は浅間温泉を出発する。

温泉に入ってみたい気持ちもあったが、真っ暗になる前に行きたいスポットがもう1つあるのだ。

 

…多くの人が訪れる温泉街の中。

誰もが見落としそうな道の脇、ひっそり佇む本洲中央の地の碑。

それは温泉街の人たちが、「もっとこの温泉が賑わうように」と願いを込めて、60年前に作った碑だ。

 

その碑を追い求めた僕。

次にこの地に来ることがあれば、この碑を建てた人の願いを汲んで、温泉に入りたいものだな。

それが真の、物語の終焉ではないだろうか。

 

ではいったんグッバイ、本州の中心の地。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 本洲中央の碑
  • 住所: 長野県松本市浅間温泉2-4-8
  • 料金: 無料
  • 駐車場: なし。付近のコインパーキングを使用のこと
  • 時間:特になし

 

No.236【東京都】手動販売機!ハンバーガーと餅!「立石バーガー」の迷走に翻弄されたい!

東京の下町、葛飾区の堀切菖蒲園という駅からの徒歩圏内に、一時期バラエティー番組でしばしば取り上げられた「立石バーガー」というお店があった。

 

ハンドメイド感が満載のハンバーガーの手動販売機がユニークだとか、そんな取り上げられ方だった記憶がある。

 

 

ちょっと調べてみたら、「出没!アド街ック天国」という情報番組にこの店が出たのが2005年。

その後も2010年前後までちょこちょこメディア露出があったみたいだ。

 

さて、その後はこのお店はどうなっているのだろう?

 

これは、ブームが冷めきった頃にようやく動きだし、その後2022年秋までこのお店を追いかけるという、熱しにくく冷めにくい僕によるお店訪問レポートである。

 

ちなみに最後の章で詳細を明かすが、もうこの「立石バーガー」という名のお店は存在しない。

…おや、これは悲しい結末の物語なのか?

念のためみなさん、どうぞ厚手のハンカチあるいはバスタオルを用意しておくのです…。

 

 

自販機永久廃止宣言

物語は絶望から始まる

 

2015年の冬のクソ寒いある日、僕は立石バーガーを初訪問する。

 

下町とスカイツリー

TVやWebを騒がせた、あの話題の手動販売機のお店に行けるのだ。

世間がざわついてから既に数年が経ってしまったけど、だから何だというのだ。

そこに立石バーガーと手動販売機がある。それが大事なのだ。

 

初・立石バーガー1

うおぉ!結構ボロい!

…すまない、あまりの衝撃で心の声が漏れてしまった。

 

ハンバーガー屋とは思えないほどの、年季の入った建物。

ガラスサッシから見える店内は真っ暗。生存反応ゼロ。

 

事前にどんなお店か、今も営業しているのかなど、ろくに調べて来なかった。

これはもう閉店(廃業)しちゃったのか?

 

初・立石バーガー2

一瞬とはいえ、そう思った僕は実におろかだ。

 

バカ野郎、立石バーガーさんは今日も元気に営業中だぞコラ。

地面に立て掛けた「営業中」の朽ちた板が見えねぇのか。

ドアには「節電中」と貼ってあるから暗い理由も察しろやオラ。

 

初・立石バーガー3

ドアには「ようこそ」と書かれているが、店内のあまりの暗さに「ようこそしちゃいけないタイプのようこそ」なんじゃないかと危機感を覚えてしまう。

ホラー映画で真っ先に犠牲になるキャラクターでも、こんな貼り紙にホイホイだまささるようなヤツは最近見かけない。

 

とりあえず朽ちた木札を信じるならば、店は営業中である。

そしてこれは朗報なのだが、僕はこの仄暗い店内に入る必要はない。

なぜなら、このお店の名物であるハンバーガーの手動販売機は、店の外壁に設置されているからだ。

 

さて、本題の手動販売機… ー

 

初・立石バーガー4

 

無 い

 

 

商品が無いのでは無いよ。自販機自体が無いの。

ここに手動自販機があったはずで、お金を入れると店内にいるオーナーのおじさんがそれに気づいて手元のロープを引っ張り、それがピタゴラスイッチみたいに作動して自販機にハンバーガーが落ちるギミックだったの。

 

自販機とはいいつつ、お客さんが従業員に会わなくていいだけの用途で、ハンバーガーも1つ売れたらオーナーのおじさんがまた新しいものをセットしないといけないんだけどさ。

 

初・立石バーガー5

こっちの手動自販機もダメだ…。

  • 「自販機手わたし」… あらかじめゴム手袋の上にセットされたハンバーガーが出てくる、人の手から購入できるハートフルな自販機
  • 「気球的自販機」… 気球が吊り下げたハンバーガーを運んできてくれる、メルヘンな自販機

 

初・立石バーガー6

それぞれ、上記のようなイメージだったと聞いている。

いずれも小学生が図工で作るような、手作り感あふれるテイストだったそうだ。

 

これらの自販機、使ってみたかった…。

大人の都合で楽しみを奪われた子供のような気持ちになった。

 

しょうがない。

手動販売機が無いなら、直接店内で買おう。

思い切って、深淵への扉を開ける…!

 

 

仄暗い店内、ハンバーガー2つ

 

ホントに営業しているのか疑わしい、初見で入る勇気は極めて湧きづらい店舗へ入ってみた。

 

イートイン1

優しそうな笑顔のおじさんが「いらっしゃい」と言ってくれて安堵した。

 

だがしかし、もちろん店内は暗い。

物が多くて雑然としており、飲食物を扱っている店舗には似つかわしくない。

てゆーか、古びたパソコンとかも売り物になっていたしな。

 

古びてヒビ割れたショーケースはあるものの入っているハンバーガーは2つだけだ。

ウォーマーで温められているわけでもなく、ケースの中にポツンと置かれており、その広すぎる空間がシュールであった。

 

イートイン2

僕はおじさんに「自販機はどうしちゃったんですか?」って聞いてみた。

 

そしたら、「TVとか取材を受けてもう充分にやったと思うから、つい最近廃止したよ。100円のハンバーガーも辞めたんだよ。」とのお返事。

そうなのだ。手動販売機では100円バーガーを扱っていたのだ。

安くてうまいと聞いていたので、廃止されたのは無念。

 

さらにおじさんは「もう自販機は再開するつもりはないよ。」と言う。

マジですか。

TVで有名になったのをチャンスにしてさらに高みを目指すのではなく、「有名になったから満足して辞めた」のか。

"静かに暮らしたいタイプの人"だ。

 

イートイン3

じゃあ、店内販売のハンバーガーを買おう。

 

今までこのお店に訪問した人は手動販売機ばかりに注目していた。

店内のリポートは少なくとも僕の初回訪問時点ではかなり少ないぞ。

考え方を変えれば、これこそ貴重な体験!

 

イートイン4

僕はこのとき3人で訪問していたので、まずはショーケースの2つのハンバーガーを買う。

300円の"ロイヤル立石バーガー"というものだ。

3人いるので足りない1個分はオーダーしたらおじさんが暗い厨房で素早く作ってくれた。

 

ちなみに店内のメニューにはポテトやサラダもあるが、訪問時点では提供していないとのこと。ロイヤル立石バーガーのみだ。

 

イートイン5

店内は雑然としているけど、厨房の前にカウンター席が2席分、そして少し離れた壁際に1席分ある。

カウンターには無料のお茶もあるので、それと共にいただこう。

 

おじさんが「ショーケースから買った2つは冷えているから、横の電子レンジで温めてくださいね」とアドバイスを送ってくれた。

そうしよう。せっかくだからアツアツを食べたい。

 

イートイン5

うん、うまいよ。かなりうまい。

正直ね、店の外観も内装もアレだし、手動販売機という飛び道具で有名になったお店だから、「味は期待できないかもな」って思っていた。

 

だけどもうまい。

電子レンジで温め直したにもかかわらず、だ。

パンも生地がしっかりしているし、ハンバーグもふっくらしていてしつこくもなく、食べやすい。

これ、出来立てだったら相当においしいと思うよ。

 

イートイン6

聞いたところ、バンズ・パティともに手作りとのことだ。

腕は確かだ、オーナーのおじさん。

 

だけども店舗が外も中もことごとく変だ。

照明もBGMもない暗い店内で、無言でハンバーガーをモソモソ食べる3人。

これはゾンビ系映画のグロテスクな捕食シーンではないかと、自問自答してしまう。

 

イートイン7

おじさんにお礼を言ってお店を出る。

2015年を強烈な思い出と共に締めくくってくれたこのお店。

 

最後の振り返った特徴的なこの看板を、僕が再び見ることは二度となかった…。

 

 

再び自販機でハンバーガーを売る

 

少し時代は流れた。

あの立石バーガーは、翌年2016年には自販機どころかハンバーガーすら辞めてしまったらしい。

これまで築き上げた実績を全部無にしたのか。なんてエキサイティングな人生。

 

これと共に「モッチーピザ」という意味不明な店名になった。

何かというと、生地に小麦粉のかわりにお餅を使ったピザなどを販売するお餅屋さんになったとのことだ。

 

理由は「お餅はおいしいから」らしい。

アメージング!

シンプルな動機にぐうの音も出ないわ!

 

自販機復活1

「お餅を売り出したところで、わざわざ再訪するほどではないかな」と思っていた僕だが、2018年に再びそのお店を目指すことにした。

 

なぜか。

それは2018年に入ってから手動販売機を復活させたとのウワサを聞きつけたからだ。

2年半ぶりの手動販売機復活のニュースに、僕はときめきを隠せない。

 

自販機復活2

懐かしい。あのときと同じ佇まいの店舗。

交通量の多い道路の交差点に面しており、こうして撮影するだけでも道行く車が不思議そうな顔でこちらを見てくる。

そんな店舗である。

 

自販機復活3

だが、前回と決定的な違いが1つある。

看板が立石バーガーではなく「モッチーピザ」になったことだ。

 

なんか看板に余白が多いが、これはアート的な意味なのか。それとも印字サイズの限界がこれだったのか。

微妙に文字がズレているところに手作り感を感じさせる。

 

自販機復活4

待て待て待て待て!

なんかおかしいぞ、この看板。

 

『&立石バーガー』の文字が亡霊のように浮き上がって来ている。

以前見た立石バーガーのロゴとは違うものなので、モッチーピザになってから新たに書き加えたのだろう。そして消したのだろう。

僕の推理だと、看板の遍歴はこうだ。

 

  1. 立石バーガー (前回訪問時)
  2. モッチーピザ
  3. モッチーピザ&立石バーガー
  4. モッチーピザ (今回訪問時)

 

オーナーのおじさんに何が起こり、この激動の人生となったのか。

このとき突撃してヒアリングすればよかったが、残念ながらこのときはしなかった。

今となっては後悔している。

 

自販機復活5

あと、お店の顔とも呼べる大事な部分に、デカデカと便利屋さんの広告が貼ってあったな。

部屋の片づけ・お掃除などをバッチリやってくれるらしい。

これ、皮肉かな?店内に対する皮肉かな??

 

…それはまぁよい。

今回僕とあなたが着目すべきは… ―

 

自販機復活6

― もちろん手動販売機だ。

 

前回の「もう自販機は再開するつもりはないよ。」発言は、どこにいったのだろう。

 

しかし『誰でも立石バーガー自販機』。夢見た手動自販売機。

僕は小躍りで交差点を渡り、お店の前に駆け寄った。

 

自販機復活7

手動販売機はとてもチープな造りではあるが、温かみのあるデザイン。

 

どうやらハンバーガーは4種類あり、どれも100円のようだ。

ボタンの下からハンバーグが覗いていることから、4種類どれも在庫ありと確認できる。

 

自販機復活8

チキンカツバーガー・牛すじバーガー(しかも和牛)・ハムカツバーガー・立石バーガー…。

2つ買おう。どれを買おうか、とても悩むな。

 

まずは王道の立石バーガー。

それから「しかも和牛」とアピールしてくる牛すじバーガーにしよう。

 

100円を入れてボタンを押すと、ハンバーガーを乗せているプレートが外れ、ハンバーガーが取り出し口まで落ちてくる仕組みだ。

 

自販機復活9

外れたプレートの裏には『ありがとうございました』という文字と共に、イラストが描かれていた。かわいい。

 

すぐさまハンバーガーを補充するオーナーのおじさんの手が、アクリルパネル越しに一瞬見えた。

今回はテイクアウトなので店内には入らない。

おじさんとの接点は、この手のみであった。

 

自販機復活10

ところで、昔のバージョンの手動自販機は、オーナーのおじさんが「お金を入れた音を聞きつけてロープを引っ張ると、ハンバーガーが出てくる」という仕組みであった。

欠点は2つあった。

ロープを厨房まで張り巡らせるため、セットできるハンバーガーは1つが限界であったこと。

音で判断するので、100円玉ではなく10円玉だろうとコインだろうとロープを引っ張らざるを得ないという点だ。

 

自販機復活11

今回のバージョンは、ご説明の通りボタンを押すことでハンバーガーを乗せているプレートが外れる仕組みなので、わざわざおじさんがロープを引っ張る必要がない。

おじさんが不在だったり手を離せない状態でも、僕らはハンバーガーを購入できるのだ。

これでようやく、本当の自動販売機!

 

ただし、気付いてしまったのだが100円入れなくってもボタン押せば落ちてくるよね?

昔のバージョンと同様、10円入れても判別できないよね?

 

今も昔も、このお店は【信頼】で成り立っているのだ。

大事。そして美しい。

 

自販機復活12

相変わらずふっくらしっかり、もちもちの美味しいバンズ。

立石バーガーの中身は、シンプルにパティとレタス、それと少しのオニオンだ。

前回食べたロイヤル立石バーガーとの違いは、パティの厚さ・ハムやトマトが無いことのようだ。

 

しかしこれで100円だぜ。ありがたすぎる。

 

自販機復活13

牛すじバーガーは、ボリュームは豊富とは言えないが牛肉・レタス・オニオン。バンズは入っていない。

ほのかに肉じゃがを思い出させる、醬油とみりんの懐かしい味付けだった。

 

…店名がモッチーピザである以上、店内に入ればお餅を購入できたのだろうか?

いろいろと確認不足な点があったが、手動販売機を体験できたことで満足した。

僕は意気揚々と、長旅の続きを楽しむ。

 

 

餅屋?ピザ屋?ハンバーガー屋?

 

またしばらく時は流れる。

 

黄昏のモッチー1

コロナ禍と呼ばれる時代になったが、モッチーピザ(立石バーガー?)は変わらずボロっちいままで堀切菖蒲園に佇んでいる。

 

コロナのせいでどんどん変わりゆく世界。

そんな中でもこのお店がちゃんと存在していることに安堵した。

 

黄昏のモッチー2

…ただ、看板無くなっちゃったけどな。

一瞬嫌な意味でドキッとしたが、もう詳細説明するまでもない「営業中」の木札が店頭に置いてあるので大丈夫だ。

 

しかしこのお店を何と呼べばいいのかわからない。

前回モッチーピザだったのだから、今回もモッチーピザに違いない。そう呼ぼう。

 

黄昏のモッチー3

もし赤い『誰でも立石バーガー自販機』がなかったら、何屋なのか、そもそも店なのかもわからない外観。

知らずにやって来てこのドアを開けられるような人は皆無であろう。

 

あ、今「何屋なのかわからない」と書いたが、僕自身もわからなかったや。

ハンバーガー屋?餅屋?

 

黄昏のモッチー4

お店の窓ガラス、ヒビ割れているな…。相変わらず中は暗いな…。

一瞬中を覗き込むと、オーナーのおじさんと目が合ったので、軽く会釈をした。

 

中に入って久々におじさんと会話もしてみたかったけどね。

ちょっと個人的すぎる事情で恐縮だが、このときは同行者とやや険悪な雰囲気だったのだ。

それを押してここにやって来ていたので、ゆっくりするような時間的・心理的余裕はなかったのだ。残念。

 

…ま、でも人生そんなこともあるさ。

あなたには僕に対し、そう言ってほしい。

 

黄昏のモッチー5

店内のショーケースは、なかなかに賑わっている雰囲気だった。

商品は上の写真で確認できるだけでも4つあり、商品名のポップはその倍はある。

さらに、なぜかマグカップが2つ置かれている。

 

店内に入ればいろいろとこのあたりを確認できたのだが、とりあえず謎のままだ。

 

黄昏のモッチー6

今回もメインターゲットは手動販売機である。

前回同様4種類。

チキンカツバーガー・ピザパン・ハムカツバーガー・立石バーガー。

つまりは牛すじバーガーがピザパンにチェンジされたのだ。

牛さん、どちらへ?

 

そしてハムカツバーガーが既に売り切れていた。

 

黄昏のモッチー7

では、ニューフェイスのピザパンにしようかな。

ディスプレイ写真を見るとピザパンというより目玉焼きパンのようなビジュアルだが、このあと答え合わせをしようじゃないか。

 

黄昏のモッチー8

買った。

アルミホイルとラップに包まれた四角い物体。家庭的な包装でほっこりする。

ちなみに冬の冷気に当てられて結構ヒエヒエだ。

 

黄昏のモッチー9

あ、さっきの写真は裏側だった。

取り出し口に落ちてきたのを拾ってそのまま撮影したので、表裏の区別がついていなかった。

 

これが表側。なかなかに食欲をそそられるビジュアルである。

ザ・ピザパンって感じの王道のビジュアル。

夕日に当たってさらに美味しそうに見える。

目玉焼き?そんなものは乗っていない。

 

黄昏のモッチー10

味もオーソドックス。

きっとあなたが想像したピザパンの味、そのままだ。

ボリュームも小腹を満たすのにちょうどいいレベル。

 

餅との出会いが無いまま2回訪問したモッチーピザ。

看板すらなくなりその真相は謎だが、ごちそうさまでした。

 

 

名乗る名前の無い餅屋

激レア、もち自販機

 

2022年の秋。

「『誰でも立石バーガー自販機』が餅自販機になった!」という衝撃のニュースが飛び込んできた。

 

餅屋の本領発揮1

あなたもカタルシスを感じてほしい。

モッチーピザという店名になったのはもう結構昔だが、今まで僕は餅には全くご縁がなかったのだ。

そして今回は餅自販機に出会えるというのだ。餅屋の本領発揮である。

 

…で、やって来た。

すごく寒くてすごく雨の降る日であった。

 

餅屋の本領発揮2

もう僕もあなたも、4点確認できるよね。

電車の車掌さんみたいに指さし確認してみよう。

 

看板(無し!)・店内(暗い!)・営業木札(あり!)・自販機…。

うおぉ、自販機!!

 

餅屋の本領発揮3

自販機が僕らの知っているものとは違う。

なんだかオレンジ色だ。目を凝らすと「もち自販機」と書いてある。

 

日本中、ここ以外にお餅の自販機がどれだけあるだろうか?

僕は今、すごい体験をしようとしているぞ!!

雨の中、交差点を渡ってあそこに駆け寄れ!

 

餅屋の本領発揮4

もち自販機!

メニューは、もちザラニア・もち黒あん・もちピザ・もちハムである。

あんまり耳馴染みが無いよね、うん僕もだ。

もちラザニアは売り切れていた。

 

もちピザを買おう。

…とうとうバレてしまいましたね、実は僕はピザが好きなのです。

今回は初めて動画撮影もした。

手動販売機のギミック、あなたも体感してほしい。

 

では、買ったもちピザをどうするか。

すぐにでも食べたいが、ここはザーザー降りなのでカサをさしたままは食べづらい。

店内で食べさせてもらおう。

 

僕は久々に、暗い空間へのドアを開ける。

 

 

オーナーのおじさんと語る

 

「すみませーん、自販機で買ったヤツ、雨が激しいので店内で食べていいですか?」とオーナーさんに話しかけた。

おじさんは以前と変わらず優しい雰囲気の人で、快くOKしてくれた。

 

店内で餅食う人1

2015年以来の店内。

だけども何も変わっていないなぁ。今が令和時代だってこと、このお店は知っているのかなぁ。

 

店内で餅食う人2

「お餅は温めたほうが美味しいよ。そこのレンジで20秒ね。」とおじさんが言う。

レンジの目の前のカウンター席に座り、さっそく温めさせてもらう。

 

レンジの上には水のピッチャーがあるので自分で水を用意しようとすると、おじさんが慌てて「そこの水は古いから!こっちで用意するから!」と、厨房から出してくれた。

イートインの人が絶望的に少ないのだと認識した。

 

店内で餅食う人3

もちピザ。いい感じにアツアツになった。

ビジュアルは以前に食べたピザパンとほぼ一緒だが、土台がトロンとしたお餅である。

 

うむ、うまい。

お餅はしっとりではなくふんわりって感じ。味は余計なものが入っておらずシンプルに「米!餅!」って感じだ。

具材が載っているのでそれでバランスが最高になるのだと思う。

 

店内で餅食う人4

少しだけ店内をご紹介しよう。

これは僕の座っている席の後ろ側。

骨董品みたいなパソコンがあるが、どうやら売り物らしい。

2015年にも同じのを見た記憶がある。ずっと売れていないのだろう。

 

店内で餅食う人5

右から順に、僕が座っているカウンター、ショーケース、もう1つのカウンターである。

そのもう1つのカウンターの隅に、もち自販機が備え付けられている。

 

店内で餅食う人6

カウンターの左側に、もち自販機の裏側が見えている。

とてもシンプルな構造だ。

カウンターには餅が1つポツンと置かれているが、補充待ちの在庫だろうか?

 

店内で餅食う人7

よし、店内でもう1つ餅を買うか。

自販機でも買い、店内でも買う。両方できたらステキじゃないか。

 

割れまくったショーケースを覗く。

 

店内で餅食う人8

さっきの自販機のラインナップと一緒だ。

もちラザニアがなく、もち黒あん・もちピザ・もちハムが1つずつある。

 

あとはもちカレーともちしるこのポップがある。

この2つはオーダーすれば作ってもらえるイートイン専用メニューかな?

 

では、もちハムをいただこう。

 

店内で餅食う人9

ついついひとくち食べてしまった後の写真で申し訳ない。食欲にブレーキが利かなかった。

厚切りハムのカケラが2募つ載ってっている。

その塩味がお餅にちょうどよかった。

 

僕はおじさんに聞く。

僕:「いつもち自販機を設置したのですか?」

おじさん:「大体1ヶ月前だね」

僕:「店内にも無いけど、ハンバーガーはもう作らないのですか」

おじさん:「うーん、わからないけど、今のところは作る予定はないね」

 

店内で餅食う人10

僕:「なんで餅屋にしたのですか?」

おじさん:「おいしいし、うーん。なんとなく」

僕:「看板無いしハンバーガー無いけど、今の店名ってなんなんですか?」

おじさん:「店名…。ないんだよね、エヘヘ」

 

 

店名、ないのか。

 

 

店内で餅食う人11

こうやって書き起こすと、僕が怒涛の質問ラッシュをしているように見えてしまうが、実際は暗い店内ののらりくらりとした感じの会話であった。

 

もちろん登記されている店名はちゃんとあるのだろう。

そして僕がチラリと見た店内にて、2019年時点では世間的には『立石バーガー』として認知されている根拠をしっかりと確認しておいた。

 

店名で餅食う人12

僕にとっても、ここは今でも立石バーガーである。

 

自由気ままに迷走を楽しんでるようなおじさんは、またいつかきっと立石バーガーを作ってくれると信じている。

 

「客は来ない。ハンバーガーも餅も売れない」と苦笑いをしながら言うおじさん。

だが、厨房の中で筒状の機械をゴウンゴウン動かしながら餅を作っているその横顔は職人のものであり、嬉しそうであった。

 

では、またいつか会える日を楽しみにしてます!

土砂降りの中、僕は外に飛び出す。

立石バーガー、フォーエバーー!!

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

(ずぶ濡れになったので、冒頭でご用意いただいた厚手のハンカチあるいはバスタオルは僕宛に…)

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 立石バーガー
  • 住所: 東京都葛飾区堀切3-17-15
  • 料金: もちピザ¥100他
  • 駐車場: なし。近所のコインパーキングを使用のこと
  • 時間: 11:00~19:00(水曜定休)

 

No.235【大分県】これを知らずして廃墟を語るべからず!「豊後森機関庫」とSLにシビれた!

僕はかつて、全国の有名な廃墟や廃村を巡っていた。

語り出すと闇が深くなりすぎるのでここでは避けるが、そりゃもうアドベンチャーの連続であった。

 

そんな僕が存在は何となく知りつつも、ずーっと未訪問であった廃墟的なスポットがある。

それが「豊後森機関庫」だ。

 

いやぁ、すまない。

なんで行っていなかったのか自分でもよくわからないのだが、たぶんその理由の1つは九州を旅する機会が極端に少なかったからだと思う。

 

これは、日産パオと九州を走る話

僕が豊後森機関庫を訪問したのは日本6周目であるが、正直そのときには廃墟界から足を洗っていた。

それでもかつて訪問できなかった悔いが残っていたので、必ずや行くべしと考え、ようやく訪問にこぎつけたのだ。

 

そして素晴らしかった。

 

 

SLと転車台

 

日田方面から由布院方面へと向かう、国道210号

さらにそこから道を一本反れた、久大本線の「豊後森駅」の東側300mほどのところに、その機関庫はある。

 

豊後森

カーナビに従って国道を反れたが、一本反れただけで思いのほかローカルな景観となって少々驚いた。

しかしこんな天気のいい日に、こんなローカルな町を走れるのは最高だって思った。

 

そして着いたぞ、憧れの豊後森機関庫。

近代文化遺産かつ国の登録有形文化財である。

 

SLと転車台1

すげぇいい…。シビれる…。

コミカルな住宅地の先にこの光景が出てきたのだから、そのカタルシスはすんごい。

 

スカッと晴れた晴天に、漆黒のSL。そしてキチンと整備された綺麗な緑の芝生。

背後にグルリと弧を描くように建っているのが機関庫だ。

 

もうこれ、絵にならないわけがない。

今回の僕は若干興奮で我を忘れていた。

だから似たような写真が多いし、しかしそんなに写真の枚数自体が無かったりもする。

 

もうちょっと敷地内のいろんなところを歩き回ったり、説明板を撮影したりすればよかったのだが、狭い範囲を「ウホホウホホ」と走り回っていただけらしい。

失敗した。記事としては失敗した。

 

SLと転車台2

まずはSLのご説明をしたい。

この子は国鉄9600形蒸気機関車「29612」号機っていうのだそうだ。

製造されたのは、1919年(大正8年)。すごく先輩。

 

福岡県のとある公園で朽ちかけていてそのまま解体か…って思われていたものだったのだが、ギリギリのタイミングでここに譲り渡され、修復を受けて2015年からここに展示されているそうだ。

 

SLと転車台3

今では黒光りするほどのピッカピカである。

新たな人生を歩めてよかったね。

 

そして、2015年からここに展示されているとのことで、僕が豊後森機関庫の存在を知ったときにはまだSLは無かったのだな。

SLがあるほうが、きっと断然映える。2015年以降にここに来れて良かった。

 

 

SLの背後、そして機関庫の前に当たる位置には、転車台がある。

上に貼り付けたGoogleマップ衛星写真で見ると、その存在が良くわかると思う。

 

SLと転車台4

転車台がキチンと残っているのは嬉しいね。

これは文字通り、列車の向きを変えるための巨大なプレートだ。

 

SLって、前と後ろがあるよね。後ろ向きには走れないよね。

そこが、前にも後ろにも運転席のある電車との違い。

だからSLは終点まで行ったら、転車台に乗ってグルリと回転させられ、反対方向を向くのだ。

 

SLと転車台5

SLの時代は、こうしてどんな終着駅にも転車台があったのだね、きっと。

かなり場所を取ったろうし、メンテナンスも大変だったろう。

そして、世の中が電車の時代になって、一気に変わって一気に廃れたのだ。

重いSLを乗せて回転する転車台、きっと迫力あったろうなぁー…。

 

SLと転車台6

ちなみに転車台の上、なんかかわいいトロッコみたいなのが載っていたけど何これ?

 

 

迫力ある機関庫


そしてメインである。豊後森機関庫の本体だ。

前項でも少し触れたけど、それは扇形の倉庫。バチクソ年季の入った倉庫。

転車台を覆うように、その背後を守備している。

 

機関庫1

それも当たり前だ。

なぜなら、複数の車両を格納できる機関庫からの列車の出し入れにも、転車台が必須だからだ。

そのイメージをお見せしよう。

 

機関庫2

こんな感じだ。

線路は右から描いていき、途中で疲れて雑になった。

あなたはこういう工事をしてはいけないよ。


今は線路は数本ないが、線路を描き加えるととても美しい、放射状の建物群となる。

僕はこれを見てベルギーの「ルーヴァン監獄」、あるいはそれをモチーフにしたかつての「網走監獄」が脳裏に浮かんだね。

 

昔の網走監獄

ここ豊後森機関庫は、こんな感じの扇形のターンテーブルを活かし、12台の車両を格納できる。

これが多いのか少ないのかはちょっとわからないが、12台ものSLが一堂に会していたら興奮で狂い死ぬのだけは確実である。

 

あのさ、もうちょっと頑張って全国からSL集めてさ、いっぱい機関庫に入れようよ。

そしたらマジ最高のスポットになるよ。

そんな夢物語をついつい語りたくなってしまう。

 

機関庫3

この豊後森機関庫が誕生したのは、1934年のことだそうだ。

1945年の第二次世界大戦末期には、アメリカ軍の戦闘機がここを機銃掃射した。

そのとき3名のスタッフさんが亡くなり、そしてそのときの弾痕は今も外壁に残っているという。

 

機関庫4

もしかしたらこれが弾痕かな?違うかな?

 

窓ガラスもバキバキだ。

機銃掃射の被害もあるのだろうか。

 

機関庫5

しかし戦前の建物の窓ガラスが、こうして吹きっさらしの屋外でちゃんと残っているのは嬉しいものだ。

豊後森機関庫の魅力の1つは、この割れた窓ガラスだと穆は考えているし。

 

こうして機関庫の前や転車台の周囲をひとしきりウロウロすることで、僕の観光は終わった。

 

…しかし実は知っていた。

一般人は通常立ち入り禁止の、機関庫内に入る手段があることを。

 

そうなのだ、玖珠(くす)町の町役場、あるいは観光協会に事前に許可申請書を提出しておけば、中に入ることもできるのだ。

少なくとも僕の訪問当時はそうであった。

 

機関庫6

どこかの誰かの参考になるよう、イメージを貼っておく。

玖珠町観光協会のWeb内のページではあるのだが、2022年現在どこからもリンクが貼られていないという、不思議なページだ。密室殺人みたいな位置付けのページ。

 

僕、この機関庫にすごく入りたかった。

だけども僕が許可申請をしなかった理由は、この申請所に訪問日時を記載しないといけない点であった。

 

無理。九州一周をフラフラと旅していたんだもん。

天気を見ながらルートを調整し、昨日だって急遽「数日後に台風が来そうだから明日のうちに快晴の阿蘇を走ろう」とか考えて、大陸に舵を切ったりしているのだから。

 

機関庫7

あと、当時は「ヘルメットお持ちください。無い人は町役場で申請してうんぬん…」って書かれていた。

 

僕は工事関係者ではないし、ライダーでもない。

ヘルメットなんぞ持っていなかった。

なおさら訪問難易度が上がるので、今回は外観の見学のみとしたのだ。

 

機関庫8

実は敷地内、ちょびっと離れたところには「豊後森機関庫ミュージアム」っていう作業員詰所をリフォームして作った小さな資料館もある。

これも完全にスルーしてしまったが、今となっては見ておけばよかったと思っている。

 

あのときはお腹減っていたもんなぁ…。

早くご飯食べたかったんだよね…、僕。

 

機関庫9

いろいろとやり残しが多かったスポットではあるが、それは次回への宿題とすることで、またいつの日か訪問する楽しみが増す。

外観を眺めただけであっても、この青空の中でこのスポットに出会えたことは、幸せな思い出となって残っている。

 

廃墟…と表現しては失礼な気もするが。

僕がずっと憧れであった廃墟。

今後も玖珠町のトレードマークとして、その姿を後世に残してほしい。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

 

No.234【高知県】国道裏にインディージョーンズが冒険する世界観!「伊尾木洞」、すげぇ!

町中を走る国道からわずか徒歩2・3分で、あのインディジョーンズが飛んだり跳ねたりするようなワイルドな世界にワープできる。

 

…と聞けば、まぁ全人類行くよね。

事情があってすぐには行けない人も多いだろうけど、気持ちだけは行く気満々になるよね。

 

今回はそんなスポットをご紹介したい。

名前を「伊尾木(いおき)洞」という。

 

あと、終盤に「男はつらいよ」の「寅さん」の地蔵も出てくるぞ。

えっ、テイストが違いすぎるって??

いや、だって近くにいたんだもん。異色のコラボだけども、しょうがないじゃないか。

 

というわけで、本編へどうぞ!(←強引に)

 

 

白き彫像、そして漆黒の洞窟へ

 

まずは伊尾木洞の場所を思いっきり俯瞰でご紹介しよう。

ここである。

 

 

高知県の東部の海沿い、国道55号。

四国の南海岸をドライブするのであれば、誰しもが通る道だと言っても過言ではない。

 

そんな四国の大動脈であるシーサイドコース。

そのすぐ裏に… ―

 

森の中の箱庭

― こんな世界があるというのだから、驚きだ。

 

森の中、絶壁に360度囲まれた秘密の空間。

世間の喧騒から隔離された静寂の世界。

 

日常生活でヒーヒー言っているあなたに、今一番必要なスポットではなかろうか?

 

彫刻の森1

国道55号沿い、「伊尾木公民館」に愛車を停めた。

 

伊尾木洞には駐車場はない。

しかし150mほど離れたこの公民館に停めることができるのだ。

伊尾木洞へお越しの方へ こちらの伊尾木公民館駐車場をご自由にお使いください』っていう立て看板があったのだ。

 

神対応

公民館、結構ボロいけれども神対応

 

彫刻の森2

国道を一瞬歩いた後、国道裏に入っていく道がこれだ。

路地というか、路地ですらない擁壁の上の工事業者しか歩かない部分というか…。

 

イメージはそんな感じだが、ちゃんと伊尾木洞を示す看板があるので入っていく。

対向から人が来たら擦れ違えないほどに狭いけどな。

 

彫刻の森3

そんで唐突に白い彫刻が出てきたな。

 

上の写真の通り路地は非常に狭く、そして彫刻の前後には街路樹が立っているので、彫刻の2mくらい手前まで来て初めてコイツの存在に気付く。だからビビる。

夜だったらきっとこれの3倍は驚いていただろう。

 

彫刻の森4

街路樹・彫刻・街路樹・彫刻…。

狭い空間に配置するから、もう彫刻の顔に街路樹の葉がかかってしまっているぜ。

 

彫刻の森5

これはどうやら地元の作家の方の作品を展示している「伊尾木・彫刻の村プロジェクト」の一環らしい。

結構劣化が進んでしまっているのが残念だ。

ただ、そういう経年劣化も含めてアートだよね。アートはいいよね。

 

伊尾木洞1

走行しているうちに、メインとなる伊尾木洞の前まで来た。

写真中央のおじさんの先に暗い穴を開けているのが伊尾木洞だ。

ここが観光地だと知っていなければ、足を踏み込むのが躊躇されるような暗さを醸し出している。

 

伊尾木洞2

あ、だけどもね、写真には写っていないけど、この横に貼り紙があった。

伊尾木洞の通路が部分的に水に浸かっている場合があります。伊尾木公民館にて長靴の貸出をしておりますのでご利用ください。』とのことだ。

 

なんてこった。優しすぎる公民館だろ。

神だ。人々に物を与えすぎて自分はボロを纏っているタイプの神、伊尾木公民館。

 

しかし僕は長靴は不要。

濡れたら濡れたで、乾かせばいい話さ。Go。

 

 

洞窟と、シダの生い茂る神秘世界

 

洞窟に足を踏み入れる。

照明はほぼ無く、自分の足音がやたらと反響する。

 

伊尾木洞3

…すごい世界だな、コイツは。

 

入口にあった説明板によれば、この洞窟の規模は高さ5m・幅3mそして長さは延長で100mほどなのだそうだ。

 

この洞窟を成す地層はおよそ300万年前の海底でできたもの。

それが隆起して地上に出た。

そして周囲が海だった時代に波や風で浸食されて、海蝕洞窟になったのだそうだ。

 

伊尾木洞4

つまりはこの洞窟は、海からの波が「ザッパーン!」って感じで通り抜けていたのだろう。

それを繰り返して、こんなにも大きくなったのだね。

 

洞窟の直線状の距離はわずか50mほどなので、入口あるいは出口の光がほんのりと射し込んでいる。

ギリギリで足元は見えるものの、洞窟内は大きく川と歩道に左右で分離しているし、歩道部分もところどころ濡れているので注意が必要であった。

 

伊尾木洞5

この眺めが、個人的なベストである。

 

洞窟の出口近くから眺める、その先の世界。

一面が緑であった。

それまで後ろからかすかに聞こえていた、国道を走るトラックの音も完全に聞こえなくなった。

ここから先は、現実から隔離された別世界なのだ。

 

これはもう、インディジョーンズのロケに使えるようなアドベンチャーフィールドではなかろうか。

変な鳴き声のカラフルな鳥とか、飛んでそう。

 

伊尾木洞6

後ろを振り返る。

洞窟は入口側は町に面していたので整備されていたが、裏側のこっちはワイルドこの上ない。

何万年もの浸食の歴史を感じさせる、ゴツゴツした岩肌が手に取るように把握できた。

 

さてと、洞窟はここまでなのだが、一番魅惑的な空間はそこを出た先である。

 

シダ群落1

ここから先は、正確には「伊尾木洞のシダ群落」っていう別スポットである。

 

ここ、すっごいの。

写真ではよくわからないと思うけども、プールくらいの大きさの空間を、10m以上も聳える岩壁がグルリと取り囲んでいる様子を想像してほしい。

天然の箱庭のような空間なのだ。

 

そこに、遥か上部にある空からの光が差し込んできている。

なんて神秘的な光景だよ。

 

シダ群落2

ここの温度・湿度・日当たりなどが、シダにとって最高だったそうだ。

従い、ここには40種類ほどのシダが生息しているという。

日本でこんなにも多数のシダが一箇所に生育しているスポットは、きわめて珍しいらしい。

なので今から100年近くも前の1926年に、天然記念物に指定されたのだ。

 

シダ群落3

ところで、以前にはここにも数体の彫刻があったそうだ。

だけども劣化が進んだためか、近年撤去されたと聞いている。

 

彫刻があったらそれはそれで不思議な世界観になっただろうし、先ほど書いた通り例えかなり朽ちてきていたとしても、それも1つの芸術だったろうと思う。

なので無くなってしまったのは個人的には少し残念だ。

 

シダ群落4

メインはここまでだが、実はこの先もコースがある。

以前は結構荒れていたが、2020年前後からはかなり綺麗に整備されたとも聞いている。

行ったことはないから知らないけど。

 

このまま川に沿って奥へと入っていくと、400m地点くらいで滝が現れるそうだ。

基本的に遊歩道はそこまでとなっているらしい。

僕もまた機会があったら奥まで足を踏み入れてみたい。

 

 

公民館裏の寅さん地蔵と、その謎

 

ちょっとオマケ的な要素だが、今回起点とした伊尾木公民館にスポットを当てたい。

実はこの公民館の敷地内に、珍しいお地蔵さんがいるのだ。

その名も「寅さん地蔵」。

 

洞窟を出て公民館へ

僕は伊尾木公民館まで戻ると、その裏手に回り込む。

 

そこにいた。

寅さんが…、えっと…ー

 

寅さん地蔵1



― 2人。

 

 

寅さんが2人いるケースの心の準備はしていなかったので、ちょっと面食らったな。

ただし向かって右手の大きい方が俗に"寅さん地蔵"と言われている方なのだそうだ。

 

寅さん地蔵2

じゃあ左は?

知らない。わからない。

 

こっちは色が塗られた跡もある。

めっちゃリラックスした顔で、テキトーに右手で拝んでいる。

 

これも寅さんだよね?他人の空似じゃないよね?

だとしたら誰だってなるし。

まさかインディジョーンズじゃないだろうし。服装は寅さんもインディジョーンズもほぼ一緒だけどさ。

いろんなところをフラフラするっていうライフスタイルも一緒みたいだけどもさ。

 

寅さん地蔵3

こちらの寅さん地蔵はなかなかにリアルだ。顔立ちも似ている。

 

ところで寅さん地蔵って、いったい何なのか。何のために造られたのか。

現地に簡単な説明板もあるが、それをご説明する。

 

僕は寅さんの出てくる「男はつらいよ」という映画を1ミリも見たことがないのでわからないが、1969年~1995年まで48作も作られたそうだ。

(その後に特別編が2本作られているので正確には50作)

 

東京の柴又駅前にある寅さん像1

実は49作目は高知県のこのあたりが舞台である「寅次郎 花へんろ」っていう物語が予定されていた。

全国を巡る寅さんであるが、高知県が舞台となるのは初めてだ。

 

…が、そのロケの直前に寅さんを演じる「渥美清さん」が亡くなってしまった。

1996年8月のことであった。

 

東京の柴又駅前にある寅さん像2

幻となってしまった、高知を舞台とした「男はつらいよ」。

 

しかし、生前多くの人々に愛され笑いをくれた寅さんを讃え、記念碑として寅さん地蔵を造ったのだそうだ。1997年のことであった。

 

寅さん地蔵4

あと、Wikipediaで「男はつらいよ」を調べていたら、こんな文章もあった。

山田洋次監督が、高知編のさらに次である第50作を構想している内容であった。

 

寅次郎はテキ屋を引退、幼稚園の用務員になり、子供たちとかくれんぼをしている最中に息を引き取り、町の人が思い出のために地蔵を作るという構想を早くから持ち 第49作から直結するストーリーだった。

(引用元:Wikipedia

 

…これは…。

映画での構想をリアル世界で実現させたのだろうかね?

それとも偶然の一致…?

 

寅さん地蔵5

真相はわからないけれども、そんな想像をしてみるのも楽しいかもしれない。

 

伊尾木洞と寅さん地蔵。

全然毛色の違う2つのスポットだけども、どちらもステキだった。

どちらもちょっとだけインディジョーンズの匂いがした。

 

素晴らしき世界

ちょっと目立たないかもしれなけど、国道55号のすぐ裏にこんな世界があるのだ。

四国の海岸線を走る際には、ぜひ立ち寄ってみてほしい。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 伊尾木洞
  • 住所: 高知県安芸市伊尾木117
  • 料金: 無料
  • 駐車場: 伊尾木公民館の駐車場を使用可
  • 時間: 特になし

 

No.233【山梨県】根拠がよくわからねぇ!でもまぁいっか!謎多き「日本列島のへそ」へ!

この記事の結論をあらかじめ言うのであれば、「なにがなんだかわからない」だ。

 

僕は必死に頭を回転させるが、真実には到達できなかったのだ。

 

だが僕は、「結果」だけを求めてはいない。 

結果だけを求めていると、人は近道をしたがるものだ。

近道すると、真実を見失うかもしれない。

大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている。

 

はい、どこかで聞いたようなセリフを偉そうに吐いたところで本題だ。

 

10数年のエピソードをギュッと凝縮させるぜ

僕は山梨にあるという日本の中心を探しに行く。

これは実際に現地を踏み、そして日本の中心である根拠を理解しようと奔走した、僕の冒険である。

 

 

第1章:南宮大神社、「日本列島の臍」

臍を示す巨大パネル

 

国道20号を走ると見えてくる、丘の遥か上の鉄塔。

 

僕は知っている。あの足元に日本の中心があるということを。

僕は覚えている。日本の中心を巡っていた頃の、懐かしい日々を。

 

今にも落ちて来そうな空の下で

はい、なんだか日本の中心がたくさんあるかのような書き方をしてしまった。

しかし事実なのだ。

実は日本の中心って、いっぱいあるのだ。ぶっちゃけ30箇所くらいある。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

詳細については上記リンク先の【特集】をご覧いただきたい。

日本の中心の定義って曖昧で、定義次第で無数に乱立しているのが実状なのだ。

そしてこの無数の日本の中心を全部巡ってみたいと夢見ているのが、この僕だ。アホでしょ。

 

今回は、日本3周目・4周目・6周目のエピソードをマージしてお届けする。

 

山梨だけど金閣寺見つけた

国道20号を反れて、「金閣寺」みたいな建物を見てから丘を登り、やや複雑な住宅地をウネウネ走って来たのは、「南宮大神社」。

この南宮大神社が第1章のキーワードだ。

 

南宮大神社1

特に何の変哲もない、ごく普通の神社に見える。 

目の前の道の交通量はそこそこあるが、誰も神社に見向きもしないし、境内も無人だ。

 

すぐ横の施設で行われていた桃祭りみたいなのには、そこそこ地元の人が来ていたけどな。

しかしぼくは桃には興味なし。

目的は神社だ。正確に言うと、神社の車道に面した石垣部分だ。

 

南宮大神社2

 

日 本 列 島 の 𦜝(中心)

 

 

見よ、この堂々たる「日本列島の中心」の文字を!

 

あ、「𦜝」は環境依存文字なので、ここ以外の本文中は「臍」と書かせてもらうね。

それとなんだか「(中心)」の文字が小さすぎて切ない気持ちになるんだけど、どうしたんだろう。

 

南宮大神社3

写真のフレームに納めるだけでも苦労するスケールだ。

 

写真の一番右に「大草」というパネルがあるのも見えるだろうか?

これは韮崎市大草町を示している。

大草という単語は終盤にも出てくるので、覚えておいてほしい。

 

南宮大神社4

僕はこの大看板を見たかったのだ。

道行く人々はそんな僕を不思議そうに見ているが、僕はこの看板を見れて感無量なのだ。

 

 

臍の石碑と神社の境内

 

あともうひとつ、ここにはごちそうがある。

 

南宮大神社5

「日本列島の臍」の石碑だ。

さっきの大看板とこの石碑、日本の中心を示すシンボルが2つもあるのだ!

 

それをデカデカとアピールしている!

道行く誰も見ていないけど!

 

南宮大神社6

2022年現在は、この石碑はちょっと輝きが失われている。

しかも周囲の草に飲まれそうになっている。がんばれ石碑。

 

南宮大神社7

この石碑の右手には、ここが日本列島の臍であることを説明している看板が立っている。

ちょっとズームしよう。

 

南宮大神社8

なかなかに年季が入った看板だ。

そして残念なことにこの角度からだと文字の一部が読めない。

 

あとから後悔したのだが、なんとしてでもよじ登って読めばよかった。

これ、終盤に大切になるのだ。

つらつらと説明書きがあるが、ここの読解も終盤にゆだねよう。

 

…これらいずれも、車道に出て境内の外から眺めたものだ。

じゃあ境内はどうなっている?

なにか日本の中心絡みのいいもの、あるのかな?

 

南宮大神社9

結論、ない。

簡素な社殿を眺め、落ち葉を踏んだだけだった。

おかげさまで住宅地の中の静けさを堪能できた。

 

南宮大神社10

神社について書かれた説明板もあったが、日本の中心については一切触れられていなかった。

書き起こすのが面倒なので、説明板の写真をここに貼っておく。

興味があったら拡大してほしい。

 

南宮大神社11

あ、1つ大事なものが、これまた車道沿いにあるのでお見せしたい。

日本列島の臍を示す看板だ。

 

南宮大神社12

ゴメン、混乱させちゃったよね。

「今いるここが日本の列島の臍のはずでしょ?なんでもうひとつあるの?」って、思ったよね。

僕も初回訪問時はそう思った。

 

だからご説明しよう。

本来の日本の中心はこの南宮大神社ではなく、この看板の指が指し示す900m先の地だ。

しかしそこがあまりに辺鄙なので、南宮大神社にりっぱな石碑や看板を作ったのだ。

 

なるほどなるほど。

確かにここは立派に日本の中心の1つと言えよう。

ただしここまで来たなら、本来の日本の中心を踏まないとだよね!

 

 

第2章:果樹園のど真中、「日本列島中心の地」

かつてのそこはラビリンス

 

この第2章で向かうスポットは、「日本列島中心の地」と呼ばせてほしい。

案内標識には「へそ・へそ・へそ…」って書いてあるが、現地の看板は"日本列島中心の地"ってなっているので。

 

日本列島の中心地1

かつての僕は、この日本の中心を目指して右往左往した。

2022年現在は各所に標識があるが、かつてはほとんどなかったのだ。

 

初回訪問時は、50分近く探したさ。

当時の情報はWebにもほとんどなかったのだ。

さらに当時の愛車にはカーナビすらついていなかった。

 

日本列島の中心地2

行ったりきたりして、「日本のへそ 500m⇒」までは行き着いたんだけど、そこから先がまた案内が無くてわからない。

すごい民家の隙間だし。

それを抜けたら果樹園だし。無限果樹園。

 

日本列島の中心地3

 

車で20分ほどグルグルしたあげく、路駐して歩いてみた。

僕の愛車は巨大な日産サファリという車でで小回りが利かないので、歩いたほうが視野が広いような気がしたのだ。

 

でも見つからない。

困ったので、そこいらの民家に人に聞いた。

 

どうやらすさまじく微妙なところにあるらしい。

「鉄塔を目指すんだよ、鉄塔を。」って言われた。

「鉄塔を…、目指すのですか…?」ってアホの子のように復唱した。

 

日本列島の中心地4

果樹園の中にある、この鉄塔を目指せっていうのだ。

日本列島の中心地は、この鉄塔の足元にあるらしいのだ。

 

教えてくれた民家おじさん、この鉄塔は国道20号や国道52号からも見えると言っていた。

このあと知るのだが、まさにその通りであった。

 

日本列島の中心地5

僕は「日本の中心を巡っている者です。日本3周目です。」みたいに経緯を説明してから歩いて行こうとした。

すると民家のおじさんが「大丈夫!車で行けるよ!道も新しいし!」と言う。

 

一度車を取りに数100m歩いて戻った。

改めて乗り込み、果樹園の中を走りだす。

 

ま、初回はここでもう一度迷ったよね。

果樹園の中を縦横無尽に走る作業者用の道路。そこをさまよう。

案内や標識等もないからグルグル。

富士山の眺めの綺麗な果樹園の中を冷や汗かきながらグルグル。

切り返すポイントも無くって泣きそう。

 

日本列島の中心地6

そんな中で見つけた鉄塔は、まさに羅針盤だったよね。

おじさんが伝えたかった鉄塔、見つけたよ。よかったよかった。

 

日本列島の中心地6

 

 

中心地はバージョンアップする

 

では、現地の様子をご紹介しよう。

まずは駐車場はない。…だけれども路肩にスペースがあるので、そこに停めさせてもらうとする。

 

日本列島の中心地7

鉄塔のほぼ真下、写真中央の説明板があるところがゴールだ。

その目の前まで愛車で行くことができる。

 

ちなみに2022年現在は、この写真の擁壁の上にはミッチリと木々が植えられている。

 

日本列島の中心地8

最新映像はこんな感じだ。

例の説明板を拡大表示してみよう。

 

日本列島の中心地9

さっき南宮大神社で見たものと若干デザインは違うものの、内容はほぼ同一である。

内容の読解はこれまた次章に回そうと思う。

 

ところで、日本6周目でアプローチして気付いたのだが、このスポットはバージョンアップしている。

 

日本列島中心地10

まずは説明板がリニューアルされている。

南アルプスユネスコパーク』のログが追加されたのが、主な変更点だ。

 

日本列島の中心地11

もう1つは、説明板の脇に「日本列島のへそ」と書かれた小さな石碑が造られた点だ。

これは嬉しい。

今までは看板しかなかったのだが、キチンとした碑ができたのだから。

 

日本列島の中心地12

ただ、「日本列島のへそ」って書いてあるね。

僕は今まで説明板に従って、ここのことは「日本列島の中心地」という名称だと思っていたのだが、もしかしたらそれは概念であって名称ではなかったのかもしれないね。

そもそも南宮大神社での石碑も「日本列島の臍」だったしね。

 

…でも、このブログではこの果樹園の石碑は「日本列島の中心地」と呼ばせてほしい。

南宮大神社のものとの区別のためにも。

ややこしくてすまない。

 

日本列島の中心地13

石碑の頭頂部には、ここを中心とする十字マークがついていた。

日本の中心を表しているのだろう。

 

日本列島の中心地14

ここからの眺めはなかなかだった。

遠くには、先ほど走っていた国道20号が見える。

 

さっきはあっちからこっちの鉄塔を見上げていたのだな。

日本列島の中心地は、こうして丘の上に聳えている。

 

 

第3章:日本列島の臍ってなんだ?

 

さて、なぜゆえここが日本列島の臍なのか。

この章ではそれにスポットを当てる。

 

根拠を紐解く1

根拠は、南宮大神社にも果樹園の中の日本列島中心の地にも書いてあったな。

まずはちょっと古いものだが、日本4周目・5周目に果樹園の中で撮影した説明板を掲載しよう。

 

日本列島の中心地

 

国土地理院の計算を基に日本列島の中心はこの地であることが判った。

 北緯三十五度四十一分二十七秒

 東経百三十八度二十七分四十秒

日本列島の最北端の稚内市と最南端鹿児島県佐多岬の二点を円で囲んだ中央が日本の最東端・南鳥島と最西端与那国島との中心の経線と交差する地点がこの地である。

地元ではここを日本列島のへそと呼んでいる。

 

大草公民館

 

…なかなかに複雑な理論である。

句点がないことで、文書の切れ目がわかりづらくって相当に頭を悩ませた。

どういうことなのか、読解してみよう。

 

この文章は、それぞれの定義から定めた2点をさらに結合させて日本の中心を求めている。

 


このように前者をA地点、後者をB地点と呼ぼう。

 

 

A地点を考える

 

まずはA地点についてだ。


稚内市佐多岬を囲む円…。

稚内市は当然ながらを示す。佐多岬を示す。

片方はで、片方は

定義を揃えるなら両方(稚内市南大隅町)とするとか、両方(宗谷岬佐多岬)にすればいいのにね。


そもそも稚内市とはどこを指すだろう。

稚内市役所かな?普通に考えればそうなるかな?

いずれにせよ、日本の中心を北緯・東経…と正確に表記しているからには、基準となる稚内市も「面ではなく点」で定義されているはずなのだ。

 

次に、特定の2点を含む円の定義について。

 

根拠を紐解く2

実際に描いてみればわかると思うが、そのような円は無限にある。

稚内市役所と佐多岬を直径とする円」であれば1つだが、もはやそれは円である必要はなく、「稚内市役所と佐多岬を結ぶ直線」と書いた方がいいけどな。

 

無数にあるがゆえに、その円がどのようなものなのかは、正確にはわからない。

 

根拠を紐解く3

とりあえず適当に、稚内市佐多岬を経由する円を描いてみた。

もうこの際だからうまいこと描いて、この円の中央にここ大草町が来るようにしちゃえばいいのにな。

それで「はい、中心はここ大草町でしたー!」ってすればいいじゃないか。

 

…とならない理由がたぶんある。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

その概念、ほとんどそのまま群馬県の「日本の臍」と同じだからだ。

このままだと群馬県から「パクリやがって!うまいこと少し違う円を書きやがって!」ってなり、泥試合になる。

 

だから、無理矢理もう1つのエッセンスを追加したのだ。

知らんけど。

 

 

B地点を考える

 

次にB地点だ。

南鳥島与那国島

でもなければでもない、という第三の概念が登場した。

稚内市とのときと同じく、同じくこれらの島どこを計測の基準としたのだろう?

 

与那国島であれば、与那国町役場かな。

南鳥島は独立した自治体ではない。

つまり、どこを基準としたのか僕には推測できない。

 

説明板には、『日本の最東端・南鳥島と最西端与那国島との中心の経線』と書いてあったな。

南鳥島の方だけ「・」が挟まれているのが気になるけど、まぁいっか。

 

根拠を紐解く4

A地点は円であった。

つまりは縦方向と横方向を加味して導き出した。

 

しかしB地点は「経線」って書かれている。つまりは横方向のみからの算出だ。

なんだその相違は。

確かに与那国島南鳥島の緯度はほぼ同じだけども、多少が違う。

 

ここで僕は気付くのだ。

「Bは点ではない、線であると」。

 

根拠を紐解く6

うおぉぉ、すごいことになってきた。

B線は、南鳥島与那国島を結ぶ中心点から真っすぐ上に伸びる経線!

 

この図に先ほどのA点を加えると…!

 

根拠を紐解く7

マジかよ!

何が何だかわからねぇ!!

 

…ってワケではなく、ギリギリわかったけど、腹落ちしねぇ!

なんて難解な図式を考えたんだ!

それでも根拠が判明し、よかったよかったって枕を高くして寝ることができた。

 

そんな安眠が妨げられる日が来るとは、露知らず…!!

 

 

概念はひっくり返る

 

2022年の夏のある日である。

僕は夏にこの日本列島のへそに行ったときの写真を見返していた。

「いいドライブだったなー」とか、ほんわかした気持ちで見ていた。

 

そこで戦慄が走った。

 

根拠を紐解く5

 

なんか根拠が変わってる!

 

 

「経線」であれば線だ。B線と表記した通りだ。

しかし「経緯」となると、それは点だ。B地点復活だ。

 

根拠を紐解く7

前項でも出てきた、B地点である。

 

A地点B地点から日本列島の臍を導きだすには、ここから「経緯が交差する中心地」を求めるんだって…?

読めば読むほどわからなくなるフレーズ。

しかし、これは「頭痛が痛い」とか「骨折が折れた」と同じだ。

経緯が交差と中心地、絵に描けばどちらも同じ点を示すとわかる。

 

根拠を紐解く8

ただしご愁傷様。

この理論だときっと日本列島の臍、太平洋に沈む。

 

これはここ数年で説明板をリニューアルした際に、「経度」を「経緯」と誤記したのではなかろうか。

 

もし本気で「経度」を「経緯」にしたのであれば、日本列島の臍の位置が同じなのはおかしい。

「日本列島の臍の位置が変わる」のか、それとも「今まで長年表記をミスしていて実は"経緯"って書きたかったんですー」のどっちかだ。

 

ここまでの3案を整理しよう。

  1.  今回、「経度」を「経緯」と誤記した
  2.  今まで「経度」だったが、「経緯」に概念を変えた(←日本列島の臍の位置が変わっていないのでありえない)
  3.  今まで、「経緯」だったところを「経度」と誤記していた

 

「1」か「3」だ。

しかし「3」もありえないと推測する。

 

根拠を紐解く8

大草町に日本列島の臍を持って来るには、A地点は遥かロシアにならねばならない。

稚内市佐多岬を結びながら、そういう正円を描くのは不可能だ。

どうしても無理矢理な楕円になってしまう。

そんなことやったら、マジでなんでもありの世界になってしまう。

 

B地点方式は無理。

B線としないと無理。

 

残る可能性は、「1. 今回、「経度」を「経緯」と誤記した」だ。

これは僕1人で考えて見ても推測の域を出ない。

 

観光協会自治体に問い合わせをしよう。

 

 

公式の見解を得て、ついに謎は…

 

ブログに掲載させていただくことを明記の上、僕は韮崎市に問い合わせをした。

一部を以下に抜粋する。(本当はもっと文章は長い)

 

◆質問①

「二点を円で囲んだ中心点」とは、どのような意味でしょうか。

任意の2点を含む円は、理論上無限にあります。

従い、その中心点も無限にあります。

稚内市佐多岬の緯度の平均値」であればとてもスッキリするのですが認識に齟齬ございますでしょうか。

(これを「A点」と定義する)

 

◆質問②

「日本の最東端・南鳥島と最西端の与那国島との中心の経緯が交差する中心地」についてご確認です。

私の解釈ですと、南鳥島与那国島の経緯度の平均を求める。(これを「B点」と定義する)

前項「A」と本項「B」の経緯度平均をさらに求める。

そのスポットが「日本列島の中心地」…と読み解いたのですが、認識に齟齬ございますでしょうか。

 

◆質問③

「日本の最東端・南鳥島と最西端の与那国島との中心の【経緯】が交差する」とあります。

しばらく前に現地に設置されていた看板には【経緯】ではなく【経線】と書かれていました。

このポイントが「質問②」の定義の通りに算出されているのであれば、緯度を含むかどうかでポイントがズレます。

現在ポイントがズレていないということは、昔の看板が誤記だったということでしょうか。

 

上記はあくまでB点理論ではなくB線理論だ。

これを肯定されたら、日本列島の臍は太平洋に沈む。どんな回答かな。ワクワク…。

 

物語は収束する1

結論から言う。

「わかんなかった」。

 

観光協会の人が過去の資料を漁ってくれ、さらに説明にも記載のある大草公民館という看板設置主にも問い合わせをしてくれた。

だけれども、日本の中心と定めた詳しい経緯について明確な答えが見つからなかったのだ。

 

物語は収束する2

わからないものはしょうがねぇ…。

僕の推測も推測の域を出ることができなかった。

 

ただ、いくつか補足情報として判明したこともある。

 

物語は収束する3

冒頭にある、『国土地理院の計算を基に…』の部分。

最初の文章を読むと、あたかも国土地理院がこの日本列島の中心地を定めたかのように読める。

 

しかしこれは、『初期(明治19年)の国土地理院の三角点から、韮崎市大草町が定めた日本列島の中心地』という意味だったそうだ。

 

物語は収束する4

それから、これら各所への看板や石碑の設置。

それは今からおよそ30年前のことらしい。

…ということは、1990年代初頭だろうか?

 

きっかけとしては、当時の民放テレビにて、『韮崎市大草町がちょうど日本の中心地だ』という内容の放送があったからだそうだ。

そこで地域活性化に役立てるため、当時の大草公民館が中心となって看板の設置をしたそうだ。

 

物語は収束する5

これで韮崎市内には、日本列島の中心地がここである根拠が眠っていないこと納得した。

これ以上突き詰めるには、当時のTV局を特定し、そこに問い合わせるしかないのだな。

 

…及び、もう少し僕の推測に真実味を満たせるのであれば。

 

物語は収束する6

この経緯度は「A地点B地点の経緯度が何であれば導き出せるのか」を逆算すればいい。

 

だけれども、僕の活動はひとまずここまでとしよう。

続きは興味があれば、画面の前のあなたにお任せしたい。

 

韮崎市観光協会の皆様、そして大草公民館の方につきましては、誠にありがとうございました。

謎は解けなかったけど、そして理屈はすごく強引な気もするけど、そんな日本の中心があってもいいと思う。

 

物語は収束する7

「結果」だけを求めてはいけなない。 

大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている。

 

そして、ここ韮崎市で使った時間がとても充実したものであることに感謝する。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

南宮大神社

 

  • 名称: 南宮大神社
  • 住所: 山梨県韮崎市大草町上條東割790
  • 料金: 無料
  • 駐車場: たぶん無し
  • 時間: 特になし

 

 

 

日本列島の中心地

 

  • 名称: 日本列島の中心地(日本列島の臍)
  • 住所: 山梨県韮崎市大草町上條東割1514
  • 料金: 無料
  • 駐車場: なし(路肩あり)
  • 時間: 特になし

 

No.232【兵庫県】天空の城「竹田城」!秋は雲海に浮かぶ幻想的な世界!これからチャンス!

僕が人間界に降臨してからというもの、「雲海が嫌いだ」という人間に出会ったことが無い。

 

秋は雲海のシーズンである。

"天空の城"とか"日本のマチュピチュ"とか呼ばれる「竹田城」の雲海ハイシーズンは、11月下旬から12月上旬だという。

じゃあ雲海を見に行かないとだよね。

 

僕は日本5周目の秋に竹田城で雲海を見た。

アレは雲海シーズン序盤の9月下旬のことだったが、これから竹田城に行くあなたの参考にちょびっとだけなるんじゃないかと思う。

 

 

ではご紹介しよう。

コロナ前の天空の物語。

 

 

城に行けるの?行けないの??

 

早朝5:20、播但連絡道路和田山インターチェンジ

ここで有料道路を降りた。竹田城へは直線で2km程だ。

 

竹田の町を奔走する1

ついさっきまで真っ暗だったが、ほんの10数分でかなり明るくなってきた。

ここは山々に囲まれた盆地のような立地なのだな。

その盆地部分に霧が溜まっているのだ。

明るくなったことで、それがわかった。

 

僕は確信した。今日は雲海が見られると。

 

霧の立ちこめる竹田の町を疾走する。

竹田城の敷地内に到達するには、どこの駐車場に停めたとしても徒歩で最低40分はかかるらしい。

いくつかある駐車場の中で僕が候補に挙げたのは、「山城の郷」っていう施設の駐車場。

そこからならあんまり勾配の無い平坦な道を40分歩けば竹田城に到達できる。

 

 

それに、調べたところ付近にはさらに2つほど駐車場があるので、例え満車だったとしても他に候補があるのだ。

 

「山城の郷」へと続く「虎臥大橋」の下を通ろうとしたところで、路上に待機していた警備員さんに車を停められた。

うおっ、こんな時間に警備員さん!?

 

竹田の町を奔走する2

上の写真が、その虎臥大橋だ。


警備員さんに竹田城に行きたい旨を告げると、こう言われた。

「今の時期は8時じゃないとこの先の駐車場に入れないんです。8時まで待つか、山のふもとの駅付近から城を見上げて満足してください。運が良ければこんな感じにお城が見えますので。」

 

そして警備員さん、竹田城をメッチャ遠望している写真を見せてきた。

 

竹田の町を奔走する3

これ、1時間半後に僕が撮った写真なんだけど、こんなイメージの写真を警備員さんに見せられたのだ。

あと、周辺の地図のプリントをもらった。

 

チゲーよ。全然チゲー。

そういうのを求めているんじゃないし。

僕は高みから見下ろしたんだし。「人がゴミのようだ」とか言いたいんだし。ほら、ラピュタだけに。

 

でも、警備員さんの言う通り8時まで待っていたら、雲海終わっちゃうよ。

雲海は早朝にしか出現しないのだ。

せっかく雲海を見るためにこの時間にやってきたのに、時間を2時間半も無駄にする上、望んだ光景が見れないのは、人生悔いが残る。

 

無念さに手が震え、もらったプリントがブレた

悔しいので聞いた。

「いつからこういう警備になっているんですか?」って。

そしたら「9月からやっている」とのこと。

雲海シーズンの混雑防止のためなのだろうな。しょうがないのかな。

 

「他にお城に行く道はないですか?」って聞くと、「徒歩で山を登ってもいいけど、かなり健脚でないと行けないし時間もかかるし、お城も8時開門ですよ。」って言われた。

 

マジかよ。お城に入れないのかよ。

これ、話が違うんだけど。

今後は全人類、竹田城からの雲海を見れないってヤツ?

Webとかでよく見るあの光景、一般人は一生見れないの?

なんてこった。

 

竹田の町を奔走する4

しょうがないのでUターン。

もうかなり空が明るくなってきているので焦る。

 

いやしかし、焦ったところで竹田城にアプローチはできないと言われた。

一気に今回の企画自体が怪しくなってきたぜ。


もらったプリントを見る。

もし竹田城まで登るつもりであれば竹田駅の近くの「旧パチンコ竹田城」の駐車場がオススメだって、警備員さん言っていたな。

そこに行ってみるか。

せっかくここまで走ってきた分をまた戻るのはシャクだけどさ…。

 

竹田の町を奔走する5

ここが指定されたオススメ駐車場、旧パチンコ竹田城

ちなみに2017年に解体されて、今はもうない。

かわりに「竹田城下町観光駐車場」として生まれ変わっている。

 

広大でガラガラだけど、数台の車が停まっている。

その人たち、どうやら歩く準備をしているみたいだ。

あの人たちも竹田城を目指すのだろうか?

ちょっとだけ心強くなる。

 

竹田の町を奔走する6

竹田城、僕の愛車の向こうに聳えているのが上の写真からでもわかる。

なかなかにヘビーな登山になりそうだ。

 

駐車場には誘導員のおじさんがいたので、果たして竹田城にここから行けるのか話を聞いてみることにした。すごく重要な質問だ。

 

「山道があるけど結構な登り坂だし、50分くらいかかるかもしれないし、かからないかもしれないよ。」って言ってた。

50分…。遠いなぁ…。


続けて「8時まではお城の敷地に入れない、みたいなウワサを聞いたんですが…」って尋ねてみた。

「うーん、入れるかもしれないし、入れないかもしれないよ。」って言ってた。

 

何そのフワフワした受け答えは。

そんな回答、知識ゼロでもできるわ。

 

登山開始

行くよ。

どうせ答えがどうだろうと、僕は突撃するつもりなのだ。

おじさんから山岳路の入口の場所を教えてもらい、歩行準備をしてから出発だ。

…登山するつもりなんて全然なかったけどな。

 

こうして5:35、僕は城を目指して歩き出す。

 

 

2倍速のアドベンチャー

 

さて、ここで今一度周辺の地理を整理しよう。

 

 

山城の郷の駐車場を使いたかった僕だが、虎臥大橋で警備員に阻まれた。

しょうがないので旧パチンコ竹田城に駐車し、まっすぐ西に歩いて虎臥山の山頂の竹田城に登ろうとしている。

…という物語だ。

 

虎臥山登れ1

早朝の空気はキリッと冷たく、それだけで精神がナイフのように研ぎ澄まされる。

ほど良い緊張感と実行意欲。いい精神状態だ。

 

OK、やってやる。

なんとしてでも竹田城からの雲海、見てやる。

 

虎臥山登れ2

虎臥山の上に見える竹田城は、果てしなく遠く思える。

 

50分後の僕はあそこに立てているのだろうか?

いや、50分後ではきっと遅すぎる。夜が明けてしまう。

30分だな。30分で行くべきだ。

 

虎臥山登れ3

7分くらい歩いたところで、「竹田まちなか観光駐車場」っていうのが出てきた。

これももらったプリントにかかれていた駐車場だ。

 

停められる台数は60台ほどで、キャパシティはさっきのパチンコ屋の3分の1程度だけど、今の時間はガラガラ。特に有料でもなく、無料のパーキングだ。

チッ、知っていればこっちにしたのに。

なんで最初の警備員さん、旧パチンコ竹田城を薦めてきたんだ?

 

…ま、今さらどうのこうの言っても遅いけどな。

 

虎臥山登れ4

住宅地の中にある、「表米神社」までやってきた。

プリントを見ると、どうやらこの裏から登山道が始まる様子。

"表米神社登山道"っていうわかりやすいネーミングだ。

 

虎臥山登れ5

境内の裏手に回ると登山道発見。

竹田城跡まで30~40分 ※急勾配の階段が続きますので、健脚者向けの登山道です。』って書いてある。

 

僕は健脚者とは正反対の世界の住人だ。

オフィスワーカーで運動なんてしないし、だし一見真面目そうなメガネ君だし。

 

虎臥山登れ6

もちろんクマとケンカして勝てるビジョンもない。

 

それでも、いくつかの日本を代表する山を一般人以上のタイムで登頂できてきた。

短い時間だけ発揮できる、ガムシャラなパワー。点火。

 

虎臥山登れ7

ツラい。

今、とても人生がツラい。

 

運動不足の僕にとって、この登り坂は命を削る坂。ふくらはぎパンパン。

早朝で寒いから薄手の上着を羽織ってきたんだけどさ、いらんわこんなもん。この布ジャマ。汗かいて来たわ。

 

虎臥山登れ8

無心になってひたすら登る。

前方にカップルが見えた。ヒーヒー言いながら山道を登っている。

知らん。同情もしない。一気に追い越す。

 

虎臥山登れ9

竹田城が現役だった頃、敵はこの城を攻撃するのであれば、鎧を着て武器を持った状態で、城からの迎撃を警戒しながら山を登らなければならなかったのだろう。

僕、無理だな。兵士に不向きだ。

家で実況中継を見るくらいに留めたい。

 

虎臥山登れ10

写真のブレは、心のブレ。

もう命のロウソクも残りわずかですぞ。

 

…そのうち舗装路に出る。

あぁ、「山城の郷」の駐車場に車を停めた場合は、このゆるーい登り坂の車道を延々40分歩いて来るのね。そっちがよかった。

その道の途中に、激坂の登山道を攻略した僕が出てきた感じ。

 

6:10、竹田城の城門前に来た。

パチンコ屋の駐車場から標準タイム50分のところ、サクサク歩いて26分。

ほぼ倍ペースで来れた。

 

果たして城門、開いているのか…!!?

 

 

僕は雲上のモデルになった

 

城門、開いていた。

アッサリ開いていた。

誰だよ、「入れません」・「開いていないかもしません」って言ってた人。

 

ただ、普段はこのゲート、料金を取られるようだね。

早朝過ぎるためか、この時間は無料。

 

最初の警備員さんが言っていたのは、このゲートがちゃんと営業開始し料金を取られるのは8時以降っていう意味だったのかな??

なんにせよ無事に入れてよかった。

 

雲上の世界へ1

はい、やってきたよー!視界が開けたよー!

なんとかギリギリ朝日よりも前に到着できた模様。タイミングはバッチリだ。

やや雲が多いものの、少し経てば朝日が顔を出すでしょう。大丈夫大丈夫。

 

雲上の世界へ2

見渡すと、僕以外に観光客は10名弱。まだガラガラだ。

 

ところどころにスタジャンを着た観光案内の人がいる。

なんだ、やっぱ8時前に入っても全然OKだったんじゃないか。

観光案内の人と「おはようございます」とかにこやかに挨拶し、昨夜から夜通しで車を走らせ、ここからの朝日と雲海を見に来たこととかを話した。

 

雲上の世界へ3

観光案内のおじさんはサービス精神旺盛であった。

 

「では写真を撮りましょう!」と提案され、シャッターを押してくれることに。

はい、せっかくだからお願いするわ。

1人だと自撮りの幅も限度があるので、こういう申し出は素直に嬉しい。

 

雲上の世界へ4

「いいねいいねー!」・「はい次はこっち側に立って!」。

…なんか写真撮影、終わらなくなった。

 

「はい、もう1枚ー!」

おじさんのテンションは上がりっぱなしだった。

それと同時に朝日も上がってきた。

 

雲上の世界へ5

いやいやいや、もう僕、朝日を見たい。

写真撮影はもういい。

 

しかしおじさんは絶好調だ。

まだ早朝で人がいなくてヒマだったのかな?

そんなおじさんのヤル気を削ぐことは憚られた。僕も心行くまで付き合った。

 

雲上の世界へ6

今回掲載するのは、その写真のごく一部だ。

僕はこの日の朝、雲上のモデルとなっていたのだ。

 

雲上の世界へ7

朝日が昇る瞬間は写真に収められなかったが、それはまぁ良い。

日の出の瞬間にはそこまで固執しないのだ。

日の出直後の太陽を見ながら、ここを散策したいのだ。

 

見よ、この美しい石垣を。

天守閣とか櫓とかの建造物は全く残っていないが、この石垣だけでも素晴らしい。

ここから想像できる自分だけの世界を堪能すればよいのだ。

 

雲上の世界へ8

歩道には特殊なフニフニした弾力のある素材を敷き詰めて、道が傷まないようにしているみたい。

 

竹田城は2010年ごろから数年で人気爆発すると共に、人が来すぎてヤバいことになっているそうだ。

城内の歩道は歩きすぎてやせ細るわ、石垣は崩れるわ、人は石垣から落ちるわ…。

 

雲上の世界へ9

どうしてもブームになると、安全面の確保が必要になるよね。

今までできてきたことも、できなくなるよね。

 

僕の竹田城への初回訪問は、世間が充分に加熱してからだったのだ。

時期が遅かったと後悔している。

 

雲上の世界へ10

そんなこんなで、至るところにロープが張られ、順路に沿って一方通行みたいな感じになっちゃっている。

まだ早朝だから規制線の内部は自由に歩き回れるが、もし繁忙時間帯であればかなり規律正しく進まないと周囲の迷惑になってしまうだろう。

 

納得はできるけど、カッコイイ石垣だとかがロープのせいで見栄えしなくなっちゃっているのは残念だ。

だけども大掛かりな補修工事をしないと、どんどん城が劣化しちゃっているのも事実だそうだ。

 

雲上の世界へ11

もともとは入城も無料だったところを近年料金制にしたのも、こういった修繕費用を踏まえてだもんね。

歴史的価値のあるものを今後も守って行くためだから、これもしょうがないのかもね。

 

ただ1つ大きく残念だったのは、天守台が立入禁止であった点だ。

よくガイドブック等に載っている、"日本のマチュピチュ"と呼ばれる所以ともなった俯瞰気味の光景。

少なくとも僕の訪問時は、前述の石垣の崩壊や人の落下の抑制のために入れなかった。

※ その後入れるようになったとの情報もあり。

 

雲海は文句なしに素晴らしかったけどね。

では次章、メインとなる雲海の光景だ!

 

 

雲海と朝日、僕が見たかった絶景

 

竹田城は、標高354mの虎臥山の山頂に築かれた山城。

敷地は南北400mにも広がっていて、山城としては屈指の規模なのだそうだ。

今、そこから朝日を見ている。

 

雲海と朝日1

すんごい。

谷に向かって段々になっている石垣。それは超ビッグスケールの観覧席のようだ。

そこから僕は、朝日と黄金色に染まる雲海を見ている。

 

雲海と朝日2

もしかしたら、今日の雲海はやや少なめなのかもしれないな。

だけれども、少しムラがあったほうが絵的には面白い。

 

なにより今は9月。

まだ雲海シーズンの序盤にもかかわらず、こうしてナイスタイミングで絶景を見られたことが嬉しいのだ。

 

雲海と朝日3

全てが雲に覆われていないお陰で、こうして下界の色付く田んぼも見えるしね。

眼下に見えているあの川、駐車場から歩き始めてすぐに渡った川だ。

あのあたりからこの足だけで山を登ってきたんだ。ちょっと誇らしい気持ちになる。

 

雲海と朝日4

あ、見つけた。

旧パチンコ竹田城と、僕の愛車のHUMMER_H3。

 

数10分前はあそこから不安な顔してにここを見上げていたのだ。

大丈夫だ、過去の自分よ。僕はやり遂げたぞ。

 

雲海と朝日5

さて、知っている方も多いかもしれないが、雲海の発生条件について簡単にご説明しておきたい。

 

  1. 湿度が高いこと
  2. 気温差が大きいこと
  3. 風が無いこと

 

おおまかに上記の3点だ。

 

「1」について、そもそも雲海は雲である。雲ができるためには湿度が必要。

地面にしっかり湿気があると期待度が上がる。

わかりやすく言うと雨の日の翌朝がいい。

 

雲海と朝日6

「2」については、空気が冷えている状態から一気に温められることで、水蒸気が雲に変化するから。

日中と夜の寒暖差を利用するのが手っ取り早い。

 

…となると、春や秋。特に晩秋が一番いい。

前日寒く、翌日暖かくなる…みたいな日があればチャンスだ。

 

雲海と朝日7

「3」については、せっかく雲が出来ても風で飛んで行っては無意味だ。

しっかりその場にとどまってくれるような風のない日を選ぼう、ということ。

 

結論。

秋が深まった日の、前日が寒くて雨、翌日が晴れて暖かい日。

さらに風があまり吹かない日。

こんな日を天気予報を見てチョイスしよう。

 

雲海と朝日8

この条件は、飛行機とかに乗らない限りは大体日本全国で使える知識。

 

盆地は特に寒暖差が大きい上に、周囲が山で雲が逃げて行きづらい。

そしてその山々の上に立てば雲を見下ろすことができる。

…ということから雲海の名所になっていることも多い。

 

雲海と朝日9

1日の幕開けは、最高であった。

 

下りはマッハだ。ポンポン飛び跳ねるように急な山道を駆け下りていく。

対向からは少しずつ人がやってき始めた。

まだ雲海はギリギリで残っているくらいの時間かな?

みんな頑張れ。

 

15分くらいで山道を抜け、神社の登山口まで戻ってきた。

ここからは車道だ。もう楽勝。

 

城を振り返る1

テクテク歩きながら、後ろの虎臥山を振り返る。

さっきよりもクッキリと竹田城の石垣が見えた。

晴れ晴れとした気持ちで空を見上げた。

 

城を振り返る2

7:00ピッタリに駐車場に戻ってきた。

往復で1時間半だ。

 

有言実行したぜ。

1週間前に竹田城攻略を宣言した、旅友の「ふじふじ」に僕は報告メッセージを送った。

そのときの伏線が気になるのであれば、以下の記事をお読みいただきたい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

*-*-*-*-*-*-

 

秋も深まり、今週から11月になるね。

 

いよいよ竹田城が最もそのアイデンティティを示すシーズンだ。

あなたのご予定と天気が見事に合致するなら、竹田城で一生ものの思い出を育んでほしい。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 竹田城
  • 住所: 兵庫県朝来市和田山町竹田
  • 料金: 早朝時間帯は無料(訪問当時)
  • 駐車場: 複数あるが、どこからも40分以上の徒歩。詳細は各自調べてほしい。
  • 時間: 特になし(訪問当時)