週末大冒険

週末大冒険

ちょっと出かけてみないか。忘れかけていた、ワクワクを探しに。

No.140【埼玉県】秩父鉄道終着駅「三峰口駅」!山間部ののどかな駅のベンチで蕎麦を食う!

10月上旬の関東地方。

それは、夏なのかと言われればそうではないし、でも秋かと言われると不自然に暑かったりもする、時空の狭間なのかもしれない。

 

まぁ結論として、そんな時期に外でご飯を食べるとたまらなくうまい、という方向に持っていきたい。

 

連日コロナ禍のステイホームにテレワークで、囚人のような生活をしている僕にとって、久々に命の洗濯ができたのだ。

そんな思い出をブログに書かずして墓場に行けようものか。

 

 

埼玉県最西端の鉄道駅

 

予想最高気温は28℃。

車中泊明けの早朝こそ寒かったものの、朝の8時に迫る現時刻においては朗らかな気候となった。

 

これは半袖でOKだ。

というより、半袖以外の服は寝るとき用のジャージしか持ってきていない。

台風一過のこの陽気を、僕は全面的に信用してきた。

 

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レトロ駅舎1

8時ちょい前にやってきたのは、「三峰口駅」である。

 

埼玉北部の羽生駅からここ三峰口駅までを結ぶ、秩父鉄道の終着駅であると同時に、埼玉県最西端の駅である。

秩父鉄道は、「秩父を走る"SLパレオエクスプレス"」と言ったほうがピンと来る方もいるかもしれない。

 

そして、駅名の由来は秩父の有名な神社である「三峯神社」の近くにあるという点なのだが、三峯神社の話はまた機会がございましたら。

 

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レトロ駅舎2

昭和初期~中期を彷彿とさせるレトロな造形の駅舎。手書きの駅名板が味わい深い。

そして稲妻のようなエフェクトが経年を感じさせる、コカ・コーラの看板。

 

一転してアニメ調の看板と、その後ろのコロナ禍における新しい生活様式を促す看板が、令和を感じさせる。

 

新旧コラボだ。

これが、これからの時代なのかもしれない。

 

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レトロ駅舎3

チラシ多めの駅構内。

そして、自動改札なんてものはない。

埼玉県内の鉄道で、PASMOにもSuicaも屈しないスタイルなのは、秩父鉄道だけだ。

 

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レトロ駅舎4

切符を買え、ということだ。

しかも券売機もないようだ。対面販売である。最高だ。

 

僕は今回はドライブでここに来ており、電車に乗る予定もない。

実際に切符は買わないが、この光景を見れただけでも心はほっこりだ。

 

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レトロ駅舎6

ちょびっと目線を右にズラそう。

切符売り場の正面に、簡素な待合スペースがある。

 

その向こうの扉からは、駅の正面の軒下スペースに行ける。

あるいは、ホームの裏側と言ったほうが良いのだろうか?…うまい表現が思い浮かばない。

まぁ続けての写真を見てほしい。

 

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レトロ駅舎7

こんな感じだ。

ディズニーランドの「ウエスタンリバー鉄道」とか、こんなゲートだったような記憶がある。

 

ただ、それぞれのゲートにはチェーンが張られていて、ここからホームへは行けない。

上を見ると「SL改札」・「団体入口」というプレートが下がっている。

普段は切符売り場のすぐ脇からホームに行く手段のみで、繁忙時期だけこちらを開放するのだろうか。

 

さらに目線を右に向けよう。

 

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レトロ駅舎8

 関東の駅百選認定「三峰口駅

皆様方のご推薦により認定を受けました、ありがとうございました。』

 

…っていう横断幕が設置されている。

 

関東の駅百選とは、「関東地方のエモい駅を100個集めようぜ」みたいな公募企画で、1997年~2001年までの4年間でちょっとずつ100個集めたのだ。

 

確かにこの駅は、選ばれて納得すぎる。

(そして、奥の方にチラッと見えている小さな蕎麦屋さんが気になる。)

 

 

SL転車台公園

 

駅から線路を挟んだ反対側に、「SL転車台公園」というのがあるらしい。

駅舎に掲示してある周辺MAPを見て知った。

 

最寄りの踏切まではここから200mほどあるらしいが、大した距離ではない。

なにより気持ちのいい秋晴れの朝なのだ。歩こう。

 

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転車台1

最寄りの踏切にて、線路の写真を撮ってみた。

 

遠くに三峰口駅が見え、さらにその背後に"三峰"の由来となる3つの山が聳えているのが見える。

「妙法ヶ岳」・「白岩山」・「雲取山」というらしい。

ちなみに後者2つは、以前に廃村探索で行ったことある。懐かしい。

 

さて、SL転車台公園は、踏切を渡ってからまた駅方面に戻る方向だ。

上の写真だと、駅の入口は左奥であり、SL転車台公園は右奥部分となる。コの字型に歩くのだ。

 

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転車台2

はい、SL転車台公園だ。

写真左側の青い屋根が、三峰口駅だ。

 

さて、ここで知った少しだけ残念なお知らせだ。

この公園は、ほんのちょっと前までは「秩父鉄道車両公園」という名前であった。

かつて秩父鉄道を走った10両もの古い車両が展示してあったらしい。

 

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転車台3

しかしそれは老朽化が進み、2019年に解体撤去。公園も一時閉鎖。

リニューアルして2020年11月にSL転車台公園となったそうなのだ。

 

秩父鉄道車両公園時代にもここを訪問して見たかった。実に残念だ。

でも、新しい公園を見れてラッキーでもあるな。

 

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転車台4

SL転車台公園の開園記念日は、SLの写真がドーンと掲示されている。

なんとなくモザイクっぽい。

もっと寄って撮影してみようか?

 

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転車台5

フォトモザイクアートであった。

応募された秩父鉄道思い出写真、約1000枚が散りばめられて、大きな1枚のSLの写真となっていたのだ。ステキ。

 

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転車台6

そしてこれがメイン、転車台。別名ターンテーブルとも言う。

SLを方向転換させるための機能である。

 

ほら、前述の通りここは秩父鉄道の終着駅。

つまりはSLパレオエクスプレスの終着駅。

 

現代の普通の電車って両端がそれぞれ"頭"だからどっち向きにも走れるけど、SLは頭は1つ。

だから終着駅まで来たら180度ターンさせないと反対側に走ることができない。

 

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転車台7

なので、コイツが必要なのだ。

SLの先頭車両をこの円形のテーブルに乗せて、180度旋回させる。

そしたらあら不思議、反対側に走れるようになっちゃったわっていう算段だ。

 

ついでにこの位置で石炭を積んだり給水したりとするそうで、SL運行日の展開時間には多くの観光客が見学に来るそうだ。

 

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転車台8

あと、公園から見た三峰口駅もなかなかよかった。

では、また駅方面に戻ろうか。

 

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転車台9

ところで、戻りついでに見つけたのが、この看板だ。

熊谷起点の56.7(コロナ)km地点に線を引いた、とのことだ。

そして「みんなで56.7を乗り越えていこう」と書いてある。

 

あれ?

秩父鉄道は羽生起点のはずだけど、なぜこの地点計測では熊谷起点になっているのかな?

そして、どこに線を引いたのかな?

 

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転車台10

その場で線路を眺めたりキョロキョロしたけど、わからなくて。

踏切を越えて反対側に行って眺めてもよくわからなくて。

 

Webを調べたりしたけど、これについて記載しているサイトもなければ、実際に線を発見した人もいなくて。

まぁいっか…。

 

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転車台11

ちょうど終点三峰口駅に到着する電車を撮影しつつ、再び駅まで戻ってきた。

 

 

駅の立ち食い蕎麦屋

 

日が高くなってきたし、ちょっと歩いたし、なんだかんだで起きてから4時間近く経過したので、少しお腹が減って来た。

 

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蕎麦屋1

さっきちょっと気になった、駅舎内の小さな蕎麦屋さんに突撃してみようか。

暖簾がかかっているってことは、営業しているよね?

朝の8時前から営業しているのか、すごい。

 

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蕎麦屋2

暖簾情報によれば、店名は「駅麺屋」というらしい。

しかし食べログでは「三峰そば」となっている。秩父鉄道の公式情報では「三峰口駅そば店」となっているらしい。

 

何が正しいのかわからない。

 

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蕎麦屋3

そして、どうやらSL運行日や行楽シーズンのときのみの営業だそうだ。

貴重なチャンス、食べざるを得ない。

 

僕はガチな立ち食いそばに1人で入った経験は無いのだが、ここは店舗前のテーブル席を使って食べることができる。

これであれば僕も気兼ねなく突撃できる。

 

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蕎麦屋4

わりとデラックスなメニューで三峰山そばというのがある。

650円。

『令和天皇陛下献上 せきたの特挽地そば』なのだと記載されている。

よし、これにしてみよう。

 

おばちゃんにオーダーし、しばしテーブル席で待つ。

途中、「七味かけていいですか?」と聞かれたので、「はい」と回答した。

薬味までかけた状態で提供してくれたのだ。

 

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蕎麦屋5

ずっしりボリューミー。

 

特性かき揚げ・秩父こんにゃく味噌おでん・秩父特産しゃくし菜の油炒めがトッピングされているらしい。

かき揚げはタマネギとニンジンがメインだな。

 

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蕎麦屋6

こんにゃくと蕎麦のコラボは、なかなか不思議だな。

麺はやわらかめ。ダシは味が濃く、甘みが強め。

 

それぞれに個性はあるが、味のまとまりはあってうまい。

…てゆーか、味よりも僕は、このシチュエーションを楽しんでいる。

 

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蕎麦屋7

コロナ禍であまり出かけられなかった昨今。

先月末で緊急事態宣言も解除され、ようやく1人でフラリ車中泊で出かけ、快晴の朝に風に吹かれながら蕎麦を食べているのだ。

 

「自由だ!」って感じた。

「蕎麦だ!」っていうよりも、「シャバの空気だ!」みたいな感じで、蕎麦と共に綺麗な山の空気を吸いこんだ。

 

食べながらツーリングマップルを見たり、スマホを見たりしながらこのあとの行き先を考えるのも、忘れかけていたワクワクだ。

※ 群馬? ゴメン、それはまたの機会に。

 

 

束の間のバカンス

 

食後、僕は愛車の日産パオに乗り込んで、三峰口駅を出発する。

そこからほんの300mほどのところ、国道140号にぶつかるところに「白川橋」という橋がある。

 

最後に、ここからの眺めを見て行こう。

さっき駅に行くとき、「ここからの眺めは良さそうだな」って思ったのだ。

 

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白川橋1

よーし、すっごい眺めだ。

 

下を流れるのは「荒川」だ。

あの、東京都心を通過して東京湾に注ぎこむ、あの荒川の上流部がここなのだ。

川面までは6~70mはあるだろうか。そうとうな高度だ。

 

遠くに見えている、谷を渡すケーブルのようなものにズームしてみよう。

 

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白川橋2

はい、すごい。

これは「秩父ジオグラビティパーク」という、今年(2021年)にオープンしたアクティビティ施設のものだ。

 

あのヘロヘロした橋を命綱をつけて渡ったり、あのケージみたいなところからバンジージャンプできたりするらしい。

 

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白川橋3

秩父

豊かな自然と、のどかな駅。

 

なんという贅沢な時間。

しかしまだ今日という日は始まったばかりだ。

 

まだまだよろしく、大好きな秩父

最近ちょっとゴキゲン斜めなパオのアクセルを踏み、僕は再び山間部を走りだす。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

 

No.139【鳥取県】今もトロッコレールは残っているかなぁ?「芦津渓谷」で森林浴&探索!

僕はトロッコが好きである。

 

「黒部渓谷鉄道」しかり、「トロッコ王国美深」しかり、「ビッグサンダーマウンテン」しかりだ。

 

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熊本県:「万田坑」のトロッコ

トロッコ列車そのものがなくってもいい。

屋久島の「縄文杉」ルートや「芦生の森」など、かつてのトロッコ廃線の上をハイキングするのも好きだ。

 

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東京都:「奥多摩工業曳鉄線」のトロッコ

その要因を紐解くのであれば、きっと「インディ・ジョーンズ」のトロッコでのバトルシーンに魅せられたからだろう。

 

芥川龍之介の「トロッコ」もオモシロ切ないが、それ以前に僕はインディでトロッコと出会っていた。僕のトロッコ史は、インディから始まる。

 

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三重県:「白亜の迷宮」のトロッコ

嗚呼、トロッコ

愛しのトロッコよ。

探しに行こうか、トロッコ

 

 

かつての森林鉄道は

 

あの日、僕は鳥取県の山間部にいた。

山間部を走るのは無性に楽しいな、とか独り言をいっていた、たぶん。

 

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鳥取山間部1

さて、このあとどこに行こうか?

僕はツーリングマップルを開いた。

すると、僕のトロッコセンサーに1つのスポットが引っかかった。

 

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鳥取山間部2

場所は「芦津渓谷」。

『昭和40年代まで使われていたトロッコ列車の線路跡』があるとのことだ。

場所柄と廃止時期からして、きっと森林鉄道なのだろうな。

 

森の中から伐採した木々とかを運び出していたヤツ。

携帯電話のWebから調べてみると、どうやらそのトロッコ跡が遊歩道になっており、森の中を散策できるそうだ。

 

よし、今からそこ行こう。

 

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鳥取山間部3

県道6号沿いにて立ち寄った、小さな展望台をちょっとご紹介しておく。

「くちうなみふるさと展望台」だ。

ひらがなの羅列に圧倒され、一瞬どこで区切ればいいのかわかるまい。

 

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鳥取山間部4

今日はジトッとした天気だ。

 

展望は期待ほどではなかったが、O型でポジティブな僕は、この景観を「幻想的」と表現できる心の持ち主だ。

また、廃墟巡りが趣味の僕は、「廃墟日和」と表現することもある天気だ。

 

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鳥取山間部5

まぁでも悔しいので、展望台に設置してあった説明板も掲載しちゃう。

今回の舞台が相当な山間部であることを、ご把握いただきたいのだ。

 

さぁさぁ、目指す芦津渓谷が近付いてきた。

しかしここで僕は嫌な予感がする。

 

トロッコ列車の線路"跡"』と書かれていたよな。

もう線路は無いのではないだろうか?

Web検索をしてみた。

うん、ない。トロッコレールはない。無念。

 

しかしさらに検索すると、森の中にわずかに散らばるレールを発見した人もいるそうだ。

なら良し!僕もレール探す!レール見る!!

 

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鳥取山間部6

こうして僕の芦津渓谷での目的は、「かつてのトロッコレールの残骸を探すこと」となったワケだ。

ワクワクしてきた。

 

 

緑の中にいざなわれ

 

まだ車道は続いているんだけど、遊歩道に入る人のための駐車場と思わしき空き地が見えてきた。

トイレもある。これからトレッキングしようとしていると思われる人もチラホラいる。

 

事前情報が少なすぎて何が何だかわからないのだが、歩いてみることにした。

まずは勘で車道を歩いて坂道を登る。

 

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渓谷を行く1

5分ほど歩いたところで、目指すトレッキングコースが現れた。

芦津エリアから「三滝ダム」へと続く、中国自然遊歩道の一部とのことだ。

ふむふむ、ピンと来ない。

 

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渓谷を行く2

そして、これがここからしばらくの行程だ。

 

どこかにトロッコレールの残骸が、今もあるという。

いったいこの地図のどこなのだろう?

宝探しみたいでワクワクする。

 

ツーリングマップル記載の通り、『昭和40年代まで使われていたトロッコ列車の線路跡』が遊歩道になっているのであれば、それはきっとここから「三滝ダム」までの間なのだろう。

もっと言うのであれば、上の地図の「あずま屋」より手前だ。

 

あずま屋近辺はヘアピンカーブになっている。

高低差がすごいのだ、きっと。

僕ならば、名前からも「巨木の広場」から車道までにまずトロッコを通す。

 

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渓谷を行く3

改めてツーリングマップルを見ると、トロッコ線路跡の矢印が示すのは、車道からかなり近い部分だ。

遊歩道を示す点線はダムのところで消えている。

 

やはり、遊歩道に入って早々のところをトロッコが走っていたのだ。

注意深くキョロキョロすれば、すぐにレールの残骸が見つかるかもしれないぞ。

 

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渓谷を行く4

こんな感じの遊歩道。

しかりと横幅があり、そして路面はあまり高低差のない歩きやすい道。

さすがもとトロッコ軌道だ。

 

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渓谷を行く5

これは烏帽子岩というらしい。

天然なのか人工なのか、縦にザックリと割れた岩だ。

 

そして周囲は一面の緑。

歩いていてとても気持ちがいい。

 

僕、森林浴を楽しんでいる。

そういえば序盤の看板に、このコースのことが"セラピーロード"と表現されていた。

癒されている、癒されている。

デトックスだ。

 

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渓谷を行く6

ここは小豆転がしという名前の付いたスポットだ。

遥か下の方にチラッと清流が見える。

 

確かに何もかもが転がる。

しかしなぜに小豆なのか。そんなチマッとしたものよりも、ダイナミックなもの転がすようなネーミングの方がカッコいいのに。

 

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渓谷を行く7

歩きながらシャッターを押したら、ブレた。

眼下の清流だ。

グリーン味が強めであまり透明度は高くないが、秘境って感じのする川だ。

 

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渓谷を行く8

道端の苔もとても良い。

僕は「屋久島」の「白谷雲水峡」を歩いて、苔の美しさを知ったのだ。

 

そしてここも美しい。

モコモコしたモスグリーンを見ているだけで、心が浄化されるようだ。

 

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渓谷を行く9

あ、滝だ。

これは「三滝」という名前の滝だ。

 

ここまでの写真や文面で、三滝ダムという名称が何度か出てきていた。

そのダムの名前は、この滝から取られたのだろうな、きっと。

 

落差21m。水量が多いときは2条の滝だが、資料の少ない時期は3条に別れるんだって。そこからこの名前になったそうだ。

うん、でも木立がジャマでよくわかんない。でもそれがいい。

 

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渓谷を行く10

どうやら巨木ゾーンというところに入ったようだ。

確かに今までよりかは大きな木が乱立している。

 

僕は屋久島のような巨大な木々を想像してしまっていたので、それと比べるとちょっと控えではあったけども、それでもたくましい木々を見ながら歩くってのは、元気が出るもんだ。

 

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渓谷を行く11

あずま屋。

…これ、行き過ぎたなきっと。

 

調子に乗って、森の奥にいざなわれすぎた。

森林浴していたら気持ちが良くって、トロッコのこと忘れていた。

 

 

ロッコレールは今も残る

 

僕は立ち止った。

あずま屋の前で完全に歩みを止めて考え始めた。

 

前述の通り、この東屋は「ここまで来ちゃったら気付かずにトロッコ軌道を通過しちゃっているだろうな。」っていう設定にしておいたポイントなのだ。

それが事実かどうかは知らないけど、僕はそう設定しておいたのだ。

 

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ロッコ捜索1

ここまでにトロッコ軌道跡なんてあったか?

少なくとも僕が歩いてきたこの遊歩道上にはレールなんてなかった。

 

まぁ、考えてみれば遊歩道脇にレールが転がっていたら、もっとWeb上でそういう情報が出てくるはずだ。

Web上に情報がほぼ無いということは、見つかりやすい場所にはないということだ。

 

じゃあ、トロッコ軌道跡を利用した遊歩道なのに、残っているはずのレールが見つからないって、どういうことだろう?

 

  1. レールはちょっと前に撤去された。
  2. レールが残っているのは支線だから、本線であるこの遊歩道上には無い。
  3. 実はトロッコ軌道と遊歩道ではちょっと設置場所がズレている部分がある。
  4. レールは遊歩道から滑り落ちた、もしくは人為的に離れた場所にどけられた。

 

…とまぁ、こんなところだろう。

 

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ロッコ捜索2

 

なにせ、トロッコが走っていたのは50年も前なのだ。

現代に至るまでに路肩が弱くなったりして遊歩道をズラして造らざるを得なかった部分もあるかもしれない。

例えば渓流の対岸とかに。そうなると、もうお手上げかもしれないな。

 

とにかく、戻りつつ徹底的に再調査するしかない。

そして巨木ゾーンまで戻る。


前述の通り、ここいらが一番怪しいとにらんでいるのだ。

遊歩道に沿ってグルグル歩き、森の中を注視する。

 

…あった!!

 

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ロッコ捜索3

僕は斜面を駆け下りた。

苔むした森の斜面に、線路がいくつか散らばっていたのだ。

 

僕が想像していたのよりもバラバラに崩壊していた。

もうレールが点々と落ちているだけ。

探したけれども、その他のパーツは全くない。

ロッコ自体の残骸とか、分岐器とかも落ちていたら最高だったんだけど。

 

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ロッコ捜索4

レールは土や苔に覆われて同化しかけていて、よっほど注意しないと見つからない状態だった。

 

これは、普通に森林浴していたら気付かないな。

「きっとある」という確信や情報を持って歩いて、見つかるかどうかといったところだ。

上の写真は、これでもかなりかたちを保っている部分を選んで撮影したのだ。

 

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ロッコ捜索5

レールにそっと触れてみた。

知っているけど、トロッコのレールはとても細いのだ。

アミューズメントパークとかのオモチャの列車の線路のようだ。

 

この細いレールの上を、重い木材を積んだトロッコが何10年も行き来していたのだろうな。ホント、お疲れ様だよ。

太鼓のぬくもりを感じ取れたような気がした。

 

www.rinya.maff.go.jp

 

参考までに、「林野庁」のWebサイトへのリンクを貼らせていただいた。

 

明治時代から昭和40年にかけて、こういう森林鉄道が全国に1000路線ほどあり、伐採した木々をトロッコで森から運び出していたのだ。

この木々が、家屋造りに使われ、日本の近代化に大きく貢献したのだろう。

 

そして、リンク先にはこんな文面もある。

 

現役の森林鉄道は、国有林のものでは屋久島の安房森林鉄道及びそれ以外のものは京都大学芦生演習林の森林軌道のみで、これら以外は全て廃止されています。

(引用元:林野庁Webサイト)

 

僕、これら2つとも行ったことがあるのだ。

これはトロッコ好き冥利に尽きるってヤツであろう。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

後者の「京都大学芦生演習林」は、「芦生の森」って言ったほうが一般的かもしれない。

僕も過去記事でそこを冒険したエピソードを書いているので、良かったら読んでみてほしい。

 

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ロッコ捜索6

多くの木々を乗せて運んだレール。

50年後の今、人々に気付かれることなく、木々の上で安らかに眠っている。

 

キミに会えてよかった。

そして、「おやすみ」。

 

僕は静かにその場を立ち去った。

 

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ロッコ捜索7

僕はトロッコが好きである。

ロマンのある乗り物って感じがして、好きであった。

しかし、その歴史を知り、自分で探して触れることで、より深くトロッコへの興味を持つことができた。

 

全国に1000路線あった森林鉄道。

もしかしたら、あなたの住む町の山にもかつてトロッコが走り、そして人知れずレールやトロッコが今も眠っているのかもしれない…。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 芦津渓谷
  • 住所: 鳥取県八頭郡智頭町芦津
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No.138【静岡県】防空壕⇒お化け屋敷⇒廃業して50年!数奇な運命を辿った洞窟へ潜入!!

コイツはヤバいスポットである。

 

だから所在は明かさない。

聞かれても教えない。

僕がいつ訪問したのかも明かさない。

ただただ流れる時間の重みで溶けるように消滅していくのだろうが、それで良いと考える。

 

…という大げさかもしれない出だしではあるが、これは少々昔に僕が伊豆の「墓場のお化け屋敷洞窟」を単独探索したときのお話だ。

 

間違っても観光スポットや景勝地ではないので、あなたご自身がそこに行くことを想定してはいけない。

「ふーん、こんなところがあるんだな」くらいに留めてほしい。

あるいは、読んだらもう忘れてほしい…。

 

 

とある墓場にて

 

伊豆半島はスカッと晴れていた。

ハンドルを握ってクネクネ道を走るのは、実に楽しかった。

 

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暗黒へ1

まさにサマーバカンスだ。

このあ、旧来の仲間たち10数名と合流し、リゾートホテルで楽しく過ごすのだ。

今、僕はその地に1人で向かっている。

 

絵に描いたような夏休みのような気候に、僕の心は躍っていた。

なんと幸せな週末だろう。

 

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暗黒へ2

海越しに「富士山」も見えた。

「おぉーー!」と1人で叫び、写真を撮った。

 

…とまぁ、ホラー映画であっても冒頭部分ってのは不自然なほどに明るいものだ。

たぶんこういうシーンでキャスト表示が行われたり、タイトルロゴが出てきたりしている。

 

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暗黒へ3

冒頭シーンが明るいほど、本編のダーティーさと阿鼻叫喚が際立つのだ。

 

だから僕もその手法をまねてみた。

いい景色でしょう。

でも、青色の写真はここまででおしまい。サヨナラなのです。

 

*-*-*-*-*-

 

ほら、僕って生まれも育ちも暗黒街でしょ?

だから、僕なんかがリゾートホテルでヘラヘラなんかしてていいのかなって思いが根底にあるのだ。

どこかでマイナスファクターを取り入れて、バランスを取りたいのだ。

 

あ、ごめんなさい、生い立ちの部分はウソなんですけど、仲間内の無難なプランの旅行だと、どこかのタイミングで1人離脱して闇に足を踏み入れてしまうのは大体本当だ。

要するに僕は、ひねくれ者なのだ。

 

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暗黒へ4

とある集落の小道に紛れ込んだ。

よくわからないけど、目的地はこのしばらく先のような気がする。

 

車でズンズン進む。

頃合いを見て車を停め、さらに徒歩で進む。

 

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暗黒へ5

 

墓場だ。

 

 

冒頭で今回の目的地が"墓場のお化け屋敷洞窟"であると記載した通り、僕はこの墓場を目指していたのだ。

たぶんここであっていると思う。

なにせ情報が少なすぎるのだ。この時点で、本当に墓地の中にあるとは、僕は知らない。

「墓地を取り巻く敷地内にある」としか知らないでやってきた。

 

※ "墓場のお化け屋敷洞窟"という名称すら、僕の仮称だ。

 

どこだ?

この墓地のどこに洞窟があるのだ?

墓地の中をグルグル散策する。

 

墓地は階段状でかなり山肌の上の方にまで墓地が広がっているので、そっちも探してみる。うおぉ、直射日光が暑い。汗かいてきた。

しかしお化け洞窟は見当たらない。

 

冷静に考えてみよう。

僕は墓地のド真ん中で冷静になってみた。

 

洞窟なんだから、それは山肌にあるはず。

お化け洞窟は、お化け屋敷として使われたこともある洞窟の廃墟と聞いている。

僕はこの周辺の歴史背景から、それ以前は洞窟陣地もしくは防空壕だったりしたんじゃないかと思っている。

 

そんな感じのもろもろから、そんなにアクセスが悪い部分にあるとは思えない。

平地部、あるいはそこからそう遠くない場所にあるはずだ。

…つまり、墓地の1段目とかか?

 

しかしそんなものがあったら現代人は嫌がるだろう。

どうにかして目立たないように隠したはず。

木々なのか、墓石なのか、ブロック塀なのか…。

 

その視点からもう一度墓場内を探す。

 

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暗黒へ6

ビンゴ!

 

漆黒の洞窟内にて

 

これ、洞窟だよな?

うん、間違いない。

 

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入洞1

しかし、こりゃわからんわ。

草木に覆われつつある。

目の前のお墓の関係者以外は、まず100%気付かないだとう。

 

墓の区画に完全にカバーされ、入る道を失った洞窟。

いくらなんでも墓の区画となっている塀(?)とか登ったらバチが当たりそうなので、それを避けて苦労して向こう側の空間に着陸する。

 

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入洞2

うわぁ、きったねぇ!!

 

草木の生い茂った向こうには、暗い洞窟がポッカリと口を開けていやがるぞ。

陰気だ、陰気。

 

僕ね、1人でこんな洞窟に入りたくはないよ、本当は。

真っ暗だし墓場だし、何の得もないし。

もともとビビリだしね、僕は。


あぁ、嫌だ。

でも、見つけちゃったものはしょうがない。バッグから大型ハロゲンライトを取り出し
た。

そして入る。

 

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入洞3

暗。

 

おっかしいな。

これまで数々の洞窟や廃墟を照らしてきたハロゲンライトなのだが、その光全てが闇に吸収されるかのような暗さだ。

なんか重みのある暗さだ。

 

上の写真、わずかな光の中浮かび上がっている白い物体は、胸だね。

マネキンの胸だ。

でもエロさは感じない。不気味なだけだ。

 

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入洞4

足元はヌチヌチしている。

何10年と乾いていない泥なのだろう。

なんか熱で溶けたチョコレートを踏みしめているような。イヤな気分だ。

 

ちなみに僕は、オバケとか基本信じない。

廃墟に行こうとも、霊的な怖さは感じない。

暗闇に対する恐怖心もあんまりない。

 

ただ、さすがにこの洞窟の陰気さは少々怖いなって感じた。1人は怖い。

でも進むけどね。

 

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入洞5

横を見たら朗らかな表情の坊主いた。

「ブッ」ってなった。

突然出て来られるのは、少々困るよ。心臓止まったよ。

 

その昔、お化け屋敷であった頃に使われていたマネキンなのだろう。

それがさらに何10年も経過して、凄味を増していると感じた。

久々に仕事したな、オマエ。

 

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入洞6

さっきライトで照らした胸の人だ。

上半身だけ2体、折り重なって息絶えていた。

 

さらに奥に行こう。ズンズン行こう。

 

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入洞7

金髪の姉さん!

いきなりグローバルな展開がやって来た。「ハロー、ハワユー?」だ。

 

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入洞8

ムッチリしたケツもあった。

洞窟の壁に寄りかかりながらも、未だに直立していた。不思議なX字を描きながら。

 

てゆーか、どいつもこいつもなんてハダカなのですか?

お化け屋敷時代からこうなのか、それともお化け屋敷が閉鎖されたときに「服だけはフリマで売ろうぜ」みたいな流れになったのか。

 

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入洞9

もう入口からの光は全く届かない。

 

洞窟内の壁にはカマドウマと思われる虫がチョコチョコしており、そして頭上にはコウモリが何匹か見える。

どっちもあんまり好きではない。

 

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入洞10

手だ。

ドラゴンクエスト」で言うならばマドハンドみたいな登場だ。

コイツ、仲間を呼んで延々増えるんだよな、確か。

洞窟が手で埋め尽くされたらイヤだな。

 

マネキン類を蹴っ飛ばさないように進む。

 

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入洞11

またケツだ!

 

ひもで縛ってちゃんと立たせてある。

さっきのケツも立っていたな。

 

ケツに対する手厚いフォロー!

製作者の性癖、なんか理解できた!

 

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入洞12

間もなく、洞窟の最奥と思われる空間に行きついた。

少々広いホール状になっているその空間をライトで照らし、他に道が無いことを確認した。

 

一番奥、そこには数体のお地蔵さんが立っていた。

風化が進んで表情は読み取れなかったり、首自体が消失している。

 

うむ、このお地蔵さんはガチなものではなかろうか。

決してお化け屋敷のアイテムなどではなく、古来から、あるいは戦時中から祀られているものかなって考えた。

 

僕はお地蔵さんに、静かに祈りを捧げた。

では、Uターンだ。

 

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入洞13

帰り道で写真に収めたものを何点か、追加でご紹介しよう。

 

まずはこれ。

青い顔が落ちていた。顔だけ。

他の人たちはマネキンベースだったのに、これだけ小学校の図工の時間に造ったお面みたいになっている。

このクオリティがほほえましい。

 

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入洞14

生首が壁からニョッキリだ。

どうしてこうなった?

 

生首を見ながら歩いていたら、頭を天井にぶつけた。

僕、チビなのにぶつけた。

天井はところどころで結構低いのだ。

 

ヌッタリした泥が髪の毛について、最悪な気分になったよ。

 

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入洞15

また生首だ。ドロドロに溶けかけている。

上の方に手首もある。

なんだこれ。

でも、もうこの洞窟とはサヨナラだ。足早に通過する。

 

そして外。

帰還。

 

僕は日の光に目を細め、大きく深呼吸をした。

 

 

その洞窟の真相は

 

いったい何だったんだろう、この洞窟は。

その後の僕は、ある程度調査を進めた。

 

やっぱりここは戦時中から存在していた洞窟らしい。

防空壕としても使われていたらしいし、全国に秘密裏に展開されていた、あの特攻兵器"震洋"の関連施設の洞窟とも言われている。

 

ja.wikipedia.org

 

震洋の格納洞窟、僕も他の場所で見たことあるんだけど、戦時中はトップシークレットだから地元の人でも存在を知らなかったりするんだよね。

だからこの洞窟が震洋関連なのかどうか、明確な結論は得られなかった。

 

それであっても防空壕

かなりネガティブな用途であったことには違いない。

 

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そして戦後のいつ頃かは不明だけども、お化け屋敷として使われるようになった

…なんてバチあたりな…。

 

まぁ、僕らが想像するような大掛かりなものではないだろう。

もともと小さな集落。ちょっと子供を怖がらせるための施設であり、チープな人形が並んでいたレベルだろうと僕は推測する。

 

そんなお化け屋敷が使われなくなったのは、1970年ごろらしい。

今から50年も前の話だ。

 

お化け屋敷時代、そしてその終焉時の墓地がどうだったのかは知らないけど、そのうち洞窟の存在自体、墓地で覆うように包み隠されてしまったのだ。

うん、それでいいのだと思う。

 

起こしてしまってすまない。

安らかに、記録からも記憶からも消えるのが良いのだろう。

 

*-*-*-*-*-*-

 

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車に戻った。

泥にまみれた髪の毛を必死でティッシュで拭いた。

気持ち悪いー。心なしか臭いー。

 

このあと合流する予定の仲間から、「YAMA以外の全員でランチに魚食べているよ。伊豆の魚介はうまい。」みたいなメールが来た。

 

このスケジュールだと、僕はご飯食べている時間はないな。

まぁよい。

これが僕が選んだ道であり、人生なのだから。

 

待ってろみんな。サマーバカンス楽しみだな。

 

車のエンジンをかけた。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 墓場のお化け屋敷洞窟
  • 住所: 非公開
  • 料金: 無料
  • 駐車場: 非公開
  • 時間: 特になし

 

No.137【北海道】もともとここが日本最北端!?礼文島の「スコトン岬」で北限を味わう!

日本最北端といえば、「スコトン岬」だよね!!

 

…どうやらそう言われていた時代があった様子だ。

正直、物心つく前から日本最北端は「宗谷岬」の一択であると刷り込まれていた僕としては、少々驚いた。

 

おそらくそのように位置づけられていたのはそんなに長い年月ではないような気がするが、Webの各所から情報をかき集めた限りでは、事実のようだ。

 

今回は、その理由・宗谷岬との関係性、そして現在もスコトン岬に残る、日本最北端と呼ばれていた頃の名残についてご紹介したい。

 

 

真に北に位置する者

 

今回の記事は、日本の突端をいろいろご紹介する以下の【特集】の一環として執筆する。

本記事のみならず、どうぞ心行くまで突端を味わってほしい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

そして小難しい話で恐縮だが、まずはスコトン岬のご紹介の前に、最北端のご説明をさせていただきたい。

 

日本最北端。

この優勝争いにエントリーできそうな岬が3つある。

 

  • カモイワッカ岬(択捉島):北方領土を含めた日本の最北端
  • 宗谷岬(北海道本土):日本の本土で、一般人が気軽に行ける日本最北端
  • スコトン岬(礼文島):日本最北の有人島の最北端

 

ちなみに宗谷岬のちょっと北に「弁天島」という無人島があるが、そのことはいったん忘れておいてほしい。

さて、ではこの3つの岬を地図で見比べてみよう。

 

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はい、こうなった。

 

いつの日か択捉島をドライブやツーリングできるようになり、日本の真の最北のカムイワッカ岬を目指す旅人たちよ。

宗谷岬からたった2805m北に行くために、本州縦断するくらいのとんでもない距離を走ることになるから震えてほしい。

(それ、めっちゃ楽しそうだな)

 

…っていうのは余談でして、スコトン岬だ。

宗谷岬よりも6541m南にある。

 

正真正銘、現在日本人がちゃんと立てる日本最北は宗谷岬なのだ。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

では、なぜスコトン岬も最北と呼ばれるのか。

それは、まだ測量技術の精度が現代ほどではなかった頃、「宗谷岬もスコトン岬も日本最北だよね」と、ゆるーくひとまとめにされていたからなのだそうだ。

 

そして、その中でも日本最北であることを売りにしていたのが、スコトン岬であったらしい。

だから冒頭の通り「日本最北端といえば、スコトン岬だよね!!」ってなっていた時代があったらしい。

 

しかし、キチンとした測量をできるようになったら、宗谷岬の方が北だった。

で、1974年の事件だ。

宗谷岬がスコトン岬にクレーム言って来た。

 

「ウチが最北なんだから、オマエは最北を名乗るなよ」と。

うわ、宗谷岬さんって意外と心が狭いなって、ちょっと僕はドン引きした。全然生まれていないけど。

 

スコトン岬さん、ちょっと困った。

そりゃ事実なんだけど、最北という観光の売り文句を手放すのはちょっと痛い。

そこで考えた。

 

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最北限!!

日本最北限!!

 

 

最北端から最北限へと肩書を変更したのだ。

Webで検索しても、スコトン岬以外では使われないフレーズ、"最北限"の爆誕である。

 

スコトン岬は"かつての最北"ではあるが、突端岬の1つとしてこの項目で扱う。

だってさ、いずれカモイワッカ岬が真の最北端になっても、平成から令和初期のこの時代に"日本最北として"の宗谷岬を目指した僕らの思い出、消えないでしょ?消えてほしくないでしょ?

 

そうならないように、僕は過去にも敬意を払おう。

 

 

愛とロマンの始発点

 

ところで僕は、日本最北の有人等である礼文島のスコトン岬には3回行った。

3回とも雲が多めであった。

今回はあなたも雲の写真を堪能してほしい。

 

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最北限の世界1

朝の7時過ぎ。

僕らは礼文島最北のスコトン岬でバスを降りた。

 

7月下旬なのに寒ッ!!

最高気温は18℃くらいまで行くそうだが、朝だし強風だしで、今の体感気温はきっと10℃ちょい。震える。

 

バス停から徒歩数分で日本最北限のスコトン岬展望台だ。

 

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最北限の世界2

あの広場がスコトン岬の展望台。

実は礼文島の北にも島はある。すぐ海の向こうに見えている。

 

あれは「海驢島(とどしま)」という無人島だ。

従い、ここ礼文島が日本最北の有人島なのだ。

 

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最北限の世界3

僕らはあの広場に向かって階段を下る。

 

あ、「僕らは」って2回ほど書いたけど、別に旧来の友人ってワケではない。

昨日とか一昨日に出会った仲だ。大体みんな一人旅だ。

そして「桃岩荘」という日本TOP3に入るんじゃないかっていうクレイジーな宿に宿泊している。

 

そのイベントの一環で、今朝は4:30起きでここまでバスでやってきたのだ。

挨拶だとかはしてあるし、ここまでのバスで近くの席の人とは談笑したけど、まだギクシャクしている間柄だ。

 

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最北限の世界4

さぁ、広場までやって来た。

『最北減の地 スコトン岬』の碑が立っている。

 

かつて最北端であった証がこれだ。

旅人がガンガン訪れてお土産屋もあって盛り上がる宗谷岬もいいけど、真夏なのに北風の沁みる曇天のスコトン岬もまたいいと思う。

北の果てって感じがするから。

 

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最北限の世界5

もちろん僕らは記念撮影をする。

毎回必ず撮る。

 

まだ打ち解けない仲だけども、このあとの冒険で一生忘れられない仲間となるのだ。

その最初のひとコマがこれだ。

 

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最北限の世界6

 

イベント名、愛とロマンの8時間コース

 

 

昔から礼文島に伝わる、伝統のハイキングだ。

僕らの宿泊してる桃岩荘では、朝一に島の北端のここスコトン岬からスタートし、日没時間に宿まで徒歩で歩く。

 

島の道路は基本的に東側に1本しかないんだけど、島の西側が絶景なのだ。

高度0mから高山植物の咲き乱れ、礼文島花の浮島と呼ばれている所以だ。

 

それらの絶景を繋ぎながら、8時間かけて歩くコースがこれだ。

 

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最北限の世界7

コースの大半は山道で、店もほぼない。

みんな宿で作ってもらったお弁当を持ち、地図を確かめ、定期的に宿に連絡を入れながら島を縦断するのだ。

 

ちなみに桃岩荘の8間コースは、本来の8時間コースのさらにずっと先の宿まで戻らないといけないので、10時間くらいかかる。

ぶっちゃけクタクタになる。

 

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最北限の世界8

しかし、それだからいいのだ。

 

秘境礼文島の、道路も集落もない絶景の中を、みんなとひたすら冒険する。

途中は危険な場所もあり、男子は女子に手を貸すことが推奨されていたりする。

 

そんで愛やロマンが芽生える。

そりゃね、付き合う人も結婚する人もいますわ。

 

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最北限の世界9

そんな愛やロマンの出発点がここスコトン岬である。

冒険の始まりの地。

 

※ 近くには北の最果ての宿、「民宿スコトン岬」があるよ。

 

 

最北のトイレとお土産と

 

そして僕らはまたスコトン岬のバス停まで引き返すのだ。

ここに「スコトン岬観光おみやげ店」というお土産物屋とトイレがある。

 

お土産物屋ではペットボトルなど買うと良い。

水が無くなったらマジにこの先死にますので。

早朝から営業してくれていてありがたい。

 

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最北の記念に1

あとね、こんなもの売っている。

日本最北限訪問記念証だ。

 

日本最北端や日本最南端のものを持っている人は多いだろうが、日本最北限は少しだけレアかもしれないな。

 

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最北の記念に2

2つ折りのカードを開くとこんな感じ。

 

島固有の花であるレブンアツモリソウの写真が良いですな。

右側には当日の日付入りのスタンプを押してもらえた。

今でも大事に取ってある、旅の思い出だ。

 

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最北の記念に3

さて、これが現場で撮影した写真だ。

後ろに気になるものが写っている。

 

『最北限のトイレ スコトン岬』と書いてある。

 

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最北の記念に4

まさにトイレだ。公衆トイレだ。

最北の記念に入ってみても良いだろう。

 

というより、8時間コースを歩くのであればトイレは非常に少ないので、ここでしっかり寄っておくのが必須だろう。

 

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最北の記念に5

北海道本土である宗谷岬近辺には、いろんな最北がある。

最北のガソリンスタンド・最北の食堂・最北の土産物屋・最北の温泉・最北のマクドナルド・最北の線路…。なんでもある。

 

しかし礼文島のスコトン岬は…、まぁ人工物はちょっと少なめだよな。

トイレ1本で勝負している。

でも潔くって好き。

 

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最北の記念に6

そうこうしているうちに、宿の仲間が円陣を組んで「オーッ!!」とか言っている。

いや、僕が仲間外れにされたワケではないんだけど。

同じ宿だけど、別チームだ。

 

桃岩荘では、8時間コースの1グループのメンバー上限は大体15人ほど。

これに収まりきらないと、「桃組」と「アホ組」の2つに分けられる。

さらに多いと「岩組」が登場する。

 

なんで桃と岩の間に"アホ"が入るのかナゾだが、みんなこぞってアホ組に入りたがり、そして僕はアホ組であった。

円陣を組んでいたのは、桃組だ。そしてスタコラ歩いて愛とロマンをスタートさせていた。

 

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最北の記念に7

なんか負けた気になったアホ組の僕ら。

「僕らはどうする?同じように円陣を組んでもねぇ…」と言い、なんか知らないけどトイレの前で記念撮影をした。

トイレの前で「イェーイ!」とか大声上げながら、怪しい集団だった。

 

そんなこんなで、冒険がスタートするのだ。

この曇天の空の下から。

 

 

また盛り上がれよ、花の浮島

 

2021年9月下旬、僕はこれを執筆した。

夏の間だけ営業していた桃岩荘が大団円を迎える時期だ。

 

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花の浮島よ1

2つ、言っておきたいことがある。

 

1つは、礼文島の景色の素晴らしさ。

灰色の写真ばかりであなたのテンションもそこまで上がっていないと思う。

僕もまさに現地ではそうだったかもしれない。

 

しかしだ、毎回必ず快晴になったのだ。

僕らの仲が打ち解けるのと比例するように。

 

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花の浮島よ2

礼文島西海岸の海の色は、礼文ブルーと呼ばれている。

どこまでも澄み渡る海を眺めながら、僕らは歩いた。

 

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花の浮島よ3

高台で座って、海を眺めながらのお弁当は最高だった。

お弁当自体はチープでアレなんだけど、人生でも至上のランチタイムであった。

 

2つめは、そんな冒険の舞台となった桃岩荘について。

このコロナ禍で2年連続で営業できていないのだ。

それが悲しい。

 

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花の浮島よ4

日本一周をする旅人が立ち寄り、そして居心地よすぎて沈没する確率の高かった宿。

この2年間で日本一周人が立ち寄ることができないのが、もったいなすぎる。

人生変わるレベルの宿なのに。

(個性的すぎるので、もちろん肌に合わない人も多くいる)

 

僕も、ここで知り合った仲間たちとは涙の別れをしたものの、結構な確率でどこかの旅先でまた再会している。

頻繁に連絡を取り合うメンバーもいる。

 

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花の浮島よ5

今では貴重な、昭和時代のユースホステルの文化を残す宿。

来年の2022年は復活し、伝統を後世に引き継げることを強く願う。

 

そして、これから宿を訪問するであろう人と、いつの日か思い出話をできることを、僕は夢見ている。

*-*-*-*-*-*-

 

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最北限のスコトン岬から「ゴロタ岬」。

8時間コースの第1章だ。

 

「じゃ、行きますかね」。

一昨日知り合って共に行動してきた、同じアホ組のニュートン・ふじふじ・マリンバに声を掛けた。

 

長い長い、そして最高の1日がスコトン岬から始まる。

うん、やはり僕の思い出の中でも、最北といえばスコトン岬なのかもしれない。

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: スコトン岬
  • 住所: 北海道礼文郡礼文町船泊順古頓
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No.136【茨城県】屋根より高い、日本一大きなお地蔵様!造形はユニークで親しみやすい!

新型コロナウイルスに伴い、長引く緊急事態宣言。

国民の自粛疲れ。

 

深刻だ。

 

国民の一致団結も重要だし、医療の力ももちろん必須だし、国としての意思も気になるところだが、最終的には神頼みもしちゃう。

信じる力って重要だから。願えば叶うこともあるかもしれないから。

 

さて、今回はデカいお地蔵さんのお話をしたい。

その大きさは9.6mだという。

では、茨城県の山間部にある大子(だいご)町からのレポートだ。

 

 

アパートより高く

 

大子町

日本三名瀑の「袋田の滝」のある場所、と言えばおわかりの方もいるだろうか。

茨城県の山間の地域である。

 

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袋田の滝

そこに日本一大きなお地蔵さんがいる。

何度か訪問したことがあるが、今回はコロナ禍の一瞬の隙を突いて訪問した際の写真をベースに語りたい。

 

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巨大地蔵1

まずはこの写真をご覧いただきたい。

「道の駅 奥久慈だいご」の前を通る国道118号からの眺めだ。

あれが件のお地蔵さんだ。

 

車を走らせていると、最初はアパートの陰に隠れていて「あれ?アパートの後ろに何かいる??」からの登場で「うわー!」ってなる。

 

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巨大地蔵2

初見ではあれがお地蔵さんかどうかもよくわからず、ただただ衝撃を受けてしまうかもしれない。

 

大丈夫だ、そんなときには道の駅奥久慈だいごにすぐに入ってほしい。

そして温かいお茶でも飲んで、まずは気を静めるのだ。

 

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道の駅1

では、お地蔵さんの元に行ってみよう。

 

お地蔵さんは住宅密集地帯の奥地に立っている。

車道がないわけではないが、国道からのアプローチは狭くてわかりづらくて厄介な上、僕の知る限りでは専用の駐車場もない。

 

一番手っ取り早いのは、道の駅から歩いてアプローチする方法だと考える。

次の項目で、実際に歩いた様子をご報告したい。

 

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道の駅2

 

 

住宅の中のお地蔵さん

 

まずは道の駅からは、お地蔵さんはどのように見えるのだろうか?

敷地の一番北側の柵まで行ってみた。

 

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道の駅3

こんな感じである。

写真の中央のお地蔵さんがおわかりいただけるであろう。

直接道は繋がっていないが、直線距離は200mほどだ。

 

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道の駅4

ズームしてみた。

お地蔵さんの正面に道はあるように見えるが、実際は激狭かつクランクなどを通らないといけないので、絶対オススメはしない。

歩こう。

 

国道の道の駅すぐ隣には、セブンイレブンがある。

ここの駐車場から、お地蔵さんの立つ住宅エリアに入り込むことができる。

 

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アプローチ1

この階段だ。

右がセブンイレブンの店舗。左がその駐車場。

 

「こんなところから下っていいのかな?」って一瞬思ったけど、結論から言うとちゃんと行ける。

 

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アプローチ2

階段を降りて、国道沿いのセブンイレブンを振り返る。

国道に対し住宅地は谷間であり、一段土地が低くなっているのだ。

これが車等で行きづらい理由の1つである。

 

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アプローチ3

お地蔵さんの見えていた山側に向かって住宅地の中を進む。

やや道路は狭いが、徒歩なので問題ない。そしてのどかだ。

 

正面の突き当りのように見えている部分で道は左側に折れるので、それに従って進む。

 

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アプローチ4

すると上のようにお地蔵さんを示す看板が出てくる。

申し遅れたが、お地蔵さんの正式名称は「大子地蔵尊」だ。

 

写真右手に見えている通り、道幅は2mあるかないかぐらいで坂道であり、かつガードレールもない。そいて直角に右に折れる。

僕だったら走りたくはない。

 

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アプローチ5

こうして見えてきたお地蔵さん。

 

アパートの敷地に立っているかのような立地である。

アパートの守護神のようである。

住人の方は、朝起きてカーテンを開けたらすぐお地蔵さんなのだろう。

なかなかスパイシーな目覚めで良いと思う。

 

…さて、ここまでアプローチ経路を書いておいて申し訳ないが…。

 

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アプローチ5

道の駅からは、国道やコンビニを経由しなくってもお地蔵さんに行けたわ。

「道の駅」⇒「階段」⇒「上の写真の駐車場」⇒「激狭クランク」⇒「お地蔵さん」だ。

帰りに気付いた。

 

行きに詳細に写真を撮ったのが無駄になった気分だ。

だが、悔しいので先ほどの通り掲載した。

 

コンビニ寄りがてらお地蔵さんに行く人だっているでしょ?

そういうときの参考としてほしい。

僕はマイノリティを応援する。情報って、いつどこで誰の役に立つかわからないから。

 

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アプローチ6

一段上に見えているのが道の駅だ。

道の駅にいるときには端すぎて気付かなかったが、写真左側に階段があったのだ。

道の駅内に、これを示すような案内がなかったぞ?僕が気付かなかっただけかな?

 

まぁ、時間差は2分ほどだ。

気を取り直して、お参りだ。

 

 

奇抜なお地蔵さん

 

最初の印象を正直に申し上げるのだとすれば、「これって本当にお地蔵さん…!?」って感じだった。

 

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巨大地蔵3

とにかくデカくて、白くて、そしてなんだこの顔は…って思った。

 

いや、体もほとんど直方体をブッ建てただけで加工部分が少なく、うまいことやったなって思った。

過去の記事を以下に2例上げるが、どうやら像を掘る際には手の造形はとっても大変みたいで、あまり技術がない人が像を掘ろうとすると、どうしても手が体にくっつくか、あるいは小さくカックカクになるのだ。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

drive-ns.hatenablog.com

 

それらを彷彿させるように、お地蔵さんの腕はほぼ無くって、ただこぶしだけが体にくっついているように思えた。

 

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巨大地蔵4

そしてそれよりも…。

 

お地蔵さんって、あんな髪型だったっけ??

 

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巨大地蔵5

いや、いいんだ。

僕だってお地蔵さんの世界を全て知っているわけではなく、むしろ何も知らないから。

ただ、初めてお会いするタイプなので少々驚いてしまったのだ。

 

あれは髪でよいのだろうか?

それともバスキャップなのだろうか?

 

アイラインがしっかりしており、口紅をバッチリ引いてあり、おばちゃんにしか見えない。

 

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巨大地蔵6

ケープと衣も、なんだかネグリジェのようにも見える。

就寝前のリラックスしたマダムだ。

そして左手に乗っているの、スライムだよな。ピンク色のスライム。

 

あなたにはどう見えるかわからないし、人それぞれで印象はいいと思うが、僕は「黒柳徹子」と「マツコ・デラックス」を足して2で割ったように感じた。

アゴのラインが無いしさ、中性的だしさ、顔はマツコさんだよ。

 

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巨大地蔵7

そして、気になる大きさがこれだ。

背後が山なので大きさを比較する物が少ないため、僕自身と対比してほしい。

 

高さは台座を含めて9.6mほどだそうだ。

実は他にも国内には日本一をアピールするお地蔵さんがいる。しかもこれより大きなものもある。

まぁそこいらは寛大でいいと、僕は思うのだ。

仮にいつかギネス調査とかする際に、大いに争ってほしい。

 

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巨大地蔵8

ここまで大きいとお地蔵さんの概念が崩壊するように思われるかもしれない。

 

だけども、お地蔵さんって「地蔵菩薩」。

詳細はインド仏教にも由来するし僕もあんまり詳しくないんだけど、「釈迦」が死んでしまってから「弥勒菩薩」が登場するまでに何億年かの空白の期間があるそうで。

その間に現世を守る仏がいなくなっちゃうぜ、やばい!

…っていう事態を補完するために登場したのが地蔵菩薩なのだそうだ。

 

日本では道祖神と概念が融合したために、そこかしこにいて庶民に親しまれたり、小ぶりなお地蔵さんが多かったりしている。

だけども本来大きさは関係ないのであろう。

 

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巨大地蔵9

大きいということは、人目をひきつけ信仰を集めることができる。

ユニークな造形も親しみやすさを感じられ、日本における地蔵菩薩の特性を持っているようにも感じる。

 

黒柳徹子さんにしても、マツコさんにしても、どちらにも共通しているのは人格者であろう点だ。

ちゃんと人の話を聞き、然るべき道を提示してくれそうだ。

このコロナ禍で行き詰ったらすがってみたい、って僕は思った。

 

どうやら今月(2021年9月)の終わりには、各地の緊急事態宣言が解除されるようだ。

すっごい久々だ。

 

少しでも世界が元通りになってくれればうれしいね。

悠久の時を見守るお地蔵さんには、現代の我々はどう見えているだろうか?

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 大子地蔵尊
  • 住所: 茨城県久慈郡大子町池田
  • 料金: 無料
  • 駐車場: おそらくなし。道の駅奥久慈だいこを使用が無難。
  • 時間: 特になし

 

https://goo.gl/maps/bi6T7GJojS9YNAsT8

No.135【岡山県】雨も風情?山間部の「湯原温泉」の共同湯に入り江戸時代の旅館を眺める!

シトシト降る雨の中。

1人車中泊のドライブをしている僕は、辿り着いた静かな「湯原温泉」でのんびりと共同浴場に入り、そしてカサをさして温泉街を散策した。

 

晴れていたらもっとステキだったのかもしれない。

しかし、世の中には晴れの日もあれば雨の日もある。

雨を楽しめないということは、人生を半分くらい損するかもしれない。

だから、前を向こうじゃないか。

 

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秋田で見た、雨の中の水没林

2021年9月現在、コロナ禍で緊急事態宣言がバシバシ出されている上、週末やお盆や大型連休を目掛けて台風が来ている。

シルバーウィークの前半3連休も後半は行楽日和となったもの、あわや台風で丸潰れかと危惧した方も多かったろう。

人生ハードモードだ。

 

このブログ【週末大冒険】においても、なるべく晴れの綺麗な写真を出すようには心がけている。

しかし、今回は雨の風景を少しお届けしたいと考えたのだ。

 

岡山県北部、鳥取県との県境も近い、山間部の湯原温泉の話だ。

 

 

真賀温泉の共同浴場

 

僕が岡山県の山間部に足を向けると、大概天気が崩れる。

「運が悪いよな」って思ってしまいそうになるが、逆に岡山県山間部の気持ちになって考えると、「YAMAには雨の日の情景を見てほしい」となるのだろう。

 

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真賀温泉1

よーし、ザーザー降りだ、ありがとう岡山。

こんな天気ではあるが、つい今しがた遊歩道を歩いてとある滝までアプローチしていたりしたので、体が濡れて冷えている。

 

ならば温泉なのだ。

僕は晴れの日の日中に温泉にのんびり入るのはちょっともったいないと感じてしまうが、雨の日であれば「それも良し」って感じる。

雨の日は、温泉との出会える。これもステキだ。

 

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真賀温泉2

こんな看板が出てきた。

まずは右の邪悪な日の丸の中に、デロリとサンショウウオが描かれているのが気になるが、これについては後述しよう。

 

中国地方で有名な湯原温泉

その湯原温泉は、「下湯原温泉」・「足温泉」・「真賀温泉」・「郷緑温泉」と共に湯原温泉と呼ばれている。

その一番南、つまり今の僕から一番近い位置にあるのが真賀(まが)温泉だ。

 

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真賀温泉3

ツーリングマップルには、『秘境的共同浴場』と記載してある。

なんだそれ、面白そうじゃないか。近いし面白いなら、そこ入ってみよう。

看板によればここからわずか300mだし。

 

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真賀温泉4

こうして到着した、真賀温泉。

山肌に張り付くように昭和レトロな建造物がひしめいている。最高か。

 

左上の看板に書いてある「真賀温泉」っていうのは、共同浴場である「真賀温泉館」っていうのを指しているらしい。

僕の狙いはそこだ。車を降りて石段を登る。

 

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真賀温泉5

もう笑えるくらいに雨ザーザーだ。

ただ、距離は短い。さっき見上げていた看板の建物がまさに共同浴場であり、ちょっと迂回しつつもそこの3階にある入口に向かうイメージだ。

 

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真賀温泉6

赤い傘がオシャレな入口だ。

もうちょっと引きで撮ればよかったが、味わい深い木造の茶色い建物であった。

期待が高まるたたずまいだ。

 

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真賀温泉7

もうこの手書きチックな案内板だけで、僕の心はイチコロだ。

しかし、22:00まで営業しているのか、すごいな。

こういう共同浴場って夕方くらいには終わってしまうイメージだったが。

 

ガラスのスライドドアをガラリと開けて入ると、受付がある。

その上に木製の料金表があるのだが、焦げ茶色に変色していてさ、墨で書いてある内容がほとんど読めない。

 

とりあえずなんとか読めたし一番普通であろう"普通湯"をオーダーした。

150円だった。なんという安さ。

こんな値段で温泉に入れて、本当にありがたい。

 

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真賀温泉8

こんな写真しか撮っていなくって申し訳ない。

人がチラホラいたし、とても狭い施設内なのでこれが限界であった。

ちょっと記憶の中から間取りを掘り起こしてみよう。

 

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真賀温泉9

うんうん、確かこんな感じであった。

狭いの。

そして入口は暖簾もなくってこれまたわからなくて、受付のおじいちゃんに教えてもらった。

 

浴場は仄暗くてシャワーとか石鹸とかそういうものはなくて、蛇口が1つと湯船のみ。

5人くらい入るとギュウギュウになりそうなその湯船に、みんな無言でひたすら浸かっている。

 

湯船は深く、そして温度はとてもぬるい。ゆっくり浸かっていられる温度だ。

僕してはかなり長めに30分ほど浸かり、そしてお風呂から出る。

ぬるかったけど湯上りはポカポカになった。

さすが温泉だって思った。

 

 

千と千尋」のモデルの旅館

 

さらに10㎞ほど車を走らせ、湯原温泉の中心地へとやって来た。

事前知識はほとんどゼロで来た。

 

駐車場の場所も知らないのでとりあえず道なりに温泉街の中をズンズン進み、一番奥の河原に無料の広大な駐車場があるのを発見。

そこに愛車を停めた。

 

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湯原温泉1

ちょっと温泉街方面に徒歩で引き返し、そして振り返って撮った写真がこれだ。

温泉街はこの「旭川」という川沿いに立ち並んでいる。

 

そしてこの温泉街の特徴は2つ。

 

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湯原温泉2

1つはすぐ背後の巨大なダムが聳えていることだ。

「湯原ダム」というらしい。

この立地とこの景観、すごいな。「進撃の巨人」みたいだ。

 

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湯原温泉3

もう1つは、2つ上の全景の写真を撮った後に気付いて「うわー、ごめんなさい!」ってなったんだけど、川原にすんごいワイルドな露天風呂があるという点だ。

 

無料の混浴露天温泉で、「砂噴き湯:砂湯」。

2021年現在は水着着用が推奨であり、女性については旅館等で湯浴み着を借りることもできるらしい。

 

このとき僕が見た限りでは、全員ハダカだったけどな。この頃はまだオープンだったのかな。

よーし、時間があったらあとで僕も入ってみようかなぁ。

 

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湯原温泉4

温泉街、渋いな。

レトロ好きな僕としてはときめく。

 

しかし週末なのに雨のためか、お客さんがほとんど歩いていなくって寂しい。

温泉まんじゅうを店頭で売っているお店もあったが、なんだか気持ちが乗らなくってそのままブラブラと歩き続ける。

 

僕には、この温泉に来た目的がいくつかある。

前述の通り事前情報はほぼゼロであるが、それでも知っていたことがあり、目的にしてきた。

 

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湯原温泉5

それがこれだ。「油屋」という旅館。

 

ジブリ映画の「千と千尋の神隠し」をご存じの方であればおわかりと思うが、映画には同名の湯屋が登場し、そこが物語の大半の舞台となる。

ここもその湯屋のモデルの1つといわれているのだ。

だからこそ、僕はここに来てみたかった。

 

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湯原温泉6

いっこうに止まない雨の中、カサをさして油屋を見上げる。

この宿は1688年(元禄元年)創業であり、この地でもう330年ほども営業しているのだ。

歴史の重みがハンパない。

 

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湯原温泉7

立ち寄り湯や食事も可能なのだが、さっきの砂湯も入りたいし、ランチは先ほど食べたばかりだし、そもそも僕なんかが1人でここにフラリと入る度胸もない。

だから見上げるだけとしよう。

 

そもそも2021年現在、立ち寄り湯は1100円する。

どうしてもさっきの共同浴場の150円と比べてしまい、興味本位では少々イタい金額だと結論付けた。

 

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湯原温泉8

いつかゆっくり宿泊で来れる機会があったらいいなって思う。

あの「油」の旗がステキだ。海賊旗みたいだ。

 

あと、「千と千尋の神隠しのモデルとなった湯屋はそこ以外にも…」っていう声が聞こえて来そうなので、追加でご紹介しよう。

 

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その他の「千と千尋」のモデル

僕の知る限りでは、これらを加えた4軒がモデルと言われている。

 

僕もここに至るまでに上記全ての温泉街で宿泊している。

つまり湯原温泉がラストだったのだ。だから来たかったのだ。

(仮に他にもモデルがあったのであれば、教えてほしい)

 

 

ちょっと不思議な体験を…

 

僕はさらに雨の温泉街を歩いた。

先ほど記載の通り、まだ目的があったからだ。

2つある。

 

温泉街は相変わらず静まり返っていたが、ある意味これは好都合であった。

 

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深淵1

これは油屋近くの路地に入って撮影したものだ。

赤い橋と木造建築とのコントラストが渋いなって思って撮影した。

 

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深淵2

これはグルグル温泉街を巡っているときに発見した、少し古びた温泉街のMAPである。

その他の目的地の場所が掲載されているか知りたかったのだ。

 

「うーんやっぱり載ってないな。古さが足りないのかもしれないな。あと、公序良俗的な問題もあるのかもしれないな、ふんふん。」って呟いた。

そしてその後、あれこれ頭を悩ませつつも、2つともなんとか発見できた。

 

この記事内では執筆せず、いずれ機会があれば…としたいが、ほんの少しだけ触れてみよう。

 

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深淵3

それは、40年前の遺構であった。

写真右端のポールを発見したことで、一気に活路が開けた。

足元ドロドロビシャビシャになったけどな。せっかくお風呂で綺麗になったのに。

 

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深淵4

もう1つは、これまた既に滅びたスポットであった。

息絶えたのは、平成の初期頃であろうか?

オトナの階段、登ってやった。

 

閑話休題

最後に、湯原温泉の片隅で見たものをご紹介する。

 

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深淵5

倉庫に格納された、巨大なサンショウウオの乗った山車。

それがいくつもある。

「うわぁ、ビックリした―!!」ってなった。

 

これは苦手な人は苦手なビジュアルと大きさであろう。

体長5mはゆうにあるぞ。リアルだし。

 

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深淵6

どうやらこれ、"はんざき祭り"っていう祭りに使われる山車らしい。

8月に実施するんだって。見てみたいような、見たくないような…。

 

はんざきっていうのは、オオサンショウウオのこと。

この地域独時の呼び方なんだって。

その名の由来は、「半分に裂いても生きているから」。

いや、裂くな。

 

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深淵7

山間部で水が綺麗な渓流も多く、オオサンショウウオが生息しているのだ。

だから、冒頭でご紹介した看板にもオオサンショウウオが描かれていたのだ。

近くにはオオサンショウウオを見れる「はんざきセンター」もある。

 

あと、そんな綺麗な川だからホタルも生息しているらしい。

なんとステキなことだ。

 

こうして岡山の山間部に降る雨が綺麗だから、こういった生物が今も元気に生息するし、川岸に温泉街が形成されて賑わったのかもしれない。

 

雨、ありがたいじゃないか。

そう感謝して、僕は相変わらずザーザー降る湯原温泉を後にする。

 

…いや、本当は晴れの方が3倍好きなんだけどな!

ちょっと無理して感謝しちまったよ!

そして、あれこれ探索していたら砂湯に入る時間が無くなったけどな!

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 真賀温泉館
  • 住所: 岡山県真庭市仲間180
  • 料金: 普通湯¥150
  • 駐車場: あり
  • 時間: 7:00~22:00(火・祝日休み)

 

 

No.134【富山県】2024年、黒部渓谷に新ルート!…その前に黒部トロッコの思い出を語ろう!

コロナ禍だけども、未来の観光業にワクワクを隠せないニュースはある。

僕の個人ランキングでその1位は… …!!

 

2024年、黒部・立山エリアに新観光ルート誕生!!!

 

うわー、これヤバい。

自分で書いておいて武者震いが止まらないレベルだ。

もう今からドキドキワクワクで興奮しすぎて、夜しか眠れない。

 

…おっと失礼。

1人でキャッキャウフフと喜んでいてもアレなので、概要をご説明しよう。

 

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まずは僕が苦労して描いた、立山黒部エリアの観光MAPだ。

 

左右を突き抜けているのが、「立山黒部アルペンルート」。

世界有数の山岳観光ルートであり、さまざまな乗り物を乗り継いで長野側と富山側を行き来できるようになっている。

僕も何度か訪問し、全線攻略済みだ。

 

下から上に上がっているラインは、「黒部渓谷」エリア。

ロッコで終点「欅平(けやきだいら)」まで行き、強者は「下ノ廊下」を歩いて1泊2日で「黒部ダム」まで行くこともできる。

ただしあまりに山深く雪深いので、雪が解けて登山道が整備できるのが9月中旬、そして11月にはまた雪に閉ざされるというすごい道だ。

 

2024年、ここの徒歩部分が乗り物で移動できるようになるのだ。

今まで工事関係者しか使えなかった設備や乗り物類だ。これについては後述しよう。

 

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では、今回僕が何を執筆するのかと言えば、先ほどのMAPにも記載した通りここだ。

現時点での黒部渓谷の(乗り物に頼れる)最深部。

 

宇奈月温泉から欅平までアプローチした話をしたい。

 

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紅葉、すっごかったんだからな!

 

 

抱けよ、解放感と尿意

 

これは、日本5周目で欅平を目指した、僕とその旧来の友人である「バンザイ」との物語だ。

 

前夜から「宇奈月温泉」に宿泊していた僕ら。

朝のトロッコで終点の欅平を往復する計画であった。

 

時は11月第1週。

紅葉のハイシーズンであるので、トロッコは事前予約をした方が良いと聞いている。

 

ロッコは定員制。

全員が着席する必要があるため、事前か当日かどちらかでチケット購入が必要なのだ。

当日分は6:50から販売開始とのことで、それに合わせて宿を出る。

 

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宇奈月駅1

宿からトロッコ始発駅の宇奈月駅までは徒歩2分だった。

文字通り、朝飯前だ。

 

ただしザーザー雨が降っている。おまけにすごく寒い。テンション低空飛行。

 

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宇奈月駅2

朝早いのに、キチッとした制服で頑張っているスタッフさんたち。

当たり前なのかもしれないが、ありがたい。

 

僕たちはとりあえず朝風呂入ってからジャージにサンダルみたいな格好で来ているので、完全に気後れした。

 

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宇奈月駅3

ホテルの朝食は7:00からなので、さすがに始発の7:32のトロッコは厳しい。

次発の7:57で予約をした。

 

ロッコは3種類ある。普通客車・リラックス客車・特別客車。

普通車とそうでない車輌の大きな違いは、壁と窓があるかないか

つまり、普通車だと側面が全くない、完全な吹きっさらし状態なのだ。

 

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宇奈月駅4

 だけどもトロッコだぜ。もともとそういうもんだろ。

壁なんていらない。窓もいらない。普通車を予約した。

ちなみに一番安い。

 

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宇奈月駅5

別シーンで撮影したものだが、これがリラックス客車か特別客車のどっちかだ。

どちらなのかはわからない。しかし知る必要のないことだ。

僕らは普通車なのだから。

 

*-*-*-*-*-*-

 

…というワケで、シーンは出発直前の宇奈月駅である。

 

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宇奈月駅6

駅で始発を待機している人々の装備が普通じゃない件。

完全防備。ヘルメット付き。

これは僕ら、場違いな感じがするぜ。まぁいいけど。

 

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宇奈月駅7

そして寒い。とても寒い。

今日の最高気温は、昨日の最低気温にすら届かない。

秋服で来たの、あきらかに失敗だな。草木も枯れ落ちる温度よ、これ。

 

「さてホームに行こうか」って思っていると、改札前で係員の人が「普通客車の方は、ポンチョをご用意くださーい!絶対買ってくださーい!横風でスブ濡れになりまーす!」って注意喚起している。


なんてこった。

1回限りの着用でポンチョなんぞ本来であれば買いたくは無いのだが…。

しかしズブ濡れはイヤだしな…。

もじもじしているうちに友人のバンザイがスタコラと買いに行きやがったので、しょうがないので僕も買うこととした。

 

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宇奈月駅7

「峡谷コート」だなんて渋いネーミングではあるが、普通にコンビニでも売っているようなスケスケのレインコートである。

 

400円。

ちなみにこの400円があれば、トロッコ片道分を特別客車にグレードアップできた。

なんとも愉快な出費である、ゲラゲラ。

 

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宇奈月駅8

ロッコの先頭車両がコイツだ。

バチクソかっこいいぞ。

パワフルに渓谷を突き進んでくれそうな、頼もしい顔をしている。

 

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宇奈月駅9

そしてトロッコの普通客車がこれだ。

ディフェンス力が低めのデザインである。

嵐が来ても熊が出ても、真っ先に餌食だ。それらのリスクを「臨場感」のひとことで片付けようとしている列車だ。

 

駅員さんに「キミたち、がんばれよ!」と言われた。

なんだったら、うるんだ瞳で敬礼されかねない感じで言われた。

出兵か。

 

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宇奈月駅10

撮影係のお姉さんがやってきた。

観光客の写真を撮り、あとで帰った来たときにでも1000円くらいで販売する、ちょっと昔の観光地でよくあったスタイルの営業だ。

 

僕らを見て一瞬ちゅうちょした後、声を掛けてきた。

きっと「この天気で普通客車に乗る変なヤツ」みたいに思われた。その通りだ。

僕らも苦笑いでピースしながら写真に写った。

 

もうすぐ発車の時間だ。

 

ロッコは片道80分。

途中に駅はあるけど、停車はほんの一瞬、あるいは停車してもドアが開かなかったりするらしい。

ようするに、これからの80分はトイレに行けないってこと。

 

だけども僕はトイレが近い。いつも朝は30分おきにトイレ行っている。

さっきもホテルの朝食バイキングでしっかりホットコーヒーを飲んだ。

利尿作用バツグンだ。

 

さらにこの吹きっさらし状態。雨かつ低温。

もう「トイレに行きたくなるための条件はすべてそろえた」と胸を張って言える。

ヤベーなこれ。

 

出発直前、駅員さんに「すぐ戻りますから!」って言って、最後のトイレにダッシュした。

ちなみにバンザイはチェクアウト前に「腹の調子がおかしい…」とか言いながら唸っていた。

これ、ピンチね。2人ともヤバいね。

 

7:57、トロッコ発車。

 

 

僕らはかわいそうな存在か

 

吹きっさらしのトロッコは楽しい。

黒部の風。黒部の匂い。全部体全体に感じることができる。

 

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ロッコの旅1

早速トンネルの中を走ったりするのだが、手を伸ばせばトンネルの壁に届くだろう。

もちろん危険なのでやらないけど。

 

しかし気分はインディジョーンズである。

ポンチョを着たインディジョーンズなんて聞いたことないし、もしそんなことしていたらここまでの人気にならなかっただろうが。

 

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ロッコの旅2

さて、上の写真であるが、僕らは普通客車の車両の一番前に座り、後方を振り返って撮影した。

それがなぜだかおわかりだろうか?

 

寒いからだよ!!

 

寒風が身に染みるんだよ、スタート1分でめげた。

だから前の車両を風よけにするために最前列にいるんだよ。死ぬ。

 

この生存方法、宇奈月駅で励ましてくれた駅員さんが教えてくれた。

命の恩人、ありがとう。

 

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ロッコの旅3

出発から7分。まだ7分。寒い。

最初の駅である柳橋駅を通過する。

 

ここの駅前には「新柳河原発電所」がある。

西洋のお城みたいですごいかっこいいけど、雨なので川がドロドロ。寒い。

 

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ロッコの旅4

線路が大きくカーブして、後ろの方に連結されている窓や壁のある客車も見えた。

あっちは観光客がいっぱい乗っている。

そもそも紅葉のハイシーズンなのだ。お客さんはとても多い時期なのだ。

 

チッ、貴族共はいい気なもんだなぁ、コラ。

そう言って僕は汚く舌打ちをした。

寒いと心も貧しくなるのだ。

 

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ロッコの旅5

錦絵図の中の、1本の滝。素晴らしい。

紅葉が本当に綺麗なのだ。晴れていたら最高だったろう。

 

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ロッコの旅6

ロッコ内には観光のためのナレーションが随時かかっていて、周辺の見どころや季節について、トロッコについてなど興味深い内容をガイダンスしてくれている。

富山出身の女優の「室井滋さん」がそのナレーターを担当しているのだそうだ。

 

これにお蔭で飽きることなくずっと楽しくトロッコに乗れるのだ。

このまま尿意を忘れるくらいにしゃべり続けてほしい。

 

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ロッコの旅7

後曳橋から眺める水路橋だ。これも見どころの1つ。

谷間で列車を止めてくれたので、吹きっさらしの木枯らしが身に応える―!チクショー、ありがとなー!

 

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ロッコの旅8

出平駅近辺では、黒部川に設置された出平ダムが見える。

なんというダイナミックな建造物。


現在の時刻は8:30になろうとしているところ。

まだ半分弱。

全く退屈ではないんだけど、トイレのことを考える機会が増えてきた今日この頃です。

 

駅を通過するとき、駅員さんからの「がんばれー!」の声がドップラー効果で聞こえた。寒い。でも心は温まった。

 

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ロッコの旅9

ダムの先にある猫又駅などは、工事用の車両が複数台停まっていたりしている。

あぁいう車両はどこから運び込んでいるのだろうね?パーツレベルにして、トロッコ列車に乗せて?

じゃあ、車検や法令に則った定期点検のときはどうするのだろうね?

 

尿意をごまかすためにバンザイを質問攻めにし、「知らん」と一蹴される。

君も腹痛を抱えていた身なのだから、もうちょっと協力すべきと思うが。

 

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ロッコの旅10

8:50、鐘釣駅にトロッコが一時停車。

この駅は途中駅では一番大きくって、「万年雪展望台」などの景勝地もあるし、温泉も湧いている。だから宿泊施設もあるんだよ。

 

ここで乗り降りする人も若干いるので、初めてまともな停車をしたのだ。

しかしわずかな時間なので、トイレにダッシュすることはアスリートであっても不可能。

 

ホームにいるおばさんが物珍しげにこっちを見ている。

そして僕さ、読唇術(リップリーディング)で何言っているか大体わかっちゃうんだけど、おばさんの口は間違いなく「かわいそう」のかたちに動いた。

 

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ロッコの旅11

うおぉ、「かわいそう」って言ったなー!

チクショー!!

でも!僕は自分が選んだ道は胸を張って歩きたいよ!!

 

さぁ、終点欅平まではあと20分弱!

"僕の"黒部ダムの貯水量はこの時期かなり多いけど、ギリギリ決壊はしなさそうだよ。人としての尊厳、守れそうだよ。

守れなかったら、そのときはもう「かわいそう」って言っていいよ。

 

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ロッコの旅12

9:12、終点の欅平駅

見事に体がコチコチである。すぐにトイレに行った。

 

まだトロッコが停まっていたので、一瞬特別客車と思われる車両に入ってみた。

おいおいなんだよ、窓と壁だけではない、中にはエアコンも完備されているじゃないか!そりゃ快適だわ!

いいご身分だなぁ!!

 

 

40分で覚める夢

 

さて、ここにいられる時間は40分だ。

ちょっとこの後の予定もあるので、そのくらいが限界だ。

 

河原展望台

 

この40分で、僕らは周囲の3箇所の景勝地を散策するつもりだ。

昨夜に酒を飲みながらイメージできている。

 

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河原展望台1

雨の降る中、ポンチョを着て傘を差し、急な石段を下る。

この先にあるのは「河原展望台」だ。

展望台と言うけれども、遥か下にある。

 

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河原展望台2

展望台からは、その名の通りに黒部川の河原が見渡せる。

川に注ぎ込む小さな滝も一緒に見られる。


頭上の赤い橋は「奥鐘(おくかね)橋」だ。

川からの高さは34mあって、標高1543mの奥鐘山の中腹へと続いている。

 

うん…、まぁいい眺めではあるけれども、やっぱり雨だとちょっと残念な気分にもなる。

展望台には足湯もあるけど、座板は雨でビシャビシャだし、手を入れてみたらぬるいし。風邪引くわ。

これも黒部渓谷に湧く「祖母谷温泉」からのちゃんとした温泉なんだけどね。

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河原展望台3

欅平駅方面に引き返すべく階段を登っているとき。

 

振り返った渓谷が、ほんの10分前に下っているときと比べて明るくなっているなって感じたんだ。

空を見上げると、少し雲が薄い。そして流れが早い。

 

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河原展望台4

僕はバンザイに「待て」と言った。

ここがいい。この位置がいい。あと1分で、きっと世界は激変するから。

 

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河原展望台5

 

来るよ来るよ!!

世界は輝くよ!!

 

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河原展望台6

はい、来たーーー!!

 

そして、雨の中に日が差したら、みなさん何が見られるかご存じですよねー!!

一緒に言ってみましょうか。

 

せーのー … !!

 

 

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河原展望台7



虹(レインボ)ー!!

 

 

いやぁ、感動的だねこれ。黒部渓谷に虹が架かったよ。

なんといういいタイミング。

 

 

奥鐘橋

 

僕らはさっき見上げた赤い橋までやって来た。

いつまでこの青空が続くかわからない。だから急いで駆け上がってきた。

 

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奥鐘橋1

朱塗りの橋に、雨の粒子がキラキラと光っている。

幻想的。日本の秋って素晴らしいね。

 

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奥鐘橋2

橋の上からの虹である。

さっきよりも遮蔽物が少なく、さらにいい眺めだ。

青空もどんどん広がってきている。

 

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奥鐘橋3

どうだいこの光景。

 

山も7色。虹ももちろん7色だ。ありったけの色彩が、今ここに集結している。

花は一輪も咲いていないのに、この鮮やかさよ。

これが黒部だ。

 

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奥鐘橋4

霧は生き物のように山肌を這い、刻一刻とそのかたちを変えて行っている。

ずっと見ていられる。

 

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奥鐘橋5

そして上空。

都会では見られない空だ。神々が降臨してきそうな空だ。

 

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奥鐘橋6

橋の上で、僕らは歓喜した。

そしてちょうど雨が止み、そして虹が消えていった。

 

 

人喰岩

 

ホラーなネーミングだ。

奥鐘橋を渡ってすぐのところにある景勝スポット。

 

岩がオーバーハングしていて、遊歩道の上に覆いかぶさるようになっている。

その様がまるで人を飲みこむようなので人喰岩と名付けられたそうだ。

 

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人喰岩1

ここは頭上からの落石の可能性があるとのことで、ヘルメットの着用が推奨されている。

遊歩道の入口にヘルメットがたくさん置かれている台があったので、僕らもヘルメットを被った。

 

安全のためというのもあるけど、単純に被ってみたかった。

ヘルメットがあったほうが、非日常って感じがする。

 

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人喰岩2

この先は祖母谷温泉に通じる山道なんだけど、僕らはこの岩盤がお目当てだ。

一往復して引き返すこととする。

 

尚、1つご紹介しておきたい画像があるので、Twitterから引用する。

 

 

この人喰岩、近々安全に生まれ変わるのだそうだ。

このツイートは昨年(2020年)、「安全な人喰い岩ってなんだよ」とか「口はそこじゃねーだろ」みたいな感じでバズってネットニュースにもなったもので、僕も同じく大爆笑させていただいた。

 

今回僕がご紹介した写真では、荒々しい岩盤が剥き出しの天井であるが、そのうちコンクリートでガッチリ固められて雰囲気が変わってしまうようだ。

ご留意いただきたい。

 

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人喰岩3

さて、名残惜しいがそろそろトロッコ駅に引き返す時間である。

なにせ時間が40分しかなかったのだ。

 

ただし、トロッコに乗っている時間も観光の一部だったので、とても満足はしている。虹も見れたし、青空も見れたし。

 

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人喰岩4

 

ありがとうイリュージョン

 

欅平の駅へと戻ってきた。

僕らが乗って帰るトロッコで到着したと思われるお客さんたちが、駅からドバッと出てきたところだった。

 

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帰路1

僕らの便のときよりも3倍くらい人が多いかも。

やっぱ普通の人が動き始めるのは、このくらいの時間からなのだろうね。

 

空は少しずつまた雲が多くなって来てしまっている。

もう少しで太陽に雲がかかってしまう。

あと数10分後には、ここは元通りの曇り空になってしまうかもしれない。

本当に一瞬の晴天だったのかもしれないな。

 

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帰路2

ロッコ出発までに、僕は駅で簡単なお土産を買っておいた。

それからしっかりとトイレに行っておき、帰りのトロッコに乗り込む。

 

ロッコは行きよりも人が多くって、僕らの普通客車も6・7人の人が乗っていた。

まぁそれでもガラガラだけどな。

だけど人が多いと精神的にも暖かい。

太陽が出ていたことや、日の出から時間が経ったことによる気温の上昇も期待できそうな気がする。

 

流石に帰りは眠い。

ナレーションを担当する室井滋さんのガイダンスも、帰路は心なしか口数少ない。

 

そしてまた雨が降り出した。

もう一度ポンチョを着て、濡れないようにお土産を抱えて少し寝る。

寒いけど、寝てしまえば感覚なくなるもん。

 

ウトウトしながら寝たり起きたりを繰り返す。

ときどき対向から欅平方面に向かうトロッコが来るんだけど、お客さんがメッチャ乗っている。

僕らのときとは全然違う。

そしてオープンな普通客車からチビッコとかがこっちに手を振ってきたりしてね。寝ぼけつつ振り返す。

 

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帰路3

そして行きのときに写真撮影ができなかった、猿専用吊り橋の撮影に成功。

 

宇奈月湖」に架かる、プランプランの簡素な吊り橋。

猿はここを渡って対岸とを行ったり来たりするんだって。

すごすぎる。僕ならイヤだ。

 

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帰路4

こうして11:40ごろ、宇奈月温泉の愛車の元に戻ってきた。

もう空はすっかり曇っていて、また小雨が降っていた。

 

一瞬のイリュージョンよ、ありがとう。

 

 

そして繋がる新ルート

 

冒頭で書いた通り、今回の舞台の欅平から黒部ダムまでの区間が2024年に開通する。

 

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新ルート1

ヤバいなんてもんじゃない。

あの日本最強クラスの黒部ダムっすよ。

 

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新ルート2

別の機会の僕が撮影した写真だ。

ダムの上に小さく人がいるのが見えるだろうか。

本当にすごい。ここいらの話はまた改めて書き殴りたい。

 

新ルートでこの黒部ダムに出て、右に行けばいいのか左に行けばいいのか。

どっちも最高だ。

しかし1日では回り切れない規模だ。

嬉しすぎて悩みそうな世界になるだろう。

 

それにさらにワクワクポイントとなるのは…

 

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新ルート3

青字部分に着目してほしい。

今回のトロッコしかり、立山・黒部エリアの乗り物は特殊なものが多い。

 

トロリーバスは日本で残っているのはここだけだ。

ちょっと前まで一番左の電気バストロリーバスだったんだけど、それに最後に乗りに行った思い出も、また機会があったら書こう。

 

そんな立山・黒部エリア。

新ルートの乗り物群もすっげぇんだからな!

 

unazuki-kurobedam-route.jp

 

  • 工事用トロッコ電車 … かつて工事作業員が乗っていた、暗い坑道を進むゴツい電車。
  • 竪坑エレベーター … 山を垂直に貫く巨大エレベーター。200mの標高差は、当時の日本1の規模。
  • 蓄電池機関車 … 高熱隧道と呼ばれる、掘削時160℃にも達した坑道を進む重厚な機関車。
  • インクライン … 斜度34度の急勾配の坑道を登る、ケーブルカーに似た巨大な台車。

 

どれもすごい。

20世紀の大事業と言われた黒部ダム建設のための工事を支えた区間を、この目で見たり実際に活躍した乗り物に乗れるのだ。

地下帝国のようなこの世界観。2024年が楽しみでならない。

 

そして、この新ルートの名称募集を、2021年10月31日までやっている。

歴史に名を残せるぜ。

あなたもやってみてはいいのではないだろうか。僕も考えようと思う。

 

立山・黒部エリアは、20世紀の大工事でも盛り上がったが、21世紀ももう一度盛り上がるのだ。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  

No.133【北海道】本土最北東端かつ世界遺産の「知床」!マイカーで行ける限界はどこ!?

僕ら一般人が到達できる、日本の最北東端はどこか。

それは北海道の知床にある「相泊(あいどまり)集落」だ。

 

正確に言えば日本の国土には北方領土が存在するし、仮にこれを北海道本土に絞ったとしても「知床岬」がある。

 

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北海道の地図をパッとイメージしても、大半の方の脳には知床半島が思い浮かぶし、「知床岬、一般人でも行けるんじゃないの?」と思われるかもしれない。

 

結論、知床岬は凡人には少々困難だ。

車道はおろか、歩道もない。

 

今回僕は、車さえあれば多くの方が訪れることが可能である日本の最北東端、相泊集落の最北端部分についてお話ししたい。

 

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…もうね、道がブツッと切れているからね。

岬じゃないけど、これもある意味で"最果て"よ。

 

 

知床は大自然の楽園

 

まずは前提のご説明をさせていただきたい。

今回の記事は、日本の突端をいろいろご紹介する以下の【特集】の一環として執筆する。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

本記事のみならず、どうぞ心行くまで突端を味わってほしい。

輪郭を知れば中身が見えてきて、それが日本を理解することにも繋がると思うのだ。

 

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さて、冒頭でもご説明の通り、そんな日本の各突端においてメッチャ手前で道が途切れてしまうという意味で、知床岬は少々特殊である。

 

ちょっと知床岬にフォーカスしたMAPをお見せしよう。

 

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ガチで知床岬に行こうとしたら、片道でも相泊集落から徒歩で2泊3日だ。

 

歩道もなく、海沿いのガレ場を延々歩かないとだし、場合によっては高い岩場をクライミングしたり、満潮の海を少々泳いていかないといけない。

もちろんテント・飲食、全部持参だ。

さらにヒグマの巣窟。なにせ世界遺産に登録された広大な大自然だから。

 

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大自然、知床1

相泊の道路が終わるところに立っている標識を撮影してきた。

パワフルなワードが並ぶが、マジで遊び半分で足を踏み入れてはいけないのだ。

慢心は即、命にかかわる。

 

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大自然、知床2

僕も知床岬まで行こうと本気で考えていた時期がある。

いろいろ情報収集もした。

 

しかし装備を整えるのは大変そうだし、僕は根性無しだし、1日でもお風呂に入れないとイヤだし、夜はきっとオバケが怖い。

それに、一緒に言ってくれそうな友達がいない。マジメな話、同行者は絶対にいないとキケンなのだ。できれば経験者がいいけど、もちろんいない。

 

…とまぁ八方ふさがりで、そもそもサラリーマンなんであんまり長期も休みも取れないし、それだけの休みがあるなら北海道全域をグルグル走りたいし。

 

ね、もうグチグチとネガティブ発言が止まらないでしょ。

神聖な知床の地は、こんなグチ男は受け入れてくれませんな、きっと。

 

だから、僕は相泊集落を目指すのだ。

 

 

エンド・オブ・ザ・ロード

 

羅臼の中心地であっても、なかなかに"果て感"がある。

目の前には北方領土の「国後島」が横たわっているし。

 

しかし相泊集落はそこから25㎞だ。

どん詰まりの道なので、また羅臼中心部まで戻ってこないといけない。

往復50kmだ。

 

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道路の終わり1

信号なんて1つもないし、店も交差点も人もほぼゼロ。

たまーに対向車が来るだけで、とても爽快な走行だ。

ちなみに右に見えている陸地が、北方領土国後島

 

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道路の終わり2

相泊集落に行く途中には奇岩があったり滝があったり、小さな集落と温泉があったりするのだが、そこは主旨ではないので全部飛ばそう。

 

舞台は25㎞先、道路沿いにポツポツと民家が10数軒並ぶ、相泊集落である。

その一番奥、いよいよ道路が無くなるところまでやってきた。

 

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道路の終わり3

『キケン 道なし!』

『この先  行き止まり』

 

「相泊橋」という集落の北端近くに架かる橋のたもとにあるのが、これらの看板だ。

エモい。

ただただ、この看板がエモい。

 

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道路の終わり4

裏を返せば、もう道がなく危険と隣り合わせの場所まで、僕はやってきたということだ。

知床の道は、ここで終わる。

この先は世界遺産が牙を剥く、野生の王国だ。

 

エンド・オブ・ザ・ロード

 

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道路の終わり5

岬の先端まで車で行くことはできないが、道の終焉をしっかりと示してくれる場所まで自走で来れたことが感慨深い。

 

僕はガチの地理的観点からの突端を目指す人間ではない。(それが実現できれば一番だけど)

旅人としてなんらかのゴールの定義を踏めれば、ひとまずは満足なのだ。

まさにここがそれ。

 

だから、僕はここに来るたびにこの看板の写真を撮影している。

 

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道路の終わり6

正確に言うと、無難に車で行ける厳密な限界点は、橋を渡ってすぐ左側にある無料駐車場だ。

上記の写真で示すのであれば、愛車パオの屋根の上あたりに被っている場所だと思っていただきたい。

 

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道路の終わり7

ここがその駐車場。

相泊を散策するのであれば、ここに停めるのが良いだろう。

(…とはいっても、見どころは少ないが)

 

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道路の終わり8

ここから奥は、本当にもう車道がない。

建物がチラホラ見えているが、漁業関係のものがほとんどとなる。

 

昆布漁が盛んな羅臼。そのための施設(昆布番屋)がまだ知床半島の先端方面に向けて点々と存在するのだ。

漁師さんは、そういった番屋に主に小船で行き来している。

 

知床岬まで2泊3日で歩くのであれば、この写真をずっと奥の方に、こういった番屋を見ながら歩いていくのだ。

 

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道路の終わり9

一度、地元の方に許可をいただき、駐車場のもう少しだけ奥まで車で進ませてもらったことがある。

とはいっても数10mだが。

 

先ほどお見せした橋の反対側。

橋の下を流れる川の河口部分が上の写真だ。

 

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道路の終わり10

果て感のある、いい写真になったと思っている。

向こうの陸地は国後島だ。

ギリギリまでやってきたという達成感があった。

 

そりゃ「本来であればこの向こうも…」みたいな北方領土を取り巻く思いも無きにしも非ずだが、それは今回は胸中にしまっておこう。

 

 

日本最北東突端地の碑

 

さて、突端マニアのみなさん。

ここ相泊には、「日本最北東突端地の碑」がある。

 

2021年現在、かろうじてある。

僕自身は2021年のこの場所を実際に自分の目で見たわけではないのだが、そのような情報を得ている。

 

ちょっとそこいらの経緯を時系列でご説明しよう。

 

 

「熊の穴」とトド肉

 

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日本最北東端1

食堂兼民宿の、「熊の穴」

先ほど掲載した相泊橋のすぐ手前にかつて存在したお店だ。

 

知床岬まで徒歩で行く人の拠点となったり、オーナーのおじさんがいろいろアドバイスしてくれたり、岬到達後は船で迎えて来てくれたり。

知床岬攻略において重要なお店であったという。

 

これは日本3周目で僕が訪れた際の写真だ。

左奥にご注目いただきたい。

 

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日本最北東端2

日本最北東突端地の碑。

お店の前には、この碑が設置されていた。

斜め方位の突端だ。とても貴重なものだ。記念撮影できてとても嬉しい。

 

よし、お昼ご飯はこのお店で食べるか。

 

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日本最北東端3

 

トド焼き定食!!

 

 

トドだよ、トド。

道東や道北では、トドを食べる文化があるのだ。

 

ja.wikipedia.org

 

レトルトカレーの具だったり缶詰とかで観光客が購入できる機会もあるが、こうやって肉そのものをムシャムシャ食べられる機会は非常に貴重だ。

だから迷わずトドをオーダーした。

尚、迷ってはいないが、心中はドキドキであった。

 

なかなかに強めの臭み。

全体的に味が薄く、なんか水っぽい感じ。

だから焼肉のタレにしっかりと絡ませて食べるのだ。

うむ、一生に1回でいい味かもしれない。

 

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日本最北東端4

ジャーン、お目当てはこれだ。

会計時にオーナーさんからいただいた。

 

証明書

貴方は知床世界自然遺産日本最北東突端に到達し、味処熊の穴を味わった事をここに証明する

 

トド肉を食べたときだけ、これをもらえる。

当時は日本の突端に到達するたびに、そこで発行している到達証明書を獲得していたので、これも絶対にGetしておきたかったのだ。

 

 

冒険者の夢の跡

 

少し時が流れて、再び知床羅臼の町。

僕は嫌な予感がしていた。

 

羅臼の旅人宿で一緒に飲んだ旅人が、「相泊集落の熊の穴?改装していたのかな?やっていなかったよ。」と言っていたのだ。

その旅人に別れを告げてチェックアウトすると、僕は相泊集落を目指してアクセルを踏む。

 

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日本最北東端5

到着した。

懐かしいお店であったが、前のような生命反応を感じられなかった。

近くにトラックが停まっていたが、お店自体を見るに、改装しているにしては各所に雑さが見られた。

 

作業している人に、「何の工事ですか?リニューアルですか?」って聞いてみた。

そしたら「ここのオーナーさんが亡くなったので、もう壊すんだよ」とのこと。

えぇーー!!閉店なのですか!あのオーナーさん、亡くなっちゃったのですか!

ショックだ。

 

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日本最北東端6

どうやらオーナーさんが亡くなったのは2010年のこと。

その後、2011年にお店は閉店し、売りに出されたらしい。

 

僕がこの写真を撮ったのは2013年のことだったのだが、取り壊し予定ということは、買い手がつかなかったということだろう。

 

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日本最北東端7

以前記念撮影したときとはデザインの異なる碑。

あのあとリニューアルしたんだね。

 

しかしその碑が傾いた状態で無造作に置いてあるのが、とても悲しい。

お店を解体してしまうということは、この碑もきっと撤去されてしまうのだろう。

 

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日本最北東端8

碑はお店の敷地内にあるので、作業の方に立ち入り許可と撮影許可をいただき、碑と共に再び記念撮影をした。

 

これがきっと最後の撮影になるだろう…。

悲しいけど、グッバイだ。

 

 

象徴よ、令和に遺れ

 

さらに時は流れた。

久々に僕は羅臼に来ていた。

ちょうど「北海道胆振東部地震」っていう大きな地震が起きた直後であった。

 

もう、お店もあの碑も、無いよね…。

 

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日本最北東端9

いや、普通にあった。

なんだったら、5年前と全然同じだった。

 

「解体する」と言っていたのは何だったのだろうか?

手前にはミッチリと車が停まっているが、お店が営業しているわけではない。

寂しいことには変わりは無い。

 

そうだ、日本最北東端の碑は…!?

 

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日本最北東端10

あった。

 

チクショー、ゴミみたいに扱いやがって…。かわいそう、かわいそう。

横倒しになっているし、数年前と比べて明らかに塗料が落ちて色あせていた。

 

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日本最北東端11

地元っぽい人に、「コイツと一緒に写真を撮りたいのですが、引っ張り出してもよろしいですかね?」と聞いて「いいんじゃない?」的な回答を得る。

 

よーし、まずはちゃんと立とう。

碑は立っているべきだ。少なくとも今だけは。

 

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日本最北東端12

うんうん、いいぞ。

初めてここに来た日を思い出すなぁ。

あの日からいろいろ変わっちゃったけどさ、懐かしいよな。

 

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日本最北東端13

今度こそ最後になってしまうかもしれない。

そう思って記念撮影をした。

 

*-*-*-*-*-*-*-

 

2021年、この地を訪れている人の写真をWeb上で見ると、まだお店もあるし碑もある。

なんだったら、碑はちゃんと立て掛けられていて、このときみたいな邪険な扱いはされていなかった。

 

しかし、主のいない店の敷地内の碑だ。

いつどうなるかわからない。

 

日本最北東端の象徴であるこの碑、今後も残存してほしいと強く願う。

 

 

未来に命を繋ぐもの

 

相泊には、食堂も無ければお店もない。

国後島は良く見えるが、人工的な展望台みたいなものもない。

つまり、"観光施設"と呼べるようなものは、僕は知る限りはほぼゼロである。

 

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相泊温泉

あえて言うならば、「相泊温泉」だ。

海ギリギリに設置された、コンクリートの小さなプールみたいな温泉。

 

無料だが、夏期のみ入浴可能であり、満潮時や高波のときには水没する。

夏の一時期のみ簡素な囲いができるが、それ以外はこのようにフルオープンであり、車道からも丸見えだ。当然脱衣所などは無いし、混浴だ。

観光客向けではなく、もともと漁業関係の方々が入るために造られ、地元の人が管理して運営されている。

 

カクゴがあるなら、ここに入ってみるのもいいだろう。

(僕は入ったことは無い)

 

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相泊川1

そんな中で、僕がオススメするのが相泊川である。

あの『キケン 道なし!』・『この先  行き止まり』の下を流れている川だ。

 

上の写真のように、橋の下をくぐったら海に注ぐだけの、何の変哲もない川に見えるかもしれない。

しかし、夏の後半から秋には、すごい光景がみられる。

 

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相泊川2

それは鮭の遡上である。

海で暮らしてきた鮭が、産卵のために生まれ故郷の川に戻ってくるという、アレだ。

 

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相泊川3

川を覗き込めば、いたるところ鮭だらけなのだ。

それはもうウジャウジャと遡上している。

 

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相泊川4

わかりやすく、あえて水流が穏やかな場所にいる鮭の写真を数枚掲載した。

 

傷ついた彼らの身体がわかるだろうか?

ヒレや腹が川底などにこすれて剥離し、真っ白になってしまったりする。

だけども彼らは死力を尽くして遡上するのだ。

 

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相泊川5

水流に逆らってひたすら泳ぐ。

ときどき油断したり体力が尽きて、一気に河口のほうまで流されてしまうものもいる。

残念どころの話ではない。命がかかっているのだ。

 

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相泊川6

しばらく力をためた後、一気に推進する行動を繰り返している。

魚にだってスタミナがあるのだ。

苦しいのだ、きっと。

 

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相泊川7

僕はスーパーの魚を見ても、食材としか思ってこなかった。

観賞用の魚を見ても、「優雅ですね」くらいにしか思わない。

 

しかし、おそらく魚にも感情がある。

自然の中で生きるっていうのは、こういう厳しいシチュエーションに立ち向かうことなんだ、きっと。

 

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相泊川8

途中で傷つき、息絶える者もいるだろう。

熊のエサになってしまうものもあるだろう。

 

それでも必死に泳ぐ彼ら。

思わず「がんばれー!」と声が出てしまうが、ずーっと太古の昔から育まれてきた営みなのだろう。

 

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相泊川9

生きるということ、食物連鎖、命をいただくということ…。

子供のときにこの光景を見れたら、さらに感銘を受けていたであろう。

 

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相泊川10

彼らはどこまでいくのだろう。

 

川は遡るほど勢いが早くなり、狭くなり、そして形状もボコボコで小さな滝のようなところもある。

柔らかい体は、きっと擦り剝けてボロボロになるに違いない。

 

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相泊川11

旅の終着点は、命の終着点。

それと引き換えに、子孫を次の時代に残すことができる。

 

それは当たり前なのかもしれない。

でも、人の手の全く入っていない命のバトンを目の前で見れるのだ。

なんという貴重な体験なのだろう。

 

世界自然遺産、知床。

車で行ける限界点は、すなわち手つかずの大自然との境界。

そこで生きるということ・命というものの素晴らしさを感じ取れた。

 

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ここを立ち去る前に、再度冒頭の写真を掲載しよう。

 

『キケン 道なし!』・『この先  行き止まり』。

 

僕らが介入していいのはここまでだ。

岬までなんて、行けなくていい。岬まで道路を通すのもおこがましい。

少しだけ、大自然に触れさせてくれてありがとう。

 

言葉にできない感謝の気持ちで、最果てを引き返す。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 相泊集落
  • 住所: 北海道目梨郡羅臼町相泊
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No.132【愛知県】深夜3時~明け方のラーメン屋!客は店主に見つからぬよう木立に隠れる!

「大丸ラーメン」。

名古屋の今池という町にかつて存在したラーメン屋さんだ。

 

知っている人は、「あぁ、あの伝説の…!」と目を細めるだろう。

知らない人は、その店を知っている人から話を聞いただけで恐怖に震えるだろう。

要するに、三国志で言えば「呂布」だ。

 

その店は、50年の長きに渡って営業していたが、2012年の11月末で歴史に幕を下ろした。

 

「なーんだ、もう存在していないお店なら興味はないや」だなんて言わないでいただきたい。

呂布が遥か昔の武人であっても現代まで語り継がれるように、大丸ラーメンも未来に語り継ぎたい伝説だ。

 

僕も一経験者として、語り部としての責務を果たしたい。

手元には当時の手記がある。

これに少々手を入れつつ、当時の興奮をあなたにお送りしたい。

 

それでは、お聞きください。

食べるも地獄、聞くも地獄の、大丸ラーメン物語。

 

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大丸伝説1

 

 

死臭の中で見つけたもの

 

今池の町といえば、名古屋屈指の繁華街である。

24時間、喧騒の絶えない街というイメージがある。

僕には、そんな街を拠点としていた時期がある。

 

頻繁に歩く道があった。

大きな幹線道路に設置された、綺麗な白い敷石の埋め込まれた歩道だ。


ここの特定の10mほど、歩道が急にベタベタになる。

革靴で歩くのがメッチャ不快だ。

 

 

Googleマップストリートビューで、2012年のものを見つけたので上に貼り付ける。

ここだ。このレトロで昭和テイストなビルの前であった。

正確に言うと、向かって左側のシャッターが下りている当たり。


向かって右側は、一見すると営業しているのかどうかわからないような鍵屋さん・金庫屋さんが入っているみたいだが、ほとんどの場合はシャッターが下りていた。

でも、薄暗い中で営業しているシーンも何度か見かけた。

 

上層階はアパート的な感じのようだ。

ビルの脇に上層階に上がる階段があるのだが、暗くて狭くて覗いただけでちょっと怖かった。

 

 

そんなビルの一角にある、シャッターが壊れたように1m上がっている部分。

 

ちょっとしたひさしがあり、その下には雨の日は、ボロボログチャグチャの玄関マットが敷いてあるから、なんかの施設の入口だと思うんだ。

だけどもなんだかわからない。

入口なんだろうけど、間違っても入りたくはないタイプの入口だ。

 

そこの前の歩道がいっつもベタベタなのだ。

そしていっつも上のストリートビューのように、1mだけ開いているのだ。

 

季節は6月だった。

ジメジメムシムシで有名な6月だ。

このシャッターの1mの隙間から、すっごい臭いがするの。

とても失礼な言い方で申し訳ないのですが、腐ったような、ホームレスのような臭い。

本当にそうなのだから、しょうがない。

 

その半開きシャッターの前を通るときは、いつだって必ず息を止めていた。

だけど気になるから、チラッと横目でシャッターの中を見る。

 

ゴミの山。

ダンボールが転がっている。

そしてシャッターのすぐ奥には小さな小さなカウンターがある。


店舗?飲食店系の廃墟かな?

そのカウンターの上もダンボールやゴミで溢れているから、とても営業しているとは思えない。全てが汚すぎる。

 

*-*-*-*-*-*-*-*


7月下旬

相変わらず息を止めて、その元店舗らしき場所の前を通過したとき、すごいものを見てしまった。

 

キャベツのダンボールを持ってきたであろう業者さんが、シャッターの中を覗いて、中に人に何かを話しかけている!

キャベツを納品している!

 

マジで!?現役の店舗!?飲食店??

看板もないし営業しているところを見たことも無いけど?

今まで僕、このシャッターの前を100回ほど、朝6時から夜23時くらいまでまんべんなく歩いていたけど、店なの!?

ゴミ屋敷ではないの!?えーっ…!??

 

でも、シャッターの奥からは、ボロボロのカッコの70歳くらいのおじいさんが出てきてキャベツ屋さんの応対をしているんだ。

 

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大丸伝説2

Googleマップストリートビューの最古の映像に、偶然それに類似するシーンが収められている。おじいさんが外の物品を建物内に運び込もうとしている。

 

えーー、どういうこと?キャベツ屋さん、あの臭いの中で大丈夫なのかな?

キャベツの運命もかわいそうだな。

 

しかし、あの店舗(?)は一体なんなんだ?

なぜにキャベツを大量に買い付けているのだ?

 

僕はWebで調べた。

店名のあるお店であれば一発だが、看板や暖簾などを出している気配はない。

だからWebでそれっぽい住所を打ち込んだり、ビル名や同じビルに入っている鍵屋さんの名前で検索したり、いろいろやったさ。

 

そして…、検索できた!!

 

  • 店名…大丸ラーメン
  • 営業時間…深夜3時~早朝5時

 

えぇぇぇぇぇーーーーーー!!!??

 

…これが、僕と大丸ラーメンとの出会いだった。

 

 

僕らは物陰に潜むネコだ

 

大丸ラーメン。

僕が良く歩く通りの、臭くて汚い半開きシャッターの中は、そう呼ばれているお店だと知った。

いや、本当にオブラートに包まない表現で申し訳ない。ただしガチで不快感しか感じていなかった。


営業時間は深夜の3時ごろから5時ごろまで。

オーナーのおじいさんの気分次第なのだそうだ。

なるほど、だからいつも店の前を通っても営業していなかったのか。

 

ちょっと気になったので、さらにWebでいろいろ調べてみた。

 

  • 店名は知っていても場所は知らない人が多い。看板が出ていないので、深夜に今池の町を徘徊して自力で探す形式。
  • 創業50年で、おじいさんが若いころからやっている店。
  • ドカ盛りで激安。麺はうどんや焼きそばも使っている。
  • クソマズい。
  • お客さんに材料を買いに行かせたりする。
  • カウンターを拭く雑巾に触ると、手を洗っても臭いが落ちない。
  • 深夜のわずかな時間しかやっていないのに、すごい行列する。ファンも多い。「大丸ラーメンの歌」も作られている。
  • 2012年の8月に閉店予定。なぜなら、お店のあるビルが東日本大震災のあとの査定で基準値を満たしていないことが発覚。老朽化もあって取り壊されることになったから。


うおぉ、濃厚すぎて情報を頭の中で処理しきれない…。

とりあえず調べながら「ヤベー、ヤベー」しかコメントが出て来なかった。

 

普通の人は「すごいカルトなラーメン屋がある」というウワサを掴んでから必死に店の場所を探すんだけど、僕は真逆だった。

怪しい建物を発見し、それを調べて行くうちにラーメン屋だと気付くという。

 

とにかく、8月末に閉店するのか。

既に今は8月第2週だから、あと3週間か。

てゆーかさ、あんなヤバい店でラーメン作って、深夜なのに人が来るの?

信じられないんだけど。

 

でも、ちょっと興味をそそられる。

自分の目で見てみたい。あわよくば、食べてみたい。

 

だけども、あと8月末閉店ってことはもう今週末しか行く機会がないと気付く。

その次の週末から僕は北海道に旅立ち、その旅行が終わるのがもう8月最終週だからだ。


よし、じゃあこの週末に調査してみるか…。

ボロクソ書いておいて、結局のところ興味津々なのだ。

自分で自分が恐ろしいぜ、まったく…!

 

*-*-*-*-*-*-*-


2012年8月11日(土)、深夜2時過ぎに僕はフラリとこの通りに現れた。

こんな深夜にドカ盛りラーメン食べたい気持ちは1ミリもないけど、これも調査だ。

 

お店が視界に入る角を曲がると、うおっ!!

本当にあのボロボロのビルの前に20人くらいたむろしている!!

いつもシャッター半開きで腐臭が漏れてくる店舗に明かりがついている!

 

まずは通行人を装って、店の前を通過してみた。

中からプワンと醤油の香り。

チラリと見えた店の中はやはり汚いけど、食べ物の匂いがしただけでかなり安心感を感じてしまったから、人間って不思議。

 

たむろしている客層は、メインは大学生から20代後半の男性。そしてその連れの女性。

うおぉ、女性もあんなヤバい空間入るのだね。初デートだったらいろいろすごすぎる。

あ、でもほとんどの人は飲食店としてもこの店の顔しか見ていないから平気なのかな?

昼間のデロデロの状態を見ていないから。

 

それからちょっと怖そうなおじさんたち。

今池はライブハウスとか多いので、それ系の人と、あとは繁華街だから夜のお仕事系の人が多いみたいね。

 

怖いけど、列の一番後ろに並んでみる。

大体並んでいるのはグループか、1人でも常連っぽい人。

僕は新参者で1人だから、ちょっとドキドキだ。

 

2:30、店の中からオーナーのおじいさんが出てきた。

僕らの方を見て、「今日は営業しないです!帰ってください!」と言う。

僕らがモジモジして店の前からなかなかどこうとしないと、「営業しないと言ってますでしょ!帰ってください!!」と再度言う。

僕らは仕方なく店の前を離れ、誰もいなくなった。

 

…ってのは、実は毎日やっている恒例行事らしい。

 

Webで事前に読んで知っていた。

行列の人が騒いで近所迷惑にならないように、追い払うらしい。

並んでいたおよそ20人の人たちは、思い思いの場所で虎視眈々と店の様子をスパイの様に伺う。

 

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大丸伝説3

2:50、おじいさんがまだ店の前をウロウロして、お客がいなくなったかを監視しているみたいだ。


僕は道路の対面からコッソリそれを見ていた。ネコのように。

僕の近くで待機している人がもう2人ほどいたけど、「これは開店まで時間がかかりそうだな…。今日は全員食べることはできないだろうな…。」と言っている。

なんだこの人、相当な手練れだ。

 

なんかね、この店は以前はもう少しまともな営業時間だったのよ。

夕方開店で朝方閉店みたいな。

 

だけどもおじいさんの体力が追い付かなくなり、開店時間がどんどん遅れ、だけども閉店時間は朝の5時で固定。

そんな感じで今では午前3~5時の営業となってしまったのだ。

だけどもこれもおじいさんの気分次第なんで、もっと早いこともあれば遅いこともあるらしい。

 

…雨がポツポツ降ってきた。あー、カサ持ってないわ。

なんか気分が萎えるなー。

 

3:15になった。まだ誰も店の前に戻って来ない。

みんなビルの陰や木立の陰からお店を監視している。

おじいさんも時折ビルから出て来ては、周囲をキョロキョロ警戒している。

なにこの深夜のサバイバル劇。


んー、なんかもう今日はやる気失せたな。僕、帰るわ。そんで寝るわ。

明日の夜に再チャレンジしてみようと思う。

そして、きっとそれがラストチャンスだ。

 

 

買ってこい、ブラックサンダー

 

翌日の2012年8月12日(日)、僕は再び大丸ラーメン攻略に乗り出す。


深夜3時開店って言っても、今はオーナーのおじいさんのスタミナも限界近いから、実際に店がOPENするのはもっと遅くだろう。

そう考え、昨日よりもアプローチ時刻を遅く設定する。

 

2:45、大丸ラーメンの前に来た。

まだ店は準備中。30人ほどの人たちが店の様子を窺いながらたむろしている。並んでいなくって、お店の前にウジャウジャしている感じだ。

店内の席は…、5席だっけ6席だっけ?

ひとまず6回転くらいしないと僕の順番は来ないな…。

 

3:15、人々が列を作り始めたので、僕もそれに混じった。

1人で並ぶのは何かアウェイな感じだ。ヒマ。

 

3:20、昨夜と同様におじいさん出現。「営業はしないです!帰ってください!!」と声を張り上げ、僕らを追い払う。

いや、じゃあそのお店から漏れてくる醤油のにおいはなんなんだと。あなたの夜食か?

ひとまずみんな撤退。そして昨夜同様にネコのように思い思いの物陰から店を物色する。ニャー。

 

3:37、再びコソコソと30人が店の前に集結。

行列ができた。僕もスルリとその行列に入り込んでいる。

 

僕の後ろに並んでいる2人組の片方の人は、「この店、今月で閉店するから10数年ぶりに食べに来てさぁ。楽しみだ。」とかなんだとか話している。

その相方は今回が初回の訪問っぽい。聞き耳を立てて情報収集をしておこう。

 

3:42、行列の前の方からアメの袋が回ってくる。

自分の分を取って後ろに回す。

このお店、待っている間におじいさんがこうやってお菓子を回してくれるのだ。

なんだよ、ついさっきは追い払ったくせに優しいじゃないか。

ツンデレか。惚れるぜ。

 

そしてよく見えないが、この後すぐにどうやらお店が開店したようだ。

この時間(3:45)に開店とは。遅ー…。

 

4:35、並んでいるうちに空が少しずつ明るくなってきた。

鳥がチュンチュン。

あー…、何やっているんだ、僕…。

でも、行列は順調に進んできた。あと10人、2回転くらいかなー。

 

4:40、行列の一番前のお客さんが、おじいさんに買い出しを頼まれたらしい。

近所の「100円ローソン」に竹輪とブラックサンダーと麺を買いに行かされた

Web情報によれば、これも恒例イベントだ。

 

買い出し担当のヤツ、嬉しそうに生き生きと「100円ローソン」に走って行きやがった。

なんなんだこの店…。麺も具材も「100円ローソン」とは。

しかしね、まだ開店から1時間弱、10数人しか店に入っていないのに、もう食材在庫切れ?

計画性の無さが素晴らしいぜ、コラ。

 

4:53、いよいよ行列の先頭まで来た。

店内のカウンターにてスタンバイしている人が外の僕を見て、「1名入れるそうですよ」とおじいさんの言葉を伝言してくれた。

来たー!ついにあの暗黒空間に足を踏み入れるとき!!

カウンター5席だけのクッソ狭い店内に入り、外に一番近いカウンターに座る。

 

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大丸伝説4

うわぁ、うわぁ…!!

あれだけ忌み嫌っていた店内に入っちゃったよ。

そんで暑いなここ。地獄か。

開けっ放しのドアから朝の少しヒンヤリした風が吹き込むのが不幸中の幸い。一番外に近い席でよかった。

 

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大丸伝説5

僕の席からの眺めがこれだ。

 

カウンターは僕を含めて男性3名、女性2名。これでギュウギュウ。

おじいさんはカウンターと荷物に囲まれた、1畳も無いスペースで汗だくになってラーメンを作っている。

 

冷蔵庫を置くスペースが無くって、僕らの座席の後ろに冷蔵庫がある。

ときどきおじいさんは「冷蔵庫から竹輪取ってくださーい!」と僕らに指示をする。

 

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大丸伝説6

5:05、まだ出てこないラーメンを待っていると、突然おじいさんが言う。

 

「暑ーい!もうダメ!休ませて!もうここね、炎のすぐ側なんだもん。炙られているようなもんだもん!はい、今日は店内にいる人まで!」

そしてちょうど1人が食べ終わって空いた客席にドカッと腰を下ろした。

 

…は?もう辞めちゃうの?店内にいる人までってことは、僕のラーメンまではOK?

聞いてみると僕のは作ってくれるって。

「でも外の人のは無理ね。帰ってもらってください。」

そう僕に指示をする。

 

しょうがないので僕はドアから顔を出し、「あのー、もう今日は作らないそうなんで、帰ってほしいそうです…。」と告げる。

外にはまだ2・30人が並んでいるんだけどな。

そういやもう店の閉店の時間である5時を回っているな。

 

外の人たち、「は??」みたいな顔をしている。

なかなか現実を受け止められずに、その場を動かない。

奥でおじいさんが「本当に作らないから、待ってもらっていても悪いけどダメだから、帰ってもらってください、ハイ。」と再度言う。僕はそれを伝言する。

 

外の人たちもそれでようやく諦めだした。

僕のすぐ後ろに並んでいた、「10数年ぶりに食べに来て楽しみだ」と言っていた2人組も、ションボリしながら帰って行った。

 

…ねぇ、で、僕のラーメンは?

おじいさんはドッカリ座り込んじゃってレストタイムをエンジョイしているけど、誰がラーメン作るのですか??

 

 

うどん・焼きそば足しますか?

 

2012年8月12日(日)、早朝の5時過ぎ

僕はラーメン屋で、自分のオーダーしたラーメンが出てくるのを待っていた。

 

ま、オーナーのおじいさんは、僕ら客と同様にカウンターのこっち側の椅子に座っているんだけどな。

カウンターのあっち側?

いや、誰もいないよ。無人

 

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大丸伝説7

そんでこんな早朝だけども朝ご飯としてラーメンを食べるのではないのだよ。夜食。

もう2時間半も待っていて、外はすっかり明るくなってきちゃった。

 

「暑いですね。扇風機つけますね、ハイ」

おじいさんはそう言い、針金だけで出来ているような昭和テイストの扇風機のスイッチを押す。

なんか「ガショガショ…ガション」と音がしただけで、扇風機は再び静かになった。

アレレ。

 

上を見ると、蛍光灯がチカチカ点滅しだした。

「今月でお店もおしまいですし、私も74歳ですし、何もかもが寿命なんですよ…、ハイ。」

おじいさんは寂しそうにそうつぶやくが、吹っ切れたように立ちあがり、またカウンターの中に戻ってラーメンを作り始めた。

 

僕は今まで店の外観を「汚い臭い」とののしっていた。

もちろん内装も備品も全てが汚い。

 

麺を上げるザル、なんかチラッとしか見えなかったけど、デロデロみたいのが付着していない?ザルから麺じゃない何かが垂れ下がっていない?

深海からいろいろ引き上げるサルベージ船のカゴを彷彿とさせた。怖い…。

 

で、なんやかんやで僕と他2人の、今日のラストのラーメン3つが完成した。

「えー、ではそこのアナタ、立ってください、ハイ」

おじいさんは目の前の客を1人立たせる。

 

説明しよう。

5席ほどしかない大丸ラーメンのカウンターの上は、物が多くて内側からお客さんにラーメンを出そうにも、ラーメンを置ける場所が1箇所しかない。

その1箇所に座っているお客さんが、全員にラーメンを配るのだ。

 

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大丸伝説8

幸い、そこの席は常連と思わしき人。

僕じゃなくて本当に良かった。あの席だけは嫌だった。

 

鬼のように大盛りのラーメンは、注意してもスープがこぼれる。

だからカウンターのふきんを使って丼を持って、そーっとおろすんだ。

 

そのふきんは当然スープで汚れ、洗っていないのかどうかはナゾだけども色はブラウン。まるで油揚げのようだ。

これを使用した者は手を洗っても匂いが落ちないという、伝説のふきん。呪いのアイテム。

その彼が、素晴らしき自己犠牲の精神で、カウンターのラーメンを僕を含む3名に回してくれた。

 

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大丸伝説9

5:10、戦闘開始!敵は強大だぞ、気合入れて行け!!

 

本当はこの店、カメラ厳禁なんだ。完全撮影禁止をもう50年も貫いてきた。

だけどもおじいさんが「もう閉店だから、自由に撮ってください、ハイ」とみんなに言っていたので、僕も撮影できた。

 

このお店は、盛り付けもボリュームも適当。

だから作るたびに微妙に違うラーメンになっちゃうんだって。

そうしたら昔、「Webで見た写真と実物が違うぞ!」と突っかかって来たお客さんがいたそうだ。

そういうトラブルを抑制するため、撮影禁止にしていたんだって。

 

まずは大量のモヤシ。軽く湯がいてあるだけで、味付け無し。

マジで絶望するほどの味気のなさ。

 

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大丸伝説10

でも、これは知っている。

だからこそ、カウンターの上にソースや醤油、ニンニクチューブがあるのだ。

みんなこれで好きに味付けするのだ。

おじさんに頼めば焼きそばの粉末スープも出してくれるらしい。


それらの調味料がスープに溶けだして初めて、大丸ラーメンのスープの完成なのだそうだ。なんだそりゃ。

ひとまずソースをかける。こだわりのラーメン店なら、この時点で激怒だな。いや、待っている間にアメを食べていた時点でアウトかな。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

モヤシ地獄。なんとか食べ進める。

ソースをかけたところで味気ない。テンションが全然上がらない。

だけどもコイツをどうにかしないと麺が出て来ないのだ。

 

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大丸伝説11

もうビビッてカメラがブレちゃって恐縮なんだけど、ようやくラーメン本体の登場。

だけどもこれでもまだ普通のラーメンの1.5倍はある。


中太麺、そしてナゾの味付けの肉、買ったばかりでまだ冷たいチクワ、カマボコ。

味は…、うん、マズい!!

すでに閉店した今だから正直に言うけど、マズいよこのラーメン。

 

スープは昆布だしと醤油だけで作っているらしい。

それをラーメンのスープと呼べるのかどうか、なかなかキワドいラインを攻めている。


ナゾ肉だけは、オリジナリティのある濃い味付け。

これだけはイケるかも。

でも、考えたら負けだ。一気に食べないと、絶対に完食できない!

 

隣の人は僕より先に食べ始めたため、もう完食間近。

おじいさんに「替え玉いりますか?」って聞かれていた。

 

ここは替え玉無料なのだ。

まぁデフォルトで普通のラーメンの倍くらいのボリュームがあるので、替え玉まで行くには相当生命力がある人に限られるけど。


隣の人は「あ、うーん…」と渋っている。

するとおじいさん、「うどん?焼きそば?」みたいに聞いていた。

オーダーしたうどんが投入される。

それ、もう既にラーメンじゃねーし…。スープも麺もラーメンじゃねーよ…。

 

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大丸伝説12

5:26、完食!!

限界!汗だく!

 

残したら悪いから、死ぬ気で食べたよ。

カウンターのこっち側の席でバテているおじいさんに、「ごちそうさまでした」とお金を払う。

550円だったかな?タクシーの初乗り料金と一緒ってのを、創業以来ずっと貫いているそうだ。


「ありがとうね。ハイ、ブラックサンダー

そう言って手渡されたのは、さっき客の1人が買いに行かされたブラックサンダー

食後にはお菓子をもらえるのがここのルール。

 

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大丸伝説13

外に出ると、もう完全に朝。

1日が始まりつつあるのに、僕は寝不足だし腹パンパンだし、なにやっているんだろう…。

 

家に帰る。現実に戻ってきた気分。

ブラックサンダー、今はとても食べきれない。

 

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大丸伝説14

あ、ブラックサンダーじゃなくってモーニングサンダーだった。

アイツ、オーダー間違えて買ってきやがった。

 

グッド・モーニング。

なんという皮肉。

これから寝て、起きてから食べよう。

では、おやすみなさい。

 

 

キミにも届け、この戦慄

 

2012年8月末で閉店予定だった、超カルトラーメン屋の大丸ラーメン。

8月末閉店だからこそ頑張って8月中旬に食べたのに、閉店しなかった。


「ビルの大家さんが、まだ取り壊し工事が始まらないから営業していていいと言ってくれたんです、ハイ」とのことだ。

近いうちの閉店は決まっているが、ギリギリまで営業するらしい。

 

Web上では、10月末説や、11月末説が飛び交っていた。

みんな気になる大丸ラーメン。

 

すっかり肌寒い季節となった。

僕は相変わらず、大丸ラーメンの前を頻繁に歩いていた。

営業している深夜3時とかに出歩くことはほぼないので、いつも営業時間外の半分シャッターの閉じた状態を横目で見ながら通過していた。

 

やっぱり飲食店とは思えない汚くて臭い店の前。

中をチラリとみると、オーナーのおじいさんがカウンターに突っ伏して寝ている。

来る日も来る日も。

いつも同じ服だしね。洗濯しているのかな、あの服…。

 

おじいさんは家に帰っているのだろうか。

70過ぎなのにいっつもカウンターで寝ていて、疲れは取れているのだろうか?

 

24時過ぎくらいに例の「100円ローソン」で買い物をしていると、たまにおじいさんに会う。

いつもカゴいっぱいのモヤシや竹輪を買っている。

レジでおじいさんのすぐ後ろに並ぶと、会計に時間がかかることを気にしてか、「すいませんね、ハイ」と言ってくれる。


まれに夕方ごろ、モヤシを持ってヨタヨタと今池の町を歩いている姿を見かける。

だいぶ足が悪そうだ。


2012年10月下旬、親しい友人たちと名古屋を満喫した。

その際、僕はみんなに「今池にはヤバいラーメン屋があるんだぜ」と紹介した。

昼間の大丸ラーメンの前に行き、先の武勇伝を語った。


半開きシャッターの中から、カウンターで寝ているおじいさんがチラリと見えた。

友人メンバーの1人に「室伏」というナイスガイがいる。

関東圏の廃墟・廃村巡りの頼りある相棒だ。

 

その室伏が「うおぉ、行きたい!興味ある!でも深夜に並ぶのか…」とかモジモジしている。

「もうすぐ閉店なんだぜ、一生に一度なんだから行けよ」、と僕は後押しした。

室伏はやる気になった。

 

夜が更けた。午前2時過ぎだ。

再び友人たちと大丸ラーメンの行列を見に行く。

「じゃ、頑張ってね」と言って室伏を行列に並ばせてから、その場を離れた。

 

そのあとは何度かメールで実況中継が来た。

「なんかおじいさんに『帰れ!』って言われたんだけど!」「お菓子が配られた!」…とか。

うんうん、知ってる。

あと、「寒い」とかメール来る。知らん。

 

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大丸伝説15

そのとき室伏が撮影した写真がこれだ。

 

「8年半前のことで恐縮なんだけどさー…」と、室伏に連絡を取り、当時の画像をもらったのだ。

久々に連絡して大丸ラーメンの画像要求だよ。僕はヒドいヤツだ。

そして室伏も無事に完食したようだ。

 

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大丸伝説16

5:30に完食して帰って来た室伏は、「マズい…。シンドかった…。後悔している。」と言っていた。


ま、食べなくても後悔するより良かったんじゃなかろうか?

フォローするために、「でも、ナゾ肉はそこそこうまいよな」って言ったら、「いや、ナゾ肉が1番マズかった…」と苦しそうに言ってた。

アレ?

 

…そして、11月。

名古屋はめっきり寒くなる。

大丸ラーメンの閉店日は11月末で確定した。

本当に最後の日がやってきた。

 

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大丸伝説17

 

 

木枯らしの中のサヨウナラ

 

2012年11月末日。大丸ラーメン最後の日。

別に僕はもう再びあの店に行くつもりはない。

どうせ今日は凄まじい行列になるだろうし。

 

夜に例の「100円ローソン」に寄ると、オーナーのおじいさんがいた。

竹輪とモヤシを買っていた。

 

どちらからともなしに、「こんばんは」と声を掛けた。

ここでおじいさんを見かけるのも、きっと今日が最後。

50年続いた最後の営業、頑張ってくださいな。

そして僕がおじいさんを見たのは、これが最後であった。

 

翌12月1日

いつもいつもずーーっと半開きだったシャッターは、初めて閉じられていた。

本当に終わっちゃったんだね。

なんだか木枯らしが身に染みた。

 

しばらくして、大丸ラーメンのビルの周囲に解体のための足場が組まれた。

ドカンドカン音がして、再び足場が撤去されたときには、もうそこにはビルは無かった。

その後、真新しいビルが建設される。

もうここのロケーションは、以前とは全く違うものになってしまった。


さらに2年半の月日が流れ、2015年4月中旬

じいさんがいつもモヤシとチクワを買っていた「100円ローソン」も閉店してしまった。

僕はその最期も見届けていた。

 

同じく2015年4月、僕は行きつけのバーで知り合った人から話を聞いた。

なんの経緯か覚えていないが、大丸ラーメンの話になったのだ。

あのおじいさんは、ウワサでは閉店してからものの1・2ヶ月で亡くなったとのことだ。

 

そうか…。本当かウソか知らないが、毎日毎日休みなくラーメンを作り続け、お店のカウンターで寝たりして50数年。

まさにラーメンのための人生だったのだね。

その肝心のラーメン、味のレベルが控えめだったけどね。

 

汚いし臭いしマズいけど、ファンの多いお店だった。

(ごく一部の人に熱狂的に)愛されていた。

記憶には強烈に残った。

僕は今も名古屋の話になると、あの大丸ラーメンを思い出す。

 

*-*-*-*-*-*

 

2021年現在も手元には、今池の街のどこかでもらった、商店街のMAPがある。

 

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大丸伝説18

このMAPの一部に注目していただきたい。

 

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大丸伝説19

買い出ししたモヤシを持って歩く、おじいさんがいるのだ。

 

きっとこれから店に戻って仕込みに入るのだろう。

昆布ダシと醤油だけの、メッチャシンプルなスープの仕込みに。

 

おじいさん。

…大橋さん。

ありがとう。おつかれさま。

あなたのことは忘れません、ハイ。

 

 

エピローグ

 

コロナ直前のことであった。

家族と共に深夜の栃木県足利市を歩いていた。

何度か通っている、お気に入りのバーで飲んだ後であった。

 

僕はふと足を止めた。

 

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大丸伝説20

あ…。

ボロボロのビル。赤いひさし。一箇所だけ灯った照明…。

 

記憶の奥底にあった大丸ラーメンの思い出が久々に蘇った。

 

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大丸伝説21

 

「大丸ラーメンっぽいね」と、すぐに横から声が聞こえた。

 

よくわかったな。

あの日名古屋で遊んだときにチラッとお店の外観を見せに行っただけなのに。

ちょっと胸が温かくなった。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 大丸ラーメン(すでに閉店)
  • 住所: 愛知県千種区今池5-38-23 岐阜正ビル1F
  • 料金: ラーメン¥550
  • 駐車場: なし
  • 時間: 深夜3時~朝5時ごろ

 

No.131【福島県】自分の家の庭に富士山を造ったおじいさんがいる!登らせてもらおう!!

「あなたのこの夏の思い出は何ですか?」

 

さぁ、苦しいな。

このコロナ禍で、やりたいことも満足にできなかったろう。

旅行・夏祭り・花火大会・海水浴・ハイキング…。

夏を代表するエンターテインメントは、ことごとくやりづらいご時世だ。

 

僕も、なんか引っ越しに全エナジーを集中させてしまい、それ以外の思い出と言えば「足の小指を自分の意思で横方向に動かせるようになった」とか、そのくらいである。

 

ステイホーム。

なんともにっくき言葉。

家で何をすればよいというのだ。

 

そりゃ、家の敷地内に海があったり庭があったりするのであれば、自宅で休日をエンジョイできるが、そんなお宅なんて…

 

…いや、そういえばあったな、そんなお宅が。

 

 

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自宅の庭に、富士山。

 

 

実は僕がここを訪れ、そして富士登山をしたのは今年ではなくって昨年の2020年だ。

しかし、今年の分はネタが無いので語ろう。

昨年の夏、緊急事態宣言の合間を縫って、世にも珍しい自宅富士を登った話を。

 

 

じいちゃんは富士を愛す

 

その山を「佐藤富士」と呼ぼう。

理由は簡単だ。佐藤のじいちゃんが造ったからだ。

 

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富士山を造った男1

福島県某所。

車を運転していると、前方に雪を被った富士山が見えてきた。

あれが佐藤富士だ。

 

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富士山を造った男2

溢れ出る違和感。

住宅街にひょっこり富士山なんだもん。

僕のような危機感のない人生を歩む人間は、こういう不測の事態まではプログラムされていない。

 

…っていうのは言い過ぎで、佐藤富士を目指してここまでやってきたのだから、「おぉ!ついに見えた!」って歓喜した。

 

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富士山を造った男3

敷地外から見上げた富士山だ。

ちなみにこっち側(つまり背面)は、まだメンテナンスが不十分であり、佐藤のじいちゃんの今後の課題だそうである。

 

僕がこの富士山を敷地外から見上げていたら、2合目くらいでメンテナンスをしていた佐藤のじいちゃんが僕に気付いて、「おぉ、キミがアレかね?」みたいな声を掛けてくれた。

 

実は事前に僕は訪問のアポを取っていた。

個人宅だもんな。いきなりは失礼にあたると思ったのだ。

そのときにお話ししたのは奥さんだったんだけど、「わざわざどうも。あんなモンでよろしければ…。」みたいに、結構クールな評価だった。

 

その評価はまぁまぁ正しいのかもしれない。

夫婦にはバランスが必要なのだと学んだ。

 

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富士山を造った男4

じいちゃんは素晴らしい速度で下山し、「車はこっちにどうぞー!イェイイェーイ!!」みたいな感じで僕の愛車のパオを敷地内に誘導してくれた。

 

まずは正式にご挨拶し、地元で購入してきた手土産をお渡しする。

クールな奥様と食ってほしい。

 

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富士山を造った男5

さて、次は佐藤じいちゃんのターンだ。

その次も佐藤じいちゃん、さらにその次も佐藤じいちゃんのターンだ。

ずっとずーっとだ。

要するに話が止まらない。

 

まずはどれだけの取材が来たのかをすっごい熱弁された。

新聞にも雑誌にも載ったし、TVの出演回数もものすごい。

それらの記事や、TVスタッフの名刺を1つ1つ説明してくれた。

 

関西地域からも結構な数の取材が来ている。

ホンモノの富士山を通過してまで、ここに来たのか…。

 

…てゆーかですね。

かなりの猛暑日の炎天下なのだ。危険な暑さなのだ。

そんな中、庭で延々と説明会。

正直頭がクラクラしてきた。

 

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富士山を造った男6

しかし佐藤じいちゃんは無敵である。

外気の暑さと佐藤じちゃんのアツさが釣り合っているので、本人は暑さをものともしないのだ。

このバイタリティが、自宅の庭に富士山を生んだのか。思い知った。

 

佐藤じいちゃんの息子さんは、富士山にちなんだ名前だと教えてくれた。

そして、じいちゃんの車のナンバーも、富士山にちなんだものだ。

(Webなので、どちらも具体的には明かさないが)

 

スゲーと思った。

息子さんを愛するあまり、富士山にちなんだ名前にした。

…というよりも、富士山を愛するあまり、息子さんを富士山にちなんだ名前にしたのだと理解した。

 

 

富士の聳える庭で

 

富士山と、その手前に広がる池。

ちなみにこの池は「河口湖」なのだそうだ。そっか。

 

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佐藤富士1

湖面には逆さ富士が写っている。風光明媚だ。

 

池には鯉がたくさん、大きいのから小さいのまでいるという。

じいちゃんは「ほら、あれは小さいだろう!」とキャッキャと解説していたが、正直そこいら辺の記憶は明確には残っていない。

きっと僕にはあまり興味がない話題だったのだろうと振り返る。

 

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佐藤富士2

池には白鳥の造り物が浮いていた。

じいちゃんは「こっちから見ると白鳥と白鳥の間の空間がハートマークに見えて、TVのディレクターがどうのこうの…」って言っていたが、それもあんまり覚えていない。

 

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佐藤富士3

「じゃあ、エサで鯉を呼び集めてあげよう!」とじいちゃんは言う。

 

傍らの大きな丼に入っていた、鯉のエサ。カリカリ乾燥タイプ。

じいちゃんはそれを、僕の予想に反してエサの入ったまま池の水を汲む。

ビタビタで1つにまとまったエサを河口湖に解き放つじいちゃん。

しかし鯉、全然集まって来ず。

じいちゃん、「あー…」って言ってた。

 

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佐藤富士4

気を取り直し、僕はじいちゃんに佐藤富士のことを質問する。

 

この富士山、標高は11mちょっとあるらしい。

何度も何度も作り直して巨大化しているため、この中にはかつての5世代分の富士山が埋まっているとのこと。

ここに至るまでの総費用は700万円を超え、土の量はトラック100台分以上なのだと言う。

 

だけれども、まだまだ富士山は完成ではないのだ。

じいちゃんは毎日この山のメンテナンスをしている。

 

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佐藤富士5

なぜ、そんなにも富士山LOVEなのか。

 

小さい頃にお風呂の壁に描かれていた富士山を見て感動し、そして40代の頃に初めて本物の富士山を見て感動し、福島の自宅に富士山を造ろうと決意をしたのだ。

最初は5mほどの小さな富士山であったが、さらなる高みを目指して「昭和新山」のように山は巨大化し、今に至るわけだ。

 

山の内部には竈があり、そこで火を焚けば山頂から噴煙が上がる仕組みだ。

だが、夜に噴煙を上げたら近所の人が火事と勘違いして、騒動になったこともあったそうだ。

 

庭のボートは露天風呂にもなり、風呂に入りながら富士山を眺められるという。

もはやアミューズメントパークだ。

 

 

念願の富士登山

 

じいちゃんは一通りの説明が終わると、僕に対し「じゃ、富士登山してみるかい?」と聞いて来てくれた。

 

おぉ、登らせてくれるのか。ありがたい。

それではひと夏の思い出、作らせていただこうではないか。

 

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富士登山1

じいちゃんと共に河口湖を西側からグルッと回り込み、登山口へと立った。

じいちゃんは「見て目より結構急だよ。途中からさらに急になるから、ロープにしっかり掴まって登ってね。」とアドバイスをしてくれた。

 

急に空に雲が立ち込めた。

僕の運命を嘲笑うかのような天候だ。

 

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富士登山2

だが、その逆境を切り開くのが心地よい。

天よ、吼えるがいい!しかして僕の歩みを止めることは、何人(なんぴと)にもできまい!

 

僕はロープをしっかりと掴んだ。

 

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富士登山3

そのシーン、2カメさんからの映像がこちらだ。

 

傾斜はリアルに30度近い。マジな話、あまり油断しないほうがいい角度だ。

足を滑らせるとそのまま河口湖の藻屑となる。

じいちゃんも松の木の陰から心配そうに僕を見守っている。

 

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富士登山4

森林限界、突破!!

4合目か5合目くらいまでは来ただろうか?

ここからは積雪エリアだ。

そして傾斜もさらにアップするので注意が必要だ。

 

さらにメタ的な話をすると、ここまでは土だったところが、ビニールシートとセメントのような材質に変わる。

乱暴な登り方をすると富士山の破損(環境破壊?)に繋がりそうで気を遣う。

 

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富士登山5

山の天気は変わりやすい。

暗雲の中、僕は山頂直下にいた。

 

「おじいさーん!!8合目にカエルがいるんですけどー!」とか叫んでいた。

いや、本当にカエルいたんだもん。カエル。

 

そんなこんながあり、ついに…

 

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富士登山6

 

富士山、登頂!!

 

 

いやー、ついに登り切ったぜ。

かつては本物の富士山を登ったこともあるが、それに勝るとも劣らない感動よ。

 

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富士登山7

頂上に立つと、掴まるものが全くないので少々怖い。

風をダイレクトに受けるので、なおさら怖い。

 

標高11mちょい。僕の身長を入れると目線は13m近いのだろう。

周囲の2階建ての家屋の屋根にも勝るため、なかなかの迫力の眺望だ。

 

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富士登山8

再び、1カメの映像に戻ろう。

眼下に緑の河口湖。そして僕の愛車のパオが見えている。

 

かなりの角度だ。スキーやスノボーでこの角度を滑り降りるには、少々の鍛錬が必要となるだろう。

 

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富士登山9

反対側は田んぼが広がっている。

青々としていて目に優しい光景だ。

 

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富士登山10

そこからちょっとだけ左を見るとこんな感じだ。

 

付近の民家が良く見えるが、民家から僕もまたよく見えるだろう。

「また佐藤さんの家の富士山に誰かが登っているね(ヒソヒソ…)」って光景が容易に想像できる。

 

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富士登山11

山頂の景色を堪能していたら、突如としてじいちゃんが動いた。

「じゃあ、今日は久々にオレも登っちゃおっかな~!」みたいな感じで、富士山を登り始めた。

 

おぉ、これはじいちゃんとの山頂コラボ実現か!?

貴重だぜ、この体験!夏休みの思い出!

 

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富士登山12

じいちゃんも、山頂に立つ!

2人で登頂の喜びを分かち合う!!

 

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富士登山13

 

2020年夏、富士山登頂。

 

よし、これで絵日記も自由研究も同時にクリアできるぜ、って感じた。

もうこのコロナ禍の夏、これだけやれれば合格だろう。

 

下山は登りよりも怖かったけど、ロープを伝ってなんとか降りれた。

とても楽しい登山であった。

 

 

僕も心に富士山を

 

佐藤じいちゃんにお礼を言い、僕はドライブの続きを再開することにする。

じいちゃんの熱弁で40分くらいは時間が経過していた。

しかし、このままだとまだまだじいちゃんの勢いは止まらないのだ。

僕はこの後にさらに行きたいところがあるので、そろそろだ。

 

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日本一の山1

じいちゃんは「またいつでも来てほしい。冬の富士山も素晴らしいんだから。」と言っていた。

そっか、またいつか、コロナが明けたら冬山登山に遊びに来ようかね。

佐藤富士にリアルに雪が積もっていたら、それはそれで風情がありそうだ。

 

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日本一の山2

20年かけて、自宅の庭に富士山を造った男。

 

お金もかかるわ、わけわからんわで、奥さんは当初大反対だったそうだ。

だけども最終的にはその意思に賛同してくれたという。

そんな奥さんに感謝を込め、じいちゃんはこの山を"夫婦富士"と呼んでいる。

 

今でこそ、TV取材も多いし地元を巡る観光バスが乗り付けることもあるそうだ。

しかしここに至るまでは、さまざまな苦労があったろう。

そんなじいちゃんだが、ただただニコニコとひょうきんで、話好きで、そして富士山が好きであった。

 

1つのことをただ極めた男…か。

僕もこんな風になれるかな?

ドライブしか取り柄がない僕だが、近しい人に感謝をしながらこういう道を歩めるのだろうか?

 

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日本一の山3

じいちゃんに「猛暑日なので無理してブッ倒れないようにしてください」という旨をマイルドに言い、出発する。

バックミラーに映る富士山は、やはり雄大であった。

 

1人の人間の半生を架けた夢の結晶なのだ。

その熱い想い、しかと感じたぜ。

日本一の山を自宅に再現した男は、同時に日本一の男なのかもしれない。

 

グッバイ佐藤富士。

そしてグッバイ、佐藤のじいちゃん。

夏の想い出をありがとう。

また会う日まで。

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 佐藤富士
  • 住所: 非公開
  • 料金: 無料
  • 駐車場: 佐藤さんに相談のこと
  • 時間: ご迷惑にならない時間に(僕は事前アポ)

No.130【群馬県】また1つ昭和が遠のく…!薮塚のレトロ自販機ドライブイン、本日閉店!!

今から40~50年ほど前、つまり1970年代のことだ。

日本各所のドライブインには、麺類やハンバーガー・トーストなどの自販機が設置され、トラックドライバーや旅行者に愛用された。

 

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まだコンビニも24時間営業のファミレスも流通していなかった時代だ。

24時間営業のドライブインの自販機は、彼らを支えるオアシスであったのだろう。

 

時は流れて令和の時代。

まだ少しだけ、そのような自販機は残っている。

全国わずか数10箇所。"レトロ自販機"と呼ばれ、マニアも多い。

 

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しかし風前の灯火である。

時代の流れに身を委ねる者、逆境に抗う者、自販機オーナーもギリギリのところで生きている。

 

近い将来、日本から消えてしまう光景だろう。

そうなる前に僕はこの思い出を脳に刻みたい。

だから全国のレトロ自販機を巡って来た。

 

だが、また悲しい知らせを耳にすることとなる。

 

…そんな…、まさかアイツが…!

 

 

「オレンジハット 太田薮塚店」、2021年8月31日(本日)22時閉店。

 

 

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オレンジハットは昭和レトロなドライブイン

 

8月28日(土)の深夜に、僕はこのニュースを聞いた。

 

「おいおいおいおい!急だなおい!」 って思った。

それから「夏の終わりは切ないと聞くけれど、こんな切ないニュースはカンベンだぜ」って思った。

しかし、どうやら店側の決断も直前だったようだ。 

 

まぁこのあたりは後述しよう。

まずはオレンジハット太田薮塚店がいったいなんであるかを、ご説明したいのだ。

 

jihanki.michikusa.jp

 

レトロ自販機探訪のがいる。

神は上記サイトを運営している。

 

僕も全国津々浦々のレトロ自販機を回っているがね、所詮は神の手のひらでグルグルしているにすぎないと自負している。

神の情報があるからこそ、僕はレトロ自販機を巡れているのだ。

 

さて、このWebサイトから少し情報をいただこう。

 

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こんな感じの分布だ。

2021年5月時点の情報だそうだ。

群馬スゲーし、オレンジハットもスゲーってことを言いたい。

 

あ、一店「オレンジ353」っていうお店もあるのだが、名前以外はオレンジハットだし、そもそももともとオレンジハットなので、オレンジ換算させていただいた。

数年前であれば、さらにオレンジハットが1店舗多かったんだけどね。閉店の4ヶ月ほど前に行ったのが最後になっちゃった。

 

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オレンジハット1

そんな群馬県のみに存在する、昭和の生き残りのドライブインチェーン、オレンジハット様だ。

 

トレードマークはオレンジの帽子とヒゲ!

ダンディ!!

 

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オレンジハット2

昭和のドライブインの看板の前に、昭和にギリギリ足を突っ込んだ車を停車させる。

わー、たまらんねー!!

 

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オレンジハット3

別店舗だが、夜はこんな装いになる。

 

ライトアップされているのにどことなく暗く感じる、オレンジハットの文字が哀愁をそそるのだ。

ちょっとアンダーグラウンドな雰囲気も醸し出す。

これまた昭和に足を踏み入れる上でのスパイスだ。

 

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オレンジハット4

それでは、僕がオレンジハット太田薮塚店を複数回訪問した記録を、今回ミックスさせてお届けしたい。

 

こんなちょっとのどかな住宅地に、オレンジハットは姿を現すのだ。

庶民の暮らしと融合しているかのような立地だ。

 

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オレンジハット5

冬の日の出直後の太田薮塚店だ。

「オレンジハットとは、あの立派な瓦屋根の民家なのかな?」と思ってしまったら、それは間違いだ。

右側の建物がオレンジハットだ。あの瓦屋根の民家は、看板の裏にあるだけ。

 

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オレンジハット6

とにかくポップでかわいい字体に心が躍る。

陽気な昭和が、ここに残っている。

 

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オレンジハット7

看板近くから見た店舗は、こんな感じ。

平屋造りの真っ赤な建物。

 

この店舗には、さっき夜間の写真で引用したような店名の看板が屋根に乗っていたりはしないようだ。

従い、パッと見だと何の建物だかわからない。

 

あと、ブラインドが閉まっていてなおさら店内の様子がわからない。

ちょっとドキドキするのだ。

 

 

レトロ自販機のメニュー

麺類

 

まずは王道、麺類だ。 

コンビニのカップ麺のように自分でお湯を注ぐ必要もなければ、フタを剥がす必要もなく、そのまま出てくる。

商品受領からひと口目まで最短2秒のスタートダッシュは、昭和の方に軍配が上がる。

 

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レトロ自販機1

手前に「うどんそば」。奥には「うどんラーメン」だ。 

さらに奥にもレトロ自販機が並ぶが、まぁ焦るな。

 

まずはラーメンを食べようか。

小銭を入れてボタンを押すと、秒数カウントダウン表示が始まる。

10数秒で完成し、アツアツのラーメンが取り出し口から顔を覗かせる。

 

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レトロ自販機2

この瞬間、すごい好き。

スープがなみなみと入っているので、気をつけてテーブルまで運ぶのだ。

箸やコショウ・七味などの薬味は自販機の内部の専用ケースから自分で取り出す。

 

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レトロ自販機3

やや太麺。そして厚切りチャーシュー。

麵の奥をさぐっていたらワカメも出てきた。

自販機内で湯切りをする際に具材がこぼれないよう、小さい具材は麺の下に忍ばせておくという、店側の工夫だ。

 

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レトロ自販機4

スッキリしたスープが冬の朝の胃を喜ばせてくれる。

この窓際の席は毎回使った。お気に入りだ。

 

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レトロ自販機5

次は天ぷらそばだ。これまた麺が太い。

そしてかき揚げがゴージャスだ。

 

自販機の筐体自体が一緒でも、中身は千差万別だ。

本格的な蕎麦屋さんの手打ち麺が入っていることだってあるし、天ぷらも天かすだったこともあるし、エビ天が入っていたこともある。

 

これはなかなかのゴージャスである。

あと、つゆの味が濃かった。

 

 

トースト

 

かなりレアな自販機トーストだ 。

麺類自販機が全国で60台以上生存しているのに対し、トースト自販機は16台しかない。

麺類に対し24%だ。絶滅間近。

 

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レトロ自販機6

このレトロな赤さがハートを直撃する。

赤という色は、いつの時代だって正義だと信じている。

 

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レトロ自販機7

うん、なにこのイメージ写真。

ティータイムのお手本だ。100点満点。額に入れて新居に飾りたい。

 

次にメニューボタンにフォーカスしてみよう。

 

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レトロ自販機8

なんだかどっちもセピア・ワールド。

テプラで無理矢理過去を上書きし、ハムトーストとピリ辛トーストとなっている。

両方ご紹介しよう。

 

小銭を入れてボタンを押すと、内部でトーストが40秒ほど焼かれる。

トースト中」の文字を眺めてワクワクしながら待とう。

 

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レトロ自販機9

 チーンと鳴って落下音が聞こえる。

トーストが自販機下部の取り出し口に落下した音だ。

 

ここでドリンクの自販機のように不用意に手を突っ込むと、あんたヤケドするぜ!

いや、比喩でも何でもなく、本当にヤケドするぜ!

 

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レトロ自販機10

テプラをよく見てほしい。

『アッ、熱い、気をつけて下さい。』

『取出す時、大変熱いので気をつけて下さい。』 

 

「アッ」という悲鳴が入っている。

これはリアルだ。言霊が宿っている。

 

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レトロ自販機11

だから備え付けのトングを使わせてもらおうな。

アルミに包まれたトーストサンド、これにて捕獲だ。

 

※備え付けのトングがない場合は、ハンカチなどを使おう。

 

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レトロ自販機12

これはピリ辛トーストだ。

具材はハム。そしてチリソースのようなものが塗られている。

 

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レトロ自販機13

何枚切りっていうんだ、これ?

薄さの極みだ。

こんなに薄く綺麗に切るだなんて、きっと名のある剣豪に違いない。

16枚”切り"とかではなく、16枚"斬り"っていう技の名にしたい。

 

ちなみに味は文字通りピリ辛だ。

既製品のパンとハムとチリソースだと感じた。あなたの脳内でも味は再現できよう。

 

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レトロ自販機14

次はハムトーストだ。

ぶっちゃけ、他店はハムチーズトーストなどにしているケースが多い。

ハムしか具材が無いのは少しだけ寂しい気持ちにもなる。

 

だから夜食べた。

夜は物悲しい時間帯だからだ。

 

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レトロ自販機15

少し見えづらいが、ハムの下にマスタードが塗ってあった。

これはほんの少しの贅沢だと感じた。

 

ボリュームは決して多くなく、成長期の男子であれば10個は食べてしまいそうな勢いだ。

しかし、ドライブで疲れた夜食としてはいいあんばいであった。

 

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レトロ自販機16

 

ハンバーガ

 

これはトーストよりもさらに貴重だ。

2021年春現在で、全国に12台しか生存していないらしい。

 

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レトロ自販機17

ハンバーガー自販機にはいくつかのデザインがあるが、これはもっともスタイリッシュなものだと個人的に判断している。

昭和の自販機かもしれないが、一番平成感が出ている。

 

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レトロ自販機18

この写真に写っているラインナップは、チーズバーガー・ベーコンポテチー、そして真ん中が何も書いてないのでわからない。

 

実はこのボタンの下にチラシが貼ってあったのだが、チリソース+ハム+ハンバーグの"コラボバーガー"だ。

他のハンバーガーが220円に対し、コラボバーガーだけ300円。ゴージャス。

 

あなたはおそらくコラボバーガーあるいはベーコンポテチーに興味を示すだろうが、残念、それらは買っていない。

他のオレンジハットで買ったことがあるので、ここではカレーバーガーにしたのだ。

(カレーバーガーが登場していたタイミングがあった)

 

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レトロ自販機19

60秒ほど自販機内部で温められた後、紙箱に入ったハンバーガーがポトッと落ちてくる。

 

中からは爺さんみたいにフニフニのパンのハンバーガーが登場だ。

そしてやや小さい。片手で包み隠せるくらいの大きさだ。

まぁでも自販機バーガーは大概こんなものだ。

 

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レトロ自販機20

鶏ひき肉かな?と思わせる庶民的な味のハンバーガーと、そしてカレーソース。

うまいかどうかと問われれば、そりゃうまい。

 

しかしな、味とかコスパを求めているのではないのだ。

「自販機で食品を買う」という行為にロマンを感じているのだ。

これが対人接客だったら興味ない?「は?なんで人間から物を買わなきゃいけないの?」とか思ってしまう。

 

お金を入れたらアツアツの食べ物が出てくる。

ギリギリを生きるブリキロボットのような自販機に、こんなピタゴラスイッチのようなギミックがついていることが、たまらなくワクワクするのだ。

 

小さい子供のようだろ?

しかし大人をナメるな。大人だってワクワクするんだ。ワクワクしたいんだ。

最終ゴールが食欲を満たすことに繋がるのだから、これはもう生存本能なのだ。

 

 

さようなら、太田薮塚店

 

オレンジハット 太田薮塚店、2021年8月31日(本日)22時閉店。

8月28日(土)の深夜に、僕はこのニュースを聞いた。

 

脳内で素早く、このお店を再訪する方法を考えた。

でもダメだ、僕のIQでは解決策を出せなかった。 

 

僕はもう、あのお店を訪問することはできない。

 

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さようなら1

閉店が決まったのは、早くて8月27日(金)、遅くて僕の知った8月28日(土)だ。

お店の貼り紙を撮影してくれた方がいるから、その文面をご紹介する。

 

お客様各位

 

8月27日太田警察よりゲーム機の営業を即時停止するように勧告がありました。

今後店舗継続が可能な形態としては自動販売機とゲーム機8~10台前後となり店舗運営は、収益的に考えて無理となり8月31日午後10時で閉店廃業とさせていただきます。

 

これまで多くのお客様に支えられ心より感謝とお礼を申し上げます。

ご案内が急なことで申し訳有りません、当局の勧告ですのでいかんともしがたく私どもの心情を御理解いただきお許しください。

 

オレンジハット薮塚店

店主・スタッフ一同


…なんとも無念さがにじみ出る文章だ。

そして、警察が関与しており、ちょっと物々しい空気感だ。

 

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さよなら2

これはWebに流れている情報なので100%信用の置けるものではないですが…。

 

そもそも前提として、クレーンゲームなどの景品等に、ちょいとアダルトなものが含まれていたのだそうだ。

うん、これはわかる。

他の昭和系ドライブインでも複数目撃したことがあるからだ。

ユーザのターゲットが中高年男性なので、古来からこんな感じだったみたいだ。

 

それを直近で警察に通報した人がいる。

そこで警察が動き出し、ゲーム停止宣告をした…。

こんな感じのようだ。

 

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さよなら3

決して警察に通報した人が悪いわけではない。

 

ずっと昔からとは言え、薄暗くてアンダーグラウンド感が漂い、そしてタバコの臭いの充満するこれらのドライブインは、カップルやファミリーで入るにはハードルの高いスポットだ。

令和のこの時代に馴染めているとは思えない。

それに、老若男女安心して楽しめるお店造りも必要だ。

 

しかし、おそらくコロナ禍で弱り切っていたこのお店への警察による宣告は、改善の余地すら与えない、一撃で致命傷となるレベルのものだったのだろう。

 

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さよなら4

僕は決してアダルト商売の方を持つわけではない。

しかし、昭和の面影を残す営業形態・自動販売機が無くなってしまうことに、すごい寂しい気持ちになる。

 

大事なものは無くなってしばらくしてから気付くのだ。

古墳・宿場町・銭湯・城郭。

昔は当たり前のようにあったものがどんどん壊され、気付いたときにはほんの少しだけになった残骸を大事に扱うか、似たようなものを復刻するしかなくなる。

乱獲に伴う動物の絶滅だってそうだ。

 

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さよなら5

どうにか、守るような方法はなかったのだろうか?

 

他のオレンジハット、そして他の似たようなドライブイン

これらも今後標的となった場合、レトロ自販機は驚くほどのスピードで滅亡までの道のりを突き進む。

それがとても怖い。

 

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さよなら6

22時を回った。

僕は自宅の自室で、どんな顔をしてこのお店に「お疲れ様」を言えばよいのだろうか?

ただ、レトロ自販機の全盛期を知らない僕が、過ぎ去ってゆく時代に少しだけ接触できたことは、人生に大きな意味を残してくれたのかもしれない。

 

今までありがとうございました。

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: オレンジハット太田薮塚店
  • 住所: 群馬県太田市藪塚町2463
  • 料金: 天ぷらそば¥220・トースト¥220他
  • 駐車場: あり
  • 時間: 24時間営業・日曜定休

 

No.129【沖縄県】日本最南端の有人島「波照間島」!南十字星の見える最果ての岬に立て!

僕ら一般人が到達できる、日本の最南端はどこか。

 

それは「波照間(はてるま)島」だ。

正確にはその波照間島にある「高那崎」っていう岬だ。

 

今回ももちろん高那崎を絡めた日本最南端の話にフォーカスしたいのだが、それ以前にさ、波照間島に到着した時点でもう世界が違う。

日本最南端テイストが島中にムンムン満ち満ちている。

 

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周囲全て水平線の、真っ白い珊瑚礁の小さな島。

 

「あー、死んでないのに天国に来ちゃったー…」って感じる。

昼はオリオンビールを飲み、夜は泡盛(「泡波」)を飲んで、旅人たちとゆんたくだ。

誰かしらが三線を持ってきているだろうから、みんな一緒に琉球ソングを歌うのだ。

 

僕は、寒い冬の間は毎日こんな波照間島のことを考え、懐かしんでいる。

(夏の間は3日に1回ペースだ、すまない)

 

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今回は、そんな南国の楽園のお話をしたい。

 

 

最果ての珊瑚礁

 

まずは波照間島の位置関係をまずはご説明したいので、以下の地図をご覧いただきたい。

 

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めっっっちゃ南だな!!

 

本土最南端の「佐多岬」も南国ムードが溢れていたのだが、ごらんよ。

例えば横浜から波照間に行く場合、佐多岬あたりでまだ半分なんだぜ。

 

つまり横浜人から見ると、波照間島の南国指数は佐多岬の2倍だ!

うん、なに言っているの自分でもわからねぇ!

 

drive-ns.hatenablog.com

 

参考までに、上記に佐多岬について執筆した記事のリンクを貼っておく。

良かったら事前に読んで見てほしい。

 

ほら、あなたも「いきなりプールに飛び込んではダメ。心臓ビックリするから、足からゆっくりよ。」って言われたでしょ? 

それと一緒。いきなり波照間は心臓ビックリしちゃうからね。

 

…という冗談はさて置き。

 

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最果てへ1

波照間島へは、「石垣島」の離島桟橋から小船で向かうのだ。

アホみたいに揺れる。

なぜなら、波照間航路は外洋に突入するからだ。 

 

初めて波照間に行ったときには、あまりの荒波で船がオーバーヒートして2回交換したのだぜ。船そのものをだ。

出航したと思ったらまた石垣島に戻ったり、予定にない「黒島」に寄港して一度降ろされたりして、ハラハラドキドキだった。

 

まぁそんな船旅だから、船は波間をマジに跳んで、海に落ちるたびに船内から悲鳴、船酔いした人にとっては地獄という、阿鼻叫喚であった。

僕も心臓ビックリした。

 

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最果てへ2

翌日はね、島で知り合った人の乗った船が沈んだりしたからね。

(僕は翌々日の定期船に乗船)

海上保安庁から僕宛にも生存確認の電話が来たさ。まったくもってスリリング。

 

何度か波照間島には行っているが、いつだって「島に行くフェリーがちゃんと出るのかハラハラ」・「島から石垣島に帰れるのかドキドキ」だ。

おもしろ過ぎて徹夜で語れる。

 

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最果てへ3

そんな南の孤島。

レンタサイクルで気軽に島を一周できるほどの大きさの、白い珊瑚礁で出来た島。

 

波照間島の語源は、「果てのうるま(珊瑚礁)」

なんというステキなネーミングなのだろう。

 

 

高那崎は不憫な岬

 

さて、前述の通り日本最南端の岬は高那崎とされている

なんで語尾を強調したのか、まずは波照間島のレンタサイクルショップでもらった地図を見てほしい。

 

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目指せ、最南端の地1

ご自由に拡大してほしい。

「"たましろ"っていう宿に興味があるわ」とか言って、突撃してヤケドするのも大いに結構だ。(僕の常宿だ)

 

しかし注目してほしいのはそこではない。

地図の右下部分だ。

 

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目指せ、最南端の地2

「あれ?高那崎って最南端じゃないぞ?」 

 

…そうなのだ。

島の明確に最南端の部分には名前がついていない。

便宜上、高那崎が最南端とされているが、「日本最南端の碑」からは1kmほど離れている。

 

そして岩礁だけで何もないので、高那崎に行く人は稀だ。

みんな日本最南端の碑で記念撮影をするのだ。

 

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高那崎

 だから(少なくとも僕の経験上、)最南端に行きたい場合に「高那崎に行こうぜ!」と言う人はいない。

みんな「最南端の碑に行こうぜ!」と言うのだ。これ注意。

 

だから「高那崎」と言ってもなかなか通じないかもしれない。

2021年現在、なんとGoogleマップにも登録されていない不憫な岬なのだ。

 

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目指せ、最南端の地3

よし、もう高那崎という言葉を使うのはここまでだ。

充分に連呼してやったので、満足であろう。

 

では、日本最南端の碑に行こうぜ、ひまこさん

 

 

日本最南端を示す物たち

 

自転車で日本最南端の碑に向かう。

 

波照間島は背の高い木立もないし、ビルも原則ない。

つまり日影が非常に少ないので、日差し対策と水分補給には細心の注意をしつつ自転車を走らせるのだ。

 

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目指せ、最南端の地4

僕は合計4回ほどは最南端の碑を訪問しているが、一番最初は旅友のひまこさんと一緒だった。

 

船がバキバキになるほどの荒波を共に乗り越えた仲だ。

後日談だが、ひまこさんとはこの旅の後も一緒に関西最後の秘境の「芦生の森」を探検したり、神戸で飲んだり、和歌山とドライブしたりしている。

 

drive-ns.hatenablog.com


はい、そうこうしているうちに目印となる「星空観測タワー」に着いた。

島で一番大きいのではないかと思うスケールの建物だ。

 

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目指せ、最南端の地5

ここから見える東屋の向こうが、日本最南端の碑だ。

300mもないので、星空観測タワーから歩いてもいいし、もう少しだけ自転車を漕いでもいいだろう。

 

ちなみに日本最南端を示す碑は複数ある。

以下で順次ご説明していきたい。

 

 

日本最南端之碑

 

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日本最南端の碑1

 

日本最南端之碑。

 

 

後ろにまだ陸地があるのでもっと海に近づいてもいいが、ここが撮影スポットだ。

海の向こうは、もう何も見えない。

 

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日本最南端の碑2

ハンドメイド感の漂う碑である。

その経緯をご説明しよう。

 

1970年。

まだ第2次世界大戦に伴うアメリカからの沖縄返還が実施される2年前のことである。

 

日本縦断をした1人の大学生がいた。

その大学生は北海道から旅を始めて、この地をゴールとしたのだ。

その記念として、アルバイトで稼いだお金を使ってここに自費で碑を建てた。

それがこれだ。

 

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日本最南端の碑3

島一周サイクリングに誘ったひまこさんと共に、この最南端の地を踏んだ。

感無量だった。


この碑を自費で建てた、当時の学生さんに心から感謝を伝えたい。

なにせ、当時ここは「日本」ですらなかったのだから。

 

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日本最南端の碑4

その複雑な心境は、察するに余りある。

そのの絡みもあり、2021年も返還されていない北方領土を臨む本土最南端の「納沙布岬」には、この波照間島から採取した炎が延々と燃えているのだ。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

ぶっちゃけ納沙布岬に行くと、北方領土返還へのプロパガンダでお腹いっぱいになる。

純粋な景勝地として楽しむ心の余地も無くなる。

しかし、その背景だけは、我々は知っておかないといけないのかもしれない。

 

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日本最南端の碑4

 

聖寿奉祝の碑

 

そんな日本最南端の碑のすぐ横にあるのが、この「聖寿奉祝の碑」だ。

日の丸のマークが象徴だ。

 

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日本最南端の碑5

昭和天皇の在位60年目を記念して日の丸を埋め込んだらしい。

ってことは、1985年だ。

 

もともとはそれよりも10年以上も前、日の丸の旗を掲揚する塔を建てたんだけどさ、潮風が思ったよりも強くって、すぐにボロボロになっちゃって。

なのでこういう碑になったらしい。

 

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日本最南端の碑6

2018年、この日の丸が破壊されて、交換のために一時撤去されたりもした。

国際問題の火種を孕むのか、なんのか。

 

そういう政治的背景には極力足を踏み込みたくはないが、公共の物を破壊するのだけはちょっと違うよな。

 

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日本最南端の碑7

2021年現在はちゃんと復活しているので、ご心配なく。

 

 

日本最南端平和の碑

 

このエリアには、ひときわ大きいハンペンのような石碑がある。

存在感はダントツでトップだ。

 

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日本最南端の碑8

それが「日本最南端平和の碑」である。

 

この石碑が建てられたのは、1995年。

第2次世界大戦の終結(1945年)から50年目を記念して造られたのだそうだ。

岩に刻まれているとおり、これを造ったのは地元である竹富町だ。

 

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日本最南端の碑9

戦後50年記念であること、そして石碑に"平和"の文字が刻まれていることからも、沖縄が歩んだ壮絶な歴史の記憶を絶やしてはいけない、という意思を感じる。


日本の最南端から、日本の恒久平和を祈りたい。

 

 

蛇の道・その他の碑

 

日本最南端の地には、うねるように鎮座する巨大なヘビがる。

まずは航空写真にてお見せしよう。

 

わかるかな?

右上から左下に向かい、クネクネとした白い帯が見えるだろう。

 

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日本最南端の碑10

これが「蛇の道」だ。

「日本最南端の東屋」付近から始まり、日本最南端之碑近くで終わっている。

 

上の写真をよく見ると、日本最南端の東屋・日本最南端の公衆トイレ・星空観測タワーが写っている。

 

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日本最南端の碑11

クネクネした道を歩くと、その傍らのところどころに、こぶし大の石が埋まっていることに気付くだろう。

ちょっとフォーカスしてみよう。

 

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日本最南端の碑12

石と一緒に、「秋田」とか「山形」と書かれたプレートも埋め込まれている。

 

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日本最南端の碑13

こちらには「神奈川」や「東京」もある。

都道府県ある。

これらは、実際に全部の都道府県で採取した石。それをこうやって埋め込んであるのだ。

 

沖縄は、戦後しばらくアメリカに取られてしまい、日本ではなくなってしまったでしょ?

もう二度とそんな歴史を繰り返してはいけない。

海で隔たってはいても、沖縄も本土の都道府県も、同じ日本なのだ。

 

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日本最南端の碑14

47都道府県、全部集まって「日本」なのだ。

 

決してもう離れ離れにならないよう、蛇がクネクネと47都道府県分の石に絡まってくれているのだ。

なんというありがたい蛇。

 

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日本最南端の碑15

その終着点付近にあるのが、「波照間之碑」。

頭頂部の欠けたピラミッドのような造形だ。

 

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日本最南端の碑16

近くの岩の上には、こんな"日本最南端"もある。

テーブル上の岩盤だ。

 

上に見切れているが、ちょうどベンチのように使えるコンクリートブロックもある。

ただしかし、これをテーブル代わりにするだなんて、恐れ多くて僕にはできないな。

 

…こんな多くの碑がある日本最南端。

何度も訪問するのは難しいかもしれないので(もちろん毎年行く常連さんもいるが)、記念に目いっぱい写真を撮っておくと良いだろう。

 

 

あの向こうはフィリピン

 

最南端の地からの景色を少しご紹介したい。

 

ついつい夢中になって碑の写真ばかりを撮ってしまい、「…で、最南端ってどんなところでどんな景色なの?」と人に尋ねられたときに困る。

これは"波照間あるある"なのかもしれない。

 

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最南端の景色1

これは最南端の碑のちょびっと手前で撮影した。

 

琉球石灰岩のゴツゴツした大地が特徴だ。沖縄県の大地の30%がこれだ。

珊瑚の死骸を多く含んでいる。

 

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最南端の景色2

まるで固まった溶岩のようだ。

メッチャ固くて尖っているので、サンダルで歩いた場合、ヘタするとケガをする。

僕もかつてやってみたので間違いない。

 

大体前述の繰り返してはあるが、日差しは強いし、足元はゴツゴツだし、周囲は木陰もないし、商店からも遠く離れていてる。

いろいろ気をつけてアプローチしよう。

 

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最南端の景色3

あのあたりが大地の果て。

その向こうは延々に海が続き、次の陸地は800㎞ほど離れたフィリピンだ。

ただし、フィリピン最北の島までであればその半分ほどの距離であろう。

 

なんか、すごいな。

400㎞離れているとはいえ、フィリピンを感じさせるとは。

400㎞なんて、東京から大阪までの距離感。高速道路を使えば4時間ほどで走れる距離なのだ。

 

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最南端の景色5

そんな一般人到達可能最南端の景色。

こんなブログではとても表現しきれない、現地ならではの情景を五感で感じ取ってもらいたい。

 

 

南十字星が輝く島

 

少し問題からは外れるが、波照間島からは南十字星が見える。

一般的に南半球で見られる、全星座の中で一番小さな星座。

サザンクロスとも呼ばれているものだ。

 

波照間島では、それがギリギリで見える。

冬から初夏にかけての22時ごろ、水平線からわずか3度というギリッギリのところに浮かぶのだ。

 

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夜の波照間1

上記は波照間島のマンホールだ。

もしあなたが波照間島南十字星を見れなかったのだとしたら、足元の写真を撮って気を紛らわせればよい。

 

南十字星を僕が見に行ったときの話は、またいずれ星空観測タワーについて執筆する際に触れたい。

 

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夜の波照間2

宿泊した民宿の送迎で、夕食後にこの日本最南端を目指したことがある。

星空観測タワーで南十字星を見るためだ。

 

なんか日本列島の相当西にあるためか、20時を過ぎても空が明るくって時間感覚が狂う。

 

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夜の波照間3

宿から10数名でここに降り立ったのだが、そのときのメンバーには前述のひまこさんもいた。

次の日の高波の中をがんばって島から脱出しようとし、乗った船が沈むこととなるメンバーもいた。(しかしちゃんと無事であった)

 

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夜の波照間4

なんか知らないけど、星空観測タワーに来ていた別の宿の人たちともすぐに仲良くなり、みんなで記念撮影をした。

 

南国だとみんな心も開放的になり、近所の公園の幼稚園児同士と同じくらいスムーズに友達になれる。

僕はこれを勘違いして"モテ期"と呼んでいる。

 

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夜の波照間5

しかし、夜でもまだ昼の熱気を残す波照間島

そこで残照を眺め、そして南十字星を一緒に探したあの日のことを、僕は忘れない。

 

また、汗だくになりながらひまこさんと島内を自転車で駆け巡り、晴天の日本最南端に立ったあの日のことを忘れない。

 

夕方、ひまこさんは僕を宿の前まで誘導してくれ、「はい、ここがあなたの泊まるたましろ。私にはちょっとムリだけどね。」と言い、クールに自転車で去って行った。

 

なるほど、ここが宿。ガラクタ小屋ではなくって宿。ウワサに名高い、日本一汚い宿。

…って思った。

その話も、また機会がございましたら。

 

*-*-*-*-*-*-*-

 

常夏の島、波照間島

南十字星輝く島、波照間島

 

改めて、日本列島は南北に長いのだな、と感じる。

 

もちろん東西にもそれなりにも長いのだが、気候の変化があるのは南北だ。

宗谷岬」や「礼文島」とは全然違う世界、そしてそれぞれに素晴らしい魅力のある日本に、改めて感動したのだ。

 

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桟橋の先端で僕を見送ってくれた仲間たち

また星空の下で、三線の演奏で歌いながらゆんたくしようぜ。

 

どこまでも澄み渡った青い海。

その桟橋で島抜けする僕に向かってずーっと手を振ってくれた、最南端で知り合った仲間たち。

 

帰る地はバラバラでも、思い出は1つ。

僕らは、蛇の道でそれを学んだのだ。

 

さようなら、最果ての珊瑚礁

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 日本最南端の碑
  • 住所:  沖縄県竹富町波照間
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし 

 

No.128【東京都】線路が埋め立てられて巨大ホーム爆誕!?進化した豊洲駅を歩いてみた!

ホームがあって、線路があって、電車が来る。

勝手にこれを「駅の三原則」と定めたい。

 

…ところがだ!

その三原則の1つである、大事な大事なホームをな、大胆にも埋め立てちまったヤツがいるんだよ!!

アイツ…、やっちまいやがった!どうかしているぜ!!

 

ソイツの名は…!…いいか、言うぞ!

ソイツの名はッ!!

 

豊洲駅」!!

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電車、来れない…。

 

 

昔、ここは海でした

 

いきなり僕が「豊洲駅!!」とかシャウトしたところで、「どこそこ?」と冷めた目で僕を見た方も多いであろう。

いやはや、お恥ずかしい。つい先走ってしまった。

 

豊洲駅のある豊洲エリアっていうのは、東京湾の埋め立て地にある。

数年前まで東京を代表する魚市場って、「築地市場」だったじゃないですか。

それが今は豊洲になったじゃないですか。

これでピンと来る方も多いだろう。

(あぁ、コロナ禍じゃなかったら酒飲みながら江戸前寿司を食べたいな、こんちきしょー。)

 


これが2021年現在の東京都心だ。

豊洲駅ピンを立てた。このあたりが豊洲なのだと、なんとなく脳にインプットしておいてほしい。

 

次に、江戸時代初期の東京だ。

 

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なんというモイスチャー・シティであろうか。

あらかた海に沈んだ。

 

ネタバレになってしまうので詳細は言わないが、「新海誠監督」の「天気の子」のラストのおばあちゃんのセリフが、これで身に染みるだろう。

 

江戸城(皇居)」の東は海に面していたのだ。

それによって外敵の侵攻を防いでいたのだと、先日「ブラタモリ」で言ってた。

 

「ディズニーシー」なんて、リアルに海の中だ。

わざわざ陸地化したのに、そこに海を再現するという逆行をしている。

 

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豊洲の今昔1

右上に『昔 ここは海でした』と書かれている。

そう、江戸時代から現代に至るまで、東京湾は何度も何度も埋め立てられて、現在の姿になったのだ。

 

そしてクジラの親子だ。

「おいおい、東京湾にクジラなんているのかい?」と思われるかもしれないが、実は江戸時代にときどき東京湾にクジラが迷い込んでいる。なので事実だ。

 

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豊洲の今昔2

これ、地下鉄の豊洲駅掲示してある「豊洲今昔物語」という壁画だ。

 

中央には豊洲駅が描かれている。

背景は豊洲のビル群だ。

『今、豊洲はすてきな町』のコメントがある。

 

手前には『いるかたち』・『海釣り』。

「おいおい、東京湾にイルカなんているのかい?」と思われるかもしれないが、実は(以下略)

 

今昔物語というか、新旧を無理矢理合体させて不思議な世界観になってしまっている壁画だ。ステキ。

 

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豊洲の今昔3

地下鉄駅から地上に出た。

なんか「コロッセオ」みたいな円形の広場の中央に出た。

反対側の扉からライオンでも出てきて、どっちかが死ぬまで闘わされそうな構図だ。

 

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豊洲の今昔4

ウソです。

 

円形広場はすんごいのどかでした。

ご飯食べたりコーヒー飲んだりしている人たちが、チラホラといる。

コロナ禍じゃなかったら、もっと賑わっていただろう。

オシャレなトウキョー・シティだ。

 

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豊洲の今昔5

ちなみに、僕がこれらの撮影をした円形闘技場の2階部分、ビシッとスーツを着たサラリーマンが多く歩いていた。

撮影している僕は少々恥ずかしかった。

 

この円形広場の周囲には高いオフィスビルがいくつかあるのだ。

ちょうどお昼どきなので、ビルがサラリーマンを放出したのだろう。

 

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豊洲の今昔6

築地から豊洲に魚市場が遷ったので、駅周辺は粋な板前さんが闊歩していたり、江戸前の魚がビチビチ跳ねていると思ったら、全然違った。

豊洲市場はここから1.5kmもあるらしいぞ、てやんでい、べらぼうめ!

 

ま、でも今回は豊洲市場の話は置いておこう。

駅構内の話だ。

 

 

線路がない!??

 

話を豊洲駅構内に戻そう。

僕は最初、我が目を疑った。

 

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線路ない事件1

あれ?駅ってこんなだったっけ??

線路ないけど、電車ってどんなだったっけ?

写真右半分の黒いタイルの上を、シャーって滑ってくるんだっけ?魚市場の冷凍マグロみたいに。

 

…そんな感じで、1秒くらい脳がバグッた。

 

上には「3番線 池袋・和光市・森林公園・飯能方面」って書いてある。

ホントだな、行けるんだな?

この線路の無いホームから。

 

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線路ない事件2

線路、埋め立てられたのだ。

豊洲はなんでも埋め立てるのが好き。海だって埋め立てたし、線路だって埋め立てるのだ。知らんけど。

 

でも、それによってこっちのホームとあっちのホームが陸続きになった。

にもかかわらず、電車との接触を防止するホームドアだけが残っているのだ。

それがとても違和感だ。

 

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線路ある普通

上は、豊洲駅のいくつか隣の駅で撮影したものだ。

ホームドアとは、こういうものだ。

ホームと線路(電車)の間で、僕らを守ってくれるたのもしい兄貴みたいな存在だったハズだ。
 

それが、ここではどうだろう?

 

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線路ない事件3

もう一度掲載するが、ほら、もうやることなくして所在無げに立ちつくしているのみだ。

こんな兄さん、嫌だ。 

 

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線路ない事件4

 ホームドアには「のりださない」という注意書きがある。

でもさ、今は乗り出しても向こう側には何もない。

 

今なら思う存分に乗り出しちゃってもいいんじゃないかな?

今まで乗り出したくても乗りだせなかったあなたも、その長年抑圧された願望をここで解き放ってもいいんじゃないかな。

 

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線路ない事件5

さぁ、かつての線路の上に足を踏み出したぞ。

 

始めて月に降り立った「アームストロング船長」の言葉を借りるのであれば、「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である。」だ。

当然、彼と同様に左足からだ。

いや、ぶっちゃけこのときの僕がどっちの足からであったか、忘れたけど。

 

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線路ない事件6

よーし、絶妙な浮遊感だー。 

そして今、僕は電車の気持ちだー。ぶーん。

 

こんな駅はそうそうお目にかかれない。

かつてのホームの上を、隅から隅まで歩きたい。

 

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線路ない事件7

ほら、高速道路とかが完成した直後のまだ車も通さない段階で、「記念に今日だけ歩行していいよ」みたいな日があるじゃない。

一生に一度の経験。

 

そういう気分だ。

明石海峡大橋」とか「瀬戸大橋」の車道をそうやって歩ける時代に生まれたかった。 

 

 

埋め立てられた線路の上で

 

豊洲駅は、2番線と3番線の線路が埋め立てられている。

実は本当は"埋め"られてはいない。

線路の上に板を渡してあるだけだ。なので歩くと若干ブゴンブゴンと、下が中空である感触がする。

 

川であれば"暗渠(あんきょ)"と言うね。

昔は川だったところを、上からフタをして車道にしちゃったり、デカいパイプに川を通しちゃったりして、地上からでは川だとわからなくする工事だ。

ブラタモリ」でよく出てくる言葉だ。

 

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線路の上の世界1

しかし、ホームが広いだけですばらしい感覚だ。

 

料亭とかで大勢での会食をする際に、普段は部屋を仕切っている襖(ふすま)を取り外したら、「うおぉ、こんな大きな宴会場にもなるんかい!」ってなるのと同じだ。

小さい頃、そんな広間をはしゃいで駆け回って母親に怒られたのは僕だけではないハズだ。自己肯定のためにも、そう思いたい。

 

今はコロナ禍で会食なんてできないけどさ、コロナが明けたらそんな大きい広間で親しい人たちと宴会して、豊洲に揚がった魚の刺身とか食いたいよな、べらんめぇ!

 

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線路の上の世界2

貼り紙にご注目。

『この先はホームが狭くなっています ゆずり合ってご通行ください』

 

はぁ?どこのホームが狭いですってぇ??

いや、確かに昔は狭かった。上の写真のホームドアの位置からそれがわかる。僕もその時代に豊洲駅を見ている。

 

しかし2021年現在は、ゆずり合いだなんていう美しい精神は不要だ。

かつての線路の上を歩けばいい。江戸っ子はグイグイ我が道を突き進むのだ。

 

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線路の上の世界3

駅の端っこの方は、2つあるホームとホームとの間に高低差があるようだ。

だからこんな風に中央に階段が出来ている。面白い。

ブラタモリであれば、きっと河岸段丘とか言われているだろう。

 

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線路の上の世界4

1・2番線にて電車を降りた人たちも、かつての線路上を横断して3・4番線側から改札階に上がれるのだ。

これ便利。ソーシャルディスタンスだ。

 

さて、ホームを端近くまで歩くと、世界の終わりかのように壁が立ちはだかった。

まだホームは続いているのに、線路の上の世界だけが当然プツリと終焉を迎えるのだ。

 

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線路の上の世界5

それがこれだ。

向かって右には線路上の世界がある。左側はそれがない。

 

昔の誰かが、「海の果ては滝になっていて、全ての船はそこから落ちていく」と言っていた。

まさにそんな気分だ。

 

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線路の上の世界6

ただ、ここでようやくかつての線路がコンニチハだ。

この線路を上から封印していたのだ。

 

ホームの一番端まで歩いてから振り返ってみよう。

 

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線路の上の世界7

こうなる。突然終わる線路がいい味を出している。

 

美しい世界の終焉だな、ってほれぼれしたさ。

…じゃなかった。

江戸っ子だったらこういうときは「とーんと来たね」って言うそうだ。

ゴメン、実は僕は江戸っ子ではないのでよくわからない。

 

 

なぜ線路は無くなった?

 

ホームがこのように埋められたのは、2020年3月16日のことだそうだ。

 

なぜかというと、東京オリンピック&パラリンピクの混雑緩和のため

豊洲もオリンピックのメイン会場だからな。

そして、コロナ禍でオリンピックは1年延期で2021年になっちゃったけど、本来は2020年だったでしょ。だからこの時期に埋めたのだ。

 

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未だに駅構内に掲示してある、線路があった時代の貼り紙を撮影してきた。

 

1~4番線があるうち、2つのホームの間である2・3線が埋められたのだ。

上の図を見ていただければ、それがイメージしやすいかと思う。

 

当たり前だが、決して線路がない駅というわけでもなく、そして線路を使わない電車が走る駅というわけでもない。

ただ単に、4つあった線路が2つになったという話だ。

 

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ちゃんと活用されているホームドア

次に、「一気に線路を半減させちゃって大丈夫なの?」と思われるかもしれない。

結論、大丈夫だ。

もともと2・3番線はほとんど使っていなかったそうなのだ。

 

当初この豊洲駅は、住吉とか押上方面に支線を造る予定だった。

しかしその予定はずーっと実現していない。

支線を作るときのための線路だけが残っている。

まぁ朝の時間とかにちょこっとだけそれを活用していたりはしてたようだけど、基本的に未使用の線路だったのだ。

 

今後、どうなるのだろうな?

この記事は、オリンピックとパラリンピックの間に執筆されている。

 

パラリンピックが終われば、この線路の上の世界の役目も終わる。

また撤去されるのだろうか?

それとも、いつの日か支線が誕生したり、あるいは2つのホームで捌ききれないほどに豊洲が栄えた日に、再び日の目を見るのだろうか?

 

400年以上の長きに渡り、埋め立てが行われている東京都心。

これからもきっと、進化し続けるのであろう。

 

我々は、東京の埋め立て計画に、これからも目が離せない。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
 

 

住所・ スポット情報

 

  • 名称: 豊洲駅
  • 住所: 東京都江東区豊洲4-1−1
  • 料金: 160円(入場券制度がないため、原則乗車のこと)
  • 駐車場: なし(付近のコインパーキング使用のこと)
  • 時間: 始発から終電まで